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埼玉県金融経済懇談会における武富審議委員挨拶要旨

1999年 9月14日
日本銀行

 「日本経済はすっかり変わってしまいましたね。」「本当にそうですね。」こんな会話が挨拶替りになってしまってから、一体もう何年経つでしょうか? かつて経験したことのない変化の渦中で、日頃から、皆様には大変ご苦労が多いものと察します。

 捉え所のない時代に入った今、企業経営にとって最も貴重な「経営資源」は何でしょうか? それは、「スピード」と経営トップが自由にできる「時間」なのではないでしょうか。いまや伝統的な判断尺度や過去の経験が必ずしも通用しなくなりました。常に新しい発想が求められています。その中で、経営に誤りなきを期すためには、会社の将来について熟慮する十分な時間が必要です。それによって決断した方針をトップダウンで実行に移すスピードも必要です。

 本日は、有力な経営者の皆様から、その貴重な「経営資源」の一部を拝借しております。誠に有り難い話です。それだけに、是非この懇談会を実り多いものにしたいと念じています。

政策委員会を軸に透明性を実践

 ご案内かと思いますが、昨年4月から新しい日本銀行法が施行されました。新法の基本精神は中央銀行の「独立性」と「透明性」の確立にあります。本日、私は、正にこの「透明性」を実践するために当地まで参っております。

 日本銀行がどういう考え方で金融政策を運営しているのか? これを国民の皆様に十分にご説明し、ご理解を得ることは、透明性を確保する上で欠かせません。このことが、もう一つの柱である「独立性」を担保する一番の近道だと確信しています。もちろん、説明を求められる分野は金融政策に限りません。業務や組織の運営から内部管理に至るまで、およそ日本銀行が関わる全ての活動について「説明責任」はついて回ります。中央銀行は「黙して語らず」といった時代は完全に過去のものとなりました。

 日本銀行のあらゆる活動について基本的な方針を機関決定するのが「政策委員会」と呼ばれるボードです。9人の役員で構成されています。私もその一人です。

 金融政策について審議し決定する政策委員会は、他と区別するために、「金融政策決定会合」と呼ばれます。原則月2回開催されます。この開催頻度は世界で最も高い方です。この会合における討議内容は「議事要旨」として約1ヶ月後に公表されます。ご出席の皆様のお目にも止まっているかと察します。日本以外の主要国で議事要旨を公表しているのは米・英のみです。米・英に比べ日本の「要旨」は大変詳しく、議論のやり取りが良く分かる仕立てになっています。「透明性」という抽象的な精神を具体的な形にする努力の一環です。

 金融政策以外の分野について審議する政策委員会は、「通常会合」と呼ばれます。週2回、火曜日と金曜日に定例的に開催されます。信用秩序の維持や資金決済システムの円滑な運行について討議・決定するのが、この会合の柱の一つです。分かり易いところでは、人事・給与制度の見直し、支店長舎宅や保養所の売却などについても、この場で真剣に議論し決定します。決定案件の他に、報告案件もあります。例えば、内外の金融資本市場の動きに関する定例報告です。因みに、通常会合に付議された案件のリストは「政策委員会月報」などを通じて公表されます。

 こうした情報開示によって「透明性」は既に幅広い分野に亘って定着しています。しかし、「透明性」に向けた私共の努力はこれに止まりません。例えば、月1回、総裁は定例記者会見に応じています。これは多分に日本特有の慣例で諸外国にあまり例をみません。このほか、政策委員会の構成員である総裁、副総裁、審議委員は、それぞれ、かなりの頻度で講演しています。顔の見える政策委員会を目指している訳です。

 また、国会との関係では、参考人として各種委員会のご質問に答えています。このほか、法定の分厚い報告書も作成しています。金融政策については俗に「半期報告書」、日銀全般の活動については「業務概況書」と呼ばれるものです。

 こうした透明性を向上させるための色々な努力の中でも、私共が特に力を入れているのが、全国各地域の皆様と親しく接して意見を交換させて頂くための懇談会であります。日本銀行は、全国に33の支店と12の事務所を構えています。お蔭様で、これらの拠点は地域に定着しご地元のご支持を得ています。この貴重な財産と基盤の上に立って、今後とも、草の根の活動を含め肌目の細かい対話を誠心誠意続けて参る所存です。

21世紀に発券業務の中心になる埼玉県

 ところが、残念なことに、ここ埼玉県には日本銀行の支店はございません。しかし、本行の歴史を辿ってみますと、当地との関係には浅からぬものがあります。例えば、戦時下の昭和19年から終戦までの間、事務を疎開するために、国庫局の分室が川越に設置されました。戦後も、交通・通信事情の悪化に対処するため、昭和21年から27年にかけて、浦和に駐在員事務所が設置されていました。最近では、戸田市で新たな発券施設の建設に着手しています。美女木インターの近隣です。因みに、こうした設備投資についても通常会合で審議・決定しています。

 この投資計画は、職員数が大幅に抑制される一方、銀行券の取扱量は増大する中で、これに確実かつ効率的に対処する目的で決定しました。銀行券の受け払い、鑑査、保管といった一連の機能を自動一貫処理するシステムを組み込むなど、様々な工夫を凝らしております。2002年竣工、2003年稼働開始を予定しています。21世紀初頭には、ここ埼玉が日本の発券業務の中心拠点になります。計画の着実な実行に向けてご地元のご協力をお願い申し上げます。

漸くアイドリング状態に入った景気

 さて、そろそろこの辺で、最近の金融経済情勢に関する私の観察をご披露してみたいと思います。

 昨日公表致しました本行の金融経済月報では、足許の景気について以下のように評価しています。すなわち、「下げ止まりの状況が続く中で、輸出、生産等一部に明るい動きがみられるが、民間需要の自律的回復のはっきりした動きは依然見られていない。」というものです。これを私なりに表現すれば、「昨年の夏場から今年の2月末にかけて、下手をすれば日本経済がエンストを起こしかねない時期もあったが、政策対応の効果や民間経済主体の自助努力によって、漸くエンジンがアイドリング状態にまで落ち着きを取り戻した」ということかと思います。こうした状況を反映してのことでしょうが、先週発表された統計によれば、今暦年の前半に、実質GDPが2・四半期連続でプラス成長しています。まだ楽観は許されませんが、これは、先行きの景気回復を展望する上で、重要な第一歩であることに違いはありません。

 以上の現状判断は産業界の皆様のご実感とそう大きくズレてはいないだろうと察しますが、いかがでしょうか。後程、景況判断を巡って忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いです。

 短期的な景気の循環に関しては、取り敢えず、いまご報告をしたような理解でよろしいのだろうと考えます。しかし、冒頭にも申し上げましたように、問題は、中長期的に「日本経済が大きく変質してしまった」という次元に立って物事を捉えると、引き続き経営環境は極めて厳しいというのが、産業界に身を置く皆様の偽らざるご心境かと拝察致します。

経営環境を巡る質的変化は持続

 どうしてこのような状況に至ってしまったのか? この点については、去る5月31日の日経センターにおける講演で愚見を披露致しました。その時の講演録を、僭越ながら、本日、席上配布させて頂いております。

 これには、過去から背負ってきた複合的な要因がありますので、「どうしてか」一言では表現しにくいところです。比較的最近時点に絞って産業段階でこれを捉えると、結局、世界市場におけるメガコンペティッションが進捗する中で、世界中の企業がグローバルな「最適供給」「最適調達」を選択したことの影響が大きいように思われます。日本の金融機関や企業がバブルの清算に追われているうちに、IT革命の波に乗り遅れた側面もあったかもしれません。世界の投資家が、欧米流の投資尺度でグローバルに企業選別を進めているために、日本企業が新たな経営方式へ転換を迫られている厳しさもあるかもしれません。更に言えば、格付けの良し悪しが企業の株価を左右し、企業経営が大きく揺さぶられる度合も高まっています。連結納税への移行に象徴される会計制度の国際標準化に適合する努力も怠れません。

 要するに、円高などの外部ショックや景気後退に対して、日本企業が従来の手法で単線的に取り組むだけでは、生き残りへの展望が得にくくなっているということです。複線的な対応を要する切迫感の強い経営環境の質的激変が、世界規模でうねり始めていると言うことでしょう。経営基盤そのものの抜本的な再構築に挑戦しない企業は、次第に篩にかけられ、2極分化の傾向が一層鮮明になるということかと思います。

 こうした、いわば前向きな挑戦を迫られている一方で、日本の企業には、過去からの負の遺産である「傷んだ資産」「非効率な資産」の処理に向けて、限られた経営資源を充当しなければならない「つらさ」もあります。販売価格が抑えられている中で、いかにキャッシュフローを産み出し、非効率な資産に見合った負債を返済していくのかなど、抱える経営課題は尽きません。

 幸い、厳しい環境認識をお持ちの企業経営者の方々は、様々な工夫を凝らして対応しておられます。本日は、その辺のご苦労についても、いろいろとお聞かせ下さるものと期待しております。

景気の好循環が定着しうる道筋と潜在リスク

 こうした経営努力が先行き実を結ぶためにも、足許で生まれ始めた良い方向への景気の流れを止めることなく、大切に育んでいくことが何よりも重要です。ただ、現状では肝心の個人消費は未だに一進一退を繰り返しています。企業部門についても、漸く損益分岐点比率の悪化傾向に歯止めが掛った程度で、まだ設備投資が本格的に回復しうる段階には至っていません。

 とはいえ、景気が先行きもう一段持ち直していく可能性が全く無いわけではありません。極めて微妙なバランスの上に立った狭い道筋ではありますが、景気が好循環に入り得る余地は残されています。

 一つの救いは、最近、輸出が持ち直していることです。アジア経済の回復がより確かなものになり、米国経済もまだ明確な減速状態に入らずに済んでいることの効果が反映した動きです。政策関連需要による下支えも年内はなんとか持ち堪える見込みです。このように、ここ暫くの間は、輸出・公共投資といった外生需要に支えられて、企業の売上額が多少なりとも増加する可能性はあります。

 そうなれば、これまで進めてきた企業リストラの効果も手伝って、損益分岐点比率の改善傾向が定着するなど、産業調整が進捗していく姿を、より明確に展望できるかもしれません。この場合、仮に販売価格が上昇しなくとも、売上数量の増加に伴い固定費が薄められる効果は期待できます。同時に、在庫調整についても、外生需要に助けられた出荷増によって調整速度が高まると見ても、あながち的外れではないでしょう。取り敢えず大企業の製造業部門でこうした流れが始まれば、この部門の裾野は広いだけに、他の部門にも好影響を及ぼす可能性が産まれてくると期待するのは、行き過ぎでしょうか。

 こうした流れを反映し、生産活動も多少は好転してくるはずです。この結果、少なくとも所定外収入は増加する望みがあります。これは、限界的なプラス材料に過ぎないかもしれませんが、こうした形で所得環境に変化が生じてくれば、消費に対しても応分の効果を齎すと見られないでしょうか? また、生産の増加によって設備稼働率が持ち直し、需給ギャップの拡大に歯止めが掛る展望を持ち得るかもしれません。

 もちろん、こうした一連の流れが、妨げられることなくスンナリと持続していくと見るのは、これだけ厳しい構造調整圧力が存在する下では、あまりにも楽観的に過ぎるとの謗りは免れないところでしょう。思惑通りに事が運ばないリスクを挙げればきりがありません。

 このリスクについては、例えば、先ほど、損益分岐点比率が改善する大前提としてコスト削減のための企業調整に触れました。この最たるものが雇用調整・賃金調整です。また、世界規模で生じている経営環境の激変とも言える大きなうねりにも触れ、経営基盤の抜本的な再構築が必要だと申し上げました。そうだとすれば、今回の雇用・賃金調整は、景気が下げ止まったからといって手を緩められる性格のものではありません。現に、失業率は過去最高の水準を更新しており、今夏のボーナスは大幅な落ち込みとなりました。

 それにも拘わらず、足許で消費が一進一退で持ち堪えているのは、株価の上昇や金融システム不安の一服などによる心理の好転に加え、減税や物価安定に伴う実質可処分所得の下支えが、消費性向を持ち上げているからだと推察されます。しかし、消費性向は移ろいやすいものです。今後、残念ながら雇用不安が解消しなかったり、あるいは、万一にも2000年問題やペイオフ解禁などに絡んだ不安心理が頭をもたげたりする場合には、消費性向が低下する惧れは残ります。不幸にしてそういう事態に至れば、消費の後退から企業の売上が落ち込み、これまでのご説明で想定したような企業調整が円滑に進まないことも起こり得ると思います。

 また、為替相場の帰趨にも注意が必要です。交易条件が短期間のうちに急変するようなことがあれば、ぎりぎりの線で収益構造の改善に取り組んでいる企業にとって、与件が大きく狂います。それだけに、「十分に緩和された金融」と「安定した為替相場」という組み合わせが、良い方向へ流れ始めた景気を支え続けるために、一番望ましいマクロ的な環境整備と言えるでしょう。

市場との対話が欠かせぬ今後の金融政策

 そこで、今後の金融政策について私の所見を申し述べてみたいと思います。

 日本銀行は、本年2月以降、一段の金融緩和に踏み切りました。特に、3月半ば以降は、翌日物の無担保コールレートを事実上ゼロ水準に維持する、いわゆるゼロ金利政策を継続しています。この間、「デフレ懸念の払拭が展望できる状況になるまでは、現在の政策を続ける」旨の強いコミットメントを発信してきております。この趣旨は、先ほど敷衍致しました「景気の微妙なバランス」を崩さぬように、細心の注意を払って経済運営に当たろうという決意を、世の中に広くかつ深く浸透させることにあります。

 これまでの市場における動きから見る限り、私どものこうした不退転の姿勢は、相応のご信認を戴いているように思います。今後とも、市場から発信される諸情報を綿密に分析し、より一層の緊張感を以って市場との意思疎通を図っていく覚悟です。

 金融緩和の効果が、このように、金融・資本市場の段階までは十分に浸透して半年を越えました。これからは、金融資本市場に染み渡った緩和効果が、さまざまなルートを通じて、実体経済の前向きな動きを誘発・促進する形で波及していくかどうか、慎重に見極めるべき段階だと認識しています。その過程で、景気・物価を巡るさまざまな動きが、「デフレ懸念の払拭」を展望できる方向へ収斂していけるのかどうか、注意深く点検していく所存です。

 ところで、あくまでも議論のための議論としてですが、デフレ懸念に絡んで一つだけ論点を投げ掛けさせて頂きたいと思います。皆様の中には、ご異論もおありでしょうから、後程ご感触をご教示願えれば幸いです。

 いまの物価下落は、確かに、需要が足りないから価格を下げざるを得ない面が強いとは思います。しかし、企業が収益構造の立て直しを図る過程で、コストの削減と平行して戦略的に販売価格を引き下げる現象も起きています。つまり、積極的に需要を獲得していくために、コストを引き下げ、かつ製品の付加価値を高めて、販売価格の実質的な引き下げを達成する行動です。こうした企業戦略の結果として生じている物価の低下と、単なる需給不均衡を反映した一般物価水準の受動的な切り下がりとは、必ずしも同質ではないようにも思われます。

 また、財・サービス・資産の全分野に亘って、それぞれの相対価格が経済合理性を取り戻すことは、経済体質の改善に繋がります。こうした傾向を反映した物価の水準や体系の適正化は、果たして、いわゆるデフレ懸念の範疇で捉えて良いものでしょうか。

 世の中には、「デフレ懸念が払拭される」とはどういう状況を指すのか分かりにくいというご批判もあります。明示的な物価目標を設定すべきだと主張する向きもあります。そうしたご議論に対しては一つだけ申し上げておきたいと思います。最終目標を設定すると分かり易いように見えても、実は、その時々の金融調節をどうするかは、結局のところ、先行きの金融経済情勢を見極めた上で「総合判断」するしかないのです。このことは、物価目標を導入した国の先例を見ても明らかだと思います。

 日本銀行としては、今後とも、あらゆる経済指標に目を凝らしていくだけではなく、産業界、国民各層がお持ちになるご実感も十分に吸収してまいります。それによって、経済活動の微妙な変化を見逃さないよう全力を尽くす所存です。金融政策運営の意図を過不足なくご理解賜り、景気回復という共同作業に向けてご協力くださるようお願いして、ご挨拶と致します。

以上