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日本経済の課題と金融政策

2001年 7月25日・外国特派員協会における日本銀行藤原副総裁講演の邦訳

2001年 7月25日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.現在の金融緩和措置
  3. 3.構造改革の果たす役割
  4. 4.構造改革と金融政策の関係
  5. 5.中央銀行としての責任

1.はじめに

 本日は外国特派員協会でお話をする機会を与えて頂いたことに、心から感謝いたします。

 外国特派員協会は昔から講演者に対してたいへんに厳しい質問を浴びせることで有名ですが、そこで講演をするということは、中央銀行の人間にとって非常に緊張を強いられる仕事です。特に、昨今のように、日本経済を巡る情勢が厳しい時はなおさらそうだと思います。それにもかかわらず、本日この席へのご招待の話があった際に、私が即座に出席のご返事をしたのは、日本経済が厳しい状況を続ける中で、日本銀行の悩みを率直にお話しすることを通じて皆様の理解を得る格好の機会だと思ったからです。

 後ほど詳しく申し上げるように、現在、わが国のマクロ経済政策の運営や構造改革の進め方を巡っては、さまざまな議論が行われています。振り返りますと、本年1月から3月頃までは、連日、一層の金融緩和の是非や不良債権処理の進め方を巡って、活発な議論が行われました。その過程では、あたかも金融緩和さえ行われれば、あるいは不良債権処理さえ進めば、日本経済は長期にわたる経済の停滞から脱却できるかのような議論も聞かれました。その後、4月下旬に小泉内閣が発足してからは、広く構造改革の問題が活発に議論され、6月末には「基本方針」が閣議で決定されたことは、皆様ご承知の通りです。

 僅か半年の間に行われた実に多くの議論をあらためて顧みますと、その中心的な論点は、現在の日本経済の直面する課題を解決する上で必要なことは、金融政策や財政政策といったマクロ経済政策の発動なのか、それとも、不良債権の処理や規制緩和、公的部門と民間部門の役割の見直しなどを柱とする構造改革の実行なのかということであったと思います。

 これらの論点は、バブル崩壊以降、繰り返し議論されてきたことでもあり、それ自体は決して目新しいものではありません。日本経済を持続的な成長軌道に復帰させる上で、どのような政策が望ましいのかは、政治経済学的な要素も勘案すると、簡単に答えが出る問題ではありません。どちらか一方に簡単に割り切れないところに、この問題の難しさがあるように思います。本日は、現在の日本経済の厳しい状況の下で、金融政策や構造改革の果たすべき役割について、私の考えをお話ししたいと思います。

2.現在の金融緩和措置

 最初に、議論の出発点として、現在日本銀行が採用している金融緩和措置の内容について、簡単にご説明したいと思います。

現在の金融政策運営

 皆さんご承知のように、日本銀行は、この2月から3月にかけて連続的に金融緩和を行い、特に3月にはたいへん思いきった金融緩和に踏み切りました。こうした一連の金融緩和措置のポイントは、次の3つにまとめることができます。

 第1に、日本銀行は、金融調節の主たる操作目標を、コールレートから、日本銀行の当座預金という「量」に変更しました。その上で、当座預金の供給量をそれまでの4兆円程度から5兆円程度と、約25%増額することとしました。

 このような、きわめて潤沢な資金供給のもとで、短期の市場金利は事実上ゼロ%にまで低下しました。また、円滑な資金供給のために必要と判断される場合には、現在月4千億円のペースで行っている長期国債の買い入れを、一定の歯止めのもとで増額することとしました。

 第2に、日本銀行は、こうした政策の枠組みを、消費者物価の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで続けることを明言しました。これは、先行きの金融緩和の継続を約束することにより、金融緩和の効果が、より長めの金利まで及ぶようにすることを目的としており、その効果は、しばしば「コミットメント効果」とか「時間軸効果」と呼ばれています。

 第3に、日本銀行は、いわゆる「ロンバート型貸出制度」を新たに創設しました。

 これは、一定の条件のもとで、金融機関からの借入れの申し込みに対し、日本銀行が公定歩合で受動的に貸し応じる制度です。このため、仮に金融市場に何らかの混乱が生じても、金融機関は、担保さえあれば、日本銀行から資金を機動的に調達することが可能になりました。この結果、公定歩合は短期市場金利の上限を画するという機能を新たに担うようになりました。この制度は、市場参加者の資金繰りについての安心感の醸成や市場金利の安定化に大きな役割を果たし、金融緩和効果を強化するものです。

金融緩和措置の効果

 現在、日本銀行が採用している金融緩和措置は、内外の中央銀行の歴史にも例をみないものであり、発表された時は、たいへんな驚きをもって迎えられました。ただ、そうした人々の感覚も、慣れるにつれて次第に麻痺し勝ちであるようにも思います。この緩和措置は、当初の驚きが示すように、潜在的に強力な緩和効果を有するものです。同時に、限界を有していることも確かです。我々としては、この緩和措置の効果と限界の両方を、正確に認識して頂きたいという気持ちを持っています。

 そこでまず、金融緩和措置の効果の方から見ていきたいと思います。

 3月の金融緩和措置を受けて、各種の金利はゼロ金利政策時代のボトムを下回る水準にまで大きく低下しています。例えば、コールレートは0.01%、期間1年の国債の金利は0.01~0.02%、期間5年の国債の金利は一時0.3%台にまで低下し、最近は0.4%台で推移しています。期間10年の国債の金利も1%台前半という低い水準で推移しています。また、社債やCPといった民間債の発行金利と、国債の金利との格差である「信用スプレッド」も低下しており、市場を通じた資金調達環境は、引き続き改善しています。

 このように、金融市場では、資金がジャブジャブとも言える状況になっています。このことを端的に示すのが、日本銀行がオペで市場に資金を供給する際に生じた「札割れ」という現象です。例えば、5月21日に日本銀行は4本のオペをオファーしましたが、そのうち3本について札割れが生じました。この3本についてみますと、1兆円の資金供給のオファーに対し、0.01%という実質的にゼロの金利水準であっても、金融機関は4千億円足らずしか応じませんでした。言い換えれば、「札割れ」というのは、「資金はすでに十分潤沢に供給されているので、0.01%という金利水準であっても、なお資金は要らない」という金融機関の意思表明にほかなりません。こうした「札割れ」は5月初から半ばにかけて頻発しました。このような状況に対処するため、日本銀行はオペの金利の刻み幅を0.001%に引き下げました。この結果、最低落札金利も0.001%に引き下げられ、このような努力——ある市場関係者はこれを日本銀行のナノテクノロジーと呼んでいましたが——が効を奏して、その後は取り敢えず「札割れ」は生じていません。しかし、将来、再び「札割れ」が起きないという保証はありません。いずれにせよ、現在、オペ金利の0.01%とか0.001%といった水準が問題となるほど、金融市場には資金が潤沢に供給されていると言えます。

金融緩和措置の限界

 同時に、この「札割れ」という事実は、日本銀行のオペによる資金供給には、金融機関の需要を超えていくらでも供給量を増やせるわけではないという、技術的な限界があることも示しています。

 もちろん、こうした技術的な限界はあっても、供給された資金が金融市場の外側にいる企業にまで行き渡り、経済活動の活発化に十分貢献していれば良いのですが、残念ながら、必ずしもそのような状況にはなっていません。

 そうした状況を端的に示す数字をご紹介したいと思います。日本銀行による積極的な資金供給を受けて、過去5年の間に、民間の金融機関が保有する日本銀行当座預金——金融機関の信用創造に働きかけるという点で重要です——は、年率12.3%で増加しました。また、日本銀行当座預金に銀行券を足し合わせたマネタリーベースも、年率7.9%という高い伸びとなりました。このような、日本銀行によるきわめて潤沢な資金供給にもかかわらず、民間金融機関の貸出は年率−0.4%の減少となり、マネーサプライも年率3.3%の伸びに止まりました。

 マネーサプライに比べて貸出の伸びが低いということは、金融機関の側からみれば、貸出以外の資産の保有が増えたことを意味します。そこで、増加した資産の内訳をみますと、主として国債であったことがわかります。つまり、日本銀行から金融市場への資金の供給を増やしても、金融機関は信用リスクのない国債への投資を増やし、この間、企業への貸出はむしろ減少したということです。このように、金融機関の信用創造活動が活発に行われないような状況の下では、実体経済活動も活発ではあり得ません。このことは、名目GDPの成長率が年率0.6%、消費者物価の上昇も年率0.1%と、ほとんど横這いの動きとなっていることに示されています。以上申し上げたことは、日本銀行が金融市場に対し潤沢に資金を供給し、金利を事実上ゼロというほぼ極限まで引き下げても、それだけでは経済活動が持ち上がっていかないという、日本経済の現実を示しています。ケインズは昔、「流動性の罠」という言葉を使って金融政策の有効性が低下する可能性があることを指摘しましたが、今の日本経済は、それにかなり近い状況と言えます。

量的緩和と時間軸

 しかし、日本経済が「流動性の罠」にかなり近い状況であるとはいっても、先行き厳しい景気悪化が予想される時に、中央銀行として手を拱いていることはできません。3月の思いきった金融緩和措置は、正にそのような考え方をもとに踏み切ったものです。

 この点に関連して、2つのことを申し上げたいと思います。

 まず第一に、日本銀行当座預金を主たる操作目標とし、これを増加させることの意味について申し上げます。

 現在の金融機関の所要準備額は4兆円程度ですから、「5兆円程度」という当座預金の目標は、これを大幅に上回るものです。先ほど申し上げたように、こうした潤沢な資金供給のもとで、短期金利は通常、ゼロ近辺で推移することになります。

 このような金利の低下に加えて、日本銀行当座預金という「量」の増加が、プラスの効果を持つことも期待されます。すなわち、金融機関が、日本銀行当座預金というノーリスク・ノーリターンの資産を必要以上に保有することになれば、リスクはあっても少しでもリターンの生まれる資産——貸出、社債、株式、外貨資産等が考えられますが——の保有を増やそうとするインセンティブが生まれるはずです。また、「量」の増加自体が、人々の期待に影響を与えることも考えられます。もちろん、長短の金利水準が非常に低くなっており、さらに、金融機関の信用仲介機能も低下している状況の下で、こうした効果は大きいとは言えないかもしれません。しかし、金利低下の余地をほぼ使い尽くした中で、先行き、厳しい経済情勢となることを展望すれば、敢えてこうした措置に踏み切ることが必要であると判断したものです。

 第二に申し上げたいのは、現在の金融緩和措置が持つ「コミットメント効果」についてです。

 前述のように、日本銀行は、将来にわたって金融緩和を継続することをコミットする、いわゆる「時間軸効果」に訴える政策を採用しました。これは、オーソドックスな金融政策の発動余地をほぼ使い尽くしたもとであっても、何とか金融緩和の効果を作り出すための中央銀行としての精一杯の努力、工夫とも言うべきものだと考えています。このようなコミットメントのもとで、景気がさらに悪化した場合、人々が将来物価が上昇し始めると予想する時期も先に延びることになります。そうなると、金融緩和の継続期間も長期化することが確実に予想され、イールド・カーブはさらにフラット化し、金融緩和効果が強まります。現在のコミットメントは、経済情勢の変化に対して、言わば、一種の「自動調整機能」を持っていると言えます。

3.構造改革の果たす役割

 このように、金融市場では、金利の面でも量の面でも強力な金融緩和が行われていますが、こうした金融緩和の効果が実体経済面に力強く波及していくためには、金融面および産業面での構造改革が不可欠です。

 構造改革とは、一言で言えば、「ヒト、モノ、カネ」という資源をより効率的に配分する機能を整え、それを通じて経済全体の生産性を上昇させることであると思います。構造改革の内容はこれから具体化されていくものであり、何に重点を置くべきかは、論者によって異なっているように思います。ここでは、そうした具体論にはあまり入り込まず、基本的な考え方に関して、私が重要と考える2つの論点を取り上げてみたいと思います。

期待の重要性

 第1の論点は、構造改革が成功する条件は何かということです。これについては色々な考え方があり得ると思います。私は、最大の鍵を握るのは、経済主体の「期待」への働きかけであるように思います。

 現在、企業や家計の「期待」は萎縮しています。こうした「期待」に働きかけ、これを変化させるといっても、「先行き、経済は成長していく」というごく正常な期待が持てるような状況に戻していくということです。しかし、現在の民間経済主体の期待は、そうしたごく普通の状態にさえ達していない状況です。単純な算術例ですが、仮に消費者や企業が支出をもう2%増やせば、GDPの成長率は2%高まることになります。家計調査によると、日本の平均的な家計の月間消費支出金額は31万7千円(12年度平均)だそうですから、2%の支出増加は1家計当たり6,000円程度となります。しかも実際には、乗数効果があるので、必要となる支出金額の増加はそれよりも小さくて済むはずですが、それがなかなか実現しません。

 期待がどのようにして形成されるかは難しい問題です。例えば、米国のITブームについても、いつかは収束するだろうとは見られていましたが、昨年秋までは、まだ比較的強気の見方が多かったように思います。事実、昨年11月に開かれたFOMCまでは、当面の米国経済のリスクとして、景気後退ではなくインフレ懸念が挙げられていましたし、民間の成長予測が下方修正に転じたのも昨年11月からです。その後、FRBは本年1月以降半年のうちに相次いで大幅にFF金利を引き下げ、金融政策のギアを急速に切り替えてきましたが、一旦強気の期待が過ぎ去ったIT関連企業の活動が持ち上がるには至っていません。日本においても、バブル期には、経済主体の期待は、今から考えると信じられない位に著しく強気化しましたが、現在は全く反対のことが起きているわけです。

 それでは一体、どうすれば企業や家計の期待を強気化させることができるのでしょうか。

 この点について、私には具体的な答えの用意があるわけではありません。ただ、先行きの経済に関する期待は、現実の経済のパフォーマンスによって裏付けられていく関係にあることを考えますと、結局は、経済全体の生産性を高めていく方向での政策を積み重ねていく以外にないように思います。そのために必要なことは、6月末に閣議決定された、構造改革に関する政府の「基本方針」に示されています。重要なことは、市場メカニズム重視の方向を明確にし、こうしたメカニズムを通じて経済全体の生産性を高めていくのだというイメージを国民に伝え、また、そうした方向での政策を具体化していくことであるように思います。

構造改革のスピード

 第2の論点は、構造改革のスピードはどうあるべきかという論点です。

 具体的には、海外のエコノミストからは、「本当に各種の構造改革が一挙に実行に移されたら、短期的には経済へのデフレ的影響が大きく、ただでさえ深刻な需要不足に悩んでいる日本経済のデフレ・ギャップを、一段と拡大してしまうのではないか」という論点が提起されています。

 海外の方々からこうした疑問が寄せられる背景は理解できます。確かに、海外における構造改革の事例をみても、短期的にはデフレ的な影響が先行して表れるケースが多いように思われます。また、米国や英国のケースとは異なり、日本では今や金利低下の余地が殆どなくなっているため、財政再建に伴う長期金利の大きな低下という追加的な「配当」も期待できません。しかしながら、構造改革を評価するマーケットは、債券市場だけではありません。構造問題の解決に向けた具体的な取り組みを、株式市場が好意的に受け止めていけば、この面から、短期的にも経済にプラスの効果が及ぶことも考えられます。

 さらに言えば、現在の日本では、構造改革の遅れ自体が需要不足を深刻化させているという側面があることにも、十分留意する必要があるように思います。

 このことを示す例として、個人消費がなかなか拡大しないことを取り上げてみたいと思います。もちろん、これには様々な要因が影響しているでしょうが、急速な高齢化の進展が見込まれる中で、将来の年金問題や税負担に関する不安が色濃く影を落としていることは、確かであるように思います。したがって、個人消費をマインド面から刺激するためには、こうした問題に由来する将来への不安を、できるだけ軽減することが重要となります。

 教科書的なケインズ理論では、国債発行によりファイナンスされる財政支出の拡大は、これに伴う将来の租税負担の増加を予見して現時点で消費を同額切り詰めるということがない限り、景気刺激要因となります。しかし、財政赤字により創出される公共投資が非効率的なものであれば、経済全体の生産能力も高まらず、将来の所得や消費を産み出すような「富」を蓄積することにはつながりません。一方で、こうした投資が、将来の税負担の増加や構造調整の遅れといったマイナス面はしっかり連想させることになれば、現在の消費行動にマイナスの影響を及ぼすことになります。

 その意味で、財政支出の総額は一定であっても、その支出内容をより効率的な方向へと見直す方向がはっきりしてきますと、言わば、将来の「富」が増加するという予想が、現在の支出行動にも好影響を及ぼすことが考えられます。オーソドックスな金融政策の発動の余地が限られているのと比べますと、「基本方針」が示すように、財政支出の「質」の見直しという強力な効果を有する政策発動の余地は、かなり大きいように思います。

 そうは言っても、構造改革を推進すれば、ただちに経済の改善が始まるとまで楽観的に考えているわけではありません。おそらくそのプロセスでは、短期的に倒産や失業の増加といった「痛み」を伴う面があることは否定できません。しかし、同時に、構造改革のマクロ経済的な影響のうち、短期的なデフレ効果のみが強調されることも適当ではありません。要するに、長期にわたる日本経済の停滞が構造的な問題に根差している以上、最早、構造改革はデフレ的であるとか、そうではないといった一般論を議論しても、あまり生産的ではないように思います。あくまでも今後の構造改革の具体案に即して、その経済的な帰結をバランスよく評価していくという姿勢が重要であると考えています。

4.構造改革と金融政策の関係

 以上、金融政策や構造改革の果たす役割について説明しましたが、それでは、金融政策と構造改革の役割の関係についてはどのように考えるべきでしょうか。

 この点について、しばしば、「構造改革の進展により、今後景気に悪影響が出るので、一層の金融緩和によりその痛みを和らげるべきである」とか、「構造改革の期間中においては、景気安定の役割は専ら金融政策にある」といったご意見も聞かれるように思います。こうしたご意見を念頭に置きながら、金融政策と構造改革の関係について、私の考えを述べたいと思います。

 まず申し上げたいことは、現在日本銀行が採用している金融緩和政策は、先ほど詳しく説明しました効果によって、構造改革を最大限サポートすることにもなるということです。

 まず第1に、現在の金融緩和策は、構造改革の短期的なデフレ圧力も含め、先行きの景気情勢のかなりの悪化も想定して採用に踏み切ったものです。この緩和措置の決定に至る議論の過程で、私自身、グローバルな情報通信分野の調整という循環要因とわが国の構造調整要因が重なる中で、先行き、日本経済が相当厳しい状況となっていくことを予想せざるを得ませんでした。こうした認識のもとで、フォワード・ルッキングな観点から、先行きの経済の悪化に先回りして、思いきった金融緩和を行う必要を、強く感じたということです。

 第2に、先ほど申し上げたように、仮に構造改革によって短期的にデフレ圧力が強まる場合も、現在の政策は、時間軸効果を通じて緩和効果が強まるという「自動調整機能」を持っています。

 第3に、構造改革の過程では、不良債権処理などに伴って、金融市場や企業金融の分野で、流動性への不安が高まるといった可能性も考えられないわけではありません。この点、先ほど申し上げた「ロンバート型貸出制度」は、流動性不安という心理的な躊躇を解消することを通じて、構造改革を後押しする効果を持っています。

 第4に、構造改革の進展とともに、将来の日本経済に対する企業や家計のコンフィデンスが強まり、将来に向けた前向きの経済活動が起こってくれば、現在の政策は、そうした動きを大きくサポートすることになります。逆にいえば、思いきった金融緩和は、これをうまく利用していくような民間主導の前向きの動きと相まって、初めてその効果をフルに発揮していくものです。

 現在の金融政策の枠組みを構造改革との関係で整理すると、以上のようになります。敢えて付け加えれば、私としては、3月の金融緩和措置に賛成票を投じる際には、「ここまで思いきった金融緩和に踏み切るのだから、どうか構造問題の解決を大きく進めて欲しい」という願いを込め、言わば構造改革に向けた各方面の動きをリードするくらいの強い気持ちでいました。今から振り返れば、こうした構造改革を求める思いは、決して我々だけではなく、この時すでに、広く日本中の人々の間でも、臨界点まで高まっていたのではないでしょうか。オーソドックスな金融政策の考え方からすると、このような考え方はやや異端に近いかもしれませんが、こうした日本銀行の思いきった金融緩和措置が、その後の構造改革を巡る情勢の大きな変化に、少なからず貢献したと自負しています。

5.中央銀行としての責任

 以上、金融政策や構造改革の果たす役割についてお話ししてきました。最後に、「日本経済の状況がここまで深刻である以上、日本銀行は中央銀行が通常はやらないことでも、できることは何でも実行すべきである」という議論を取り上げながら、中央銀行としての責任という問題を考えてみたいと思います。

 経済の先行きを展望しますと、4月の「展望レポート」でも示した通り、様々なリスク要因があることは否定できません。日本銀行は、これらのリスク要因も含め、あらゆる可能性を意識しながら、予断なく経済の先行きについて点検し、適切な金融政策運営に努めていきたいと思っています。これは、中央銀行として果たすべき当然の責任です。

 同時に、政策運営という面では、我々は名目金利の引き下げというオーソドックスな金融緩和の余地を、すでにほぼ使い切ってしまったという事実を申し上げることも、中央銀行としての責任です。というのも、金融政策を巡る様々なご意見を伺っていますと、金利がなお、かなりの下げ余地を残した水準にあるかのような議論が多いことに、やや戸惑いを覚えるからです。もちろん、現在のゼロに近い金利水準にあっても、我々は金融緩和の効果を何とか作り出す工夫をしてきました。しかし、そうした工夫にも、自ずと限界があります。金融政策を巡るさまざまなご意見の中には、あたかも、マネーサプライなどを——まるで空から降らせるかのように——自由自在に増やせるかのようなご意見もあるように思います。しかし、先ほどご紹介した数字が示すように、現実は、そうした姿にはなっていません。

 それでは、「インフレもデフレも貨幣的現象であり、物価下落を防止できるのは日本銀行だけである」という議論については、どのように考えるべきでしょうか。そうした議論を耳にしますと、私自身は、日々の経済の動きをみながら現実の金融政策運営のあり方を考える者として、非常に複雑な思いがします。

 確かに、きわめて長い期間をとってみれば、財やサービスとおかねの量との関係が、物価水準を決める大きな要因であると思います。「物価の安定」が日本銀行の金融政策の目標となっているのも、そうした理解に立っているものです。しかし同時に、物価は中短期的には、コスト要因や生産性の変化など、さまざまな要因によって大きく左右されることも事実です。

 実際、日本銀行は金利の面でみても、当座預金やマネタリーベースといった量の面でみても、最大限に金融を緩和しています。また、現在の金融緩和措置は、3月の公表文にもありますように、物価の下落を防止するという我々の断固たる姿勢を示すために実施したものです。しかし、先ほどご紹介した数字が示すように、現在のところ、こうした思いきった金融緩和の効果が実体経済活動の面には十分に伝わらず、物価もなお弱含みの動きを続けています。金融政策を実践する立場にある我々の苦悩も、正にそこにあるわけです。

 ここで、目的を「とにかく物価を上げる」という一点に絞り、どのような資産でも買い続けるといったことをすれば、——いつになるかはわかりませんが——いずれかの時点で物価は上昇することになるでしょう。ただし、それが持続的な経済成長につながるものとなるかどうかはわかりません。問われていることは、そうした政策をとることが、日本経済全体にとって果たして望ましいことなのか、また、日本銀行法の定める「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」という金融政策の理念に叶うものか、ということであるように思います。

 もちろん、新しい政策の検討に対し、中央銀行は常にオープン・マインドでなければなりません。実際、ゼロ金利政策にしても、3月の思いきった金融緩和措置にしても、日本銀行は十分に革新的な姿勢で臨んでいると思います。しかし同時に、金融政策の当事者としては、「極端な政策であって効果が不確実であっても、やらないよりはマシ」といった、乱暴な割り切りはできません。

 例えば、中央銀行による長期国債の買い入れの増額は、効果も考えられる一方で、それが将来の財政運営のディシプリンに対する懸念を市場に発生させてしまうと、リスク・プレミアムの上昇による金利上昇を招き、かえって経済に悪影響を与えてしまうおそれもあります。実際、最近の長期金利の動きをみていますと、補正予算を巡る議論が材料となって上昇するなど、先行きの国債発行を巡る見方に敏感に反応する動きがよくみられます。もちろん、現状程度の金利上昇であれば、いわば超低金利の範囲内の動きであり、実体経済活動に悪影響を与える心配はありませんが、市場参加者が、将来の財政運営や債券需給に関する不確実性に敏感になっていることは、政策当局者として、十分念頭に置く必要があります。

 日本銀行が、3月の金融緩和措置の決定の際に、長期国債の買い入れは、あくまで、当座預金を円滑に供給する上で必要と判断される場合に、銀行券の発行残高という一定の歯止めのもとで増額することとしたのも、以上申し上げたことを十分に考えてのことです。

 要約しますと、金融政策が未踏の領域に入っているからこそ、責任のある政策当局者としては、考えられる政策対応の効果や副作用について、十分突き詰めた吟味が必要であると考えます。その際重要なことは、金融資本市場のグローバル化が進んでいる中で、日本の政策は、内外の市場参加者から厳しい評価にさらされているということです。その意味で、金融政策運営に当たっては、個々の金融政策措置という、言わば「政策行動」も重要ですが、それと同時に、毎回の政策行動を貫く原理がきわめて重要だと思っています。ある意味では、これこそが本当の「政策」と言えるのかもしれません。

 日本経済の現状をみますと、輸出の落ち込みを主因に生産の大幅な減少が続くなど、調整が深まっています。日本銀行としては、グローバルなIT関連分野の調整や構造改革の影響を含め、今後とも経済情勢全般を注意深く点検し、適切な金融政策運営に努めていく所存です。同時に、その過程において、金融政策全体への「信認」をしっかりと確保していくことが、日本経済の持続的な成長を実現する上で重要であることを強調して、私の話を終わらせて頂きたいと思います。

 長時間にわたり、ご清聴ありがとうございました。

以上