公表資料・広報活動

ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 1997年 > 最近の金融経済情勢と金融政策運営の考え方平成9年11月5日・内外情勢調査会における日本銀行総裁講演

最近の金融経済情勢と金融政策運営の考え方

平成9年11月5日・内外情勢調査会における日本銀行総裁講演

1.はじめに

 本日は、内外情勢調査会にお招きいただき、各界でご活躍の皆様方にお話しする機会を得られたことを、大変光栄に存じます。

 前回、この席でお目にかかったのは昨年の11月でしたので、ちょうど1年振りのこととなります。この1年間のわが国経済の動向を振り返ってみますと、昨年後半から本年春にかけて、駆込み需要の増加もあって、いったん成長率が高まったあと、4月以降は、消費税率引上げなどの影響が尾を引き、現在まで減速局面にあります。この間、企業の景況感も慎重なものとなっているように窺われます。本日は、まず、こうしたわが国経済の現状と先行きに対する展望、ならびに金融政策運営について、私どもの見方や考え方を述べたいと思います。

 一方、現在の0.5%という公定歩合水準がすでに2年をこえる長さとなっていることに関連して、最近、様々なご意見やご質問を頂戴しております。残された時間で、そのうちのいくつかについて日本銀行の考え方を述べ、私どもが目指している金融政策運営とはどのようなものかについて、ご理解を賜りたいと思います。

2.最近の金融経済情勢と金融政策運営

国内経済の現状と展望

 それでは、まず、国内の経済情勢から話を始めたいと思います。

 わが国の経済は、消費税率引上げなどの影響から、引続き4月以降の景気減速局面にあります。公共投資が、昨年秋以降減少傾向を続けているほか、個人消費や住宅投資などの家計支出も、4月以降大きな落込みを示しました。個人消費は、旅行支出などサービス支出はまずまずの増加を示していますが、乗用車や家電販売、百貨店・チェーンストア売上げなどは、── 一頃に比べて持直しつつあるとはいえ、──なお低調な状態が続いております。また、住宅投資も着工ペースが本年春までの年率160万戸前後から、最近は130万戸前後へと落込んでいます。

 このような家計支出の落込みにはいくつかの理由が挙げられます。第1は、消費税率引上げ前の駆込みがかなり大きなものとなったため、その後の反動も深く、かつ、長いものとなったことです。消費関連業界や住宅関連業界では、昨年後半以降の販売の増加をみて、実勢もかなり好調とみていたわけですが、あとから振り返ってみると、これにはかなりの駆込み需要が含まれていたことになります。第2は、当初からある程度予想されていたことですが、消費税率の引上げや特別減税の廃止に伴って、家計の実質可処分所得──すなわち名目所得から税支払い分や物価上昇による目減り分を差し引いた金額──も伸びが鈍化していることです。つまり、支出に割当てることのできる所得の伸びが、その分実質的に低下したことになります。このほか、消費者のマインドがやや慎重なものとなっている可能性も、否定できないように思われます。

 このように家計支出が春以降落込みを示し、それも当初の予想を上回るものとなったことを背景に、消費関連業界や住宅関連業界の一部では在庫が余剰気味となり、夏場以降、在庫調整を余儀なくされています。この結果、鉱工業生産も、このところ横ばい圏内の動きが続いております。また、こうした家計支出や生産面の動きを受けて、企業の景況感も慎重化しています。

 問題は、「こうした家計支出や生産面での動きが、これまでの景気回復の流れを途切れさせてしまう惧れがあるかどうか」、つまり、「個人消費や住宅投資の減少が設備投資などの他の需要項目にも波及して、景気がさらに下押しされる惧れがあるかどうか」という点です。これは、言い換えれば、現時点での民間経済の自律回復力をどうみるかということであり、この2年間、まさしく私どもが常に点検を心がけてきたことです。この点は、経済の先行きを展望する上でもっとも大切なところですので、やや詳しく私どもの考え方をご説明したいと思います。

 あらかじめ、説明の見取り図のようなものを整理しておきますと、まず、経済の自律回復力とはどういうことかということから始めたいと思います。次に、公定歩合を0.5%まで引下げた95年頃と比べ、最近の自律回復力をどう評価するか、ということに話を進めさせていただきます。最後に、こうした観点を踏まえ、実際の需要や生産の動きを点検し、先行きの経済の展望について検討してみたいと考えています。

 まず第1に、民間経済全体としての自律回復力はどのようなものかということですが、これは民間経済に内在する力というべきものであり、経済の活動水準の高まりを契機としてマインドが改善し、つれて収益や所得の増加がもたらされ、これが設備投資や個人消費の持続的な増加を促す力を指します。もし自律回復力が非常に弱いものであれば、いったん対外取引面や財政面などの外生的な要因によりマイナスの力が働くと、民間経済はそのインパクトを吸収できないまま後退する惧れがでてきます。一方、自律回復力がある程度備わっていれば、外生的な要因によって一時的に景気が下押しされるとしても、そうした内在的な力がマイナスの影響を跳ね返して、経済は再び回復の軌道へ戻ることが期待されます。この場合には、将来に対する見通しや前向きの投資活動などが維持されることによって、マイナスインパクトの 拡がりが食い止められ、その後外部からの圧力が減るにつれて、景気の回復が次第に明らかになることになります。

 そこで第2に、自律回復力の評価ということですが、振り返ってみますと、わが国経済は、バブルの崩壊後、景気の後退局面を経て、93年末には回復の過程を辿り始めました。しかし95年入り後は再び足踏み状態に入り、デフレスパイラルすら懸念される状況に至りました。当時、金融・財政両面から思い切った対策が打たれたのは、こうした事情によるものです。当時の景気の足踏みは、直接的には急激な円高に伴うマイナスインパクトによってもたらされたものといえますが、その一方で、民間経済内部の自律回復力もまだ脆弱なものにとどまり、外部からの下押し圧力を跳ね返すだけの力をもたなかったということではないかと思います。確かに93年末以降景気は回復に向かいましたが、企業の収益率や設備の稼働率は引続き低い水準にとどまっていました。そうしたもとで、急激な円高というショックが働いたために、景気の回復にブレーキがかかったものと認識しております。

 問題は、日本経済の最近の回復力はどうかということですが、わが国経済は依然バランスシートの調整圧力や産業構造の再編圧力という重石を引きずっており、私どもとしても、自律回復力が万全なものとなっているとはみておりません。私どもが一昨年9月以降の低金利水準を続けているのは、まさしくこうした理由によるものです。しかし、この2年間、景気が緩やかな回復を続けるなかで、経済の活動水準も着実に高まり、自律回復力も次第に備わってきたことは間違いありません。

 たとえば、バランスシートの調整も産業構造の調整も、企業収益が増加を続けるもとで、それなりに着実に進捗してきました。企業の収益率も、非製造業はまだ低めにとどまっていますが、製造業、とりわけ大企業では、歴史的にみても高めの水準に達しております。また、生産設備面でも雇用面でも、私どもの短観(企業短期経済観測調査)における企業の判断では、むしろ余剰感の後退が続いています。この2年間設備投資は増加してきましたが、資本ストック面での大きな積み上がりは避けられているとみてよい、ということかと思います。こうした観点からみて、デフレスパイラルが懸念された95年当時と比較すると、経済の自律回復力は明らかに改善しているというのが私どもの基本的な判断です。

 そこで、第3に、只今申し述べたような最近の自律回復力の評価を踏まえ、実際の需要・生産・所得の動きが今後どのように働いていくかという点について考えてみたいと思います。

 まず最終需要面に目を向けますと、個人消費や住宅投資は依然総じて低調な動きを続けていますし、公共投資は今後も減少傾向を辿る見込みにあります。ただ、雇用の動きは緩やかながらも改善傾向を続けています。来年度の企業の新規採用計画をみても、2年連続の増加となる見込みにあります。また、家計の実質可処分所得も、伸びは鈍化するものの、雇用の増加も下支えとなって、大きな目減りは避けうるものと見込まれます。こうした点からみると、先行き消費者マインドが大きく後退するといった事態がなければ、個人消費は、消費税率引上げなどの当初のインパクトが一巡するにつれて、今後次第に回復に向かうと展望することが一応可能と考えられます。

 一方、純輸出や設備投資は引続き増加基調にあります。

 輸出は、春頃までの円安傾向を反映して、昨年後半以降大幅に増加しています。また、輸入面でも、昨年前半までは現地生産からの逆輸入の増加もあって製品輸入が急拡大しましたが、こちらも円安の進展とともに、最近では増勢一服となっております。

 そうしたもとで当面の着目点は、最近の東南アジア地域における通貨・金融情勢の不安定化が、わが国の輸出入面、ひいては経済全体にどのような影響を与えるかということです。近年、わが国とアジア諸国との水平分業が進展し、貿易や資本取引の関係が一段と密接になっていることを考えると、この点は見逃せないポイントです。

 こうした観点からわが国の輸出入動向をみますと、確かに、タイ国向け輸出の伸びはすでに大きく落ちてきていますが、これまでのところ、周辺国への輸出が急激に落ちるといった状況はみられておりません。また、わが国を取り巻く輸出環境を全体としてみれば、米国などその他地域の経済は、依然として好調を維持しています。また、為替レート面でも、東南アジア通貨の変動相場制移行に伴い、円レートは、これら通貨に対しては切り上がりましたが、対ドルでは徐々に円安が進み、全体としては横這い圏内の展開となっております。このようなことを踏まえると、全体としての輸出環境は引続き良好な状態にあり、これまでのところ、東南アジア地域における通貨・金融情勢の不安定化が、わが国の輸出の基調に大きな影響を与える状況には至っておりません。

 また、東南アジアの国々は、国際的な連携のもとで、すでに様々な対策をとってきております。先週末には、新たにインドネシアとIMF等国際機関との間で、同国の経済調整パッケージが合意され、公表されました。また、為替市場においては、わが国、シンガポール、インドネシアの3か国通貨当局が、インドネシア通貨安定のために、協調して行動することを確認しております。私どもとしては、このほかの国々でとられてきている対策も含めて、その成果が着実にあがり、各国の通貨・金融情勢が早期に落着きを取り戻すとともに、経済の調整が円滑に進むことを強く期待しつつ、今後の展開については注意深くみていく考えであります。

 次に設備投資は、企業の増益傾向の持続を背景に、全体として増加を続ける見込みにあります。まず、企業の今年度収益計画をみると、非製造業・中小企業は、公共投資の減少や個人消費の落込みの影響がとくに強くあらわれるかたちで、4年振りに減益になる見通しです。しかし、製造業では、輸出の好調にも支えられて、大企業のみならず中堅・中小企業も含めて、増収増益傾向が続く見込みにあります。また非製造業・大企業も、製造業からの好影響を受けるかたちで、増益を維持する計画です。これらの収益好調企業でも、最近は内需減速の影響があらわれて収益見通しを幾分下方修正する動きもでてきていますが、全体としてみれば依然、増収増益の基調自体は崩れない模様です。

 こうした収益基調のもとで、今年度の設備投資をみると、非製造業・中小企業は依然低調な動きにとどまりますが、全体としてみれば、製造業を中心に、総じてしっかりとした投資計画となっております。また今後も、只今述べた収益の基調や投資採算面の良好な環境、あるいは情報関連投資に対する根強い意欲といったことを踏まえると、設備投資の増加基調は維持されるとみておいてよいように思われます。

 以上のように、企業収益や雇用・所得面の緩やかな改善基調のもとで、景気回復の基盤自体は現時点でも損なわれていないものとみられます。従って、今後消費が回復に向かうにつれて、在庫調整も進捗し、景気がいずれ再び緩やかな回復テンポを取り戻すことは展望可能と考えております。

 ただ、財政面からの影響もあって、足許の生産、所得、支出を巡る循環は一頃に比べ緩んでいることは否めません。また、万一家計支出の落込みが長く続き、減速局面が長引くようなことになれば、それ自体が自律回復の力を失わせることにもなりかねません。そうしたことも踏まえ、私どもとしては、消費の回復テンポや在庫調整の進捗度合、さらには企業や家計のマインド面の動きといった点も含め、今後の 情勢の展開については注意深く見極めていくことが必要と考えております。

最近の金融情勢

 金融情勢をみますと、株価は先週初には、香港市場を起点とする世界的な株価下落のもとで一時急速に軟化しましたが、先週末から今週にかけては、東南アジア地域の株価反発もあって、落着きを取戻してきているように窺われます。

 なお、今週初、三洋証券が会社更生法の適用を申請いたしました。今回の同社の経営破綻は、多額の不良資産を抱える関連ノンバンク等について法的措置がとられた結果、同社の与信等が毀損され、通常の事務の継続が困難となったものと理解しております。三洋証券が経営破綻に陥ったことは、私どもとして極めて遺憾でありますが、地裁による保全処分命令のもとで、顧客資産の返還義務等を例外とする措置が講じられていますほか、寄託証券補償基金、主力銀行等関係者による最大限の支援・協力により、預り金等を含む顧客資産の保護と速やかな払出しがなされるものと認識しております。私どもとしては、こうした関係者の努力により、投資家の保護が図られ、かつ証券市場の安定が確保されることは、わが国金融システムに対する内外の信認を維持していくうえにおいて、重要なことと認識しております。

 次に、金融機関貸出を巡っては、最近、「金融機関の融資姿勢が過度に慎重になり、これが民間企業の経済活動を制約しているのではないか」といった見方が一部に出ています。この点について、現時点での私どもの見方を一言述べておきたいと思います。

 まず金融機関の融資姿勢ですが、経営の健全性や効率性を高める観点から、このところリスク管理の強化や収益性の重視を打出す先が増えていることは事実です。具体的な施策としては、貸出先の信用力を厳密に評価するための審査体制の再構築や、信用度に応じた貸出金利体系の設定といったものです。これらは、長い目でみて、金融の国際化や自由化という大きな流れに、金融機関自身が対応するための努力であり、わが国金融機関にとっては避けて通ることのできない課題です。ただ、これを企業側からみると、「金融機関の貸出態度が大きく変わった」とか「急に厳しくなった」といった受け止め方をする先も出てこようかと思います。

 しかしその一方で、金融機関は健全な企業に対しては引続き積極的な貸出姿勢を示しています。また、短観における、企業からみた金融機関の貸出態度判断をみても、一部業種では「厳しい」とする先が増えていますが、全体としてみれば、依然「緩い」とみる企業の数が「厳しい」とする企業を上回っている状況にあります。金融機関の平均的な貸出金利も、引続き市場金利に沿った動きを続けており、史上最低圏内の水準にあります。

 このようなことを踏まえると、最近の金融機関の貸出伸悩みは、主として内需の減速を背景とする資金需要の乏しさに、その要因があると考えてよいように思います。つまり、現時点で金融機関の融資態度が企業活動を制約したり、これが景気に悪影響を与えるという状況には至っていないと判断しております。

 私どもとしては、今後とも金融機関の融資状況を丹念にみていく考えですが、その際には、(1)金融機関の姿勢が行き過ぎて、健全な経営を行っている企業さえ借入れが難しくなるとか、(2)貸出が絞られて金利が全般に上昇してしまうといったことがないかどうか、という点に焦点を当てて、点検を続けて参りたいと考えております。

当面の金融政策運営について

 以上、最近の金融経済情勢について述べてきましたが、この間、物価は、消費税率引上げ等の影響を除いてみると、概ね横ばい圏内で推移しており、先行きについても、当面、安定的な推移が見込まれます。

 このような情勢を踏まえ、私どもでは、当面の金融政策運営に当たっては、引続き景気回復の基盤をよりしっかりとすることに重点を置いて、情勢の展開を注意深く見守っていくことが適当であると考えております。

3.金融政策運営の基本的な考え方

金融緩和の効果について

 以上、最近の金融経済情勢と金融政策の運営スタンスについて述べてきましたが、長い期間にわたり低金利が続いてきたことに関連して、最近、様々なご意見やご質問をうける機会が多くなっております。残された時間で、そのうちのいくつかについて私どもの考え方を説明し、ご理解を賜りたいと思います。

 第1は、金融緩和の効果に関連して、「低金利は企業収益の改善に役立っても、企業は収益を負債の返済に充てているだけで、投資の増加など前向きの経済活動に結び付いていないのではないか」とのご質問です。あるいは、「低金利はかえって日本経済の構造調整を遅らせているのではないか」とのご質問を頂戴することもあります。

 そこでまず、企業収益と設備投資との関係について実際の計数に則して概観してみたいと思います。

 企業のキャッシュフロー——すなわち企業収益に減価償却を加えたもの——は、現在の0.5%という公定歩合水準の始まった95年度からの2年間で、約7兆円増加しています。一方、同じ期間中の設備投資額は、やはり約7兆円の増加となっております。つまりこの2年間、設備投資は企業収益の増加に見合って拡大したことになります。この間、金利の低下は投資採算の改善や企業収益の下支えに寄与していますので、低金利はやはり、相応の設備投資の増加を引き出してきたと考えられます。

 ただ、この点についてはひとつ注意が必要です。それは、従来の景気回復局面にあっては、企業は、単にキャッシュフローを投資に充てただけでなく、金融機関借入れなども行って、設備投資を拡大するケースが多かったということです。これに対して今回は、設備投資拡大のために金融機関借入れや社債発行を増やすまでの動きは、あまり活発ではありません。むしろ、個々の企業をとってみれば、収益の増加をそのまま借入れの返済に充てているケースも少なくないように見受けられます。

 このように、今回は、過去の回復局面にみられたほどには、設備投資がどんどん加速するといった状況にありませんが、その背後には、やはりわが国経済が直面するいくつかの構造調整、とりわけバランスシートの調整圧力の根強さがみてとれるように思われます。

 ご承知のとおり、バブル期には多くの企業が金融機関から借入れを行って、大掛かりな土地購入や有価証券運用を行いました。その後、バブルの崩壊とともに、不動産価格や株価は下落しました。一方、企業の借入れはそのまま残っていますから、バランスシートを時価評価すれば、負債に対する資産の額にはかなりの目減りが生じた計算となります。言い換えれば、資産と負債の差額である企業の自己資本はその分傷つき、企業がとりうる事業リスクもおのずから制約されることになります。このような調整圧力を抱える企業は、事業活動拡大のための設備投資をなかなか積極化しにくいのが実情です。これがバランスシート問題と呼ばれるものです。

 実際、業種別、規模別に、バランスシートと設備投資の関係をみると、たとえば製造業大企業では、もともとバブル期に多額の負債を抱えることが少なかったため、バランスシートの調整圧力もかなり小さめにとどまっています。こうした状況のもとで、製造業大企業はバブル後の収益の立直りも早く、設備投資も95年度以来かなりの金額が実行されてきております。

 一方、中堅・中小企業、なかんずく非製造業では、バブル期に活発に金融機関借入れを行って不動産購入などを行ったため、現在でも大きなバランスシートの調整圧力を抱えています。ちなみに資産の時価評価額に対する金融債務の比率をみると、非製造業中堅・中小企業は依然高い水準にとどまっております。これらの企業はもともと、産業構造の再編の影響をもっとも強く受けている分野でもありますので、収益それ自体の改善も全般に遅れめです。この結果、設備投資はこれまでのところ一進一退の状況が続いており、なかなか勢いがついてこないのが実情です。

 しかし、それでは、低金利はバランスシート問題を抱える企業に対しては何の効果ももたらしていないかといえば、そうではありません。翻ってみますと、企業がバランスシートの調整圧力を軽減する唯一の方策は、収益を増加させることであります。収益が増加すれば、その資金で借入れを返済しながら、傷ついた自己資本の回復を図ることが可能となります。株式を新たに発行して外部から資本を調達する場合にも、しっかりとした収益増加の見通しが前提条件となりましょう。つまり、バランスシート問題を抱えた企業にとっては、収益の増加こそが財務体質を強化する最善の途であり、収益の増加に見合って借入れを返済する動きも、将来の前向きの事業活動に備える重要なプロセスというべきものです。

 そして低金利は、そうした企業の収益改善に広く寄与しています。今回の景気回復局面では、低金利が、非製造業中堅・中小企業を含めて、設備投資の大幅な増加を喚起するまでには至っておりませんが、景気回復の基盤整備という点では、企業の財務体質の改善という面も含めて着実に貢献しております。そうした間接的な面も含めてみれば、低金利は、企業の前向きの経済活動をサポートする効果をしっかりと発揮していると考えております。

 それでは、次に、「低金利は構造調整を遅らせているのではないか」とのご質問はどうでしょうか。確かに、企業のなかには事業内容がかなり悪化しているにもかかわらず、低金利による支払金利負担の軽減のおかげで、淘汰を免れているという先も皆無ではないかもしれません。しかし経済の構造調整は、事業内容がすでに大幅に悪化した企業の淘汰という過程だけではなく、将来性のある事業に取り組んでいる大多数の企業の活動が強化されることによって、はじめて達成されるものと考えられます。従って、構造調整を促進するためには、まず何よりも、規制の緩和・撤廃などを積極的に進めていくことが重要です。

 そのうえで金融政策が構造調整とどのような関係にあるかということですが、金融政策は、本来、構造調整の促進を目的とするものではありません。金融政策は、あくまでインフレなき持続的成長の達成を目指して、景気や物価情勢の展開に応じて運営していくものです。しかし、金融政策によって、そうした安定的なマクロ経済環境が実現できれば、そのこと自体が構造調整を進めやすくするものといえます。企業は、安定的なマクロ経済環境のもとではじめて、安心して前向きの事業転換を図っていくことが可能となります。また、最近では、金融緩和が企業のバランスシート調整の促進に寄与していることも只今述べたとおりです。

 翻って考えてみますと、仮に経済活動が十分にしっかりとしないうちに金利を引上げれば、事業内容の悪い企業だけでなく、成長途上にある企業に対しても強い影響を与えることになります。構造転換のリード役として期待されるベンチャー企業などが基本的に脆弱な収益体質にあることを考えれば、誤ったタイミングでの利上げは、経済の構造転換をさらに難しいものとしてしまうことは容易に想像がつきましょう。

 つまり、金融緩和は、それ自体が構造調整の促進を目的とするものではありませんが、安定的なマクロ経済環境づくりに寄与することを通じて、将来性のある事業活動を行う大多数の企業の経営努力を支援し、構造調整を進めるための基盤づくりに貢献しているということができます。是非、この点についてご理解を賜りたいと思います。

金融緩和と所得分配

 第2にここでとりあげたいご意見やご質問は、「低金利は家計に犠牲を強いるものではないか」、あるいは、「低金利は金融機関の収益支援を目的とするものではないか」といった、所得分配面に関するものです。この点については、これまでも様々な場で私どもの考え方を説明してきましたので、本日は要点だけを述べさせていただきたいと思います。

 まず、金融緩和が家計面に及ぼす影響についてですが、金利の低下は住宅ローンなどの支払金利負担を軽減させる一方で、預貯金や債券などの金利収入を減少させる効果をもちます。家計部門は、金融資産が金融負債を上回る主体ですので、金利の低下はやはりネットの金利収入の減少をもたらすことになります。しかし、金融緩和の効果をみる場合、金利収支のみに着目することは適当ではありません。金利の低下は、その一方で投資採算の改善や企業収益の増加、資産価格の下支えといったルートを通じて、経済活動を活発化させます。このことは、ひいては、雇用の拡大や給与所得の増加を通じて、家計部門にとっても総体として好ましい影響をもたらします。

 実際、一連の金融緩和措置をとった95年度以降の2年間だけをとってみても、家計の給与所得は着実に増加しており、その額はネット金利収入の減少額を大きく上回っています。つまり、金融緩和によって経済活動を活発なものにすることにより、全体としては家計部門にも着実に好影響が及んでいるとみることができます。

 もちろん、現実には様々な家計が存在しています。とくに金利収入に多くを依存している家計にとっては現在がやはり大変厳しい状況にあることは、私どもとしても十分に承知しているつもりです。ただ、金融緩和政策は、あくまで、マクロ経済的な観点から、景気の自律的な回復を促すことを目的に運営するものであり、それが実現すれば、只今述べたように、家計部門を含めた国民各層に広くメリットが及ぶものであるということを、お分かりいただきたいと思います。

 一方、金融機関収益との関係についていえば、金融緩和は金融機関の収益増加を目的とするものではありませんし、私どもでは、金融機関支援のために金融政策を運営するといった考えはまったくもっておりません。

 おそらく、こうした誤解が生まれる背景には、金融機関の業務純益が金利低下局面では拡大する傾向があるからではないかと思われます。たとえば金利が急速に低下した95年度には金融機関の業務純益は大幅に増加しました。これは、ひとつには、金利が低下すると、保有債券が値上がりし、その売却益が増加する傾向があるためであり、もうひとつには、預金などの負債の平均調達期間に比べて、貸出などの資産の平均運用期間が相対的に長いため、金利低下の効果は負債面に直ちにあらわれ、資産面にはゆっくりとしかあらわれないという事情によるものです。

 しかし、こうした収益押上げの効果はあくまで一時的なものにとどまります。たとえば、債券の売却益等については、金利低下が一巡すれば、もはや新たな利益を生むことはなくなり、逆に金利が上昇に転ずれば損失に転化する性格のものです。また、資産・負債の運用・調達期間のズレを反映した収益の増加については、むしろ次の期以降は、資産サイドの運用利回り低下が負債サイドの調達コスト低下のあとを追いかけるかたちで、収益を減少させる要因となります。実際、金融機関の業務純益は95年度に大幅に増加したあと、昨年度は横ばいとなりましたが、本年度は金利低下効果の一巡から、大幅減益に転じる見込みにあります。

 この間、金融機関の総資金利鞘、すなわち資金コストと運用利回りの差は、現在も、80年代後半以降の平均的な水準にあります。つまり、預金金利の低下は、中間段階としての金融機関に利鞘の拡大として滞留しているわけではなく、そのまま貸出金利の低下につながっています。こうした経路を通じて、金融緩和の効果は、わが国経済全体に着実に浸透しているわけです。

 このように、金融政策は金融機関の支援を目的とするものではありませんし、そもそも金融政策で金融機関の収益を長期にわたりコントロールすることはできません。金融政策は、あくまで物価の安定を目的として経済情勢全般に対応していくものであることを改めて強調しておきたいと思います。

中長期的な視点からの金融政策運営

 第3にとりあげたいのは、政策運営に関連して、「景気がよくなっていた昨年から今年にかけてのどこかの時点で、利上げの機会があったのではないか」とのご意見やご質問です。

 本来、金融政策の結果に対する評価は長い時間をかけて行うべきものですし、当事者である私ども自身がそうした評価を安易に述べることは適当でないように思います。そこで、ここでは、最近に至るまでの金利政策も含めて、私どもが、どのような考え方を基本に据えて、実際の金融政策の運営に当たっているかを申し述べ、ご理解を賜りたいと思います。

 私どもが一昨年9月に、公定歩合の0.5%への引下げをはじめとする、思い切った金融緩和措置を実施した狙いは、デフレスパイラルを未然に防止し、企業や家計のコンフィデンスの強化を図りながら、わが国経済を自律的な回復軌道へ移行させることにありました。その後、昨年のはじめ頃からは、わが国の景気は緩やかな回復過程に入ってきました。この間、経済がデフレスパイラルに陥る懸念は次第に払拭され、企業や家計のコンフィデンスも緩やかに戻ってまいりました。しかし、昨年前半の景気の回復には、やはり一昨年秋にとられた財政、金融両面からの強力な景気支持策の寄与が大きかったように窺われます。また、昨年後半から本年春までの成長率の高さは、消費税率引上げ前の駆込み需要によって大きく持ち上げられたことは否めません。このような状況のもとで、経済が財政面からの影響をこなしつつ自律的に回復していけるだけの体力が、民間部門にすでに十分に備わったとするのは早計と考えられました。もし仮に、経済の体力が十分に高まらないうちに、金融面からのサポートをはずせば、自律的な景気の回復は一層難しいものとなってしまいます。私どもが一昨年9月以来の金融緩和スタンスを維持してきているのは、まさしく、このような判断にもとづくものです。

 以上が私どもの基本的な考え方ですが、これに関連してひとつ重要なポイントを指摘しておきたいと思います。それは、日本銀行が物価の安定、ひいてはインフレなき持続的成長の達成を図っていく際の基本は、常に中長期的な視点に立っているということであります。すなわち、経済の先行きの展開を予測しながら、かつ金融政策の効果波及のタイムラグを十分に踏まえて政策運営を行っていくことが必要です。こうした視点を欠いて、単に足許の経済情勢だけに対応して金融政策の運営を行えば、それはむしろ景気の振幅を大きくするだけの結果になります。

 たとえば、仮に足許の経済活動の改善を示す動きだけに対応する場合といったものを想定してみると、そこには2つのリスクが考えられます。ひとつは、景気の上昇が確認された時点では、すでに物価も上昇し始めているケースです。金融政策の効果浸透にタイムラグがあることを考えれば、このような事態を招いてからでは、中央銀行としてはすでに手遅れといわざるをえません。もっと早めに手を打つべきであったということになります。もうひとつは、逆に経済活動は改善し始めたものの、景気の回復力という点ではまだ脆弱なものにとどまっているというケースです。このような場合には金融の引締めは、ようやく育ち始めた景気回復の芽を先走って摘んでしまうことになりかねません。つまり時期が尚早であったということになります。

 こうしたことを考えると、金融政策運営に当っては、中長期的な視点に立って運営していくことが何よりも大切です。私が先程来述べてきたことも、要するに、昨年来の政策運営に当たっても、私どもはその時々の経済情勢だけに対応するのではなく、先行きの景気や物価の動向をできる限り的確に予測し対応するよう心掛けてきたということです。また、先行きの動向を的確に予測するために、何よりも民間部門の自律回復力を重視しながら、その点検を続けてきたということであります。

 もちろん、こういったからといって、私どもは、まったく手放しで金融緩和状態をみているというわけではありません。とくに私どもにとっては、低金利が、目にみえないかたちで、将来の物価上昇リスクを増大させていないかどうかを点検することが、きわめて重要な課題です。過去にも、時によっては、緩和の効果が急激に増大し、物価上昇のリスクが急速に高まるという事態もみられました。金融政策の 効果浸透に時間がかかることを踏まえれば、この面の点検は、私どもにとって、決して怠ることのできない課題です。

 先程述べたように、私どもでは、当面物価上昇のリスクが強く懸念される状況にあるとはみていませんが、今後の金融政策の運営に当たっては、引続き中長期的な視点に立って、将来の物価上昇・下落のリスクをできる限り正確に把握しながら、的確な判断に努めていく考えです。

4.おわりに

 以上、様々なことを申し述べて参りましたが、私どもが金融政策を行うに当たって、どのようなことを基軸に据えて運営しているかについて、その一端でもご理解いただければ幸いです。私どもとしては、今後とも、只今述べてきたような考え方や視点に立って、物価安定の達成に向けて、適切な金融政策の運営に全力を挙げていく考えであります。

 わが国の金融経済情勢については、これまで申し述べてきたとおりですが、最後に一言付け加えれば、景気回復の展望をより明確にしていくためには、企業や家計のコンフィデンスを強化していくことが重要です。最近、企業のマインドなどが慎重なものとなっている背景を考えてみますと、やはり構造調整に時間がかかっているということへの懸念があるように思われます。こうした観点からも、規制の緩和・撤廃や不動産の流動化といった様々な構造対策を着実に進めていくことは、わが国経済にとって引続き重要な課題と考えております。このことを指摘して、本日の私の話を終えたいと思います。

 ご清聴、ありがとうございました。

以上