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【挨拶】「金融危機への対応:日本の経験と現在のグローバル金融危機」

預金保険機構主催第4回DICJラウンドテーブルにおける挨拶の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2009年2月25日

原文(英語)は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

  1. はじめに
  2. 1.バブル崩壊以降の日本の金融危機
  3. 2.今回のグローバル金融危機
  4. 3.流動性不足への対応
  5. 4.ソルベンシーの回復
  6. おわりに

はじめに

 本日は、預金保険機構の主催する第4回DICJラウンドテーブルにお招きいただき、まことに光栄に存じます。

 ご承知のように、現在、国際金融システムは世界的な信用バブル崩壊の影響を受けて不安定化しており、とくに、昨年秋のリーマン・ブラザーズ社の経営破綻以降、国際金融資本市場では極めて強い緊張状態が続いています。預金保険機構も中央銀行も、平時においては余り注目を集めない存在であり、その存在感が際立つのは、預金者や金融市場参加者が金融機関の健全性や金融システムの安定性に対し十分な信認を持てなくなる時です。その意味で、預金保険機構や中央銀行の活動が広く人々の関心を集めている現在は、我々の仕事が難しい課題に直面していることを意味しています。

 振り返ってみると、わが国で預金保険機構の活動が国民やマスコミの関心を集め始めたのはバブル崩壊後の1990年代初頭のことであり、資金援助の最初の発動は1991年のことでした。当時、日本銀行副総裁は預金保険機構の理事長であることが法定されており、私自身日本銀行の信用機構局で仕事をしていた関係上、日本の預金保険制度が現実に活用され始めた時期に深くその活動に関わる経験に恵まれました。その後、1990年代後半以降、日本はより深刻な金融危機に直面することになりましたが、そうした経験を通じて、預金保険制度の有する様々な機能が金融システムの安定を実現する上でいかに重要であるかが示されました。本日は、日本の金融危機と現在の世界的な金融危機を比較しながら、金融危機への対応のあり方について、私なりの考え方を述べてみたいと思います。

1.バブル崩壊以降の日本の金融危機

 最初に、わが国の金融危機を振り返ってみますと、不動産価格は、地域・用途によって異なりますが、代表的な指数でみますと、ピーク対比1/4の水準に下落しました。日本の場合、金融仲介に占める割合は圧倒的に銀行部門が高かった訳ですが、累計でGDPの約2割に相当する約110兆円の損失が銀行部門に発生しました。銀行の自己資本や収益力が回復を始め、金融システムの安定性や機能度が改善に向かい始めたのは、世界経済の成長に支えられる形で日本経済が本格的な回復軌道に乗った2003年以降のことでした。この間、日本経済の平均的な成長率はそれ以前に比べて低迷し、今日、この時期の日本経済のことは、しばしば「日本の失われた10年」という言葉で呼ばれています。もっとも、私自身は「失われた10年」といった表現の背後にある認識の仕方は、金融危機とその対応の本質を考える上で、必ずしも適切であるとは思っていません。そのことの意味は後で述べることにして、日本がバブル崩壊以降、本格的な回復軌道に乗るのに時間を要したことは間違いありません。金融危機への対応について考える際には、マクロ経済政策面の対応のあり方を含め検討をする必要がありますが、本日は、金融システム面の対応に焦点を当て、特に以下の3点を指摘したいと思います。

 第1は、多額の不良債権がマクロ経済に及ぼす影響の深刻さについて、認識が遅れたことです。バブル崩壊後、しばらくして、不動産価格下落が個別金融機関経営に与える影響の大きさについては認識されましたが、そのマクロ経済的な意味、現在使われている表現を用いれば、「金融システムと実体経済の間の負の相乗作用」がいかに強力であるかについては、認識が遅れました。

 第2は、会計やディスクロージャーが不備であったことです。将来の損失の発生可能性を会計上どのように認識するかは、現在活発に議論されているテーマですが、当時はそうした問題以前に、既に発生した(incur)金融機関の損失を会計やディスクロージャー面で明らかにすること自体も遅れました。その結果、金融機関に対し不良債権問題の早期処理を促すメカニズムは不十分にしか働きませんでした。

 第3は、以上2点の結果という面もありますが、大規模な金融機関の経営悪化や破綻までを想定した対応の枠組み作りがなかなか進まず、当局として、経営が悪化した金融機関の処理のタイミングが遅れる面があったことです。金融機関の破綻処理を円滑に進めるためには、破綻処理の法的枠組み、実務的な体制、そして何よりも不足する資本をカバーするための公的資金が不可欠ですが、そうした枠組みが本格的に整ったのは、大規模金融機関の破綻が相次いだ後の1998年初のことでした。この間、預金保険機構は与えられた手段の中で、最大限の工夫を凝らしながら破綻処理に取り組まれたことを鮮明に記憶しています。また、枠組みが整備されるまでの間、日本銀行も、金融機関への出資等、中央銀行としては異例の措置を講じながら、問題への対応に当たりました。

2.今回のグローバル金融危機

 こうしたわが国の金融危機の経験との対比でみると、今回の世界的な金融危機の展開については、驚くほどの既視感に囚われます。日本の金融危機は比較的最近まで日本に固有の出来事として片付けられる傾向がありましたが、今回の苦い経験という対価を払いながら、大規模な信用バブルやその崩壊の意味について、認識が次第に深まってきているように思います。

 まず、「問題の認識」という点では、IMFの公表値をみても、サブプライム住宅ローン問題に伴う損失予想は、時間を追うにつれ拡大が続いています。この点は、今回も金融システムと実体経済の間の負の相乗作用の大きさが過小評価され続けてきたことを端的に表していると思います。

 会計、ディスクロージャーの面では、1990年代の日本に比べ、現在はその枠組みが格段に整備されていることは事実です。しかし、市場流動性が極端に細った複雑な金融商品の評価のあり方、オフバランス・ビークルの扱いなど、新たな課題が生じています。加えて、伝統的な問題にも直面しています。現在、米欧の金融機関の不良資産の問題は次第に伝統的な銀行勘定の貸出の問題に移行しつつありますが、金融システムと実体経済の間の負の相乗作用が働く下で貸出の資産価値を評価する難しさは、どの時代にあっても変わらぬ問題のように思えます。

 さらに、経営が悪化した金融機関への対応の枠組みという点でも、例えば、英国のノーザン・ロックやリーマン・ブラザーズ社の処理が、十分整った制度的枠組みの下で行われたとは言い難いと思います。また、仮に制度が整備されていたとしても、金融機関に対する公的資金投入は、どの国でも国民には不人気です。金融機関の経営者には公的資金を申請することへの抵抗感(stigma)があります。さらに、公的資金投入の前提となる金融機関における損失額を確定することも難しい課題です。これらは、いずれも日本が正に直面した困難でした。

3.流動性不足への対応

 次に、金融危機が起きた場合の対応の道筋についてお話します。ただ今申し上げたように、日本の金融危機と現在の世界的な金融危機の間には多くの類似性がありますが、かと言って、どの危機にも当てはまる処方箋があるとは思いません。以下で申し上げることは、あくまでも概念的な整理であることを最初にお断りします。

 バブル崩壊後のわが国でも、今回の国際金融危機においても、危機はいつも流動性不足という形で表面化しました。わが国の場合、中規模の証券会社がインターバンク市場でデフォルトを起こしたことが——ごく僅かな金額であったにも拘らず——、インターバンク資金市場における急激な市場流動性収縮の引き金となり、金融システム全体の動揺をもたらしました。今回も、2007年8月にサブプライム住宅ローン問題の深刻さが表面化して以降、米欧金融機関は流動性不足問題に直面し、リーマン・ブラザーズ社の破綻により、資金調達市場の混乱は更に拡大しました。

 このように、問題は流動性不足という形で表面化しますが、その背後には資本不足(ソルベンシー)の問題が存在しています。危機発生の初期の局面では、どの程度が流動性の問題でありどの程度がソルベンシーの問題であるかを認識することは困難です。純粋に流動性の問題であるケース——比較的牧歌的なケースですが——では、中央銀行がバジョットの古典的な原理に従って、「最後の貸し手」の役割を果たします。他方、単なる流動性不足の問題ではなく、ソルベンシーの問題、それもシステム・ワイドでみたソルベンシーの問題である可能性がある場合には、タイムリーに対応を講じていくことは容易ではありません。この場合は、積極的な流動性供給を通じて金融システムの更なる不安定化を防ぎながら、金融機関の損失金額を確定し、不足する資本を市場調達で賄い、不十分な場合には公的資本の注入を進めていくことが、現実的な対応の筋道になると考えられます。

 今回の世界的な金融危機に即して説明しますと、リーマン・ブラザーズ社の破綻以降、カウンターパーティー・リスクへの懸念が異様に高まり、預金者の信認低下はもとより、通常は高度の信頼関係によって支えられているインターバンク市場においてさえも、機能不全が生じました。一旦このような信認の崩壊とでも言うべき状態に陥ってしまった場合には、信認の修復がすべてに優先します。この点では、今回少なからぬ国で採られた、預金保険による保護対象範囲の拡大や金融機関の市場性資金調達に対する政府保証の実施は有効な措置でした。元来、預金保険は、一定金額以下の預金の保護を通じ、銀行の預金者の信認を安定化させる機能を有していますが、今回の金融危機の中で、保護対象範囲の拡大が、預金者行動の安定化に一定の効果を挙げたと評価することが出来ると思います。また、各国中央銀行も、自国通貨のみならず、米ドルを市場に供給する異例の態勢を整え、金融市場の安定化に取り組んでいます。

 こうした措置により、現在、米欧金融機関の資金調達は、リーマン・ブラザーズ社の破綻直後に比べれば安定性を取り戻しつつあります。ただ、政府保証や預金保険の保護対象範囲の拡大措置が国ごとの判断で行われたため、国際的な資金シフトや、政府保証を受ける必要のない健全な金融機関の資金調達力の相対的低下という問題が生じています。この間、日本は政府保証という措置をとっていませんが、その結果、円建ての債券市場をみると、オフショア市場でも東京のサムライ債市場でも、政府保証を受けた金融機関の資金調達の煽りを受けて、日本企業の社債調達がその分影響を受けるという現象が生じています。また、日本のインターバンク資金市場をみますと、政府保証の範囲や履行手順が明確に認識されていないため、外国金融機関の資金調達の順便化になかなか結び付かない状況がみられました。この点、わが国は1990年代後半以降の金融危機において、預金を含め金融機関の全債務を保護する措置を講じました。金融機関の全債務保護は異例の措置ですが、金融システムの崩壊を防ぐ上で極めて強力な効果を発揮したと言えます。

4.ソルベンシーの回復

 金融危機においては、上述した流動性の面での対策と並んで、ソルベンシーの回復を図る措置が不可欠です。今回の国際金融危機においては、昨年秋以降、公的資本注入など公的資金を用いてソルベンシーの回復を図る施策が各国で導入されました。こうした措置は一定の効果をあげていますが、公的資本の注入後も、株価の低迷やCDSプレミアムの拡大が続き、再度の公的資本注入が行われるケースもみられます。

 この背景としては、先程説明した事情、すなわち、市場流動性の低下から証券化商品の価格を判断することが難しくなっていることや、金融システムと実体経済の負の相乗作用に伴い、貸出の資産内容の悪化が現在進行形で進んでいることを指摘できます。公的資本の注入を行っても、時間の経過とともに資産サイドの追加的な損失発生の懸念が高まり、そうした不確実性の存在により、資本不足懸念が高まるといった、「逃げ水」現象が生じている訳です。

 このような状況の下では、不確実性を取り除くことは不可欠です。そのための手段としては、不良資産の買取りと不良資産に関する損失保証という方法が考えられます。勿論この場合でも、買取りや保証の対象とならない資産に関する不確実性が除去されず、投資家が引続き大幅なリスクプレミアムを要求し、結果として信用が回復しない恐れも否定出来ません。また買取りについては売却価格をどう設定するか、保証については保証料率をどう設定するか、という難しい問題も存在します。日本がかつて直面し、また現在米国が直面しているのも、正にこのような問題です。しかしながら、こうした難しい課題が残るとはいえ、損失金額の確定と必要な資本増強を早急に進めていくことが、金融システムの安定確保のためには、不可欠のプロセスです。

 公的資本注入の広がりは、国際金融システムに新たな問題を提起している点にも注意が必要です。そのひとつは、バランスシートに表れた会計上の情報である自己資本の厚みと、金融機関経営の安定性に対する市場参加者の見方との間にギャップが生じていることです。自己資本の厚みは、本来、当該企業の収益の成長性に関する市場の期待を反映しているはずです。しかし、国が政策目的で行った資本増強は将来の損失バッファーとなるという点では民間ベースで調達された資本と変わらないものの、将来の成長に期待してリスク・マネーを投じるという民間ベースの資本とは違った動機があります。また、会計上表れた自己資本比率の高低のみをもって金融機関の健全性を判断する傾向——換言すれば、将来の成長可能性ではなく将来の損失許容力で判断する傾向——が強まれば、健全であるが故に公的資本を受け入れていない金融機関が、健全でないが故に公的資金を受け入れた金融機関に比べ、自己資本比率が低いという理由で、競争上不利な立場に置かれるという逆説的な事態が発生することにもなりかねません。さらにこうした事態を避けるため、多くの金融機関が一斉に規制上の自己資本比率の引き上げを図ろうとすると、実体経済活動がさらに悪化することにもなりかねません。今後、金融機関の規制・監督を見直していく際、自己資本比率規制のあり方は極めて重要な論点ですが、そうした一般的な論点とは別に、金融危機時においては自己資本比率規制の枠組み自体がプロシクリカリティを強めないように配慮することも必要となります。

おわりに

 以上、金融危機への対応の道筋について述べてきましたが、最後に、金融危機への対応に関して、ふたつの点を述べたいと思います。

 第1は、金融危機への対応策で解決できることと、解決できないことを冷静に認識する必要があるということです。マクロ経済政策の面でも金融システム対策の面でも、金融危機に対し迅速かつ大胆に対応することはどの国にとっても容易ではありませんが、重要なことです。そうした措置が講じられなかったら、経済は深い調整を余儀なくされ、その結果、最悪の事態を招きかねません。しかし、それと同時に、危機対応策は、危機に先立つ時期において蓄積された過剰自体を解消するものではありません。過剰が大規模なものであった場合、経済が持続的成長軌道に復帰するためには、長い時間を要することになります。日本の「失われた10年」にもそのような要素がありました。そのような経済情勢の下で、不満(フラストレーション)の高まりから、経済全体に保護主義な動きが広がると、今度は経済の潜在成長率自体が低下しかねません。その意味で、現在の危機の性格や危機対応策の限界についても冷静に認識する必要があると思います。

 第2の点は、危機において、預金保険機構や中央銀行、金融監督当局など金融システム安定化に責任ある当局間の協力が極めて重要であるということです。協力という点では、金融市場のグローバル化、金融危機のグローバル化を反映して、各国当局間の協力も格段に重要となっています。今回の危機においては、実務の細部まで含め、さらに密接な協力関係が構築されていっているように思います。また、現在、様々なレベルで関係当局間の協力関係が強化されているように思います。協力関係のひとつは各国の経験や教訓の共有であると思いますが、今回のDICJラウンドテーブルが、参加者間の認識の共有と、意見交換の貴重な機会として有意義なものとなるよう心より期待して、私の話を終えたいと思います。

 ご清聴有難うございました。

以上