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第7代総裁:高橋是清(たかはしこれきよ)

第7代総裁 高橋是清の写真

就任
明治44年6月1日
退任
大正2年2月20日
出身地
東京都

高橋是清の人生は波乱万丈でした。米国留学時代は手違いで奴隷に売られてしまいました。帰国後は、英語教師をした後、農商務省の官吏となって特許局長にまで昇進しましたが、進取の気性に富む彼はその職を辞して南米に渡り、ペルーで銀山開発に取り組みました。しかしこれに失敗、無一文で帰国しました。その時に、当時日本銀行総裁(第3代)であった川田小一郎に声をかけられ、建築中であった日本銀行本館の「建築事務主任」として採用されました。彼はその手腕を認められ、翌年には九州全域を管下とする「西部支店」の初代支店長に登用されています。

その後、副総裁時代には日露戦争の戦費調達のための外債募集を成功させ、1911年(明治44年)に総裁に就任しました。総裁を1年8か月務めた後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を7回(うち1回は総理大臣との兼任)務めるなどの活躍をしましたが、昭和11年の「2・26事件」で、陸軍青年将校の凶弾に倒れ、その波乱の生涯を閉じました。

(出典:広報誌『にちぎんクオータリー(1997年春季号)』)