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山梨県金融経済懇談会における武富審議委員冒頭挨拶要旨

2001年4月26日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
    • 山梨県の自然・風土
  2. 2.経済の現況評価
    • 昨年から今年までの経済情勢
    • 今回の景気回復局面の特徴
    • 先行きの見通し
  3. 3.今次政策変更の眼目と今後の政策運営
    • 3/19日の決定内容と目的
    • 今後の金融政策運営上の着目点
    1. (1)想定効果が発現する道筋の検証
    2. (2)実体経済の基調を左右する要因の点検
      1. (イ)企業による追加的調整の度合
      2. (ロ)家計のB/S調整下における消費特性
  4. 4.構造改革とは何か
    • 構造改革の定義
    • 「経営資源を成長分野に配分する」とは?
    • 「資源の最適配分を実現する」ためには何が必要か?
  5. 5.最後に
    • 金融政策の役割
    • 明日の日本のために

1.はじめに

 本日は、山梨県の官界・経済界を代表する方々と親しくお話する機会を得まして光栄に存じます。昭和20年以来、私共の甲府支店は地元の皆様に大変お世話になっております。永いお付き合いに対して心から感謝申し上げます。

 当地の「甲斐」という呼び名は、山峡つまり「やまかい」の「かい」に由来すると聞いています。四方を山岳に囲まれた当地は、中央に近く位置しながらも、地方ならではの自然・風土を残しています。東京から僅か小一時間ばかりで甲府盆地に降り立ちますと、都会の喧騒から離れた別世界が広がります。特に、桃の花から新緑に移り変わるこの季節には、さながら「桃源郷」に迷い込んだ気分になります。喧騒から隔絶された土地柄ゆえに、これまで幾多の宗派の本山が存置され、また、独創性に富む財界人を輩出してきたのではないかと察しています。

 本日は、こうした桃源郷にはそぐわないお話を差し上げなければなりません。再び調整局面に入った日本経済を如何に再生するのかという、誠に無粋な話題にお付き合い頂ければと存じます。最初に、先月19日の政策変更の背景と意図についてお話しします。その後、先行きの金融政策の考え方、経済を展望する上での注目点、そして最後に経済再生のための構造改革という順番で、話を進めさせて頂きます。

2.経済の現況評価

 日本銀行は、先月19日の金融政策決定会合において、今まで経験したことのない新しい政策を採用しました。これは、経済の現状からみて、もう一段の政策的踏み込みが欠かせないと判断したためであり、日本経済の再生に向けて強いメッセージを送るためでもありました。

 ここに至る背景を理解するために、まず、昨年から今年にかけての経済情勢を振り返っておきます。昨年初から、輸出と情報関連需要を主たる推進力として、企業部門は息を吹きかえしました。因みに、「法人企業統計」によれば、全産業ベースで、昨年10~12月期まで5期連続で前年比増収増益を記録しました。収益の改善を背景に設備投資も伸長し、景気回復の牽引役を果しました。一方、家計においても、「毎月勤労統計」における常用労働者数、現金給与総額をみる限り、昨年10~12月期には、いずれも前年並みの数値に戻りました。このように、個人消費を巡る環境が一部持ち直す中、全国家計支出における消費水準指数は昨年10~12月期に前年比プラスに転じ、本年1~3月期もそこそこの実績を残した模様です。つまり、やや長いタイムスパンでみれば、昨年のゼロ金利解除前後においては、好調なIT関連産業を軸に緩やかながら自律的な景気回復基調が維持されていたわけです。

 この景気回復基調に変調が生じたのは昨年末頃です。IT関連産業を中心とした米国経済の急減速を背景に、わが国企業の業況感は急速に悪化しました。金融資本市場の不安定な動きも手伝い、景気回復がもたつき始めたのです。電気機械の比率が大きい当地におかれても、この急激な変化を肌で実感されたものと思います。実は、昨年秋口まで、景気に敏感な半導体業界もまだ前向きな姿勢を崩していませんでした。すなわち、「パソコン以外に携帯電話やゲーム機等半導体の用途が広がっていること、半導体製造装置の更新が短期化する傾向にあることから、仮りに米国のIT関連産業からの受注が減少しても、その落込みは小さいのではないか」という見方でした。ところが、本年入り後、米国を起点にしてIT関連産業からの受注が大きく落込み、こうした見方は訂正せざるを得なくなりました。つい昨年11月までは、インフレバイアスを金融政策運営の主軸に据えていたFRBが、年明け以降、急遽緩和政策に転じたことにもみられるように、米景気の変化は極めて急激だったわけです。これを反映して、我が国経済においても、本年1~3月期の外需は、米国向け、アジア向けが大きく減少しました。これに合わせて、企業の生産活動も後ろ向きの在庫を圧縮するために減少に転じました。かくして、日本経済全体が再び調整局面入りを余儀なくされたものと判断しています。

 振り返ってみれば、今回の景気回復局面では、企業収益と雇用者所得のバランスがポイントになりました。つまり、企業サイドでは、時価会計導入への対応や競争力強化に資するR&D投資の拡充のためにも、相応の企業収益を確保する必要がある一方、マクロ的には、家計需要をもたらすためにも家計への所得の分配を行うことも必要になります。しかし、そもそも今次景気回復局面においては、構造調整圧力が残存しているため、企業収益の増加効果が消費者に浸透するまでには時間を要すると見込まれていました。通常の景気回復局面に比べ、この浸透過程が遅れていた間に、米国経済の急減速によって景気回復が足踏み状態に入ってしまった。これが、総じて見た、昨年から今年までの動きです。

 先行きを展望しましても、当面は調整局面が続くものと予想されます。先般の企業短期経済観測調査にみられるように、企業のコンフィデンスは大幅に悪化しています。本年度の設備投資計画は、先行きの不透明感から昨年の当初計画より低いレベルに止まっています。漸く消費回復の兆しを見せはじめた個人部門においても、まだバランスシートの傷みを抱えています。こうした現況を踏まえ、本日公表した「経済・物価の将来展望とリスク評価」におきましても、今年度の実質GDPに係る政策委員の大勢見通しは、前年度比+0.3%~+0.8%と昨年度と比較して大きく伸びを低めるものとみています。

3.今次政策変更の眼目と今後の政策運営

 こうした景気の変化に対して、日本銀行は、既に2月中に補完貸付制度の導入を決定したほか、金利の引下げをも実施していました。しかし、3/19日の決定会合前には、米国の景気減速の様相がさらに強まるとともに、不良債権問題などから金融資本市場が不安定の度を強めました。この状態が続けば、企業から家計へ所得の増加が均霑する波及経路が損なわれかねず、最悪の場合には、デフレスパイラルに陥る危険性もありました。我々は、名目金利の引下げ余地が殆どない中で、いかにこうしたリスクの表面化を食い止めるのか、極めて厳しい選択を強いられたのです。

 こうした状況認識に立って、私共は、これまでに前例のない政策を採る決断をしたということです。

 今回の政策の眼目は、(1)金融市場調節の操作対象を金利から当座預金という量に変更したこと、(2)当座預金残高を5兆円に増額したこと、(3)消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上になるまで金融緩和姿勢を続けるスタンスを示したこと、にあります。長期国債の買いオペ増額につきましては、目標とする当座預金残高を維持するための補完的なオペ手段として位置付けました。

 私は、これらの政策を採るにあたり、2つの効果を念頭に置きました。一つは、実質ゼロ近傍へ短期金利を引下げ、これに時間軸を加える効果です。無担オーバーナイトコール金利は、当座預金残高の嵩上げによる潤沢な資金供給の結果、既に実質的にゼロ近傍に下がっています。長期金利は、理論上、足許の短期金利と短期金利の将来の予想によって決定されます。今回は、CPIの強力なガイドラインを設けて将来に亘る緩和姿勢の継続をコミットした、つまり時間軸効果を加味したわけですから、長期金利を低位安定化させることも期待できるはずです。長短名目金利の低下による需要誘発効果が、想定しうる一つ目の効果です。

 もっとも、今次措置は一昨年2月に採用したゼロ金利政策とは異なります。金利を固定すれば量は可変となりますし、量を固定すれば金利は可変となります。今次措置は量を固定しているので、金利はあくまでも市場実勢に任せています。潤沢な資金供給の結果、ゼロ金利となる機会は多くなりますが、金利をゼロに固定したゼロ金利政策とは、本来、性格が異なることをご認識願います。

 二つ目の効果は、従来とは異なる、金融政策効果の発現経路を創出することです。一つは、当座預金の増加による資産シフトです。日本銀行に当座預金を有する金融機関が、資産構成において現金から他資産へシフトし、長短金利水準や株価、あるいは為替レートに影響を与え、この面から実体経済に働きかけることを期待しています。もう一つは、物価の継続的な下落に対する歯止めへの期待醸成です。デフレ回避に対する日本銀行の断固たる決意を示すことによって、人々が抱くデフレ懸念を払拭することを狙っています。

 デフレの中でこの種の効果を狙った政策を実施するのは、かつてのスウェーデンの類例を除けば、世界でも初めての試みであります。従って、その効果について確たる実証例はありません。一頃までの経済状況であれば、効果が不確実な政策スキームを敢えて採用する必要はありませんでした。しかし、足許の急激な景況感の悪化に対応するためには、考えうるあらゆる政策手段を動員することが適当と判断するに至った点をご理解賜わればと存じます。

 そこで、新しいスキームの下で、今後の金融政策をどのように運営していくのかという論点に移ります。政策変更後まだ1ヶ月強ということもあり、まずは先程触れた二つの効果が想定通りに発現するのかどうかを確認したいと考えています。

 長短金利の低下効果が波及する経路については、これまでにも経験しているため、概して想定しやすいところです。従って、この点については敷桁いたしません。評価が難しいのは、量的緩和の効果がどのような形で進みうるのかという点です。いくつもの論点があろうかと察しますが、ここでは先程示唆した二点に絞ります。

 一つ目は、量的緩和によって果して金融仲介の姿勢が変わるのかどうか、その結果として、マネーサプライが上昇してくるのかどうかという点です。リスク評価を十分に踏まえたうえで、金融機関が新たな収益機会に参入することを現実的に期待できるかどうかということです。もちろん、これが可能になるためには、二つの前提条件が必要です。一つは、不良債権の処理が何にも増して重要です。不良債権に伴うコストが業務純益を上回っている限り資金仲介機能は十分に発揮されません。もう一つは、産業側が資金を要する事業機会を掘り起こすことです。両々相俟って、金融機関が実体経済へ資金を流す何らかの経路を見つけ出していけるのかどうかに注目したいと思います。この場合、貸出増加のみを念頭に置いているわけではありません。業況低迷の中、産業界はさらなる不稼動資産の流動化を求めています。例えば、社内に眠る不稼動資産を証券化によって流動化する、あるいは、その資産を欲している産業に融通するといった施策も、一つの金融仲介機能として検討に値すると思っています。

 量的緩和が想定するもう一つの経路である「デフレ懸念の払拭」については「物価の下落傾向に歯止めがかかる」という見通しに基づいて、本当に買い控えがなくなるのかどうか、さらに、この買い控えをやめることによって、需要の弱さに基づく物価下落が鎮静化するのかどうかを点検していくつもりです。金融仲介機能の復原と同様、ここにおいても難しい問題が二つあります。一つは、現実に期待インフレ率が上昇すれば、金利の上昇を促します。これは、最終的に需要を抑制する方向へ作用しますから、それまでの間に消費者が購買意欲を増やしているかどうか。もう一つは、最近の消費者の行動をみると、「どこからでも入手できる汎用品(commodity)は出来る限り安く購入する」反面、「旅行や趣味といった体験する財・サービスの購入価格は気にしない」という消費スタンスが窺えます。つまり、「成熟社会の消費者」になったのです。こうした消費行動をとる消費者が、期待インフレ率が上昇しただけで単純に購買意欲を増すのかどうか、よく見ておく必要があります。

 量的緩和が想定するこれら二つの効果が認められない場合、今後仮りに景気が上向かないからといって、当座預金残高の増額によって対応することに意味があるのかどうか、前例がないだけに、判断が難しいところです。ここ暫くは、金融調節の操作目標を量的指標に設定したことに対して経済がどう反応するか、腰を据えて見極めることが重要だと思います。

 次に、今後の金融政策運営の前提となる情勢判断のポイントについて2点指摘したいと思います。一つは、景気の調整局面入りを受けて、今後、企業がどの程度、新たに設備・人員の整理に踏込むのかという点です。これは、企業収益がどの程度維持されるのかに大きく依存しています。先般発表した企業短期経済観測調査の結果をみると、米景気の下期回復を想定しているとはいえ、今年度の収益は引き続き増勢を維持する計画になっています。企業収益の改善を、売上高の増加・変動費の減少、固定費の減少、金融収支改善の3つの要因に分けてみると以下の点が浮き上がってきます。一昨年から明確になった企業収益の改善傾向は、当初、金利低下や人員削減・過剰設備廃棄等の固定費圧縮によって達成されていました。これが、昨年入り後は、主に売上高の増加によって増益となっています。つまり、それまでに固定費の削減目標を達成した企業は、その後、売上の数量効果を享受できる財務体質に転換したということです。このことは、労働生産性を一人当たり売上高と売上高付加価値率に分解してみた結果からも裏付けられます。今次景気回復局面において、企業の労働生産性の上昇は、当初、人員削減による一人当たり売上高の増大によって図られてきましたが、最近では売上高付加価値率の増大によって達成されています。

 今後の問題は、以上にみた収益基盤の中で、収益を上げるに十分な売上が確保できるかという点です。足許、米国をはじめ世界経済の成長率見通しがさらに下振れています。こうした中で、売上の不振から収益の伸びが大きく落込むようなことがあれば、企業がさらなるリストラに取組まざるを得なくなる可能性もあります。そうなれば、経済全体の調整を長引かせるだけに、注意深く点検していく必要性があります。

 情勢判断上のもう一つのポイントは、家計部門のネットワース(純資産)の傷みが完治していない下での消費者の動向です。今次景気回復局面において、個人消費が盛り上がりに欠けたのは、雇用・所得環境が大きくは改善しなかったこと、先程申上げたように「成熟した消費者」になっていることに加え、家計部門の資産・負債構成(バランスシート)が傷んでいるからです。私は、最後の理由が特に重要と考え、総務省が5年に一度実施する「全国消費実態調査」に推計を加えて、傷みの実態を確認してみました。この結果、負債残高に対する金融資産、土地・建物、耐久消費財等ストック資産の比率は、平成元年以降、全世帯および勤労世帯で下落しているのが分かりました。平成元年と現在を比較すると、所得は上昇し耐久消費財を買い控えているため、家計部門のキャッシュフローは増加しています。しかし、それ以上に有価証券や土地・建物の価値が下落しているため、バランスシートの悪化が十分に修復しておらず、消費許容能力が低下しているとみられます。また、成熟した消費者は、相対的に価格の下落率が低い財・サービス向けの選択的消費を増やしています。このため、年間収入が改善する一方、一般物価水準の下落が続いていても、実質購買力は思った程温存されていないのではないかと思います。

 このような家計部門の状況は何を表わしているのでしょうか。私には、個人が生活を営むうえで方向感を失っているようにみえます。見知らぬ駅に突然降り立つと、自分が何処にいるのか、そして何処に進めばよいのか分からなくなるような状況です。先程触れた通り、消費者は過去からのストック資産に頼ることは出来ません。現在のフロー所得も充分でない。また、年金・雇用不安によって将来に確たる自信が持てない。過去、現在、未来の全ての座標軸が不確かな中で、前向きになれない消費者の姿勢は、方向感の喪失を表わしているように思えます。経済が調整局面入りする中で、ネットワースの悪化に起因する消費者のこうした姿勢がさらに後ろ向きになることはないのか、十分留意していきたいと思っています。

4.構造改革とは何か

 私は、以上申し上げたスタンスの下で、今後とも経済実態の流れに沿って、適時適切な金融政策運営を心掛けるつもりでおります。

 しかし、金融政策以外の分野においても取組むべき課題があるのではないでしょうか。私は、金融政策だけで現在の日本経済を覆っている閉塞感を打開することは難しいとの思いを強くしています。やはり構造改革を断行しない限り、閉塞感から逃れることはできません。3/19日の政策決定の声明文にあるように、構造改革への動きを促すため、日本銀行は喜んで「最初に石を投じる者」になりたいと考えています。

 「構造改革」という言葉は、「量的緩和」と同様、使う人によって様々な意味に用いられます。この言葉を私なりに解釈すれば、「物価安定の下で、中長期的に最大の経済成長を達成するため、労働・資本・技術等経済資源の最適配分を実現すること、このための促進策を講じ、また適正配分を阻害している弊害を除去すること」と理解しています。日本経済の閉塞感の原因は、経済資源が最適に配分されていないことにつきるという認識です。

 今まで、日本経済には、製造業の輸出による営業余剰、これによってもたらされた都市部の所得を、地方や低収益の産業に還流させる「再分配機能」が組込まれてきました。これは、日本経済全体のみならず、一産業、一企業においても同様です。企業は、総体として利益が上がれば、低収益部門を敢えて問題視してきませんでした。人員の配置替や取引関係の変更に伴う摩擦について、極力回避したいと願ってきたからです。構造改革は、衰退分野の労働力・資本・技術等の経済資源を成長分野へ移転し、最適配分を実現することです。しかし、日本の現実は、マクロ・ミクロ両段階で、旧来型の資源配分を維持してきた結果、衰退産業に労働力、資本等の経済資源が凍結されてきました。

 この認識に立てば、構造改革の最初の論点は、「経済資源の最適配分」を実現するため、まずは「経済資源を成長分野へ配分することが必要だ」ということになります。

 誤解のないように、まずお断りしておきますが、これは「業況の悪い産業や企業は退出もやむなし」ということではありません。低採算部門から撤退し、社内の経営資源を高採算部門へシフトしながら企業として生き残ることは十分に可能です。建設業を例にとって説明させて下さい。建設業では、川上の設計・企画から川下の建設まで様々な工程があります。米国では、過去に建設業の淘汰が進む中で、設計・エンジニアリング等川上に特化した先と、施行・検査等川下に特化した先の2つに分かれました。わが国の建設業は、これまでの成長過程において、収益よりも規模(売上)を重視するとともに、建設サービスの全てをカバーしなければ総合建設業(ゼネコン)としてのブランドが社会に認知されなかったようです。このため、必ずしも得意な分野だけに経営資源を集中する形態にできなかったと聞いております。この結果、公共工事の入札資格要件を満たすためだけに、蓄積の少ない建設会社までもが全てのサービスを供給する体制を敷くなど、資源の無駄遣いが生じていたようです。一方、新規需要分野への取組みも「経営資源を成長分野に配分する」方策の一つです。環境に配慮した土壌浄化や先端技術用の研究施設構築のために建設業が保有している技術は欠かせません。オールド・エコノミーの代表のように言われている建設業であっても、工夫の余地は大いにあるように思えます。

 以上を申し上げた上で、話を本題に戻します。経済資源を成長分野に配分することが必要な理由は、成長分野へ経済資源をシフトすることによって、付加価値を増大させ、経済成長がもたらされるからです。もう少し詳しく言えば、最適な投入要素の選択により生産コストに違いを作り、他方、財・サービス内容の差別化によって販売価格に違いを作る形で付加価値の増大が可能となります。例えば、生産管理や工程面で工夫を施したり、安い労働力を求めて海外に進出することは生産コストの違いにつながります。技術開発やその他の工夫によって、他の人が真似できない商品を販売することは差別化をもたらします。差別化を図れるのであれば、企業は投入コストに特段の注意を払うことなく戦略的に販売価格を設定し、付加価値の増大を図ることができます。反面、差別化出来ない商品は、「commodity」として同業他社との競争や安値輸入品による絶え間ない値下げ圧力に晒されることになります。政策的には、経済主体が、このように自らの工夫と努力で付加価値を増大できるようなマクロ環境を準備することが求められます。即ち、物価や為替相場が経済と調和のとれた水準で安定的に推移するよう図ることが重要であるのは申すまでもないことです。

 もっとも、良好なマクロ環境の中で、経済主体が成長分野に経済資源を配分した場合でも、それによって「資源の最適配分」が必ずしも達成されるとは限りません。このためには、経済主体の自由な参入に基づく競争や摩擦緩和のためのセーフティネットが必要です。例えば、海外への移転は、自社の雇用・設備のみではなく、下請け等関係先の雇用・設備にも影響を与えます。差別化によって国内に生き残った企業が、余剰雇用などの受皿となればよいのですが、その保証はありません。雇用や設備のミスマッチが長期にわたって存続する可能性も十分にあり得ます。これには、経済主体が、国内において異なった投入要素の選択と財・サービスの差別化を最大限行うとともに、国内でこうした努力をする経済主体を増加させることが一つの解決策になります。そこで、まずは経済主体を活性化させる施策が求められます。具体的には競争を促進し市場を拡大するために規制緩和や起業環境の整備を図るとともに、内外直接投資を推進するインセンティブを付与することが必要です。競争が促進されれば、国内の経済資源は可能な限り活用されるでしょう。本邦企業が海外で、海外企業が本邦で創業し雇用・投資を積極化するなど、ダイナミックな動きにつながります。一方、経済主体に国内の経済資源を可能な限り有効活用させるためには、経済資源の魅力を向上させる対策も当然必要です。単なる失業保証ではない雇用訓練を通じたスキルドワーカーの育成、単なる補助金ではない設備償却における税制上の優遇措置等の施策がこれに当ります。こうした、経済主体・経済資源双方からアプローチする施策の組み合わせによって、資源の最適配分が達成されることになります。

5.最後に

 以上申し上げた構造改革を進める中で、金融政策の役割とは何でしょうか。先月の政策決定は、強力な時間軸を付与した従来の金利による政策と、人々の期待に働きかける新しい政策を同時に組み入れた、思い切った措置であると申し上げました。ただ、低金利は、企業の予想収益率の相対的な上昇を通じ、設備投資等の企業活動が活発にならなければ意味がありません。期待についても、人々が物価に対する見通しを変化させない限り意味がありません。つまり、今回の措置は、金利によって割引かれた現在価値、または貨幣の期待される価値を変更させることで、投資・消費の現在と将来の配分を変化させる効果しか持ちません。付加価値をあげるために、いかなる配分を選択するかは経済主体なのです。

 金融政策は、経済の振幅を抑え、長期的な経済成長経路から逸脱させないためには大きな効果を発揮します。しかし、金融政策は経済の従であって主ではありませんので、付加価値を増大することはできません。経済発展は、付加価値を増大させようとする経済主体の間断のない努力、それを促すような競争促進策、そして資源の最適配分によってのみ可能となります。

 こうした経済発展を可能とするシステムを構築すること、即ち構造改革は、痛みを伴いますし、またすぐに効果があがるものでもありません。しかしながら、我々も、そろそろ考えを改めるべき時期にきたのではないでしょうか。日本に進出している海外企業の方から「日本は少しでも悪い景気指標がでると、なぜすぐ大騒ぎするのか。欧州は、かつてユーロペシミズムと言われたように、第一次オイルショック以降ずっと経済的な苦境に悩んだ。現在の本格的な好況を実現するまで、実に20年間余りを要したのだ」という指摘を受けたことがありました。いま日本に求められているものは、中長期的に経済成長が可能な新たなシステムを構築するための、粘り強い本格的な取組みなのです。

 今この課題に着手しなければ、過去、現在、未来の全ての座標軸が不確かな我々のように、いずれ次世代が同じ思いに苦しむことになります。次世代に豊かな生活を引継ぐためにも、全ての経済主体が新しいシステムの構築に向けて努力する必要があります。我々日本人には、未だその意思も力もあると信じています。

 私が本日申上げたかったことは以上です。ご清聴頂きまして感謝致します。

以上