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教えて!にちぎん

日本銀行本店の建物について教えてください。

本店の建物は、旧館(本館、2号館、3号館)、新館、分館と3つの部分で構成されています。建物の写真は、バーチャル見学ツアーをご覧ください。

  旧館 新館 分館
本館 2、3号館
(1号館は取壊)
所在地 中央区日本橋本石町 2-1-1 中央区日本橋本石町 1-3-1
構造 石積みレンガ造 鉄骨、鉄筋コンクリート
外装 花崗岩貼り
着工時期 明治23年(1890年)9月 昭和 4年(1929年)11月 昭和41年(1966年)10月 昭和57年(1982年)6月
完工時期 明治29年(1896年)2月 昭和13年(1938年)6月
<3号館>
昭和48年(1973年)3月 昭和59年(1984年)9月

解説

旧館(本館)の建設

開業(明治15年<1882年>)当初の永代橋のたもとにあった店舗は手狭なうえ、都心からやや遠かったこともあり、開業の翌年には早くも店舗の移転が決定されました。
設計者は、建築学界の第一人者であった辰野金吾博士(工科大学<現東京大学工学部>教授)です。同博士は、他に東京駅、旧両国国技館などの設計も手がけています。この建物は昭和49年(1974年)2月5日に、国の重要文化財に指定されました。

旧館豆知識

なぜ日本橋が移転先に選ばれたのか

本店の移転先として日本橋が選ばれたのは、主に以下の理由からです。

  1. 日本橋が江戸時代から東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道の 5街道の起点で、交通の要所であったこと。
  2. 江戸時代から両替商が軒を連ねていた関係で、金融機関が集中しており(明治13年<1880年>の東京市内の銀行数24行中、日本橋区20行、京橋区 4行)、また、常盤橋から浅草橋に至る本町通りは商店街として賑わうなど、金融・商業の中心地であったこと。
  3. 大蔵省(現財務省)や紙幣寮(現国立印刷局)が常盤橋を隔てた大手町にあり、連絡の便がよかったこと。

建築様式

建物の様式は、柱やドーム(丸屋根)などのバロック様式に、規則正しく並ぶ窓などのルネッサンス様式を取り入れた「ネオ・バロック建築」です。秩序と威厳が表現されています。外観はベルギーの中央銀行を模範に設計したと言われています。

外装

当初は総石造りとする予定でしたが、明治24年(1891年)の濃尾大地震の被害状況から、地震が多い日本では、欧米のような総石造りは無理であると判断しました。そして、積み上げたレンガの上に、外装材として石を積み上げるという方法に変更し、建物の軽量化を図りました。石の種類は、地階と1階は厚い花崗岩、2階と 3階が薄い安山岩です。

大正12年(1923年)に起きた関東大震災では、建物自体はびくともしませんでしたが、近隣の火災が日本銀行にもおよび、シンボルである丸屋根は、焼けてしまいました。現在のものはその後復元したものです。

内部設備

エレベーター、水洗便所など当時としてはめずらしい設備を取り入れ、防火シャッターや階段などに外国製品も採用されました。

総工費

日清戦争(明治27年<1894年>)に伴う軍需景気により物価が急騰したため、総工費は当初予算の80万円を 4割も上回る 112万円となりました。

2頭のライオン像

正面玄関入口には、咆える2頭の雄ライオンが6個の千両箱を踏まえて後足で立ち、日本銀行のシンボルマーク「めだま」を抱えた青銅製の紋章があります。日本銀行とライオンの関係ははっきりしないのですが、欧米を視察した辰野博士が、欧州の宮殿、寺院などに王者のシンボルであるライオンをあしらった紋章飾りが多く使われていることを知り、これを取り入れたものであろうと言われています。

なお、旧館の中には、昭和初期に作られた東門扉や南門のアーチにも同じような装飾が施されています。

歴代総裁の肖像画が並ぶ赤じゅうたんの廊下

2階の廊下の両側には、吉原重俊初代総裁から三重野康26代総裁の肖像画を展示しています。関東大震災時、当時展示していた肖像画はすべて焼失したため、現在展示している肖像画はその後再製されたものです。特に、吉原重俊(初代)、富田鉄之助(2代)、川田小一郎(3代)、松尾臣善(6代)、三島弥太郎(8代)は、すでに故人であったため、写真から模写したものです。

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