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最近の金融経済情勢について

平成9年2月4日・経済倶楽部における日本銀行総裁講演

1.はじめに

 本日は、経済倶楽部にお招き頂き、各界でご活躍の皆様方にお話しする機会が得られたことを、大変光栄に存ずる。

 ご存知のとおり、日本経済は、ここ数年の間、バブル経済の後遺症を克服しつつ、新たな時代に対応した経済構造を構築するという、重く、厳しい課題に直面してきた。この間、景気は、一頃、デフレ・スパイラルさえ懸念される状況に陥ったが、金融・財政両面からの強力なサポートもあって、昨年初からは、緩やかな回復基調を辿ってきている。とくに最近では、景気回復力の底固さが次第に増してきており、この面からは、課題の克服に向けて明るい材料が増えつつあるように思う。

 しかしその一方で、年明け後、株価は大きく下落し、市場参加者の先行きに対する見方が慎重なものにとどまっていることを窺わせる展開となっている。そこで本日は、そうした経済の先行きに対する不透明感をどう考えるか、といった点も含め、今後の経済の見方や金融政策運営の基本的考え方などについて、お話しすることとしたいと思う。

2.国内経済情勢

 まず、国内の経済情勢についてであるが、私どもでは、景気は緩やかな回復を続けており、そうしたもとで、景気回復力の底固さが次第に増してきていると判断している。

 「景気の回復力」という場合、私どもが着目しているのは、生産活動と民間需要の前向きの相互作用である。具体的には、生産の増加を出発点として、それが、企業収益の改善を通じて設備投資の増加をもたらしているかどうか、また、所得の増加を通じて個人消費の回復に繋がっているかどうか、といった点がポイントとなる。

 そうした観点から、この1年間の経済の足取りを振り返ってみると、昨年前半は、公共投資や住宅投資をはじめとする総需要が伸びを高めるなかで、市場では景気の回復期待が強まり、長期金利も一時自律的に上昇を示した。しかし、当時は、需要の増加が、一部、在庫の調整や輸入の増加に食われてしまったため、生産活動の改善はあまり進まず、只今述べたような需要・生産・所得の好循環はなかなか確認することができなかった。

 しかし、昨年後半からは幾分様相が変わってきたように窺われる。まず、それまで景気回復の制約要因となってきた外需が、円高修正に伴う輸出の持直しを主因に昨年秋頃から下げ止まりとなり、最近では増加傾向に転じている。また、この間、一部素材業種や半導体などで続いてきた在庫調整の動きも、ほぼ終了している。このため、生産は、需要の増加を素直に反映するかたちで、昨年前半の横ばい圏内の動きを脱して、増加テンポを速めている。

 重要なことは、こうした生産の明確な回復が、設備投資や個人消費など民間需要の回復と足取りを揃え始めていることである。実際、増収・増益傾向が続くなかで、設備投資回復の動きは、業種や企業規模をこえて拡がりをみせている。とくに出遅れ感の強かった中小企業でも、昨年11月短観の調査結果によれば、今年度の設備投資は5年ぶりに前年を上回る見込みにある。

 民間需要のもうひとつの柱である個人消費も、昨年夏場には一時足踏み気味となったが、昨年秋以降は、乗用車などの耐久消費財を中心に、再び回復基調を取り戻している。このように個人消費が緩やかとはいえ着実に回復してきている背景には、生産の回復に伴い雇用情勢が好転し、所得環境が改善していることが寄与しているはずである。

 確かに、最近の景気指標の改善には、住宅投資のように、ある程度、消費税率引上げ前の駆け込み要因が寄与している部分もあり、この点は割り引いてみる必要がある。しかし、その一方で、公共投資が昨年後半以降すでに減少し始めているにもかかわらず、生産を起点に、企業収益や給与所得から民間需要へとつながる、前向きの循環メカニズムの作用がはっきりと認められるようになってきたことは、昨年前半までの展開に比べ、注目すべき変化であると考えている。

3.金融市場の先行き不透明感とその背景

金融市場の先行き不透明感

 以上が現在の国内経済情勢についての私どもの見方であるが、問題は、いうまでもなく先行きの展望である。通常であれば、こうした経済活動の活発化は、企業利益や給与所得の増加を通じて、次の設備投資や個人消費の増加をもたらし、一層の経済活動の拡大に繋がるはずのものである。

 しかしながら、株価や長期金利など金融・資本市場の動向をみると、現状は、景気回復力の底固さが増してきているにもかかわらず、先行きに対する市場参加者の見方は、依然慎重なものにとどまっているように窺われる。年初来の株価下落の背景について、市場では、様々な要因が指摘されている。不良債権問題が見直されているとか、日本の社会経済システム全体に対する漠たる不安感があるといった見方もある。あるいは、株価の水準そのものが国際的な水準に鞘寄せされているのではないか、といった指摘もある。こうした見方のそれぞれを適切に評価し、市場の不透明感の原因を特定することはたいへん難しい。ただ、ここ数ヶ月の金融・資本市場の流れを大きく捉えれば、昨年秋口以降の株価の伸び悩みないし下落、あるいは、それとほぼ同時に生じた長期金利の低下などからみて、やはり、その底流には景気の先行きに対する市場の慎重な見方があるのではないかと思う。

 この背景を考えてみると、3つの問題の影響が市場で強く意識されていることがあげられるように思う。第1に、来年度にかけて見込まれる財政面からの景気への影響、第2に、わが国の産業が直面する構造調整圧力、第3に、バブルのマイナスの遺産である企業のバランスシート調整、あるいは、金融機関の不良債権問題、という点である。

 そこで次に、これらの点についての、私どもの見方をご説明したい。ただ、あらかじめ申し上げておくと、これから申し上げることは、一定の結論を得ようとすることでも、ましてや、株価や金利の水準について評価を与えようとすることでもない。これらについては、そもそも十分慎重な検討が必要な課題であるし、中央銀行総裁としてコメントを控えるべき分野である。むしろ、これらの問題を冷静に考えるためのヒントというか、評価の視点といったことを中心にお話ししたいと考えている。

財政の影響

 まず、公共投資の減少や消費税率の引上げ、特別減税の廃止といった財政面からの要因が、来年度にかけて景気にどのような影響を与えるか、という問題である。

 公共投資については、一昨年秋の経済対策の効果から、昨年半ばまで増加が続いた後、昨年秋以降は効果の一巡から減少に転じている。今年度補正予算の執行により、公共投資が一旦やや持ち直す場面も考えられるが、基調的には、今後もしばらくの間、減少傾向が続くものと見込まれる。また、本年4月以降は、消費税率の引上げや特別減税の廃止が予定されている。

 しかし、そのうえでまず申し上げておきたいことは、そもそも、財政面の変化が経済に与える影響は、企業利益や給与所得など、その時々の経済情勢や、企業や家計のコンフィデンスの状況などによって大きく変わりうるものであるということである。また、それだけでなく、財政支出の減少や税率の引上げを眺めて人々が将来に対して抱く期待がどのように変化するか、あるいは、財政赤字の削減に対して市場金利などがどのような反応を示すかといったことによって、財政面からの経済への影響にはかなりの幅がありうるものである。

 この点、経済学の世界でも、公共投資の減少や財政赤字の削減が景気に及ぼす影響については、様々な議論が行われている。「公共投資の減少は、乗数効果を通じて民間需要に累積的な抑制効果を及ぼす」というのが、もっとも素朴なケインジアンともいうべき見方である。しかし、その一方で、「財政赤字の縮小は、金利の低下や為替相場の下落をもたらし、これによって景気へのマイナス効果が相殺される」といった考え方もある。また、「人々は将来の増税や減税を予想して合理的に行動しているため、財政赤字の縮小・拡大は、景気には影響を及ぼさない」といった考え方すらある。

 このように、市場金利や為替の働き、あるいは人々の期待といったことを考慮に入れると、財政赤字削減の景気に及ぼす影響は、複雑であり多様である。おそらく現実は、財政支出削減の景気へのインパクトが全くないということはないし、逆にその影響は、単純に名目上の金額に乗数をかけて得られる規模ほどには大きくないとみておくのが自然であろう。

 要するに、経済のメカニズムは、単純な「足し算、引き算」ではなく、人々の期待などを織り込みながら、ダイナミックな相互連関をもって動いている、ということである。いずれにしても、この点はあらかじめ結論を出すというよりも、ひとえに実証的な問題であり、それだけに現時点で先行きを正確に予想することはたいへん難しい。私どもとしては、これらのことを念頭に置いたうえで、財政面からの経済全体に及ぼす影響については、幅をもってみていくのが適当と考えている。

産業構造調整の進捗状況

 次に、日本経済にとって中長期的な課題である産業構造の調整という問題について、お話ししたい。

 日本経済にとって、ここ数年間における環境変化のひとつは、東アジア諸国の供給力拡大とともに、厳しい国際競争にさらされる分野が拡がってきたと いうことである。そうした産業や企業の一部では、国際競争力の後退から、これまでと同じ製品を国内で生産し続けることが難しくなり、既存製品の生産拠点を海外に移転する一方、国内の生産を、比較優位のある新たな製品に切替えていくという課題を抱えることとなった。

 こうした産業構造の調整という課題は、日本経済にとって今回が初めてと いうことではなく、これまでにも幾度となく経験し、その都度産業構造を柔軟に変化させながら対処してきたところである。しかし、今回は、バブル崩壊の後遺症を抱えていたために、その調整がこれまでに比べ、かなりの痛みを伴うものにならざるをえなかったということではないかと思う。

 しかも、とりあえずは生産拠点の海外移転の動きが先行したため、産業構造調整の動きが、国内の生産、ひいては投資、雇用に対して、かなり抑制的な力として働いたことは否めない。とくに中小企業は、労働集約的な製品の生産が多く、かつ大企業の海外移転の影響も受けやすかったため、マイナスの影響が大きく現われざるをえなかったということであろう。

 そこで、今後の日本経済を見通すうえでのひとつのポイントは、産業構造の調整がどの程度進捗したのか、あるいは、日本経済の発展のリード役たりうる新たな商品なり産業が生まれてきているのか、といった点になろう。

 この点について、まず、個別産業の動向を仔細にみると、いくつか、前向きの材料が現われ始めているように窺われる。たとえば、生産面で、国際競争力を持つ財に生産がシフトする動きが徐々に明確になっている。より具体的にいえば、労働集約的な色彩の強い消費財の生産が減少する一方、資本・技術の集約度の高い生産財や資本財の生産が増加している。こうした変化は、輸出入面からも確認することができる。最近では、テレビ、ラジオ等の家電をはじめとする消費財の輸出が減少し、むしろそれら製品の輸入が増大する一方、電子機器や自動車部品などの、資本財や部品の輸出が大幅に増加している。

 ただ、こうしたミクロ的な動きをいくら積み重ねてみても、日本経済が、全体として構造調整圧力をどの程度こなしつつあるのか、総合的な評価を下すことは難しい。そこで、視点を変えてみると、こうした構造調整の進展度合いは、企業が将来に向けて前向きの活動を活発化させるかどうかという点に、端的に反映されているはずである。そうであれば、企業の設備投資や雇用態度が、マクロ的な構造調整進展のひとつのバロメータとなるものと考えられる。

 この点、大企業の設備投資は昨年度からいち早く回復してきているし、構造調整圧力を受けやすかった中小企業にも、ようやく設備投資回復の動きが波及し始めている。未だ、たいへん緩やかな動きではあるが、中小企業の経営者が、設備投資という前向きの活動に動き始めたことは、新しく進むべき方向に一部目途がつき始めたという意味で、構造調整がそれなりに進捗してきているひとつの証左と考えられる。

 こうした事情は、産業別の設備投資動向にも現われている。すなわち、生産の伸びが高い資本財・生産財関連業種の設備投資が増加しているほか、新しい産業である移動体通信関連の設備投資も急拡大している。新製品開発や新規事業への進出のための設備投資も、徐々に活発化してきている模様である。

 一方、雇用面をみると、失業率が高水準にあるなど、構造調整圧力の根強さを窺わせる指標も少なくない。しかし、ごく最近の雇用指標の変化や各企業からのミクロ情報を踏まえると、雇用情勢は徐々に好転しており、こうした側面からみても、産業構造の調整は相応に進展しているように窺われる。

 例えば、このところの新規求人の数は前年をかなり上回ってきており、企業のヒアリングによっても、来年度の新卒採用を久方振りに増やす先が増えているようである。また、11月短観の調査結果をみても、中小企業では、「人手が不足している」とする企業の数が「過剰」とみる先を上回るようになってきている。さらに、産業別の雇用状況をみると、電気機械や繊維など、海外からの輸入品の浸透が進んでいる分野では、雇用の減少幅が大きい一方、通信などの新しい分野では、雇用の増加がみられており、緩やかながらも労働力の産業間シフトがみてとれる状況にある。

 以上述べたように、産業の構造調整圧力は引続き残存しているが、それでも、最近の設備投資や雇用面での回復にみられるとおり、構造調整は相当の進捗をみている、といってよいように思う。

バランスシート調整

 3番目に、バランスシート問題をとりあげたい。この問題には、企業の財務内容の建て直しと、金融機関の不良債権処理という2つの側面がある。

 まず企業のバランスシート問題について振り返ってみると、バブル崩壊後、わが国企業は真剣に負債の圧縮に努めてきた。その一方で、不動産価格の下落が続いたため、94~95年頃までは、多くの業種で、資産と負債のミスマッチはむしろ拡大していたように思われる。しかしながら、一昨年以降は、資産価格の下落テンポが鈍化する一方、企業のリストラ努力や金利低下の効果を背景に企業収益の回復が進み、負債の圧縮も進展してきた。

 それでも、時価評価後の資産に対する長期債務の比率など、幾つかの指標をとってみると、依然バランスシートの調整圧力には根強いものがあり、とくに中堅・中小企業では、調整完了にはまだ相当の努力を要する状況にある。しかし、只今申し述べたように、企業のバランスシートの建て直しは、全体として、少しずつではあるが、着実に進捗してきていることは間違いなく、この面からの景気回復に対する制約は、今後とも緩やかに軽減していくとみておいてよいように思う。

 一方、金融機関の不良債権問題であるが、大蔵省の公表資料によれば、金融機関の不良債権の総額は、昨年9月末時点で約29兆円となっており、このうち、担保や引当によりカバーされている分を除いた要処理見込額は、約7兆円と試算されている。この不良債権額、要処理見込額は、1年前と比べて、いずれも約10兆円減少しており、全体として、不良債権問題への対応は着実に進展してきているといってよいように思う。

 しかし、処理を要する不良債権は依然大きな規模である。私どもとしては、金融機関に対して、残された不良債権の処理を早期に完了させるとともに、不良債権処理の過程で減少した自己資本の復元や、リストラ推進による収益力の強化、リスク管理体制の拡充といった課題に引続き全力を挙げて取組むよう、強く促していく考えである。

 景気との関連でいえば、こうした不良債権問題を抱えた金融機関の金融仲介機能が低下し、そのことが景気の回復を制約しているのかどうかという問題がある。確かに、バブル期の経験を経て、金融機関が一頃に比べ融資の審査基準を厳しくしたことは事実であろう。しかし、最近の金融機関の融資姿勢をみると、ほとんどの先が不良債権問題の処理を進めながら、というより、むしろ処理を進めるためにも良質の貸出を積極的に増加させようというスタンスを維持している。実際、企業からみた金融機関の融資態度はかなりの緩和状態を示しているし、貸出金利も過去最低の水準を続けている。このような点からみて、金融機関の貸出態度が厳格化し、そのことが、例えば企業の設備投資の回復を妨げているとは考えにくいように思う。

4.今後の景気展望と金融政策

景気の展望

 以上、今後の景気展開に関連して、金融市場が先行き慎重な見方をしている背景と考えられる財政面からの影響や構造調整の現状といった問題について、幾つかのポイントを申し述べてきた。このうち、構造調整に関するポイントを要約すると、第1に、産業構造の再編にしても、バランスシート調整にしても、なお調整プロセスの途上にあり、当分の間、引続き景気の回復を緩やかなものとする方向で作用するとみられる。第2に、しかしながら、只今申し述べたように、構造調整の動きは緩やかながらも、着実に進展してきており、この面から景気回復を制約する力は、次第に減衰していくとみておいてよいように 思う、ということであった。

 従って、景気を展望するうえでの問題は、当面の財政面からの下押し圧力を民間需要の強まりによってこなしていけるかどうか、また、その結果、景気の自律的な回復軌道に繋げていけるかどうか、という点である。

 先程申し述べたように、このところ、景気は回復力を次第に増す展開となっている。これを改めて、経済の活動水準、すなわち、いうなれば「経済の体温」といった観点から評価し直しみると、最近の生産の回復傾向を反映して、設備の稼働率はこのところ着実に上昇しており、4年振りの水準まで回復してきている。また、11月短観における、企業からみた生産設備判断や雇用判断は、過剰感が緩やかに縮小しており、過去の景気回復局面に当てはめてみると、円高不況からの回復過程に当たる87年当時の水準に相当している。企業の売上高経常利益率をみると、中小企業は依然過去の平均レベルに到達していないが、大企業の利益率は、歴史的にみても、すでに比較的高めの水準まで改善している。これらを総合的に判断すると、現在のわが国の経済活動水準は、過去の景気循環において、回復の足取りがしっかりしてくる局面に対応したレベルに近づきつつあるということができるように思う。

 経済活動がこのような水準まで回復していることは、民間需要を巡る、好ましい循環のメカニズムが今後さらに一層強まる環境が整いつつあることを意味している。すなわち、このところの景気回復の動きが今しばらく続けば、生産の回復を起点として、企業利益や給与所得は一段と増加し、これを通じて、次の設備投資や個人消費の増加に繋がる可能性がさらに強まってくる。そして、このように民間需要の循環メカニズムが強まっていけば、先行きの財政面からの下押し圧力が、これによって吸収される展望も拓けてこよう。

 もちろん、当面、来年度上期は財政面からの下押し圧力が強く働く時期に当るとともに、消費税率引上げ前の駆け込み需要の反動も見込まれるため、一時的な景気の減速が生じることは避け難いとみられる。しかし、只今申し述べたように、民間需要の回復力が高まっていることを勘案すると、景気回復の流れ自体は今後とも持続していく可能性が高いと考えている。

 ただ、先程述べたように、財政面からの影響については、もともとかなりの幅をもってみておく必要がある。また、民間需要が高まるためには、企業や消費者のコンフィデンスも重要な要素となる。企業や家計は、今後、来年度予算の姿や実際の公共投資の発注状況などを織り込みながら、事業計画などを立て、生産、投資、消費などの具体的な行動へ移していくはずである。従って、先行きの景気展開については、今後明らかになる経済指標に加えて、企業の事業計画や市場が発信する情報など、様々なマクロ、ミクロの情報をつぶさに点検しながら、見極めていくことが重要と考えている。

 この間、物価は、円安・原油高を反映した輸入物価の上昇や、国内需給の改善を背景に、下げ止まり傾向がはっきりしていくとみられるが、目先き、需給改善のテンポは緩やかなものにとどまるとみられることや、グローバルな競争圧力が引続き根強いことを勘案すると、国内物価が明確な上昇基調に転じる可能性は当面小さいと考えられる。ただ、為替相場はこのところやや急ピッチの展開となっており、その国内経済への影響については、引続き注意してみていく必要があろう。

 なお、これに関連して最近の為替相場についてであるが、その水準や動きについては立場上コメントは差し控えたい。ただ、基本となる考え方は、やはり「為替相場は、各国の経済実態に応じて安定的に形成されることが望ましい」ということであり、私どもとしては、引続きこうした観点に立って、為替相場の動向やその経済に及ぼす影響について、丹念にみていく考えである。

当面の金融政策運営

 以上を踏まえ、私どもとしては、当面の金融政策運営に当っては、景気回復の基盤をよりしっかりとすることに重点をおいて、情勢の展開を注意深く見守っていくことが適当と考えている。

 ところで、当面の金融政策運営に当って、消費税率引上げの物価に対する影響をどう考えるかという問題があるので、この点についての私どもの考え方をご説明しておきたい。具体的には、税率引上げによる物価の上昇に対して、金融政策はどのように対応すべきか、ということである。

 まず指摘しておきたいのは、消費税率の引上げによる物価上昇は、基本的には、通常の意味での物価上昇、つまりインフレーションとは異なる性格をもっているということである。通常、インフレーションは、例えば、労働や製品の需給が逼迫するとか、お金の量が多すぎる、つまり、マネーサプライが過剰になるといったかたちで、経済循環のメカニズムのなかから発生し、また逆に、経済活動に様々な影響を及ぼしていくものである。

 これに対して、消費税率の引上げによる物価の上昇は、いわば4月1日に、正札(ショウフダ)を一回だけ一斉に書き換えるようなものであり、その背後に、需給の逼迫や賃金の上昇、あるいは通貨供給量の過剰といった、問題とすべき経済活動の変化があるわけではない。従って、こうした物価の単に表面的な変化に単純に金融政策で対応することは、適当でない。

 これが、基本的な考え方であるが、それでは、消費税率の引上げが、中央銀行にとって無関心な事項かといえば、そうではない。消費税率の引上げをきっかけに、便乗値上げが起きるとか、全般的にインフレ予想が高まる、といったことになると、これが、真正インフレにつながるリスクが大きくなる。とくに、製品需給がある程度逼迫した状況では、この危険は無視できないものとなる。従って、消費税率の引上げについて留意すべき点は、先程申し上げたような物価への表面的な効果ではなく、それをきっかけに、インフレ的な行動やインフレ予想の台頭が生じないかどうか、という点である。

 物価の先行きについての私どもの見方は、すでに先程申し述べたとおりであるが、私どもとしては、只今述べたような観点も含めて、消費税率引上げ後の物価の動向については注意深くみていくつもりである。

 以上、当面の経済情勢や金融政策運営に関する留意点を幾つか述べたが、構造調整のプロセスを円滑に進め、景気回復の流れを強めるとともに、わが国経済の新たな発展を促すためには、実効ある規制の撤廃・緩和をはじめとする、大胆な構造改革の実施が不可欠の課題である。今後とも、政府の強力なリーダーシップとともに、各方面から一層の取り組み強化が図られることを強く期待している。

5.金融システム改革と日銀法改正問題について

金融システム改革について

 さて、残された時間で、金融システム改革や日銀法の改正問題についても若干触れておきたい。

 只今述べたように、現在のわが国にとっては、経済構造の改革を強力に推し進めていくことが重要な課題であるが、この点は、わが国の金融市場、金融システムの改革にも、そのまま当てはまることである。

 金融・経済の国際化や技術革新が急進展するもとで、世界の金融市場は近年大きく変貌している。デリバティブや証券化などの新しい金融商品が次々と生まれ、企業や家計にとって、リスク・ヘッジや資金運用・調達の手段が急速に多様化している。また、その背後では、金融機関の収益機会も、様々な分野で拡がっている。

 こうしたなかで、市場が取引参加者を選ぶのではなく、金融取引当事者が市場を選ぶ時代が到来しているように思う。各国が金融市場の改革を競って進めている背景には、金融サービス業が21世紀に向けてより高い成長力と雇用吸収力を有する産業である、との認識が世界的に高まってきていることが指摘できる。各国の関係者は、そうした認識のもとで、自国市場を取引当事者にとって魅力あるものに変えていこうとの努力を強めているわけである。

 わが国においても、これまでも金融の自由化を進めるべく規制や制度の見直しが行われてきたが、バブル崩壊の後始末という重い課題を抱えていただけに、そうした改革も、また、金融機関の対応も、ともすれば漸進的なものにとどまりがちであった。この結果、新しい金融技術を駆使した商品開発力といった面では、ニューヨーク市場やロンドン市場に水をあけられた状態にあるというのが偽らざるところであろう。

 橋本総理が東京ビッグ・バン構想を提唱されたのは、まさしくこうした認識のもとで、東京市場を、自由で活力のあるグローバル・マーケットに再生しようとの狙いがあるものと理解している。私どもとしても、この構想は誠に当を得たものと受け止めており、中央銀行の立場から、これに積極的に貢献していきたいと考えている。

 その際、とくに留意すべきことは、具体策の実現に当っては、「Free」、「Fair」、「Global」の3つの基本理念のもとで、スピードを緩めることなく取組んでいくことである。ビッグ・バン構想のなかでは、「結論の得られたものから速やかに実現し、2001年までに具体化、完了する」とされている。ただ、「結論の得られたものから」とすることで、市場改革が必要以上に段階的かつゆっくりとしたものとなり、改革の整合性が失われたり、比較的易しい部分だけが早めに実現するということであってはならないと思う。

 例えば、私どもが高く評価している規制撤廃・緩和措置のひとつに、外国為替管理法の抜本的な見直しがある。しかし、仮に、このほかの規制緩和が、ゆっくりとしか行われないとすれば、新しい外為法のもとで、場合によっては金融取引は海外に流出し、むしろ東京市場の空洞化が進むことにもなりかねない。こうした事態を避けるためには、やはり全体として規制緩和の整合性が損なわれることのないよう、できる限り、早期かつ短期間のうちに具体策を実現することが、何よりも重要ということである、と思う。

日銀法改正問題

 最後に、日銀法改正問題について触れておきたい。

 現在、日銀法の改正作業は、昨年の中央銀行研究会での検討を経て、金融制度調査会での審議が大詰めを迎えている。

 日銀法改正に向けての私どもの考え方は、昨年末の私の記者会見を含め、既に明らかにしてきた。簡単に要約しておけば、(1)中央銀行研究会での基本的な考え方、──すなわち、中央銀行の「独立性の確保」と「透明性の向上」がしっかりと法文上に埋め込まれること、そのためには、(2)例えば、政府と中央銀行との関係を巡って、中央銀行研究会で詰めきれなかった幾つかの論点についても、今申し述べた考え方が十分反映されるよう検討を深めて頂きたい、ということである。

 幸い、只今私が申し述べたことは、金融制度調査会の方々にも十分共有されているように思う。従って、ここでは、今回の日銀法改正が、広くわが国経済にとって、どのような意味をもつものなのか、という点について、改めて申し述べてみたいと思う。

 まず第1に、今回の中央銀行制度改正は、金融・経済の国際化や市場化、その背後にある金融技術革新の進展といった、グローバルな変化の潮流への対応の一環であるということである。

 これまでも、折りに触れて述べてきたことであるが、新しい金融環境のもとで、各地の市場は、様々な情報やそれに基づく市場参加者の期待の変化によって、瞬時に変動するようになっている。しかも、先ほども触れた「ビッグバン」は、市場の効率化や一段の国際化を通じて、このような流れを一層強めることになろう。そうした状況のもとで、金融政策の運営を担う中央銀行の役割や責任が明確になっていなかったり、あるいは、金融政策運営に対する内外の理解が十分得られないと、金融政策の意図がしっかりと市場に浸透しないとか、無関係な情報で市場が混乱してしまうといった問題が生じかねない。

 物価の安定を確保するために、短期的な利害から離れた中央銀行に責任を持たせるという考え方自体は、過去のインフレとの戦いから得られた歴史的な知恵といってよい。近年、世界的に、中央銀行の独立性が改めて強化されると同時に、政策運営の透明性に対する要請が強まっているのは、これまで述べたような金融・資本市場のグローバルな変化を踏まえて、そうした中央銀行の位置付けが改めて重視されるようになったものと考えられる。

 第2に、一国の金融市場なり金融システムが効率的かつ安定的にその機能を発揮するためには、金融システムの中核的な存在である中央銀行が、適切に政策・業務運営を行うことが不可欠の前提となる、ということである。

 日本の金融システムとは、ひらたくいえば、「円」というお金の融通により、効率的に資金を配分し、貯蓄と投資を結び付ける仕組みといってよい。従って、そうした仕組みが十分機能するためには、第1に、お金の価値、つまり、国内物価が安定していること、第2に、お金を使って、取引の決済を行う仕組みが効率的で使い勝手の良いものであること、第3に、中央銀行も含め、民間金融機関など金融システムの構成員が健全で信頼されるものであることが必要である。

 只今申し述べた条件、つまり、物価の安定、決済システムの安定的な運行、それを通じる金融システムの健全性の確保といったことは、それぞれ、「円」というお金の発行・流通の中核にいる中央銀行に要請される大事な責務である。このように、中央銀行制度は、一国の金融システムのインフラの重要な構成要素であるということができる。

 従って、わが国の金融市場に対する内外の信認を確保し、その国際競争力を維持・向上させるためには、ビッグバンのような努力を通じて市場環境を整備すると同時に、内外の信認に足るような中央銀行制度を持っているということが、大事な前提となる。

 第3に、日銀法改正に関して提起されてきた論点の多くは、わが国の経済構造改革や行政改革にも広く応用できる、ということである。

 日銀としては、法改正に当たり、まず第1に、組織の目的・役割を明確にすること、第2に、政策や業務運営に際して、政府との事前の調整を重視するのではなく、市場を含め第三者の事後チェックにより、その責任がしっかり果たされているか、監視できる仕組みを基本としてほしいと訴えてきた。

 実は、このような考え方は、中央銀行だけに当てはまるものではない。新たな時代にふさわしい経済や金融のしくみ、あるいは行政の役割を考えていく際に、一般に妥当する方法ということができる。

 現在、わが国経済に求められていることは、行政による監督や規制という形の事前のチェックに多くを頼るのではなく、自己責任に基づく行動を市場や国民が事後的にチェックし、結果を検証できるような仕組みを活用することである。

 このような改革は、これまでのわが国経済や社会の仕組みを大きく変えるものであり、グローバルスタンダードに合わせていくものといえよう。それだけに、諸改革の方法論としても、「旧来の枠組みや考え方を前提として、その枠内で変革していく」という発想は変える必要があり、まずは、「グローバルスタンダードという視点に立って、わが国に固有の制度や考え方をどこまで変えられるか」吟味していくことが適切であろう。

 日銀法改正問題は、ビッグバンとともに、海外からも高い関心が寄せられている。これも、わが国自身がはたして自己改革を成し遂げられるかどうかの「試金石」と捉えられているためであろう。

 繰返しになるが、私どもとしては、中央銀行研究会で示された「独立性の確保」と「透明性の向上」という2つの理念が、新しい日銀法に、具体的に結実することを強く期待している。また、日銀法改正問題が、日本銀行や金融監督当局、あるいは金融界だけの問題でなく、日本経済全体の進路と密接な関係を持つ課題であることを、ぜひとも、この際ご理解頂きたいと思う。

 それと同時に、私ども自身も、適切な政策・業務運営に向けての不断の努力を通じて、自己変革能力を示し、内外の信認を確保しなければならないことは当然である。昨年、政策・業務運営のあり方について、政策委員会における金融政策決定会合の定例化と、その議事要旨の公表を含む、幾つかの見直しの方針を公表したのも、そうした努力の一環である。私どもとしては、これにとどまらず、今後とも、制度・運用の両面にわたって、強力かつ大胆に改革を進めていく決意である。引続き、皆様方のご理解とご支持をお願いして私のお話を終えることとしたい。

 ご清聴に感謝する。

以上