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【講演】「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応」

ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2009年4月23日

原文(英語)は、英語版ホームページをご覧下さい。

目次

  1. はじめに
  2. 1.過去の金融危機の教訓からの学習
  3. 2.金融危機:日米の類似点
  4. 3.日本の「失われた10年」とは何か
  5. 4.日本の「失われた10年」の教訓
  6. 5.危機の解決のために現在必要な政策対応
  7. 6.今後の挑戦:危機の予防
  8. おわりに

はじめに

 はじめに、ジャパン・ソサエティとIIB(Institute of International Bankers)の共催により講演の機会を与えて頂き、たいへん光栄に存じます。また、ただ今温かいご紹介をしていただいたローズ氏に感謝いたします。

 世界経済は、長い間経験してこなかったような危機に直面しています。2000年代の「大いなる安定(Great Moderation)」と呼ばれた時期に、世界的な規模で過剰な信用供与が積み上がりました。現在、多くの国はこうした行き過ぎがもたらす帰結に苦しんでいます。世界中の政府と中央銀行にとって、この難しい局面を如何に乗り切るかが最大の課題です。

 こうした異例の状況の下、10年前の日本の金融経済危機がどのようなものであったのかが、改めて注目を集めています。日本は、1980年代後半から今世紀初頭まで、バブルとその崩壊を経験しました。1990年代を通じて、日本経済は長い停滞となったほか、システミックリスクを伴う金融危機も経験しました。こうしたことから、日本の1990年代はしばしば「失われた10年」と呼ばれています。

 「失われた10年」という表現は、私自身は後ほど述べる理由からあまり使わないのですが、おぼえ易く、耳目をひくフレーズであることは事実です。実際、1990年代の日本経済の不振については、日本の内外で活発な議論の対象となってきました。最近まで、「失われた10年」は、しばしば、日本独自の出来事とみなされていました。しかし、経済活動の低迷や金融システムの悪化という観点でみると、1990年代の日本の経験と米国が2007年夏以降に経験していることには、驚くほど類似点があります。そして、このことから、米国も米国なりに、──必ずしも10年とは限りませんが、──「失われた時代」に陥るかもしれないとの議論がなされることがあります。

 こうした点を念頭において、本日は3部構成で議論を行いたいと思います。まず第1部では、日本の前回の危機と現在の米国の困難の類似点についてお話します。ただし、米国がこの局面で何をなすべきかを講義する意図はありません。どの危機も全く同じものではあり得ませんし、日本自身も、現在、経済の厳しい落ち込みを経験しているからです。第2部では、日本の危機の経験を広い角度から再検討することとし、教訓を多面的に引き出したいと思います。第3部では、現在の危機を解決するために政策当局者が採るべき政策対応に焦点を当てます。また、関連する範囲で、危機の防止についても言及します。

1.過去の金融危機の教訓からの学習

 最初に、個人的な思い出をご紹介したいと思います。日本銀行は、1990年5月に金融システムの安定を責務とする新しい局を創設し、私はその課長に就任しました。当時の三重野総裁は私の上司と私に、今後あり得べき金融機関の経営破綻に備えられるよう、政策対応の処方箋を描くよう指示しました。当時と言えば、日本経済はまだ好況に沸いていた頃です。日本の株価は既にピークを付けた後でしたが、地価はまだ上昇を続けていました。金融システム不安が表面化したのはこの数年後でしたから、総裁に先見の明があったことが、今でも思い起こされます。

 総裁から与えられた使命を果たすために、上司と私は欧米を2週間訪問し、海外の中央銀行や監督当局が過去の金融危機にどう対処してきたのかを学ぶこととしました。ここ米国でも、FRB、ニューヨーク連銀、連邦預金保険公社(FDIC)、整理信託公社(RTC)の多くの専門家に親切に迎えていただき、彼らの経験や洞察について、多くのことを共有させてもらいました。私たちはコンチネンタル・イリノイ銀行や貯蓄金融機関(S&L)の経営危機、ドレクセル・バーナム・ランベール社の破綻などを議論しました。そうした貴重な助言を基礎として、1990年代の早い時期に、金融危機が生じた場合の政策の枠組みを内部的に作ることができました。この枠組みは徐々に発展し、1990年代半ばには以下の4点を含むものになりました。

 第1に、当局は、自己資本が毀損されていることが判明した金融機関に対し、リストラクチャリングや自己資本調達を促す。

 第2に、自力再建が不可能な金融機関については、当局は、預金保険制度の資金援助機能を活用した合併や、不良資産の管理を行う機関の設立、金融機能の維持・承継をはかるための受皿金融機関の設立など、あらゆる手法を探索する。

 第3に、金融機関が流動性不足に陥り、システミック・リスクが顕現化する恐れがあれば、中央銀行が最後の貸し手として流動性の供給を行う。

 第4に、金融機関の自己資本調達が困難である場合には、当局は公的資本の注入を選択肢として検討する。公的資本の注入に当たっては、経営責任の明確化や既存株主のコスト負担等を前提とする。

 こうした一般的な処方箋は、現在の状況の中でみても、依然として正しいと思います。しかし同時に、後から振り返ってみると、この処方箋は、現在私たちが経験しているような大規模な金融危機に対処するための包括的な戦略の一部に過ぎない、ということも認めざるを得ません。私たちは、なぜ過去においてそうした包括的な政策を遅滞なく実行に移し得なかったのかを、自らに問うてみる必要があります。

2.金融危機:日米の類似点

 以上を念頭に置いたうえで、次に、1990年代から今世紀初頭の日本の危機と、過去数年間における米国の経験との間には、顕著な類似点があることを指摘したいと思います。この類似点は5つに分類することができます。

 まず第1に、日米ともに、金融危機の発生以前に、高成長と低インフレの時期が長く続いたことが挙げられます。1980年代の日本の経済的興隆は、向かうところ敵なしというように見えましたし、過去10年の米国経済の持続的な強さは、「大いなる安定」(Great Moderation)と言われた世界的な現象を象徴するものでした。

 1980年代後半には、日本の国民は、二度の石油危機を克服し、経済力に対する自信を深めていました。日本は当時、世界最大の債権国となり、世界経済の中での存在感を高めていました。日本の地価の急激で持続的な上昇は、日本の基礎的な経済力の強まりを反映したものとみなされました。1989年末には日本の株価時価総額が世界の半分近くを占め、東京圏の地価総額が米国全土の地価総額に匹敵するとまで言われました。しかし、こうした状況を今から振り返ってみると、非合理的な熱狂(irrational frenzy)にほかなりませんでした。

 第2に、日米ともに、バブルが崩壊した後も、その事実だけではなく、それが経済に広くもたらす厳しい影響が認識されるまでに、相当の時間を要しました。日本の場合、株価のピークは1989年末、全国の地価のピークは1991年9月であり、日本銀行が最初に利下げを行ったのは1991年7月でした。しかしその当時でも、金利引下げがバブル再燃の引き金になるのではないかと警告を発する声が多く聞かれました。米国の場合は、住宅投資がマイナスに転じたのは2006年第1四半期、住宅価格のピークは2006年5月でした。一方、FRBが利下げを開始したのは2007年9月でした。この時も、FRBの利下げが国際商品市況の非合理的な高騰の一因となっているのではないかとの批判が聞かれました。

 日本では、バブル崩壊の初期段階においては、バブルの崩壊が経済にどれほど深刻な悪影響を与えるかが直ちには理解されず、設備投資の循環的な調整が終了すれば、再び経済成長が始まると楽観的に考えられていました。当初のこうした楽観論は、その後、金融システムと実体経済の負の相乗効果が強力に作用していく中で、誤りであることが判明していきました。米国も、この点は例外ではありません。政策当局者の中には「バブルは破裂して初めて認識できる」という意見も多いのですが、正確には「バブルは破裂しても、容易にはそのことを認識できない」と言うべきだと思います。バブルの識別の難しさは、金融政策に対して重要なインプリケーションを持っていますので、後でこの点をご説明したいと思います。

 第3に、過去の金融危機は、いつも金融機関の流動性不安から顕在化しました。日本の場合、中規模の証券会社がインターバンク市場で債務不履行を起こしたことが、短期金融市場における急激な流動性収縮の引き金となり、その影響は直ちに日本の金融市場に広範囲に拡がりました。今回の米国でも、2008年9月のリーマン・ブラザーズ社の破綻が契機となって、資金市場における流動性が枯渇しました。そのことが国際金融市場の信認の連鎖を断ち切ったほか、貸し手と借り手の間の与信の流れを詰まらせました。

 第4に、日米ともに、金融システムの安定性が脅かされているにもかかわらず、公的資本注入等の本格的な対策は、金融市場の混乱が危機的な状況に達するまで採用されませんでした。これには幾つかの理由があります。日本のように銀行役員の給与が相対的に高くない国においても、金融機関は必ずしも人気がある訳ではありません。しかも、金融機関が果たす信用仲介機能の重要性は、失われてしまうまでは一般になかなか理解されにくいものです。こうした理由により、本格的な対策に踏み出すことが遅れがちになります。また、金融システム安定のためには、国民の税金を用いることが必要であるとの合意が得られたとしても、経営を誤った金融機関に対する国民の怒りの強さに直面すると、どうしても政策対応が小出しになる傾向があります。

 日本の場合、1990年代半ばに、中小の信用組合や住宅金融専門会社に対して公的支援が行われました。しかし、リスクを取り過ぎた融資姿勢等への国民の怒りは強く、国会では公的支援を巡って激しい議論がなされました。こうしたこともあって、システミックリスクの観点からみて重要な銀行に対する公的資本注入のタイミングは、1990年代後半へと遅れてしまいました。こうした政策の遅延は、銀行が自発的に役員報酬の抑制を行った後も続きました。この間、実体経済と金融システムの負の相乗作用が働き、景気が悪化していく中で、不良債権の処理は一段と難しくなっていったのです。その後、1999年には主要な銀行に対し、当時としては思い切った金額の公的資本注入を行ったのですが、それでも結果的には、日本の銀行を復活させるには不十分な規模にとどまることとなりました。

 第5に、金融政策についても類似性がみられます。当時、日本銀行は、流動性を潤沢に供給し、金利をゼロパーセントまで引下げました。そうした中、長めの資金供給オペレーションの実施や、担保範囲やオペ先の拡大、企業金融支援のための臨時貸出制度創設等の施策を講じました。また、ABCPやABSなどの買入れも行いました。現在の危機においても、米国の政策当局は、当時の日本銀行が工夫を凝らして行った手法と類似した様々な政策手法を採用しています。こうした中央銀行の政策対応の考え方については、後ほどご説明します。

3.日本の「失われた10年」とは何か

 最初に申し上げたように、日本の1990年代は「失われた10年」と呼ばれています。このわかりやすい表現から伝わってくる内容はたいへん率直なものであり、要するに、日本経済が長い停滞に苦しんだということだと思います。しかし私は、こうした表現は、物事を単純化し過ぎるあまり、問題に取組み適切な政策対応を策定するうえで誤解を与えかねないと懸念しています。そこで、1990年代の日本の経験についてよりバランスのとれた評価を行うために、この期間が本当はどのようなものであったか、幾つかの観点から確認しておきたいと思います。

 まず第1に、日本経済が、1990年代を通じて停滞していたということは事実です。この期間の実質GDP成長率は年平均1.3%にとどまり、その前の10年間の4.0%に比べて大幅に低下しました。しかし、バブル崩壊後で経済情勢が最も厳しかった1998年度でも、日本の成長率は−1.5%にとどまっており、現在ほどの急激な落ち込みはみられませんでした。また、金融危機の間も、日本の実質GDPの水準は、バブル期のピークであった1989年を下回ることはありませんでした。これには、預金を含む全債務保護を行うなど、金融システムの崩壊を回避するためにあらゆる手段を講じたことも、相当寄与したものと考えています。

 第2に、日本経済は、1990年代の低成長期においても、何回か一時的な回復局面を経験しました。ただし、このことは、経済が遂に牽引力を取り戻したと人々に早合点させる働きをしたように思います。これは「偽りの夜明け」(false dawn)とも言うべきものでしたが、人間の常として、物事が幾分改善すると楽観的な見方になりがちです。

 第3に、日本の危機は、デフレーションという文脈で議論される傾向があります。しかし、より正確に言えば、私たちが当時最も懸念していたのは、「デフレーション」という言葉から通常想起される一般物価の下落というよりも、資産価格の下落でした。日本の地価は、大都市ではピークからボトムまでに7割から8割という規模で下落しましたが、一方、消費者物価の低下幅は1997年から2004年までの累積で3%でした。日本が直面していた本当の難しさは、資産デフレと銀行セクターの脆弱性との相乗作用でした。

 第4に、バブル崩壊後、長期間にわたって日本経済の成長率が低迷した背景には、構造的な側面もありました。1980年代後半から1990年代にかけて、日本は世界経済に起こった大きな変化に対してうまく適合できませんでした。すなわち、規制緩和、グローバリゼーション、情報通信技術革命といった潮流の変化です。こうした中で、世界の市場は統合の度合いを強め、生産工程の世界的規模での分業も拡がりました。海外の企業は生産拠点や販売チャネルを最適に配置して付加価値を生み出す一方、アウトソーシングをコスト削減に効果的に活用したのです。

 これに対し、日本の企業は、中央で集中制御を行い、チームで対応する一括生産管理方式が主流でしたので、こうした環境変化への対応は大きな挑戦となりました。日本の産業モデルは終身雇用制度の下での技術力の高い国内労働者によって支えられてきました。しかし、日本の企業は、過去の成功の記憶に囚われ、グローバル経済に生じた大きな変化への対応が遅れました。さらに、バブルが発生し、日本企業にとって調整の必要性は覆い隠されてしまいました。

 このように企業が自己変革できなかったことが、不良債権問題による信用仲介機能の弱まりとともに、資源の効率的な配分を損ない、日本の潜在成長力を低下させました。趨勢的な成長率の低下は、今度は、バブル崩壊後の日本経済の慢性的な疾患を長引かせることになりました。後ほど申し上げるバブルによって生成された過剰の調整とともに、この点は、日本経済が1990年代を通じて不振を続けた基本的な原因の一つとなりました。

4.日本の「失われた10年」の教訓

 次に、日本のいわゆる「失われた10年」からどのような教訓が得られるかをご説明します。

 「失われた10年」という言葉には、当局がより迅速で大胆な行動をとっていれば、危機をもっと早く解決することができたはずである、という意味合いが込められているように思います。もちろん、事態が急迫している時に積極的に政策対応を行うことは重要です。しかし、資産バブル崩壊後の厳しい時期に適切な政策対応のあり方を模索してきた中央銀行員として、私は、こうした単純化は、日本が経験した問題や同様の経済危機を包括的にかつ仔細に捉えるうえで、妨げとなるのではないかと危惧します。日本経済を持続的な成長経路に戻すのに10年かかった理由を理解するためには、日本の経験をより広い政策的視点から再検討する必要があります。特に、以下の3点を強調したいと思います。

 第1に、大胆だと思って採った行動であっても、事後的にみれば必ずしも大胆ではなかったという場合があります。先ほども申し上げたように、日本政府は1999年に大規模な公的資本の注入を行いましたが、これは、後からみると実体経済の悪化と金融危機の負の相乗作用を食い止めるために十分ではありませんでした。このように、負の相乗作用とは、その大きさを把握することがたいへん難しいものです。

 第2に、日本の銀行危機について既に申し上げたように、金融システムの安定を確かなものにするための大胆で迅速な政策対応は、政治的に不人気になりがちです。そのため、政策当局者は、政府や中央銀行による危機管理対応が、経営に失敗した銀行を救済するためではなく、金融システム全体を救うために行なわれているということを、しっかりと説明し、国民の理解を得る必要があります。

 第3に、マクロ経済政策は、経済の急激な減速に立ち向かううえで鍵となる役割を果たすのですが、万能薬ではありません。バブル期に蓄積された過剰の整理に目途がつかない限り、力強い経済成長を取り戻すには至りません。同様に、マクロ経済政策は、企業がビジネスモデルを調整できないことに伴う生産性の低下に対処することもできません。この点は非常に重要ですので、若干説明を加えたいと思います。

 バブル期において、日本経済に蓄積された不均衡は非常に大きなものでした。1980年代のブーム期に、日本の企業は借入れを急速に増やし、設備投資は、1990年までの3年間に年率2桁のペースで拡大しました。しかし、一旦バブルが1990年代初頭に崩壊すると、実体経済面で資源の稼働率が急速に低下するとともに、不良資産が増加し始めました。結局のところ、日本は債務・設備・雇用の3つの過剰を大幅に蓄積していたのです。このような大きな不均衡を解きほぐすのに長い時間を要することは明らかです。

 日本経済は、金融システムが安定を取り戻したことを背景に、回復しました。しかし、日本経済の復活にとって同様に重要だったのは、ただ今申し述べたような過剰を取り除くことでした。過剰を解消していったことによって、日本の企業は、グローバル経済に生じた大きな変化に適応し始めたのです。企業のこうした変貌は、特に電機、自動車、一般機械などの製造業で顕著でした。言い換えれば、日本の企業は1990年代の構造不況を経てビジネスモデルを再構築し、先進国と新興国の両方を含むグローバル経済のダイナミズムの恩恵を手にすることができるようになったのです。

5.危機の解決のために現在必要な政策対応

 ここまでは1990年代から今世紀初頭における日本の危機の経験を主体に過去について申し上げてきました。残りの時間を使って、今度は現在の状況にとって必要な政策対応についてご説明したいと思います。

 1990年代の日本経済と現在の米国経済の間にみられる著しい類似点については既にお話しましたが、違いもあることを忘れてはなりません。例えば、銀行が金融仲介機能において主要な役割を果たしている日本とは異なり、米国では資本市場がより重要な役割を果たしています。また、日本の場合、不良資産の中心は商業用不動産ローンでしたが、米国の場合は、証券化商品市場から問題が始まりました。理論上は、証券化商品は市場で常に再評価がなされるので、商業用不動産ローンよりも、損失の把握は容易と考えられます。しかし、市場流動性が損なわれると、適正価値の発見はむしろ困難になります。また、証券化商品が世界中の投資家に分散していることが、追加的な難しさを生んでいます。

 さて、現在の危機が発生して以来、世界中の政策担当者は、金融機関にレバレッジの解消を促す一方で、経済活動の急激な落ち込みを回避するという2つの要請を念頭に置きながら、注意深く舵取りを行っています。レバレッジの解消と経済の落ち込みは負の相乗作用に陥るリスクがあるので、巧みにバランスをとらなければなりません。そこで、こうした大きな危機に対処するために私が重要と考える政策を──これらは既に両国で採用されているものですが──、4つの柱に基づいて整理しておきたいと思います。

 第1に、中央銀行は、金融市場における流動性需要を円滑に満たすように努める必要があります。金融の安定を維持するためには、まずこのことが不可欠の前提条件となります。先ほども述べたとおり、金融危機は、殆どの場合は流動性の逼迫から発生するものです。流動性不安は伝播し易く、金融システムの存立基盤を脅かします。このため、現在、数多くの中央銀行が、自国通貨資金の供給を大幅に拡大しています。また、主要な中央銀行は、ドル資金の調達圧力を和らげるために、FRBとのスワップ取極を臨時に締結し、自国の市場に米ドル資金を供給するオペレーションを導入しています。

 第2に、信用市場に厳しいストレスが加わっている場合、中央銀行は、時にその市場機能を支援する方策を講じることが期待されます。中央銀行による介入の方法は、個々の市場の状況によって異なります。例えば、FRBは、著しく低下した金融市場の機能を回復させるために、CPやABCPのみならずエージェンシー債やエージェンシーMBSなどを買入れる信用緩和政策を行っています。日本では、銀行が金融の中心的な役割を果たしていますが、同時にグローバルな資本市場の混乱の影響も受けています。実際、CPや社債市場がここ数ヶ月、急激に引き締まったことによって、日本の企業の資金調達が逼迫しました。これに対処するため、日本銀行は、個別企業の信用リスクを負担するCPや残存期間の短い社債の買入れを実施しました。

 日本の銀行は全体としては安定性を維持しており、システミックリスクを伴う問題はみられていません。もっとも、日本の銀行は企業の株式をかなりの規模で保有しており、その含み益の一定割合がTierII自己資本に算入されています。したがって、株価の下落は、金融機関の自己資本のバッファーを減らし、金融仲介機能を制約します。こうした問題を緩和するため、日本銀行は、金融機関保有株式の買入れを再開しました。同様に、国際統一基準行を対象に、TierIIの資本を増強する狙いで劣後ローンを供与する計画も発表しました。これらの諸施策は、中央銀行としては極めて異例の措置であることを強調しておきたいと思います。

 このように、米国と日本は、信用市場の緊張を緩和するために、それぞれ独自の方法で対処しています。

 第3に、景気後退と金融システムの不安定性の負の相乗作用が生じている際には、有効需要を増加させるマクロ経済政策の積極的な対応が重要になります。金融政策面では、金利の引下げは最も伝統的な対応であり、FRBも日本銀行も、既に政策金利を実質的にゼロまで切り下げています。また、長期的にみて財政規律を損なわないよう配慮しつつ、財政政策による刺激も考えられるべきです。最近開催されたG20サミットのコミュニケにおいても、主要国は既に財政支出の拡大をコミットしており、その規模は来年末までに5兆ドルになると期待されます。

 第4に、金融システムの安定性回復のためには、全体観を持ったうえで対応することが必要です。ここで「全体観」(holistic)という言葉を使っているのは、金融機関の自己資本の回復を図ったり、不良資産をバランスシートから切り離すといった、様々な手段の連携を採ることが重要だからです。金融システムは貸し手と借り手の間の信頼によって成り立っています。この基盤が一旦揺らいでしまうと、金融システムの正常な機能を回復するには時間がかかります。現在、グローバルな金融システムは、依然として信認の喪失とも言うべき状況に苦しんでいます。金融システムに拡がった懸念を緩和するために、世界中の当局は、金融機関に対する資本注入、債務保証、不良資産の切り離しなどの数多くの対策を実施しています。

 このうち、金融機関から不良資産を切り離したうえで、その自己資本を回復させることは、金融の健全性を回復するうえで不可欠な、しかし最も困難な課題です。まず、自己資本の不足額を確定することが難しいという問題があります。証券化商品は多層構造になっており、複雑なリスク・プロファイルをもっているうえ、ここ1年余の間は市場流動性が低下しているため、適正価値を割り出すことが難しくなっています。しかも、実体経済と金融システムの負の相乗作用が追加的な損失を発生させ、金融機関の資本不足への懸念を高めています。この負の循環に歯止めをかけようとしても、目標が逃げ水のように動いていく(moving target)という、把握が難しい現象が生じます。しかも、金融機関に対して十分な金額の公的資本注入を行うという合意を得ることは政治的に難しいことです。

 これが、公的資本の注入が不十分なものとなり、しかも遅れがちになる理由です。これらの困難を乗り越えるための簡単な解決法は存在しません。政策当局としては、金融機関の資産の悪化状況の把握に全力を尽くしたうえで、たとえ公的資本の注入が不人気であるとしても、金融システムの安定確保の重要性を国民に説明し、必要な政策対応を受け入れ易くする必要があります。

 以上をまとめると、金融危機管理の政策対応として、第1に、流動性の潤沢な供給、第2に、信用市場の機能の支援、第3に、マクロ経済政策による有効需要の喚起、第4に、公的資本の注入とバランスシートの不確実性の除去という4つの要素を述べました。この4つの領域で効果的な措置が講じられなければ、経済は一段と厳しい調整を余儀なくされかねません。

 もっとも、政策当局者は何でも達成できる訳ではないということも認識する必要があります。この20ヶ月間に採ってきた政策対応は、危機に先立つブーム期に蓄積された不均衡を解きほぐす必要性を帳消しにするものではありません。先ほど申し上げたように、日本の場合は、企業の債務・設備・雇用の3つの過剰が整理されるまでは、経済が持続的な回復に移行しませんでした。今回の危機についても、同様のことが言えます。米国経済は、金融機関のレバレッジの増加や、家計の過剰債務、そして恐らくは金融産業の行き過ぎた拡大に対する調整が必要になっているものと思われます。これは痛みを伴うことですが、避けては通れないプロセスです。日本の10年に及ぶ経験からみて、痛みの伴わない近道はありません。

 もう一つ注意しておきたいことがあります。過剰の調整に伴う痛みの故に、貿易や金融面で保護主義に傾いていくリスクがあります。しかし、保護主義は断固として食い止めなければなりません。また、保護主義と同様、過剰な規制も経済の効率性を損ね、生産性を低下させます。こうした事態に陥ることも絶対に避けなければなりません。

6.今後の挑戦:危機の予防

 ここまで私が申し上げてきたことは、危機の解決に関するものでした。しかし、中長期的にみると、危機が起こらないように予防することも同じように重要です。以下では、この観点から概略を説明したいと思います。

 そもそも、現在の危機は、金融政策運営にとって重大なチャレンジとなっています。このことは、政策当局者の考え方だけでなく、実際の政策形成を裏付けてきた理論にも変化を迫っています。学問としてのマクロ経済学は、この20年間に発展し、洗練の度合いを高めてきました。政策実務家にとってそのインプリケーションを単純化して申し上げるならば、第1に、経済の潜在的な成長力は一般物価の持続的な安定の下で最大化される、第2に、中央銀行の金融政策は第一義的には一般物価の安定を目指すべきである、第3に、第1と第2の帰結として、マクロ経済安定の責務は第一義的には金融政策に帰せられるべきである、ということになります。それぞれの命題は今でも正しいのですが、時間が経過するとともに、金融政策だけで全てに対応できるというような、一種の慢心につながってきた面もあるのではないかと思われます。

 例えば、マクロ経済学の学者の中には、大不況はもはや実際上の関心事ではなくなったとの主張がみられました。しかし、現在の危機やそこに至る過程をみると、金融システムのダイナミクスであるとか、群集心理や過度の楽観といった非合理的な人間の行動を、マクロ経済理論が適切に扱えていないことが示されています。したがって、危機を予防する観点からは、私どもは、より広い角度からのアプローチを発展させていく必要があります。

 一見良好な経済環境のもとで不均衡が蓄積されていく現象は、今後も形を変えて現れる可能性があります。私どもが経験した1980年代の日本の例や2000年代初頭の米国のように、低金利が継続するという期待が、レバレッジの拡大を通じた経済の過剰の蓄積につながるケースが多くみられます。また、好況期には、金融商品のリスク量が小さく測定され易く、金融機関はこれを潜在的なリスク量とみなしがちです。熾烈な競争を行っていることも、金融機関自身の体力を超える大きなリスクを取る傾向に拍車をかけます。個々の金融機関がミクロレベルでリスクテイク姿勢を強めると、マクロレベルで積み上げれば過大なリスクテイクとなり、そのことが資産価格の高騰を持続させる可能性があります。その結果、金融機関がリスクテイクしたポジションを一斉に反転させようとしたり、そのことが市場流動性を枯渇させることを通じて、金融システムが不安定化する可能性があります。

 こうしたことを踏まえると、政策当局者にとっては、マクロプルーデンスの観点に基づく洞察力を磨くことの重要性が高まっていると思います。このことには2つの意味があります。一つは、金融システム全体のリスクの分布をモニターすることです。二つめは、金融システムがどのように機能し、またどのように変化していくか、また、その実体経済との複雑な相互作用がどうなっていくかを分析することです。このようなアプローチは、金融機関の規制・監督のためだけではなく、金融政策にとっても不可欠な視点です。マクロプルーデンスの枠組みで検証すべき論点には様々なものがありますが、ここでは時間の関係で、中央銀行にとって最も重要な側面の一つ、すなわち、マクロプルーデンスの観点が金融政策とどう関連しているかを申し上げます。

 「バブルにどう対応すべきか」という問題は長い間にわたって論争されてきました。一つの立場は、中央銀行はバブルが破裂してから積極的な金融緩和で対応すべきと主張してきました。この主張は、バブルを生成時点で認識することは難しいので、中央銀行はバブル崩壊後にその経済に及ぼす悪影響を相殺するしかないという考え方に基づくものです。しかし、私はこの考え方に対して異論を持っています。多くの場合、バブルは、破裂しつつある時でも認識が難しいものです。しかも、バブルの破裂後に、それまでに蓄積された過剰が解きほぐされていく過程では、現局面でまさにみられているように、中央銀行の金融緩和政策の効果はかなり減殺されます。

 それでは、私たちはどうすべきなのでしょうか。

 まず、最も重要なことは、中央銀行は、バブルの生成を予防することと、バブルの崩壊の影響を緩和することの双方に注意を払うべきということです。私は、こうした対称的な(symmetrical)アプローチが正しいと考えています。中央銀行は、不均衡が経済に蓄積されてきていないかどうかを、常に警戒しておくことが必要です。経済の不均衡はみえにくいところで積み上がります。したがって、中央銀行が金融政策判断に当たって一般物価の安定だけに焦点をあてていると、経済活動の様々な側面で生じる危険な兆候を見落とす可能性が高まります。マクロプルーデンスの観点が重要性を持つのは、まさにこのためです。金融の不均衡は、典型的には、金融機関の信用量の伸びやレバレッジの拡大、資産価格の急騰、あるいはそうしたものの組み合わせとして現われ易いものです。中央銀行は、こうした指標を注意深くみることが必要です。

 しかし、不均衡は形を変えて現れる可能性もあります。経済の不均衡が生成されるまでに長い時間がかかり、しばしば金融政策運営の通常の時間的視野を越えてしまうという点は、中央銀行にとって難しい問題です。したがって、物価の安定を短期的な消費者物価指数の安定として狭く捉えてしまうと、バブルの生成という意図せざる結果を生み出すかもしれません。今世紀初頭にいわゆるITバブルが破裂し、デフレーション懸念が高まったことを背景に、金融政策は、世界的な規模でしかも長期にわたって緩和されました。不幸なことに、このことが、グローバルな信用バブルを発生させ、その結果グローバルな金融システムを混乱させた要因の一つとなっています。

 経済情勢が厳しい時に、積極的な金融緩和を追求すべきことは当然です。厳しい経済危機においては、政策当局者は、経済の一時的な回復──先ほども申し述べたような偽りの夜明け(false dawn)と言うこともできます──を本当の回復と見誤ることがないように注意する必要もあります。しかし、終わりのない経済危機というものはありません。したがって、中央銀行は、積極的な金融緩和からの適切なタイミングでの脱出も、意識しておかなければなりません。脱出が遅れると、より悪い状況への入口に既に足を踏み入れている可能性があるのです。

 最後に、金融政策だけでバブルの生成・崩壊の再発を回避できるものではないことを付け加えておきたいと思います。たとえば、規制・監督の領域においても、取り組むべき課題は数多く残っています。

おわりに

 本日の講演を終えるにあたり、もう一つお伝えしたいメッセージがあります。私たちは、現在、通常の不況ではなく、真にグローバルな性質を有する危機に直面しています。2000年代初頭の日本は、世界経済の回復の恩恵を受けることができましたが、今回はどの国も、他国の立ち直りに期待して経済を持ち直させることは難しいと考えられます。しかし、この1年余の間、私たちは危機に対して共に戦い、多くのことを成し遂げてきました。これからも、これまでに発揮してきたスピリットを絶やさずに、それぞれの国で、また国同士の協力も行いながら、危機の解決に向けた努力を続ける必要があります。私たちは、共にさらに前進を続け、現世代やさらには将来世代に向けて、持続的かつ効率的な金融システムを再構築したいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

以上