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【講演】金融政策再考

IMF・ECB・FRB共催ハイレベルコンファランスにおける講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2010年10月10日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.事前か事後か(Lean or Clean
  3. 3.事前的対応(Leaning against the wind)に関する議論
  4. 4.事前的対応の課題
  5. 参考文献

1.はじめに

はじめに、この度、中央銀行業務の再検討という時宜を得たセミナーを開催された国際通貨基金、欧州中央銀行、米国連邦準備銀行の皆様に感謝いたします。今回の危機とそれに続く調整過程は、我々に対し、明確に、中央銀行の政策の様々な側面について再考するよう促しています。今回のセミナーは3つのセッションに分かれており、さらに、マクロ・プルーデンス政策と金融システムの安定化に関する別のセッションも設けられています。私の発言は、金融政策に焦点を当てたものではありますが、中央銀行の政策は幅広く全体として議論する必要があるため、他のセッションが扱う分野にも多少立ち入ることをご容赦ください。

2.事前か事後か(Lean or Clean

今回の危機とその後の経験は、私の友人であるBill Whiteが指摘する「事前か事後か」(lean or clean)の議論に関し、より明確な方向性を与えてくれたと思っています 1。この問題は、「金融政策は、バブルの発生を未然に防ぐために流れに立ち向かう(lean against the wind)べきか、それとも単に、バブルが崩壊した後に後始末(clean up the mess after the bubble has burst)をすることで十分なのか」と言い換えることができます。危機前に支配的だった見解は、金融政策の重点はバブルの防止よりも物価の安定に置くべきであり、金融政策は、バブルが崩壊した後に、そこから生じる負の影響に積極的に対応すべきである、というものでした。

確かに、金融政策は、バブル崩壊後の初期の局面において、経済全体に対する負の影響を抑制する上では効果的です。今回、先進国における多くの中央銀行は、経済の回復を支援するために、政策金利をゼロ%近くまで引き下げてきました。また、機能不全に陥った金融市場を支えるために、大規模な資産買入れといった非伝統的な措置も導入してきました。こうした措置は、間違いなく、世界的な景気の悪化を食い止めるために効果を発揮しました。中央銀行によるこれらの革新的な措置がなければ、状況が一層悪化していたことは明らかです。しかしながら、今回の景気悪化の深刻さや雇用の喪失、さらには最近における主要国の景気回復ペースの減速は、バブルの生成を許してしまうと非常に大きなコストがかかり、「事後的な対応」という戦略だけでは不十分であることを明らかにしています。金融面での不均衡の蓄積を防ぐための行動も必要となります。

それでは、バブルを防止するための「事前」の措置に話題を移しましょう。ここでの問題設定は、「低金利、あるいは長期にわたる緩和的な金融政策とバブルの発生は、どのように関係しているのか」ということです。

この点については、Rajan教授が主張しているように、市場参加者の行動を念頭に置くことが重要です 2。機関投資家は、多くの場合、過去の経験を考慮に入れながら、名目の収益率をターゲットに投資戦略を立てています。生命保険会社や年金基金は、しばしば、資金の提供者に対し一定の収益率を約束します。運用責任者に対する報酬は管理する資産の規模に応じて決まるため、運用責任者は、顧客を獲得するため、名目の収益率を高めることを目指します。このことは、低金利環境の下では、利回りを追求する(search for yield)傾向や、より積極的にリスクをとる姿勢につながっていきます。実際、今回の危機に向かっていく局面では、高格付け商品でありながら驚くほど高い名目利回りをもたらすサブプライム関連証券化商品への投資が拡大しました。投資家は、意識する、しないにかかわらず、大きな信用リスクと流動性リスクをとっていましたが、そうした行動は、潤沢な流動性を伴う低金利環境において増幅されていたといえます。このような環境下では認識しにくい「テール・リスク」が、投資家のポートフォリオや金融機関のバランスシートに蓄積されていったのです。

こうした投資行動を強めたと考えられるもうひとつの要素が、低金利環境と緩和的な金融政策が継続するという「予想」です。これは、経済環境やインフレ予想、中央銀行の政策といった様々な要因に影響されます。1990年代以降、金融政策の透明性とアカウンタビリティを高める枠組みとして、インフレーション・ターゲティングが多くの国で採用されました。これは、将来のインフレ予想とともに現実のインフレ率を安定させることに貢献しました。しかし同時に、この枠組みの設計上の特質ゆえに、市場やエコノミストは、金融政策の将来の道筋を予測するに当たり、需給ギャップとインフレ率の動向ばかりを注目するようになりました。こうした見方は、物価が安定した環境の下では、先行きも非常に低い金利が続くという期待の高まりを通じて、利回りを追求する傾向を生じさせがちだったと思われます。

  1. 1White[2009]をご参照ください。
  2. 2Rajan[2010,Ch5]をご参照ください。

3.事前的対応(Leaning against the wind)に関する議論

バブルの発生を事前に回避するために金融政策は役割を果たすべきである、という見解に対しては、様々な議論があります。ここでは2つ紹介します。

第1に、バブルと関連する資産価格の変動を見抜くことは難しいという指摘があります。しかし、これに対しては、資産価格の上昇自体は問題ではなく、むしろ不均衡の蓄積、すなわち資産価格の大幅な上昇や、これと連動した過剰なレバレッジや期間ミスマッチが問題であるという反論が可能です。個別の金融機関のミクロ情報を入手することが可能で、経済と金融環境の両面を効果的にモニターできる中央銀行は、そうした不均衡を発見するのに最も適した立場にあり、それだけに、どのような政策対応が採り得るのか検討していく必要があります。

第2に、過剰なレバレッジといった不均衡については、監督・規制的な手法を講じることにより、最も効果的に対処できるという指摘があります。この場合、ミクロ・プルーデンスの手法を用いることが求められます。しかしながら、このことは、金融政策の活用を排除するものではありません。わが国の場合、かつて日本銀行が民間銀行に対する窓口指導を実施した際、そうした手法が単独で過剰な銀行貸出を効果的に削減できるのかどうかにつき、学界で議論が行われました。その時の結論は、非常に緩和的な金融環境の下で、金融機関が裁定機会を求めて活動するので、窓口指導の有効性は低下する、というものでした。勿論、一方で、金融政策だけで、こうした状況に対応できる訳でもありません。金融政策とミクロ・プルーデンス政策が相互補完的に実施されることによって、より効果的な対応が可能になると考えられます 3

  1. 3白川[2010a]をご参照ください。

4.事前的対応の課題

たとえ我々が、中央銀行が事前的対応を講じるべきという点で合意したとしても、なお課題は残っています。

第1に、中央銀行が事前的対応を効果的に行うためには、どのような条件を満たす必要があるか、という点です。中央銀行は、経済の中に持続不可能な不均衡が蓄積されていないかどうか、そして、人々が好景気を謳歌している最中に金融を引き締める必要があるかどうか(take away the punch bowl in the midst of the party)を判断する役割を担っています。そうした判断は、中央銀行が独立して行う必要がありますが、形式的な独立性だけでは不十分です 4。幅広い社会的な合意が必要です。すなわち、資産価格の上昇やレバレッジの拡大などを通じて金融面での不均衡が拡大すると、それが崩壊した時の社会的・経済的な損失は甚大なものとなること、そして、こうした動きを鎮静化するためには、予防的な政策対応が適切かつ必要であることが広く認識される必要があります。そうした幅広い合意なしには、中央銀行であれ、他の公的当局であれ、短期的には極めて不人気な、景気を抑制するための政策対応に踏み切ることは、非常に難しいと思われます。

第2に、特に公的な政策に関する議論の中で、金融政策をどのような枠組みの下で運営していくのかという課題があります。人々の考え方や行動は、政策をどのような言葉で表現するか次第で変わり得ます。この点は重要であり、過小評価すべきではありません。「インフレーション・ターゲティング」という表現は、金融政策に関する人々の理解、ひいてはその有効性に対して、プラス・マイナス両面の効果がありました 5。インフレーション・ターゲティングは、多くの国において、金融政策の透明性とアカウンタビリティを高め、金融政策における物価安定目標について、人々の理解を向上させる助けとなりました。しかしながら、バブルが生成された期間を振り返ると、当初の政策意図から離れ、インフレーション・ターゲティングに対する表面的かつ狭い理解が徐々に定着してしまったとの印象を持っています。恐らく余り認識されてはいませんが、そうした理解は、マクロ経済と金融環境の全体を踏まえて柔軟に運営されるべき金融政策を、制約し始めました。ひとたび、狭い理解が人々の意識に浸透すると、中央銀行が、その狭い領域の外に踏み出し、新たな状況——例えば、インフレ率自体は安定しているにもかかわらず、長い目でみた経済成長を阻害しかねない不均衡が蓄積している状況——に柔軟に対応していくことは、非常に難しいものとなります。それゆえ、日本銀行は、インフレーション・ターゲティングの長所を取り込みつつ、こうした隠れた問題を回避するための枠組みを導入しています。すなわち、日本銀行は、「中長期的な物価安定の理解」と呼ばれる物価安定に関する数値的定義を公表するとともに、インフレーション・ターゲティングが有する問題点を回避するため、2つの「柱」に基づき金融政策を運営するという枠組みを採用しています。そこでは、第1の柱として、先行き2年程度の経済・物価情勢の中心的な見通しが、物価安定のもとでの持続的な成長経路を辿っているかどうかを点検しています。次に、第2の柱として、そうした中心的な見通しに関する上下両方向の様々なリスクを点検しています。その際には、2年よりも長い期間におけるリスク要因の点検も行っています。また、バブルの生成と崩壊の経験が示すとおり、確率が低くても、発生した場合には非常に大きなコストをもたらす事態にも注意する必要があります。

第3に、金融政策のグローバルな側面にも注意が必要です。金融危機前後の一連の出来事は、経済活動と金融システムのグローバル化の進行を我々に再認識させました。金融政策はその1つの側面に過ぎませんが、特に主要な通貨圏における金融環境は、市場参加者の行動、ひいてはグローバルな資本移動に影響を与えます。例えば、2007年までの信用バブル期において、ユーロ圏の経常収支の不均衡は極めて小さいものでした。言い換えれば、その地域における投資と貯蓄は概ね均衡していました。しかしながら、2000年代半ばにおいて、銀行部門による国境を越えた貸出は劇的に増加しました。貸出の増加は、東欧・中欧諸国向けだけではなく、アジア向けでも相当な規模に上り、欧州の銀行は、最大の対外債権者となりました。円キャリートレードもまた、巨額の資本移動の1つの形態でした。金融政策の波及メカニズムに関する伝統的な議論では、銀行貸出チャネルは、ほぼ国内の現象として扱われてきました。しかし、今や、国際的に活動する銀行や投資家を通じたグローバルな波及効果を無視することは出来ません。これらの活動は、世界中の中央銀行の政策決定にも影響を及ぼすことになると思われます。この点は、おそらく、中央銀行間で、更なる研究と議論が必要となる分野の1つだと考えています。

  1. 4民主主義社会における中央銀行の責任については、白川[2010b]において議論されています。
  2. 5白川[2010c]をご参照ください。

以上

参考文献

  • 白川方明、「中央銀行の政策哲学再考」、エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳、2010年4月22日、2010a
  • 白川方明、 「中央銀行と中央銀行業務の将来」、日本銀行金融研究所主催2010年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳、2010年5月26日、2010b
  • 白川方明、「中央銀行の果たす役割—バブル、金融危機、デフレの経験を踏まえて—」、日本金融学会2010年度秋季大会における特別講演、2010年9月26日、2010c
  • Rajan, Raghuram G.,Fault Lines , Princeton University Press, 2010.
  • White, William R.,"Should Monetary Policy 'Lean or Clean'?," Globalization and Monetary Policy Institute Working Papers No. 34, Federal Reserve Bank of Dallas, 2009.