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【講演】特殊性か類似性か?

金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験 —

2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策への教訓」における基調講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2010年9月16日

目次

1. はじめに

本日はIJCBコンファレンスで講演をする機会を頂き、大変光栄に思います。このコンファレンスは2つの理由から、極めて時宜に適っていると考えています。第1に、「Monetary Policy Lessons from the Global Crisis」という、中央銀行の政策当局者にとって非常に重要なテーマを扱っているからです。第2に、意図したかどうかはわかりませんが、このテーマを扱う際にしばしば引用される国である日本で、このコンファレンスが開催されるからです 1 。実際、現在も、米国では「日本型デフレ」「日本の失われた10年」を経験するかを巡って、活発な議論が行われています(図表1) 2

ところで、そうした議論は多くの場合、日本の経験を解釈するに当たって、いくつかの共通点があるように思われます。それは、日本経済のパフォーマンスの低下を、わが国政策当局者の政策対応の失敗、あるいは日本経済・社会に固有の事情による失敗とみている点です。もちろん、そうした日本の特殊性があることは完全には否定できませんが、今回のグローバルな金融危機や、そのもとでの各国の政策対応をみると、むしろ日本との類似点も多数見出せることを強調したいと思います。2000年代初頭、多くの国際会議に出席し、日本の状況を幾度となく説明した際、欧米諸国がゼロ金利や量的緩和を採用するといった事態は、私自身想像もしていませんでした。各国中央銀行の関係者もそうであったのではないかと思います。

一言で言うと、日本の経験は「日本は特殊」と片付けてしまうには、余りにも重要かつ普遍的な思考材料を提供しているように思います。ただ、残念なことに、日本の経験に関する議論はしばしば、単純化された事実認識に基づいて行われているという印象が拭えません。

以下では、折角の機会ですので、金融政策研究において、バブル崩壊以降の日本におけるマクロ経済や金融政策の経験を、どのように活用していくかというテーマで、自分の考えを述べてみたいと思います 3

  • 1 例えば、Ahearneet alt . [2002]、Krugman [1998]、Posen [1998]をご参照ください。
  • 2 例えば、Bullard [2010]、Rogoff [2010]をご参照ください。
  • 3 本日のスピーチでは、日本のバブル崩壊後の経験に焦点を当てています。1980年代後半のバブル発生の原因やその金融政策への教訓については、翁・白川・白塚[2000]をご参照ください。

2. バブル崩壊後の日本経済に関する7つの事実

バブル崩壊後の日本経済については、しばしば「失われた10年(lost decade)」という言葉が使われます 4 。実質GDP成長率の推移をみると、1990年代は年平均1.5%にとどまり、1970年代の4.6%、1980年代の4.4%から大きく低下しました(図表2) 5 。消費者物価の前年比は、バブル崩壊直後の1991年1月に3.3%とピークに達した後、間もなく低下を始め、1998年にはマイナスに転じました(前出図表1)。

この間の政策対応についてみると、金融政策の面では、バブル崩壊後の最初の利下げは、1991年7月に行われましたが、これは地価がピークをつけた時期から約1年後に当たります(図表3) 6 。オーバーナイト金利は、利下げ開始から4年後の1995年には0.4%にまで低下し、事実上のゼロ金利となりました 7 。財政政策の面では、バブル崩壊直後の1990年代前半、および1998年から1999年の2度にわたって積極的な刺激策がとられました(図表4)。量的緩和政策採用後においては、GDP成長率に対する財政支出の寄与度はマイナスでした。金融システム政策の面では、自己資本基盤の十分でない金融機関に対する本格的な資本注入は1998年に始まりました。そして、公的資金投入金額の対GDP比は、最終的に2.5%程度に達しました。これを今回の危機における米国の経験と比較すると、投入金額の規模は米国が1.5%程度と小さく、他方、資本注入のタイミングは、米国の方が日本よりも圧倒的に早かったといえます。

以上がバブル崩壊後の日本経済や政策動向に関する簡単な要約ですが、日本の経験を金融政策研究に活用する際には、以下の事実に特に注意を喚起したいと思います。

第1に、「失われた10年」という表現は経済がずっと停滞していたというイメージを与えますが、実際には、日本は1990年代以降の低成長期においても、3回の景気回復と3回の景気後退を経験しています(図表5) 8 。回復の動きが広がる都度、バブル崩壊後の停滞局面から抜け出し景気の本格回復が始まったのではないかという期待が高まりました。私は昨年春、先進国の景気に回復の兆しが初めてみえた際、「偽りの夜明け(false dawn)」という表現を使って楽観主義に陥る危険に対して注意を喚起しましたが、これはそうした日本の経験に基づくものでした 9

第2に、日本は今回のリーマンブラザーズ破綻後に経験したような急激かつ大幅な経済活動の収縮は経験しませんでした。実質GDPの推移をみると、最大の落ち込みは1998年第1四半期の▲1.9%でした。この落ち込みはリーマンブラザーズが破綻した2008年秋以降に、日本を含め多くの国が経験した落ち込み幅と比べると、小幅なものでした(図表6)。日本の実質GDPの水準は金融危機が最も深刻であった1997年から1998年の間も、バブル期のピークであった1989年の水準を下回ることはありませんでした。

第3に、就業者一人当たりのGDP成長率でみると、1980年代に比べて大きく低下したとはいえ、2000年代になっても、日本の成長率は米国と比較してあまり遜色はありません(図表7) 10 。他方、GDP成長率でみると、かなり見劣りがしています。GDP成長率と就業者一人当たりのGDP成長率の格差は言うまでもなく、日本における労働人口の減少を反映しています。いずれにせよ、バブル崩壊後の日本経済の分析に当たっては、生産性と人口動態によって規定される潜在成長率を考慮していくことが不可欠です。

第4に、日本は物価下落を経験した訳ですが、物価下落の度合いは緩やかなものにとどまりました。消費者物価の前年比は、1998年から下落に転じ、1997年から2010年までの下落率は累積ベースで▲3.3%、年率に換算すると▲0.3%の下落となります(図表8) 11 。この間、エコノミストによる中長期的な予想物価上昇率はあまり変化しておらず、1%前後で安定しています(図表9)。1990年代後半以降の日本の物価下落は、第二次世界大戦後の先進国では極めてまれな経験ですが、米国の1930年代(1929〜33年)の物価下落率が▲24%であったことと比較すると、物価下落幅は小さかったといえます(図表10)。

第5に、日本の物価変動の内訳を米国と比較すると、財価格についてはあまり大きな違いはなく、違いは主としてサービス価格の下落でした(図表11)。サービス産業が労働集約的であることに鑑みると、これは、名目賃金が伸縮的に調整されたことを反映しています。

第6に、デフレ・スパイラルは生じませんでした。すなわち、物価の下落が経済活動の低下をもたらし、これがさらに物価の下落をもたらすという現象は、これまでのところ生じていません 12 。実際、日本経済は2002年以降、物価が緩やかに下落する中で、回復の力強さは別として、拡大期間という点では戦後最長の景気拡大を経験しました(図表12)。

最後の事実になりますが、第7に、日本銀行は様々な革新的な金融政策を実行してきました(図表13) 13 。言うまでもなく、ゼロ金利政策は日本銀行が1999年に初めて採用しました。中央銀行当座預金残高を操作目標としたうえで、所要準備をはるかに上回る水準にまで増加させる、いわゆる「量的緩和政策」を2001年に初めて採用したのも日本銀行です。

この間、日本銀行は、バランスシートを大きく拡大させました。実質的にゼロ金利となった1995年以降でみると、バランスシート規模の対名目GDP比率の拡大幅は、ピーク時には20パーセントポイントを超えています(図表14)。この拡大幅は、今回の危機における米国連邦準備制度(Fed)、欧州中央銀行(ECB)、およびイングランド銀行(BOE)のバランスシート規模拡大幅の2倍に相当します。また、日本銀行のバランスシート規模の対名目GDP比率は、現時点でもなお、Fed、ECB、およびBOEよりも高い水準にあります。

また、当座預金残高の目標水準が引き上げられるにつれて、資金供給オペレーションの期間も長期化しました。量的緩和政策末期の2005年には、資金供給オペレーションの平均期間は6ヶ月超となり、オペの最長期間は11ヶ月まで延長されました。

さらに、将来の政策運営に関するコミットメントという実験的な政策も初めて採用しました。例えば、量的緩和政策のもとで、「消費者物価の前年比が安定的にゼロ・パーセント以上となるまで」、この政策を継続するというコミットメントを行いました。

今日の用語でいう「信用緩和政策(credit easing)」も世界の中央銀行に先駆けて採用しました。購入した資産には、資産担保証券(ABS)や資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)などが含まれます。また、日本の金融システムを潜在的に不安定化させる大きな要因となっていた、金融機関の株式保有に伴う市場リスクを軽減させるため、金融機関保有株式の買入れも実施しました。

以上振り返ってみたように、日本銀行は1990年代後半から2000年代初にかけて、未知の環境の中で、様々な前例のない政策を採用してきました。そうした政策の革新性は当時、必ずしも十分認識されていませんでしたが、今振り返ってみると、今回のグローバル金融危機でとられた非伝統的政策手段の主要な要素をすでに取り込んでいたことになります。

  • 4 「失われた10年」という捉え方の妥当性については、白川 [2009]をご参照ください。
  • 5 ただし、2000年代に入ってからは、成長率は幾分回復し、リーマン・ショックが起こる前の2007年までの平均成長率は1.7%となりました。
  • 6 不動産価格のピークから最初の利下げまでの期間という点では、日本と米国は概ね同じといえます。
  • 7 翁・白塚 [2002]は、バブル崩壊前後における日本銀行の金融政策運営について、テイラールールに基づく評価を加えています。
  • 8 日本では、景気動向指数研究会の議論を踏まえて、内閣府・経済社会総合研究所長が景気循環の日付を認定しています。
  • 9 白川 [2009]をご参照ください。
  • 10 就業者・労働時間当たり(マン・アワー)で計測したGDP成長率をみると、その傾向は一層明確となります。Hayashi and Prescott [2002]をご参照ください。
  • 11 日本のCPIデータは、2010年8月が最新時点です。
  • 12 例えば、Posen [2010]は、日本のデフレが1990年代を通じて安定しており、加速することがなかったと述べています。
  • 13 量的緩和政策を含め、日本銀行が2000年代前半に行った金融政策措置やその経済効果に関する実証研究のサーベイについては、鵜飼 [2006]をご参照ください。

3. バブル崩壊後の経済情勢と政策対応に関する4つの類似点

今まで述べてきたバブル崩壊後の日本経済に関する事実を前提に、次に、今回の危機以降の米欧経済と1990年代以降の日本経済に共通する現象を4点指摘したいと思います。また、バブル崩壊後の経済情勢や金融政策を分析するうえで、そうした類似点のもつインプリケーションについても説明したいと思います。

緩慢な景気回復とバランスシート調整

第1の類似点は、バブルの崩壊後、景気が本格的に回復するまでには、かなり長い時間がかかるということです 14 。日本の場合、景気が本格的な回復軌道に乗り始めたのは2003年頃からであり、バブル崩壊から10年以上の長い時間を要しました。今回の米欧の場合、調整はまだ進行中であり、最終的な調整にどのくらいの期間を要するか、まだ結論がでていません。ただし、本格回復までに、まだかなり期間がかかることは確かでしょう。時間がかかる最大の理由は、バブル期に蓄積された様々な「過剰」が解消されるまでの間、バランスシート調整という言葉で表現される、経済活動への強い下押し圧力が働くためです 15 。この場合、「過剰」の具体的な形態は、国によって異なります。日本の場合は、雇用、設備、債務という企業部門の「3つの過剰」でした(図表15) 16 。いずれにせよ、バブル崩壊後の経済の分析に当たっては、「過剰」の調整メカニズムを明示的に取り込むことが不可欠です。

なお、関連する論点として、今回の危機以前には、頑健な銀行システムに加え、発達した資本市場を有する金融システムは、銀行と資本市場の両方のチャネルが補完的に機能することから、銀行主導の金融システム(bank-centric system)に比べ、ショックに対する強靭性が高いという見方がしばしば聞かれていました。しかしながら、そうした見方が妥当しないことも明らかとなりました 17

  • 14 危機後の景気回復のパターンについては、Reinhart and Rogoff [2009]、Reinhart and Reinhart [2010]をご参照ください。
  • 15 大谷・白塚・中久木 [2004]は、日本における経済構造調整の経済成長への影響について、定量的な評価を加えています。
  • 16 「3つの過剰」については、2003年から2005年にかけての日本銀行「展望レポート」各号をご参照ください。
  • 17 Greenspan [1999]をご参照ください。

インターバンク資金市場の機能不全の影響

第2の類似点は、バブル崩壊後の経済活動水準の急激な収縮が、インターバンク資金市場が不安定化した時期に生じていることです。日本の場合、前述のように、実質GDPが最も大きく落ち込んだのは1997年から1998年にかけての時期ですが、インターバンク資金市場が最も不安定化したのは1997年秋です(図表16) 18 。今回のグローバル金融危機の場合、米欧諸国を含め先進各国の実質GDPの最大の落ち込みは2008年第4四半期から2009年第1四半期にかけて記録されています。言うまでもなく、そうした大規模な落ち込みの最大の理由は、リーマンブラザーズ破綻を直接の契機とするインターバンク資金市場の機能不全です。いずれの場合も、インターバンク資金市場参加者の債務不履行が出発点となっている点で共通しています 19

中堅証券会社である三洋証券の破綻によって生じたインターバンク資金市場への悪影響の大きさを目の当たりにした結果、その直後に発生した、より規模の大きい山一證券の破綻の際には、日本銀行が同社に対し無制限に流動性供給を行うことをコミットし、秩序立った処理を可能としました 20 。これによって、日本発のグローバル金融危機は回避されました 21

今ほど申し上げた一連の観察事実は、円滑な経済活動を実現するうえで最も重要な前提条件の1つが資金流動性の確保であること、そしてそのためには、インターバンク資金市場の機能不全を回避することが極めて重要であることを示しています。さらに、バブル崩壊後の経済を分析する際には、インターバンク資金市場の機能不全がもたらす「急性症状(acute pain)」期と、バランスシート調整がもたらす「慢性症状(chronic illness)」期の2つに分けて分析していく必要があることを強調しておきたいと思います。

  • 18 1997年に中堅証券会社の三洋証券がインターバンク市場で債務不履行を引き起こしたことが、短期金融市場における急激な流動性収縮の引き金となり、その影響は直ちに日本の金融市場に広範囲に波及しました。
  • 19 日本の金融危機や、そのもとで日本銀行が果たした最後の貸し手の役割等については、Nakaso [2001]をご参照ください。三洋証券の破綻の際、無担コール市場で10億円の債務不履行が発生しました。債務不履行の金額自体は相対的に小さなものでしたが、市場参加者は、カウンターパーティ・リスクに対する警戒感を急速に高めることになりました。
  • 20 こうした政策措置によって、山一證券の債務は日本銀行の債務に置き換えられることになりました。ただし、当時、複雑な証券化スキームがより広範囲に利用されていれば、金融危機の影響が国際的に波及した可能性も考えられます。
  • 21 山一證券は、4大証券の1つとして国内で重要な役割を担っていたほか、海外業務も積極的に展開していました。飛ばし(損失補填)と呼ばれる大規模な簿外債務のため、山一證券の資金繰りは、国内外で厳しさを増しました。山一證券は、1997年11月、証券業務の自主廃業に踏み切りました。山一證券が破綻した際、日本銀行は、取引からの秩序立った撤退を図るため、無担保での流動性供給を行いましたが、2005年1月に破産手続きが完結した段階で、その一部は回収不能となりました。

クレジットチャネルを通じた波及効果の弱まり

第3の類似点は、バブル崩壊期において、教科書に書かれているような伝統的な金融政策の効果波及チャネルが作用しなかったことです。その典型はクレジットチャネルでした。日本の場合、バブルの崩壊後、銀行貸出の増加率が急速に低下し、その後、長期にわたって停滞しました(図表17)。銀行貸出の増加率がプラスに転じたのは2005年になってからです。今回、米欧の銀行貸出の減少は現在なお進行中ですが、バブル崩壊直後の銀行貸出の減少テンポは急激で、バブル崩壊直後の日本を上回っています。この間、中央銀行のベースマネーの増加がマネーサプライや貸出の増加をもたらしたことも確認できていません(図表18)。

今回のグローバル金融危機の発生前までは、量的緩和がデフレ対策として提案されることが多かったように思います。しかしながら、先進国においては、中央銀行のバランスシートの著しい拡大によって、インフレが高まるという関係は観察されていません 22 。この観察事実は、ゼロ金利とバランスシート調整圧力に直面する経済環境のもとでは、伝統的金融政策の効果がかなり制約されたものとなることを示しています。

  • 22 Posen [2009]は、G7諸国のインフレに関するデータを使い、過剰なマネーの増加がインフレを持続的に上昇させたのは、1970年代初頭から半ばにかけての時期だけであると述べています。

金融システムの機能低下時の非伝統的政策の有効性

第4の類似点は、中央銀行が採用した様々な非伝統的政策が危機時において金融システムの安定回復に効果を発揮し、放置すればさらに大きくなっていたであろう経済の落ち込みを小さくすることに貢献したことです 23 。特に、インターバンク資金市場の機能不全から、クレジット市場をはじめ金融システムの機能が全般的に毀損しているような状況のもとで、非伝統的政策は有効性を発揮しました。そうした政策が功を奏したのは、本質的には、中央銀行がカウンターパーティ・リスクや信用リスクを引き受けたことが大きかったと考えられます。バブル崩壊後の金融政策、ないし、より広く中央銀行による政策措置の有効性を分析する際には、金融市場の機能が大きく毀損している「急性症状」期と、そうした機能障害は生じていないがバランスシート調整圧力に晒されている「慢性症状」期を明確に区別した議論が必要となります。

  • 23 Bernanke [2009]はこの点を強調しています。

4. 日本の経験を解釈する際の留意点

これまでは、バブル崩壊後の経済の類似点について述べてきましたが、同時に、日本の経験に固有の要素も存在します。金融政策研究に当たっては、これから申し上げるような相違点も意識しながら、バブル崩壊後の日本経済の経験を解釈する必要があります。

非伝統的政策の採用局面

第1は、非伝統的政策の採用局面の違いです。インターバンク資金市場の機能毀損時における様々な非伝統的政策の有効性は、日本のバブル崩壊後においても、今回のグローバル金融危機においても証明されています 24 。ここで論点となるのは、そうした危機が収まった後の「慢性症状」期においても、非伝統的政策、特に量的緩和政策ないし信用緩和政策が有効かという点です。

日本に関する実証研究をみると、量的緩和政策は金融システムの安定化には効果を発揮したが、経済活動や物価への刺激効果という点では限定的であったとの結果が多いと思われます 25 。一方、今回の米国、英国に関する実証研究は、現段階では、まだこの点を十分解明したものは見当たらないように思います。

今回の米国や英国に関する実証研究では、伝統的な金利チャネルの効果と非伝統的な金融政策の効果を識別することが、なかなか難しいと考えられます。これは、非伝統的政策措置の採用時期が「急性症状」期であり、しかも金利や信用スプレッドが日本に比べてかなり高い水準にあったためです。これに対し、日本は1995年後半には、事実上、ゼロ金利制約に直面しており、ゼロ金利政策が導入された1999年2月以前の段階で、伝統的な金利チャネルを通じた刺激効果は、すでに出尽くしていたと考えられます。

  • 24 鵜飼[2006]は、日本における量的緩和政策の効果に関する研究の包括的なサーベイを行っています。また、米国、英国における最近の経験については、そqれぞれGagnoet al . [2010]、Joyceet al . [2010]をご参照ください。Beanet al . [2010]も、今回のグローバルな金融危機への金融政策対応について、広範な検証を行っています。
  • 25 鵜飼[2006]は、マネタリーベースの拡大と日本銀行のバランスシート構成の変化による効果は、もしあったとしても、政策コミットメントによってもたらされる効果よりも小さなものであったと結論付けています。

人口動態と生産性伸び率低下の影響

第2は、供給サイドや潜在成長率の動向を考慮していく必要があることです。標準的な経済理論が強調するように、長期的な成長率の動向を左右する要因は、労働人口の伸びと生産性の伸びの2つです。

日本の場合、労働人口増加率は1970年代半ばをピークに徐々に低下し、1990年代半ばにはマイナスに転じています(図表19)。バブル崩壊後の10年、あるいは20年という長期間における経済停滞の原因については、実体経済面に関する分析により注目していく必要があります 26

そうした潜在成長率の低下は、同時に、将来の経済成長率に関する人々の期待を下方に修正させることを通じ、物価の低下圧力をもたらしたようにうかがわれます 27 。実際、日本の場合、潜在成長率と中長期的な予想インフレ率との間には、他の主要国と異なり、明瞭な正の相関関係が存在しています(図表20)。この観察事実については、いくつかの解釈が可能です。例えば、潜在成長率の低下から自然利子率が持続的かつ大幅に低下した結果、金融政策が十分な緩和効果を生み出せなくなったことが考えられます。あるいは、潜在成長率の低下に伴う成長期待の大幅な下振れから、民間部門の将来にわたるネット租税負担や債務返済負担が増加した結果、民間は将来負担に備えて、貯蓄を増やし、支出を抑制してきたという解釈も可能なように思われます。

  • 26 Hayashi and Prescott [2002]は、生産性を外生的に取り扱う成長理論によって、日本の失われた10年を的確に説明できると主張し、生産性成長率を高めるような政策変更が求められると述べています。Rogoff [2010]もご参照ください。
  • 27 これらに関しては、木村ほか[2010]、Fujiwara, Hirose, and Shintani [2008]をご参照ください。

労働慣行の違い

第3に、労働慣行の違いにも注意していく必要があることです。日本の労働慣行をみると、米国との比較では、正規労働者の解雇は相対的に難しいことが指摘できます。このため、正規労働者に係る人件費は、固定費用の性格を帯びることになります。そのような状況のもとでは、販売価格を引き下げてでも、固定費用の回収を図るインセンティブが強く作用します。バブル崩壊後の初期の段階における物価下落は、ある程度まで、こうしたメカニズムによって説明できるように思います 28

物価下落が進むにつれ、日本では賃金がより伸縮的に設定されるようになりました。そうした伸縮性は、賞与や非正規労働者の採用というルートだけでなく、正規労働者の所定内賃金が下方に伸縮的に調整されることによっても実現されました(図表21)。前述のように、日本の物価下落は米国と比べて、特にサービスで目立ちます。これは賃金が下方にも伸縮的に調整されたことを反映しています。

日本の家計の消費性向はデフレ期にも上昇しましたが、これは保蔵の利かないサービス中心の価格下落であったことも関係していると考えています(図表22) 29 。こうした労働慣行の違いは、日本の物価下落率が主要国に比べて大きかったことや、それにもかかわらず、デフレ・スパイラルが生じなかったことの1つの要因と考えられます。

労働慣行は、最終的には内生的に決定されるものですが、短中期的なデフレの動向を分析する際には、労働市場の特性の違いを踏まえた分析が必要であると考えられます。

  • 28 黒田・山本 [2005]をご参照ください。
  • 29 消費性向の上昇については、人口高齢化の影響も指摘されています。

景気回復過程における外需の動向

第4に、バブル崩壊後の経済の回復に果たした外需増加の役割を考慮していく必要があることです(図表23)。先ほど申し述べたように、日本経済が本格的な回復軌道に復帰するためには、前述の「3つの過剰」の解消が必要でした。さらに、これに加えて、世界的な信用バブルを背景とする世界経済の高成長と、日本の低金利持続による円安の進行に支えられ、2003年以降、外需が増加したことの寄与も大きかったことを指摘できます。現在の情勢のもとでは、多くの国々がバブル崩壊の影響を受けていることから、先進諸国は、「外生的な」需要に依存しない形で、景気回復を本格化させていくことが求められています。

その意味で、一国だけがバブル崩壊を経験した場合と、世界の多数の国がバブル崩壊を経験した場合とでは、回復のメカニズムが異なることを意識した分析が必要になると考えられます。

5. 今後の研究課題

最後に、金融危機の経験を踏まえた金融政策研究の課題について述べたいと思います 30 。と言っても、この点については、既に様々な機会に、数多くの問題提起がなされています。このため、ここでは、伝統的政策、非伝統的政策それぞれについて、重要であると考えられるにもかかわらず、これまであまり取り上げられてこなかった点に絞って、いくつか研究課題を指摘しておきたいと思います。

まず、伝統的金融政策についてですが、この面ではバブル崩壊後の積極的な金利引下げの有効性について、より深い研究が必要だと考えています。今回のバブル発生前は、積極的な金利引下げを行えば深刻な景気後退は回避できるという考えが支配的であったように思います。しかしながら、今回のグローバルな金融危機後の経済情勢の厳しい展開を前に、そうした楽観論は疑問を投げ掛けられています 31 。もちろん、積極的な利下げは、景気の落ち込みを緩和するために必要な政策措置です。そのうえで、以下のような超低金利環境に関する事実についても認識しておく必要があります。

第1に、短期金利水準が極端に縮小すると、インターバンク資金市場の円滑な機能が低下したり、金融機関の利鞘が低下したりします。その結果、金融機関における貸出インセンティブが低下し、金融緩和効果が減殺されることにつながります 32

第2に、低金利の持続は、景気の落ち込みを防ぐと同時に、バブル期に積み上がった過剰な債務の削減を遅らせる面も持ち合わせています。また、その過程で、経済全体の新陳代謝を遅らせる面があることも指摘しておきたいと思います 33

第3は、低金利が将来にわたって継続するとの予想は、バブル発生の必要条件であることです。バブルは緩和的な金融政策だけで起きるものではありませんが、緩和的な金融政策が持続するという予想なしに発生することがないことも、同様に真実です。

いずれにせよ、バブル崩壊後の経済の生産性の動向は経済のパフォーマンスを規定する重要な要素です。経済を襲ったショックが大きくても一時的であり、従って自然利子率があまり低下していない場合には、低金利継続の政策コミットメントは異時点間の代替効果から一定の有効性を発揮します。しかし、そうでない場合には、政策コミットメントは、十分効果的なものとなりえません。

以上の留意点は、バブル崩壊後の積極的な金利引き下げの必要性を否定するものではもちろんありません。ここでの議論のポイントは、金融市場の行動経済学的なダイナミックスや実物要因によって生じる潜在成長率の動向にも十分な注意が必要であるということです。

私が重要と考えるもう1つの研究分野である非伝統的金融政策に話を移しましょう。先ほど申し述べたように、非伝統的金融政策は、今回の金融危機における「急性症状」に対して、極めて効果的に機能しました。ただ、そうした非伝統的政策措置は、必要に迫られて作り出されたものです。今回の金融危機、そしてそれに先立つ日本の経験において、我々は、信頼に足る理論的な基礎を持ち合わせていたとはいえません。このため、非伝統的政策措置を策定するには、「走りながら考える」ほかはありませんでした。その意味で、中央銀行の内部に「暗黙知」として蓄積されていたものを具体的なオペレーションに翻訳したという性格が強いように感じています 34 。それだけに、中央銀行としては、「暗黙知」を「形式知」としていく努力が求められています。

今回の危機の経験を通じて、流動性とカウンターパーティ・リスクの2つが金融政策分析上、もっとも重要な2つの概念であることを、強く認識させられました。今回の危機時には、ドル資金供給オペやCP買入れなど、様々な非伝統的政策措置が有効性を発揮しました。このことは流動性とカウンターパーティ・リスクについて、より理解を深める必要があることを示唆しています。特に、市場参加者の行動や市場のマイクロ・ストラクチャーを考慮して、金融市場、特に短期市場や外国為替市場が円滑に機能する条件を明らかにする必要があります。そのうえで、中央銀行の日々のオペレーションから、金融調節や決済システム、金融規制の設計まで、幅広い分野の中央銀行業務に活かしていくことが求められています。

最後に、本コンファレンスでの討議が実りの多いものとなることを祈念し、私からの話を終えることといたします。ご清聴ありがとうございました。

  • 30 金融政策だけでなく、中央銀行の政策哲学全般の再考の必要性や民主主義社会における中央銀行の独立性については、白川 [2010a, b]をご参照ください。
  • 31 Greenspan [2002]、Mishkin [2007]をご参照ください。
  • 32 Bernanke [2010]、BOE [2009]をご参照ください。
  • 33 BIS [2010]は、そうした可能性を指摘しています。Rajan[2010]もご参照ください。
  • 34 例えば、Saito, Suzuki, and Yamada [2010]は、支払制約が存在するもとで、ある国への甚大なショック(country-specific catastrophic shock)を2ヵ国でリスクシェアリングするモデルを用いて、金融危機時において、市場が担保資産(相対的に安全な債券)を内生的に作り出せることを示しています。そのうえで、こうした危機時における内生的な担保資産の創出について、中央銀行による危機介入策として解釈できる可能性を議論しています。

以上

参考文献

  • 鵜飼博史、「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」、金融研究、第25巻第3号、2006年、1〜46頁
  • 大谷聡・白塚重典・中久木雅之、『生産要素市場の歪みと国内経済調整』、『金融研究』第23巻第1号、日本銀行金融研究所、2004年、95〜125頁
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  • ——・白塚重典、「資産価格バブル、物価の安定と金融政策:日本の経験」、金融研究、第21巻第1号、2002年、71〜116頁
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  • ——、「中央銀行の政策哲学再考」、エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳、2010年4月22日
    (2010a)
  • ——、「中央銀行と中央銀行業務の将来」、日本銀行金融研究所主催2010年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳、2010年5月26日(2010b)
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