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最近の金融経済情勢と金融政策

横浜商工会議所における中原審議委員講演要旨

2005年10月3日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1.近年の世界経済の構造変化をどう捉えるか?
  3. 2.日本経済の現状と見通し
    1. (1)日本経済の現状
    2. (2)景気の現状判断に係る幾つかのポイント
    3. (3)日本経済の当面の見通し
  4. 3.量的緩和政策の評価と今後の金融政策運営
    1. (1)量的緩和政策の評価と当面の政策運営
    2. (2)今後の政策運営におけるポイント
  5. 終わりに

はじめに

 本日は、神奈川県経済を代表する皆様の前で講演する機会を得まして大変光栄でございます。お集まり下さった方々はもとより、このような機会を設けて頂きました高梨会頭をはじめ、横浜商工会議所の方々にも厚く御礼申し上げます。また、日本銀行横浜支店は昭和20年の事務所開設から今年の8月で60周年を迎えることができました。これまでの歴史を積み重ねて参ることができましたのも、地元の皆様方の深いご支援とご協力なくしてはあり得ません。本日お集まり頂きましたことと併せ、厚く御礼申し上げます。

 本題に入る前に2点お願いしたい点がございます。一つは、今月末、日本銀行は「経済・物価情勢の展望(2005年10月)」、いわゆる「展望レポート」を発表する予定にしております。「展望レポート」とは、先行きの経済と物価の見通しについて政策委員9人の意見を纏めたものですが、本日、私がお話しする内容は、「展望レポート」における日本銀行としての公式な見解ではなく、現時点における一政策委員としての私なりの意見であるということです。二点目は、講演は40分程度に止め、その後に景気の現状についての皆様のご意見や日本銀行に対するご要望、金融政策に関するご意見などを是非お伺いしたいということです。日本銀行の部屋にこもって机の上の仕事をしておりますと、どうしても活きた経済の動きや情報に接する機会が限られて参ります。この機会に皆様の毎日のご商売の実感を少しでも拝聴させて頂ければ今後の金融政策を考える上で大変参考になります。

1.近年の世界経済の構造変化をどう捉えるか?

 我が国経済の現状や先行きのリスクに関する判断を申し上げる前に、まず日本の置かれている世界経済の環境が、この数年の間にどのように変わってきたかということに関しまして認識を新たにしておく必要があると思いますので、その点につき若干申し述べたいと思います。

  1.  この数年における世界経済の構造変化の中で第一に挙げるべき点は、アジア、東欧、中南米といったエマージング諸国において経済自由化・開放、市場化が進む一方、日米欧の先進国における規制緩和や構造調整の動きとも相俟って、それらのエマージング諸国が世界の供給基地としての役割を固めるという構造的な変化が起きたことではないでしょうか。この結果、エマージング諸国と先進国との間には、財の生産面のみならず、非貿易財につきましても国際的な分業体制が大きく進展してきており、世界経済のグローバル化を急速に推し進めました1

  2.  二つ目は、1990年代後半に、情報通信関連を中心としたIT関連分野での技術革新が急速に進展しましたが、これは、それまで地域・国単位で考えられていたビジネスモデルをグローバルなネットワークを前提にしたものに変革し、経営そのものや生産・物流の管理技術を高度化させ、世界経済のグローバル化の流れを加速しました。IT関連技術は、エマージング諸国をも取り込む形でより効率的な国際分業体制を可能とし、世界経済の相互依存関係を不可避的に強める方向に作用しています。

  3.  第三のポイントとしましては、エマージング諸国経済がグローバル化する世界経済に組み込まれることにより、エマージング諸国同士の地域分業も進み、それぞれの国内市場が拡大する2と同時に、資源・エネルギー価格の上昇をもたらすことになりました3。これらの国々では、先進国に比べ資源の対GDP効率が相対的に低く、経済の拡大に伴って消費する資源量も急増していますが、供給サイドではこれまでの価格低迷から開発が長く停滞していたこともあって、ここ数年で需給は急速にタイト化しています。今後もエマージング諸国での資源・エネルギーの大量消費が続けば、その価格の上昇を通じて世界経済に悪影響を及ぼす可能性があります。また、最近では世界的な環境問題の面でも重大な懸念を生み出す要因となっています。

  4.  第四に指摘したいのは、世界経済のグローバル化が進み、エマージング諸国の安価でかつ豊富な労働力を使った割安な製品が先進国に大量に流入することで、多くの先進国経済でインフレ率が低下するという「ディスインフレーション」現象が生じたことです4。これに対し、先進国の中央銀行は、デフレ経済化を回避するために、長期に亘って緩和的な金融政策を継続して参りました5

 この結果、世界的なデフレ経済化は避けられ、また、金融資本市場で生じた幾つかのショックや地政学的リスク・イベントを吸収することができました反面、世界的に流動性が急速に高まることとなりました。先進国の長期金利がかつてない低水準で推移しているのも、こうした資金の流入が背景にあるのではないでしょうか。実体経済だけではなく、金融資本市場もグローバル化し、様々な市場を資金が自由に動くことができ、かつ市場間の相互依存性・連関性が高まっている中で、こうした流動性資金が一度に大きく振れることによって、市場の不安定化や経済のファンダメンタルズと整合的でない動きが生じて、実体経済に影響を及ぼすリスクがあります。また、こうした流動性が投機資金として原油市場に流入し、原油価格高騰の一因となっていることも否定できません。更に、米国がいわゆる「双子の赤字」といったインバランスを続けていられるのも、このお陰ということもできましょう。

 新聞でも色々と特集が組まれていましたが、先月22日はプラザ合意からちょうど20年に当たります。1985年のプラザ合意とそれに続く1987年のルーブル合意にみる、先進主要国の国際的な協調で通貨を管理するという試みに対する評価は様々です。国際経済問題を先進主要国で話し合う場が成立した意義は失われていませんが、経済のグローバル化が進む中で、先進主要国の「経済スーパーパワー」がイニシアティブをとって国際的な通貨管理を行う構造は機能し難くなってきているのが現実です。

 いずれにせよ、このような世界経済の構造変化は、今後の日本経済の先行きのリスクを判断するに当たってポジティブにもネガティブにも大きく影響してくる可能性があることを十分認識しておく必要があると思っています。

  1. 1例えば、エマージング諸国の代表として近年高成長を続けているBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国の4か国)につきまして、世界貿易に占めるシェアをみますと、1990年台前半の8%台から、2004年には13%強まで上昇しています。
  2. 2先程のBRICsのGDPを日米と比較しますと、購買力平価で為替換算したベースでは、1990年代前半は日本の2.1倍弱、米国の0.9倍程度でしたが、2004年ではそれぞれ3.5倍、1.2倍に拡大しています。
  3. 3例えば、約10年前の1995年末時点の原油価格(WTI)は1バーレル=20ドル弱でしたが、足許は65ドル程度と3倍を超える高値となっていますほか、世界商品価格指数であるCRB商品指数も、この10年間で3割強上昇しています。
  4. 4先進国のCPIをみますと、1970年代は8%強、80年代は7%弱、90年代は3%弱となり、2000年以降では2%程度にまで低下しています。
  5. 5日本は、1999年に実質的なゼロ金利政策を採用、2000年に一旦解除したものの、2001年に量的緩和政策を採用、継続しています。米国も、2001年の6.5%から2003年の1.0%まで政策金利を引き下げており、2004年6月以降は引き上げに転じていますが、依然として中立的な金利水準を下回っていると言われています。欧州でも、2001年の4.75%から段階的に政策金利を引き下げ、2003年以降は2.0%と過去最低の水準に据え置かれたままです。

2.日本経済の現状と見通し

(1)日本経済の現状

 さて、足許の日本経済の現状につきまして申し上げれば、輸出・生産が緩やかながら増加基調を維持する中、好調な企業収益と潤沢なキャッシュフローを背景に設備投資は明確に増加しており、また、漸く底打ちから増加に転じた雇用者所得に支えられ、個人消費も底堅く推移しています。IT関連分野における調整も、電子部品・デバイス分野の在庫調整に限れば概ね一巡したとみられています。1年振りにプラス成長に寄与している本年第2四半期の外需の動きも考え合わせますと、俗に言われてきました景気の「踊り場」はほぼ脱出しつつあるものと判断して良いと思います。ただ、このような足許の改善の動きの一方で、後程申し上げます通り、原油価格や米国経済に係る不透明要因はむしろここに来て増加しており、景気の先行きにつきましては、なお注意してみていく必要があります。

 以下、日本経済の先行きを占う上で、景気の現状判断に係る幾つかのポイントにつきまして申し上げたいと思います。

(2)景気の現状判断に係る幾つかのポイント

IT関連分野における調整は一巡したのか?

 まず「IT関連分野における調整」の進捗状況ですが、IT関連分野を代表する電子部品・デバイス分野に限れば、出荷・生産は回復、在庫も減少しており、生産予測指数も増加が見込まれているなど、これまでの調整局面はほぼ終了したとみてよいでしょう。しかしながら、情報通信機械や一般機械(半導体製造装置を含みます。)、電気機械といった分野までも含めてみますと、必ずしも一様に改善しているとは言い切れません。世界半導体出荷額はなお前年割れが続いており、特に日本市場での回復に弱さが目立ちます。また、デジタル家電やPCなどの価格競争は極めて熾烈です。私どもで行いました企業ヒアリングの結果からみましても、内外のIT関連企業は依然として先行きに対する慎重なスタンスを崩していません。こうした点を踏まえますと、IT関連分野の調整局面は概ね終了したとは言えますが、今後の景気をドライブするような力強さは期待できないように思います。

 なお、最近では、これまで好調であった素材型産業の一部にやや陰りが出始めているなど、IT関連分野以外にも生産調整の動きがみられてきていることもやや気懸かりな点です。

内需回復は本物か?

 次に内需に対する見方ですが、まず企業の設備投資につきましては、製造業を中心に足取りはしっかりしており、非製造業や中小企業などに裾野も拡がってきています。私自身は、今年春先の段階では、今年度の設備投資は国内景気や外需の動向により振らされ易いのではないかとやや危惧を抱いておりましたが、その後発表されました6月短観や本年第2四半期の法人企業統計調査、また私自身が企業経営者の方からお伺いしたお話などを総合しますと、企業の設備投資意欲はかなり腰が据わっている感じがいたします。また投資目的も単なる能増投資というよりも生産性向上や新技術・新製品対応のための投資が増えている模様であり、また、自社のコア技術に係わる分野につきましては投資の国内回帰の動きもみられますことから、今年度の設備投資につきましては、目先の景気動向に左右されて腰折れするような感じは今のところ窺われません。

 このような好調な設備投資の背景としましては、ここ数年における企業の経営効率化やリストラといった経営努力により、バブル経済崩壊後の企業部門が抱えていた設備・雇用・債務のいわゆる「3つの過剰」がほぼ解消し6、企業体力が格段に向上する中で、好調な企業収益7と潤沢なキャッシュフロー8を背景に、企業が設備投資やM&Aなどの攻めの姿勢に転じ始めていることが挙げられましょう。このように足許好調な設備投資ではありますが、その持続性につきましては、結局今後の企業収益の動向によるところが大きいのではないかと思っています。これまでのところ、短観や法人企業景気予測調査、大手証券会社による上場企業対象の調査などによれば、今年度の経常利益は上方修正の方向にあり、当面大きな懸念はないと思います。しかしながら、企業収益、就中、大企業製造業の収益は、外需に振らされ易い傾向があるのは事実であり、原油・素材価格や米国経済に係る先行きの不透明要因を考えますと、2006年度以降の設備投資の持続性につきましてはなお注意してみていく必要があります。

 一方、個人消費はどうでしょうか。まず雇用環境をみますと、有効求人倍率といった労働需給を反映する指標の改善が続き、完全失業率は振れを伴いつつも低下傾向を辿っています。企業経営者の慎重な姿勢を反映し一人当たり賃金の改善は必ずしも明確ではありませんが、業績連動型給与制度を採用する企業が増加しており9、パート比率の上昇も一服10、雇用者数の増加などから、雇用者所得は増加基調が定着しつつあるようです。こうした雇用・所得環境の改善を受け、個人消費は底固く推移しています。もっとも、先行きにつきましては、最近の株高による資産効果も期待される一方で、今後予想される定率減税の廃止や消費税引き上げに関する議論の高まりが家計の消費動向にどのような影響を与えるのか、また、やや中期的には高齢化による人口動態の変化が賃金や消費性向にどのような影響を与えるのか、などにつきましても慎重にみていく必要があるように思います。

  1. 66月短観では、製造業の生産・営業用設備判断DIの余剰超幅はほぼなくなっていますほか、全産業でみた雇用人員判断DIでも過剰感がみられていません。また、企業の売上高に対する有利子負債比率も足許25%程度と、バブル経済期を下回る水準に低下しており、これらの数字をみる限り、設備・雇用・債務の「3つの過剰」はほぼ解消していると言えます。
  2. 7法人企業統計調査でみた企業(全規模・全産業ベース)の損益分岐点や総資産経常利益率は順調に改善しており、既にバブル経済期以来の水準に達しています。
  3. 8例えば、企業が抱える債務を手許のキャッシュフローによって何年で返済できるかという計算をしてみますと、全産業・全規模ベースでは、5年強と1993年頃のピーク時の約半分にまで低下しています。
  4. 9例えば、「これからの賃金制度のあり方に関する研究会」の調査によれば、2002年時点において業績連動型賞与を導入している、または近く導入する企業の割合は全体の5割を超えていますほか、年棒制につきましても、経団連の調査では、2004年時点では約4割の企業が何らかの形で導入しているとの結果が得られています。
  5. 10毎月勤労統計調査を基に、全産業ベースでのパート比率をみますと、2004年12月の25.8%をピークに、ここ数か月はほぼ横這い圏内で推移しています。

先行きの不透明感が強い外需

 日本経済の力強い回復を達成するためには、内外需のバランスのとれた成長パスが必要であり、その意味で外需の果たす役割は引き続き大きいと考えます。これまでのところ、海外経済は総じて潜在成長率程度の緩やかな成長を維持していますが、足許では、特に米中両国経済の先行きにつきまして不透明感が高まっている点が心配です。

 米国経済は潜在成長率並みの安定的な成長を続けてきました。特に、個人消費は、エネルギー高にも拘わらず、雇用環境の改善、長期金利の低位安定、不動産等の資産価格上昇の効果もあって、予想以上に堅調です。しかしながら、先行きにつきましては、依然としてリスク要因を抱えているのも事実です。

 まず、このところ米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」や「リタ」の影響が挙げられます。マクロ的にみれば局地的な出来事であり、米国政府によるハリケーン対策としての巨額の財政出動や今後予想される復興需要11などを考えれば、その影響は短期的かつ限定的との見方もあります。しかしながら、今回のハリケーンがメキシコ湾岸に集中しているエネルギー関連施設に被害を与え、ガソリン等のエネルギー価格の更なる上昇を招き、これまで落ち着いていたインフレ心理を煽る惧れがあります。また、当面は、雇用や家計のコンフィデンスの悪化等を通じて消費に悪影響が及ぶことも避けられないのではないかと思います。産業界でも、電力向けなどの天然ガスの供給体制につきまして懸念が拡がっていますし、また、原油価格の上昇をきっかけに航空産業の大手で破産に陥る先が現れましたほか、自動車産業の更なる業績悪化も懸念されるところです。米政府や民間機関の見通しなどでも、今年後半の経済成長を年率で0.5~1.0%引き下げる先がみられており、その影響を無視することはできません。加えて、ハリケーン対策により財政負担が高まり、市場の注目が「双子の赤字」問題に再び集まった場合には、長期金利の上昇を招き、米国経済の成長力を弱める惧れがある点にも注意が必要です。

 次に、これまで上昇を続けてきた米国の不動産市場がバブルに陥っているのではないかという点です。米国の住宅価格は、2004年第2四半期以降、前年比で10%を超える高い伸び率を続けており、一部地域では住宅価格が持続不可能な水準に達しているとの指摘がなされているなど、「不動産バブル」への懸念が高まっています。これまで住宅価格の上昇が家計の借入余力を増し、債務の増加によって個人消費が押し上げられてきただけに、今後、長期金利の上昇などによって住宅価格の大幅な調整が生じた場合には、消費を下押しする惧れがある点には注意しておく必要があります。

 また、これまでの累次に亘る米金融政策の引き締めが実体経済に及ぼす効果も無視できません。米政策金利は2004年6月以降11回連続で引き上げられ、当時の1.0%から現在では3.75%まで上昇しています。ガソリン等のエネルギー価格の上昇や単位当たりの労働コストの増加12などを考えますと、インフレに対する懸念は依然として根強く、FRBは来年前半にかけていわゆる「メジャード・ペース」(慎重なペース)での政策金利引き上げを続けるとの見方が一般的です。これまでのところ、実体経済面への影響は必ずしも確認されていませんが、今後、引き締め効果が急速に顕現化してくる可能性は否めません。

 一方、中国経済をみますと、発表されていますマクロ指標の上では好調を続けていますが、一部地域での不動産バブルや銀行の不良債権問題、所得の地域間格差、雇用問題など、国内に様々な構造問題を抱えています。市場メカニズムの働き難い経済構造のもと、国内情勢に混乱や不安定をもたらすことなく経済をソフトランディングさせることは簡単ではありません。これまでの景気過熱を防ぎ所得配分の是正を図る政策から、むしろ経済成長を加速させ所得格差の拡大に目を瞑りながらも所得の底上げを狙う政策に変更される可能性も無しとはしません。そうなりますと、今後の資源・エネルギー価格や先行きの世界経済の安定的な成長にとって更なるリスク要因となるだけに気になるところです。また、7月には人民元の切り上げと為替レジームの変更が実施され、更に9月にも米ドル以外の通貨の1日の変動幅を3%に拡大されるなどの微修正も行われましたほか、各種の市場改革も行われています。今のところ、人民元の切り上げ幅が小さかったこともあって、経済への影響はみられていませんが、米国との貿易収支問題に解決の兆しがみえない中、"too little too slow"として再び政治問題化するリスクには引き続き注意が必要です。

 なお、最近の原油価格の高騰を受けて、産油国では、原油輸入国からの所得移転が発生し、いわゆる「オイルマネー」が急増しているとみられます。市場などでは、こうしたオイルマネーの増加は今年だけで数千億ドル規模に達するとも言われています。こうした増加分がそのまま何らかの形で消費や投資に結び付けば、世界需要全体に及ぼす影響は軽微なものに止まると言えますが、そうでない場合には、世界経済の成長に悪影響を及ぼす惧れがあることを考えますと、今後はこうした産油国の金融経済動向に関しましても、これまで以上に注意してみていく必要があると思います。

  1. 11今回のハリケーンの被害総額につきましては、現時点では未確定ではありますが、米国内には、「カトリーナ」の被害総額だけで最大2,000億ドルに上るとの推計もあるようです。これに対しまして、米政府では、現時点で総額623億ドルの緊急援助予算を既に決定しており、更に500億ドル規模の追加予算も検討されるとみられています。
  2. 12米国の非農業部門における労働生産性(前年比)の推移をみますと、直近のピークである2003年第4四半期に5.0%の上昇を記録した後は徐々にプラス幅を縮小しており、足許の本年第2四半期では2.2%にまで低下しています。

気懸かりな原油価格の動向

 今年に入ってからの原油価格の高騰は当初の市場の想定を越えるものでした。これには、幾つかの要因が考えられますが、その最大の要因は、原油の総生産能力が1970年代から殆ど変わっていない中で、経済の高成長を背景とした米国およびエマージング諸国、とりわけ中国、による需要が急増した13結果、原油の余剰生産力が急速に低下し、需給逼迫の期待が高まったことです。また、投機的な資金が原油先物市場に流入していたことも、こうした動きに拍車をかけたとみています。

 原油価格の高騰は、原油輸入国の実質購買力を低下させ、経済成長を鈍化させる一方、物価上昇を招き、スタグフレーションを引き起こすリスクを高めると考えられますが、今のところ、消費する原油の殆どを輸入しています日本経済をみましても、こうした影響は確認されていません。これは、バブル崩壊以降長期に亘ってデフレ環境が続いてきたため、国内のインフレ期待が総じて落ち着いていることや、日本のエネルギー効率が大幅に改善し、原油輸入額の対名目GDP比率が、1980年代初頭の5%程度から足許では1%台まで低下しているなど、日本経済が原油依存度の低い構造に変貌していること、などが背景として挙げられます14。もっとも、現在の原油高が構造的な問題によるものであり、短期間での解決は困難であることを考えますと、今後とも原油価格の動向が実体経済面、特に企業収益や物価に及ぼす影響につきましては、引き続き注視してみていく必要があります。また、世界経済をみましても、今のところ原油高の経済に対する影響は総じて軽微に止まっています。しかしながら、アジア諸国などでは、原油価格上昇に伴うコスト上昇分を財政で負担するところが多く、今回の原油価格高騰に伴って財政赤字が増加するといった弊害が出てきています。インドネシアでは、財政赤字の急増懸念が嫌気され、インドネシア・ルピアが大幅に下落するといった現象となって現れたことはご承知の通りです。今後とも原油高が世界経済に及ぼす影響につきましては注視していく必要があると思います。

  1. 13国際エネルギー機関(IEA)では、2002年以来の原油需要は毎年日量200万バーレル前後増加しており、その半分が米国と中国の需要増で占められていると推計しています。
  2. 14因みに、2004年の実質GDP1,000ドルの創出に必要となる原油消費量を国別にみますと、米国が0.69バーレル、中国は1.62バーレルと日本(0.39バ−レル)を大きく上回っています。

緩やかな上昇が見込まれる物価動向

 次に、物価の動向に関してお話ししたいと思います。まず、最近の国内企業物価をみますと、需給環境が緩やかに改善する中、原油・素材価格の上昇を反映し、着実に上昇基調を辿っています。しかしながら、その影響は鋼材などの中間財に止まっており、石油製品などを除けば、最終財の価格は殆ど上昇していません15。また、産出単位当たりの労働コストは概ね下げ止まった程度であり、企業向けサービス価格もマイナスを続けています。

 この間、消費者物価(全国、除く生鮮食品。以下同じ。)の前年比伸び率の動きをみますと、石油製品価格が上昇する一方で、米価格の下落や電気・電話料金の引き下げがマイナスに寄与しており、全体として小幅のマイナスを続けています。今後需給環境の緩やかな改善が続き、米価格や電気・電話料金の引き下げなどの特殊要因が剥落すれば、新たな物価下押し要因が発生しない限り、年末頃にかけて消費者物価はゼロ%ないし若干のプラスに転じていく可能性はあるでしょう16。特に、原油・素材価格の上昇が物価の川下部門にどのように波及していくのか、なお注意深くみていく必要があります。ただ、基調としましては、需給ギャップの縮小ペースは依然として緩慢であり、最終財のグローバルな供給圧力はなお存在する中で、供給側の価格支配力が相対的に弱い状態が続く可能性があることを考えますと、今後物価上昇率がプラスになったとしましても緩やかな上昇に止まり、インフレ期待が急速に高まるリスクは小さいものとみています。

  1. 15国内需要財のうち、素原材料価格の前年比伸び率は2004年2月以降一貫してプラスとなっており、足許では2割を超えるプラス幅を記録しているほか、中間財も2004年入り後プラスを維持し、足許は3~4%の上昇となっています。一方、最終財はマイナス幅こそ漸く縮小しつつあるものの引き続き前年割れとなっています。
  2. 16米類や電気・電話料金、石油製品などの特殊要因を除いたベースでの消費者物価前年比伸び率をみますと、ここ数か月はゼロ近傍で推移しています。

総じて安定している金融資本市場

 8月の銀行貸出の平均残高前年比伸び率をみますと、特殊要因調整後の計数17は1998年の調査開始以来初のプラスとなりましたが、その増加傾向が今後も続くかどうかは疑問です。企業のキャッシュフローは潤沢で、総じて企業の資金需要はなお弱い状況にあります。また、銀行の預貸率も低いままであり、資金余剰の状況に変わりはありません。これを背景に、長短の資金市場も安定、リスク・プレミアムが低い状況が続いています。

 足許の長期国債市場では、実体経済の動きや株式市場の活況などを反映し、金利にやや上昇圧力がかかり始めていますし、為替市場もやや円安に振れていますが、いずれも基本的にはレンジ相場の域を出ていないとみています。一方で、株式市場は、このところ海外からの投資活況を背景に上昇を続けていますが、世界的に株価のPERが収斂する中、企業収益の大幅な改善が続くか、あるいは期待成長率が大幅に上昇しない限り、日本株の独歩高が長続きするとは思われません。いずれにせよ、長期金利や為替、株価の動向につきましては、今後の実体経済の動きに加え、財政改革や年金改革といった国内要因の動きや国際的な資金の流れの変化によって生じるリスク・プレミアムを種々の形で織り込んでいくような動きが生じてくるものとみています。

  1. 17総貸出残高から、貸出債権流動化要因、為替変動要因および貸出債権償却要因を調整した計数。

(3)日本経済の当面の見通し

 日本銀行は、本年4月の「展望レポート」で、政策委員の大勢見通しの中央値として、今年度の実質GDP成長率を前年比1.3%、2006年度は1.6%の上昇と発表しました18。しかしながら、日本経済のこれまでの着実な成長の足取りなどを踏まえ、市場などでは、今月発表されます10月のレポートで上方修正される可能性が高いと言われています。そこで、ここでは現時点で私が考えます日本経済の先行きを展望する上でのポイントにつきまして簡単に述べたいと思います。

 2002年2月から始まった今回の景気拡大局面の特徴は、2つの「踊り場」的状況を挟みながら、極めて緩やかな拡大が長期に亘って続いていることです。この10月で3年9か月目となりましたが、これは1993年から1997年のバブル崩壊後の景気拡大期(3年7か月)を抜き、最長のいざなぎ景気(4年9か月)やバブル景気(4年3か月)に次ぐ戦後3番目の長さとなります。この背景としましては、バブルの教訓を経て企業経営者が極めて慎重な経営姿勢を続けていること、企業の経営や生産・流通の管理技術向上に伴って景気循環を生み出す生産、在庫などの振幅が以前よりも小さくなってきていること、更には、企業の「3つの過剰」が解消され、日本経済の体質改善が進み、金融や経済のショックに対する耐性を強めていること、人口動態の変化や高齢化が消費性向を上昇させる方向に寄与しており、個人消費の底固さが構造的に続いていること、などが挙げられます。こうした傾向が経済構造の変化として今後も続くとすれば、景気拡大のペースは極めて緩やかな状態が続くものの、景気の底割れリスクも小さいと言えるのではないでしょうか。

 このような中で、幾つかの構造問題は解決の道半ばと言わざるを得ません。例えば、中小企業の問題です。中小企業でも、全体としてみれば設備や雇用の過剰感は解消されつつありますが、より詳細にみてみますと過剰債務の問題は根強く残っているようです19。売上高に対する有利子負債の比率だけではなく、債務キャッシュフロー比率や労働分配率、損益分岐点でも、既にバブル経済期前の水準に達しつつある大企業に比べて中小企業の改善ピッチは引き続き緩やかです。今回の回復は大企業中心と言われますが、雇用を維持し日本経済の土台とも言うべき中小企業・零細企業の回復感をより確かなものにしていくことは極めて重要です。また、都市部と地方の経済の二極化現象も大きな問題です。最近の地価動向をみましても、地方ではまだ下がり続けていますし、購買力の都市部への集中の動きは進んでいます。今後財政改革を進めながら地方経済をどのように活性化していくのかという点は、大きな課題です。

 また、新しい経済構造に向けた金融システムの更なる堅確性の向上も課題でしょう。不良債権処理はほぼ終了したとみてよいでしょうが、地方や中小金融機関の中には、経営改善の更なる取り組みが必要とみられるところも散見されます20し、巨額な公的資金の返済の本格化もこれからです。何よりも日本の銀行業が今後どのように変化していくのか、あるいは変化すべきなのかということにつきましての青写真は未だ描けていません。

 更に財政改革や少子高齢化への問題につきましても、未だその解決への道筋が明確に示されているとは言えません。

 以上申し上げましたような種々の構造問題の解決に向けた展望なくして真の意味での持続的な成長軌道への復帰はありえないと思っています。

  1. 18本年4月の「展望レポート」における政策委員の大勢見通しをやや詳しくみますと、今年度の実質GDP成長率のレンジは+1.2~+1.6%、中央値は+1.3%、同消費者物価前年比伸び率はそれぞれ-0.1~+0.1%、中央値は-0.1%となっています。また、2006年度は、実質GDP成長率で+1.3~+1.7%と+1.6%、消費者物価前年比伸び率では+0.2~+0.4%と+0.3%となっています。
  2. 19例えば、本年第2四半期の売上高に対する有利子負債の比率をみますと、大企業は約28%と既に1980年代の平均(27%)とほぼ同水準まで低下していますが、中小企業は25%と同平均(20%)を大きく上回ったままとなっています。
  3. 202004年度末における本邦金融機関の不良債権比率をみますと、邦銀大手行で2.9%、地域銀行では5.7%、協同組織金融機関は7.7%となっています。

3.量的緩和政策の評価と今後の金融政策運営

(1)量的緩和政策の評価と当面の政策運営

 日本銀行が量的緩和政策という世界の中央銀行でも前例のない政策に踏み切ってから4年半が経過しました。この間、当初5兆円程度としていた日銀にある金融機関の当座預金残高の目標額も2004年1月以降30~35兆円程度となっており、極めて潤沢な資金供給が続けられています。また、日本銀行では、消費者物価の前年比伸び率が安定的にゼロ%以上になるまで、現在の政策を継続することを約束しています。このような政策により、短期金利だけではなく、比較的長めの金利も安定的に極めて低く推移せしめ、金融機関に潤沢な資金を供給し続けることで、金融市場を安定させ、実体経済を底支えし、デフレの更なる深化を食い止めることができたのではないかと考えています。

 最近の日本銀行の金融政策決定会合では、一部の政策委員から、現在の当座預金残高目標の引き下げが提案されています。市場からも、当座預金残高目標を引き下げるべきであるといった意見が聞かれています。また、財政資金の需給要因などから、この6月から8月にかけては、何度か当座預金残高目標の下限割れも発生いたしました。もっとも、その後は実体経済の改善テンポについての市場の認識が収斂し、長めのターム金利に上昇圧力がかかり始めるにつれ、30兆円の目標残高は維持される状況が続いています。日本経済は景気の「踊り場」をほぼ脱しつつあるとはいえ、数多くの構造問題を抱える中、慎重な企業行動が続いていることなどもあって、その回復は依然として緩やかです。また、先行きの外需の動きに振らされる可能性も否定できません。企業の資金需要は弱く、信用創造によるマネーサプライの増加も当面期待できません。消費者物価の前年比伸び率も、年末頃にかけてゼロ%ないし若干のプラスに転じていくと予想されていますが、様々な特殊要因の動きに左右される中で、将来のデフレ脱却の時期が必ずしも明確に展望されている訳ではなく、インフレ期待も依然として低いままです。こうした中で、当座預金残高目標の引き下げというプロアクティヴな政策変更は、これまでの当座預金残高目標の引き上げを実体経済の更なる悪化を抑えるための追加緩和措置として行ってきた経緯を踏まえますと、少なくともモーメンタムとしては、金融をより引き締めることを意味することとなり、現状では適当ではないと考えます。当座預金残高目標の引き下げ論では、現在の当座預金残高目標を維持した場合に生じる副作用、例えば、「短期金融市場での取引減少や市場機能の低下」、「財政規律の低下」、「資産インフレ・リスクの高まり」、「量的緩和政策を変更する際のコストの大きさ」といった点なども問題視されています。しかし、こうした副作用はそもそも政策の導入時からある程度想定されていたものであり、ここに来て無視し得ない程深刻化している訳でもありません。また、量的緩和政策からの出口の過程において市場の不安定化を抑えるために、現時点から目標残高を所要準備預金残高に向けて順次下げていくべきとの議論もありますが、物価が反応し難い経済構造のもと、足許および先行きの実体経済についての認識を市場と共有し、政策決定の透明性や政策変更の予見性を高め、当座預金残高の縮小について漸進的なアプローチをとることにより、出口における市場の安定は十分達成可能と考えます。私の現時点での判断としましては、消費者物価に係る約束の下で量的緩和政策の枠組みを守り、現在の当座預金残高目標を整斉と維持していくことが重要であると考えています。

 なお、日本銀行では、本年5月の政策決定会合において、「なお書き」を修正し、市場が受け入れ可能な最大限の資金供給額を維持しつつ、一時的にせよ目標残高の下振れを認めることとしました。これは、政策変更を意味するのではなく、あくまで技術的なものと位置付けています。

(2)今後の政策運営におけるポイント

 量的緩和政策の解除に当たり、日本銀行は、3つの条件が充足されることを挙げています。まず第1の条件として、直近の消費者物価の前年比伸び率が安定的にゼロ%以上であると判断できること、第2に、消費者物価の前年比伸び率が先行きもプラスになると見込まれること、そしてこの第1、第2の条件が充足されたとしても、第3の条件として、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合もあることを規定しています。

 先程も申し上げましたが、消費者物価の前年比伸び率は年末頃にかけてゼロ%ないし若干のプラスになる可能性があるとみており、第1条件が満たされる蓋然性が従来よりも高まってきていることは間違いありません。市場の見方も、これにつきましては異論がないように思われます。また、第2条件に関しましても、今月末に予定されています金融政策会合で決定される10月の「展望レポート」における2006年度の消費者物価の見通しがプラスとなる公算は高いとみられています。以上を受けて、市場では、「来年前半にも量的緩和政策が解除される」との見方が拡がり始めていると聞いています。

 しかしながら、私としましては、仮に上記の第1および第2条件が満たされたとしても、当然のことながら、第3条件において、日本経済が再びデフレ経済に戻ることがないように、経済・物価情勢を慎重に見極めていく必要があると考えています。具体的には、日本経済が引き続き景気回復基調を辿っていく蓋然性は高いものの、先行きの消費者物価の前年比伸び率が再びマイナスに戻ることのないように総合的な判断が求められます。どの程度の消費者物価の前年比上昇幅が必要かという点に関しましては、現時点では確たることを申し上げるのは難しいと言わざるを得ません。それには、その時々の経済情勢や需給ギャップの動向、資源・エネルギー価格の動向、グローバルなデフレ圧力を生み出している世界経済の動向、制度的な影響といったもの等々を総合的に判断することが必要です。3条件が充足されたかどうかの判断は慎重に行われるべきであり、その意味で量的緩和政策解除に向けてのバーは必ずしも低いものとは思われず、そのタイミングについても予断を持つことは避けるべきです。重要なことは、対話を通じて実体経済動向に対する認識を市場と共有し、それを映し出す鏡としての市場のサインを十分に見極めることであると思います。

 なお、今申し上げた点以外にも幾つかの考えなければならない問題があります。一つは、来年8月に行われる消費者物価指数の基準年改定に伴う影響をどのように扱うかです。私は、これを第3条件に含めて考えるべきであると思います。市場では、今回の改定により来年1月以降の指数がその時点で下方修正される公算が高いとの見方が大勢です。私としましては、これまで日本銀行がデフレの判断基準として消費者物価を利用してきたという経緯や、消費者物価の改訂後は既存の統計よりもより実体経済を反映したものとなることを考えますと、実際に判断する時点で消費者物価が前年比ゼロ%以上であったとしても、改訂後の消費者物価が再びマイナスに転じることがないだけの余裕を持っておくことも当然必要であると思っています。

 もう一つは、長期国債の買い切りオペの問題です。これにつきましては、いずれ日本銀行としての考え方を示していく必要があると考えていますが、現時点では具体的な論点とするには時期尚早であると思っています。

 今後、実際に消費者物価の前年比伸び率がプラスに転じ、量的緩和政策がまもなく終わるのではないかと人々が感じ始めた時に、日本銀行が何らアクションを起こさないでいると、政策変更についての期待や予想が錯綜し市場が不安定化するリスクがあります。特に、量的緩和政策の出口のプロセス、例えば、量的緩和政策後の政策の枠組みや当座預金残高目標の引き下げの手段およびそのペースについての考え方などが市場に共有されていない場合には、期待が不安定化し、金利のボラティリティを高め、円滑な金融政策の運営に支障をきたす惧れがあります。こうした事態を回避するためには市場の期待の安定を図ることが最も重要であることは言うまでもありません。これに関連しまして、私の考えを簡単に述べたいと思います。

  1.  まず、第一に、市場の期待の安定を図るためのポイントとして最も重要なのは、中央銀行として、政策運営の軸をぶらさないこと、政策の一貫性を維持するということだと思います。言うまでもなく、経済や金融は生き物であり、時々刻々環境が変化し、また不透明要因が数多くある中で、将来の金融政策を具体的にイメージすることは難しく、現実に政策の副作用が大きくなり、国民経済に損失が生じたり、資源配分に大きな歪みが発生するような場合があるかも知れません。その場合には、当然ながら機動的な政策の修正や変更が必要なことは言うまでもありません。しかしながら、先程も申し上げましたように、現在および先行きの経済にとって大きな副作用が生じないと見込まれる限りは、これまでの政策変更を行ってきた経緯を反故にし、政策の一貫性や中央銀行としての説明責任を放棄するような場当たり的な政策運営は中央銀行の信認を著しく傷つけ、その後の政策運営に支障を来たす惧れがあることには十分に注意しなくてはなりません。

  2.  第二に、金融政策の透明性をいかにして高めるか、ということです。このための手段として、市場との対話が重要です。日本銀行としましては、これまで透明性の向上のために工夫を重ねてきましたが、年に2回発表します「展望レポート」もその重要な手段の一つです。昨年10月以降の「展望レポート」では、「経済がバランスのとれた持続的な成長過程を辿る中にあって、物価が反応しにくい状況が続いていくのであれば、(枠組みの変更やその後の金融政策運営については、)余裕をもって対応を進められる可能性が高い」と述べています。私の理解では、この表現は「量的緩和政策からの脱出が遅すぎることによるリスクは相対的に小さく、当座預金残高目標の引き下げはゆっくりとしたペースで進めることが可能である」という、出口における政策運営のスタンスをある程度示すものと理解しています。今後もこうした手法も使いながら、更に具体的なイメージを市場と共有していければと考えています。

  3.  第三に申し上げたいことは、量的緩和政策を解除すれば政策目標は当座預金残高から金利に変更されますが、その場合に少なくとも当座預金残高が所要準備預金残高の水準近くまで縮小する過程におきましては、目標とする金利水準はゼロ近傍に維持されることが適当と考えています。所要準備預金残高に到達した後もゼロ金利を続けるべきかどうかにつきましては、その時点における経済金融情勢に応じて適切に判断されるべきものであることは言うまでもありません。もっとも、先程申し上げましたように、現状の経済・物価情勢において、「金融政策運営は余裕を持って対応できる」のだとすれば、当座預金残高目標の引き下げはゆっくりとしたペースで進めることが可能です。当座預金残高は、その時々の金利動向や先行きの資金需給を見極めながら、最も適切と判断されるスピードで市場が必要とする水準まで引き下げていくことになります。このようなプロセスにつきまして市場の信認を得られるような対応を心掛けることによって、出口プロセスにおける期待の安定は十分図り得るものと思います。

     加えて、やや中期的な視点からみますと、第四点として、市場の期待の不安定化を防ぎ、中央銀行の考え方に対しての信認を高めるために、「望ましい物価上昇率」を市場に示し、政策の透明性を高めていくことも有効かと思います。ここで申し上げている「望ましい物価上昇率」とは、デフレから脱却した後の通常の経済・物価環境において、デフレのない安定的な経済成長を達成する上で中央銀行が中期的な観点から適当と考える物価水準を指しています。これは物価上昇率についての目標を定め、それに向けて傾斜的な政策運営を行う狭い意味でのインフレ・ターゲット政策とは異なり、ある意味では政策のフレームワークとも言うべきものであります。この物価上昇率は、政策委員が最も蓋然性が高いと考える、「展望レポート」での「物価の見通し」とは同じものではありません。「望ましい物価上昇率」を考えるに当たっては、物価指標には色々なバイアスがあり、また再びデフレに戻らないよう十分な余裕を持たせておくことが必要です。「望ましい物価上昇率」は期待のアンカーになると同時に、それを通じて出口においてデフレに戻るリスクを軽減する一種の時間軸効果を持つことになりましょう。なお、現実に「望ましい物価上昇率」を示すに当たっては、適切な物価指数の選択や具体的な上昇率の設定に関しまして、更に詳細な検討が必要であることは言うまでもありませんが、検討に残された時間は余りないように思います。

終わりに

 足許、景気回復基調が徐々に確かなものとなってきたことで、企業経営に携わる方の顔も以前に比べれば徐々にではありますが、明るくなってきたように思われます。

 バブル経済崩壊後の「失われた10年」において、日本経済は苦しみ続けました。この先も、「財政赤字と少子高齢化の問題に対して構造的・制度的な面から如何に適切に対応していくか」、「グローバル化が一段と進展するもとでの企業の世界的な競争力を如何にして高めていくか」、「大企業と中小企業、大都市と地方といった二極化の進展を如何に食い止めるか」等々、なお様々な問題を抱えています。このような問題の解決に向けた真のドライビング・フォースは「民」の強い意志であります。厳しい時代を乗り切ってきた企業は、過去と比較し、明らかに変化に強くなっています。こうした様々な問題を抱え、先行きの不透明感が依然として残る日本経済の中にあっても、適切かつ機敏に対応できるだけ底力をつけてきているように感じます。

 私が本日申上げたかったことは以上です。ご静聴頂きまして感謝致します。

以上