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最近の金融経済情勢について

平成9年12月12日・日本記者クラブにおける日本銀行総裁講演

1.はじめに

 本日は、日本記者クラブにお招きいただき、皆様方にお話しする機会を得られたことを、たいへん光栄に存じます。

 さて、この半年、わが国の経済や金融システムをとりまく環境は、これまで以上に厳しいものとなっております。景気は消費税率引上げ後の反動からなかなか明確に立ち上がらず、むしろ、このところ減速傾向を強めています。夏場以降、これまで高成長を誇っていた東アジア諸国の通貨・金融情勢が変調をきたし、わが国に与える影響が懸念されています。さらに、最近では、金融機関の大きな経営破綻が相次ぎ、内外で、わが国の金融システムに対する不安が再燃しました。いったい、日本経済はどこに向かおうとしているのか、それぞれの問題に対する処方箋をどこに見いだせばよいのか、いずれも必ずしも簡単に答えの出せる問題ではありません。

 しかし、こうした難しい局面にあるからこそ、まず、事態を冷静に分析し、その背後にある大きな流れを把握することが必要です。経済や市場の動きには、一見、混乱とか動揺とみられる場合であっても、──というより、そうした場合にはなおさら──、そこに、問題解決への大事な示唆や警告が含まれている場合が多いからです。

 本日は、金融システム問題、アジアの通貨・金融の動揺、そして、国内景気という3つのテーマを採り上げ、私どもの考え方をご説明することとします。それぞれ、相互に関係が深いとはいえ独立した話題ですが、できるだけ只今申し述べたような点を念頭に置いて、それぞれの背後にある大きな流れを汲み取るよう、話を進めていきたいと考えています。

2.金融システム問題

金融機関経営破綻への対応

 それでは、金融システム問題から始めたいと思います。

 秋口以来続いた金融機関の経営破綻は、日本の金融システムを巡る環境が厳しいことを改めて内外に認識させ、金融市場は一時緊迫した局面を迎えました。

 そこで、まず、私どもが、こうした事態に対してどのような考えに基づいて対処したか、というところからご説明します。

 金融機関の経営破綻が表面化した場合、もっとも重要なことは、預金者や市場参加者の連想によって、あるいは実際の取引の連鎖を通じて、他の金融機関や金融市場全般にその影響が及び、金融システム全体の動揺につながるような事態、つまり、システミックリスクの顕現化を防ぐということです。

 そのために必要なことは2つあります。第1に、破綻した金融機関からの預金の払い出しを滞らせてはならない、ということです。第2に、金融市場では、全般的に市場参加者の行動が慎重になりますから、どうしても取引の出合いがつきにくくなったり、その結果、金利上昇圧力が増大する傾向が生じます。金融システム全体の安定を確保するためには、こうした金融市場全般における流動性の低下も防ぐことが必要です。私どもは、このような観点に立って断固たる措置を講じました。

 やや詳しく説明しますと、まず、第1の目的のために、幾つかの金融機関、具体的には、北海道拓殖銀行や山一證券などの破綻に当たって、日本銀行法第25条に基づき、通常の担保を要求しない貸出、いわゆる日銀特融を必要に応じて実施しました。

 日本銀行は、かねてより、4つの条件が満たされた場合に限って、信用秩序維持に資するための信用供与を行うという方針を採っています。第1に、さきほど申し述べたような信用不安や預金取付けの連鎖、つまりシステミックリスクが顕現化するおそれが強いこと、第2に、日本銀行による資金供与が不可欠であって、他に適切な出し手がないということ、第3に、モラルハザード防止のための措置が図られていること、第4に、日本銀行の財務の健全性にも配慮すること、です。

 最近の例についても、こうした条件を吟味した上で、特融の実施に踏み切ることが適当と判断したものです。

 預金取扱金融機関に対する特融は、これまでも実施例がありましたが、山一證券に対する特融は、まさに、臨時異例の措置と位置付けられるものであります。というのは、預金取扱金融機関の破綻と証券会社のそれとは、性格が異なる面があるからです。証券会社の顧客は、そこを通じて債券や株式を売買しているのであって、証券会社そのものと債権・債務の関係にあるわけではありません。もちろん、預け金や寄託している証券がありますが、それらは、銀行預金のように決済手段としての性格を持たないものです。こうした点からみると、通常は、証券会社の破綻がシステミックリスクの顕現化につながることは、想定し難いと考えられます。

 しかし、今回の山一證券の自主廃業の決定は、4大証券の一角の経営行き詰まりであり、やはりたいへん重いものといわざるを得ません。わが国の金融システムに対する見方が厳しさを増していることや、山一證券が内外市場において広範な業務展開を行い、多数の顧客を擁していることを勘案すると、自主廃業の過程で、顧客の財産の返還や約定済みの取引の履行が円滑に進まない場合、財産引出しの動きが他に波及したり、市場取引が混乱したりするおそれが強いと考えられました。さらに、そうした事態を放置すれば、わが国金融システムに対する信認の著しい低下と、内外金融資本市場の混乱を引起こし、ひいては実体経済にも大きな影響が及ぶ懸念もありました。こうした状況に鑑み、日本銀行としては、山一證券の自主廃業という事態が内外の金融資本市場やわが国経済に与える影響を最小限に食い止めるために、特融を実施することを決断しました。

 この結果、破綻した金融機関の支払いや決済が滞って、システミックリスクが顕現化することは避けられました。しかし、大手の金融機関や証券会社の破綻ともなると、どうしても市場参加者の心理は慎重になり、その結果、取引の出合いがつきにくくなるとか、市場金利に上昇圧力がかかる傾向がみられ始めました。

 そこで、私どもは、さきほど申し述べた第2の目的、つまり、金融市場全般の流動性の低下を防止するために、金融調節面でも最大限の努力を行いました。つまり、様々なオペレーションの手段を動員して、金融市場に対して思い切って潤沢な資金供給を行い、円滑な取引や安定的な金利形成を促しました。

 私どもは、一昨年の9月以来、短期金融市場の指標金利であるオーバーナイト物のコールレートが「平均的にみて公定歩合水準をやや下回って推移する」よう、金融調節を行っています。しかし、一連の金融機関の破綻を受けて市場地合いは逼迫し、コールレートは、11月末には、この誘導目標を大きく上回る水準まで上昇しました。しかし、私どもが市場に対して潤沢な資金供給をねばり強く続けた結果、現在は、コールレートも落ち着きを取り戻しています。

 ただ、やや長めの短期金利、とりわけ年末越えとなる1ヶ月物あたりの金利は、海外におけるジャパン・プレミアムの拡大もあって、なお、高止まり傾向を示しています。私どもとしては、年末に向けても、市場金利が安定的に形成されるべく、断固たる調節スタンスを続けていく方針であり、この点はとくに強調しておきたいと思います。

 このように、私どもとしては、今後とも、政府と協力しつつ、金融システムの安定に万全を期していく所存であります。国民や市場関係者の皆様方には冷静な行動をとられるよう強くお願いいたします。

最近の金融機関破綻のインプリケーション

 ところで、最近の金融機関の経営破綻は、全体としてみれば、不良債権処理がかなり進捗している中で生じることになりました。このことは、わが国の金融システムを再構築し、内外の信認を回復していくうえで、たいへん大事な意味を持っているように思われます。

 まず、金融機関の公表不良債権の総額は、平成7年3月期の38兆円から、9年3月期には28兆円まで減少しました。さらに、このうち、担保や引当てによってカバーされていない金額、つまり、今後、何らかの形で処理しなければならない金額は、4年前の18兆円から4兆5千億円程度まで減少しています。もちろん、この規模は依然としてたいへん大きいといわざるを得ませんが、そうはいっても、処理が着実に進んできていることも事実です。

 そこで問題となるのは、全体として処理が進んでいるといっても、個々の金融機関毎にはばらつきがあるということです。例えば、この上期で、不良債権の会計上の処理を完了する先も現れ始めました。また、来年3月期において、赤字決算も念頭に置いて大規模な処理を行う金融機関も少なくないようです。全体として事態の改善が進み、しかも、ディスクロージャーが進むなかでは、このように先んじて処理を進めた先と、相対的に後れをとっている先との違いが、どうしてもはっきりしてきます。

 こうした状況を踏まえると、わが国の金融システムに対する内外の信認を確保するためには、2つのことが必要になると考えられます。

 第1に、ディスクロージャーの充実により、金融機関経営に関する透明性を高めることです。預金者、債権者を始め、市場参加者の金融機関に対する見方は一段と厳しくなっており、今後、早期是正措置導入やいわゆる日本版ビッグバンの実施を控え、そうした市場の見方はさらに厳しさを増すものと予想されます。それだけに、個々の金融機関にとっては、不良債権の処理やリストラへの対応を一段と加速させるとともに、ディスクロージャーの一層の充実により、市場の信認を確保することが必要です。

 金融機関の不良債権のディスクロージャーについては、金融制度調査会の報告に基づき、各金融機関の比較が可能となるよう、統一的な基準が設けられ、これまで、この基準に沿って拡充措置が進んできました。しかし、経営の透明性を高め、市場の信認をより確実なものとするためには、不良債権に限らずリストラ策の進展度合いなどを含めディスクロージャーの拡充について自主的な対応を進め、経営基盤の強化策やその進捗状況などについて、市場に説得的に説明していくことが重要と考えています。

 第2に、今回の事例で、システミックリスクの顕現化を防止し、金融システム全体の安定性を確保することの重要性が再確認されました。金融システムにおいては、市場メカニズムのもつダイナミズムを活かすという要請と、システムの安定性を確保するという要請とを、うまく調和させることが不可欠になります。

 只今申し述べたように、金融ビッグバンを控え、金融機関経営は内外の市場による厳しいチェックを受け始めました。このような仕組みのもとで金融システムの安定性を確保するために大事なことは、仮に、市場がある金融機関に対して厳しい判断を下した場合でも、それが、金融システム全体に波及しないようにすることです。

 さきほど申し述べたように、そのような事態を食い止めるための流動性の供与ということは、まさしく、「最後の貸手」としての中央銀行の責務であります。

 ただ、破綻した金融機関が債務超過の状態に陥っていた場合、最終的に発生する損失をどのように処理するか、という問題が残ります。この点、日本銀行の信用供与は本来流動性の供与を基本とするものであり、損失の負担に用いるべきものではありません。従って、預金者への払戻しを滞らせないようにしながら、破綻金融機関の処理を円滑に進めていくためには、こうした最終的な損失処理の方法を固めておく必要があります。

 預金保険機構はそのための枠組みの一つであり、これまで、預金保険機構の機能強化のために様々な措置が講じられてきました。しかし、それでもなお負担しきれない損失が発生した場合、海外では、一定の条件のもとで、財政資金を投入して問題解決を図った例もみられます。

 こうした海外における先例や、わが国金融システムの現状を踏まえ、わが国においても、不良債権問題の早期かつ抜本的な解決のために、財政資金を投入すべきであるとの議論が活発化し、政府・国会において真剣に検討されています。私どもとしても、こうした問題提起は重要な意義を持つものと受け止めており、幅広い議論を通じて、この問題について国民的な合意が得られることを期待しております。

 現在、国際金融市場では、ジャパンプレミアムが拡大するなど、わが国の金融システムをとりまく内外の環境は厳しさを増しています。金融機関にとっては、ディスクロージャーの拡充や不良債権処理の迅速化によって、また、私ども政策当局にとっては、金融システムの安定を確保することによって、わが国金融システムに対する内外の信認を回復させることができるかどうか、大事な局面を迎えていると認識しています。

3.アジアの通貨・金融情勢について

通貨・金融の動揺の背景

 さて、本日の2番目の話題として、最近のアジア情勢の問題についてお話ししたいと思います。この夏以降生じた東アジア諸国における通貨・金融の動揺については、各国がマクロ経済政策の建て直しや金融システム対策に乗り出しているほか、IMFを中心とする枠組みのもとで、国際的な支援が講ぜられるなど、各種の対応が着実に進められています。ただ、各国の為替・金融市場とも、まだ十分安定化したとは言い切れませんし、今後、経済調整策のもとでこれらの国の経済情勢がどうなるのか、なお不確実な面が残っています。従って、本日は、今回の動揺の背景をどう理解するのか、わが国への影響としてはどのようなことが想定されるか、という面に絞って、私どもの考え方を述べることとしたいと思います。

 まず、申し上げておきたいことは、アジア通貨の動揺を、国際的な投機資金による特定市場へのアタックというような図式で捉え、国際金融市場の不安定性を強調する見方は適当ではない、ということです。国際金融市場や為替市場の動揺という現象は、さかのぼれば、1970年代のIMF固定相場制度の崩壊に始まり、ここ10年ほどの間だけでも、92年の欧州通貨の動揺や、94年のメキシコ通貨危機など、私たちは、決して少なくない経験を持っています。

 それらに共通して観察されることは、市場の急変が起きる場合には、そのずっと前の段階から、為替相場と経済実態との間に乖離が発生し、その幅が徐々に大きくなっているということです。あるとき、市場参加者がそれに気がつくと、急激な相場の修正は避けられません。その過程では、修正の域を超えて相場が行き過ぎてしまう現象、つまりオーバーシューティングも起こり得ます。こうなると、いかにも「市場の混乱」という印象を与えることになります。しかし、大きな相場変動が起きた場合には、まず、その原因をしっかりと見極めるようにしないと、市場の警告を見過ごすことになります。

 一方、最近の通貨動揺を材料に、東アジア経済のこれまでの成功そのものを疑うような見方も見受けられますが、これも、極端な意見でありましょう。勤勉な労働力、高い貯蓄率、市場や産業インフラの整備具合など、東アジア地域が、引続き、高い潜在成長力のための条件を備えていることには、変わりはないものと思われます。東アジアの経済は、短期的には調整局面を迎えることになるでしょう。しかし、これらの諸国が今回の経験をきっかけに、いくつかの構造改革を進めれば、新たな発展のための基盤整備につなげていくことが期待できると考えています。

 それでは、今回の通貨動揺の背景をどうみたらよいでしょうか。もちろん、東アジア諸国といっても、各国それぞれの事情があり、一括りにはできない面も多いのですが、概ね共通しているのは、何らかの形で自国通貨の為替相場を米ドルに連動させる為替相場運営のもとで、90年代以降外資が大量に流入し、それが、行き過ぎた金融・投資活動と景気の過熱、それに伴う対外収支の悪化に結びついたということです。

 やや詳しく申し上げると、この間、東アジアの経済パフォーマンスに関して、過大な成長期待、いわば一種のユーフォリアが発生したことは否めません。こうした成長期待にもとづいて大量の資金が流入すると、為替レートには上昇圧力がかかります。そうした状況のもとで固定相場を維持しようとすれば、金融を一段と緩和して国内金利を引下げることが必要となるか、少なくとも、強い金融引締め政策はとりにくくなります。それが一層の金融・投資活動の過熱を呼んで、ある期間は、ユーフォリアを裏打ちしてしまうことになった可能性があります。

 この間、経済活動の過熱により、インフレ率が上昇し始めたため、固定的な為替相場制度のもとで、これら諸国の為替レートは実質的に過大評価になっていきました。このため、対外競争力は徐々に低下し、経常収支の赤字が拡大しました。経常赤字が資本流入でファイナンスされているうちは、問題が表面化しません。しかし、対外不均衡の規模や経済のブームが持続可能でない域まで達したのではないか、と市場参加者が疑念をもったとたんに、そこで急激な外資の巻き戻しが起きます。これが、為替相場や株価の急激な変動圧力をもたらし、多くの国で、米ドルに連動した為替相場運営から、フロート制への移行が余儀なくされた背景と考えられます。

 このような事態からは、一般的に、国際金融・資本市場の安定を確保するうえで重要と思われる教訓が幾つか読み取れます。もちろん、健全なマクロ経済政策運営を通じて、経済や金融の行き過ぎを未然に防ぐことは、自国経済だけでなく国際金融・資本市場の安定を確保するうえで、もっとも大事な前提条件です。また、それと並んで、弾力的な為替相場運営を図ること、経済政策に対する市場のチェック機能を活かすための情報開示を進めること、金融機関監督体制の見直しを含め健全な金融システムを構築することなども、重要な課題です。

 こうした点も踏まえ、東アジア各国は、国際的な協力と支援も受けつつ、自国経済・金融システムの再建に取り組み始めました。私どもも、引続き、IMFを中心とする国際的な支援の枠組みの中で、適切な役割を果たしてまいりたいと考えています。また、アジアの中央銀行間の協力関係という点では、既に、EMEAP──東アジア太平洋中央銀行役員会議──という会合が91年に発足しています。これは、昨年からは総裁レベルの会議も開催されるようになりまして、第1回会議を東京で開き、本年は中国の上海で第2回会議を開きましたが、今後、こうした場も活用して、率直な意見交換と技術支援などの関係を強化していく方針です。

わが国への影響

 次に、東アジア諸国の動向がわが国に与える影響について、話を進めることとします。

 まず、実体経済面への影響ですが、わが国とアジアとの経済関係の緊密化が進んでおり、今や、輸出入の両面で、わが国の最大の貿易相手地域となっています。因みに、わが国の輸出に占めるNIEsとASEAN向けの割合は、約35%と、米国向けの30%、EU向けの15%を上回っています。わが国の輸入の国別シェアは、米国が22%ともっとも大きいのですが、NIEs・ASEANからの輸入も20%弱とほぼ米国に匹敵する大きさです。

 従って、これら諸国の為替レート下落や、経済調整策の実施による成長鈍化の影響が、わが国にある程度及ぶことは避け難いものとみられます。目下のところ、中国、米国、欧州などその他の地域の需要が堅調であるほか、各国との貿易ウェイトで加重平均した円の為替相場は、ほぼ横這い圏内の動きとなっており、わが国の輸出環境が、全体として大きく悪化しているわけではありませんが、わが国のアジア向け輸出は、タイや韓国向けを中心に既に鈍化の傾向がみられ始めています。

 また、東アジア諸国の成長鈍化が、素材製品を中心に国際商品市況の下落要因となっており、これが、わが国素材メーカーの収益に影響を与え始めています。これら国内企業の中には、減産を検討する動きもみられ始めており、こうした間接的な影響も含め、慎重に動向を見守っていく必要があります。

 実体経済面の動きに加え、これらの諸国では、程度の差こそあれ、いずれも不良債権問題が表面化しています。そのわが国金融機関への影響はどうでしょうか。

 BIS(国際決済銀行)の統計によれば、わが国の金融機関がアジア諸国に対して保有する債権の残高は、約2700億ドルと、世界の金融機関がアジアに保有する債権総額の3割にのぼっています。

 ただ、この計数には、各国に支店や現地法人を有する日本や欧米の金融機関向けの資金取引が含まれています。また、企業向け貸付けの中には、親会社の保証のついた日系企業向けが相当の割合を占めているようです。私どもがヒヤリング調査等で得た感触では、非日系企業及び地場銀行向けの債権残高は、大ざっぱにみて、さきほど申し述べたBIS統計上の債権残高のおおよそ3~4割程度ではないかとみられます。しかも、その大宗は、健全とみられる大手銀行・企業グループ向けやプロジェクト・ファイナンスであり、これまでのところ、不良債権化した事例はほとんどみられていません。

 このように、アジアの通貨・金融不安のわが国に対する影響は、これまでのところ、実体経済面、金融面ともに限定的なものにとどまっているようですが、これら地域の情勢はまだ不安定な局面を脱したとは言い切れません。今後、成長の鈍化がどの程度、またどれくらいの期間続くのか、不良債権問題がどのような拡がりを見せるのか、十分注視していく必要があると考えています。

4.最近の金融経済情勢と金融政策運営

国内経済の現状と金融政策運営

 それでは、本日の最後の話題である最近の国内経済情勢について、話を進めることとします。

 景気の現状について、私どもでは、このところ、4月以降の減速傾向が強まっていると判断しています。

 最終需要面では、輸出や設備投資が引続き増加傾向を辿っており、これが、経済活動の下支えに寄与しております。しかし、個人消費や住宅投資などの家計支出は、4月の消費税率引上げをきっかけに大きく落ち込んだあとも、その後の持ち直しテンポはきわめて緩やかなものにとどまっています。個人消費面をみると、旅行支出などのサービス支出はまずまずの増加を示していますが、乗用車や家電販売、百貨店の売上などはいずれも低調な状態が続いています。また、住宅投資の着工ペースも、本年春先までの年率150万戸前後から、最近は130万戸台へと落ち込んだまま推移しています。

 このような最終需要のもとで、耐久消費財関連や建設関連業種で在庫調整の動きが続いており、このため、生産も弱含みの展開となっています。こうした動きは、雇用や所得面にも次第に影響を及ぼしているように窺われます。

 ただ、本年に限ってみれば、財政面からのマイナスの影響がもっとも強く現れる局面ですので、景気がその影響から一時的に減速すること自体は、やむを得ない面があります。問題は、こうした動きが、来年に向けて、経済の自律回復力にどのような影響を与えるか、ということです。目下のところ、自律回復力の基礎となる企業収益や雇用者所得の増加基調自体が崩れているわけではなく、現時点で、景気が後退局面に入っているとはみられません。しかし、全体として、これまでの生産、所得、支出を巡る循環メカニズムの働き具合が弱まっていることは否めず、万一、減速局面がさらに長引くようなことになれば、そのこと自体が、経済の自律回復力を失わせるおそれがあります。従って、今後の消費の回復テンポや在庫調整の進捗度合い、さらには、家計や企業のマインド面の動きなどについては、引続き、注意深く点検して行くことが必要と考えています。

 この間、物価面では、国内卸売物価がこのところ建設関連財を中心に弱含み傾向を続けていますが、消費者物価は、消費税率引上げの影響を除いた実勢でみて、前年をやや上回る水準で推移しています。また、企業向けサービス価格も、同様に実勢でみて概ね前年並みの水準にあり、全体としての物価動向は総じて安定的に推移しています。

 以上のような景気・物価情勢を踏まえますと、当面の金融政策運営に当たっては、引続き、景気回復の基盤をよりしっかりすることに重点を置いて、情勢の展開を注意深く見守っていくことが適当と判断しています。また、日々の金融調節面では、さきほども申し述べたとおり、金融市場に対して十分潤沢な資金供給を続け、円滑な取引と安定的な金利形成を確保していく方針です。

金融機関の貸出動向

 なお、最近の金融情勢に関連して、このところ、金融機関の貸出姿勢の慎重化について様々な議論がなされています。

 現在、金融機関は、不良債権処理の迅速化、ビッグバンや早期是正措置への対応など、多くの経営上の課題を抱えています。このため、経営の健全性や効率性を高める観点から、貸出に関するリスク管理の強化や収益性の重視を打ち出す先が増えています。こうした経営努力自体は、わが国の金融システムを強化するうえで避けて通れない過程ともいえますが、問題は、こうした金融機関の融資態度の慎重化が行き過ぎて、景気全体の回復を阻害するまでに至っているかどうか、ということです。

 これまでのところは、企業の資金需要自体が伸び悩んでいることもあって、企業金融が急速に逼迫しているとか、貸出が絞られて全般的に貸出金利が上昇してしまうといった事態には立ち至っていません。その意味では、現状では、金融機関行動が景気回復の動きを損なうまでには至っていないとみています。しかし、金融機関のリスク管理体制強化の取組みは、今後、一段と強まる方向にありますし、株価の低迷やジャパンプレミアムの拡大といった金融・資本市場の動きが金融機関行動に与える影響にも十分留意が必要と考えています。

 また、金融機関行動が景気回復の動きを強く「阻害」していないとしても、かつての緩和期のように積極的に「促進」していないことも事実です。このことは、金融と実体経済活動の相互作用ということを考えた場合、たいへん重要な論点を含んでいます。というのは、金融機関に求められる役割は、単に、企業の資金需要に受動的に応えるということだけではないからです。

 金融機関には、新たなビジネスチャンスの発掘を手伝うとか、それを実現するときに資金面でリスクを引受けるなど、企業の前向きの事業活動を積極的に支援する機能が期待されています。事実、過去の景気回復局面では、そうした金融機関の積極的な行動が、回復の動きを強めるうえで、大きな役割を果たしていました。これが行き過ぎて、バブルの発生につながってしまったという苦い経験もあるわけですが、今回の回復局面では、金融面から経済活動を積極的に後押しする力が弱まっていることは否定できません。従って、金融機関や金融・資本市場の活力を強化し、強固で効率的な金融システムを再構築することは、景気回復を確かなものとするためにも重要な課題といえます。このように、いわゆる「貸し渋り論」も、金融システム強化という課題との関連で検討する必要があるということを指摘しておきたいと思います。

コンフィデンスの強化の必要性

 以上、最近の経済金融情勢と金融政策運営について申し述べましたが、景気動向との関連で私どもがもっとも気にかけているのは、企業や家計の日本経済の先行きに対する見方、つまり、日本経済に対するコンフィデンスが低下しているようにみえることです。

 経済主体のコンフィデンスを正確に推し量ることはたいへん難しいのですが、金融市場や資産市場から得られる情報が有力な手がかりになります。例えば、資産価格には、その資産を保有して得られる将来の収益に対する市場参加者の見方が織り込まれるからです。

 そうした観点からみると、最近の株価の低迷をどう理解すればよいでしょうか。因みに、デフレスパイラル懸念さえもたれた95年と比べると、企業収益の水準は相当高くなっています。それにもかかわらず、株価水準が当時と比べほとんど上昇していないということは、経済の先行きに対するコンフィデンスがそれだけ弱まっていることを示しています。このような状況では、企業であれ金融機関であれ、どうしても、リスクを伴うような前向きの行動に慎重にならざるを得なくなります。また、コンフィデンスが低下すると、金融緩和の効果も現れにくくなります。

 しかし、この2年間で、日本経済の中長期的な潜在成長率が大きく低下したとも考えにくいように思われます。例えば、95年当時は、むしろ、アジア経済との競争の激化や産業空洞化懸念が極めて強く、日本の産業の将来について、強い懸念がもたれていました。しかし、わが国の企業は、国際分業体制の変化をうまく利用して、生産や部品調達の新たなネットワークを築き始めています。この間の円高修正の動きもあって、産業の国際競争力に関する悲観論は、一頃に比べれば、だいぶ緩和されているのではないでしょうか。

 そうだとすると、株価の低迷に現れているようなコンフィデンスの弱まりの原因は、別のところに求めなければなりません。ひとつのヒントとなるのは、「将来の経済に対する見方」という場合、潜在成長力といった成長率そのものに対する予想だけでなく、その実現可能性に関する見方、つまり不確実性、不透明性という要因が関係してくることです。

 例えば、平均的に見れば、同じ程度の収益の成長が予想されていても、その実現可能性について不確実性が高まれば、──いいかえれば「リスクプレミアム」が大きくなれば──、株価は低くなります。マクロ経済全体についても同様のことがあてはまり、先行きに対するコンフィデンスというものは、不確実性や不透明感によって、大きく損なわれてしまうものです。

 このように考えると、現在のコンフィデンスの弱まりは、日本経済が、様々な構造改革・金融システム改革の大事な局面にあることと関係があることがわかります。この先、金融システムがどうなるのか、規制緩和などの構造政策がどのように進められるのか、家計所得に大きな影響を与える年金問題がどうなるのかなど、経済主体を取り巻く不確実性には様々な要因があります。大事なことは、それぞれの課題について、様々な負担やコストも含めた将来展望を明確にするということではないかと思います。

 さきほど、経済の先行きに対するコンフィデンスとは、成長期待とリスクプレミアムの2つの要素から構成されていると申しました。このうち、政策でもって短期的に潜在成長力や成長期待を高めることはたいへん難しいのですが、不透明性や不確実性を軽減することは可能です。むしろ、それが、市場経済の中でコンフィデンスの形成に好影響を与え、市場の納得が得られる有力な方法といえます。この意味で、規制の緩和・撤廃などの構造対策を着実に進めていくことや、金融システムの安定を確保することは、たいへん大事な課題です。これらにより、当面の経済・金融の不透明感を軽減することができれば、現在の金融緩和のもつ景気支援効果を引出し、経済の前向きの循環の力を強めることにもつながります。

 このことを指摘して、本日の私のお話を終えたいと思います。御清聴ありがとうございました。

以上