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わが国決済システムの現状と将来展望
2003年 2月 6日・内外情勢調査会(於名古屋)における藤原副総裁講演要旨
2003年 2月 6日
日本銀行
目次
- 1.はじめに
- 2.決済システムとは
- 3.決済システムと日本銀行の役割
- 4.決済システムの安全性向上への取組み
- 5.日本銀行の提供する決済システムの整備——RTGSの採用と日銀ネット・インフラの改善
- 6.クロスボーダー資金決済システムの誕生と日本銀行の対応
- 7.証券決済システムの改革
- 8.将来展望
- 9.おわりに
1.はじめに
この度は、当地名古屋における内外情勢調査会にお招きいただき、誠に光栄に存じます。本日は、「わが国決済システムの現状と将来展望」というテーマでお話ししたいと思います。
「決済」は、およそ世の中の経済活動のすべてに「お金」の受け払いが伴う以上、企業であれ個人であれ、誰にも関係する身近でかつ大事な問題ですし、勿論中央銀行にとっても非常に重要なテーマです。日本銀行と言いますと、一般的にはその金融政策が取り上げられることが多いのですが、円の決済を安全で効率的なものにしておくことは、「信用秩序の維持」という日本銀行の基本的な役割の根幹をなすものです。この点は、私が平成10年に日本銀行に参りますのとほぼ同時に施行された新日銀法において、「金融機関間の資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資する」ということが、物価の安定に関わる「通貨・金融の調節」とともに、日本銀行の目的として掲げられていることからも明らかです。
そこで、本日は、「金融機関間の資金決済」を担う仕組み、つまり決済システムを巡る諸問題をとり上げてみたいと思います。翻ってみますと、わが国で決済システムや決済リスクの問題を関係者が真剣に考えるようになったのは、ほんの10年くらい前からです。この問題は、一言で言えば、「ある日突然払うべきお金を払えなくなった金融機関が出てきた時に、その影響が将棋倒しのように次々に広がっていく」というような忌しい事態が起きないようにするためには、予め決済の仕組みをどのようにしておくべきか、という問題です。従って、「日本では銀行は潰れない」と広く信じられていた時代には、当然ながら、こうしたことを真面目に考えるインセンティブは極めて小さかった訳です。しかしながら、その後の関係者の地道かつ継続的な取り組みによって、日本の決済システムの安全性・効率性はここ数年で大きく改善・向上してきています。こうした決済システムを巡る最近の動向や、今後の課題・展望といった点について、海外の事例も交えながらお話ししたいと思います。なお、本件はどうしても話がやや専門的、技術的な分野に立入らざるを得ない場合がありますが、その点はお許しいただきたいと存じます。些かなりともお役に立てばと思い、いくつかの専門用語についての簡単な定義集と、わが国決済システムの鳥瞰図を配付させて頂きましたので、参照願えればと存じます。
2.決済システムとは
さて、「決済システム」という言葉には何か技術的な響きもあり、縁遠いものと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、市場経済のもとでは、企業や家計の経済活動は、ほとんどの場合、取引の代金決済、すなわち「お金」の支払を伴うことは言うまでもありません。従って、決済の処理の仕組みである「決済システム」は、本当は、誰にとっても身近な存在です。何も問題が起こらない限りは意識されませんが、いったんうまく動かなくなると誰もがたいへん困るといった、水道や電気のような基本的なインフラストラクチャーと言ってよいように思います。そこでまず、わが国の決済システムのあらましを簡単にみておくことにします。日本の決済システムの概観の左上の方をご覧下さい。
企業や家計が決済のために用いる支払手段としては、「おさつ」──正式には「日本銀行券」と申しますが──とか、硬貨といった現金が存在します。また、現金を用いない場合の支払手段にも、小切手や手形、銀行振込やクレジットカードなど、様々なものがあります。このうち、小切手や手形など、現金以外の支払手段を使う場合、決済の手続きは小切手などの受け渡しだけをもって完了するわけではありません。これらの支払手段を用いた場合には、支払人と受取人の銀行口座の間で預金が振替えられて、はじめて決済が完了することになります。その際、支払人と受取人の取引銀行が異なる場合には、銀行間の決済——具体的には、各々の民間銀行が日本銀行に預けている、当座預金口座の間で資金が振替えられるという手順——を経て、はじめて一連の決済の手続きが完結することになります。
このように、企業や家計が使う「支払」のための手段は多様ですが、「決済」のための手段となりますと、通常は、日本銀行の発行するお札を中心とする現金か、民間銀行の負債である預金のいずれか、ということになります。そして、銀行預金が決済手段となる場合、支払人と受取人の取引銀行が異なると、銀行間決済が必要となり、そこには多くの場合、日本銀行が提供する当座預金が使われているわけです。したがって、日本銀行が当座預金を振替える仕組みは決済を処理する仕組み、つまり決済システムだということになるのです。
ところで、小切手や手形のような比較的小口で多量の支払いを銀行間で決済する場合、銀行はいちいち一件ずつ日本銀行の当座預金で決済をしているわけではありません。例えば、小切手や手形などは、手形交換所にいったん集められ、銀行毎に受払の差額が計算され、その上でこれを日本銀行の当座預金で決済する仕組みとなっています。このような集計処理は、一般に「クリアリング」と呼ばれ、これを行う組織は「クリアリング・システム」と呼ばれています。具体的には、小切手や手形については「手形交換所」、銀行振込などについては「全銀システム」というクリアリング・システムが存在しています。また、一般には馴染みが薄いのですが、外国為替取引などに伴う円の支払いをクリアリングする仕組みとして、「外為円(ガイタメエン)決済システム」があります。クリアリング・システムも決済を処理する仕組みですから、中央銀行の預金振替の仕組みと並んで決済システムと呼ばれています。そこで、以下では、民間クリアリング・システムを民間決済システムと呼ぶことにします。
日本銀行の当座預金は、民間決済システムが算出した各銀行の受払い差額の決済に使われるわけですが、そのほかに、コール取引のような銀行間の資金貸借の決済や国債取引の代金決済など、銀行間で行われる大口資金の決済にも利用されています。日本銀行は、民間決済システムを経由した差額決済と、同システムを経ない直接の大口資金決済とを合わせて、日々およそ70~80兆円を決済しています。この金額は日本の年間のGDPの約2割の規模となっています。
3.決済システムと日本銀行の役割
以上が、わが国の決済システムのあらましですが、お気付きのとおり、現金による決済にしても、預金による決済にしても、日本銀行がこれに深く関与しています。
そもそも中央銀行の固有の仕事は、平たく言えば、「人々が安心して、お金を持ったり使えたりするようにすること」ですが、それが実現されるための条件が2つあります。ひとつは、お金の価値が安定していること、つまり、物価の安定です。もうひとつは、そのお金が日々の決済に使われる仕組み、すなわち、決済システムが安全かつ効率的に機能することです。もし、現金や預金を使って安全で便利に決済が行えないとなると、人々は安心してお金を持つこともできません。このように、お金の使い勝手を良くし、企業や家計の日々の取引や決済が安心して行われるように努めることは、中央銀行に与えられた使命そのものであり、これがわが国の決済プロセス全般に日本銀行が深く関っている理由であります。
日本銀行が、決済システムの安全性、効率性の確保に関連して、行っている仕事──基本的な役割と申しましょうか──は大きく言って2つあります。ひとつは、決済のための手段や決済システムを自ら提供する仕事、もうひとつは、主として民間システムについてその安全性と効率性をモニター・分析し、必要があればその改善に向けた働き掛けを行う仕事です。日本銀行は、これら2つやそれに付随する活動を通じて、わが国における決済全体が円滑に行われるようにしている訳です。
このうち、決済手段の提供者として行っていることの第一は、お札を発行し、その円滑な流通を確保すること、すなわち、お札が国の隅々まで行き渡り、不足が生じぬよう万全を期すことです。現在世の中には約65兆円のお札が出回っています。先ほども申し上げましたように、お札は、支払人が受取人に渡した金額が、直ちに確実に受取人に移転するという特徴をもつ便利な支払手段です。しかし、世の中にニセ札が多数出まわっているようでは、人々は安心してこれを持ったり使ったりすることはできません。日本銀行の窓口には、毎日、銀行を経由して大量にお札が持ち込まれますが、私どもではこれらを厳密に真贋鑑定するとともに、市中に出回るお札をクリーンに保ち、ニセ札が出回りにくくするよう努めています。同時に、お札の偽造予防対策にも最大限の努力を払っており、最近では、カラーコピー機などによる偽造の防止について、欧米諸国の中央銀行とともに共同研究を行ってきています。また、来年に1万円、5千円、千円札の様式が改められることは皆さまもご承知かと存じますが、これもニセ札を出回りにくくする環境整備の一環です。
日本銀行が提供しているもう1つの決済手段は、当座預金です。日本銀行の当座預金は個人や企業ではなく民間の金融機関などに提供されるものですが、その振替によって直ちに確実に決済を完了させられる決済手段であるという点では、お札と変わるところがありません。私どもでは、当座預金の決済についても、その安全性や効率性を高めるため、いろいろの工夫を重ねて参りました。日銀ネットの導入──すなわち、民間金融機関が日本銀行に預けている当座預金を使った決済を処理するオンラインのネットワーク──や、あとでお話する当座預金決済の「RTGS化」など、これまでに様々な面で改善を図ってきました。
さて、決済に関する日本銀行のもう1つの役割は、先程も申し上げたように、日本銀行以外の主体が運営するシステムについてその安全性と効率性をモニター・分析し、必要があればその改善に向けた働き掛けを行うことです。これを英語では「オーバーサイト」と言いますが、中央銀行は、このように民間決済システムの運営者との間で、必要な連絡・調整を行い、そのシステムや参加者にトラブルが生じても、わが国の決済全体が損なわれないように取り計らっていくという仕事を行っています。
決済システムにおいては、システムの一角で決済不履行が生じると、その銀行からの受取りを前提に支払いを行おうとしていた別の銀行を巻き込んで、支払い不能が連鎖的に発生し、決済システム全体が麻痺するリスクがあります。また、決済システムも、これを構成している個々の銀行も、「信用」という目に見えない要因に支えられている面があるため、ある銀行の破綻が他の銀行の預金の流出を引き起こすといったリスクがあります。このように決済不能あるいは破綻というような問題が、将棋倒し的に広がってしまう懸念のことを「システミック・リスク」と呼んでいます。このシステミック・リスクが現実に表面化すると、単に銀行だけでなく、企業や家計の決済にも混乱が及び、経済的、社会的に大きな影響が生じる惧れがあります。銀行業は一般の産業といくつかの点で異なる性格をもっていますが、その一つが、銀行が構成する決済のネットワークに、このようなシステミック・リスクが存在するという点です。
こうしたシステミック・リスクが表面化し、決済の混乱が広がることが万が一にもないようにすることが、日本銀行に課せられた重大な使命です。このためには、日頃から決済システムの制度的な枠組みや運行をモニターし、関係者とともに、決済不能の連鎖的発生というシステミックな問題が現実に起こることを未然に防ぐよう努力をするとともに、万一の場合には、決済不能の連鎖を断ち切るような行動をとることが重要です。同時に、決済システムを構成し、企業や家計に決済サービスを提供する個々の民間銀行の業務や財産の状況をチェックするとともに、その健全性向上に向けて必要な働きかけを行うこと──私どもでは必要に応じて立入調査も行います(これを考査と呼んでいます)が──これも日本銀行の大事な仕事です。
4.決済システムの安全性向上への取組み
以上、決済システムの分野における日本銀行の基本的な役割について述べてきましたが、次にもう少し具体的に、民間決済システムや日本銀行の決済システムで進められている、安全性・効率性の向上を目的とした様々な取組みについてお話したいと思います。
2年ほど前に、私どもを含む十あまりの先進国の中央銀行が構成するBIS(国際決済銀行)の支払・決済システム委員会が、「システミックな影響の大きい資金決済システムに関する基本原則」というものを策定し、公表しました。また、その後、この委員会とIOSCO<イオスコ>という証券監督者の国際的なグループが共同して、「証券決済システムのための勧告」を発表しています。証券決済システムについては後程またお話しますが、これらの基本原則や勧告には、決済システムの安全性・効率性確保という観点から、中央銀行の決済システムや民間の決済システムがその設計や運営に当たって遵守すべき事柄──例えば、決済日には、夕方にまとめて決済するのではなく日中の早い段階から次々と決済を完了させることが望ましい、というようなこと──や、中央銀行が自らの決済システムの運営にあたって、また民間システムに対するオーバーサイトを遂行するに当たって、果たすべき責務が掲げられています。
私どもでは、自らの決済サービスの提供に当たり、また、民間の決済システムに対するオーバーサイトの遂行に当たって、これらの基本原則や勧告を具体的な指針と位置付けて、その安全性・効率性の維持・向上に努めています。こうした日本銀行の決済システムに関する活動については、昨年9月に公表した「決済の分野における日本銀行の役割」というペーパーに詳しくまとめておりますので、機会があれば日本銀行のホームページなどでご覧頂ければと思います。
こうした活動のうち主なものをご紹介しますと、まず、オーバーサイトの活動においては、従来から、国内の主要な民間決済システムが一日の最後にまとめて行っている、「各銀行の受払差額の計算とその計算結果の決済」について、そのシステムに参加している銀行が万一決済不能に陥っても、悪影響が連鎖的に広がらないようにするため、例えば、差し引き支払額が最大の参加者が決済不能となった場合でも、当日の決済は確実に完了できるような、リスク管理制度の整備をシステム運営者に求めてきました。そして、関係者のご努力により、先にご紹介した外為円決済制度では1998年に、また、全銀システムでは2001年に、それぞれリスク管理策の抜本的な見直しが実現しております。関係者の方々はその後もリスク管理策のさらなる改善に努めておられますが、日本銀行といたしましても、わが国の決済システム全体の安全性・効率性を維持し一段と向上させる観点から、どのような改善策が必要かについて検討を深め、必要に応じて関係各方面への働きかけを行っていきたいと考えています。
5.日本銀行の提供する決済システムの整備——RTGSの採用と日銀ネット・インフラの改善
言うまでもないことですが、安全性・効率性向上への努力の必要性は、民間の決済システムだけでなく、日本銀行自身の運営する決済システムにも当てはまるものです。むしろ、先にご説明したように民間システムの最終決済が日本銀行の決済システムを通じて行われることを踏まえれば、私どもとしてはより厳しい視点で、自らのシステムの安全性・効率性の向上に当たらなければならないと考えています。この点に関連して、近年、日本銀行が行った最も大掛かりな対応が、2001年1月に実現した日本銀行当座預金決済の「即時グロス決済」化です。即時グロス決済の英文「Real Time Gross Settlement」の頭文字をとって「RTGS」と呼ばれるこの決済方法は、一言でいえば、「中央銀行に対して、民間銀行が当座預金の資金振替を依頼した場合、中央銀行はこれをひとつずつ即座に実行する」というものです。
こう言うとRTGSというものが至極当たり前のことに聞こえるかもしれませんが、わが国も含めて、従来ほとんどの中央銀行は、RTGS型の決済方式ではなく、「時点ネット決済」と呼ばれる方法で銀行間の資金決済を行ってきました。「時点ネット決済」のもとにあっては、民間銀行が中央銀行に持込む多数の振替依頼は、ひとつひとつが直ちに決済されるわけではなく、毎日決まった時刻——例えば「午後1時」、「3時」、「5時」といった時刻——が来るまで、予約という形で溜め置かれます。そして、予定時刻──これを「時点」と言いますが──これが来ると、銀行毎のすべての受取額と支払額との差額が算出され、その差額を各口座へ一斉に入金したり払出したりする仕組みです。
「時点ネット決済」のもとでは、銀行は資金の受払いの差額だけを決済時点に用立てれば足りるため、資金繰りや事務処理という面からみれば効率的な仕組みと言えました。これが、過去、多くの国において「時点ネット決済」が一般的であった大きな理由です。しかし、この仕組みでは、決済時点において銀行が1行でも支払不能に陥っていれば、その時点ですべての決済を一旦停止してその銀行の受払いの依頼をすべて取りはずし、改めて各行毎の振替額を計算し直さなければなりません。それだけでなく、もともと当該銀行からの入金を見込んで資金の支払いを予定していた銀行にとっては、受払額の計算のやり直しの結果、新たに資金不足が発生することになり、これがさらに連鎖していく可能性──すなわちシステミック・リスク──が生まれてきます。この場合、中央銀行で行われる資金決済の規模は極めて大きいだけに、その影響はかなり深刻なものとなるおそれがありました。
この点、RTGSでは、ひとつひとつの振替依頼が独立して直ちに決済されるため、ある銀行が突然支払不能に陥っても、システム上はそれによる混乱の及ぶ範囲は自ずと限定されることになります。世界各国で相次いでRTGSが採用されたのも、こうしたシステミック・リスクの防止上の意義が改めて認識されたためです。
ところで、私どもが日銀ネットの改善を進めていく際に、常に念頭に置いておりますことに、安全性と効率性のバランスということがあります。安全性を高める一方で効率性が置きざりになってしまいますと、その決済システムは経済活動を支えるインフラストラクチャーとして十分に機能しているとは言えなくなります。この点、RTGSへの移行はシステミック・リスクを大幅に削減するものの、時点ネット決済の時に存在した資金効率が失われるという、効率上の問題がありました。
例えば当日100億円を受取り、同じく100億円を支払う、という銀行は、時点ネット決済の下では全く資金手当てをせずにこの日を終えることができたわけですが、RTGSの下では受取りを待ってから支払わない限り、100億円の資金を別途手当てせねば支払が行えません。したがって放っておけば、どの銀行も他の銀行からの受取りを待って自分の支払を行おうとしますから、結局どの銀行も支払を行わないまま時間が過ぎていくこととなってしまいます。
こうしたことから私どもでは、RTGS移行と同時に、金融機関が支払を先行させることに伴って日中に発生する不足資金を、これら金融機関に──差入れられた担保金額の範囲内で──融通することとしました。RTGSの下における決済の効率はこれで相当に改善できているはずですが、もちろんこれで十分かどうかはなお検証していく必要があるでしょう。主要国の中央銀行においても実際、さまざまな方法でRTGSのコスト効率の改善が模索されております。
また、私どもではコンピュータネットワークとしての日銀ネットの効率性あるいは利便性の向上にも力を注いで参りました。これは、日銀ネットが利用するIT技術を高度化することによって、例えば処理速度を速めるといったことを実現するものですが、金融機関の方々が決済の処理に使われる社内システムの高度化に歩調を合せ、私どものシステムを高度化することは決済全体の効率を高める上で、不可欠なことであるわけです。
6.クロスボーダー資金決済システムの誕生と日本銀行の対応
次に、決済システムの海外との繋がりに目を転じて、最近、外国為替取引の決済リスク削減を目的として新たに稼働を開始したCLSシステムについてお話ししておこうと思います。
外為取引の決済リスクとは何かと言いますと、例えば、円を売って米ドルを買う取引の場合、従来は、取引された円とドルは日米それぞれの決済システムで別々に決済されていました。その際、時差の存在の故に、一方の取引当事者が破綻した際に、「自分は既に支払ったのに、受け取るべき通貨が受け取れなかった」という事態が生じるリスクが存在していました。例えば、わが国は米国よりも10時間以上も早く朝がやって来るため、円とドルの取引では、円がドルに先立って決済され、円の売り手、すなわちドルの買い手はその後長時間に亘って円の先渡しによるドルの取りはぐれリスクを負っていたのが実情です。こうしたリスクは、1974年に当時の西ドイツのヘルシュタット銀行が破綻した際に初めて注目され、以後幾つかの金融機関の破綻時にも同様のことが起きています。円ドル取引だけをとってみても、世界中で毎日28兆円(ドルベースでは2,300億ドル)にもなっている訳ですから、このリスクが如何に巨大であるかはお分かり頂けると思います。
昨年9月に本格的にスタートしたCLSシステムというのは、世界の大手金融機関がこうした外為決済リスクの削減を目的に構築した国際的な「通貨の同時決済」の仕組みです。(なおCLSというのは、定義集に記しましたように連続的という意味のコンティニュアスのC、リンクのL、決済つまりセトルメントのSをとったものです)。CLSシステムは当初、円や米ドルのほか、ユーロ、英国ポンド、カナダドル、スイスフラン、オーストラリアドルの主要7通貨を対象としてスタートしましたが、今後も新しい通貨が加えられていく予定です。CLSシステムでは、CLS銀行に決済口座を持っている金融機関が行った外為取引について、両当事者がいずれも支払可能な場合に限り、両通貨──先の例で言えば円とドルですが──これら通貨の振替を同時に行うことで決済を実行します。こうした仕組みを2つの支払いをセットにして行うという意味でペイメント・バーサス・ペイメント(Payment Versus Payment)、略してPVPと言いますが、これによって受取予定の通貨を取りはぐれるリスクを取り除くことが出来るようになります。
私どもでは、PVPの実現を目指したCLSシステムを、外為決済リスク削減を図る重要な民間プロジェクトと位置付け、世界の主要な中央銀行と共同で、必要な協力を進めて参りました。具体的には、CLSシステムを運営する決済専業銀行であるCLS銀行を日本銀行の当座預金取引の相手方とし、CLS銀行とCLSシステム参加各銀行との間における円のRTGS決済を可能としました。CLS銀行はニューヨークに本拠をおく外国銀行でありまして、わが国に支店を設けて銀行業を営むものではないため、私どもが定めている当座預金取引の相手方の範囲には含まれません。しかしながら、CLSシステムでは参加銀行とCLS銀行との決済が安全確実に行われるよう、各通貨について各国中央銀行の決済システムを利用する必要があると考え、日本銀行にもCLS銀行を当座預金取引の相手方とするよう要請がありました。私どもでは、これが世界的規模で決済リスクを削減する仕組みであることに鑑み、海外の中央銀行と同様、CLS銀行を取引先とすることを決定した訳です。
CLSは最近では、1日51,000件、金額ベースでは5,700億ドル相当の取引を決済するに至っています。私どもでは、FRBなど海外の関係中央銀行と協調して、当初からCLSシステムに対するオーバーサイトを行ってきていますが、今後とも健全な外為決済システムの運営が確保されるよう働きかけていきたいと思っています。
7.証券決済システムの改革
さて、ここまでは、主に資金の決済システムの最近の動向をお話ししてきましたが、証券の決済システムについても様々な取り組みが行われていますので、その点についてもお話ししておきたいと思います。
証券決済と言いますのは、証券の売り手が買い手に証券を引渡すこと、証券決済システムと言いますのは、そうした証券決済を担う仕組みであります。各国の証券決済システムが処理する決済の金額は、証券市場の拡大を背景に近年急速に増大しており、1995年から2000年までの間をみますと、G5諸国では約80%も増加しています。この間のGDPの伸び率が約9%ですから、この増加が如何に大きいかお分かりいただけると思います。
さて、証券決済は売り手から買い手へ証券を動かす訳ですから、これには同時に、買い手から売り手への代金支払が伴います。このため、証券決済システムが、証券の振替を行うとともに、代金のクリアリングを行うクリアリング・システムを兼ねていることも少なくありません。このように、証券決済は資金決済と非常に密接な関係にありますから、証券決済システムの設計あるいは仕組みは資金決済の安全性にも大きな影響を与えます。
先程少しふれましたが、一昨年(2001年)に、各国の証券監督当局と中央銀行が、「証券決済システムのための勧告」という国際標準を合同で策定したのも、証券決済システムのもつこのような性格──つまり資金決済との密接さ──が背景にあるわけです。
ここで、日本の決済システムの概観の下側にある証券決済という所をご覧下さい。これが日本の証券決済の鳥瞰図で、国債が日銀ネットの一部をなす国債決済システムで決済される一方、株式などその他の証券が証券保管振替機構によって決済されていること、また、国債にしてもその他の証券にしても、多くのものがその代金決済に日銀ネットを用いていること、などがお分かり頂けると存じます。
日本の証券決済につきましては、ここ数年の間にさまざまな改革が先程の「勧告」に沿う形で急速に進められています。その際のポイントの1つがDVPの実現です。DVPというのはデリバリー・バーサス・ペイメント(Delivery Versus Payment)の頭文字をとったもので、外国為替取引の決済におけるPVPとよく似た仕組みです。要は「証券の振替をその代金の振替とワンセットにして、いずれか一方だけが行われることがないようにする」メカニズムで、これを導入すれば、証券を渡したのに代金が受取れないというような事態が生じて、時として巨額の損失が発生するリスクを回避することができます。DVPはまず国債について、日銀ネットの当座預金系のシステムと国債系のシステムをリンクすることで、1994年に実現されましたが、その他証券については全く導入されていない証券があるなど手当てが遅れていました。しかし関係者のご尽力により、ここ2~3年のうちには、コマーシャル・ペーパーなども含めた殆どの証券についてDVPが実現する見通しが立つところまできています。
証券決済改革のポイントのもう1つはSTPの実現です。STPとはストレート・スルー・プロセッシング(Straight Through Processing)の頭文字で、簡単に言いますと、取引の約定から決済までの一連の事務を処理する各々のコンピュータをネットワークを用いて接続し、その間で直接データを受け渡しすることにより、約定から決済までの一連の処理を、人手を介することなく、効率的かつ安全に行う仕組みです。諸外国と同様わが国の証券市場でも、取引の約定や決済の内容を照合する電子的なシステムなどの構築が立遅れているため、証券決済に係るSTPはまだ実現していません。しかし、これにつきましても、すでに一部の証券につき照合システムなどが手当てされ始めており、将来的に約定から決済までのシステムが接続されることでSTPが出来るようになる目途が立ち始めていると思っています。
ところで、DVPにしてもSTPにしても、決済する証券が紙として存在している場合には仲々うまく実現できないことは明らかです。例えば紙の証券を手渡しすることと日銀ネットでの資金決済をリンクすることは困難です。このため、証券決済改革においては証券をペーパーレス化しておくことが欠かせません。この点、例えば国債では従来から99%以上が、紙ではなく帳簿上の記録の形で存在していましたが、それでも法律上、紙の国債の存在が前提となっておりました。また、その他の証券の場合は、国債に比べより多くの紙の証券が存在し取引されてきました。しかしながら、本年1月、統一的な証券決済法制である社債等の振替に関する法律が施行された結果、国債、社債あるいはコマーシャル・ペーパーといった証券を完全にペーパーレスにすることが可能になりました。これにより日本の証券決済の改革はしっかりとした法的基盤を持つことが出来たわけです。
以上述べてきたような、証券決済システム改革への取組みによって、わが国証券決済システムの安全性・効率性はここ数年で大きく向上しました。しかしながら、わが国証券決済システム全体が、近い将来グローバル・スタンダードを達成するためには、今後もスピードを遅らせることなく、証券決済改革をさらに先へと進めていくことが重要だと考えております。例えば、STPの実現を通じて、国債などの取引から決済までにかかる日数を世界の主要マーケット並みに短縮していくことなどは、残された重要な課題の一つと言えます。幸い、民間の関係者の皆様の間では、証券の発行体である企業の皆様を含めて、より安全かつ使い勝手のよい証券決済システムを構築したいとの気運が高まってきていると承知しております。私ども日本銀行でも、わが国の証券決済システムの着実な改善に向けて、これまで同様、関係各方面と手を携えながら、積極的に取り組んで参りたいと考えています。
8.将来展望
以上、最近の決済システム改善の動きについて、日本銀行の対応にも触れながらお話させていただきました。ところで、こうした決済システム改革への取り組みには、何か最終的なゴールがあるのでしょうか?結論から言えば、決済システムをとり巻く取引や技術の姿が変化を続けていく限りは、経済活動のインフラストラクチャーというべき決済システムの姿も、「これで終わり」といった最終的なものに辿り着くということはあり得ないように思います。そして、決済システムを取り巻く環境は、今後も更に大きな変化を続けていくことは間違いないところであろうと思います。第一に、決済の必要を作り出す金融取引については、規制緩和、国際化、金融機関の統合の進展などによって、その件数や金額の増加だけでなく、仕組みが複雑化するとか、メジャー・プレーヤーの顔ぶれが変化していく可能性が、今後も存在し続けるだろうと考えられます。第二に、こうした変化の引き金になったり、あるいは変化を拍車する要因となる技術革新については、コンピュータの性能の向上やネットワーク・インフラの高度化など引続き眼を見張るものがあり、月並みな表現ですが正に日進月歩の状況が今後も続くことは容易に想像できます。
したがって、わが国の決済システムに関しても、本日ご紹介した各種国際基準への対応という視点をも踏まえて、その効率性と安全性を一層向上させていく努力を、ユーザーの方々や金融機関と私ども日本銀行が協力して続けていくことが重要です。決済面でのインフラ整備の努力は──他の社会インフラの整備についても同様かと思いますが──息長く取り組む必要があり、そして常に向上の余地のある誠に地道なプロセスです。手抜きをしますと、気づいた時には、リスクが大きく、使い勝手の悪い、社会のニーズを満たさないものになってしまっています。私ども日本銀行としては、こうした点を十分に認識し、今後も決済システムが常にその時代の要請にあった安全かつ効率的なものであり続けるよう、関係者の皆さんと努力していく所存です。
なお、決済システムの改善については、本席で中心的にお話をした「決済システムの仕組みをどのように作るか」ということだけでなく、決済システムを利用しながら社会全体に決済サービスを提供する金融機関が、決済リスクの把握と管理の体制を確立し、個別金融機関としてのリスク対策を整備していくことも極めて重要です。一昨年の米国の同時多発テロ事件は、金融機関が大きな災害発生時にも決済サービスを出来る限り提供し続ける体制——すなわち業務継続体制──を確立することが経済全体にとって極めて大切であることを改めて明らかにしました。決済システム自体がいくら安全で効率的になっても、いざという時に金融機関がこれを利用して社会のニーズに応える能力を持たねば、決済インフラは万全と言えません。そうした金融機関の業務継続のための体制作りについても地道な努力が必要であり、経営者の方々の積極的な関与が不可欠です。この点改めて申し添えておきたいと思います。
9.おわりに
本日は決済システムの問題に関し、基本的な内容を中心にお話ししてきました。
言うまでもなく決済システムはここにお集まりの企業や個人の方々のために存在しています。信用秩序の維持を重大な使命とする中央銀行として、私どもとしても、引続き皆様方から密接にご意見を賜りながら、日本の決済システムの安全性や、効率性を向上させて参りたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。
以上
日本の決済システムの概観
本日の講演における専門用語の解説
- 決済システム
- 狭義では、主として金融機関間における資金決済や証券決済のために作られた仕組みのことで、コンピューター・ネットワーク等の物理的なメカニズムと決済に関する一連のルールや慣行の全体を指す。広い意味では、そうした個々の決済システムに紙幣や硬貨が流通する仕組みなどを合わせた、当該国における決済の仕組み全体を指す言葉として用いられる。
- クリアリング
- 取引が行われたあと、決済に先立って行われる事前整理の総称。とくに、取引額を差引き計算(ネッティング)して、金融機関ごとの受払差額を算出するプロセスのこと。
- RTGS
- 中央銀行が口座振替の形で銀行間決済を行うとき、振替指図(さしず)を受付けた中央銀行が直ちに(=リアルタイム)、他の振替指図と差引きしたりせず1件ごとに(=グロス)決済する(=セトルメント)方式のこと。英文Real Time Gross Settlementの頭文字をとってRTGSと呼び慣わしている。振替指図を他の振替指図と合算したり差引き計算する時点決済と異なり、RTGSにおいては1件の支払不能が他の全ての決済を止めてしまうことがなく、しかも日中次々と決済が完了していくことから、安全な決済方法として各国の中央銀行によって採用されている。
- 時点ネット決済
- 決済機関が、参加者間の決済を毎日決まった時刻にまとめて行うこと。具体的には、各参加者について受取総額と支払総額の差額を入金・引落しする形で決済する方法がとられる。
- システミック・リスク
- 金融機関や決済システムなどが構成する金融システムにおいて、その一角で生じた混乱が連鎖的に広がってしまう可能性のこと。銀行間決済においては「受取った資金を別の支払いに充てる」という受払の関係が錯綜しており、ある銀行が決済不能に陥ると次々と別の銀行の決済不能を誘発していく可能性があるが、これはシステミック・リスクの重要な一例である。
- オーバーサイト
- 中央銀行が個々の決済システムの安全性と効率性を向上させ、とくにシステミック・リスクを削減する観点から、それら決済システムの設計や運営をモニター・分析し、必要によりその改善を働きかけること。
- システミックな影響の大きい資金決済システムに関する基本原則
- BIS(国際決済銀行)の支払・決済システム委員会が策定した基本原則(コア・プリンシプル、2001年1月公表)。当該決済システムにおける決済の混乱が経済全体に広く影響を及ぼし得る場合、それをシステミックな影響の大きい資金決済システムと呼ぶ。この基本原則は、そうした決済システムがその設計・運営に関し遵守すべき事柄と、中央銀行が果たすべき責務を示している。
- 証券決済システムのための勧告
- BIS(国際決済銀行)の支払・決済システム委員会とIOSCO(証券監督者国際機構)が共同で策定した勧告(2001年11月公表)。証券決済システムの設計、運営、オーバーサイトに関する19の勧告が示されている。
- CLS
- 外国為替の決済に伴う信用リスク(売渡通貨を手放したにも拘わらず、受取通貨を受取れないことから損失を被る可能性)を削減することを狙いに設けられた国際的な「通貨の同時決済」の仕組み。個別の外為取引が順次(Continuous)、両通貨の振替を関係づける形で(Linked)決済(Settlement)される。
- PVP
- Payment Versus Paymentの略称。外国為替取引の決済において2つの通貨を同時交換の形で受渡すこと。両通貨の振替を相互に条件付けて実行する(受取る予定の通貨が実際に受け取れる場合に限り、自らが支払う予定の通貨が相手に振替えられる)ことによって、当該外為取引を決済する両当事者がいずれも、「払ったのに受取れない」状態に陥り損失を被るリスクを削減する仕組み。
- DVP
- Delivery Versus Paymentの略称。証券決済における証券引渡し(delivery:売り方から買方への証券の受渡)と代金の支払い(payment:買方から売り方への資金の受払)を相互に条件付けて、「証券を引渡したにも拘わらず代金が受取れない」とか「代金を支払ったにも拘わらず証券を受取れない」という事態を回避する仕組み。
- STP
- Straight Through Processingの略称。取引の約定から決済までの一連の事務を処理する各々のコンピュータをネットワークを用いて接続し、その間で直接データを受け渡しすることにより、約定から決済までの一連の処理を、人手を介することなく、効率的かつ安全に行う仕組み。
- ペーパーレス化
- 証券の流通段階において、その権利の移転などが証券の券面を用いることなく行われること。具体的には、帳簿上の記録により権利の移転等を行うことで、券面を全く不要とする仕組み(無券面化)や、券面を一定の機関に集中保管した上で、帳簿上の記録により権利の移転等を行い、実際の券面のやり取りを不要とする仕組み(不動化)が考えられる。
以上