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【講演】「頑健な決済システムの構築に向けて」

金融情報システムセンター25周年記念講演

日本銀行総裁 白川 方明
2009年11月13日

 英訳は、Toward Development of Robust Payment and Settlement Systemsをご覧下さい。

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.今次金融危機にわが国決済システムはどう機能したか
  3. 3.金融危機を経て改めて確認された課題
  4. 4.日本銀行の取り組み
  5. 5.最後に
  6. 参考文献

1.はじめに

 ただいまご紹介にあずかりました白川です。本日は金融情報システムセンターの創立25周年記念シンポジウムでお話しを申し上げる機会を頂戴し、大変光栄に存じます。当センターは1984年の設立以来、システム監査指針や安全対策基準など各種ガイドラインの策定、金融情報システム白書などの刊行、各種セミナーの開催といった広範な活動を通じて、わが国金融情報システムの安全性の向上と金融サービスの高度化、効率化に多大な貢献を果たしてこられました。FISC(フィスク(The Center for Financial Industry Information Systems))という呼称は、金融界のみならず関係各界ですっかり定着しています。その長きにわたる活動に敬意を表しますとともに、この度、四半世紀の節目を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。

 当センター設立の1984年といえば、私ども日本銀行が日銀ネットの開発に着手した直後のこととなります。日銀ネットは1988年に稼動を開始し、その後、国債決済における資金・証券の同時決済化(DVP)、大阪バックアップセンターの稼動、時点決済から即時グロス決済(RTGS)への移行、流動性節約機能の導入など、様々な改善が図られ、わが国の決済システムの安全性と効率性の向上に貢献してきたと思っていますが、FISC創立以来の25年は、そうした日銀ネットの開発・運行の歴史ともほぼ重なります。

 こうした決済システム改善の努力には幾つかの目的がありますが、ひとつの大きな目的は、金融危機の影響から経済活動を守ることにあります。今回のグローバルな金融危機が示しますように、残念ながら、金融危機は繰り返し生じています。過去の金融危機のプロセスを振り返ると、その具体的な現れ方は毎回異なりますが、危機前に起こることは過度の楽観論とそれに支えられたレバレッジの拡大や過剰流動性であり、危機発生後はレバレッジの巻き戻しと流動性の収縮が起きているという点では共通しています。バブルの発生を抑制し危機を未然に防止することは重要な課題ですが、バブルや危機は繰り返し発生しているという現実を見るにつけ、危機の発生に伴うショックを柔軟に吸収しうる頑健性の高い金融インフラを構築することがいかに重要な課題であるかを痛感します。この点、決済システムは金融インフラの根幹をなすものだけに、頑健性を高めることは特に重要な課題だと思います。

 そこで、本日は、FISC創立25周年という大きなf節目に当たり、「頑健な決済システムの構築に向けて」と題して、今後わが国決済システムの取り組むべき課題を中心に、私共の考えを述べたいと思います。

2.今次金融危機にわが国決済システムはどう機能したか

 昨年秋のリーマンブラザーズ破綻をきっかけに、世界の金融市場は極めて大きな混乱に見舞われました。そうしたなかで、わが国の決済システムもその頑健性を試される事態となったわけですが、少なくとも、決済の問題が引き金となって破綻の連鎖が生じるといった事態は発生しませんでした。わが国決済システムは、金融市場の動揺や混乱にもかかわらず、全体としては正常に機能し続けたと評価できるように思います。勿論、わが国決済システムが幾つかの問題に直面し、今後取り組むべき課題が明らかになったことも事実です。しかし、少なくとも、今回の危機で示されたわが国決済システムの頑健性の高さは、関係者の皆様がこれまで取り組んできた決済システム改善のための地道な努力の賜物であると言えます(図表1)。この点を正しく認識するため、以下では、具体例を二つ紹介することから始めます。

外国為替決済における「取りはぐれ」の防止

 第1は、外国為替決済における「取りはぐれ」防止の仕組みが有効に機能したことです。外国為替決済の世界では、決済に時差が存在する分、たとえば円を支払ったのに対価のドルを取りはぐれるリスクを伴うことになります。この問題を解決するために、世界の主要な民間銀行の出資によりCLS(Continuous Linked Settlement)銀行がニューヨークに創設され、2002年よりサービスを開始しました。その設立には、日本銀行をはじめ、先進国中央銀行も深く関与しました。CLSでは、各通貨の同時決済、PVP(Payment versus Payment)と呼ばれる決済方法が採用されています。これは、CLSが取引当事者の間に立ち、それぞれの当事者が支払い通貨を互いに確実に受け渡せる状態になって初めて、CLSの口座上で同時に決済を行うという仕組みです(図表2)。CLSは通貨ごとに各国の中央銀行に預金口座を持っており、参加者銀行との最終的な決済は安全性が高い中央銀行口座で行われています。欧州時間の午前中、日本では夕刻、米国では深夜から早朝という5時間の時間帯に17種類の通貨について決済が行われており、この時間帯は「世界の決済をつなぐ5時間の窓」とも呼ばれています。

 CLSは、今回の金融危機において大きな役割を果たしました。平時におけるCLSの決済規模は1日に3~4兆ドルにも上り、全世界の外為決済の6割弱に達しています 1 。リーマンブラザーズ破綻の直後には、決済金額はさらに大きく跳ね上がりましたが、CLSは急増した決済を安定的に処理しました。

 とくに今回のグローバルな金融危機では、米国のドル資金市場の機能が大きく低下したため、日本や欧州など米国以外の金融機関は、米ドルの調達を為替スワップ市場における自国通貨と米ドルの交換に大きく依存するようになりました。金融機関同士の信認が大きく揺らぐもとで、仮にCLSによるPVPの仕組みが存在せず、時差に伴う決済リスクを意識せざるをえなかったとすれば、こうした為替スワップ市場での米ドル調達も困難となった可能性が高かったと思われます。その意味で、CLSによる多通貨同時決済は、国際的な金融ショックの増幅を抑制する防波堤として機能したと言えます。

  1. 外国為替の決済動向やCLSの決済高はCommittee on Payment and Settlement Systems[2008]を参照。

国債決済における円滑な決済の継続

 第2の例は、リーマンブラザーズ証券破綻という大きなショックの発生にもかかわらず、国債決済において円滑な決済の継続が確保されたことです。これを、JGBCC(Japan Government Bond Clearing Corporation)と呼ばれる日本国債清算機関を例にとりあげてご説明します。

 清算機関は、参加者間の取引を参加者と自らの取引に置き換えて決済を進める機能を担っています。つまり、清算機関は全ての売り手に対して唯一の買い手となり、全ての買い手に対して唯一の売り手となるということです。その効果は二つあります。まず、参加者間の多数の債権債務関係が対清算機関に一本化されることで、売り買いの相殺—ネッティング—が行われ、決済に必要な資金や証券の規模が小さくなります。たとえばJGBCCは、今年の9月、一日平均35兆円の取引を参加金融機関から引き受けましたが、これらをネッティングすることで、実際の決済額は四分の一の9兆円まで圧縮されています 2

 二つめの効果は、ある参加者が破綻しても、他の参加者に対する証券や資金の引き渡しを清算機関が保証する点です(図表3)。参加者が破綻すると、清算機関は破綻先から証券を受け取れなくなるため、他の参加者に当該証券を引き渡すことが一時的に難しくなります。こうした証券の引き渡し不能はフェイルと呼ばれていますが、清算機関は、その後自ら市場で証券を調達することにより、フェイルを解消していくことになります 3。また、破綻先から当初受け取る予定であった証券の売却代金については、清算機関がいったん自ら資金を調達して、他の参加者への資金支払いを続行します。そのうえで、清算機関の手許に残った証券、すなわち、もともとは破綻先に引き渡す予定であった証券を市場で売却することにより、資金を回収することになります。

 ただ、こうした清算機関の仕組みが円滑に機能するためには、清算機関にしっかりとしたリスク管理のスキームがあらかじめ組み込まれていることが大前提になります。たとえば、清算機関が破綻先以外の参加者に資金の支払いを続行するためには、緊急時に資金調達を行う手段をあらかじめ用意しておく必要があります。また、証券の調達や売却の過程では損失が発生する可能性があるため、これをカバーするための財務基盤や参加者間の損失分担ルールもあらかじめ定めておく必要があります。

 JGBCCをはじめ、わが国の清算機関は、これまでリスク管理の強化に努めてきました。実際、リーマンブラザーズ証券の破綻にあっては、JGBCCで多額の資金調達が必要となりましたが、あらかじめ用意された調達の枠組みに従って資金手当てがなされました。また、一部の清算機関に発生した損失も、あらかじめリーマンブラザーズ証券から受け入れていた担保の範囲内で吸収することができました 4。事前に用意していたリスク管理策が機能して清算機関の業務継続が確保されたわけであり、それまでの関係者の努力の賜物と言えます。

 もっとも、わが国清算機関のリスク管理については、なお幾つかの点で改善の余地があることも改めて明らかになりました。また、JGBCCの場合、有力な市場参加者がすべて清算機関に参加しているわけではないため、ネッティング効率が必ずしも高くないという問題は、かねてより認識されています。後者は、基本的には清算機関や参加者の間で解決していくべき問題ですが、ネッティング効率が高まることは、結局は市場参加者全員の利益につながります。日本銀行としても、わが国清算機関が、より厳格なリスク管理を組み込みつつ、その機能を一段と円滑に発揮していくようになることを期待しています。

 このほかにも、RTGSの導入や、証券決済のDVP化、その前提となる証券の電子化・ペーパーレス化など、今となっては当たり前に存在している制度やシステムが、決済プロセスを起点として混乱が増幅することを未然に防いだ点は過小評価すべきではないと思います(図表1再掲)。

  1. 2日本の主要な決済機関の月次統計は、『決済動向』として日本銀行のホームページで公表されている。
  2. 3リーマンブラザーズ証券の破綻では、清算機関等のフェイルにより次の受け渡しが連鎖的にフェイルする現象が発生した。また、フェイルを容認しない先が多いことも混乱に拍車をかけ、取引相手の選別やレポ市場の縮小などをもたらした。こうした問題を受けて、現在、フェイル慣行の定着と見直しへの取り組みが進められている。詳細は日本銀行金融市場局[2009c]を参照。なお、フェイルの件数や発生期間の平均値等は、『国債決済関連計数』として日本銀行のホームページで公表されている。
  3. 4日本銀行決済機構局[2009b]は、リーマンブラザーズ証券破綻時の決済システムの経験や、これを通じて得られた教訓を整理している。また、日本銀行金融市場局[2009a]、同[2009b]は、同社の破綻が短期金融市場に及ぼした影響やレポ市場に関する今後の検討課題をまとめている。

3.金融危機を経て改めて確認された課題

 以上、わが国決済システムが危機にあってどのように機能してきたかについて述べてきましたが、「頑健な決済システムの構築」という観点からは、残された課題も少なくありません。今回の危機の経験を踏まえて、現在、金融の規制・監督を巡って活発な議論が行われていますが、まだ議論は十分には収斂したとは言えない状況です。これに比べると、決済システムの頑健性強化については議論が収斂しているように窺われます。

 「頑健な」決済システムとは、大きなショックが振りかかってもシステミック・リスクの顕在化が未然に防がれるような決済システムを意味します。その実現には、まず、システミック・リスクを規定する要素を探ることが重要になります。決済のシステミック・リスクという観点からは、「個々の参加者が抱えている未決済残高の規模を抑制すること」、「参加者間の決済の相互依存性(Interconnectedness)に応じた対応策をとること」、「主要な決済機能が損なわれた場合の代替可能性を高めておくこと」の3点がとくに重要です。以下では、それぞれの論点に沿いながら、わが国決済システムの今後の課題についてお話しします。

未決済残高の抑制

 第1は、個々の市場参加者が抱えている未決済残高を抑制することです。金融取引の金額自体は決済システムから見ると所与の条件ですが、そうした金融取引から生じる決済リスクについては、削減の余地があります。ここで中心的な概念は、未決済残高、すなわち決済から生じるエクスポージャーです。図表4をご覧ください。横軸に約定から決済までの期間を、縦軸に取引に伴う決済金額をとっています。決済までの期間が長く、未決済の状態に晒され続けるほど、その間に相手方が破綻した場合、何らかの損失を被る可能性が高くなります。DVPやPVPの仕組みによって証券や外国為替の「取りはぐれ」を防止できたとしても、決済されなかった取引を再構築する際の価格変動リスクは、決済までの期間が長いほど大きくなります。それゆえに、直感的には、図の長方形の面積がリスクに晒される規模となります。一定量の金融取引、すなわち縦軸の取引額を所与としたとき、システミック・リスク抑制の観点からは、この未決済残高を如何に小さくするかが一つのポイントとなります。

 この場合、約定から決済までの期間を短縮できれば、未決済残高を減らすことができます。図表5は、取引が日々1単位行われた場合の未決済残高を示しています。3日後決済に比べて翌日決済のほうが未決済残高を三分の一に抑制できます。また、約定の翌日に証券が受け渡されれば、破綻に伴ってフェイルが発生しても、その期間は短いもので済む可能性が高まります。つまり、決済期間の短縮により、ポジション再構築にかかる損失リスクやその間の資金負担を抑制することが可能となります。

 とくに、日々巨額の取引が行われている国債取引の決済において、欧米の主要先進国では既に翌日決済を実現している国もあり、未決済残高の抑制が図られています。わが国でも、このほど市場参加者を中心に国債決済期間短縮に向けた検討が始まりました。国債決済期間の短縮はリスク削減という観点だけでなく、国債という商品の魅力を大いに高める効果もあります。国債は容易に現金に換えられるという意味で流動性の高い金融資産ですが、売却後翌日には現金に換えられる国債と、3日後にしか現金に換えられない国債とでは、同じ国債であっても流動性の度合いは大きく異なります。国債は、ディーラー、最終投資家、海外投資家と広範多岐に亘って大量に取引されており、それゆえに決済期間短縮のためにはフロントからバックオフィスに至る様々な見直しが必要になると思われますが、日本銀行としても、市場参加者の取り組みを強く支援していきたいと考えています。

参加者間の決済の相互依存性に応じた対応策をとること

 システミック・リスクを抑制する第2のポイントは、「参加者間の決済の相互依存性に応じた対応策をとること」です。現実の金融システムにおいては、「相互依存性」の様相は極めて複雑です。まず、同一の市場や決済システムにおいて、取引やその決済を通じた参加者間の「相互依存性」が存在します。また、市場参加者は資金市場、債券市場、株式市場、デリバティブ市場など多くの金融市場に参加し、その資金・証券決済を様々な決済システムにおいて行っています。これにより、決済システム間に共通参加者を介した「相互依存性」が生じます。

 「相互依存性」の問題は、金融の規制・監督面でも重要な論点を提起していますが、本日のテーマは決済システムですので、決済システム内における相互依存性の問題に絞ってお話をしたいと思います。図6-1は、相対決済のイメージを示したもので、100個の点で示された市場での取引参加者が1つの決済システムにおいて決済を行う姿を示しています 5。ここで、ある点の金融機関が破綻し、そこから出ている債務の線が支払われなくなったとしましょう。債務不履行額が大きければ、線の行きつく先の点で二次破綻が発生するかもしれません。この図は1日のなかでの決済タイミングを考慮にいれていませんが、RTGSのもとでは線の上を資金や証券が走っていく順序も重要です 6 。また、こうした決済においては、決済当事者間でのリスク管理、具体的には、担保の徴求や当事者が破綻した場合の債権債務関係解消のための手続きも重要となります。

 図6-2は、清算機関を通じて決済する場合のイメージを示しています。一見して明らかなように、個々の参加者間の債権債務関係は清算機関と参加者の債権債務関係に置き換えられますので、ネットワークの複雑さは解消します。しかし、その反面、清算機関にはリスクが集中します。国内の清算機関では、こうした観点から、リーマンブラザーズ証券破綻の際の経験を踏まえ、現在、参加者破綻時の流動性調達スキームの見直しや、ストレステストの強化等の取り組みがなされています。多様な参加者のコンセンサスを得ることは容易ではありませんが、清算機関の役割の重要性に的確に対応した取り組みが進められていると心強く感じている次第です 7

 両者の中間形態の一例としてお示ししたのが図6-3であり、先ほどお話したCLSはこれに当ります。この場合でも、課題はあります。CLSでは、比較的少数の直接参加者を経由して非常に多くの間接参加者が決済をしています。こうした構造には、直接参加者が大きな信用リスクや流動性リスクを抱え込むという問題があります。金融危機の経験を経てこの点が強く認識されるようになりました。このほか、先ほど申し上げた5時間の決済時間帯に入りきらない重要な取引が残されており 8、CLSでは第二の決済時間帯を設定するといった改善への検討が続けられています。

 以上をまとめますと、どのような決済システムであっても、その相互依存性の構造、ネットワークの構造に見合ったシステミック・リスクの削減策を講じていくことが大切だと言えます。

 ここで少し脇道に逸れますが、その一例として、最近注目を集めているOTCデリバティブの清算機関に関する動きについてご紹介します。欧米では、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の清算機関が相次いで設立されています。従来、CDSは相対で売買され、決済も図表6-1のようなパターンにより相対で行われていました。2000年代に入って取引が急拡大するにつれ、債権債務関係が網の目のように張り巡らされ、かつ約定確認事務が追いつかず未決済状態のまま放置されるという問題も生じました。その過程で市場規模やリスクの所在がどうなっているか、監督当局も当の市場参加者も分からなくなったと言われています。OTCデリバティブの清算機関設立や約定照合サービス、取引情報管理サービスなどの活用には、リスク管理の改善や市場の透明性向上を図ろうという狙いがあるだけでなく、取引の標準化を推進する効果もあります。

 ただ、ここで注意が必要なのは、単に清算機関を設立して債権債務関係を簡素化すれば、それだけでシステミック・リスクが軽減されるわけではない点です。清算機関は参加者間のカウンターパーティ・リスクを一手に引き受ける性格のものだけに、清算機関自身は結果的にとくに大きなリスクを抱え込むことになります。それだけに、清算機関は厳格なリスク管理をあらかじめ組み込んでおき、万一の場合にも機能が停止することのないよう十分な配慮が必要となります。実際、海外の中央銀行は清算機関へのオーバーサイト活動を強めており、清算機関活用推進の動きと表裏一体になっています。わが国においてもOTCデリバティブ清算機関の設立は重要な課題であるとともに、その際には厳格なリスク管理の設定が不可欠であることを改めて指摘したいと思います。

  1. 5金融市場における債権債務のネットワークが非常に込み入った形状となっていることを示したものとして今久保・副島[2008a]があげられる。同論文は、コール市場の決済構造が短資会社を中心とした「ハブ&スポーク型」からスモールワールド・ネットワーク性を有する「コアと周辺の二重構造」に変化したことを指摘したうえで、ネットワーク構造変化のシステミック・リスクに対するインプリケーションを考察している。また、米国やイタリア、スイスの市場取引や決済、銀行間エクスポージャーについて、これらのネットワーク特性を実証研究した事例を紹介している。
  2. 6資金不足のショックが決済遅延の連鎖としてネットワーク内を伝播していく様子を日銀ネットの実データに基づいて検証したものとして今久保・副島[2008b]や日本銀行[2008](Box2-2)があげられる。前者は、資金不足のショックがネットワーク全体に波及していく、あるいは吸収されていく過程が、ネットワークの構造に強く依存することを示している。後者は、次世代RTGSの流動性節約機能がショックの伝播を大幅に吸収することをシミュレーション分析で示している。
  3. 7「決済システムフォーラム」の模様(日本銀行決済機構局[2009a]、同[2009d])を参照。
  4. 8約定日中の決済が必要な当日物外為取引や、CLSが抱える流動性リスクを削減する手段(In/Outスワップ)を実行する際にCLSの外部に流出している取引は、現行の決済時間帯に入りきらないという問題が指摘されている。詳細は、日本銀行決済機構局[2009a]、同[2009d]を参照。

主要な決済機能の代替可能性を高めること

 システミック・リスクを抑制するための第3のポイントは、「主要な決済機能が損なわれた場合の代替可能性を高めておくこと」です。ここでいう主要な決済機能が損なわれる事態とは、金融機関の破綻だけでなく、自然災害や感染症の発生など様々な事態を含みます。これらのショックによって決済機能の一部に機能不全が生じる場合、これを代替するものがなければ、システミック・リスクが顕在化するおそれが高まります。

 このため、金融機関や決済システムの運営主体は、これまでもバックアップ・システムの整備に尽力してきました。その際には、通信や電力などのインフラ面でのバックアップ強化も大きな課題となってきました。また、代替性の確保は、ハードウエア、ソフトウエアに限らず、職員のバックアップ体制の確保も一つの重要な焦点となります。これらの取り組みはFISCの皆様がこれまで多大の貢献をしてこられた分野でもあります。こうした貢献もあって、わが国金融機関、決済システムの業務継続体制は、この10年間、着実に向上してきましたが、関係者の方々には、より頑健な決済システムの構築に向けて、さらに一層の体制整備・強化をお願いしたいと思います。

4.日本銀行の取り組み

 この間、日本銀行も決済システムの効率性や安全性の向上に向けて様々な努力を重ねてきています。ここでは、日本銀行が決済システムの面で取り組んでいる様々な仕事の中で、日本銀行自身の運営する日銀ネットに関する取り組みと日本銀行のオーバーサイト活動を紹介します。

日銀ネットの安全性、効率性向上

 日本銀行は、わが国の中央銀行として、銀行券と日本銀行当座預金というもっとも安全確実な決済手段を、効率的かつ安全に社会に提供する役割を担っています。日銀ネットは、その当座預金の決済サービスと国債の証券決済サービスを提供するプラットフォームであり、1営業日当たりの決済量は、当座預金決済が約5万件、約100兆円、国債決済が約1万5千件、約80兆円に達しています。日本銀行では、日銀ネットが極めて安定的な稼動を続けるもとで、こうした大量の決済を円滑に処理するとともに、決済システムとしての日銀ネットの機能向上に努めてきました。

 最近の取り組みとしてあげられるのが、次世代RTGSと呼ばれるプロジェクトです。日銀ネットは、2001年、従来の時点ネット決済方式に代えて、決済を一件ずつリアルタイムで処理する即時グロス決済方式、すなわち、RTGS方式を採用しました。この結果、従来の時点決済方式が内包していた決済リスクを大幅に抑制できるようになった一方で、金融機関が決済に必要とする流動性は大幅に増加しました。次世代RTGSは、こうした決済に必要となる流動性の規模を圧縮しつつ、民間の決済システムである外国為替円決済制度や内国為替決済制度になお残存する大口の資金決済をより安全なRTGSで処理しようとするプロジェクトです。プロジェクトは2段階で進められており、流動性節約機能の導入と外国為替円決済のRTGS化を柱とする第1期は、昨年10月に稼動を開始しました 9

 流動性節約機能は、振替指図を日銀ネット内の待ち行列にいったん待機させるキュー機能と、待機した多数の振替指図や新規に入力される振替指図のなかから同時に決済可能な組み合せを探索し、これを決済するというオフセッティング機能から成り立っています(図表7)。日銀ネットの実データを用いて試算を行ってみますと、流動性節約機能を組み込むことにより、同じ決済量でも決済進捗が大幅に早まるとともに、決済に必要な資金も節約されていることが分かります(図表8) 10

 現在は、これに続く第2期対応として、1億円以上の大口の内為取引を日銀ネットのRTGSで処理するプロジェクトを全銀システムと連携して進めています(図表9)。稼動開始は、全銀システムの更新にあわせて、2011年11月頃を予定しています。これにより、わが国においては、金融機関間の大口資金決済の全てがRTGSにより処理されることとなります。

 第2の取り組みは、新日銀ネットの構築です。日銀ネットは1988年の稼動開始以来、20年以上にわたり、極めて安定的な稼動を続けてきました。この間、日銀ネットを巡る環境も大きく変化してきました。日本銀行としても、日銀ネットが最近の決済インフラのネットワーク化や金融取引のグローバル化の動きなどに対応できるよう、最新の情報処理技術を採用して、システムの柔軟性やアクセス利便性を高め、将来の発展性を確保していく必要があると考えています。

 こうした観点から、日本銀行は、現行の日銀ネットを全面的に見直し、「新日銀ネット」として新たなシステムを構築する方針を決定し、先月、今後の取り進め方等とあわせてお示ししました 11 。この間、本件に関しては多くの関係者からご意見を頂戴しましたことに対し、本席をお借りして厚くお礼を申し上げます。「新日銀ネット」では、流動性節約機能の利用可能取引の拡大、XML(eXtensible Markup Language)電文の採用等を通じた他システムとの接続性の改善、他の証券決済インフラとの接続可能化を目指すことなどをお伝えしています。日本銀行としては、「新日銀ネット」の提供を通じて日本の金融機関が将来の金融市場の変化や金融ビジネスの変化に対応して様々なチャレンジをしていくのを決済システムの面からもしっかり支えていく方針です。実際のシステム開発作業に先立ち詳細な機能・仕様等について、今後も皆様方からのご意見をお聞きする予定ですので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

  1. 9第1期における稼動状況の詳細や流動性節約機能の解説は、日本銀行決済機構局[2009c]および日本銀行[2008]を参照。
  2. 10決済進捗の早期化については、時点ネット決済であった外国為替円決済がRTGS化された効果による部分が大きい。
  3. 11日本銀行[2009a]、日本銀行[2009b]を参照。

民間決済システムに対するオーバーサイト

 決済システムに関する日本銀行のもう一つの役割は、民間決済システムに対するオーバーサイト活動です。オーバーサイトとは、システミックな影響の大きい決済システムを主な対象として、制度やシステムの設計、あるいはその運営に問題がないかモニタリングを行い、必要があればその改善に向けて働きかける活動を言います。こうした決済システムのオーバーサイトは、法律上の位置付けこそ国により様々ですが、各国とも中央銀行の重要な役割として広く認識されています。国民経済の健全な発展には、物価の安定と同様に金融システムの安定が重要です。中央銀行は、民間主体が提供する決済システムが原因となって金融システムの安定が脅かされることを事前に防止し、金融システムが円滑に機能する基盤を固めておくため、オーバーサイト活動を重視しているわけです。

 日本銀行におけるこれまでのオーバーサイト活動の一例として、まず、「参加者が支払不能となった場合の体制整備」に向けた働きかけをご紹介します。決済システムに対して各国中央銀行がまとめた国際的なベスト・プラクティスでは、ネット決済を行う資金決済システムに対して、最大のネット負債額を有する2先の参加者が決済を履行できなくなった状況においても、日々の決済を迅速に完了できるよう、担保の差し入れや保証の取り付け、流動性供給スキームの整備を求めています。日本銀行も、同様の体制整備を働きかけ、2003年には内国為替決済制度で、2004年には外国為替円決済制度で、国際基準のベスト・プラクティスを満たすリスク管理策が整えられました。こうした取り組みの結果、ショックに対する頑健性は高まったと評価しています。

 証券決済の面でも、日本銀行はオーバーサイト活動を行ってきました。日本銀行が集中保管機関となっている国債においてDVP決済を自ら導入したことを端緒に、電子CP、一般債、投資信託、株式へのDVP導入に向けて、証券決済システムや取引所と協力し、制度設計などの具体的な検討に参画してきました。また、2003年から2005年にかけて株式や国債の清算機関が相次いで設立されましたが、その準備段階から制度設計やリスク管理のあり方などについて、国際的な動向や国際基準を踏まえて様々な助言を行ってきました。

 今回の金融危機後は、先に述べました国債決済期間の短縮やJGBCCの流動性調達体制の強化のほかにも、本日は時間の関係でご説明できないフェイル慣行の見直し、ストレステストを用いたリスク管理の高度化などを中心に、民間決済システムの運営主体や市場参加者と議論、検討を行っています。

 オーバーサイト活動は改善策の実現に時間を要しますが、決済システムの頑健性を高め、危機発生時にも決済が円滑に行われていく環境を維持するうえで重要な中央銀行活動の一環であると位置付けており、今後もしっかりと取り組んでいきたいと考えています。

5.最後に

 本日の講演の冒頭、過去25年間の決済システムにおける主要な成果に触れましたが、私自身も1980年代末に、決済システムの仕事に若干関わりました。決済システムにおける当時の夢は、資金・証券の同時決済やRTGSの実現であり、証券決済におけるペーパーレス化の実現でした。これらの夢は長い時間をかけて、結局、すべて実現しました。決済システム発展の言わば疾風怒涛の時代に、短い期間とはいえそうした仕事に参画出来た喜びを今も感じていますが、この25年間を振り返ると、幾つかの感想を抱きます。

 第1に、決済システムの改善という取り組みは、経済全体からみて長期的なリターンが非常に高いということです。やや醒めた目で見ますと、内外の金融機関はラテンアメリカの累積債務、東アジアの金融危機、住宅や商業用不動産バブルの崩壊をはじめ、それまで貯めてきた収益を一気に吐き出すような多額の損失発生という事態を幾度も経験してきました。一方、決済システムの改善は、その目に見えにくいプラス効果を経済や金融システム全体で享受するという性格のものであるため、個々の金融機関からみるとなかなか利益を計量化しにくいものですが、そのリターンは決して小さいものではありません。将来を見据えた決済システムの投資採算が非常に高いことは、資金・証券の同時決済やRTGSをはじめ、決済システムの改善プロジェクトが実行に移されないまま今回のグローバル金融危機を迎えた場合を想像するだけでも、お分かり頂けると思います。

 第2に、それだけに、金融市場の変化、技術革新の潮流を踏まえ、常にやや長い目でみた課題を認識し、これに取り組んでいくことが重要になります。たとえば欧州では、現在、TARGET2-Securitiesという大規模なプロジェクトが進められています。これは、各国の証券集中保管機関が提供する機能のうち証券の振替にかかる部分を切り出し、ユーロ圏内の中央銀行が運営する単一のシステムで集中的に処理することを目指したプロジェクトです。これによって証券のクロスボーダー取引がより効率的に低コストで決済されるようになり、金融市場の発展を促すことが期待されています 12。わが国においても、将来の環境変化を見越してどのような取り組みが必要であるかを不断に検討していくことが必要です。

 第3に、決済システムに携わる関係者がこうした取り組みを強化していくに当たっては、決済の実務家、専門家だけでなく、各金融機関やインフラ提供にかかわる企業の経営者の皆様方の理解と深い洞察が欠かせません。決済業務は、しばしば「バックオフィス」や「コストセンター」に分類されますが、決済システムの整備は金融産業の高度化や市場の発展を促すプラスの外部効果を有しており、そこから新たな付加価値が生みだされていくことが期待されます。経営者の皆様方には、こうした決済の様々な可能性を踏まえ、新たな目で決済ビジネスを見直して頂くとともに、日本の決済システムが頑健性を備えつつ発展して行くよう、ご理解やご支援を賜りたいと思います。

 最後に、頑健な決済システム構築に向けて、これまで金融情報システムセンターが貢献されてきました活動に改めて敬意を払うとともに、今後も重要な役割を果たしていかれることを祈念し、私からの話を終えることといたします。

 ご清聴ありがとうございました。

  1. 12詳細は日本銀行[2008]を参照。

参考文献

  • 今久保圭・副島豊、「コール取引の資金取引ネットワーク」、『金融研究』、第27巻別冊第2号、日本銀行金融研究所、2008年11月(2008a)
  • 今久保圭・副島豊、「コール市場のマイクロストラクチャー:日銀ネットの決済データにみる日中資金フローの連鎖パターン」、『金融研究』、第27巻別冊第2号、日本銀行金融研究所、2008年11月(2008b)
  • 日本銀行、「決済システムレポート2007-2008」、2008年10月
  • 日本銀行、「新日銀ネットの構築について」、2009年7月(2009a)
  • 日本銀行、「新日銀ネットの構築について —— 関係者のご意見を踏まえて——」、2009年10月(2009b)
  • 日本銀行金融市場局、「わが国短期金融市場の動向と課題 — 東京短期金融市場サーベイ(08/8月)の結果とリーマン・ブラザーズ証券破綻の影響 — 」、日本銀行レポート・調査論文、2009年1月(2009a)
  • 日本銀行金融市場局、「金融市場レポート」、2009年1月(2009b)
  • 日本銀行金融市場局、「わが国におけるフェイル慣行の一層の定着に向けて —フェイル慣行の意義・役割と米国の取組み事例を中心に— 」、日銀レビュー、2009-J-12、2009年10月(2009c)
  • 日本銀行決済機構局、「第11回決済システムフォーラムの議事の概要」、2009年1月(2009a)
  • 日本銀行決済機構局、「リーマン・ブラザーズ証券の破綻がわが国決済システムにもたらした教訓 —証券取引、上場デリバティブ取引の決済に関して— 」、日本銀行レポート・調査論文、2009年3月(2009b)
  • 日本銀行決済機構局、「次世代RTGS第1期対応実施後の決済動向」、日銀レビュー、2009-J-4、2009年5月(2009c)
  • 日本銀行決済機構局、「第12回決済システムフォーラムの議事の概要」、2009年10月(2009d)
  • Committee on Payment and Settlement Systems,"Progress in Reducing Foreign Exchange Settlement Risk," Bank for International Settlement, May 2008.

以上