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鹿児島県金融経済懇談会における植田審議委員冒頭スピーチ要旨

「金融政策の考え方:先見性(forward lookingであること)が重要」

1999年 7月 1日
日本銀行

 本日は金融政策運営においては、先見性(forward lookingであること)が重要だという視点から、最近の日本の金融政策運営について説明してみたい。「先を読んで現在の金融政策スタンスを決める」ということは、当然のことと受け取られようが、実はそう簡単ではないし、そうした態度をとろうとすると、金融政策の様々な側面を規定することになる。

  1. 日銀の審議委員に就任以来、私は出身が学界であるので、常に様々な経済理論がどの程度金融政策運営に際して有用かという観点から物事を見てきた。感じたことは、いわゆるマネタリズムの考え方は、その最大の結論(貨幣供給を安定的に保つべし)をそのまま適用することは技術的に困難だが、その結論に至る思考プロセス、すなわち、政策のラグや先行きの経済動向の不確実性を十分認識して意思決定すべきだという精神には改めて共感を覚えることが多い。
  2. やや具体的にマネタリズムの主張を実際の日本経済と重ねあわせてチェックしてみたい。

     第一に、金融政策(マネタリズムの主張をそのまま採用すれば貨幣供給量)がしばしば経済に強い影響を与えるという主張がある。これは否定する事は難しいだろう。第二に、金融政策はラグをともなって経済に影響するし、ラグの長さは事前には不確定だったりするという。これもそのとおりだ。例えば、日銀は1986年1月から5回公定歩合を引き下げたが、景気は86年11月にはボトムを打っている。1989年の春より金融引締めを開始したが、この時は資産価格が下落に転じるのに1年、景気がピークを打つのに2年弱かかっている。さらに、1991年7月から金利引下げに転じたが、景気のボトムを見るには93年10月を待つ必要があった。このように、長くて変動するラグが金融政策効果にはつきまとう。

     マネタリズムの第三の主張は、そうであるならあまり金融政策を頻繁に動かすよりは、より禁欲的に、もっとも大事な変数であるマネーを安定的に一定の伸び率で成長させることにし、むしろ政策が経済の撹乱要因になることを抑えるべきだというものだ。例えば、現在景気が悪いからといって金融を緩和すると、それが効果を現わすのは数年後であるのに、そのころには他の理由で経済は立ち直っていて、むしろ景気過熱やインフレを招いてしまうことになったりする。この第三の主張は重要な指摘ではあるものの、マネーの伸びを安定的に保てば経済も安定化するという意味だとすると、残念ながら、日本経済に当てはまるとは言い難い。1995年から98年(暦年)と4年間M2+CDの対前年比平残伸び率は3.0−4.0%の間できわめて安定していた。(ただし、政策の結果ではない。)ところが実質GDP成長率は1.5、5.1、1.4、-2.8%と大きく変動している。より狭いマネタリーベースの対前年比伸び率は、昨年初以降足元までの月次データで見ると、低くて3.6%、高くて10.1%と大きく変動している。しかし、平均的には、1998年秋までの3、4年程度きわめて高い伸びを記録している。つまり、マネタリーベースの伸びが高くなれば、景気が良くなるとも言えない。

     このようにマネーの伸びが不安定になったり、安定した伸びでも経済が不安定になったりするのは、マネーに対する需要はきわめて不安定だからである。流動性の高い投資信託の登場やクレジットカード、電子マネーといった金融の技術革新も一因だが、最近の日本では金融システムに対する不安心理の広まりが、株や投資信託のようなリスクのある資産から相対的に安全なマネーへ、さらにより安全な現金へ、という動きを起こしたことが重要である。

     要するに、金融政策はあまり動かず禁欲的であるべしとの主張には一理あるが、どういう状態が不動の状態かを定義するのは難しい。マネーを一定に保っていても金融政策の経済への影響度は上下に変動していることが多い。従って、世界中のほとんどの中央銀行が、現在ではマネーの量ではなくて金利を政策の手段ないし操作目標としている。その上で、禁欲的であるべきというよりは、金融政策を経済の安定化のために用いるべきだという考え方が有力である。しかし、金融政策はラグを伴いつつ、しばしば強く効くので注意深く使わなくてはいけない。そのためには、先見的(forward looking)でないといけないということになる。先日の議会証言でもFRBのGreenspan議長は、金融政策は最低1年先の経済動向を読んで決定すべきだと述べている。

  3. 以上を前置きとして、最近の日本の金融政策について論じてみたい。

     今年の一つのポイントは、実質ゼロ金利政策を決めた2月12日の政策決定会合だ。先に論じたこととの関連では、この時の判断も先見的(forward looking)なものであったと言える。当時の、あるいはその前後の議事要旨をご覧いただくと、多くの委員が「足元の景気は下げ止まり、しかし、年後半以降再び悪化のリスクあり」言い換えれば、「財政政策からの刺激で足元は支えられているが、これが今年後半から来年にかけて民需の自律的、持続的な回復につながるかどうか」という点を懸念していたことが判明しよう。

     その後、1か月ほどかけてゼロ金利を達成し、短期金融市場に格別の混乱が発生していないことを確認した後、4月9日の決定会合で一つの合意が形成された。これが二つ目の大きなポイントである。すなわち、4月13日に記者会見で総裁が表明したように、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで、ゼロ金利を続ける」ということである。当時、「ゼロ金利」政策が比較的短期間で終了してしまうのではないかとの不安が市場の一部にあったとみられ、それによって政策効果が弱まるのを打ち消す狙いがあったわけである。

  4. この一連の政策は市場に大きな効果を及ぼした。一言で言えば、様々なリスクプレミアムが大幅に縮小した。短期金融市場では、ターム物についていたプレミアム、あるいはジャパン・プレミアム等が、大幅下落ないし消滅した。もちろん、金利水準も大きく低下した。さらに、国債金利もコールレートの下落幅を大きく上回って低下、株価も上昇した。1月にかけての円高傾向も修正された。要するに、ゼロ金利によって投資家はある程度のリターンを稼ぐためには、リスクをとらざるを得ないという状況に追い込まれ、リスクプレミアムが縮小したのである。
  5. 先ほども指摘したように、金融政策の実体経済への影響にはラグがある。現在は以上のように政策に反応した金利や資産価格の動きが、実体経済の刺激につながっていくかどうかを見守っている時期である。今日7月1日はようやく2月12日から5か月弱であり、政策効果が実体経済面で出尽くすのはまだまだ先になろう。従って、一部にあるこの段階での追加金融緩和論は、あまりに性急な議論といえる。
  6. さらに、追加緩和論の一部には現行の政策スタンスについての誤解が散見される。これについてやや詳しく触れてみよう。

     例えば、量的緩和という考え方がある。まず、その技術的な側面について一言コメントしたい。従来からの日銀の金融調節スタンスは次のようなものである。朝方の積み上、下というある種の量(言い換えれば、朝方における夕刻の準備預金額の予想)を動かしつつ、操作目標であるコール・レートという金利を目標水準に誘導する。ただし、日々を超えた期間についての預金準備、あるいは、より広い概念のマネタリーベース、M2+CD等についての目標を持っているわけではない。この点は今でも同様である。もちろん、コールレートをゼロに誘導していく過程では、年度末等の特殊日を除いても積み上2兆円近い日もあったし、金利が下がった効果が他の要因に加わって、マネタリーベースの伸びも1月の3%台から足元6%台へと増加している。しかし、繰り返すが、こうした量に目標を設定しているわけではない。金利政策の結果として、量も動いている。かりに、今後金利についてのスタンスが変化しない中で、マネタリーベースの伸びが低下することがあったとしても、日本銀行が金融を引き締めようとした結果ではない。

     これに対して、いわゆる量的緩和政策では、例えばマネタリーベースに10%というような明示的な目標を設定することになる。こうした政策の意図するところを今一度振り返っておく。通常は、量的緩和もその効果を金利を通じて発揮する。では、金利引下げ策とどこが違うのだろうか。コールレートを1%引き下げる政策は、それが十分な景気浮揚効果を持たなかったとしても、次に金利を引き下げるまでは追加の緩和効果は発生しない。これに対して、量を増やす政策では、当初金利が低下するが、その後景気が低迷すれば、資金需要の減少から自動的に追加の金利低下が発生する。この意味でデフレ阻止に向けてのコミットメントがより明確なわけである。

     現在の政策スタンスは、量的緩和の意図する金融緩和への強いコミットメントを別の形で表現したものと解釈できる。例えば、2月から3月にかけては、オーバーナイト物とは言え、最低水準までの引き下げが実行された。さらに、4月以降、この実質ゼロ金利をデフレ懸念払拭まで続けるということを宣言した。この結果、金利を使って出来ることはぎりぎりまでやるという意思を示したわけである。量が金利を通じて効くとすれば、量的な政策で打ち出せる緩和へのコミットメントは既に現行政策スタンスに含まれていることになる。実際、リフレ政策を薦めているKrugmanもその論文の中で、自分の政策を実現するためには、少々景気が回復しても金利を上げないと宣言するだけで良いと述べている。もちろん、Krugmanはおそらくインフレ率が5、6%になるまで金利を上げないことを念頭に置いているのに対して、われわれはそこまでゼロ金利を維持するつもりは無いという点は大きな違いであろう。

     従って、ここから明示的な量的緩和政策に移ったとしても一部で信じられているほどの追加緩和効果は無いという点にも注意が必要だ。マネーの量を増やすといってもただで人々に貨幣を配るわけではなくて、人々が保有している例えば、金利0.03%のTBと交換するわけである。この行為が直接支出を刺激するとは考えにくい。マネーを更に増やせば、現在既に巨額に上っている銀行部門の超過準備が上昇するが、そうなると銀行貸出が増えるという声は聞かれない。もちろん、為替レート等の他の資産価格を通じる効果があるかもしれない。しかし、これも通常は金利が下がるから円が安くなるのであって、その部分はほぼ出尽くしている。繰り返せば、量的緩和のもたらす効果のうちのかなりの部分は既に現行政策に含まれている。残りの部分はゼロではないが、それほど大きくも無い。さらには、後で述べるような技術的な難しさ、副作用もある。

     金利が下がらなくなった後も、量に対するコミットメントが期待インフレ率を高め、実質金利を引き下げることによって需要を刺激するという考え方もある。しかし、上でも述べたように、金利が下がって需要を刺激するという途以外に、将来どのようにして物価が上昇するという展望がもてるのかは不透明である。

     量の政策と現在の政策とが近い効果をもたらすなら、そもそも量の政策を採用しても良かったのではとのもっともな疑問もあろう。これに対する答えは既にお話したことに含まれている。最近は、金融システムに対する不安心理の振れ等を原因に貨幣に対する需要が大きく振れてきた。さらに、ゼロ金利政策の結果、貨幣とその他資産との代替性はきわめて高くなったと考えられる。すると、ちょっとしたことで貨幣からその他資産へ、あるいはその逆方向にというシフトが起こりやすい。つまり貨幣に対する需要がきわめて不安定に変動する。例えば、先に述べたように、ここ1年程度でもマネタリーベースの伸びは3%から10%の間を変動している。貨幣需要が不安定なときに適切な量の伸び率を選択するのは難しい。無理に貨幣の量を安定的に保とうとすると、逆に金利が大幅に変動する。つまり、貨幣の伸びを安定化させることが逆に経済を不安定化させてしまうリスクが大きい。また、技術的な側面を付け加えれば、貨幣の量を増やすためにオペを打っても金利がゼロに近いために、オペが未達に終わるという現象も見られた。これは無理に貨幣の量を伸ばそうという政策の難しさを示している。もちろん、オペ未達は、実質ゼロ金利政策にとっては障害とはならない。金利がゼロから上昇しようとするときは、資金需要があるのでオペが打てるからだ。

     それなら量を増やす困難は別にして、いっそ20%や30%を目標にしたら良かったのでは?あるいは、こうした政策は現在でも採用に値すると考える人もいるかもしれない。当面インフレの心配はなさそうだし、量的緩和の追加効果が小さいなら緩和の幅を大きくしたら良いという考え方である。インフレ率が1%や2%に達したところで初めてマネーの伸び率を下げれば良い。こうした考え方の問題点は、政策のラグの話を十分考慮していない点にある。既に論じたように、こうした政策は現状に比べてほとんど追加的効果を持たない可能性が高い。他方、確率は低いが、何らかのメカニズムを通じて、景気刺激に成功するかもしれない。その場合でも、インフレになるには時間がかかる。当初、マネーの伸びを極端に高め、1%や2%のインフレ率を見てから引き締めるという政策を採用すると、政策効果のラグゆえ、インフレ率は少なくとも一旦かなり高い率になるというリスクがある。なぜなら、引き締め後も当面はそれまでの20−30%のマネー増発の影響が続くからである。さらには、こうした状況の蓋然性が高いと市場が判断すれば、期待インフレ率は上昇し、長期金利は下落ではなく、上昇することにも注意が必要である。

     つまり、期待インフレ率を高めるという方向で量的緩和が成功すれば、長期金利は上昇する。ただし、金利から期待インフレ率を引いた実質金利は下落する。また、量的緩和が財政赤字のマネタイゼーションに進むという懸念を市場が抱いたとすると、インフレが将来どこまで進むかわからないという不安が発生する。過去、財政赤字のマネタイゼーションに進んだ国が経験したインフレ率は半端な値ではない。しかも、インフレ進行の程度に対する不安心理自体が、リスクプレミアムを発生させ、金利の上昇幅を大きくしてしまう可能性も無視できない。

  7. 「デフレ懸念の払拭が展望できる情勢になるまで..」という表現は不透明だという批判はやや行き過ぎかと思う。これをより明示的なターゲティング政策、例えば、「CPIインフレ率が0−2%に達するまで、ゼロ金利を続ける」と比較してみよう。

     一つ前置きをすれば、こうした明示的な数値目標を掲げにくい理由はいろいろある。そもそもこれが最適というような価格指数は存在しない。また、現状ではCPI,WPI,CSPI、GDPデフレーター等が異なった動きを示している等々である。

     さて上のようなターゲティングは、そのとおり実行されればゼロ金利解除のタイミングも明快である。しかし、こうした政策をそのまま実行するわけにはいかない。何度も繰り返すように政策効果発現にはラグがあるからだ。従って、例えば、「2年後のインフレ率の予想が0−2%に達すれば..」という表現になる。予想インフレ率と足元のインフレ率を含む様々な変数との間に単純な関係を求めるのは無理だろう。予想をするのは中央銀行だから、結局はその総合判断ということになる。総合判断の結果、予想インフレ率が決まり、それに基づいて現在の調節スタンスが決められる。実際、インフレーション・ターゲティングを採用している多くの国がこうしたアプローチを用いており、それが完全なルール型政策ではなく、若干の制限付の裁量政策であることを認めている。つまり、ターゲティング政策を明示的に採用している国でも、緩和や引き締めのタイミングには不確実性がつきまとう。

     「デフレ懸念払拭が展望できるまで..」をやや敷延すれば、「懸念」及び「展望」という言葉に政策スタンスが先見的(forward looking)であるという思いがこめられている。つまり足元の経済状況に反応するのではなく、かなり先、それも数ヶ月というような単位ではない先、を見通した場合に、深刻なデフレに陥るリスクがあるかどうかが判断基準ということだ。この判断について、われわれは、議事要旨・総裁会見に加え、毎月の「金融経済月報」において、将来の景気・物価動向に関する見方を努めて簡潔・明瞭に示すよう努力しているところである。

  8. 先頃発表された99年第一四半期のGDPデータが示すように、当面の経済状況は下げ止まりの感がある。しかし、多くの人の懸念は、足元の景気の下げ止まりが財政からの刺激によって支えられており、その効果が減退し始める今年度後半以降に民間需要が自律的な上昇軌道に乗っているかどうかという点である。現在の金融緩和策ももちろんこの部分に働きかけようとしているわけである。今後、様々な経済指標が発表されていくが、その多くはこうした将来の経済動向というよりは足元、あるいはむしろ過去の経済に関する情報をより多く含んでいる。先見性(forward lookingであること)を重視する中央銀行としては、こうした指標に一喜一憂することなく、しかし、その総体から将来についての情報を可能な限り読み取って、政策決定にあたっていくのが基本である。いずれにせよ、デフレ懸念が払拭できたという展望が開けるまでには、まだまだ時間をかけて多くの経済指標を見ていかないといけないというのが私の素直な感想である。

以上