公表資料・広報活動

ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 1999年 > 最近の金融経済情勢と金融政策運営について── 1999年12月 7日・読売国際経済懇話会における藤原日本銀行副総裁講演

最近の金融経済情勢と金融政策運営について

1999年12月 7日・読売国際経済懇話会における藤原日本銀行副総裁講演

1999年12月 7日
日本銀行

目次

1.はじめに

 本日は、読売国際経済懇話会にお招きいただき、皆様方にお話しする機会を得られたことを、たいへん光栄に存じます。

 振り返ってみますと、日本経済は、バブル崩壊以降様々な構造的課題に直面し、景気回復と金融システム安定化に向けてたいへん厳しい道を歩んできました。そうしたなかで、一昨年来、国際金融市場の混乱や金融システム不安の影響が重なり、昨年には、デフレ的な様相を強めるに至りました。しかし、本年春先以降は徐々にそうした危機的な事態から脱し、最近では、経済活動に持ち直しの動きが見られるようになっています。そこで本日は、まず、この1年間の日本経済の変化を整理したうえで、来年に向けての課題を考えてみたいと思います。またこの1年は、日本銀行の金融政策運営面でも、ゼロ金利政策という未踏の領域に踏み込み、金融政策の方法論や効果に関する議論が活発に行われた年でした。本日の話の後半では、日本銀行の金融政策運営の課題や考え方についてご説明し、皆様方のご理解を賜りたいと考えています。

2.日本経済の現状と展望

本年の日本経済の歩み

 まず、日本経済の現状から始めたいと思います。この1年間、日本経済に対する内外の認識はかなり大きく変わりました。例えば、OECDによる本年の日本の経済成長率見通しは、春先にはマイナス0.9%でしたが、先月にはこれがプラス1.4%に上方修正されました。この上方修正幅は先進国で最大ですし、1.4%という成長率自体、ドイツやイタリアより高いものとなっています。また、来年の成長率についても、当初のゼロ%からプラス1.4%に上方修正されています。このような見通しは、実際に経営の現場で難しい課題を抱えておられる企業経営者の方々や、厳しい雇用・賃金情勢に直面している家計からみると、やや買い被りという印象をお持ちになるかもしれません。実際、これまでのところ、日本経済の改善は公共事業や輸出によるところが大きく、民間需要主導の自律的な回復には至っていません。だからこそ、日本銀行はゼロ金利政策という思い切った金融緩和政策を継続しているわけです。しかし、この1年間、デフレ・スパイラル瀬戸際までいった日本経済に、徐々に改善の兆しが見られ始めたことも事実です。

 本年前半の総需要を支えたのは、公共投資と住宅投資でした。この間、個人消費は一進一退の動きを続けましたが、家計を巡る所得環境の厳しさのわりには健闘したともいえます。この背景には、年初来の株価上昇や金融システム不安の後退に伴い、消費者の先行き不安感が幾分なりとも薄らいだという事情が寄与したとみられます。しかも、夏場に至ると、アジアを中心とする世界景気の回復を受けて、輸出が明確に増加し始めました。このため、企業の生産活動も増加傾向に転じました。こうした生産活動の活発化は、企業収益の改善に貢献しているほか、残業代の増加といったルートを通じて、家計所得の面でもプラスに働き始めています。このため、日本銀行では、足許の景気については「下げ止まりから持ち直しに転じつつある」と判断しています。

 需要や生産という面に即して整理すれば、以上のようなことですが、こうした動きの背景にある大きな流れをまとめてみますと、3つのことが指摘できるようにみられます。第1に金融システムの機能回復、第2に産業構造改革に向けた胎動、第3に日本も含めたアジア経済全体の回復の相互作用、ということです。以下、この3点について、ご説明します。

金融仲介機能の改善

 まず第1は、わが国の金融仲介機能に改善の動きがみられ始めたことです。一昨年から昨年にかけて、わが国の金融機関の破綻や国際金融市場の混乱を契機に、国内の金融仲介機能が大幅に低下しました。例えば、金融市場では、きわめて優良な企業でさえCPや社債の発行が難しくなりました。また、金融機関の貸出姿勢も一層厳しさを増しました。これが、企業活動を制約するばかりか、企業や家計のマインドを非常に防衛的なものとし、景気の低迷に拍車をかけることになったとみられます。

 しかし、本年春先以降、事態は徐々に変化してきました。まず、金融機関への公的資金の投入などにより金融機関の資本増強が進みました。また、ゼロ金利政策のもとでの日本銀行による豊富な資金供給姿勢を背景に、金融機関や企業の資金繰り不安は大きく後退しました。この間、中小企業に対する特別信用保証制度も効果をあげています。実際、各種のアンケート調査を見ても、企業の資金繰りは徐々に改善し、企業から見た金融機関の貸出態度も、昨年に比べれば厳しさが和らいできています。

 また、私が注目したいのは、直接金融市場の着実な機能向上がみられたことです。この10月までの1年間で、金融機関の貸出は8兆円減少しましたが、社債市場やCP市場における企業の資金調達額は5兆円も増加しました。貸出減少の半分以上を直接金融がカバーするかたちとなったわけです。市場参加者によるこれまでの様々な改革努力の積み重ね、例えば、適債基準の撤廃やディスクロージャーの充実、さらには社債決済システムの改革などの取り組みが、こうしたかたちで効果をあらわしてきているといってよいと思います。また、ゼロ金利政策は、投資家のリスク・テイク活動を回復させる作用も持ちました。この結果、社債市場の発行環境は大きく改善しました。例えば、社債市場におけるトリプルB格の銘柄の発行シェアは、昨年はほとんどゼロに落ち込みましたが、このところ10%近くになっています。

 もちろん、日本の金融仲介機能が一頃に比べ改善したといっても、まだまだ不十分です。しかも、金融セクターが実体経済活動に与える影響がいかに大きいかは、バブル崩壊以降の日本経済の苦境や、ただ今述べたような最近の推移を見れば、よくわかります。経済の持続的な発展は、効率的な金融システムと健全なリスク・テイク活動なしにはおぼつきません。この点は後ほど触れたいと思います。

産業構造改革の萌芽

 第2にとりあげたいのは、産業構造改革の方向性がおぼろげながら見え始めているのではないか、ということです。ここ数年来、わが国の産業界では、将来の成長を牽引する分野を模索する動きが続いてきました。その難しさが、先行きに対する不透明感というかたちで、企業マインドに影を投げかけてきました。しかし、最近、この点でも、前向きな動きが出始めているように思います。

 最近の株式市場の動向をみると、その一端が窺われます。この1年間で、日経平均でみた株価は約50%上昇していますが、業種別のばらつきがたいへん大きくなっています。電機・通信のように2倍近い上昇を記録しているものもあれば、ほとんど上昇していない業種もあります。また、夏場以降は、株価が全体として上昇しているにもかかわらず、日々の値上がり銘柄数は、むしろ値下がり銘柄数よりも少ないことが多いのです。その差は、最近さらに拡大しており、いわば、少数の銘柄が株価全体を牽引する傾向が鮮明になっています。もう一つの特徴は、将来性のある中小企業に対する市場の注目が高まっていることです。先ほど、日経平均がこの1年間で50%上昇したと申し上げましたが、この間、東証2部の株価指数は2.5倍、店頭平均の株価指数は3.5倍になっています。

 こうした動きの背景としてよく挙げられるのが、IT(インフォメーション・テクノロジー)革命といわれるような、情報・通信分野での技術革新の進展と需要の拡大です。また、いわゆる「ビット・バレー」に代表される、意欲旺盛で新しい企業群の台頭も、たいへん心強く思っています。ただ、私は産業評論家ではありませんから、ここで、今後の成長分野を予想する積もりはありません。申し上げたいことは、わが国でもそうした将来の成長分野や企業が競争的な環境の中で生まれ、発見され、育まれていく仕組みが徐々に働き始めているのではないか、ということです。

アジア経済の回復

 第3にあげたいのが、アジア経済の回復の相互作用ということです。先ほども申し述べたとおり、最近のわが国からの輸出の増加には、アジア経済の回復が大きく貢献しています。しかし、同時に、アジア諸国からの日本向け輸出もかなりのピッチで拡大しているのです。例えば、NIEs諸国の輸出を仕向け国別にみると、日本向けの伸びがもっとも高くなっています。この背景には、わが国経済の持ち直しや、日本を含めた地域内の水平分業の一段の進展が寄与しています。現に、域内貿易も全体的に拡大しています。もちろん、わが国を含め、アジア経済の回復はまだ脆弱なものです。これまでのところは、経済政策の効果発現や輸出に依存しており、金融システムの再構築や内需の本格的な回復にはまだ時間がかかるでしょう。しかし、日本も含む東アジア諸国では、相互依存型の分業体制のもとで、回復が相互に波及するという拡大均衡のメカニズムが働き始めている可能性があるように思います。

内需の回復力の展望

 以上、日本経済の持ち直しの背景をまとめてみました。しかし、それでは、こうした前向きの動きが経済の持続的な成長につながっていくかどうかというと、残念ながら、まだ十分な確信はもてないといわざるを得ません。それは、内需の柱である個人消費と設備投資の自律的な回復の動きが、はっきりしていないからです。

 多くの企業は、依然として、設備や債務が過剰な状態にあり、経営のリストラに取り組んでいます。企業は、経営の効率化や債務圧縮の手をそうそう緩める訳にもいかないのです。雇用の面でも同様です。こうした状況では、企業収益が増加したり、資金繰りが楽になっても、実物投資にはなかなか向かいにくいものです。

 また、リストラ圧力のもとでは、家計の雇用・所得環境も好転しにくくなると考えられます。さきほど、個人消費は厳しい雇用・賃金環境のもとでも比較的健闘してきたと述べました。これは、消費性向が上昇したということですが、個人消費が本格的に回復するには、やはり、その基本となる雇用・賃金環境が下げ止まり、改善に向かう展望がもてる必要があります。

 さらに、為替相場の変動やその影響についても、注意深く点検していく必要があります。夏場から秋にかけてかなり急激に円高が進展しましたし、最近も、為替市場ではまだ不安定な動きが続いています。これまでのところ、輸出の面では、円高のマイナスの影響は、世界景気の回復というプラス要因によって緩和され、景気の足取りや企業マインドに大きな悪影響を与えていないように見られます。また、80年代以降、日本の企業は、グローバルな生産体制の構築や製品の高付加価値化に取り組んできました。こうした努力により、かつてと比べれば輸出企業の為替変動に対する抵抗力は強まっていると考えられます。とはいえ、夏場以降の為替相場の変動は急激であり、その今後の影響については、なお注意深く見極めていく必要があると考えています。

構造改革の課題

 それでは、来年に向けて、民間需要の回復力を強化するにはどうしたら良いのでしょうか。実は、そのための方向性は、先ほどご説明したような今年の前向きの流れのなかに示唆されているように思います。それは、金融システムの機能強化や産業の競争環境の整備を進めることです。例えば、さきほど金融仲介機能は回復しつつあるが、まだ十分ではないと申し述べました。そこで、金融面の例をひとつあげてみたいと思います。

 新規企業の開業資金の調達ルートを日米で比べてみますと、大きな差異があります。米国では、開業資金の7割が自己資金であり、残る外部調達もほとんどがベンチャーキャピタルやエンジェルと呼ばれる個人投資家から調達しています。しかし、わが国では、自己資金の割合は3割弱に過ぎず、大宗を占める外部調達のうち7割が金融機関借入れとなっています。また、中小企業庁の調査によれば、新興企業が新分野に取り組む上での障害としてもっとも強く感じているのは、人材育成や技術開発でなく、資金調達となっています。

 このように、わが国で、新しい産業分野や企業を育てていくうえでは、まだまだ間接金融の役割が大きいのです。したがって、金融機関としては、不良債権問題処理や経営の効率化を通じて、できるだけ早期に企業活動をバックアップする力を回復することが重要です。また、現在進んでいる資産流動化に向けた取り組みなど、金融インフラを強化していくことも引き続き必要です。

 同時に、直接金融の強化も大事な課題です。ただいま申し上げた新興企業の例との関連でいえば、東京証券取引所のマザーズや日本証券業協会の店頭市場改革、ナスダック・ジャパン構想などは、新興企業の資金調達の円滑化に向けた新たな動きであり、今後の展開には強い期待が集まっています。また、産業構造改革という点では、先般、政府が策定した「経済新生対策」には、中小企業振興策、成長分野における規制緩和など、多くの措置が盛り込まれました。

 この関連で申し上げておきたいことは、金融政策や財政政策といったマクロ経済政策は、結局は、こうした構造政策の果たすべき役割をとって代わることはできないということです。マクロ政策は、この文脈では、時間を買う政策に過ぎません。しかも、財政赤字がここまで拡大し、金融政策がゼロ金利というぎりぎりの領域まで到達しているという実情は、直視すべきです。もちろん、日本銀行としては、ゼロ金利政策を継続して、景気の回復を強力にサポートする方針にありますが、大事なことは、そうした政策の下支え効果が働いているうちに、各種構造政策の実施をテコにして、できるだけ早く民間企業の前向きな活動を引き出すことです。

3.金融政策運営の課題

ゼロ金利政策の特徴

 次に、以上のような経済の現状と展望を踏まえて、金融政策運営に関する話題に移ることとします。

 ご承知のとおり、日本銀行は、今年の2月以来、ゼロ金利政策という非常に思い切った金融緩和策を講じています。この政策の内容や基本的な考え方は、これまでも様々な機会を捉えてご説明していますので、ここでは、この後の議論の前提として、その特徴点だけを整理しておくこととします。

 第1に、ゼロ金利政策は、無担保コールレートのオーバーナイト物を事実上ゼロ%で推移させるという政策です。当然、金利をゼロにまで下げて、そのレベルで安定的に推移するようにするためには、それだけたくさんの資金を市場に供給する必要があります。その意味で、この政策は、量的な側面からみても強力な金融緩和ということができます。

 ただ、これは金融市場における資金量の話であり、これが実際の貸出やマネーサプライの増加につながっていくためには、それだけでは十分ではありません。日本銀行が供給する資金──これはベースマネーとかハイパワードマネーとよばれますが──は、「パン種」のようなものです。これを大きく膨らませるには、金融機関や証券市場など金融仲介機能の積極的な働きと、企業の活発な資金需要が必要です。現在の金融市場は、実体経済活動のサイドからいったん前向きな動きが起きれば、いつでもそれに十分応えられる態勢になっています。しかし、同時に、先ほど申し述べたような構造政策を通じて、金融システムを強化し、企業活動を活性化させていくことも、併せて重要な条件です。

 第2に、日本銀行は、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで」という表現で、ゼロ金利政策の継続性についてコミットメントを行いました。この措置により、ゼロ金利の効果は、より長期の金利にも順調に波及しています。現在は2000年問題の影響により年末越えの金利が高くなっていますが、その影響を除けば、ほぼ1年ものの金利までがゼロ%近辺にまで低下しています。

 また、このコミットメントは、この政策にある種の弾力性も与えています。例えば、経済に何らかのマイナスのショックが加わったと仮定しましょう。そうすると、市場はゼロ金利政策の解除時期が先送りされると予想しますので、オーバーナイト金利がゼロのままでも、より長めの金利は速やかに低下します。それによって、金融緩和効果がさらに強まるわけです。いわば、ゼロ金利政策の時間軸効果です。

 第3に、日本銀行は、これまで述べたようなゼロ金利政策の効果をより確実ならしめ、その浸透に努めていくために、金融市場調節手段の機能を強化しています。例えば、年末要因やコンピューター2000年問題の影響から、短期金融市場で資金需要が増大するような場合でも、日本銀行は、豊富で弾力的な資金供給を続け、ゼロ金利を維持できるような体制を整えています。

 こうしたゼロ金利政策については、歴史的にも、また世界的にも類例を見ない政策だけに、様々なご意見、ご批判を賜っています。例えば、家計などに対する所得分配上の歪みをもたらしているとか、構造改革をかえって遅らせている、といった副作用を強調する見方があります。確かにこうした副作用は無視できませんし、このような点からみても、ゼロ金利政策はぎりぎりの異例な選択であると認識しています。しかし、現在は、思い切った金融緩和で経済の回復をサポートすることが先決であり、それに成功すれば、その成果は家計などにも及んでくるものと考えています。

 これとはまったく逆に、ゼロ金利政策でも金融緩和の程度が足りないというご批判もあります。いわゆる量的緩和論と呼ばれる主張もそのひとつですが、先ほどもご説明したとおり、ゼロ金利政策というのは、量的な面でも強力な金融緩和になっていると考えています。

 量的緩和論の一環として、介入資金の不胎化をやめて、介入により市場に出される円資金を放置して、一段の緩和を進めてはどうかという主張もあります。この点を理解するうえでまず申し上げておきたいことは、「不胎化」という言葉が、介入の一本一本について、「放出された円資金をオペレーションで吸収する」という意味であれば、日本銀行はそうしたオペレーションは行っていない、ということです。日本銀行は、ゼロ金利政策のもとで、介入資金も含めた様々な資金の流れも利用しながら、金融機関が必要とする以上の資金を市場に残す調節を行っております。その意味で、介入資金も利用して豊富で弾力的な資金供給を行っているのです。さる12月1日には、この点に関する総裁談話を公表し、あらためて、日本銀行の調節手法と介入の関係について明らかにすることとしました。

 最近では、こうした議論に加え、インフレ・ターゲティングという手法についての議論が活発化しております。そこで、以下、この問題について私の考え方を詳しくご説明したいと思います。

2つのインフレ・ターゲティング論

 インフレ・ターゲティングとは、一言でいえば、物価上昇率に具体的な数値目標を設定し、その実現を目指して金融政策を運営するという方法です。これは、90年代前半に、ニュージーランド、イギリス、カナダなどで導入された手法です。当時これらの国では、高いインフレに悩んでいたのですが、この手法で中央銀行のインフレ抑制に対する強い決意を示し、インフレを抑制する上で一定の効果が挙がったとされています。

 ただし、最近、わが国でインフレ・ターゲティングが主張される場合、2つの、実は異なる主張が混在しているように思います。ひとつは、ゼロ金利政策のもとでの、さらなる金融緩和策としてのインフレ・ターゲティングと、もうひとつは、より中長期的な観点に立った金融政策運営の枠組みのひとつとしてのインフレ・ターゲティングです。

 前者は、現在のデフレ的な経済状況を脱するために、やや高目の目標インフレ率を設定して、これが達成されるまであらゆる手段を総動員する、という考え方です。目標が達成できないのであれば、中央銀行は、長期国債や株式、場合によっては、不動産さえ購入すべきであるという主張につながります。いわば、インフレ・ターゲティングに名を借りた一種の「調整インフレ論」ということができます。一方、後者は、長期的な市場の期待形成の安定化と中央銀行のアカウンタビリティを高めることに重点をおいて、金融緩和と金融引締めの双方向に対応しうる政策と位置づけられると思います。

「調整インフレ論」の問題点

 「調整インフレ論」は、過去にも景気低迷の打開策として登場したことがあります。適度な物価上昇を伴いながら経済活動が活発になることは、国民全体にとってプラスであるというものです。また、日本の企業は過剰債務に苦しんでおり、財政赤字の規模も非常に大きくなっているため、インフレによる債務負担の軽減効果に着目する意見もあります。しかし、私は、インフレでもって経済問題を解決しようとすることはきわめて危険な選択であり、中央銀行として採り得ない方法であると考えています。

 まず第1に、「適度なインフレ」など実現できるのでしょうか。経済の中にひとたびインフレ期待が発生すると、それは往々にして自己増殖的に膨らみます。いったんインフレが発生してしまうと、それを抑え込むためには経済に急ブレーキをかける必要があり、結果として経済の振幅を大きくしてしまうリスクが大きいのです。経済や物価の振幅が大きくなって先行きの見通しが立たなくなると、人々の経済活動は防衛的なものになります。企業は設備投資を抑制し、経済のダイナミズムが失われてしまう危険が大きいのです。

 第2に、金融資産に及ぼすマイナスの影響も無視できません。現在1300兆円にのぼっている家計の金融資産の実質的価値がインフレによって毀損されます。ここでインフレによって金融資産を目減りさせることは、低金利政策の副作用として指摘されている分配面での問題を、一層深刻にすることになります。

 第3に、インフレにより、本当に債務の軽減といった効果をあげることが可能でしょうか。これは、金融・資本市場の発達とグローバリゼーションという環境変化を踏まえて考える必要があります。例えば、人々が先行きのインフレを心配するようになると、効率的な金融市場では直ちに金利にその分が上乗せされ、上昇していきます。そうなると、既往債務は軽減されても、新規債務の負担が増大してしまいます。このように考えると、インフレにより、バブルの整理や財政再建が実現できるかどうか、必ずしも確実ではありません。

 つまり、インフレによって問題を解決しようとすることには、非常に大きな副作用が伴うばかりか、そもそも狙った効果が実現できるかどうかさえ、不確実といわなければなりません。

インフレ・ターゲティングとアカウンタビリティ

 これに対して、本来のインフレ・ターゲティングは、金融政策の目的である「物価安定」への強い決意を示し、金融政策運営の透明性を高めることに重点をおいた方法です。私としても、新日銀法の施行以来、アカウンタビリティを向上させる努力をしてきた積もりですので、こうした考え方自体は十分理解できるところです。しかし、同時に、検討すべき課題がいくつもあることも事実です。

 まず、何らかの物価指標の特定の数値によって、「物価の安定」を定義し、目標として設定することができるのかという問題です。具体的には、どの物価指標が良いか、外部的なショックの影響をどう位置づけるか、あるいは、パソコンや携帯電話のように、技術革新によって機能がどんどん高まったり、値下げが行われたりするような商品が増えているもとで、意味のある目標値の設定が可能かどうかなど、論点は尽きません。これらは「割り切りの問題である」という方もいますし、確かにそういう面はありますが、私には、「物価の安定」とは何かという根本的な問いかけを含むたいへん重い課題に思えます。

 また、金融政策運営の透明性との関係も、実はそう簡単ではありません。確かに数値目標を導入すれば、金融政策運営がわかりやすくなる面はあります。ただし、金融政策は、その効果の波及にかなりの時間を要しますので、足許の数値を目標とすることはできません。将来のインフレ率見通しを目標値との関係で評価し、政策運営を行っていく必要があります。例えば、イギリスでは2年後のインフレ率の目標を2.5%に置いています。最近のインフレ率は2.1%と、この目標値を下回っているにもかかわらず、先般、金融引締めを実施しました。このことは、中長期的に物価の安定を確保するためには、潜在的な物価上昇圧力など様々な要因を考慮して政策を判断しなければならないということを、端的に示したものではないかと思います。

 このように考えてくるとインフレ・ターゲティングの採用如何にかかわらず、金融政策運営には先行きの景気や物価動向を踏まえた総合的な判断が欠かせません。そうであれば、対外的にその判断や考え方を説明していくことの重要性も変わりません。

 現在、日本銀行は、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで、ゼロ金利政策を続ける」方針を明確にしています。これは数値目標の設定が有する難しい問題を回避しつつ、インフレ・ターゲティングと同様の効果を狙った方法といえます。もちろん、日本銀行としても、このような金融政策運営の手法や枠組みについては、内外のご意見に耳を傾けながら研究を続けたいと考えています。

「デフレ懸念の払拭」の考え方

 最後に、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」という基準の考え方を改めて述べておきたいと思います。しばしば、景気が持ち直しているのにまだデフレ懸念は払拭されないのかとか、あるいは、そもそも基準が不明確ではないか、といったご意見を頂きます。

 まず、足許の物価情勢をみますと、確かに、消費者物価や卸売物価はほぼ横ばいの動きとなっています。消費者物価は、昨年の9月には前年比でマイナス0.5%まで下落しました。それが、最近では、前年比でもゼロ近辺になっており、その限りでは現状はデフレ的な状況にあるとはいえません。しかし、インフレ・ターゲッティングに関連して述べたとおり、金融政策運営で着目すべきは、こうした物価安定地合いが将来にわたって持続できるかどうか、ということです。足許の物価指数の動きではなく、将来の物価動向に関する様々なリスクの判断が重要なのです。

 こうした観点からみると、民間需要の自律的な回復の動きがはっきりせず、景気後退のリスクがなお残っている状況では、物価に対する潜在的な低下圧力が十分低下したとはいえません。その意味で、デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢に至ったと判断するにはまだ時期尚早です。これが、現在までの政策委員会における大勢の意見となっています。

 政策委員会においては、需給がさらに緩和するリスクが十分小さくなったと判断できるかどうか、あるいは、景気回復の可能性が景気後退の可能性を上回ってきたと考えられるかどうかといった観点も踏まえ、物価情勢については、今後とも注意深く情勢を点検していく積もりです。また、その判断の材料や背景にある考え方については、金融経済月報や政策委員会の議事要旨で示していくというかたちで、市場や国民にも十分ご説明していく方針です。

4.おわりに

 以上、本年の日本経済と金融政策運営を振り返り、来年に向けての課題や金融政策運営の考え方についてご説明してまいりました。

 来年は、本日申し上げたような前向きの動きが、今度こそ自律的な回復につながり、新しいミレニアムのスタートにふさわしい年となることを祈っております。繰り返しになりますが、そのためには、金融政策や財政政策などマクロ経済政策だけでなく、構造政策とそれに応える企業の創造的な取り組みを通じて、日本経済の持つダイナミズムを引き出す努力がどうしても必要です。日本銀行としても、引き続き最大限の努力を講じていく積もりですので、皆様方のご理解とご協力をお願い申し上げて、本日の話を終えることとします。

 ご清聴ありがとうございました。

以上