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「物価の安定」について考える

2000年11月 8日・中日懇話会における日本銀行藤原副総裁講演

2000年11月 8日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.「物価の安定」はなぜ重要なのか
  3. 3.「物価の安定」の数値化は可能か
  4. 4.透明性の一段の向上に向けて
  5. 5.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の藤原です。本日は「物価」を巡る問題についてお話をさせて頂きます。

 申し上げるまでもなく、中央銀行の基本的な仕事とは、おかねを発行し、人々がそれを安心して使えるようにしていくことです。そのためには、おかねを通じた取引や決済の仕組みが円滑に働くようにするとともに、その価値を安定させていくことが重要になります。おかねの価値とは、例えば100円でどれだけのモノが買えるかという購買力のことです。インフレになって、いろいろなモノの値段がいっせいに上がれば、おかねの価値が下がるということですし、デフレであればその逆になります。したがって、おかねの価値を安定させるということは、物価を安定させるということになります。

 「中央銀行は物価の安定に努めなければならない」ということは、当然といえば当然であり、広く受け入れられた考え方です。世界各国の例をみても、ほとんどの中央銀行は「物価の安定」を目的として金融政策を運営しています。日本銀行法の第2条にも、金融政策の理念について、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」であると書かれています。ここで、「物価の安定」とともに、「経済の健全な発展」という言葉が書かれていることは、これから私が申し上げることの一つのポイントになりますので、強調させて頂きたいと思います。

 しかし、「物価」とは何なのかということをあらためて考えてみますと、これが意外にやっかいな問題であることに気付きます。例えば、「皆さんにとって物価とは何ですか?」とお尋ねしたら、どのようなお答えが返ってくるでしょうか。

 個人的な話で恐縮ですが、若かりし頃の私にとって、「物価」とは、ほぼイコール酒代とメシ代、プラス幾許かの本代のことでした。これらの安定が、私個人の「健全な発展」に資するものだったかどうかはわかりませんが、少なくとも私の懐にとっては、これらの価格こそが重要な関心事でありました。

 同様に、人それぞれによって、また企業によって、重要な価格は異なるでしょう。一口に「物価」といっても、どの物価をみればよいのかという問題があります。これは、物価指数という統計を巡るいろいろな問題にもつながってきます。

 また、「物価が安定している」というのは一体どのような状態なのかということも、なかなか難しい問題です。例えば「バブルの頃、物価は安定していましたか?」あるいは「今、物価は安定していますか?」といった質問に対しては、いろいろな答えがあり得るように思います。

 80年代後半のバブル時代、物価指数は表面上は安定していました。しかし、経済活動は異常に過熱し、株価や地価は大きく上昇しました。その後10年以上にわたって、日本経済は、行き過ぎたブームの反動とその後遺症に苦しむことになります。こうしたことまで考えると、少なくとも、バブル期の表面的な「物価指数の安定」は、「経済の健全な発展」と整合的な、真の意味での「物価の安定」ではなかったともいえます。

 一方、最近では、去年よりもはるかに性能が向上したパソコンや携帯電話が、去年よりはるかに安い値段で売られるというような現象が多くなっています。こうした動きが盛んになると、数字の上では物価の低下要因となります。しかし、だからといって、「経済の健全な発展」にとって重要な「物価の安定」が損なわれているとも言い難いように思えます。このことは、現在の日本経済がデフレ的なのかどうかということを判断するうえでも、大事なポイントになります。

 さらに、物価の安定をめざす金融政策運営の方法についても、さまざまな提案が行われています。最近しばしば議論されているインフレ・ターゲティングという手法もそのひとつです。これは、金融政策が実現をめざす「物価の安定」という状態を、例えば消費者物価の上昇率何%といったかたちで具体的に示すことで、金融政策の透明性を高める方法といえます。このやり方のメリットとデメリットはいろいろありますが、結論としては、私は、現在の日本では、この方法を採用することは適当でないと思っています。しかし、調整インフレ論は論外としても、こうした提案がなされている理由のひとつに、金融政策運営をもっと透明に、もっとわかりやすくできないか、という問いかけがあることは事実です。中央銀行として、こうした問題提起にはきちんと答えていく必要があります。

 こうした中で、日本銀行は、今年の3月から半年以上にわたり、「物価の安定」とは何か、また、金融政策運営の透明性を高めていくためにはどのような手段が適当かといった問題について、精力的に検討を重ねてきました。

 この間、日本銀行のスタッフは、物価指数の問題や日本の物価動向などについて調査や分析を行い、その成果を公表してきました。総裁、副総裁を含めた私たち政策委員9名は、そうしたスタッフの調査結果などを材料に、11回にのぼる検討会を行い、検討を進めてきました。そのうえで先月13日に「『物価の安定』についての考え方」という報告書をとりまとめ、発表しました。また、この報告書に基づいて、物価や経済見通しの公表を含むいくつかの新しい措置も採用しました。

 そこで本日は、物価を巡るさまざまな問題や、検討の過程での悩み、さらには、今回採用した措置の背景について、率直にお話しさせて頂きたいと思います。そのうえで、私たちの問題意識や悩みを皆さんに共有していただければ幸いであると考えています。

2.「物価の安定」はなぜ重要なのか

 まず最初に、「物価」とは何なのかといった基本的な問題について、お話ししたいと思います。

 「物価が安定している」とは、個々のモノやサービスの値段が、あたかも統制価格のように動かないことではありません。むしろ、個々の値段が需要や供給を反映して弾力的に動くことは、市場経済が機能するうえで不可欠のメカニズムであります。

 例えば消費者は、「お、サンマが旬で安くなったな。一匹100円なら食べてみようか」、あるいは、「これだけ携帯電話が安くなったら一台持ってみようか」といったように、値段の変動をみながら、何をどれだけ買うかを判断していくわけです。一方、企業は、個々の値段の動きから消費者のニーズの強さを探りながら、どこにビジネスチャンスがあるのか、何をどれだけ生産すればよいのか、また、そのためにどの程度機械を買ったり、人員を配置すればよいかを決めていきます。こうしたプロセスを通じて、モノやサービスが人々のニーズに応じて供給され、新しい企業が市場に参入したり、生産資源が効率的に配分されていくことになるわけです。

 「物価の安定」とは、世の中にあるさまざまなモノやサービスの値段を全てあわせた、「一般物価」の安定であると言い換えることができます。ここで、「全てあわせる」ということの意味やその方法が問題になるのですが、ひとまず、個々の値段を集計して平均したものと漠然と捉えておいてください。

 インフレやデフレというのは、こういう意味での一般物価が上がり続けたり、下がり続けたりすることです。

 そうなると、消費者や企業は、個々のモノやサービスの価格の変動が、社会のニーズの変化などを反映したものか、それとも一般物価という尺度自体の変動によるものかを見分けることが難しくなります。家計にとっては、何を買えば経済的なのか、企業にとっては、何をどれだけ生産すればよいか、そのためにどれだけ機械を買えばよいかといった判断がつきにくくなってしまいます。この結果、経済の持つ力を十分に発揮することができなくなります。

 したがって、経済の健全な発展にとって重要な「物価の安定」ということを概念的に表現しようとすれば、「家計や企業が、一般物価の変動にわずらわされずに、消費や投資などの意思決定ができる状況」ということができます。

3.「物価の安定」の数値化は可能か

(物価指数を巡る問題)

 さて、「物価の安定」をこのように概念的に整理したうえで、次に問題となるのは、それを何らかの具体的な数値で示すことができるかどうか、あるいはそうした数値の実現を目標として金融政策を運営できるかどうか、ということです。

 金融政策運営の透明性を高めるためには、いろいろな方法があり得ます。例えば、中央銀行の物価情勢についての判断を定期的に示していく方法もあるでしょう。また、金融政策を決める会議の議論の内容を明らかにすることにより、どのような考えに基づいて政策が決定されているのかを示していく方法もあります。これらの方法については、日本銀行も、金融経済月報や金融政策決定会合の議事要旨の公表といった形で、すでに取り入れています。

 そのうえで、金融政策がめざす「物価の安定」という状態を、物価指数などの具体的な数字で示すことができれば、金融政策運営のわかりやすさはもっと向上すると考えられます。

 ただ、海外の中央銀行の例をみても、この点に関する対応は、国により様々です。イングランド銀行などいくつかの中央銀行は、先ほどふれたインフレ・ターゲティングの手法を採用しています。米国の連邦準備制度はこうした数値を示していません。欧州中央銀行は、「物価の安定」の定義として「消費者物価上昇率が中期的に前年比2%を下回る」という基準を示していますが、インフレ・ターゲティングは採用していません。

 要は、各国とも、自国の経済情勢や歴史・制度の違いに応じて、様々に工夫しているということですが、まず、この問題を考える一般的な前提として、物価指数の問題から始めてみたいと思います。

 先ほど申し述べたとおり、金融政策の対象となるのは、個々の値段ではなく一般物価です。一般的な物価を把握するために、各種の物価指数という統計が開発されているのですが、これらは、一定の約束ごとにしたがって、無数にあるモノやサービスの価格の一部をサンプルとして拾い出し、集計したものです。したがって、その解釈には十分慎重である必要があります。

 とりわけ最近のように、新しい小売業態がどんどん進出したり、パソコンや携帯電話、家電など、性能が向上した新商品が毎年市場に出てくる中で、「物価指数」が「真の物価」の動きを十分に正しく反映できているのかという問題は、ますます難しさを増しているように思います。これは、物価指数のバイアス問題と呼ばれています。

 もちろん、物価指数を作る側も、日本銀行を含め、指数を「真の物価」に近づけていくよう、日々努力を重ねています。ただ一方で、現実の世界では、例えばソフトウエアのように、どんどんバージョン・アップされることが当たり前であり、同じものを調査し続けることが難しいものが増えています。また、インターネット販売などの新しい販売形態も次々と生まれています。こうした動きは、将来、一段と進んでいくのではないかと思います。

 そう考えると、物価指数と「真の物価」との関係は「いたちごっこ」のような面があります。現実が日々変化し、これに物価指数が追いつこうとする努力を続ける中で、両者のギャップ、つまりバイアスも縮まったり、広がったりを繰り返していく可能性が高いように思います。

 もちろん、こうした「統計と現実との乖離」といった問題は、物価指数に限らず、あらゆる統計に共通する問題といえます。経済政策を運営するうえでは、経済の実態をなるべく正確に反映する統計が、極力早いタイミングで入手できることが重要です。とりわけ、現在の日本のように、いろいろな統計数字の「伸び率」が小さくなってくると、統計の精度やスピードの問題は、ますます重要性を増しているように思います。

(バブルの経験)

 以上申し述べたように、物価指数と「真の物価」との間には、ある程度の「ずれ」が生じている可能性は否定できません。ただ、こうした問題は、各国でも程度の差はあれ共通した問題ともいえます。こうした中で、「物価の安定」の定義や目標を数値で示している中央銀行があることを踏まえると、単に物価指数に統計上の限界があるというだけでは、「物価の安定」を数値で示さない理由にはなりません。物価指数に限界があることを十分認識したうえで、なお何らかの数値を示した方がよいのか、それとも、むしろデメリットの方が大きいのか、日本の経済構造や現在の経済・物価情勢などを十分に踏まえて考えていく必要があります。

 ここで思い起こされるのは、現在の日本経済になお深刻な影響を残し続けている、バブルの経験です。

 バブルは、日本全体に蔓延した「右肩上がりの幻想」や「土地神話」、税制や規制など、さまざまな要因が複雑に絡み合って発生したものと考えられます。しかし、残念ながら、長期にわたって金融緩和を続けた金融政策運営がその一因となったことも否定できない事実です。それでは、当時、「物価の安定」について何らかの数値を持っていれば、このような行き過ぎた経済のブームの発生を防ぐうえで、役に立ったでしょうか。

 この頃の経済情勢を振り返ると、公定歩合2.5%という金融緩和が続いていた87年から88年にかけて、成長率は5%程度にまで高まっていましたが、消費者物価の上昇率はゼロ%台にとどまっていました。因みに各国の例をみても、「バブル」は、むしろ物価が表面上は落ち着いている時に起こっているように思います。これは、景気が良いのに物価は上がらないという一見心地よい状況の中で、先行きに対する過度に強気な見方が生まれやすいためだろうと思います。

 したがって、仮に80年代後半の段階で、「物価の安定」の定義や目標として何らかの数値を持っていたとしても、これがバブルの発生を防ぐうえで役に立っていたかどうか、簡単には結論は出せないように思います。当時は、物価が表面上きわめて落ち着いており、先行きも物価が大きく上昇していくといった予想はほとんどありませんでした。そうした中で、何らかの数値目標が設定されていたら、よほど注意しないと、金融緩和が続くという期待をさらに強めてしまっていたかもしれません。このように、バブルの経験は、「物価の安定」を数値で示す難しさのひとつの側面を、浮き彫りにしているように思えます。

 バブルが「物価」の問題について与える教訓は、むしろ、次のようなものだと思います。

 まず、第1に、「物価の安定」は将来に向けて持続的に確保されていくことが重要であり、そのためには、物価の動向をかなり長い目でみていく必要があるということです。バブル期についてみれば、消費者物価の前年比は、89年頃まではほぼゼロであったものが、90年から91年にかけては3%を超えました。確かに、3%という物価上昇率は、70年代から80年代の常識からすれば、さほど高いものではありませんでした。しかし、2年間で3%ポイントも物価上昇率が上がったことを今から冷静に評価すると、とても物価の安定が持続的に実現していたとはいえないように思います。例えば、5%だった物価上昇率が短期間のうちに8%に上がったら、誰でもがインフレと認めるでしょう。判断を難しくさせたのは、そもそもの発射台がゼロ%と低かったことと、それが上昇するのに時間がかかったということです。

 第2に、物価情勢を判断するうえで、物価指数の動きをみているだけでは不十分であるということです。これは、今申し述べた物価安定の持続性ということにも関連するのですが、将来の物価変動をもたらすような要因を注意深く点検していくことが大事です。そのためには、経済活動の水準や需給ギャップ、資産価格など、物価指数以外の指標も注意深くみていく必要があります。

 ここで「資産価格」の問題についてもふれておきたいと思います。金融政策の目的は一般物価の安定であると申し上げると、地価や株価などの資産価格を軽視するのは問題であるとおしかりを受けることがあります。しかし、日本銀行は、ずいぶん前から、経済・金融情勢を判断するうえで、資産価格の動きを重視してきています。

 本日は深くは立ち入りませんが、一般的なモノやサービスの値段と、資産価格はだいぶ性格が異なると考えられています。近年、地価に関して「収益還元価格が適正な地価である」ということがいわれています。この「収益還元」という言葉が示すとおり、資産価格というのは、その資産から将来にわたって得られると予想される収益を、現在の価値に引き直したものになります。したがって、資産価格は、将来に対する人々の予想という要因に大きく左右されることになります。また、地価や株価は、経済成長率や収益性が高まれば、それに応じて高くなることは当然でありまして、一般物価のように、長い目で見てできるだけ安定していた方がよいというものでもありません。この意味で、資産価格のコントロールということを直接の金融政策の目的とすることは適当ではありません。しかし、誤解のないように強調しておきたいことは、「直接の目的ではない」ということは、「大事でない」ということではまったくない、ということです。

 むしろ、只今述べたバブルの苦い経験が示すとおり、資産価格の大きな変動は、金融システムへの影響などを通じて、結局、経済や物価の動向に大きな影響を与えます。したがって、私たちとしては、長い目で見て物価の安定を確保するうえでは、資産価格の動向やそれが企業や金融機関行動を通じて経済全体に与える影響にも十分目配りしていく必要があると考えています。

(供給要因についての考え方)

 次に、物価がどのような原因によって動くのかについて、お話ししたいと思います。ここで主として取り上げたいのは、供給要因による物価変動をどう考えるか、という問題です。

 いうまでもなく、物価の変動には、需要と供給の両方の要因が関係してきます。普通、景気が良くなって物価が上がり気味になるとか、不況になって物価が下がるというのは、どちらかといえば需要の変動に着目したものと考えられます。また、金融政策が物価に影響を与える方法も、少なくとも半年から1年といった短めの期間では、需要面を通じた径路が中心となります。

 同時に、物価には、モノやサービスの供給側の要因も大きな影響を与えます。ただ、国民経済の供給能力の伸び、言い換えれば潜在成長率といったものは、普通は少しずつなだらかに変化するものと考えられます。短期的な物価変動を分析するとき、需要サイドの分析に焦点が当てられることが多いのは、このためです。しかし、ときに、供給サイドの要因が短期的にも物価を大きく動かすことがあります。

 例えば、台風や地震などの天災によって、工場や畑といった供給能力に被害が出て、需給が逼迫して物価が上がることもあるでしょうし、石油ショックというのも、供給面からのショックの一つです。

 供給サイドの要因による物価変動に金融政策運営上どう対応すべきかということは、たいへん難しい問題です。天災のような供給要因により一時的に生鮮食品の価格が上がった際、全体としての物価を安定させるために、他のモノやサービスの価格を無理やり下げるような対応をとることは、適切ではありません。同様に、石油価格が大幅に上昇したときに、全体としての物価をまったく上げないようにしようとすれば、強烈な金融引き締めを行って、その他の価格を大きく引き下げる必要があります。こうした方法をとると、かえって、デフレ圧力を強めてしまい、長い目で見れば、結局、持続的な物価の安定が阻害されることになりかねません。その意味では、こうした場合には、それがインフレ期待を増幅しないように、あるいは便乗値上げができにくい程度に引き締めを行うけれども、それ以上に無理に物価を引き下げない方がよいということになります。因みに、インフレ・ターゲティングを採用している国でも、こうした供給ショックに対しては「免責条項」というものが設けられていて、目標から一時的に離れることが許容されています。

 これまでは、物価を引き上げる方向での供給面での要因を挙げましたが、今の日本には、これとは逆に、物価を引き下げる方向での供給要因が強く働いている可能性があります。それは、例えばIT分野の技術革新に伴う関連製品の価格低下とか、「ユニクロ」現象といわれるような流通合理化の動きなどです。

 きわめて単純化した例を挙げれば、今年の最新型パソコンは、去年型と比べ、性能が良くなっているうえに、価格は安くなっているのが普通です。仮に、価格はほぼ同じで、計算のスピードや記憶容量などからみた性能は2倍に向上している場合、この分を「品質調整」という手続きによって調整すると、パソコンは物価指数上は半分に値下がりしているという処理が行われることになります。

 こうした場合に、全体としての物価指数を横ばいにしようとすれば、パソコンが実質的に値下がりした分、食料品や衣料品など、その他のモノやサービスの価格を無理やり引き上げるということになります。しかし、それが国民経済的に望ましいかどうかは、疑問です。

 また、パソコンの性能の向上によって実質的な値下がりが実現されている場合には、その裏側で、パソコンメーカーなどの生産性も上昇しているはずです。したがって、これらの分野の経済活動が阻害されることはなく、むしろ、こうした産業の企業収益は全体として増加し、利払い能力も向上することになります。実際、90年代において供給面からの物価低下圧力の中心となってきた情報通信関連のセクターは、同時に、積極的な設備投資を行い、新たな経済活動の原動力となってきたセクターでもありました。

 90年代以降の日本の物価は、諸外国に比べても、非常に落ち着いた状態が続いています。これは、景気の低迷に伴う需要の弱さを反映していた面が大きい訳ですが、最近ではこれに加えて、技術革新や流通合理化といった供給面での要因が、物価の低下圧力として働いていることも、確かであるように思います。

 もちろんだからといって、私は、現在の物価に低下圧力を及ぼしている要因が、全て供給面のものだと申し上げているわけではありません。

 日本銀行がゼロ金利政策を採用した昨年2月頃と比べれば、この1年半あまりで、需要の弱さによる物価低下圧力は大きく後退したといえます。しかしこれは、あくまで当時と比べればということであって、現在でも、なお、かなり大きな需給ギャップが残っていることは事実です。景気回復テンポの緩やかさからみても、物価に上昇圧力がかかるような情勢ではありません。また、供給要因によるものであれば、物価がいくらマイナスになってもよいとか、マイナスが長く続いてもよいと考えているわけでもありません。どのような要因であれ、物価のプラスやマイナスが大幅なものとなったり、これが長く続くようであれば、「物価の安定」が持続的に実現されているとはいえないと考えています。

 ただ、現在の日本のように、需要要因だけでなく、供給要因も強く物価に作用していると、どういう物価情勢が経済の健全な発展と整合的なのかどうか、判断は容易ではありません。このため、日本銀行は、物価情勢を判断するうえで、企業収益や雇用・賃金を巡る情勢などをできるだけ幅広く点検するよう努めています。言い換えれば、現在は、望ましい物価上昇率を数字で示せば、それで金融政策の透明性が向上するというような簡単な状況ではないように思われます。

(数値化に関する結論)

 物価の安定の定義なり目標を数値で示すとすれば、それは、金融政策運営の指針として、かなり長期にわたって妥当する必要があります。しかし、現在のように、供給面からの物価低下圧力が強めに働いている局面では、望ましい物価上昇率は、そうした要因の影響がもう少し落ち着いているような場合に比べ、低くなっている可能性があります。しかも、供給要因が実際の物価指数をどの程度押し下げているか、なかなかわかりませんし、これがいつまで続くのかということも予測はできません。

 こうした状況下で、無理をして長期的に望ましい物価上昇率を数値で示したとしても、今、直ちにその実現をめざすということにならない以上、金融政策運営に当たっての指針になりません。したがって、透明性の向上にもつながらないように思います。

 このような検討を経た結果、金融政策の透明性を高めるためには、現段階では、「物価の安定」の定義なり目標なりを無理やり数値で示すよりも、むしろ、先行きの物価や、その背景となる経済についての日本銀行の見方を、できるだけわかりやすく伝える工夫を行っていくことが適当であるという結論に至りました。

4.透明性の一段の向上に向けて

(「経済・物価の将来展望とリスク評価」の公表)

 このような見解に沿って金融政策の透明性を高めるための工夫として、日本銀行は今回、2つの新たな仕組みを開始することとしました。第1に、経済や物価の先行きに関するやや長めの評価を、4月と10月の年2回、政策委員会で決定し、公表することにしました。これが、「経済・物価の将来展望とリスク評価」というレポートです。ちょっと題名が長いですので、以下では、「展望レポート」と呼ぶことにします。第2に、このレポートの中で、先行きの物価上昇率や成長率についての政策委員の見通しを掲載することにしました。本日、お手許にお配りしてありますのが、先週の10月31日に公表しました初回の展望レポートです。

 ご覧頂きますとおり、展望レポートは、2つのパート、および「政策委員の見通し」から構成されています。始めは、「経済・物価の将来展望」という部分です。今回のレポートでは、今年度から来年度にかけて、蓋然性がもっとも高いと考えられる標準的な見通しを述べています。次に、3ページから始まる「リスク評価」の部分では、標準的な見通しに対する下振れ・上振れ双方のリスクを述べています。金融政策運営上は、標準的な見通しだけでなく、さまざまなリスクがどのように分布しているか、ということも十分勘案する必要があります。その後に、参考として、「政策委員の見通し」を2種類掲載しています。ひとつは9名の政策委員が提出した見通しのうち、最大値と最小値を除いた幅で示した「大勢見通し」、もうひとつは、全委員の見通しをそのまま幅で示した「全委員の見通し」です。

(見通し作成のプロセス)

 このような見通しの作成・発表方法については、いろいろなご意見やご質問を伺っています。この後、それにお答えするつもりですが、その前に、見通し計数を含む展望レポートが実際にどのように作られるのか、具体的に順を追ってご説明してみたいと思います。

 只今申し述べたとおり、展望レポートは、年2回、4月と10月に開催される政策委員会の金融政策決定会合で決定されるのですが、ここでは、レポートを決定する決定会合の10日ほど前から話を始めることとします。

 まず、執行部から私たち政策委員に対し、先行きの見通しに関する報告が行われます。ここでは、その前に1ヵ月ほどかけて調査統計局が分析を重ねた将来の見通しと複数のリスク・シナリオが、検討材料として提出されます。ここから、9名の委員による作業が始まります。各委員は、毎月の決定会合における議論や日ごろの執行部とのディスカッションなども踏まえて、それぞれの経済観や先行きのイメージをそれなりに持っています。ここで、執行部から提出されたシナリオも参考にしつつ、各自のイメージを計数化する作業を行うわけです。その際、先行きの金融政策については、不変とすることを前提とします。それ以外の前提の置き方は、各委員に委ねられることになります。

 ここでは、調査統計局の持っているモデルや分析手段が最大限に活用されます。例えば、原油価格について独自の見通しを持っている委員は、その見通しに基づくモデル・シミュレーションを依頼し、スタッフと議論を重ねていくでしょう。あるいは、輸出の先行きを慎重にみている委員は、もし輸出がこの程度減速したら、経済全体の成長率や物価にどのような影響を与えるか、といった試算を依頼することになるでしょう。もちろん、この間、独自の手法で経済の先行きを試算する委員もいらっしゃると思います。その場合は、組み立ててみた需要項目の展望が相互に整合的なものになっているかどうか、モデルを使ってチェックすることもできます。この間は、調査統計局は各委員からの発注を抱えて、大忙しだと思いますが、たいへん効率的に私たちのニーズに応えてくれます。また、金融市場局、国際局、信用機構室、考査局など他のセクションからの情報も、将来のリスクの所在やその大きさを考えるうえで、欠かせない材料です。

 こうして、各委員は、それぞれの1回目の見通し計数を作成し、執行部に提出します。これが、決定会合の3日くらい前です。執行部は、この結果に基づいて、大勢見通しと全員の見通しの1回目の集計結果を作成し、委員にフィード・バックします。この結果も踏まえて、委員はさらに計数の詰めの作業を続け、はじめに出した見通しの変更を希望する委員は、決定会合の前日に2回目の計数の提出を行います。この間、企画室のスタッフは、私たち政策委員の議論や提出された見通し計数をベースに、展望レポートの原案をねることになります。

 さて、こうして、いよいよ決定会合の当日を迎えます。決定会合では、2回目の集計結果が記入された展望レポートが配布され、これをもとに議論が行われます。議論は、主に、各政策委員が先行きのリスクとしてどのような点を重くみているかといったことや、展望レポートの記述内容などが中心になります。ひとしきり議論が行われた後、決定会合はいったん休憩します。ここで、当日の議論を踏まえて考え直した結果、もう一度見通し計数を変更したいという委員は、3回目の計数を提出します。この3回目の見通し計数が最終版となります。執行部は、この集計結果を決定会合に報告し、これが掲載された展望レポートが採決に付されることになるわけです。

(見通し計数の性格と位置づけ)

 さて、以上、展望レポートと見通しの作成方法を詳しく述べたのは、こうしたプロセスを知って頂くことが、いくつかのご疑問にお答えするうえで有用ではないかと考えたからです。

 まず、見通しを出すのであれば、政策委員会として一本にまとめて決定すべきではないかといったご意見が聞かれます。しかし、それぞれの政策委員の経済や物価に対する見方は異なっていて当然です。例えば、先行きについて、3%成長を見通す委員と、ゼロ成長とみる委員がいたとします。その場合「政策委員会の見通し」は、例えば間をとって1.5%で決定しようというわけにはいきません。

 そもそも、新しい日本銀行法の方法の意義は、経済や物価についてさまざまな見方を持つ委員が集まって十分議論したうえで、多数決で一つの政策を決めていくことにあるように思います。確かに、会議の構成メンバーの見方を幅で示すという方法は、日本では目新しいため、やや違和感がもたれるのかもしれません。今回日本銀行が採用した方法は、米国の連邦準備制度も採用しているやり方で、合議制による政策決定機関にとっては、もっともふさわしい方法のひとつといってよいと思います。

 また、政策委員ではなく、執行部による経済・物価見通しを出すべきではないかといったご意見もあります。しかし、経済情勢についての執行部の分析や判断は、あくまで、それぞれの政策委員が経済情勢を判断するうえで、行内の各セクションから提供される情報の一つに過ぎません。金融政策を決定する立場にある政策委員の見通しこそが、日本銀行の見通しであり、それを示していくことが、政策運営の透明性を高めるうえで意味のある方法です。

 この点に関連して、政策委員は、いわゆる「経済予測」の専門家でない人もいるが、どのように見通しを作るのか、というご質問も頂きます。中には、予測の専門家でない委員達の見通しを寄せ集めても信頼できないなどという、同僚委員方の名誉を代表して、断固抗議したくなるような暴論さえみられます。この疑問に対するお答えは、先ほどのご説明で尽きていると思います。確かに、政策委員の構成は、経済学者やエコノミストだけではありません。経済予測を専門にしていたわけではない委員もいます。かくいう私はその最たるものです。しかし、毎月の決定会合における議論の積み重ねと執行部によるサポートを通じての作業は、私にとっても非常に有意義なものでした。この展望レポートと見通し計数は、まさに政策委員の知恵と執行部の情報収集・分析能力とを総動員した結果であるということをご理解頂きたいと思います。

 最後に申し上げたいことは、見通しの数値は、日本銀行の見方をわかりやすくするための、工夫の一つに過ぎないということです。世の中の関心は、どうしても数値による見通しの公表という部分に集まりやすいかもしれません。しかし、本日繰り返し申し述べたように、むしろ大事なことは、数字の背後にある将来のリスクに対する評価であり、それに基づいた責任ある政策判断です。

 そうした評価や政策決定の考え方を世の中に伝えていくための方法は、今回の新たな措置だけではありません。新日銀法以来、日本銀行は、さまざまな仕組みを講じてきました。金融政策決定会合の定例開催、金融経済月報の公表、決定会合の議事要旨の公表など、いろいろな仕組みがすでに用意されています。今回の措置は、これらと一体になって機能するように設計したつもりです。

 例えば、リスク評価や見通しの数字と、実際の経済の展開とが違ってくることがあれば、それはなぜなのか、また、これに対してどのような政策対応をとればよいのかについて、その後の金融政策決定会合で議論されることになるでしょう。こうした議論の内容は、議事要旨などを通じて公表されることになります。金融政策の透明性は、こうした一連のプロセス全体を通じて確保されるものと考えています。

5.おわりに

 以上、いろいろ申し述べてまいりました。

 この半年間の物価についての検討は、「物価」を巡る問題が、どれほど奥の深いものかということをあらためて示してくれました。日本銀行としては、今後とも、「物価の安定」の数値化の問題も含め、物価を巡るさまざまな問題について、考えてまいりたいと思います。また、今回新たに導入した、透明性向上のための仕組みについても、さらなる改善の余地がないかどうか、引き続き検討を重ねていく方針です。

 さらに日本銀行は、物価統計をはじめ、いろいろな統計を作成している立場から、引き続き、より正確な統計をより早く提供するよう努めていきたいと考えています。同時に、統計を巡るさまざまな問題について、日本銀行の外部の方々とも協力しつつ、研究を続けていきたいと思います。

 皆様方のご理解とご支援、そして、どうか建設的なご批判をお願いして、私からのお話を終わらせて頂きます。

 ご清聴ありがとうございました。