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【講演】通貨管理におけるイノベーションと挑戦の150年

日独交流150周年記念講演(ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン)の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2011年3月8日

目次

1. はじめに

日独交流150周年を記念してフランクフルト大学(ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン)でお話をする機会を頂き、大変光栄に存じます。講演に先立ち、Hölscherヘッセン州財務省事務次官、Raettigフランクフルト市参事会名誉参事、重枝日本総領事の御三方から歓迎のお言葉を頂き、有難うございました。また、本日の講演を可能にして下さった通貨・金融安定研究所のGerlach教授に対して、心より御礼申し上げます。

日本銀行は(図表1)、第一次世界大戦直後の1919年からベルリンに駐在員を常駐させていましたが、1956年にこのフランクフルトの地に事務所を開設しました。フランクフルトは、一つの都市に二つの中央銀行、すなわちドイツ連邦銀行と欧州中央銀行を擁するという意味で、世界でもユニークな都市ですが(図表2)、日本銀行は両行と極めて友好的な関係を築いてきています。両中央銀行を始め、私どものフランクフルト事務所が日頃よりお世話になっている各界の皆様に、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

さて、約150年前の1860年、プロイセンの東方アジア遠征団が江戸、現在の東京に来訪し、翌1861年、その後の日独の深い関係の礎となる日独修好通商航海条約が締結されました。この時期は日本の金融経済史の観点からは、非常に興味深い時期として記憶されています。当時、日本の金価格は銀との比較で国際的にみて著しく低く設定されていたことから、金が短期間に大量に国外流出していました。これに対応するため、日本政府は金の含有量を大幅に減らした新しい金貨を発行し、その過程で、マネーストックの拡大により、急激なインフレーションが発生しました。1861年に描かれた風刺画では、金貨を大将とする「貨幣軍」と、米俵を大将とする「商品軍」が、「値段を負けろ」、「いや、負けぬ」の戦いをしている様子が描かれており、当時の経済の混乱が目に浮かぶようです(図表3)。言うなれば、幕末の日本は突然、国際金融市場の荒波に放り出された訳ですが、遠征団の一行は、金流出によって引き起こされた日本経済の大きな混乱も目撃していたことと思います。

この150年間、人類は通貨のコントロールという面で進歩を遂げてきたようにもみえますが、一方で、今回のグローバル金融危機の経験が示すように、我々はさして進歩していないようにもみえます。通貨の管理は、経済の安定にとって極めて重要です。本日は、中央銀行総裁として、日本とドイツ、あるいは欧州との交流や比較も意識しながら、「通貨管理におけるイノベーションと挑戦の150年」と題してお話をします。

2. 通貨の管理における4つのイノベーション

人類の経済活動の中で、通貨の発明自体が極めて大きなイノベーションですが、その通貨を管理するという面でも、人類は様々なイノベーションを実現してきました。以下では、近代において、私が特に重要と考える4つの通貨管理のイノベーションについて明することから話を始めようと思います。

中央銀行という組織の発明

第1の、そして最大のイノベーションは、中央銀行という組織の発明です。ドイツで中央銀行のライヒスバンクが設立されたのは1876年、日本で日本銀行が設立されたのは1882年のことです1。両国で中央銀行が設立された時点では、世界で中央銀行は十数行しか存在しませんでした。もちろん現在では、殆どの国が中央銀行を有しています。いずれにせよ、中央銀行が創設されることにより、金の発見といった偶然的な要因に左右されずに通貨を能動的に管理することが可能となり、また金融市場での取引を通じて通貨を体系的に管理する仕組みが可能となりました。

  • 1 Forrest Capie, Charles Goodhart, Stanley Fischer and Norbert Schnadt, The Future of Central Banking: The Tercentenary Symposium of the Bank of England, 1994を参照。

「最後の貸し手」の発明

第2のイノベーションは、「最後の貸し手」という考え方です。日独修好通商航海条約が締結された年に、英国ではエコノミスト誌の編集長にバジョットが就任しています。ご承知のように、バジョットは中央銀行という組織について、初めて体系的な考察を行い、中央銀行のベスト・プラクティスに関する論文集とも言うべき『ロンバート街』と題する本を著したことで有名です。この著書の中で、バジョットは、金融システムの動揺を防ぐため、「中央銀行は危機時において、懲罰的な金利で、しかし無制限に貸出を行うべし」という「最後の貸し手」の行動原理、いわゆるバジョット・ルールを定式化しました2。バジョット・ルールの実際の適用の仕方は金融市場の変化に合わせて修正が図られていますが、今回のグローバル金融危機の際も、欧州中央銀行や日本銀行を含め、各国中央銀行は市場に対し「最後の貸し手」として積極的に資金を供給し、それによって金融システムの崩壊を防ぎました。「最後の貸し手」としての原理が打ち立てられたことの意義はまことに大きいものがあります。

  • 2 Walter Bagehot, Lombard Street — A Description of the Money Market, 1873を参照(『ロンバード街—金融市場の解説−』、久保恵美子訳、日経BP社、2011年)。

金融政策の発明

第3のイノベーションとして、多少奇妙に聞こえるかもしれませんが、「金融政策の発明」を挙げたいと思います。金融政策をどのような政策として理解すべきかについては後ほど触れますが、ここでは、「短期金利水準をコントロールすることによって物価上昇率や成長率に対し、能動的に影響を及ぼす政策」という通常の定義を用いています。かつての金本位制の下では、通貨量は金の保有量に制約されており、物価や経済活動水準に能動的に影響を与えることはできませんでした。この意味で、中央銀行が金融政策を展開する余地は限られており、実際、バジョットの著作には金融政策は登場しません。本格的な金融政策は、管理通貨制度に移行してから始まりました。今日では、適切な金融政策は、マクロ経済の安定に貢献し得る政策手段のひとつになっています。

中央銀行の独立性という概念の登場

そして第4のイノベーションは、中央銀行の独立性という考え方です。中央銀行の独立性が世界的に定着するのは比較的最近のことですが、興味深いことに、既に第一次世界大戦後のヨーロッパ諸国において、中央銀行の独立性の向上についての議論が行われていました。例えば、第一次世界大戦後の国際的な経済ならびに金融システムの再建を目指して1922年にジェノアで開かれた国際経済会議では、同会議の通貨に関する決議事項において、「銀行、特に発券銀行は、政治的中立を維持すべきである」と提唱されています3。この中央銀行の独立性という考え方が定着する上で、ドイツの国民やその支持を受けたドイツ連邦銀行の貢献が非常に大きいことは言うまでもありません。第二次世界大戦直後の8年間という困難な時期に日本銀行総裁を務めた一萬田尚登は、若き日に日本銀行のベルリン駐在として、第一次世界大戦直後のハイパー・インフレーションを終息させた「レンテン・マルクの奇跡」に立ち会いました(図表4)。そのときの経験は、日本の戦後の金融政策運営にも活かされたと言われています。

この中央銀行の独立性という考え方は1990年代に入ってから、世界的に定着するようになりました。1992年にはユーロ参加国に参加の条件として中央銀行の独立性を求めることを定めたマーストリヒト条約が調印されました。日本銀行について言えば、1998年の日本銀行法改正により、金融政策の独立性が法的に確保されました。中央銀行が金融政策の独立性を得ることにより、通貨の中長期的なアンカー役として機能することが法的に整備されました。

以上挙げた4つのイノベーション以外にも、通貨管理上の様々なイノベーションが登場しました。マネーサプライ・ターゲティングもそのひとつです。日本銀行はマネーサプライ・ターゲティングを採用しませんでしたが、1970年代から80年代前半にかけて、ドイツ連邦銀行を含め、多くの先進国中央銀行で採用されました。しかし、その後、金融の技術革新を背景にマネーサプライと物価上昇率や経済活動との安定的関係が崩れるようになると、マネーサプライ・ターゲティングは有効に機能しなくなり、放棄されるに至りました。カナダ銀行のブーエ総裁は「我々がマネーサプライを捨てたのではなく、マネーサプライが我々を捨てた」という有名な言葉を残していますが、技術革新という環境の変化が通貨管理の具体的手法を変えたと言えます。

1980年代後半以降、多くの国の中央銀行で—ただし、FRB、欧州中央銀行、日本銀行は除かれますが—採用されたのが、インフレーション・ターゲティングです。この手法は、インフレを抑制し、あるいは低下したインフレ率を定着させる上で効果を発揮しました。しかし、この枠組みあるいはその背後にある一般物価の安定を重視する考え方も現在、新たな挑戦に晒されているようにみえます。2000年代半ばにかけて、物価安定という基準からすると、何ら問題のないと思われた良好な経済状態が長く続いていたにもかかわらず、大規模な信用バブルが発生し、その後、グローバル金融危機が発生しました。そして、現在、少なからぬ先進国はバブル崩壊に伴う厳しいバランスシート調整を経験しています。こうした事態の展開は、インフレーション・ターゲティングや金融政策運営の仕方にも微妙な影響を与えています。

勿論こう言ったからといって、私はマネーサプライ・ターゲティングやインフレーション・ターゲティングに意味がないと主張している訳では決してありません。私が申し上げたいことは、過去の歴史は、「最後の貸し手」であれ、金融政策であれ、環境の変化に合わせて通貨管理の具体的な手法を常に見直していく、すなわち、イノベーションが必要であることを示唆しているということです。

  • 3 Papers Relating to International Economic Conference, Genoa, April-May, 1992, 1992を参照。

3. グローバル金融危機後の中央銀行の政策対応

そこで次に、そうしたイノベーションという観点から、今回の深刻な金融危機の過程で、主要国中央銀行のとった様々な非伝統的な政策措置に話を移します。非伝統的な政策という言葉で思い浮かべる内容は論者によって異なりますが、金融危機の真っ只中でとられ「最後の貸し手」を強く意識した金融システムの安定を目的とした措置と、危機が収束した後の平常時にマクロ経済の安定化を目的としてとった金融政策とに分けてお話します4

まず、前者ですが、今回、主要国中央銀行のとった行動は、本質的に、バジョットの強調した「最後の貸し手」としての原則に沿った行動と言えます。しかし、当然のことながら、21世紀の金融システムは、バジョットの生きた19世紀のそれと、全く同じではありません。世界の中央銀行は、バジョットの想定していなかった新たな挑戦に直面し、様々な工夫を行いました。

  • 4 主要中央銀行がとった政策対応については、以下をご参照下さい。日本銀行企画局「今次金融危機における主要中央銀行の政策運営について」、2009年。Brian F. Madigan, Bagehot’s Dictum in Practice: Formulating and Implementing Policies to Combat the Financial Crisis, speech given at the Federal Reserve Bank of Kansas City’s Annual Economic Symposium, Jackson Hole, Wyoming, August 21, 2009.

スティグマの解消

第1の挑戦は、いわゆる「スティグマ」の解消です。危機に際しては流動性の積極的な供給が不可欠ですが、金融機関は、流動性供給を受けたという事実が明らかになると、そのことによって信用が低下したとみられるのではないかと警戒し、緊急時でも流動性供給を受けることを躊躇し、なんとしても市場で調達しようとしがちです。そうした金融機関の集合的な行動の結果として、流動性不足はさらに悪化し、金利水準も上昇します。

バジョットの世界では、個別金融機関との相対取引による資金供給が念頭に置かれていますが、こうした世界では、どうしてもスティグマが発生します。こうした事態への対応策として、主要国中央銀行は、新たな政策措置を導入しました。例えば、FRBは2007年に、金融機関への資金供給オペレーションの対象先を大幅に拡大し、期間も従来に比べて格段に長期化した上で、金利を入札で決定する政策措置—TAF(Term Auction Facility)—を導入しました。欧州中央銀行は2008年にオペレーション金利を政策金利に固定し、その上で対象先金融機関の希望する金額を上限なしに供給する金融調節を始めました。

市場流動性の枯渇への対応

第2の挑戦は、市場流動性の枯渇への対応です。バジョットの著書には、危機時における国債市場の流動性低下への記述もありますが、当時は現在と異なり複雑な金融商品もデリバティブ取引もありませんでした。したがって、システミック・リスクといえば、連鎖的な銀行預金の取付けが中心でした。しかし、金融のグローバル化、技術革新の進展の結果、システミック・リスクの発現形態は複雑化し、多様化してきました。市場取引の相手方の信用力に対する警戒感、すなわちカウンターパーティー・リスクが極度に高まると、取引相手が市場からいなくなる「市場流動性の枯渇」という事態へと発展しやすくなります。資産の投売りが広がって市場価格の急落が始まれば、資産の評価損によって多くの金融機関の自己資本が毀損され、ソルベンシーの問題へと発展する可能性もあります。そのような事態を防ぐためには、伝統的な「最後の貸し手」の手法による流動性供給だけでは十分ではありません。お互いに疑心暗鬼になっている市場参加者の間に立って、誰かが安心できるカウンターパーティーになる必要が生じます。危機において、その役割を果たしたのが中央銀行でした。

このような状況下、主要国中央銀行は、機能が著しく低下した市場での資金の取り手に対し、直接流動性を供給する政策を実施しました。例えば、FRBは2008年に、CPの発行体やABS保有者に資金を貸し出す政策措置を導入しました。日本銀行も、金融危機の直撃を受けた大企業の資金調達手段であるCPや社債の市場流動性の急激な低下に対処するために、CPやABCP、社債の買入れを行いました。

外貨流動性の供給

第3の挑戦は、外貨流動性の供給です。バジョットの時代、国内取引においては自国通貨が、国際取引においては金が流動性でした。バジョットの著作でも金の不足に対する懸念からイングランド銀行の最後の貸し手機能が適切に発揮されなかった事態への言及があります。今回のグローバル金融危機において、ドル資金市場の流動性は大きく低下しましたが、特にドルが母国通貨でない民間金融機関にとってドルの調達は極めて差し迫った課題となりました。自国の金融機関に対してドルを円滑に供給するためには、中央銀行自身がドルを無制限に供給できるという安心感が必要となります。このため、欧州中央銀行や日本銀行を含め主要中央銀行はFRBと通貨スワップ協定を締結し、ドルを調達した上で、自国でドル資金供給オペを導入しました。通貨スワップ協定はドル調達だけでなく、他の通貨についても行われました。例えば、欧州中央銀行とスイス国民銀行はスイス・フラン調達の通貨スワップ協定を締結しました。日本銀行と韓国銀行も円調達の通貨スワップ協定を締結し、それぞれ、外貨資金市場の安定回復に貢献しました。

非伝統的金融政策

今回の危機後、主要国中央銀行は、マクロ経済の安定化を目的とした非伝統的金融政策も実行しています。これは、短期金利のゼロ制約の下で、経済を安定的な回復軌道に乗せるため、いかにして緩和効果を創り出すかという課題への挑戦です。例えば、FRBが2010年秋に決定した国債買入れの増額は、長期国債を大規模に買い入れることにより、民間部門の金利リスクを吸収し、長期金利の低下を狙ったものです。日本銀行が2010年秋に決定した「包括的な金融緩和政策」も、非伝統的な措置を数多く盛り込んだ政策です。特に、金融政策としてのオペレーションの対象を、国債だけでなく、CP、社債、上場株式投信、不動産投資信託にまで拡張した点で、極めて異例性が強い措置です。日本銀行の買入れは、短期金利の低下余地が限界的となっている下で、各種リスク・プレミアムの縮小を通じて経済活動を刺激することを目的としています。

4. 1990年代の資産バブル崩壊後の日本銀行の政策対応

危機以降の経験を振り返ってみると、以上の非伝統的な政策は効果を発揮したと言えますが、同時に新たなチャレンジも突きつけています。この点は後でお話しますが、その話に入る前に、日本銀行が1990年代後半以降、格闘しながら採用してきた非伝統的政策について説明することをお許し下さい。日本銀行はバブルにしても、バブル崩壊以降の厳しい経済・金融情勢についても他国に先駆けて経験しました。今回は時間の制約もあり、詳しくお話しすることはできませんが、2001年から実施された量的緩和政策と時間軸政策の導入など、非伝統的な政策の採用という面で、孤独な先駆者(forerunner)であったと言えます。制度の細部は異なりますが、今回のグローバル金融危機の過程で、本質的に同じような措置が他の多くの中央銀行によって採用されました。このことは、今回、グローバル金融危機で現在我々が経験していることは、決して特殊な事例ではなく、ある程度普遍的な変化を反映していることを示しています。そうしたことを念頭に置きながら、日本銀行の非伝統的な政策措置を3つに絞って説明します5

  • 5 下記以外にも様々な革新的な措置を講じました。例えば、日本銀行は、2001年に、比較的長めの資金を地方所在の金融機関を含めて幅広く安定的に供給していく全店買入手形オペを導入しましたが、これは、前述のFRBのTAFと同様の政策措置です。

山一證券に対する資金供給

第1は、ソルベントかどうかが明確には判定できなかった証券会社への「最後の貸し手」としての資金供給です。1997年秋、日本の大手証券会社のひとつであった山一證券の多額の簿外債務が突然明らかになり、清算の方針が決まりました。ただし、同社は欧州に銀行子会社も有しており、法的な清算に直ちに移行することは、当時、他にも多くの不良債権を抱えた金融機関が存在していただけに、シスミック・リスクを引き起こす惧れが高いと判断されました。このため、日本銀行は、同社の秩序立った業務撤退を容易にするため、同社に対し無制限の資金供給をコミットしました。しかし、簿外債務の発覚は突然であり、しかも金融情勢が不安定な状況下では、純資産の価値にも不確実性が残りました。バジョットの「最後の貸し手」の原則は相手先金融機関がソルベントであり、したがって優良な担保を提供できることが前提となっています。それだけに、日本銀行の決断は極めて難しいものでした。残念ながら、この貸出は、その後、同社の法的破綻手続が進む中で、2005年に一部回収不能が確定しました。しかし、リーマン・ショック後とは異なり、四半期ベースでみて実質GDPが年率で2桁も落込むといった事態は回避できました。少なくとも、日本の1990年代後半の金融危機が、日本発のグローバル金融システムの動揺へと発展するという最悪の事態は避けられました。

外貨調達を容易にするためのツイスト・オペレーション

第2は、外貨資金供給面での工夫です。1990年代後半、日本の銀行は、深刻な信用不安の中、期間が特に長めのドル資金調達が困難になっていました。このような状況下、日本銀行は、資金供給オペレーションの一環として、長めの円資金を供給しました。日本の銀行は、これによって調達した円資金を為替スワップ市場でドルに変換しました。この取引は相手方である外国銀行からみますと、円資金を担保とするドル資金の貸付であることから、ゼロ金利環境にあっても円調達金利がマイナスであれば、日本の銀行の信用度が低くても取引に応じました。ただし、円資金の運用先が問題になります。ここでの格好の運用対象は日本銀行が円資金吸収のために振り出した有利子債務である売出手形でした。売出手形は安全でデフォルト・リスクがありません。一連の取引は、結局、日本銀行が日本の銀行と外国の銀行の間に立ってカウンターパーティーとなり、ドルの調達を円滑にする効果を持ちました。

銀行保有株の買取り

第3は、2002年に導入した銀行保有株の購入です。銀行は、当時、株式を多額に保有していました。このため、株式の価格変動リスクが、日本の銀行の抱える大きなリスクとなっており、株価の下落、貸出の抑制、実体経済悪化の負の相乗作用が問題となっていました。こうした状況下、日本銀行は銀行保有株の購入を決定しました。本措置は極めて異例な措置でしたが、銀行の株式保有に伴うリスクを軽減することを通じて、金融システムと実体経済の安定を確保する上で有効な手段でした。今回の金融危機ではFRBが信用緩和やLSAPと呼ばれる政策を採用しましたが、民間部門のリスクを中央銀行が吸収することを通じて、金融環境の改善を図るという点で、非常に似通っています。

5. 新たな挑戦課題

以上の事例が示すように、日本銀行は1990年代後半以降に、欧米中央銀行は今次グローバル金融危機というように、採用時期の違いはあるにせよ、主要国の中央銀行は、「最後の貸し手」として、また、金融政策当局者として、革新的な政策を実行してきました。これらの政策の効果もあって、1930年代のような大恐慌を回避することには成功しました。しかし同時に、各国の中央銀行が伝統的な行動の枠の外に出れば、それに伴う新たな挑戦課題にも直面することとなります。

政府と中央銀行の役割分担

第1の挑戦課題は政府と中央銀行の役割分担という問題です。危機時に「最後の貸し手」として行動する際、中央銀行は、直面している問題が流動性に関するものなのか、金融機関のソルベンシーに関するものなのかを判断しなければなりません。流動性不足の問題ならば、中央銀行は、バジョットの原則にしたがって行動すればよいでしょう。これに対し、金融機関のソルベンシーに問題がある場合には、政府が公的資金注入等の行動をとることが必要です。しかし、実際には、先程述べた日本の山一證券のケースのように、危機時においては、両者の区別は困難です。また、仮に判別ができても、公的資金の投入という政治的に不人気な決定は遅れがちです。しかし、金融危機はそうした政治的決定を待ってはくれません。

政府と中央銀行の役割分担という問題は、危機による急性の症状が過ぎ去った後も残っています。現在、主要国の政策金利は実質的にゼロ金利であり、バブル崩壊後のバランスシート制約に直面しています。例えば、米国の場合は家計部門のバランスシート調整を背景に、高い失業率が続いています。こうした状況下で、FRBは、本年6月まで総額6000億ドルの国債購入を実行することとしています。日本銀行は昨年秋に「包括的な金融緩和」を開始し、その一環として、社債やREIT、ETFも買い入れています。ゼロ金利の下で、金融政策を通じて景気刺激効果を追求しようとすると、信用リスクが相対的に高い資産を買い入れることにより、リスク・プレミアムの低下を図ることがひとつの有力な選択肢となります。これまでのところ、この政策措置は相応の効果を発揮しています。しかし、これらの措置は、最終的に中央銀行が損失を負担する可能性を否定できません。また、ミクロの資源・資金配分に介入する程度が強くなるなど、中央銀行が中立的な組織ではないと見られる惧れも高まっていきます。こうしたことが生じると、中央銀行に対する国民の信認という、中央銀行にとって最も重要な政策遂行の基盤が弱くなってきます。

中央銀行に独立性が与えられているのは、基本的には、その使命が流動性の供給だからです。個別の資源・資金配分に関与する度合いが強まるほど、そうした政策措置は準財政政策の色彩を帯びますが、民主主義社会において財政政策は議会において決定されるべきものです。しかし、一方で、経済や金融の安定を維持するために、何らかの危機に対応して機動的に行動することも必要です。この問題について普遍的に妥当する正解があるようには思えません。日本銀行について言えば、この難しい問題について、経済情勢の厳しさや切迫度、中央銀行の法律的な枠組み、社会の許容度等を踏まえて重い決断をしてきたと思います。

金融政策をどのような政策として捉えるべきか?

そのような難しい挑戦課題を考えるにつけ、何よりも、そうした状況に陥らないように予防措置をとることが重要という、自明なことを言わざるを得ません。この点では、金融政策の果たすべき役割について深く問い直すことが不可欠です6。過去20年間、金融政策はバブルにどのように対応すべきかというテーマほど、議論されたテーマはなかったように感じています。グローバル金融危機以前の正統的な考え方は、一言で言うと、バブルに金融政策は対応すべきではなく、バブルが崩壊した後に中央銀行が積極的な政策対応をとれば解決できる、というものでした。この文脈では、日本の「失われた10年」は、日本の政策対応の遅れが主因であるとして簡単に片付けられていました。しかし、米国の住宅バブルが崩壊して既に5年目に入ったにもかかわらず、この間、米国の実質GDPがほとんど拡大していない事実に直面して、そうした楽観的な見方を支持する論者はほとんどいないと思います。

過去20年間の経験から得られる第1の教訓は、「物価の安定は重要ではあるが、それだけでは経済の安定を意味しない」ということです。今回の金融危機の原因を振り返ると、資産価格の上昇、クレジットの増加、レバレッジの拡大、期間ミスマッチの拡大など、様々なかたちで、金融的不均衡が維持不可能なまでに蓄積されたことが挙げられます。この金融的不均衡の原因は複雑であり、金融機関のリスク管理の失敗、規制・監督の対応の遅れが間違いなく影響していますが、それがすべてではありません。金融的不均衡の根底には、低金利の持続予想がありました。金融危機に先立って、多くの先進国で観察された低インフレは、金融緩和が先行きも長期にわたって継続されるとの期待を生み出しました。バブルは低金利の持続予想だけでは起きませんが、それなしに起きないことも事実です。物価安定は重要ですが、足許の物価上昇率の動きだけに過度に焦点が当たると、物価安定の究極の目標である経済の安定から見て重要な金融システムの安定を阻害することにもなりかねません。

第2の教訓は、金融政策がファイン・チューニングの方向に振れ過ぎることの危険性です。もちろん、ファイン・チューニングができれば理想的ですが、金融政策にはそれ以上に中長期での金融経済の安定確保という重要な役割があるように思います。この点、ミルトン・フリードマンは1967年の米国経済学会における有名な会長講演の中で、「金融政策ができることについて、歴史が示唆している第1の、そして最も重要な教訓—これは、最も高尚な教訓であるが—は、金融政策は、通貨自体が経済混乱の主要な要因になることを防ぐことができるということである」と述べています。リーマン・ショック後に先進国のGDP水準が大きく落ち込み、現在の高い失業率が続いている姿を見るにつけ、通貨自体が経済混乱の主要な要因になることを防ぐ重要性を切実に感じます。

これらの教訓を現実に活かしていくことは容易ではありませんが、各国の政策当局はこうした課題に挑戦していかなければなりませんし、現に様々な取組みを行っています。この点、金融政策運営を考えてみますと、欧州中央銀行と日本銀行のアプローチは似ているように感じています。欧州中央銀行は、経済分析(economic analysis)で、経済・金融動向に焦点をあてつつ、短期から中期の物価の決定要因について評価し、マネタリー分析(monetary analysis)で、マネーの面から中・長期的な物価動向を評価し、これらをクロスチェックするというtwo pillar approachを採用しています。日本銀行の金融政策の枠組みは「2つの柱(perspective)」による政策運営ですが、第1の柱では、先行き1年から2年の経済・物価情勢について、最も蓋然性が高いと判断される見通しが、物価安定のもとでの持続的な成長の経路を辿っているかという観点から点検が行われます。第2の柱では、より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現するとの観点から、発生の確率は必ずしも大きくないものの、発生した場合には経済・物価に大きな影響を与える可能性のあるリスク要因も点検しています。様々な情報から金融面の不均衡についても点検する習慣(practice)を組み込んでいるという点で、日本銀行と欧州中央銀行の金融政策の枠組みには共通点があります。

金融政策上どのような枠組みを採用するにせよ、日本の経験や今次グローバル金融危機に示されるように、確率は小さいが起きれば非常に大きな影響を及ぼすリスク、すなわちテール・リスクへの備えは、今後ますます重要になっていくと考えられます。これらの課題はマクロ・プルーデンス政策という名前の下で議論がなされています。そのためには、まず、リスクの的確な把握が不可欠です。この点、欧州では本年1月、欧州システミック・リスク理事会が始まりました。そうした分析面の努力と同時に、社会として問われているのは、予防的措置をとることの是非であるように思います。この点では、独立性とマンデートの明確化は、マクロ・プルーデンス政策を運営するための大前提ですが、それだけで必要な政策がとられると考えるのは楽観的です。たとえ経済環境が良好に見えたとしても、バブルが起こるとその後のコストは極めて高くつくので、あえて「パンチボール」を持ち去ることが必要という考え方が、社会全体として受け入れられるかどうかが重要な鍵を握っています。

  • 6 白川方明「中央銀行の政策哲学再考—エコノミック・クラブNYにおける講演の邦訳—」、2010年 を参照。

6. 最後に

本日は、「通貨管理におけるイノベーションと挑戦の150年」と題して、話を進めてきました。本日ご説明した4つのイノベーションは、通貨の管理、したがって、経済の安定を実現する上で重要な役割を果たしてきました。しかし実際の適用に当たっては、常に金融・経済環境の変化に合わせて見直しが必要です。「最後の貸し手」、独立性、金融政策に関し、我々が直面している挑戦については、既に論じてきました。4つのイノベーションの最初に私が挙げた中央銀行という存在自体についても、環境の変化に合わせた対応が不可欠です。次の150年を考えると、金融経済のグローバル化は一段と進展していると予想されます。そのような状況の下で、中央銀行が各国におけるlocal bankではなく、真に「中央銀行」として機能するためには、中央銀行間の協力は不可欠です。協力は中央銀行間に止まらず、各国の政府、民間の様々なレベルでも必要です。この点、日独両国の友好関係、協力関係のさらなる発展を祈念しつつ、本日の話を締めくくりたいと思います。

ご清聴、ありがとうございました。