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【講演】最近の金融経済情勢と金融政策運営

きさらぎ会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2010年11月4日

目次

  1. 1. はじめに
  2. 2. 世界経済の動向
  3. 3. わが国の景気・物価動向
  4. 4. 日本銀行の金融政策運営
  5. 5. おわりに

1. はじめに

日本銀行の白川でございます。本日は、このように多くの皆様の前でお話する機会をいただき、ありがとうございます。そう申し上げた上で、本日の講演はタイミングとしては、居心地のよいものではないものとなってしまいました。というのも、日本銀行は、先週、ETF等の買入れを早期に開始できるよう基本要領の審議・決定等を行うため、金融政策決定会合の開催日を繰り上げ、本日と明日に開催することを決定しました。そこで、本日は、先週発表した展望レポートをもとに、世界経済の動向についてお話し、そのうえで、わが国の経済・物価情勢と「包括的な金融緩和政策」を中心にご説明させていただきます。明日の金融政策決定会合での決定を示唆する情報発信は一切ないことを最初に明確にお断りした上で、私としては、本日の話が内外の経済や日本銀行の金融政策についての皆様のご理解に少しでもお役に立てることを願っています。

2. 世界経済の動向

リーマン・ブラザーズ破綻後の世界経済の動向

それでは、最初に、世界経済の動向からお話します。

世界経済は、一昨年9月のリーマン・ブラザーズ破綻以降、急激かつ大幅に落ち込みました。この景気後退の過程は2つの要因に分けて整理できます。第1の要因は、リーマン・ブラザーズ破綻をきっかけに発生した金融危機による、パニック的な経済・金融活動の収縮です。これは、経済に対して急性症状的な影響をもたらすものでした。第2の要因は、より根源的な要因といえるものですが、2000年代半ばにかけて米欧を中心に世界的に蓄積された様々な過剰の巻き戻しです。これは、家計の過剰債務、企業の過大な生産能力、金融機関の不良債権などの過剰を処理するプロセス、つまり、バランスシートを修復し、調整するプロセスです。この修復や調整が行われる間は、各経済主体の支出活動が抑制されます。その結果、経済に対して長い期間に亘り慢性症状的に下押し圧力がかかり続けます。

世界経済は、昨年春には下げ止まり、その後持ち直しに転じましたが、その主因は、最初に挙げました急性症状が収まったことです。各国中央銀行による流動性供給や政府による金融機関への公的資本注入等の対策によって、パニック的な経済・金融活動の収縮は沈静化に向かいました。急性症状が収まることで、金融危機対応として各国で講じられた需要刺激策の効果が一段と発揮されるようになるとともに、民間企業の在庫復元の動きも進みました。これらの結果、昨年後半以降の世界経済は、年率5%に迫る高い成長を続けてきました。

しかし、最近では、世界経済の回復テンポはさすがに幾分鈍化しています。これまで回復を先導してきた企業の在庫復元の動きが一巡するとともに、先進国では、各種需要刺激策の効果が減衰しています。例えば、米国では6月に住宅購入支援策が終了したあと、住宅販売件数が低迷しています。日本でも、新車登録台数が、エコカー補助終了前の駆け込み需要から大きく増加した後、10月はその反動から、前年比でみて約3割の減少となりました。他方、新興国経済をみ ると、なお高い成長を続けていますが、さすがに成長ペースは幾分鈍化しつつあります。急速な経済成長に伴って、物価や住宅価格に上昇圧力が強まっていることを受け、金融緩和の修正が進められていることなどが、成長ペース鈍化の背景です。ただ、こうした過熱抑制策は、景気や資産価格の過熱を抑制し、景気拡大の持続性を確保していくという観点からすると、必要な政策対応といえます。これにより、新興国の持続的な成長が確保されることとなれば、長い目でみて世界経済にとっても好影響を及ぼすものと判断しています。

世界経済の先行き

このように、世界経済は、年央以降、景気回復ペースが幾分減速していますが、世界経済の回復基調は今後も維持されると判断しています。この点は、国際機関や民間の予測の多くも同様の見方であり、例えばIMFの世界経済見通しは、2011年以降も4%を超える高めの成長を予想しています。

その際、世界経済の牽引役として期待されているのは、何といっても新興国経済です。新興国について高成長の持続が予想されている背景には、いくつかの理由があります。主なものとしては、第1に、新興国は、生活水準向上に伴う消費活動の活発化や社会インフラ整備の必要性など、もともと内需の基調が強いことが挙げられます。その典型例は、中国です。中国では、都市化が急速に進んでおり、都市に住む人の数は、過去30年間で、2億人から6億人にまで急増し ました。いわゆる「百万都市」の数を数えますと、人口集積が著しいとされる日本では、高度成長期が始まった1955年には5都市、現在でも12都市ですが、中国では2008年時点で既に190都市を数え、今後も増加が見込まれています。都市化の進展は、大量の住宅建設とともに、電気、ガス、水道といったインフラ整備需要も生み出します。2005年以降、毎年のように日本の高速道路の総延長距離に相当する高速道路が建設されていることも、中国のインフラ需要の大きさを端的に表しています。このように、新興国は、潜在的に、高めの成長を実現していく基盤を持っているといえます。また、第2に、先進国における大規模な金融緩和が新興国経済への資本流入の拡大につながり、新興国の景気拡大を促進する方向で作用している面があることが挙げられます。

この間、先進国経済は、先ほど申し上げましたバランスシート調整の重石を抱えていることから、当面、緩やかな回復ペースにとどまる見込みです。

先ほど触れたIMFの世界経済見通しで、世界の経済成長に対する先進国と新興国・資源国等の寄与度を比べますと、1980~90年代までは、先進国が6割、新興国等が3~4割程度という内訳です。これが、2000年代には先進国が3割、新興国等が7割と逆転し、2010~2011年の見通しではこの差が更に拡大しています。このように先進国と新興国との間の先行きの景気回復テンポが顕著に異なる点は、世界経済の持続的な成長という観点からも重要な意味を持ちますので、後ほど改めてご説明します。

世界経済の先行きの不確実性

只今申し上げたように、世界経済は、新興国経済を主な牽引力として今後も回復基調を維持し、持続的な成長パスを辿るというのが私どもや国際機関等に共通した中心的な見通しですが、そのような見通しには、いくつかの不確実性があります。ここでは、最近の国際会議での問題意識も踏まえて、特に重要と考えられる2つの点について、ご説明いたします。1つは、先進国経済の先行きを巡る不透明感、もう1つは、先進国と新興国の景気回復のスピードに顕著な違いが ある中で、先進国の金融緩和策が資本移動等を通じて、世界経済に及ぼす影響です。

それでは、まず、1つめの点についてご説明します。

冒頭申し上げましたように、リーマン・ブラザーズ破綻後の急性症状が収まり、景気が急速な回復をみせていた、昨年の後半から今年の春先にかけて、米欧諸国では、経済の先行きに対して、我々からみると、やや楽観的な見方が支配的となりました。国際機関や民間による世界経済の見通しの上方改定が相次ぎ、米欧諸国の株価は上昇傾向を辿りました。ドルの市場金利の形状をみますと、今年の春先まで、FRBの年内の利上げを織り込む姿となっていました。

しかしながら、今年の夏場以降は、米国経済について、雇用や住宅関連など多くの経済指標の改善が足踏みしたことなどをきっかけに、家計や金融機関のバランスシート調整は、今後も相当の期間に亘って続き、米欧経済の回復テンポをかなり抑制するのではないかという悲観的な見方が拡がりました。

バランスシート問題の解消に時間を要するというのは、90年代以降、まさに日本が経験したものです。従って、日本銀行をはじめ、わが国では、バランスシート調整の重石を抱える米欧経済の成長テンポは緩やかなものに止まるという見方が多かったと思います。一方、米国では、わが国の見方に比べ、その影響についてより楽観的な見方が支配的だったようです。また、その認識が正しいかどうかは別にして、日本の経験を踏まえて早めに効果的な政策対応がとられたという意識も、そうした見方の背景となっていたように思います。しかし、最近では、その後の景気の鈍い足取りを眺め、経済がデフレや長期の停滞に陥らないかという懸念が意識され始めています1

次に、世界経済の先行きに不透明感をもたらしているもう1つの要因、すなわち、先進国と新興国の景気回復のスピードに顕著な差がある中で、先進国の金融緩和策が、資本移動や為替レート等を通じて、世界経済に影響を及ぼす点についてご説明します。

多くの先進国では、景気回復の足取りが重く、物価上昇率も望ましいと考えている水準を下回る見通しにあります。その結果、これらの先進国では緩和的な政策が実施されています。ところが、先進国では、現在、バランスシート調整の重石を抱える中で、実質的なゼロ金利環境にあることもあって、積極的な金融緩和が行われても、銀行貸出は増加せず、その分、国内経済への刺激効果が生まれにくい状況になっています。その結果、先進国の金融緩和は、新興国への資本流入、ないし新興国でのリスク・テイキングをもたらす面が大きく、新興国における景気過熱の一因となっているという指摘もあります。また、先進国が金融緩和を続けるもとで、新興国が利上げを行うと、金利差に着目して更に新興国への資金流入が増加するため、利上げの過熱抑制効果が減殺されるという難しさも新興国サイドからは指摘されています。

一方、新興国の政策運営についても、色々な議論が行われています。例えば、新興国の為替制度が十分な伸縮性を欠き、ファンダメンタルズに比べて為替レートが低い水準に維持された場合には、そのことによって、先進国からの資本流入の影響も含め、当該新興国の景気が過度に刺激される結果、長い目で見ると経済や金融に行き過ぎとその巻き戻しが生じる可能性があります。その場合、新興国も先進国も経済不安定化という形で影響を受けることになります。また、現在、持続可能でない経常収支の不均衡の是正が世界的な課題として議論されていますが、不均衡の調整弁のひとつである為替レートが伸縮性を欠く場合には、必要な調整を遅らせる要因にもなりかねません。

先月、韓国の慶州で開催されたG20では、国により回復テンポの異なる世界経済が持続的かつ均衡ある成長を達成するためには、マクロ経済政策のみならず、規制・構造改革分野における取り組みが必要であることが確認されました。各国の当局は、それぞれの国・地域における経済・物価情勢を注意深く点検したうえで、その安定を実現するために必要な施策を講じることが求められます。これ自体は当たり前のことを言っているように思われるかもしれませんが、私自身はその意味合いについて、2つのことを強調したいと思います。1つは、各国の政策当局はあくまでも自国の経済の安定に責任を有していることです。もう1つは、経済や金融市場のグローバル化の進展によって、各国の経済・金融情勢や政策運営が相互に影響を及ぼす度合いが高まっていることから、国内の経済・物価の安定を保つための政策も、世界経済や国際金融市場への影響を通じ、再び自国に影響を及ぼすという経路を意識して行う必要が生じているということです。先進国と新興国がともに相互の波及について考えた上で、自国の経済の安定を考えて政策運営を行っていくことの重要性は、これまで以上に高まっていると思います。

  1. 1この点に関しては、白川方(2010)「特殊性か類似性か? — 金融政策研究を巡る日本のバブル崩壊後の経験 —」2010年IJCB秋季コンファランス「グローバルな危機からの金融政策への教訓」における基調講演もご覧ください。

3. わが国の景気・物価動向

以上申し述べた世界経済の姿を踏まえた上で、次に、わが国の景気と物価の動向についてお話します。

景気の現状

わが国経済は、海外経済の回復を背景とした輸出・生産の増加や耐久消費財の販売促進策の効果などを背景に、これまで改善を続けてきました。リーマン破綻後の経済の落ち込みが大きかった分、米欧と比べても、回復テンポはかなり速めとなっていました。

もっとも、これまで景気の改善を牽引してきたわが国の輸出や生産はこのところ減速しています。輸出は昨年春以降、年率4割を超える勢いで増加してきましたが、海外経済の減速のほか、情報関連財の在庫調整などを背景に、本年央以降は増加ペースが緩やかになり、7~9月期は横這い圏内の動きとなっています。わが国の景気の現状は、昨年春以降急速に持ち直した後、緩やかに回復しつつある過程にあるとみていますが、只今申し上げたように、輸出や生産の増加ペースが鈍化していることなどから、改善の動きが弱まっています。

経済・物価動向の見通しとリスク要因

ここで重要な点は、一旦減速した景気の先行きが、どのように展望できるかということです。日本銀行は、先週、先行きの経済・物価情勢の見通しを示した「展望レポート」を公表しました。レポートの結論を先に申し上げますと、わが国経済について、本年度後半は、海外経済の減速や耐久消費財に関する政策効果の反動、最近の円高の影響もあって、景気改善テンポは一時的に鈍化する可能性が高いとみています。もっとも、2011年度入り後は、円高の影響は残るものの、海外経済の成長率が再び高まることなどから、輸出が増加を続け、設備や雇用の過剰感も徐々に解消していくため、わが国経済は緩やかな回復経路に再び復していくと考えられます。その後、2012年度についても、新興国・資源国を中心に海外経済の成長率が高めの成長を続けるもとで、輸出・生産から所得・支出への波及メカニズムが強まり、2011年度を上回る成長が続くと考えています。これを政策委員の見通しの中央値で示しますと、わが国経済は、2010 年度に+2.1%成長の後、2011年度に+1.8%、2012年度に+2.1%の成長を続けると見込んでいます。

物価面の見通しについては、以上の景気の先行きに加え、人々の中長期的な予想物価上昇率の推移も重要な鍵を握ります。この点、各種のアンケート調査をみる限り、大きな変化は生じておらず、安定的に推移しているようです。これらを踏まえ、日本銀行では、マクロ的な需給バランスが徐々に改善していくことなどから、生鮮食品を除く消費者物価の前年比下落幅は、今後とも縮小していくとみています。ただし、金融危機後の需要の落ち込みが極めて大きく、更に景気回復ペースも緩やかなことを考えますと、需給バランスの改善ペースも緩やかなものとなり、消費者物価の前年比がプラスの領域に入るのは2011年度中になるものと考えています。年度の上昇率としては、2011年度に+0.1%となった後、2012年度は、+0.6%とプラス幅が拡大していくものと見込んでいます。このように、わが国経済は、なお時間を要しますが、物価安定のもとでの持続的成長に向けて、着実に歩みを進めていくものと考えています。

このような経済・物価の見通しには様々なリスク要因があります。なかでも、景気については、新興国や資源国の経済が強まる可能性があるなどの上振れ要因がある一方で、米国経済を中心とする不確実性の強い状況が続くもとで、下振れリスクにも注意が必要と考えています。物価面では、新興国や資源国の高成長を背景とした資源価格の上昇などによって、わが国の物価が上振れる可能性がある一方で、中長期的な予想物価上昇率の低下などにより、物価上昇率が下振れるリスクもあるとみています。日本銀行としては、これらの要因を含め、わが国経済が物価安定のもとでの持続的成長経路に向けて着実に進んでいるか、丹念に点検してまいりたいと考えています。

4. 日本銀行の金融政策運営

次に、以上の内外の経済・物価情勢を踏まえた日本銀行の金融政策運営の考え方についてお話します。

日本銀行は、わが国経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することが極めて重要な課題であると認識しています。そうした認識のもとで、日本銀行は、現在、強力な金融緩和の推進、金融市場の安定確保、成長基盤強化の支援という3つの柱に基づいて、積極的な政策対応により、中央銀行としての最大限の貢献を続けています。

まず、強力な金融緩和の推進という面では、リーマン破綻前でも0.5%と既に世界で最も低い水準にあった政策金利を、2度にわたって引き下げました。加えて、金融機関に対する長めの期間の資金供給を増加することで、3か月、6か月といった、より長い期間の金利の低下にも直接働きかけてきました。これらの結果、わが国の金利は、欧米諸国の金利と比べても、極めて低い水準で安定しているうえ、企業の資金調達コストも、なお低下傾向を続けています。次に、金融市場の安定確保という面では、大量の資金供給を実施するなど、金融市場において資金調達面での安心感が拡がるよう努めてきました。更に、わが国経済の成長基盤を強化する観点から、わが国の生産性向上に向けた民間企業や金融機関の自主的な取り組みを後押しするため、政策金利と同じ低金利で最長4年間の資金を供給するという枠組みを設け、既に実行に移しています。

ただ、先ほどご説明したとおり、わが国経済は、改善の動きが弱まるとともに、しばらくは景気改善テンポの鈍化した状態が続く見通しにあります。更に米国経済を中心に先行きを巡る不透明感も高い状況です。こうしたもとで、わが国経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復する時期が後ずれする可能性が高まっているという判断に至り、先月初には、金融緩和を前倒し的に一段と強力に推進するため、「包括的な金融緩和政策」を実施しました。短期金利の低下余地がほとんどなくなったもとで、金融政策という手段によって、更なる緩和効果を追求しようとすれば、通常の金融政策の領域を越えた新たな領域に踏み込んでいくとともに、幅広く政策措置を動員することによって政策効果を高める以外に、方法はありません。こうした考え方に基づき、長めの市場金利の低下とリスク・プレミアムの縮小を促していくと同時に、3つの政策措置をパッケージとして打ち出すこととしました。

金利誘導目標の変更

第1の措置として、無担保コールレート・オーバーナイト物の金利誘導目標水準を、従来の「0.1%前後」から、「0~0.1%程度」に変更しました。今後、後ほどご説明する資産買入等の基金を通じて、一層潤沢な資金供給を行うと、日によっては、無担保コールレート・オーバーナイト物が0.1%を大きく下回ることが予想されます。包括的な金融緩和政策によって長めの市場金利の低下やリスク・プレミアムの縮小を図るという目的を達成するためには、そうしたオーバーナイト金利の振れを明示的に許容することが効果的であると考えました。また、これにより、日本銀行が事実上のゼロ金利政策を採用していることを、より明確に示すことにもなると考えています。

なお、緩和効果をあげるという観点からは、オーバーナイト金利が極端に低下しすぎると、金融機関や投資家の運用金利、ひいては利鞘の低下から、信用仲介機能が低下し、却って逆効果となる惧れもあります。日本銀行が目指しているのは、あくまでも金融緩和の効果が最大限発揮される環境を整えることです。

以上のような観点を踏まえ、日本銀行は、現在の「0~0.1%程度」のオーバーナイト金利の誘導目標水準と、0.1%の金融機関当座預金への付利金利という組み合わせが最適であると判断しています。このような金利誘導目標水準と付利金利の組み合わせは海外でも導入されており、米国では、0~0.25%の誘導目標水準と0.25%の金融機関準備預金への付利金利の組み合せが採用されています。

「中長期的な物価安定の理解」に基づく時間軸の明確化

2つめの措置として、日本銀行は、物価の安定が展望できる情勢になったと判断するまで実質的なゼロ金利政策を継続することを、明確に打ち出しました。

長めの期間の金利は、短期の金利が将来にわたってどのように推移するのか、という点に関する市場の予想に大きく影響されます。今回の措置は、短期金利の形成に大きな影響力をもつ日本銀行の政策運営の方針を明らかにすることにより、短期金利の推移に関する市場の予想に働きかけ、より長い期間の金利の低下を促すことを狙いとしています。

同時に、物価の安定が展望できるかどうかを判断する基準として、「中長期的な物価安定の理解」を用いることも明確にしました。これは、9人の政策委員が中期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率を全体として示したもので、現在は、「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」という形で示しています。

これには2つの効果が期待できます。第1に、日本銀行が政策運営にあたって念頭においている中長期的な物価上昇率を明示することで、人々に将来の物価上昇率に関する目安を与え、中長期的な予想物価上昇率を安定させる効果—アンカー効果—が得られると考えています。第2に、望ましいと考えている中長期的な物価上昇率と金融政策運営とを明示的に関連付ける形とすることで、金融政策運営の考え方を分かりやすいものとするという効果も期待されます。

これらの点は、いわゆるインフレーション・ターゲティングとも共通した考え方です。ただ、インフレーション・ターゲティングというと、その分かりやすい呼び名のせいもあって、物価上昇率だけを見ながら政策運営を行うものであると理解されがちです。分かりやすさはもちろん重要ですが、しかし同時に、経済の複雑な仕組みから目を逸らして政策を運営するという、いわば、「分かりやすさの落とし穴」に陥ることは避ける必要があります。

既に、中央銀行や学界の間では、短期的な物価安定のみに焦点を当てた古いタイプのインフレーション・ターゲティングの議論から、政策運営の柔軟さを高めた「フレキシブル・インフレーション・ターゲティング」の枠組みへと議論は発展しており、実際の採用国でも柔軟性のある政策運営の枠組みとして実施されています。例えば、英国のイングランド銀行では、現在、消費者物価が2%の目標を大きく上回り、本年1月以降は3%台で推移していますが、引き締め政策を講じることはなく、むしろ緩和を強化する方向での議論も行われています。

このように、短期的な物価安定に過度に焦点を当てるのではなく、長い目でみた経済・物価の安定を目指すという動きの背景には、過去の内外の苦い経験があります。例えば、80年代後半の日本のバブル期には、消費者物価は極めて安定して推移しており、この5年間の平均上昇率は前年比1.0%でした。今回のグローバルな金融危機に至る前の時期についても、2000年代央にかけて、米国では高成長と低インフレ率という理想の組み合わせをとうとう実現した、という楽観的な評価が拡がるとともに、「大いなる安定(Great Moderation)」という言葉がよく使われました。しかし、数年後に判明したように、まさにそうした言葉が使われていた時期に、資産価格の過度な上昇や過剰な債務といった今回のグローバル金融危機の原因となった金融面での不均衡が蓄積されていました。

この点、日本銀行は、経済・物価の標準的な見通しとリスク要因の点検という2つの「柱」によって経済・物価情勢を点検し、それを踏まえて金融政策を運営する枠組みを導入しています。これは今申し上げたインフレーション・ターゲティングを含めた各国の政策運営の枠組みの長所を最大限取り入れた上で、その短所にも十分配慮したものであり、我々としては金融政策のより進化した枠組みであると考えています。今回の時間軸の明確化において、実質的なゼロ金利政策を継続する際の判断基準が「中長期的な物価安定の理解」であることを確認した上で、金融面での不均衡の蓄積を含め、長い目でみて経済・物価の安定を脅かすようなリスク要因を点検し、問題が生じていないことを条件とすることとしたのは、このような考え方に基づくものです。

資産買入等の基金の創設

3つめの措置は、資産買入等を行う基金を創設することです。

今回、日本銀行は、長めの市場金利の低下や各種リスク・プレミアムの縮小を図るため、多様な金融資産の買入れを行うことにしました。具体的には、臨時の措置として、日本銀行のバランスシート上に基金を設けたうえで、国債や社債、CPのほか、ETFやJ—REITなどを総額5兆円程度の規模で買入れることとし、固定金利オペを含めた基金の規模は総額35兆円程度としました。

このように日本銀行がリスクをとって資産の買入れを行うことで、市場参加者の投資姿勢を積極化させ、市場に資金を呼び込むことにつながれば、リスク・プレミアムを縮小させる方向に作用することが期待できます。今後、出来るだけ早期に買入れを実施したいと考えています。冒頭で申し上げたように、金融政策決定会合の開催日を繰り上げることにしたのも、日本銀行法上の政府認可を取得したETFやJ—REITの買入れについて、基本要領の審議・決定を速やかに行い、極力早期に買入れを開始できる体制を整えるためです。

以上の包括的な金融緩和政策に盛り込んだ措置は、中央銀行の金融政策手段としては、極めて異例な措置であり、日本銀行としても、その点は十分認識しています。長めの市場金利の低下や各種リスク・プレミアムの縮小に働きかける政策は、初めて実施するものですし、とくに、中央銀行自身が信用リスク等を負担する形でリスク性資産を買入れるという政策は、中央銀行の政策において例をみないものといえます。最終的に損失負担が発生した場合には、納税者の負担に繋がる可能性があるほか、個別の産業・企業に対するミクロ的な資源配分に関わる度合いが強くなるためです。可能な限りでそのような弊害を小さくする工夫を凝らすことは当然ですが、それでも、流動性の供給という伝統的な金融政策の領域から、政府によって担われる財政政策の色彩を帯びた領域に近づいている点は否めません。そのような政策を、民主主義社会の中で、中央銀行独自の判断でどこまで行使することが適当なのか、という重たい問題については我々としても十分に考えました。その上で、日本銀行としては、通貨を創造するという大きな権能を国民の皆様から付託された中央銀行として、経済・金融の安定のために少しでも有効な施策を工夫できるのであれば、それを機動的に実行していくことが責務として求められていると判断しました。

資産買入等の基金の創設は、このような2つの相反する要素を考慮するとともに、経済・物価の状況について十分洞察した上で、日本銀行の責任において、判断したものです。それだけに、先ほど申し上げた資産の買入れについては、日本銀行自身はもちろん、市場参加者や国民の皆様からもこの政策措置の運用状況や効果と副作用を点検できるよう基金の形で括り出し、分別して管理することとしました。

以上が、包括的な金融緩和政策についての日本銀行の考え方です。今後の政策運営にあたっては、展望レポートでも述べているように、先行きの経済・物価情勢を丹念に点検し、適切な政策対応を行っていくことが必要だと考えています。

5. おわりに

本日は、リーマン破綻後の世界経済および国内経済の動向、金融政策運営について、ご説明しました。色々な場で申し上げているように、また、皆様自身もお感じになっていることだと思いますが、日本経済の課題という点では、短期循環的な問題と並んで、成長力の趨勢的な低下という、より中長期的な課題への対応も極めて重要です。そこで、最後に、この点について、簡単に触れたいと思います。

1990年代以降の日本を振り返りますと、経済成長率が趨勢的に低下しているうえ、労働力人口は1998年をピークに、総人口は2005年以降、減少に転じています。この人口動態の変化、特に労働力人口の減少はボディーブローのように大きな影響を日本経済に及ぼしています。このことは、今後、国内市場の拡大が見込めるのか、あるいは将来的に安定した雇用や所得が得られるのか、財政は維持可能なのかといった点を考えるだけでも明らかです。こうした点について、国民の不安感が拡がると、現在の家計の消費活動や企業の設備投資行動を抑制してしまいます。長期にわたる需要の低迷や、それによって生じる需給ギャップのもとでのデフレという現象も、より根本的にはこのような中長期的な成長期待の弱まりが原因です。

現在、日本経済は難しい課題に直面していますが、それだけに、日本経済の大きな構図を正確かつ冷静に認識することが不可欠です。やはり、究極的には経済の主役である民間企業の活動が活発化し、将来に向けての成長期待が高まっていくことが必要だと思います。この点について言えば、いつの時代も、経済の道筋を切り拓いてきたのは民間企業によるイノベーションの発揮でした。特に新しい需要分野を切り拓くようなイノベーションは、自然に発生するものではなく、あるいは特定の企業や個人の努力だけで促進されるものでもありません。金融機関も含めた各企業それぞれが粘り強い取り組みを進めることが、相互に好影響を及ぼしつつ、日本経済全体としての底上げに繋がっていくという性質のものであると思います。先ほども触れたように、問題の根源に労働力人口の減少があるとすれば、高齢者や女性の労働市場への参加率の向上を含め、社会として取り組むべき課題は多くあります。いずれにせよ、はっきりしていることは、個々の経済主体が制度や慣行を所与としたうえで、自らの生存のためにミクロ的な最適を図るというアプローチだけでは縮小均衡に繋がりやすく、日本経済の発展のダイナミズムは生まれにくいということです。もちろん、企業をはじめ民間部門の前向きな取り組みを支えていくためには、政府を含めた公的部門による環境整備も重要です。現在、政府では、成長力の強化に向けた取り組みが進められており、これが企業の努力とも相まって実を結んでいくことが期待されます。

日本銀行も最大限の努力を行っていきます。日本銀行は1990年代後半以降、手探りの中で様々な政策措置を講じてきましたが、グローバル金融危機の後に欧米諸国の中央銀行が採用した政策はほとんど日本銀行が採用していたものであることにも示されているように、今から振り返ってみますと、非常に革新的であったと思っています。量的な面について言うと、日本銀行は、現在欧米諸国が到達している低金利の世界に1990年代半ばに到達し、それ以来、バランスシートが大幅に拡大していることもあって、日本銀行の積極性についての印象が薄くなっている面があるようです。しかし、名目GDPに対する中央銀行の資産規模の比率は、今次グローバル金融危機を通じて大幅に拡大した米欧の中央銀行に比べても、日本銀行の方が大きなものとなっていますし、現在のような低金利になった後の拡大幅という面でも日本銀行が最大です。質的な面でも、日本銀行は今年になってからも成長基盤強化を支援するための資金供給をはじめ、他国に例をみない新たな措置を導入してきました。そして今回、資産買入れにより長めの市場金利の低下やリスク・プレミアムの縮小を促すという措置に踏み込みました。こうした措置が成功するかどうかは、これによって実現する金融環境を活かして民間部門が様々な挑戦を行うかどうか、更には、そうした挑戦を可能にする環境が用意されているかどうかにもかかっています。その意味で、民間部門、政府、中央銀行それぞれの努力が不可欠です。日本銀行としては、極めて緩和的な金融政策の効果が最大限発揮され、わが国経済の発展に繋がっていくよう、今後とも、中央銀行としての貢献を続けてまいりたいと考えています。

本日はご清聴、ありがとうございました。