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そして経済は動いた ----そう言える日のために----

1999年 5月31日・日本経済研究センターにおける武富審議委員講演

1999年 6月 4日
日本銀行

はじめに──「希望の10年」に向けて何を為すべきか?

 最近しきりに「失われた10年」という言葉が使われている。これは1980年代における中南米経済の苦境を指した表現であり、それを90年代の日本になぞらえたものである。一方、「希望の10年」という言葉もあるが、これは90年代入り後、やはり同じ中南米経済がやや立ち直りの兆しを見せ始めた際に、米州開発銀行のイグレシアス総裁が期待を込めて使った表現である。本日は、日本経済がこの「失われた10年」から早く抜け出して、来る21世紀の初頭を「希望の10年」にするためには、「今、我々は何を構想し、実行していくべきなのか」をお集まりの皆さんに問いかけつつ、話を始めさせて頂きたいと思う。

 私自身としては、今は、国民一人一人が、他人任せではなく、それぞれの立場から真剣に日本経済の建直しを考えるべき時期に来ている、と強く認識している。そういう努力を皆が相互に継続することで、願わくばあまり遠くない将来に「あの時は苦労したが、遂に経済は動いた」と振り返ることが出来るようになりたいものである。そして「失われた10年」という古き悪しき時代を、一種の感慨を持って回顧出来る日を迎えたいものである。「その日」を現実のものとするためには、今、日本経済が抱える構造問題を如何に解きほぐしていけば良いのか──それを皆さんと考えてみよう、というのが本日のテーマである。

マクロ政策への感応度が低下した90年代の日本経済

 皆さんも実感なさっていることとは思うが、90年代の日本経済は、従来とは異なり、マクロの財政金融政策に対して余り反応しなくなって久しい。いわゆる政策効果も、精々景気下支え程度に止まっている。かつてのように政策発動を起爆剤にして民間需要がダイナミックに派生し、産業や経済の構造転換が進捗するという状況には残念ながら至っていない。このように申し上げると、一部の方は「90年代半ばにも一度景気が盛上がったではないか」と反論なさるかも知れない。その点は事実であるが、本日の本題ではないためここでは深入りしない。大勢観としては、90年代が押し並べて低調に推移したという理解で良いのではないかと思う。

構造調整圧力の存在

 それでは、何故そうしたことになったのか。単純明快な答えは存在しないが、恐らく、背景には──私が92年以来使っている表現であるが──戦後経済の総決算とも言うべき構造調整圧力が存在しているからではないか、と思う。これがために、政策効果や景気の循環的上昇力が吸い取られてしまうという状況が続いてきたのではないだろうか。もし、戦後経済の総決算というような問題が経済の奥深くに潜んでいるとすると、その問題の性格・本質からして、総需要管理型のマクロ財政金融政策によって全てを解決出来るとは必ずしも言えないのではないだろうか。私は、本来、財政金融政策の目的は、あくまで民間経済活動が自律的に展開するために望ましい環境を整備すること、金融経済の新しいイナーシャ(慣性)を生むための初期条件を形成するということに役割がある、と考えている。そして、そうした政策へのコミットメントによって世の中の期待形成に働きかけていくものであると思う。財政金融政策の役割は、これ以上でもなければ以下でもない。過少評価する必要もなければ過大な期待をかけることも正鵠を得ていない。現在、必要なのは、経済産業の構造転換に繋がるセミマクロ・ミクロ段階の多角的な構造対策を総動員し、金縛り状態にある経済に活を入れて、新しいうねりの触発に注力することであり、そうした認識を皆が共有していくことこそが議論の出発点ではないだろうか。目的と意図を明確にした構造対策が不十分であったがために、現在のような超低金利や大幅な財政赤字が長期間にわたって継続するという状況を招いた、という側面もあるのではないかと思っている。

 以上のような問題意識に沿って、本日は三つの論点を提供したいと思う。第一は、構造問題とはそもそも何を指しているのか。第二は、構造問題に対処する場合の政策理念、企業経営の理念、あるいは処方箋を書く場合の方向性はどうあるべきか。第三は、構造改革は何のために行うのか──無論国民生活の充実のためであろうから、そうだとすれば国民の視点に立った上でどこに構造改革の座標軸をおくべきなのか──ということである。そして時間が許せば、最後に構造改革と金融政策との関係についても触れたいと思っている。

構造問題の本質

 経済が中々動かない背景に存在している構造問題は、過去から累積してきたものであり、多岐に亘るだけでなく根も深い。ここではそれを五つほどに分けてお話してみたい。

 第一は、70年代において成長の枠組みが転換したということ。第二に、80年代半ばに構造改革の努力が一旦なされたものの、それが未完成に終わったということ。第三に、バブルの招来が構造問題の増幅に繋がったということ。第四は──これが最も重要なのであるが──90年代の構造問題には複合性があるということ──これについてはマクロだけではなく産業段階にも分け入ってお話をしてみたいと思う。第五には、以上四つの論点の総括として、足許目立ってきている貯蓄と投資の不均衡について触れてみたいと思う。

 足許の構造問題を考える際に、私の思考は自然と高度成長を終えた時期まで遡ってしまう。「少し遡り過ぎではないか」という批判もあるかも知れないが、これまで新興国の経済発展をつぶさに観察してきた経験に照らせば、経済成長には必ず節目となる転換期があり、日本の場合には高度成長を終えた時期がそれに当たるものと考えている。

高度成長を支えた枠組みの転換

 ニクソンショック、第一次石油危機が生じた70年代前半はそれまでの高度成長を支えてきた基本的な経済の枠組みが大転換した時期だったと思う。高度成長を支えていた枠組みとは、(1)固定相場制、(2)安い海外資源が安定的に供給される体制、(3)吸収能力の極めて高い輸出市場の存在、である。70年代前半には、固定相場制は変動相場制に移行し、わが国の輸入に最大のウエイトを占める原油の価格は第一次石油危機で4倍近くに値上がりし、第二次石油危機では更に上昇した。また、日本が高度成長した結果、世界市場に占める日本の相対的ポジションが大きくなって、貿易摩擦も生じるようになり、最早無限大の輸出市場を前提に出来なくなった。こうした状況を踏まえるなら、本来、その後に来るべき中・低成長経済に日本を適合させる努力の中で、高度成長時代の経済構造を組み替え、それによって新しい成長メカニズムなり経営体制を準備すべきであった筈である。しかし、現実には、それまでの経済、産業、金融各段階に亘る国内の構造には余り手が加えられることが無く、変動相場制の下で相次ぐ円高と格闘する歴史に入ったということではないかと思う。

 無論、為替相場が国内消費者物価や卸売物価と整合的な水準に決定されるのであればさしたる問題はなかったと思う。しかし、現実の為替レートは輸出価格に収斂してしまった。さらに国内的には、合理的な価格決定メカニズムが働かないような構造となっており、強い円相場と不整合を生じるようになってしまったのである。ここで言う国内構造とは、(1)弱者・低生産性分野に配慮した規制体系と壮大な所得再分配構造──これはその後既得権益化し、社会構造・政治構造とも密接不可分になっていった──、(2)メインバンク制と株式持合い制、(3)シェアを重視した横並びの量的拡大志向──裏返せば収益率が相対的に低い位置付けとなっていたこと──、(4)終身雇用・年功序列といった雇用賃金体制、(5)関連会社による不採算分野や雇用の吸収、などである。

 もっとも、こうした国内構造が中々崩れなかった理由──そこにはある程度の正当性も存在する──も挙げておかなければ議論としてフェアではあるまい。すなわち、(1)当時経済の最も核心にいた製造業にとってみれば、こうした所得分配構造によって支えられた大きな国内市場は、スケールメリットの追求、活発な設備投資を支える存在であり、これが価格競争力を高め、輸出の拡大に結び付いていたこと──限界利益さえ出れば良いという考え方もあり、それが「低い輸出価格→円高化の進行」という図式に繋がった面もあったと思うが──、(2)雇用・取引関係の安定化、所得の平準化に伴う1億総中産階級化を通じ、社会的、政治的、経済的に極めて高い安定度をもたらしたこと、が挙げられる。ただ、所詮、こうした経済構造は右肩上りの成長を前提としたものであり、結果平等主義に立った国内所得の再分配メカニズムは、経済の成熟化や国際化の過程で次第に合理性を喪失していった。その意味では、高度成長期を支えた国内構造自体、この時点で既に持続可能性を失いつつあったと言うことが出来る。

80年代における環境変化──円高化の進行

 しかし現実には、高度成長の終焉から10年以上を経た80年代半ばになっても、なお既往の国内経済構造には大きな変化は窺われなかった。80年代央には、プラザ合意により短期間のうちに円の対外価値が2倍になるという一種のパラダイム転換が起こったほか、構造改革に向けた気運の高まりの中で出された前川レポートにより「内需主導型経済」への転換も強く提唱された。しかし、結果から見ると、期待していたような構造転換は必ずしも十分に完成しなかったのである。国際的にみて比較劣位な産業・セクター・企業の再構築は見られず、円高と国内構造の不整合を象徴する内外価格差、内内価格差の縮小も中途半端なものに終わってしまった。また、円高は、輸出環境を厳しくする一方で、本来なら我が国の購買力を高める形で、国民生活の充実に裨益することが出来た筈であったが、残念ながら80年代にはそれが十分に実現しないままであった。それどころか、むしろ、バブル経済の招来を通じ、既に存在していた構造問題をこじらせる結果となってしまったのである。

バブルの生成

 バブル経済のもたらした具体的な影響としては、第一に、日本産業の既存の高コスト体質を一段と深化、固定化させてしまったことがある。例えば、当時労働力不足が喧伝されていたが、それを前提に大量の採用ないし高めの賃金設定がなされてしまった。最近、過剰雇用が問題となっているが、その一角はこの頃形成されたと言って良い。また、厳しい消費者ニーズに合わせるために、多機能、多品種に対応可能な複雑な生産ラインを構築し、これが高コスト体質を招いた。さらに、非製造業分野においては──これはやや言い過ぎかも知れないが──経済性を無視したかのような豪華さの追求がなされ、高価格で、かつ極めて高水準の需要が続かないととてもペイしないようなサービス施設が出来たのもこの頃であったと思う。

 第二には、中長期に亘る内外の需要水準を高めに想定し、能力増強投資がなされた。最近過剰設備ということがよく言われるが、その一角はやはりこの時期に形成されたのである。

 第三には、雇用等の問題から国内設備を温存したまま円高に対応した海外直接投資によって海外進出を行ったことがある。無論、国際水平分業は必要であり、日本の高い生産コストへの対応、飽和しつつある国内市場に代る現地市場を追求すること自体は合理的であるが、国内に供給力を残したままであると、特に既存の一般商品においては、グローバル・グラット(供給過多)が生じることになる。最近デフレが問題になっているが、この頃生じたグローバルな需給緩和に起因する価格の下押し圧力にこそ、その一因があると言っても良い。

 第四には、質より量を重視した経営を継続したことである。つまり、売上高やマーケットシェアへの拘わりが強まったことや、利益率より利益の絶対額あるいは資産収益率より資産の含み益や清算価値を重視するようになったということが挙げられる。最近になって漸くROA重視が叫ばれているが、こうした発想からの切替えが長らく出来なかったことの咎が今になって現れている、と言っても良い。

90年代の日本経済

 90年代には、以上のような過去からの3つの構造問題(高度成長を終焉させたパラダイム転換、80年代半ばの円高化、バブルがもたらした高コスト体質等)への対応を積み残してきただけでなく、以下に述べるような新たな3つの構造調整圧力にも直面しなければならなくなった。しかも、そうした構造調整圧力に対して、当初は、政策や企業経営が、循環的な景気回復やそれに伴う資産価格の反転上昇を期待した、従来型の対応を行ったことから、問題の本質と対応との間に不整合を生むことになり、その結果として90年代の不況長期化を招いたのではないかと思う。

 ここで言う90年代の新しい三つの構造調整圧力としては、第一にバブル崩壊による資産デフレ、第二はエマージングマーケッツの台頭に伴う要素価格均等化圧力──90年代の小刻みな円高化がこれを増幅した一面もある──、第三には米国経済の復活を契機とした市場至上主義・アメリカンスタンダード優位主義の伝播、が挙げられる。さらに付け加えれば、情報化や高齢化に対する備えも十分でないまま90年代を迎えたということも忘れてはならないだろう。

産業段階から見た構造問題

 以下では、上述のような90年代の構造問題を産業段階に下りて見てみたい。いずれも皆さんが認識しておられることばかりであろうが、敢えて整理すれば、(1)収益構造の抜本的な建直しの必要性、(2)バランスシート問題、(3)二極分化、という形に要約可能ではないかと思う。

 まず、第一の収益構造については、バブル崩壊による超過需要の剥落、あるいは趨勢的成長率の低下により売上が減少する中で、旧来の高コスト体質が損益分岐点比率の高まりという形で露呈した。また、需給ギャップの拡大が要素価格の均等化圧力とも相俟って、価格下押し圧力や、固定費率の上昇に繋がった。一言で言えば、減収傾向の中で利益を確保するための厳しいリストラ圧力がもたらされた、ということである。

 第二のバランスシート問題については、含み損を抱えた不良資産、不稼動資産、低採算資産をどう縮小していくかという圧力である。ただ、減益基調の中にあっては、フローの収益によってこうした「負の遺産」の処理を進めることには自ずと限界があった点は認識しておく必要がある。また、不良資産を一気に償却しようとすると、規模が大きいだけに実質自己資本を著しく毀損しかねず、「市場の暴力」にも晒される惧れがあった。このため、景気回復、資産価格の反転上昇に期待しつつの対応──問題の先送りという捉え方も出来るが──とならざるを得なかったのである。最も重要なのは、こうした産業側の不良資産に見合う負債は、金融機関にとっての不良債権でもあるということであり、ここに産業と金融との負の連動が形作られたということである。信用仲介機能の低下、貸し渋りの発生、中小非製造業を中心とした設備投資の抑制、といった連鎖はここから始まったのである。

 第三の二極分化については、需給ギャップの拡大に加え、要素価格の均等化圧力が高まる中で、企業のプライシング能力が低下したほか、投資尺度が米国スタンダードないし市場経済至上主義となる中で、投資態度にも大きな変化が生じた。そうした中で、低生産性分野においては収益力が悪化したほか、財貨のみならずサービスまでもが実質的に貿易財化し、これが二極分化に一層の拍車を掛けた。また、資本市場においては、新しい尺度による厳しい企業の選別が進み、その結果としてセクター別、個別企業別、さらに個別企業の中でも商品別に二極分化の傾向がはっきりしてきたのである。

貯蓄と投資の不均衡拡大

 貯蓄と投資の不均衡の拡大という問題も過去から累積してきた構造問題の一つの帰結であろう。すなわち、一般には高齢化社会を迎えると貯蓄性向は低下すると言われているが、我が国においてはそれが高止まったままとなっている。これは、一言で言えば先行きへの不透明感が根底にあるからであろう。例えば、企業と個人との関係では、足許の雇用や将来の所得に対する不確実性があろうし、政府と個人との関係でも、将来に亘り、両者の間の「受益と負担の関係」が必ずしも明確にはなっていない。このため、高齢社会を迎えつつあるものの、生涯設計を立て難いことから、定説を覆すような貯蓄性向の高止まりが生じているのではないかと思う。

 この間、設備投資についても、資本ストックの積み上がりを受けた調整過程にあるほか、90年代入り後に期待成長率が相次いで下振れたことも、供給能力の下方調整圧力に繋がっている。設備の実稼働率は、前回の景気ボトム近辺の水準まで下落しているほか、名目GDPに対する名目設備投資比率も第一次石油危機以来の水準まで低下している。また、これに伴って設備ビンテージも次第に高まってきている。その一方で、国際標準の投資収益率が期待できるような新分野が中々登場してこないことも設備投資の低迷長期化をもたらす一因となっている。

 こうした貯蓄超過は、国内の財政赤字のファイナンスと経常収支の黒字となって海外へ還流する形となっているが、本来であれば、こうした貯蓄超過部分が民間投資に向けられ、それを柱に構造調整が進展していくことが望ましい。ただ、現状は残念ながらそのような状況には至っていない。貯蓄超過が解消されないままに、企業が資本効率を意識し、長期に亘る設備投資削減を続けると、経済情勢が一段と悪化しかねず、失業率が更に高まるリスクも出てくる。労働力人口の伸びが鈍化する中で失業率が上昇することは、誠に残念な事態であり、そうした停滞感の強い経済に陥ることだけは何としても回避する必要がある。

構造問題打破に向けて

 以上のような構造問題ヘの理解を踏まえると、次には如何にそれを打破し、経済に活力を取り戻していけば良いか、政策運営や企業努力の重点をどこに置くべきか、という問題に逢着する。私自身は、経済を需要、供給、所得に三分割すると、従来はともすれば需要に重きが置かれてきたが、今後は供給と所得に力点をシフトすべきではないか、また、フローの結果として生じているストックの問題にも力点をおいて対策を考えていくべきではないか、と考えている。無論、こうしたテーマについては、巷間様々な議論があろうが、今の経済の特性を踏まえるなら、唯今申し上げたような点を重視していくことこそが、問題解決のために合目的的であると思っている。考え方の力点を、一旦、供給、所得、ストックの梃子入れに迂回する方が、一見迂遠に見えても、むしろ需要の増加、フロー経済の活発化に繋がる──需要、需要と叫んでみても事は始まらない──のではないだろうか。

理念の整理

 それでは、構造問題に対処する際の全体を貫く理念はどのように整理すべきであろうか。私は、各種の対策を打つ際には、理念、概念、立体的な物の考え方というものは常に先にあるべきである、と思っている。ここでは四点ほど挙げさせて頂きたい。

 第一は、前向きな構造転換を促すためには、リスクテイキングに対して従来よりも許容的になるべきだろうということであり、これは、政策体系、経営姿勢の双方について当てはまると思う。無論バブル時代のようなリスクテイクという意味ではない。ある程度の成算はあるがリスクもあるという課題に向けて果敢にチャレンジしていく者に対しては、社会全体が減点主義ではなく、加点主義で迎えることが大切であり、ひいてはそのことが社会の活性化にも結び付いていくのではないか、ということである。

 第二は、生産性や働きに応じた所得形成、所得分配の確保である。

 第三は、制度や経済構造を温存するのではなく、むしろ転換を促進するような政策の導入である。特に社会政策の場合、従来は落ちこぼれを出さないことや弱者救済に力点を置いてきたが、それだけでは社会の進歩は生まれない。最近良く言われるアクティブセーフティーネットのように、転換促進型の政策を取っていくことが大切なのではないだろうか。

 第四は、「個」の尊重である。これは、市場時代にユニークな商品を生み出すとか、際立つ才能を持つ個人を尊重するなど、独自性を重んじることに他ならないが、それと表裏一体の関係にある自己責任も明確に確立することが大切である。

 以下では、こうした理念を踏まえ、供給、ストック、所得面について、具体的にどのような姿勢で改革に取り組んでいくべきなのか、考察を進めてみたい。

供給面

 一言で言えば、生産性の向上、潜在成長力を嵩上げするという基本的路線に沿って各種の施策を体系化していくことが重要であろう。具体的には四つほど考えられる。

  1. (1)戦略的で意味のある規制撤廃──既存の需要飽和分野で新規参入を促すような規制撤廃も、過去の既得権益に対する甘えを断ち切るという意味では意味があろうが、新規参入による価格競争、整理淘汰の進展による摩擦も無視し得ないだけに、むしろ新規ないし追加需要の出てくる分野に力点をおいて規制撤廃を進めることが望ましいのではないか。
  2. (2)技術革新、新商品の開発に役立つような各種政策の実施──ここではマクロからミクロに至るまで一貫した政策が組み合わされることが大切である。
  3. (3)税制の進化──経済の活力を誘発するような方向に衣更えしていくことが重要である。
  4. (4)ヒューマンキャピタルの活性化──経済の最終的な担い手は「人」であり、その活性化を重視すべきである。

ストック面

 既に多くのことが言われているが、(1)土地などの不稼動資産とそれに見合った負債、(2)中長期に見込まれる内外需要水準に対し相対的に過剰で国際競争力も後退した設備能力とそれに見合った負債、(3)さらに(1)および(2)に張り付いた雇用、を整理ないし再構築することが必要である。無論、ストックの問題は、基本的には個別企業が自助努力で解決すべきではあるが、ストックの規模が極めて大きいだけに、新規事業による古い事業のリプレースには多くの時間を要する。このため、産業が次への飛躍に向けて収益率の高いストックを積上げていくためにも、現在劣化している既存の供給ストックの処理・再構築を通じ、身軽になっていくことが必要である。

 ただ、実施に当たっては、財政資金の負担を最小限に止め、安易に救済にすがろうとするモラルハザードを防止するためにも、市場原理を活用していくことが大切である。特に雇用については、人が絡む問題であるだけに、細心の注意を払いつつ、先に述べた転身促進型の施策を講じていくべきである。具体的には、次の就職に向けた技能高度化の訓練を受けることを前提に、雇用保険の給付期間延長を図る、などの方策があろう。

所得面

 先行きに対する不透明感の払拭と、経済合理性に基づいた所得分配構造の構築が課題である。例えば、(1)個人と政府の間の「受益と負担の関係」を明確化し、可処分所得の将来ストリームないし先行きの年金給付等に対する安心感を醸成すること、(2)セクター間の生産性格差や地域間の生計費格差を所得にも素直に反映させていくこと──その結果ある程度の所得格差を生むだろうが、結果の平等よりも機会の平等を重んじることが大切であり、合理的な所得格差は決して公平性の原則に悖るものではないというコンセンサスが形成されなければならない──、(3)高生産性分野に低生産性分野のツケを鞘寄せするような賃金決定方式や財政の所得再分配機能を見直し、経済全体の柔軟性を取り戻すこと、などが求められていると思う。

構造調整の目的

 それでは、以上述べてきたような構造改革はそもそも何のために行うのであろうか。究極は国民生活の充実を図り、国民一人一人が尊厳を持って自己実現出来る社会──抽象的に言えば、安心、安全、公平という感覚を皆が持てる社会──を形成することである。ただ、現状の社会・経済構造の下ではそれが中々叶わないからこそ、構造改革の必要があるのである。

 国民はそれ程法外なことを要求している訳ではない。むしろ非常に素直なことを望んでおり、私自身もその一人である。纏めれば以下の四点になろう。

 第一に、真面目に働こうとする者には雇用機会が与えられること──マクロ的な雇用機会の増加と言っても良い──、第二に、仮に名目所得の伸びが鈍化するにしても物価の安定を通じて実質可処分所得が維持ないし増加し、ある程度の生活環境が確保出来ること、第三に、公平感を保てる範囲内で合理性のある所得分配・所得格差が容認されること──隣人の給料袋を覗き込むような平等主義は誰も望んでいないはず──、第四に、不安感を持たずに生活の生涯設計を図ることが出来ること、などである。

 いずれも極めて慎ましやかな望みであるが、そうした期待に応えていくことが大切なのだろうと思う。

改革の具体的方向性

 前述のような観点に立って、敢えて一つのアイディアを提示させて頂くとすれば、「将来に亘る一世帯当り実質可処分所得の現在価値を出来るだけ大きくする」ことを経済構造改革の座標軸にしてみてはどうだろうか。これは、将来の雇用や所得に対する不安感を除去することによって貯蓄・投資不均衡の解消に資するほか、実質購買力が削がれないようにという国民の願望に応えること、さらには政府と国民の間における「受益と負担の関係」を適正化することも含意している。

 ここで一世帯と申し上げた背景には、若干の意味合いが込められている。すなわち、今後、労働力人口の伸び鈍化が見込まれ、経済の成熟化も進む中で、生活水準を維持向上していきたいという国民の願いがある訳だが、そうだとすれば、次のような新たな方向性を模索せざるを得ないだろう。第一には、現在ないし先行きの賃金の伸びを高めるために、生産性の大幅な向上を図らなければならない。換言すれば、一人の稼ぎ手で一家を養いつつ、定年退職までには十分な蓄財を形成し、ハッピーリタイアメントを迎えられるようにするためには、ある程度高水準の賃金が必要であり、それを正当化出来るだけの高い生産性を備えた社会を指向するべきである、ということである。もっともこれは現実にはそれ程簡単なことではない。その場合には、第二の方向性として、一世帯当りの就労者数を増やすという形で世帯当りの所得を拡大させ、生活を充実させていくということが考えられる。これは、単にこれまでよりも稼ぎが少なくなったからその分の「足らず米」を補うために働きに出る、というマイナスイメージではなく、むしろ現状では家庭に隠れている潜在能力を持った人達──能力と意欲のある女性や中高年者──の労働市場参入を促し、社会全体の潜在成長率を高めようという積極的なイメージでの発想である。

女性や中高年者の労働参入支援のための条件整備

 とは言え、そうした方向性の模索は容易なことではない。それを可能ならしめるためには、社会的なインフラ整備を一層進める必要がある。例えば、女性や中高年者が安心して就労出来るよう、子供や要介護者を預けられる施設等を拡充し、実情にあった運用をしていく必要がある。託児所、デイケアの老人ホームや病院の整備、自宅への介護士の派遣、託児や介護のフレックスサービスなどは、それを必要としている人達にとって大きな効用を持つものと思われる。また、既に就労している人だけでなく、長らく仕事を離れていた人が再就労する際には、時代の要請に合った新しい技能・知識を身に付けられるよう、技能訓練センターを設けたり、資格取得の奨励、中高年向けの大学講座の開設・開放、サバティカルリーブ(研究や自己啓発のための長期休暇)制度の採用なども一考に値するものと思われる。条件さえ許せば、場合によっては、自己啓発のための経費については所得から一部控除するなどといった施策の導入も検討する価値があるのではないだろうか。

 以上のような施策により、家計部門の行動様式が変化してくるなら、企業部門、政府部門、教育部門などが活性化し、ひいては社会全体がヒューマンキャピタルや知識・情報集約型産業の育成、高齢・福祉サービスの高度化に舵を切り替えていくことにもなる。その結果、新たなビジネスチャンスが拡大し、人間が豊かに能力を発揮し、ますます社会に貢献することが可能になってくることと思う。

企業によるイノベーションの必要性

 家計部門の行動変化を促すというシナリオが現実のものとなるためには、やはり最終的には企業のイノベーション、新産業の発達、雇用機会の創出という前向きの流れが始動するか否かが決め手となる。その意味でも、民間経済主体の自助努力こそが構造問題解決ヘの突破口である。構造改革は他人のためではなく、自分自身のため、自分の子孫のためにやるものである。また、上から与えられて行うものではなく、自ら参加して行うものであるということを改めて認識することが大切である。幸い、ここに来て、政府や財界でも供給面やストック面を念頭に置いた様々な構造対策に取り組む姿勢が明確になってきている。既に申し上げてきたとおり、構造改革は極めて広範に亘るものであるだけに、立場や哲学の違いによって評価も変わってくる。それだけに、今後、広く英知を集めて、公平で実効性のある構造対策が実行されていくことを強く期待している。もし、そうした努力の積み重ねにより、経済に動意が出てくるなら、これまで実施してきたマクロ政策の効果も本格的に発現してくるのではないかと思っている。

経済と金融の関係

 先に述べたように、90年代においては経済と金融が「負の連動関係」にあった。しかし、金融の超緩和政策が取られ、金融システムについても安定化の枠組みが形成された以上、一旦実物経済に動意が出てくれば、金融と経済が「正の連動」に転換出来る可能性が──少なくとも以前よりは──期待出来る状況になってきたのではないか。

 ただ、ここで注意すべきなのは、金融は実物経済の影であるということである。影が主人を動かすことは出来ず、まずは主人が動かなければならない。そして主人が動く時には伸縮自在について行くのが影であろうかと思う。今の日本経済は、体の冷えきった人のようなものであり、冷えきった人に金融という水を飲んでもらおうとしても無理である。その人が体を動かすことで体温が上昇し、水分不足から水を欲する時には欲しいだけ水を供給することこそ、金融と経済の正しい意味での連動なのではないかと思う。デフレについても同様のことが言える。意図と目的を明確にした構造対策により経済を動かすことで、その延長線上に期待成長率が上昇してくるイメージが持てるのであれば、自然な形で物価に対する上昇期待も形成されるのではないか。また、そういう方向で政策の舵取りをしていくことが大切なのではないかと思う。

構造調整とデフレ圧力

 最後に、構造調整の議論をする際には必ずといって良いほど「構造調整も大切だろうが、そこから生じるデフレ圧力はどうするのか」という議論が出てくる。しかしそうであるからこそ、転換促進型の構造調整、アクティブセーフティーネットが必要なのである。デフレ圧力ばかりに目を向けてしまうと、「取敢えず総需要政策で対応しよう」という結論になってしまいがちである。我々は高度成長期の終焉以降、これまで何度そうしたことを繰り返してきただろうか。また、その結果、日本経済に内在する真の問題が解決出来たであろうか。そうしたことを考える時、確かに総需要政策は重要な政策手段ではあろうが、それだけで総ての問題を解決出来る訳ではない、ということが理解出来ないだろうか。やむなく「取敢えず」の対策をとる場合でも、こうした構造改革問題に対し──出来れば長めの時間軸に沿って──将来に対するしっかりしたイメージを持てるような方向で取り組んで行くことが何よりも大切ではないかと思う次第である。

以上


(参考)席上配布資料

「そして経済は動いた」─そう言える日のために─

1999年 5月 31日
日本銀行審議委員
武富 将

  • I.「希望の10年」に向けて、いま、なにを為すべきか?
    • ──国民一人ひとりが、それぞれの持ち場から考える時
  • II. 財政・金融政策に対する反応が鈍くなった日本経済
    • 1.財政赤字の拡大や超低金利の維持が長期化
    • 2.いま必要なのは、マクロ政策による環境整備の下で、セミマクロ・ミクロ段階の構造転換が経済の「うねり」を触発すること
  • III. 背景に、戦後経済の総決算たる構造調整圧力の残存
    • 1.ニクソンショック・第1次石油危機で成長の枠組みが転換
      • (1)爾後、為替変動と格闘する歴史
        ──円高と国内経済構造との不整合状態が拡
      • (2)プラザ合意、前川リポートを経てもなお、構造調整は未達
      • (3)バブルは構造的な歪みを増幅
      • (4)90年代には新旧6つの構造調整圧力が累積し不況が長期化
    • 2.産業は、コスト削減・B/S調整・2極分化などの圧力に直面
      • (1)大競争の下で、高コスト体質(損益分岐点比率の悪化)や大幅な需給ギャップが鮮明な形で表面化
        ──売上高が伸び悩む中で利益を確保するためのリストラ
      • (2)産業側の不稼働・低採算資産に見合う負債は、金融機関側の不良債権と表裏一体
        ──産業と金融の負の連動(信用仲介機能の低下、貸し渋り、投資抑制などの連鎖)
      • (3)要素価格の均等化圧力などが、企業の価格決定力を剥奪
        ──なかでも、低生産性分野の収益力低下が定着
    • 3.貯蓄・投資の不均衡拡大は累積した構造問題の一つの帰結
      • (1)定説を覆す貯蓄性向の高止まり
      • (2)資本ストックの積上がり・期待成長率の下振れによる設備調整の長期化、投資尺度の国際標準化に適う投資機会の不足
      • (3)貯蓄超過の下でリスクキャピタルが不在
  • IV. 構造問題を切り崩し、経済を動かすためには、軸足を供給・所得・ストックに置く対策が、この局面では有効
    • 1.全体を貫く4つの理念:リスクテイクの許容、働きに応じた所得、温存型より転換促進型、自己責任
    • 2.供給側からは、生産性向上・潜在成長力嵩上げ路線に沿った対策の体系化
      ──規制撤廃、技術革新・新商品開発、活力誘発型の税制、ヒューマンキャピタルの活性化
    • 3.所得側からは、将来不安の払拭と合理的な所得形成・分配構造の構築
      ──受益と負担の適正化、生産性・生計費格差の素直な反映、財政の所得再分配機能や旧来型の賃金決定方式の見直し
    • 4.ストック面では、劣化した既存の供給ストックの処理・再構築
      ──可能な範囲で市場原理活用型のスキームの採用
      雇用は技能高度化を伴う前向きな流動化策
  • V. 構造調整に対する国民の期待は、雇用機会の確保、公平な所得分配、実質可処分所得の維持、不安なき生活の生涯設計など
    • 1.一つのアイディアとして、「将来に亘る一世帯当り実質可処分所得の現在価値(割引率所与)を出来るだけ大きくする」ことを経済構造改革の座標軸にしてはどうか
    • 2.労働力人口の伸び悩み・経済の成熟化の下で、ゆくゆく、以下のようなベクトルを指向せざるをえない見込み
      • ──ハッピーリタイアメントを優先した高生産性・高賃金
           一世帯当りの就労者数を増やす形の所得拡大(女性と中高年者の労働市場参入比率の上昇)
    • 3.これを可能ならしめる社会インフラの拡充
      • (1)子供や要介護者を安心して預けられる施設の整備(託児所、介護士派遣などのサービスをフレックスタイム化、など)
      • (2)時代に合った先端技能・知識を身に付ける制度の構築(訓練センター、大学講座の開放、資格取得奨励、サバティカル・リーブ、費用の条件付き所得控除、など)
    • 4.社会全体が、人材育成、知識・情報集約型産業の促進、高齢・福祉サービスの高度化などへ舵の切り換え
  • VI. 目的と意図が明確な構造改革によって、停滞感の強い経済が動き始めることを期待
    • ──民間経済主体の自助努力が問題解決の推進力(他人のためでなく、自分のため、次世代のため)
    • 1.これによって、これまでの金融緩和・金融システム安定化などの政策効果が本格的に作動する蓋然性は高まる
    • 2.いまは、経済と金融を「負の連動」から「正の連動」へ戻すことが可能な、かけがえのない節目
    • 3.期待成長率が嵩上げされることによってデフレ懸念が自然に解消する正統的な問題解決へのアプローチを慫慂

以上