公表資料・広報活動

ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 1999年 > 日本経済の中長期的課題について── 平成11年7月27日・共同通信社主催「きさらぎ会」における日本銀行総裁講演

日本経済の中長期的課題について

平成11年7月27日・共同通信社主催「きさらぎ会」における日本銀行総裁講演

1999年 7月27日
日本銀行

1. はじめに

 本日は、きさらぎ会の講演会にお招きいただき、こうして各界でご活躍の皆様方にお話しする機会を得られましたことを、たいへん光栄に存じます。

 折角の機会ですので、はじめに、日本経済の現状について申し上げ、その次に、本日の主題であります、日本経済を本格的に再生していくために避けて通れないと思われる構造面の課題について、私なりの考え方などをお話しし、皆様方のご理解を得たいと考えています。

2.最近の経済情勢と今後の展望

 それではまず、最近の経済情勢と今後の展望について、日本銀行の見方を申し上げたいと思います。それは、一言で申せば、「足許の景気は下げ止まっており、企業の業況感も幾分改善している。しかし、民間需要の自律的回復のはっきりとした動きは、依然みられていない」というものです。景気の下げ止まりは、公共投資や住宅投資といった政策関連需要が増加していることや、そうした最終需要や企業の慎重な生産姿勢の結果として在庫調整が進捗していること、また、日本銀行のゼロ金利政策や金融機関に対する公的資本投入等の結果、金融環境が好転していることなどを背景としています。この間、春先以降株価が大幅に上昇しているほか、短観等でみた企業の業況感も改善をみていますが、こうしたマインド面の変化には、今申し上げたような最終需要の動きや生産・在庫面の好転だけでなく、先行きの景気や金融環境の改善に対する期待感が込められているように窺われます。

 しかし、そうした期待が現実のものとなり、景気が自律的な回復軌道に乗る展望が拓けるのかどうかは、現時点では、なおはっきりしていません。その理由は、次のように整理することができます。

 まず、景気の先行きに対するマイナスの要因としては、第一に、公共投資による景気の下支え効果がいずれ減衰してくること、第二に、企業がリストラ努力を重ねていく過程で経済に縮小方向への調整圧力がかかることです。個々の企業レベルでは賢明にみえる経営戦略も、経済全体としてみると望ましくない結果を招く場合があります。リストラのしわ寄せにより所得環境が厳しくなる雇用者が支出を切りつめ、リストラによってキャッシュ・フローが好転する企業の方では、それを支出に回さずに溜め込んでしまう──あるいは借金の返済に回してしまう──ということになると、経済は「倹約のパラドックス」と呼ばれる縮小均衡に陥ってしまいます。

 もちろん他方で、景気の先行きに対するプラス要因もいくつかあります。問題は、そうしたプラスの要因がマイナス要因を凌駕していけるほどに強いものであるのかどうかという点でしょう。

 そのプラスの要因について、具体的に申し上げると、まず第一に、リストラによって企業の収益が好転する——あるいは、それを期待して株価が上昇する——という効果が考えられます。ただ、先にも申し上げたとおり、その景気へのプラス効果は、企業の支出行動が消費者の倹約行動を上回って活発化する場合にはじめて現われてくるものです。

 第二に、金融システムの安定確保に対する政府の諸施策や、日本銀行による金融緩和措置の効果が経済全体に浸透していくことによって、家計や企業のマインドが多少は解きほぐれてきており、ひいてはそれが、家計や企業の支出意欲の回復に繋がっていくという効果です。この点、確かに家計部門については、所得環境が厳しさを増す中でも、個人消費は減少することなく持ちこたえており、ある程度の効果が現われ始めていると言えなくもありません。しかし、短観等の設備投資計画が端的に示すように、企業部門の支出意欲はなお冷え込んだままです。また、金融機関では、リスク管理技術の向上を図りつつ、適切な貸出利鞘を確保した上で融資を伸ばしていこうと努力していますが、資金需要自体が乏しい中にあって、具体的な貸出の増加には繋がっていません。

 第三のプラス要因は、海外経済──とくにアジア──の回復です。東アジア経済は、中国が幾分減速しているものの、韓国が回復過程に入っているほか、タイ、フィリピン以外にマレーシア、シンガポールでも底入れの動きが拡がっているなど、持ち直しつつあり、日本においても輸出や生産への好影響が見込める状況になってきています。

 

 こうしてみていきますと、景気のプラス要因は、海外要因を除けば、企業の活動がいつ積極化してくるのかという点が決め手だということが解ります。この点、このところの企業の業況感改善は勇気づけられる材料ではありますが、残念ながら足許までの経済指標や設備投資計画には目立った動意が窺われていません。すなわち、国内民間需要を中心とする自律的な回復の展望が拓けたと判断するに足る材料は揃っていないというのが、現時点での私どもの見方です。また、只今申し上げた状況からみて、物価面では、このところ落ち着いた動きとなっているとは言え、潜在的には下落圧力が残存し続けるものと考えています。

 日本銀行が、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで、現在の思い切った金融緩和基調を維持し、経済活動を引き続きしっかりと下支えしていくこととしているのも、まさにこうした状況を踏まえてのことです。

3.封じ込められている日本経済のダイナミズム

 しかし、ここで気をつけなければならないのは、財政支出の拡大や金融の緩和といった総需要刺激策は、短期的な景気対策としては有効であっても、日本経済が直面している課題のすべてを一気に解決してしまうような万能薬ではないということです。

 振り返ってみると、90年代の日本経済は、戦後例をみないほどの低成長を余儀なくされた10年でした。この間、財政・金融の両面から幾度となく景気刺激策が打たれましたが、これらに対する経済の反応は総じて鈍く、民間需要を軸とする経済のダイナミズムがなかなか復活しない状況が、今日に至るまで続いているのです。その理由は、「刺激策が不十分だったから」という一言で片づけられるようなものではありません。この間の民間需要の弱さを考えると、この長期低迷の背後には、むしろ、経済のダイナミズムを封じ込めてしまっている何らかの「構造的な」要因があると考えるのが、自然ではないかと思います。もしそうであるならば、仮に景気が回復するとしても、マクロ政策による刺激だけで息の長いものとなることは期待すべくもありません。日本経済を中期的に再生していくためには、そうした構造的な要因をひとつひとつ解消し、日本経済のポテンシャルを引き出していくという骨の折れる作業がどうしても必要になるのです。またそれは、金融政策や財政政策がその機能をフルに発揮していくために必要な条件でもあります。

 後に詳しく述べますが、構造的要因の多くは「サプライ・サイド」と呼ばれる経済の供給側に根差した問題であり、直していくためには、国民に対して適切なシグナルを送り、インセンティブを与えていくことから始めなければなりません。しかも、そうした「サプライ・サイド」の対応は、かつての米国のレーガノミックスや、英国のサッチャリズムの経験が示すように、その過程では様々な痛みを伴うこともありますし、改革が国民に根付いて本当の成果が現れるまでにかなりの懐妊期間を要する面も、恐らくあるでしょう。だからこそ、日本経済が抱える構造問題の性質やその処方箋のあり方について、コンセンサスの醸成が急がれるのです。

 本日は、経済のダイナミズムを封じ込めている構造的な要因とそれを取り除いていくための方策について、私なりに重要と思うものを採り上げてお話ししてみたいと思います。無論、一口に「構造問題」と言っても、広い意味で捉えれば、人口問題、教育問題、環境問題等々まで範疇に含めるべきという方がいらっしゃるかもしれません。しかし、本日は、時間の許す中で、特にマクロ経済のパフォーマンスを左右する度合いが高く、しかも相互に関連の深い次の3つの問題に絞ってお話しすることにします。予め項目だけを列挙しておきますと、その第1は、企業のバランスシート健全化の遅れ、第2は、日本経済のグローバル化による成長メカニズムの変質、第3は、貯蓄と投資のインバランスです。

4.企業のバランスシート健全化の遅れ

 日本経済が抱える構造問題として、まず最初に挙げなければならないのは、バブル経済とともに膨れ上がった資産や負債の処理がまだ終わっていないという点です。バブルの崩壊とともに、まず強気の経営計画をもとに大きく負債を膨らませた企業の経営破綻が相次ぎ、その中で金融機関の不良債権が増加していきました。そのことは、自己資本の毀損を通じて金融機関のリスク・テイク能力を減退させ、経済の血液とも言うべきお金の流れを滞らせることとなりました。さらに、一部金融機関の経営破綻をきっかけとして金融システムに対する信認が低下し、預金者や金融市場の動揺を招いたことが、企業や家計のコンフィデンスを悪化させるルートを通じて、一昨年から昨年にかけての景気悪化の要因の一つとなったのだと思います。

 幸い、金融機関の不良債権処理は金融機関の自助努力に加え、政府による大手銀行への公的資金投入の効果もあって、少なくとも会計上の処理という観点からは相当前進しているように思います。しかし、金融機関は、不良債権のバランスシートからの切り離し等、抜本的な処理に向けて、一層努力していくことが必要です。

 さらに、より重要なことは、バブルによってバランスシートが毀損したのは、既に破綻した企業やそこに融資していた金融機関だけにとどまらないということです。存続が危うくなるほどではないにしても、バブル当時に需要を読み違えて過大な設備投資を実施してしまったり、後で冷静に考えてみれば全く不採算の新規事業に手を出してしまった企業も少なくなく、そうした企業は、資産効率の悪化や負債比率の高止まりに苦しみつつも、借金だけは滞らせずに返済しているというのが現実です。最近、産業界でよく話題になる「過剰設備」や「過剰債務」の問題は、景気循環的な側面はあるとしても、基本的にはこうした脈絡の中で理解すべきものだと思います。

 企業部門におけるバランスシートの健全化が遅れ気味であることが、低金利の下でも設備投資がなかなか回復しないことの底流にあることは間違いありません。財務体質改善が進まない企業に対しては、たとえ好採算の新規投資案件があったとしても、金融機関の側で追加的な融資に慎重にならざるを得ません。またその背景には、プロジェクト・ファイナンスのように、企業自身のリスクを離れて事業のリスクに対してファイナンスを行う金融取引手法が十分に発達していない、といった事情も指摘されるところです。いずれにしても、企業部門のバランスシートの改善なくして、わが国の経済がダイナミズムを取り戻すことはなかなか難しいように思います。

5.「創造的破壊」が成功した米国

 ところで、「企業部門が不採算の事業や設備を整理していくためにはどうすればよいか」、さらには「不採算部門の整理を行ったとして、そこから経済をどのように活性化させるのか」ということを考える場合には、過去20年余りの米国経済の経験をみることが、参考になると思います。現在好調を極めている米国経済も、70年代から80年代にかけては、生産性の伸び悩みが大きな問題となり、80年代後半から90年代初頭には、バランスシート調整も問題となりました。そうした米国経済が、閉塞状態を抜け出すのに大きな役割を果たしたのが、レーガン政権以降の規制緩和による競争促進、産業活性化の流れであり、また、「リエンジニアリング」と呼ばれるような企業レベルにおける生産・経営プロセスの見直し等であった訳です。

 したがって、こうした米国経済を振り返ることは、バランスシート問題だけでなく、これから日本経済が生産性を引き上げ、中期的な経済のダイナミズムを取り戻すための構造調整のあり方を考えるうえで、意義があると思います。

 やや具体的に申し上げますと、91年3月をボトムとした米国の景気回復は、当初、雇用や個人消費のめぼしい回復を伴わなかったため、「ジョブレス・リカバリー」などと評せられました。しかし、それが次第に設備投資と雇用の両方の増加を伴った本格的な景気回復へと姿を変えていき、現在に至るまで8年以上もの景気拡大が続いています。米国経済の今後については様々な見方があり得ると思いますが、少なくとも、これまでの米国経済の成功の背後に、シュンペーターの言う「創造的破壊」のメカニズムが見事に働いていたことが数多く指摘されている点は、注目に値すると思います。

 まず、多くの企業は「リエンジニアリング」や「コア・コンピタンス強化」といった掛け声の下に、不採算部門の徹底した売却や整理を行い、情報化技術を駆使しながら採算性の高い部門に経営資源を集中させていきました。これは株価の上昇をもたらし、M&A等によってさらに得意な事業分野を拡大していく素地をもたらしました。次に重要な点は、企業が経営の効率性を高めるために、一斉に情報化投資を活発化させたことを背景に、多くのハイテク・ベンチャー企業が、折からのインターネットの普及拡大もあって急成長を遂げたことです。また、流動性の高い労働市場の下で、不採算部門の整理によって職を失った労働者が、ソフトウエア産業や医療、介護をはじめとするサービス業といった成長分野にスムーズに移動できたことも、大きな助けとなりました。

 こうしたいくつかの要素が重なり合って、米国の産業構造はこの10年余の間に大きな変貌を遂げました。戦後50年間の米国の産業史を振り返ってみると、50年代から70年代にかけては、自動車会社のビッグ・スリーや、大手石油会社、鉄鋼会社など、大企業の顔ぶれにはほとんど変化がありませんでした。ところが、70年代と90年代を比べてみると、20年前には設立すらされていなかったハイテク企業が、米国を代表する大企業のリストにズラリと名を連ねているという単純な事実が、「創造的破壊」を象徴しているように思います。

 翻って、日本ではどうだったのでしょうか。確かに、50年代以降、高度成長期までは繊維産業や、鉄鋼・化学をはじめとする重厚長大産業が日本のリーディング産業としてまず発展し、その後70年代には新たに自動車や電気機械メーカーが台頭することで、大企業の顔ぶれは大きく変わりました。しかし、70年代と90年代とでは、大きな変化は見受けられません。

 無論、既存の大企業でも、技術開発には熱心に取り組んでいますから、「新しい企業が無いと経済は成長できない」といったことを申し上げるつもりはありません。米国でも、20年前と殆ど同じ会社とは思えないような変貌を遂げている大企業の例はあります。しかし、「その本当の意味において企業家の機能は単に企業を営むことでなく、企業を創出することによってのみ発現される」というシュンペーター自身の言葉を思い起こすと、日本経済をリードするような新しい企業が近年あまり生まれてこないことには、寂しさを禁じ得ません。こうした米国経済躍進の原動力は、やはり「競争による活性化」であり、さらに付け加えるとすれば、それを支える「リスク・テイクの風土」であったのだと思います。わが国においても、競争を繰り広げながら、既存の企業が経営資源の得意分野への集中を図る一方で、新しい産業や企業群が新たに雇用を創出し、全体としてバランスのとれた成長を遂げていくというメカニズムが、早期に動き出すことが望まれるところです。その際、大事な点は、設備や技術といった資本ストックや人材等の経営資源が流動化・再配分され、新たな成長分野で活かされていくということにあります。

6.日本経済のグローバル化による成長メカニズムの変質

 米国経済との対比はそのくらいにしておきまして、わが国の構造問題に話を戻すと、「企業のバランスシート健全化の遅れ」という問題の他にも、我々が直視しなければならない問題があるように思います。すなわち、2番目の構造問題は、経済のグローバル化が進み、外国人投資家による株式保有も増加する中で、従来のボリューム志向に代えて、利益率を重視する経営姿勢がわが国企業に広まりつつあるということです。その一方、同じグローバル化によってこれまで規制等に守られてきた産業の利益率は低下を余儀なくされており、この両者が重なる形で、既存の産業構造に大きな調整圧力が働いているという点です。

利益率重視の経営

 まず、わが国の企業経営者が、以前に比べ収益性を重視する方向に変化してきていることは、経済企画庁のアンケート調査等にはっきりと表われています。景気の長期低迷が続き、マクロ的にみると売上高の増加がほとんど期待できない中で、企業がROA(総資本利益率)やROE(株主資本利益率)などの利益率重視に転換することは、ある意味で当然の流れではあります。また、かつて日本の大企業にはいざという時の拠り所として「株式含み益」というバッファーがあり、ある程度大きな損失が出ても、利益を維持することが可能でしたが、景気や株価の低迷が続く中で「株式含み益」への依存が難しくなったことも、企業が将来の利益よりも足許の利益率重視の姿勢を強めていることに少なからず影響しているように思われます。

 そこで、日本企業の利益率の動向をみますと、わが国企業のROA(法人季報ベース)は、80年代に平均して7.8%であったのが、90年代には平均5.1%へ低下しています。こうした違いは景気循環を反映している面もあるのですが、趨勢的に低下している側面があることも否めません。こうした利益率の低下がなぜ生じたのかという理由を、まずみていきたいと思います。

これまでの成長メカニズムの変容と規制で守られていた産業の収益力低下

 日本企業の利益率低下を招いた要因として、まず指摘できるのは、先ほども申し上げたとおり、「企業のバランスシートには、バブルの負の遺産としての不稼働ないし低稼働資産がなお多く残存している」という点です。第2に、雇用維持を重視する経営スタイルを守ってきたわが国企業では、不況が長期に亘る中にあって労働分配率がどうしても上昇してしまい、そのしわ寄せが利益率の低下という形で現われたという面があります。

 今申し上げた2つの点は、民間で続けられているご努力などからして、時間をかければある程度解決が可能かもしれません。しかし、次に申し上げる利益率低下の第3の背景は、日本経済の大きな構造変化を背景とするものであり、一種の不可逆的な変化といって良いように思います。それは、先にも申し上げたように、経済のグローバル化によって、わが国においてこれまで規制等に守られてきた内需中心の産業の利益率が否応なく圧縮され、その結果、大幅な事業の改革が急務となっているという点です。

 この間の事情をやや詳しく申し上げますと、日本経済を長い目で捉えてみれば、戦後日本の経済発展を支えてきた一つの柱が、自動車や電機など生産性上昇率の比較的高い産業であったことは疑いありません。こうした産業は、早くから国際競争に晒されることで、世界トップ・レベルの技術水準を維持し、輸出を伸ばすことで高収益を謳歌してきました。そして、賃金の面でも生産性上昇に見合う伸びが確保され、これが生産性上昇率の劣る内需中心の産業にも波及することで、国民全体の生活水準の向上がもたらされるという仕組みが、わが国ではうまく機能してきた訳です。無論、生産性上昇率の低い産業が高い産業と同じ賃金を払うとすれば、製品やサービスの値上げが避けて通れません。そうした値上げが比較的スムーズに行われたことの背景には、各種の規制や旧来型の取引慣行があったことも、見逃せない要素です。

 ところが、90年代に入って経済のグローバル化が一段と進んでくると、従来の図式に大きな変化が生じました。その契機となったのは、これまで日本経済をリードしてきた産業において海外生産が本格化し、グローバル化した企業が内外のコスト差を強く意識して行動するようになったことです。その当然の結果として、従来国際的にみて高い賃金を享受してきたわが国の労働者も、直接ないし間接にグローバルな競争の波に晒されることになりました。また、グローバル化した企業のコスト重視の姿勢は、国内下請企業や各種の企業向けサービスを提供している企業への値下げ要請というルートを通じて、これまで競争的な環境にはなかった産業の収益性を脅かすという状況も生じています。さらに、消費者の価格を見る目も、海外旅行などを経験したことで、厳しくなってきています。これに折からの規制緩和の流れが加わることで、こうした産業では、かつてのような値上げによる利益確保が益々困難となり、「生産性上昇率が低いにも拘わらず、それなりの収益性を維持し得た」という従来の成長メカニズムに内在していた矛盾が、表面化してきたという訳です。

 経済のグローバル化の流れが後戻りする性格のものでない以上、この3つめの点は時間が経てば解消するというものではなく、まさに日本経済が抱える「構造問題」の一つとみておくべきだと思います。米国では、情報通信分野における技術革新や規制緩和による競争の活性化が、生産性の向上に大きな役割を果たしたと言われていますが、わが国の場合も、そうした技術の助けも借りつつ、競争的な環境になかった産業の生産性を今後どの程度高められるかが、将来の経済の姿を大きく左右することになるでしょう。そこにおいても、ある程度の「創造的破壊」は避けて通れないような気がしますが、その際には、これまで規制等に守られてきた産業が抱えてきた雇用がどのような帰趨をたどるのかを、特に注視して行かねばならないと認識しています。

7.貯蓄=投資のインバランスとリスク・キャピタルの不足

 日本経済が抱える構造問題として、本日お話しする3番目の点は、貯蓄と投資のバランスについてです。その前にこれまでの話を一旦整理しておきましょう。本日取り上げた構造問題の1番目は、わが国の企業部門にはバブルの負の後遺症が根強く残っており、わが国経済がダイナミズムを取り戻すためには、バランスシートの健全化が避けて通れないという点です。次に、構造問題の2番目として、経済のグローバル化が進展する中で、これまで競争的な環境になかった産業の生産性を引き上げるとともに、それに伴って余剰となる経営資源を新たな分野に振り向けていくことが、今後の経済を大きく左右する重要な点であると申し上げました。また、これらに関連して、米国では企業が自社の得意部門に経営資源を集中するためにM&A等により低稼働資産を活発に売買したほか、規制緩和や情報通信分野での技術革新を背景に新たな企業が勃興するなど、投資活動の活発化がこうした調整に大きな役割を果たしたことを紹介しました。

 このように整理すれば、わが国の経済がダイナミズムを取り戻すための鍵が、新たな産業・企業の成長と、これに伴う「投資の活性化」である点は明らかです。そうであれば、自然に沸いてくる次の疑問は、「一人当たりGDPが世界最高水準にあり、家計が金融資産を1300兆円も保有するほど、貯蓄が豊富な国において、なぜ国内投資の活性化が容易でないのか」という点ではないでしょうか。つまり、なぜこれだけの貯蓄が投資に向かわないのか、あるいは貯蓄が消費に向かうことによって投資機会が拡大しないのか、ということに答えなければなりません。これが、先ほど3番目の構造問題として挙げた「貯蓄と投資のインバランス」の問題です。

資本の生産性低下

 その答えを先取りしてやや比喩的に言えば、「経済のグローバル化が進み、資本が国境を越えて自由に移動するようになる中で、資本蓄積の最も進んだ日本は、資本にとって居心地の悪い場所になってしまった」ということだと思います。この点をマクロの指標で確認しておくと、日本では、労働人口が伸び悩む中で、高度成長期以降積極的に設備投資を行い、資本の蓄積を進めてきたため、労働者1人当たりの固定資産の量が大幅に増加しているという事実があります。これはやや意外に感じられるかも知れませんが、戦後の絶対的な資本不足から復興を遂げていったわが国は、何時の間にか米国をも上回る資本の豊富な国になっているのです。

 こうした資本蓄積によって、今や日本の1人当たりGDPが世界有数の水準にあることは、勿論、世界に誇るべきことだと思います。しかし、このことを資本の側からみますと、同じGDPを得るのに必要な固定資産の量が趨勢的に増加している、すなわち、資本の生産性が落ちているのです。わが国の資本の生産性が低下を続けているということは、資本の所有者が期待するリターンが低下し続けているということを意味し、先ほど申し上げたROA──これは、経済全体が生み出す付加価値の企業と家計の取り分が変わらないと前提すれば、資本の生産性と同じになるのですが、──その趨勢的な低下とも符合する動きです。このことは、投資家からみれば、「日本では資本が効率的に利用されていない」ということに他ならず、資本移動が自由化された下では、海外の投資家だけでなく国内の投資家ですら、日本企業への投資を躊躇するということになると思います。そうすると、これから日本経済が労働者1人当たりの生産性を高めていく際に、単に既存分野で投資を積み上げるだけでは、一層の資本効率の悪化を招いてしまいます。ですから、先程も申し上げたとおり、わが国企業は、早期にバブルの負の遺産を処理していくとともに、収益率の高い新規の分野を開拓して、そこに資本や労働等の経営資源を振り向けていくという困難な課題に直面しているということになるのです。

家計貯蓄率の高止まり

 ところで、「貯蓄と投資のインバランス」は、何も投資サイドに一方的に問題があるという訳ではありません。日本の家計貯蓄率の動き(SNAベース)をみると、70年代央には20%以上の高さにありましたが、その後80年代末には10%代前半にまで低下しました。当時は、「高齢化時代を本格的に迎える90年代には高齢者が貯蓄を取り崩し、家計貯蓄率はさらに低下していく——その場合、日本の大幅な対外黒字もいずれは解消していく」というライフ・サイクル仮説の立場からの将来予測が一般的であったように理解しています。しかし、実際には、90年代に入って貯蓄率は下げ止まっており、当時の予想はこれまでのところ裏切られています。

 90年代以降日本の家計貯蓄率が高止まっている──つまり、その分消費が抑制されている──ことを、全て貯蓄を美徳とする日本人の国民性として片づけてしまうことには賛成できません。例えば、総理府や日本銀行等のアンケート調査をみると、多数の高齢の方々が今後の生活に不安を感じておられ、また支出を削減している理由としては、年金制度や社会福祉制度についての不安の高まりがあるように窺われます。こうした不安感は若年層にもみられます。そのため、人々が自己防衛的に支出を削減し、貯蓄を増やしているという構図が透けて見えるように思います。

 要するに、少子・高齢化が進行している下で、高齢者は自分の老後に介護が必要となる場合に備えて年金給付の中から貯蓄を行い、その一方で若年層も、将来は年金の手取りが少なくなるのではないかとの警戒感から、年金への保険料以外にも貯蓄を積極的に行うという、「二重の貯蓄」とも言うべき状況が生じているように思えてならないのです。国内への投資の魅力が低下している一方で、家計の貯蓄意欲が過去に比べて高まっているということになると、経済全体のバランス上は、両者のしわ寄せが財政赤字や経常収支黒字の拡大という形で現われざるを得ません。

 こうした状況を回避するためには、早期に年金制度の将来像を明確にし、家計行動の慎重化の一因とみられる「制度の不確実性」を減らしていくことや、高齢者を介護する社会的仕組みを具体化していくことが重要な課題となりましょう。また、欧米では、高齢者が安心して生活できるような仕組みがビジネスとして成立していることを考えると、日本でも福祉の分野で民間企業の活力をどう生かしていくかも大事な点だと思います。

リスク・キャピタルの不足

 わが国の家計の貯蓄行動について、貯蓄率の高さの他にもう一つの顕著な特徴を挙げるとすれば、預金等のリスクの小さい資産の保有比率が高いことです。実際、日米両国の資金循環統計をもとに、家計の資産構成を比較してみると、日本では現金・預金の占めるシェアが55%、株式は7%であるのに対し、米国では現金・預金が11%、株式が43%となっており、家計のリスク・テイクに対する姿勢に大きな違いがみられます。ベンチャー企業が育ちやすいという米国の資本市場の風土も、こうした家計行動によって支えられている面が少なくないように思います。これは、わが国では安全資産志向が強いという側面もあるのでしょうが、それ以外に、投資対象としての企業の魅力や投資商品自体の魅力という面にも、一考の価値があると思われます。

 ところで、先ほど、日本における資本の生産性は低く、投資家にとっては魅力が乏しいといった趣旨のことを申し上げました。しかし、これはあくまでも、経済のこれまでの趨勢的な姿についての話であって、個々の企業、あるいは個々のプロジェクト毎にみていけば、わが国においてもリスクを伴いつつも相応のリターンを期待できる投資案件が、潜在的には多数あるはずです。小さな企業でも、情報通信分野での技術革新や規制緩和の流れにうまく乗れさえすれば、大きな成功を収める可能性がある点は、海外と日本で大きな差があるとは思えません。実際、最近の株式市場の活況には、新たな企業の成長の芽が窺えるとも言えます。こうした流れを育てていくためには、規制緩和等によって新規参入を促し、「競争」により産業を活性化させていくとともに、金融商品の多様化等を通じて、家計部門の潤沢な貯蓄がリスク・キャピタルとして新規ビジネスへの投資に円滑に仲介されていく仕組みが必要なのではないでしょうか。

8.おわりに

 以上、本日は当面の景気に関する話題を手短かにお話ししたうえで、残りの時間で、日本経済の中長期的なダイナミズムを再生させていくために、早晩避けては通れない構造調整の課題についてお話しし、日本経済が変化を遂げていく必要があることを申し上げて参りました。

 現在の日本経済は、いかに自律的な景気回復を実現していくかという、重要な局面に立たされています。また、構造調整が円滑に進んでいくためにも、安定的なマクロ経済環境が重要であることは申すまでもありません。こうした局面では、金融政策に求められる役割が大きいことも、十分に承知しているつもりです。そのことを踏まえて、はじめに述べましたように、日本銀行は、デフレ懸念の払拭が展望できるまで、現在の思い切った金融緩和スタンスを維持していく姿を強く打ち出しているのです。

 しかし、本日申し上げた構造調整に関する3つの課題は、いずれも財政・金融両面からの需要刺激策だけでは動かすことのできない、サプライ・サイドの要因によって規定されたものです。例えば、企業のバランスシート調整の関連で、企業がどれほど熱心に経営資源の配分に取り組むかは、コーポレート・ガバナンスのあり方に大きく左右されるでしょう。また、経済のグローバル化に伴う成長メカニズムの変質に関連して、既存の内需型産業の生産性に革新をもたらすような新興企業が現われるかどうかは、規制や旧来型の取引慣行の行方、さらには資本市場の機能度次第といった面が少なくありません。貯蓄・投資のインバランスやリスク・キャピタルの供給にしても、年金、保険、税制などの制度面のあり方によって大きく違ってくるものと思います。

 こうした経済のサプライ・サイドを規定する要因は、それ自体企業や家計のインセンティブに働きかけるものだけに、需要面の政策とは異なり、効果が直ちに現れるまでに時間がかかることもしばしばです。サプライ・サイドの処方箋が「漢方薬」と評されるのも、こうした理由によるものです。

 もっとも、このように申し上げたからと言って、日本経済の先行きについて悲観している訳ではありません。むしろ、私は、戦後の廃虚の中から経済大国を築き上げていった日本の質の高い労働力、技術力、経営者の才覚を誇りに思っていますし——事実、私は戦後間もなくの時期に日本銀行に入行し、その後の日本経済の発展を眺めてきました——、今もそうしたポテンシャル自体は損なわれていないと確信しています。だからこそ、サプライ・サイドの処方箋により、「リスク・テイク」の環境を整備しつつ、「競争」を軸とした産業の活性化を図ることができれば、——それが、既存の企業が新分野に投資を行うことによって変貌を遂げていく形であれ、新たな企業が勃興していく形であれ、——不幸にも封じ込められてしまった成長のダイナミズムを必ず復活できると思っているのです。

 現に、政府では雇用や産業活性化に関する対策が検討されているほか、民間では提携・合併や事業分野の見直しといった将来の変化へ向けた息吹きも感じられます。今後、日本が、構造転換を進めることによって、活力に満ち、高い生産性を誇る経済に再び転換するだけの潜在的な能力を十分に発揮していけると信じています。

 ただ、サプライ・サイドの処方箋の具体的なあり方については、そもそもどうすれば企業や家計のインセンティブを良い方向に向けていくことができるのか、あるいはモラル・ハザードに繋がる心配はないかなど、民間と政府が協力しつつ、これからも議論を深めていくべきものです。本日、やや慣例を離れて、金融政策や金融システム以外の構造問題に関して私の思うところを申し述べさせて頂いたのも、そうした議論の一助になればと思ったからです。

 このことを申し上げて、私からのお話しを終えることとします。

 ご清聴ありがとうございました。

以上