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ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 1999年 > フランス銀行で開催されたコンファレンス (10月8、9日) における山口副総裁発言原稿「金融政策と構造政策:日本の経験」

金融政策と構造政策:日本の経験 1

  1. 本稿は10月8、9日にフランス銀行で開催されたコンファレンスにおいて山口副総裁が発言するために用意された原稿である。実際には山口副総裁が出席することが出来なくなったため、吉國ロンドン駐在参事が出席し、本稿の要旨を発表した。

1999年11月 2日
日本銀行

目次

1.はじめに

 本セッションのテーマは「ポリシー・ミックスと構造政策」("The Policy Mix and the Structural Policies")であるが、この問題は現在、先進国、エマージング諸国の中央銀行が等しく直面し未だ十分な回答を得ていない重要な課題である。それだけに、私としては本日の討議を通じて、この難しい課題に対するヒントを得ることを期待している。しかし、同時にこのテーマで議論することに若干の苦痛も感じている。と言うのも、やや後知恵になってしまうが、1990年代の日本のマクロ経済、金融システムは、必要な構造政策や構造調整の実行ないし進捗が遅れ、その分「金融・財政政策に対して重い負担がかかり続けた10年間」であったとも言えるからである。振返って見ると、そのような状況の中で、日本銀行は現実の経済の厳しい状況と中央銀行としてのオーソドックスな運営理念の両方を意識しながら、金融政策を運営してきたように思う。1990年代は、構造問題という制約条件が存在する下で、最も望ましい金融政策のあり方を模索してきた10年間とも形容出来るかもしれない。本日は主として1990年代の日本銀行の金融政策運営の経験やその過程での悩みをお話しすることを通じて、討議者としての義務を果たすこととしたい。

2.1990年代の金融政策

ゼロ金利に至る経路

 最初に、日本の金融市場の現状を説明することから話を始めたい。ご承知のように、日本銀行はバブル崩壊後の1991年7月に金融緩和に転じて以来今日に至るまで、一貫して金利水準を引下げてきた。オーバーナイトのコール・レートはピークには8%台に達していたが、逐次にわたる引下げを経て、本年2月にはこれを可能な限度一杯まで引下げる(実質ゼロとする)決定を行った。また、4月にはデフレ懸念の払拭が展望出来るような情勢になるまで「ゼロ金利」政策を続ける方針を発表した。このような状況の下、現在インターバンク・レートはオーバーナイト物で0.03%、2か月物で0.04%と、歴史的な低水準を記録している。TBレートに至っては1年物も0.04%の低水準である。長期金利も現在1%台と、これまた歴史的な低水準となっている。金利政策と並んで中央銀行の重要な役割のひとつである「最後の貸し手」という面でも、日本銀行は金融システムの安定を維持するために積極的な役割を果たしてきた。バジョットの古典的なルールに従えば、中央銀行は資本ではなく流動性を供給すべきであるが、日本銀行は幾つかのケースでは資本性の資金も供給した。資金の供給先の圧倒的に多くは預金取扱い金融機関であったが、山一證券のようにノンバンクに資金を供給したケースもあった。

 「ゼロ金利」と言い、またバジョットの古典的なルールを超えた積極的な「最後の貸し手」機能と言い、1990年代の日本銀行は中央銀行の政策に関する伝統的な観念からすれば、オーソドックスではなかったかもしれない。しかし、バジョットの古典的著作であるLombard Streetが19世紀の英国の現実の銀行危機の経験の中から生まれたのと同様に、日本銀行が1990年代に金融政策や金融システム安定化の面で果たした役割も抽象論ではなく、この時代の現実の経済・金融の状況に即して評価を行なう必要がある。以下では、金利政策という意味での金融政策を中心に話を進めるが、金融システム安定の面における「最後の貸し手」機能についても必要に応じて若干言及したい。

 最初に、日本銀行による思い切った金利引下げによって達成出来たことと達成出来なかったことを確認したい。達成出来たのはデフレを防いだことである。デフレは物価水準——財・サービスの価格水準——の下落と通貨・信用水準の収縮によって特色付けられるが、そうした基準に照らすと、日本はデフレの回避に何とか成功したと言えると思う。少なくとも、1930年代の米国の大恐慌期における物価、マネーサプライ、GDPの動きとの比較では明らかにそのように言える。例えば、日本については1991年第1四半期を、米国については1929年第1四半期を100として消費者物価指数の動きを比較すると、米国では最悪期には74まで低下している。これに対し、日本では水準自体が大きく下落することはなく、現在も107という水準を維持している。同様の計算をマネーサプライについて行ってみると、米国は65にまで低下しているのに対し、日本は現在124という水準である。実質GDPを見ても、米国は67まで低下しているが、日本は109という水準である。

 このように、思い切った金利引下げはデフレを防ぐことには何とか成功したが、同じことを逆に見るならば、マネーサプライや物価水準を現状程度に維持するのが精一杯であったとも言える。前述の通り、マネーサプライは1991年第1四半期——バブル期の景気のピーク——と比較すると24%増加しているが、マネーサプライに対応する預金取扱金融機関の資産を見ると、国債保有等の対政府信用は26%増加しているのに対し、民間貸出は7%の増加にとどまっている。実質GDPを見ても、バブルが崩壊してほぼ8年が経過した今日でも、年率僅か1%しか増加していない。この間、財政政策の面では、一般政府の財政バランスは対名目GDP比率で1991年には2.9%の黒字であったが、OECDでは1999年には8.7 %の赤字になると予測している。そうした大幅な財政支出の増加は当面の景気を下支えするという点では効果を発揮したが、金融政策同様、経済を成長軌道に復帰させるには至っていない。勿論、金融・財政政策は景気の持続的な回復を実現すべく現在もフル稼働を続けており、まだ最終的な結論を出すのは尚早である。

3.「構造問題」は日本経済にどのように影響したか?

 それにしても、何故思い切った金利引下げや財政拡大が今日まで日本経済を成長軌道に復帰させるだけの効果を持たなかったのであろうか。この問いに対する最も直接的な答えは、短期的な需要喚起を狙ったマクロ政策では対処できない大きな構造要因が存在していたということではないかと思う。

 経済成長とは本質的に様々な変化に対応するプロセスである。変化の原因は技術革新かもしれないし、財・サービスや生産要素の相対価格の変化かもしれない。変化の原因が何であれ、企業は常にそうした変化に対応し、新しい商品を開発したり、生産・販売の仕方を見直したり、組織のマネジメントの仕方を工夫することによって利益を追求する。経済成長はそうした創造的破壊のプロセスを通じて実現する。経済学のフレームワークを借りれば、中長期的な成長率を決定する要因は、労働、資本等の生産要素の投入量と生産性の増加率である。このうち、持続的な経済成長という点で最も重要な要因は生産性の上昇であるが、個々の企業単位の行動に置き換えて議論するとすれば、生産性の上昇は「企業の変化への対応能力」によって規定されると言換えることが出来るかもしれない。このように考えた場合、1990年代における日本経済の停滞の原因を探ることは、変化への対応能力が何故低下したのかを問うことに等しくなる。この点に関する私の答えは、「1990年代は変化への対応能力が低下し、しかもそうした対応能力の低下がグローバル化という非常に大きな環境変化の中で決定的な影響をもたらした」というものである。

構造要因

 変化への対応能力に影響した要因は多岐にわたると思われるが、金融政策の立場から見て次の3点は重要である。

 まず第1は、言うまでもなく不良債権問題、すなわち、経済全体としての自己資本の毀損に伴う対応能力の低下である。貸手である金融機関は自己資本の不足に直面し、新たなリスク・テイクに慎重にならざるを得なかった。他方、借手である企業も自己資本の不足から、変化への対応——新規の設備投資や研究開発——に慎重にならざるを得なかった。これらの結果、金融機関貸出が伸び悩んだ。

 第2に、規制や法制、税制といった「広義のインフラ」の整備が遅れがちであった。コンピューターや情報処理・通信技術の発達によって様々なビジネス・チャンスが世界的に広がったが、既存のインフラがそうした変化に追い付かず、結果として変化への対応を阻害した。

 第3の要因は、「日本的雇用慣行」や「日本的コーポレート・ガバナンス」である。終身雇用制を軸とする「日本的雇用慣行」の下では、労働者が「企業特殊的な人的資本(firm specific human capital)」——特定企業でのみ役立つ技術、知識、ノウハウ——の蓄積を図ることに大きな特色がある。しかし、経済全体が大きな構造調整を乗り越えて成長するためには、衰退産業から成長産業へ、また非効率な企業から効率的な企業への労働移動が不可欠である。この点、「企業特殊的な人的資本」を蓄積してきた労働者を多く抱えていたことは、従来は日本企業の強味であったが、そうした強味がマイナスになりかねないことが指摘されている。また、これと関連した議論として、内部役員が圧倒的多数を占める取締役会や株式持ち合いが支配的なコーポレート・ガバナンス構造の影響もしばしば議論されている。従来は、こうした日本のコーポレート・ガバナンスは中長期的な観点に立った経営戦略の実行を容易にするという意味で、日本企業の強味として指摘されてきたが、近年は資本の収益性向上に向けた強いプレッシャーが経営陣に働きにくいというマイナス面が指摘されている。

 上記の3つの要因はいずれも金融政策にとっては「与件」であり、その意味で、構造要因と位置付けられるものである。やや単純化して言えば、不良債権問題は変化を追求する際のリスク耐久力を弱めることを通じて、また、インフラ整備の遅れは、変化を追求しようにも、そもそもイノベーションの余地を制約することを通じて、さらに、雇用慣行、コーポレート・ガバナンスの問題は、企業経営者を変化へ駆り立てるモティベーションを弱めることを通じて、企業の変化への対応を阻害した。

経済・金融のグローバル化の進展

 以上のような構造要因を強調する議論に対し、「インフラ整備の遅れや日本的雇用慣行・コーポレート・ガバナンス等の要因は昔から存在しており、特に後者については1980年代には日本経済の成長の秘訣としてもてはやされたのではないか」という反論も可能である。私自身そうした反論には真実も含まれていると思う。どのような制度・構造もそうであるが、安定的な制度・構造の下で経済成長が持続した場合、その制度や構造は経済的合理性に支えられていたと考える方が自然である。その意味で、いわゆる日本的雇用慣行やコーポレート・ガバナンスもある時期までは合理的な制度であったと考えられる。しかし、大きな環境変化が生じると、これまでは合理的であった制度・慣行が一時的に経済成長を制約する可能性があることも意識する必要がある。

 1990年代の日本経済に影響した大きな環境変化としては、アジア諸国との分業関係の変化、急速な高齢化の進展等も挙げられるが、最も大きな変化は、コンピューター、情報・通信技術の飛躍的発展と、その結果としての経済・金融市場のグローバル化、統合化の動きであったと思う。そのような状況の下で、競争はグローバル市場で行われる度合を強め、企業はより厳しい競争圧力に晒された。従来、製造業と非製造業、あるいは貿易財と非貿易財という概念が経済的な意味を持っていたが、情報・通信技術の飛躍的発展はそうした区分を次第に無意味にしつつある。今回、日本経済の中で非製造業セクターの方が厳しい調整圧力に晒されているのは、その点で示唆的である。

 しかし、制度や慣行はそれ自体決して固定的なものではなく、環境変化というプレッシャーを受けて、徐々に変化していく性格のものである。例えば、終身雇用も今でこそ日本の大企業の特徴であるかのように議論されるが、日本の有力な経済史家の研究によると、1920年代まではそうした慣行は定着していなかった。このような点を考えると、制度や慣行による経済成長の制約は経済が環境変化に適応するまでの過渡期の現象であり、「日本的雇用慣行やコーポレート・ガバナンスを変えない限り、日本経済の成長は期待し難い」という悲観論は当てはまらないと思う。重要なことは、そうした悲観論に陥ることなく、構造改革を着実に進めていく努力である。

4.構造調整下の金融政策の役割

 それでは、構造的要因によって経済が停滞する場合、中央銀行はどのような考え方に立って金融政策を運営すべきであろうか。また、構造要因の解決に働き掛ける政策を構造政策と呼ぶとすれば、金融政策と構造政策の関係についてはどのように考えるべきであろうか。

 この点で金融政策がなしうる第1の役割は——これが最大の貢献であるが——物価安定、すなわちインフレでもデフレでもない経済環境を維持することである。経済主体はそのような経済環境の下で初めて相対価格の変化を正確に認識し、構造的変化への対応を行なうことが可能となる。振返って見ると、日本の1980年代後半は、バブルを前提として初めて経済的に採算の取れる各種プロジェクトが大規模に行われた。バブルが崩壊した今日でも、当時の建物や工場は物理的には残っているかもしれないが、現在の経済情勢では経済的価値はほとんどゼロであり、非効率的な資源配分という形での後遺症は非常に大きかった。これは「資産価格」の大きな変動による影響であるが、同じことは「一般物価」の大きな変動によっても生じ得る。

 第2の役割としては、構造要因が経済の拡大の重石として作用する場合に、金融を緩和して経済活動への調整圧力を和らげることが考えられる。この点では、1990年代初頭に米国連銀が短期金利(フェデラル・ファンド・レート)を引下げ、これに伴い長短金利のスプレッドが拡大したことが、結果的に金融機関収益の拡大とリストラを支えた経験がしばしば引用される。このような政策がうまく機能するためには、金利が低下する過程で金融機関がリストラを行い、経営戦略を明確化させることが極めて重要な前提条件となる。この場合、金融緩和は金融機関のリストラ努力が実を結ぶまでの「時間をかせぐ」政策と位置付けられる。実際、日本銀行も金利引下げの過程で、構造政策の必要性を強く訴えており、例えば、95年9月に公定歩合を0.5%に引下げた際、政策委員会は「思い切った規制緩和の推進など構造政策の実施を伴ってこそ、こうした金融緩和の効果が十分に発揮されるものと考える」という表現のステートメントを発表している。

 第3に——これは上記第2の点の系であり、金融政策が担うことの出来ない役割ということになるが——金融政策は必要な構造政策や構造調整を代替することは出来ないことを強調したい。日本銀行の思い切った金利引下げや果断な最後の貸手機能の発動により、デフレやパニック的な状況を回避することに成功したが、その分、金融機関が真剣なリストラ努力を行なうのを先延ばしする副作用が生じた可能性も否定できない。また、事態の深刻さに対する国民の認識が甘くなり、金融機関の破綻処理に関する法律の整備や公的資本注入に対する支持がなかなか得られないというジレンマにも直面した。中央銀行にとって悩ましいのは、構造政策や構造調整の実行が遅れていても、現実に深刻なデフレ・スパイラルの危険に直面した場合には、中央銀行としてはなにをおいてもデフレ・スパイラルを防ぐ責任があることである。日銀の行った金融緩和はデフレを何とか回避するという点では前述の通り何とか成功を収めたが、当面の危機が回避されることによって、根本的な解決策の採用を遅らせるという大きな副作用は無かっただろうか、という点は今後十分検討を要するところである。

 金融政策は必要な構造政策や構造調整を代替することは出来ないということは抽象的には理解されているように思うが、時として形を変えて議論されることがある。例えば、日銀による国債引受や長期国債買い入れオペの増額を求める意見がしばしば聞かれる。この類の議論が日銀による「流動性」のさらなる供給を求めているのだとすると、まず何よりも実際に金融市場で起きていることを冷静に観察して欲しいというのが私の率直な感想である。日本銀行は現在「ゼロ金利」政策の下、連日、大量のオペレーションにより金融市場に潤沢に資金(リザーブ)を供給している。その結果、日本銀行が実質ゼロ金利で資金供給オペの入札をオファーしても、応募総額が予め発表した入札予定総額を下回るという「札割れ」がしばしば生じるに至っている。また、預金取扱金融機関の流動性需要は十分以上に満たされているので、潤沢に供給された資金(リザーブ)のかなりの部分が、日本銀行に対する短資会社の預金として積み上がってしまう状況である。現在、流動性の不足が原因となって日本経済の成長が制約されているとは到底判断されない。

 別の政策提言として、インフレーション・ターゲティングもしばしば議論される。インフレーション・ターゲティングの一般的な論点は、賛否両方とも十分認識しているつもりである。問題は現在の日本の経済・金融情勢の下で、これが有効な政策となり得るのかである。第1のポイントは、中央銀行が目標インフレ率を発表することだけで、期待インフレ率を高めることが出来るかどうかという問題である。第2のポイントは、日本経済をプラスの持続的成長経路に復帰させるという目標に照らして見て、インフレーション・ターゲティングが有効であるかどうかという論点である。いうまでもなく、持続的な経済成長は、それと整合的な期待に基づく民間の支出行動によって実現する。例えば、消費支出の持続的な増加は将来にわたって実質所得が着実に増加していくという期待があって初めて実現するものであるが、中央銀行による目標インフレ率の発表がそうした実質所得への期待を高めるとは考え難い。また、仮に期待インフレ率の高まりによって支出の繰り上げが起きたとしても、所詮一回限りの効果に過ぎない。現在の日本経済にとっては、期待インフレ率の引上げではなく、実質成長期待の改善が必要なのである。

5.何が構造改革を促すか?

 以上、述べたように、金融政策は構造政策を代替出来ない。それでは構造調整を促す力やメカニズムとして何に期待すべきであろうか。この点では、私は二つの感想を抱いている。

 第1は、構造調整を促す上でのグローバル市場の圧力の強さである。実際、わが国の不良債権問題の経験を振返ってみても、この大きな構造問題の解決に必要な公的資本の注入や破綻処理スキームの整備を促した圧力のひとつは、残念なことではあったが、ジャパン・プレミアムという形で発生した金融機関の資金調達コストの上昇や外貨流動性調達の不安であった。規制やインフラについても、技術革新の進展に応じてそれらを見直していかないと、その市場は、グローバルな競争から脱落してしまう。日本的雇用慣行についても、外国企業の国内進出の増加に代表されるように徐々に変化してきており、今や終身雇用慣行によって守られていると感じている大企業の従業員はそれほど多くない状況である。また、株式持ち合いについても、収益率向上を求める株主の圧力を反映し徐々に減少している。個別企業の株価評価を見ても、外国人投資家の増加と共に、随分と変化してきている。このように見ると、グローバル化は一方では様々な構造問題をもたらす要因として作用しているが、同時に、そうした問題を解決するためのメカニズムも内包している。

 第2の感想は、不良債権問題をはじめとする各種の構造問題について、問題の所在や性格を認識し、公的当局が実行すべき政策の道筋を示すことがいかに重要かということである。問題を認識することも解決の道筋を提示することも容易な仕事ではない。実際、不良債権問題では、そのマクロ経済的な意味や処方箋について理解を得るまでにはかなりの時間を要した。先程グローバル市場の圧力について言及したが、永年続いた自国の制度、構造と市場的な解決方法との社会的摩擦も大きくなっている。現在各国とも、どのような構造政策を遂行すべきかという点に関しては正解を有している訳ではない。ただ一つ言えることは、何が構造的問題であるかを認識し、その上で具体的対応策を策定し、これを速やかに実行する能力、仮にこれを「問題対応能力」と表現すれば、現在は世界的なレベルで「問題対応能力」の競争が始まったということではなかろうか。1990年代の日本経済の経験を振返ると、経済の構造変化を速やかに認識し、その性格を正確に分析し、それを世の中に説明していくことが、中央銀行の重要な責務のひとつになっていると感じている。

以上