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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営

神奈川県金融経済懇談会における挨拶

日本銀行副総裁 西村 清彦
2011年4月21日

目次

1. はじめに

日本銀行の西村でございます。東日本大震災から1か月ほどが経ちました。今回の震災では、多くの尊い命が奪われたうえ、今なお多くの行方不明の方がいらっしゃいます。今回の震災で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、現在も多くの方々が厳しい生活を余儀なくされています。被災者の皆様に対して、心よりお見舞い申し上げます。

神奈川県でも、計画停電などによって震災の影響を受けた方が多数いらっしゃいます。そうした中であるにもかかわらず、本日は、神奈川県の行政および金融・経済界を代表する皆様にお集まりいただき、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃より、横浜支店による様々な業務運営にご協力を頂いております。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

本日は、皆様と意見交換をさせて頂くのに先立ち、私から、震災の影響を踏まえたわが国の経済・物価情勢と震災後の日本銀行の対応を中心に、お話させていただきます。

2. 世界経済の動向

まず、わが国の経済情勢をお話する前に、世界経済の動向をご説明します。

世界経済をみると、昨年前半は、2008年秋のリーマン破綻に端を発する金融危機に起因する大幅な落ち込みから回復する過程を辿りました。しかし、夏から秋にかけて景気回復のスピードが一時的に鈍化し、回復の動きが足踏みする局面もみられました。深い落ち込みの後の景気回復では、その初期に、大きく落ちた在庫水準を旧来水準まで戻す動きなどがしばしばみられ、急速な立ち上がり局面となります。それが一段落したことや、加えて各国が危機対応として講じた自動車購入への補助金などの需要刺激策の効果がほぼ出尽くしたことなどが、この足踏みの背景にあります。

もっとも、昨年の秋の終わり頃から、世界経済はこうした一時的な減速局面から脱出し、再び成長率を高めています。

地域別にみますと、新興国・資源国では、昨年秋以降、成長が加速しました。現在も、高い伸びを示す家計消費に加え、社会インフラや工場建設・機械設備などへの投資需要が続いています。一部の国では、先進国の大規模な金融緩和策を背景に、先進国で有利な運用機会を見出せない資金も流入しており、これが資産取引や投資活動を通じて経済活動を刺激し、これらの国の景気拡大を促す働きをしていると言われています。

先進国に目を転じますと、米国経済は、昨年夏から秋にかけて財政刺激策の効果の減衰などから減速傾向を示しましたが、その後、秋の終わり頃からは、一段の金融緩和や、減税措置延長などの財政刺激策の効果などもあって、緩やかな回復経路に戻ったようにみえます。欧州経済は、ドイツや北欧のように新興国向けの輸出増を主因に好調な回復を辿っている国と、深刻な財政問題に直面し厳しい経済運営を余儀なくされているギリシャ、アイルランド、ポルトガルといった周縁国と呼ばれる国々、その中間に緩やかな回復を続けるフランスなどがいます。three speed economyともいえる状況ですが、欧州全体としてみれば、緩やかに回復していると判断しています。

先行きについても、世界経済は、引き続き、新興国・資源国経済の高成長に牽引される形で、回復を続けていくことが予想されます。世界経済全体の成長率は、2010年に続き、2011年、2012年も、リーマン破綻後の金融危機以前の10年間の平均を上回って推移する可能性が高いと考えています。もっとも、先進国では米国のバランスシート調整の問題や先ほど述べた欧州周縁国の財政問題があるほか、先進国に比べてエネルギーや流通の効率が低い新興国・資源国が高成長を続けるもとで、国際商品市況が高止まりするなど、世界の経済・物価情勢を巡る不確実性は高い状況が続いています。

3. わが国の経済・物価情勢

震災前までのわが国の経済情勢

世界経済がこのように推移するもとで、わが国経済は、昨年秋口から年末にかけて、景気改善の動きが弱まり、踊り場といえる状況となりました。海外経済が回復するスピードが一時的に鈍化したことに加えて、夏場の円高の影響やパソコンなどの情報関連財で在庫調整が起こったことの影響もあり、自動車関連や資本財・部品、電子部品などを中心に輸出が弱めの動きとなったことが大きな要因でした。

もっとも、今年に入ってからは、海外経済の成長率が再び高まり、輸出や生産が増加基調に戻りつつありました。加えて、個人消費は、自動車販売がエコカー補助金終了後の落ち込みから改善傾向を示していたほか、設備投資や住宅投資も金融危機後の大きな減少から持ち直しつつありました。このように、震災前までの日本経済は、景気の踊り場から徐々に脱しつつある状況であったと言えます。

震災後のわが国の経済情勢

こうした状況は、3月11日に発生した東日本大震災の影響により大きく変化しました。

東日本大震災で毀損した資本設備等の額は、内閣府の試算で約16〜25兆円、わが国の1年間の名目生産額の約3〜5%と推計されています。今回の震災の被害規模は、毀損した資本の額が約10兆円であった阪神・淡路大震災を大きく上回るものでした。明治以降の自然災害の中で今回の被害規模を上回るのは、死者・行方不明者数が10万人を超えて、直接的な被害額が当時の国民総生産額の3割に及んだ1923年の関東大震災だけです。

震災後のわが国の経済情勢をみますと、生産面を中心に下押し圧力の強い状態にあります。今回の震災の影響によって、次に述べるような供給面の制約が生じた結果、一部の業種で生産活動が大きく低下しており、輸出や国内向けの出荷に大きな影響が及んでいます。また、こうしたもとで、企業の業況感も悪化し、消費者の購買意欲も冷えてきています。

震災がもたらした供給面の制約のひとつは、広範囲に亘って生産設備が毀損したことと、部品供給ネットワーク、いわゆるサプライチェーンが円滑に機能しなくなったことです。阪神・淡路大震災では、直撃を受けた兵庫県南部の都市機能が壊滅的な打撃を被りましたが、被災地域自体は一定の範囲に限定されていました。今回の震災では、広範囲に壊滅的な打撃が生じ、電気機械、一般機械など多くの業種の生産設備が損壊しました。当地企業の中にも、東北地方の生産拠点が被災された先があると伺っております。被災地では、電子部品・デバイスの生産が盛んで、世界で圧倒的なシェアを持つオンリーワンの部品を生産する部品メーカーも少なくありませんでした。こうしたメーカーの生産設備の毀損は、製品のエレクトロニクス化が進展し、厳しい品質管理のもとで部品のカスタマイズを進めてきた自動車メーカーを筆頭として、多くの企業の部品調達を困難にし、全国的に生産活動を制約するようになりました。

もうひとつの供給面の制約は、電力供給面の制約です。今回の震災では、福島第一原子力発電所だけではなく、幾つかの火力発電所が被災したため、東京電力管内では、電力供給能力の2割強が失われています。東北電力でも、電力供給能力の約3割を毀損しています。このため、関東・東北地方では、電力供給制約による不意の大規模停電を避けるために計画停電が一時実施されるなど、電力の安定供給に支障が生じました。食料品や化学など、生産設備の立ち上げ・立ち下げに時間がかかる業種や、製品の品質維持のために常時機械の通電が必要な業種があります。こうした業種では生産設備そのものに大きな損害がなくても、電力の安定供給が確保されないために、生産水準の低下につながったとの声が聞かれています。

この間、需要面では、生活必需品などに対する需要が一時的には増加しましたが、先行き不透明感の高まりで企業の投資意欲や家計の購買意欲が減退し、設備投資や個人消費を全般的に下押ししているとみられます。例えば、家計の購買意欲の減退と電力供給制限による営業時間の短縮化が重なり、家電販売店や百貨店では、震災後、売上高が大きく減少したとの声も聞かれています。

わが国経済の先行きを展望する際の視点

次に、わが国経済の先行き見通しについて、お話しさせていただきます。

日本銀行では、四半期に一度、経済・物価の先行き見通しを示しており、来週28日の金融政策決定会合では、2012年度までの見通しを示す予定です。そこで、本席では、わが国経済・物価の先行きを展望していく上で大事だと考えられる3つの視点について、お話ししたいと思います。

第一の視点は、現在、わが国経済が直面する様々な供給面の制約が、いつ、どのように、どの程度解消していくかです。

震災後の日本経済の大幅な落ち込みは、端的に言えば震災・津波による電力供給能力を含めた資本設備の毀損という供給面でのショックを出発点としたものです。したがって、先行きを見通していく上では、震災がもたらした供給面の制約がいつ、どのように解消されていくかが、大事なポイントになります。

供給面の制約が解消される時期については、なお不確実性が高いと言わざるを得ません。これは、次の3つの問題に関する不透明感が強いためです。

まず、震災で毀損した生産能力の復旧を巡る不透明感が強いことです。現在、企業は、被災した生産設備の再稼働や、被災地以外の拠点における代替生産の推進などに、懸命に取り組んでいます。もっとも、こうした取り組み自体も、電力供給が安定的でないなど様々な供給面の制約によってなかなか進捗しない状況が続いています。さらに、被災地で生産されていた電子部品や高機能素材の一部に、高度の品質が要求され、カスタマイズの程度が高いため、代替が難しいものが含まれていることも、制約の解消をより難しくしています。

次に、今述べた生産能力の復旧とも関連していますが、寸断されたサプライチェーンをいつ修復できるかも不透明です。現在、企業は、海外を含めた代替的な調達先の確保や製品仕様の見直しなどを通じて、サプライチェーンの回復、あるいは再構築を進めています。ただし、サプライチェーンは複雑で相互に繋がったネットワークですから、その一角で生じたボトルネックの影響の大きさを正確に把握し、それに対処することには様々な困難が付きまといます。このため、サプライチェーンの再構築には、相応の時間を要するとみられています。

さらに、電力供給面の制約の解消時期も不透明です。現在、電力会社等は、電力供給能力の回復に向けて設備の再稼働等、精一杯の努力をしています。また、企業は、勤務体系の見直し——例えば、神奈川県内のある企業では、一部セクションの始業時間を2時間前倒しにしたそうです——や、夜間・休日稼働といったオペレーション上の工夫、あるいは、自家発電の活用などの対応を進めています。家計に対しても節電の呼びかけがなされ、自主的な節電の取り組みが進んでいます。こうした取り組みによって、現時点では、電力不足に伴う経済活動の制約は、一頃に比べて緩和しています。もっとも、夏場には、夏季の冷房需要という形で電力需要が増加するため、電力需給が再び逼迫し、一定の供給制約が顕現化する可能性が高いと思われます。

以上の点を勘案すると、供給面の制約が直ちに解消するとは考えにくく、わが国経済は、当面、生産面を中心に下押し圧力が強い状況が続くとみざるをえません。もっとも、秋口以降を展望すれば、電力の需給逼迫が改善に向かうとともに、サプライチェーンの再構築も進む結果、供給面の制約が和らいでくることが予想されます。そうなれば、世界経済が新興国・資源国に牽引されて高い成長を続けているもとで——今のところその可能性が高いと考えられますが——、生産活動の回復とそれに伴う輸出の増加が、日本経済の回復を支える原動力のひとつとなると見込まれます。

震災後のわが国経済を展望していく際の第二の視点は、海外経済の先行きを巡る不確実性をどのように考えるかです。この点は、今後のわが国経済の回復を支える起点のひとつが海外経済の成長であるだけに重要なポイントとなります。

海外経済については、まず、上振れ要因として、震災前から指摘されていたとおり、旺盛な内需や海外からの資本流入を受けた新興国・資源国経済がさらに成長を高める可能性があります。これらの国の多くでは、金融緩和策の修正を進めていますが、例えば、中国で不動産価格や賃金の上昇が明確になっているなど、景気の過熱やインフレに対する懸念は依然払拭されていません。一方、下振れ要因としては、欧州周縁国の財政問題などをきっかけとした国際金融市場の動向や、一頃に比べて低下しているとはいえ、米欧経済の先行きを巡る不確実性があります。

震災後のわが国経済を展望する際に大事だと考えられる第三の視点は、震災によって毀損した資本ストックの復元に向けた動きがどのように現われてくるかという点と、福島第一原子力発電所事故などを通じた間接的な影響が、今後時間の経過に伴ってどのように変化していくかという点です。

これまでご説明してきたとおり、震災の影響としては、短期的には供給面の制約に伴う影響が大きく出てきます。しかし、その後、供給面の制約が和らぐとともに、震災によって毀損した道路や港湾、工場や商業施設、住宅といった資本ストックを官民で復元する動きが顕在化してきます。こうしたいわゆる「復興需要」が出てくれば、それは経済を押し上げる方向で寄与してくるものと考えられます。ただ、こうした需要がいつ、どの程度の規模で顕現化してくるかについては、現在のところまだ不確実性が大きいと言わざるを得ません。

また、より長期的な視点からは、震災がわが国の経済構造や趨勢的な成長力に及ぼす影響も、重要です。私は、原子力発電所の問題そのものについての専門家ではありませんが、経済への影響という点では、福島第一原子力発電所事故の解決が長期化し、電力の供給能力不足が続くリスク、また風評被害が内外で拡がり、輸出や観光に大きな影響が生じるリスクには、留意が必要だと思っています。また、企業のサプライチェーン再構築の過程で結果的に生産の海外移転の動きが加速するおそれや、震災と原発事故が企業や家計の投資意欲、購買意欲を冷やし、個人消費や国内設備投資を低迷させ、ひいては国内の成長期待を低下させるリスクも考えられます。

物価を取り巻く環境

経済情勢に続いて、わが国の物価情勢についてお話しさせていただきます。

最近の物価動向をみますと、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、下落幅が縮小を続けています。特に、一時的な要因である高校授業料の実質無償化等の影響を除いてみますと、国際商品市況の上昇の影響などから、最近では、前年比が小幅のプラスとなっています。

物価を取り巻く環境を展望しますと、震災の影響による供給面の制約から、個々の財やサービス市場では、短期的にボトルネック的な状況が発生する可能性はあります。しかし、マクロ的な需給バランスという面で考えてみますと、震災の影響により供給面の制約が厳しくなると同時に、企業の投資意欲、家計の購買意欲が減退し需要も落ち込む結果、需給バランスが短期的にどちらに向かうかは判然としません。もっとも、やや長い目でみれば、景気が緩やかな回復経路に戻っていくにつれて、マクロ的な需給バランスが徐々に改善していくとの見方が基本になろうかと思います。

物価の先行きについては、このほかにも、様々な不確実性があります。まず、仮に企業や家計の中長期的な予想物価上昇率が低下すれば、実際の物価も下振れるリスクがあります。この点で、本年8月には、消費者物価指数の基準改定が予定されており、それに伴い前年比が下方改定される可能性が高い点には注意が必要です。それによって、企業や家計の予想物価上昇率が影響を受けることがないか、点検していく必要があります。一方、国際商品市況が一段と上昇すれば、わが国の物価が上振れる可能性があります。為替相場も、大きく変動すれば、実体経済の動きを通じた波及経路に加えて、輸入物価を通じて消費者物価に影響を及ぼします。

4. 震災後の日本銀行の対応

以上ご説明したように、震災はわが国経済に大きな変化をもたらしました。今回の震災に対して、日本銀行は、震災発生直後から、主に金融・決済機能の維持、金融市場の安定確保、経済の下支えという3つの観点から、様々な措置を積極的に講じてきました。以下では、こうした日本銀行の対応をご説明します。

金融・決済機能の維持

今回の震災後、日本銀行として真っ先に取り組んだことは、金融面の安全・安心を最大限確保することでした。経済を巡る不透明感が強い中で、人々の不安心理の高まりを抑えるためには、金融のインフラストラクチャー(基盤)をしっかりと維持することが最重要な課題のひとつとなります。そのため、日本銀行は、人々の生活の基盤である金融・決済機能の維持に万全を期するとともに、金融市場の安定確保に努めました。

金融・決済機能の維持という観点では、日本銀行は、まず、被災地における現金需要に応えるため、地震発生直後から、休日、平日を問わず、被災地への現金供給に万全を期してきました。被災地では、多くの金融機関が、自らも被災したにもかかわらず、強い使命感で業務復旧に取り組み、できる限りの店舗を開き1、被災者の現金需要を満たすための預金引き出しや、企業の運転資金や手許資金需要の高まりに、円滑に対応してきました。日本銀行の東北地方の支店・事務所では、被災のひどかった仙台や福島の支店を含めて、地震直後の週末から現金供給に努め、地震発生後1週間で累計3,100億円以上の現金を払い出しました。これは、平年同時期の支払高の3倍に相当する量です。

次に、日本銀行は、地震発生当日、金融庁と連携し、金融機関に対して、預金通帳や印鑑等を紛失した場合における預金等の払い戻しなどの措置を適切に講じるように要請しました。

さらに、日本銀行は、地震や津波で損傷した銀行券や貨幣の引き換えにも応じるなど2、中央銀行の立場からの被災地支援を続けています。

資金決済・証券決済の面では、日本銀行が運営する日銀ネット——これは、わが国の資金決済と国債決済の根幹をなす決済システムです——をはじめ、主要な決済システムは、関係者のご努力もあって、震災後の様々な困難にもかかわらず、震災直後から今日に至るまで安定的な稼働を続けています。

  • 1 金融庁によると、4月15日現在、被災地の金融機関の店舗のうち95%が営業しています。
  • 2 日本銀行では、汚染、損傷などにより使用することが困難となった銀行券や、磨損などにより流通に不適当となった貨幣を、法令に定める基準に基づき、新しいお金に引き換えています。この引換事務は、日本銀行の本店およびすべての支店において受け付けています。また、日本銀行の本支店から離れた地域にお住まいの方々は、お近くの金融機関にお申し出ください。金融機関に対しては、汚れた紙幣の引換えに応じて頂けるよう要請をしております。なお、銀行券が破れたり、燃えたりした場合は、表・裏両面があることを条件に、次の面積基準で新しい銀行券との引換えを行っています。
    ・面積が3分の2以上の場合は全額として引換え。
    ・面積が5分の2以上、3分の2未満の場合は半額として引換え。
    ・面積が5分の2未満の場合は銀行券としての価値は無くお引換えできません。

金融市場の安定確保

震災後の金融市場の安定確保という観点では、日本銀行は、地震発生以降、潤沢な資金供給を続けています。経済が大きな危機に直面し、先行きの不透明感が高まると、金融市場では、市場参加者が手許資金を厚めに確保しようと行動します。ここで十分な資金を確保できないと、不安感の高まりから金融市場が混乱し、延いては経済に悪影響を与えます3。このため、日本銀行は、地震直後から金融市場に対して極めて潤沢に資金を供給し、資金調達面での安心感を維持することで、金融市場の安定を確保し、金融面から企業活動や人々の生活に負の影響が及ぶことがないようにしてきました。

この点をやや詳しく述べますと、震災後の週明け月曜日、3月14日には、金融機関の予備的な資金需要が急激に高まり、短期金融市場の緊張度が高まりました。このため、日本銀行は、同日、リーマン破綻後の金融危機時の最大額である8.1兆円の3倍に近い21.8兆円の資金供給を行いました。その後も、連日、市場の需要を十分に満たす大量の資金供給を続けました。その結果、日本銀行の当座預金残高は、かつての量的緩和政策当時のピークである36兆円を大幅に上回りました。

日本銀行では、また、単に資金を潤沢に供給するという量的な観点だけではなく、市場の状況に応じてオペの種類やタイミングをきめ細かく工夫しました。例えば、震災後の先行き不透明感から、CP市場における資金仲介がやや低調になったことを踏まえて、3月22日には1年ぶりにCP買現先オペを実施したほか、25日にはCP買入れオペも行いました。その結果、CPの発行スプレッドは震災前を若干上回る程度まで低下し4、CPを用いた資金調達が順調に行われるようになりました。

また、米国連邦準備制度と協力して、わが国における金融市場参加者への米ドル資金供給を行う米ドル資金供給オペについても、3月29日から、従来の3か月物に加えて、1週間物のオファーも開始しました。当時、国内の金融機関の間で米ドル資金の調達に問題があった訳ではありません。むしろ、利便性の高い米ドルの調達手段を予め用意しておくことにより、不安心理の拡がりやリスク回避姿勢の強まりが経済活動に悪影響を与えることを未然に防止することを目的としたものでした。従って応札はありませんでしたが、このオペの存在は大きな安心感を市場に与えたと言われています。

  • 3 例えば、1906年のサンフランシスコ地震の後、流動性が不足し、米国経済全体が大きく混乱したことが知られています(Bruner, Robert and Sean Carr, The Panic of 1907: Lessons Learned from the Market Perfect Storm. August 2007, Wiley.などをご覧ください)。
  • 4 a-1格の3か月物CP発行スプレッドは、震災前の0.00〜0.03%から、震災直後には0.06〜0.12%に拡大しましたが、3月28日〜4月1日には0.03%まで縮小し、最近では震災前とほぼ同水準となっています(データは、証券保管振替機構が公表する事業法人<除く電気・ガス・その他金融>の平均値)。

経済の下支えを目的とする金融緩和の強化

加えて、経済の下支えという観点からも、日本銀行は迅速に行動しました。日本銀行では、地震発生後の週明けから2日間の予定で金融政策決定会合を開催することになっていましたが、いち早く震災の影響を点検し、金融政策運営方針を公表することによって、金融市場の安定を促すことが望ましいと考え、日程を1日に短縮した上、地震後の最初の営業日である3月14日に金融緩和の強化を決定しました。

震災発生直後に懸念されたのは、震災によって企業マインドが悪化したり、金融市場におけるリスク回避姿勢が高まり、それらがリスク・プレミアムの拡大などを通じて実体経済に悪影響を及ぼすことでした。そこで、日本銀行は、ETFやJ−REITなどのリスク性資産を中心に、資産買入等の基金による資産買入れ額を従来の2倍の10兆円程度とすることを決定しました。

震災後の金融システムと金融環境

こうした対応もあって、わが国では、震災後も、金融・決済機能が維持されたほか、金融市場の安定も確保されています。

震災による金融システム面への影響をみてみますと、先ほど述べたとおり、今回の震災では、数多くの金融機関の店舗が被災しました。もっとも、これまで金融機関が増資や内部留保を通じて自己資本の充実に努めてきたことや、日本銀行の潤沢な資金供給もあって、金融機関の資金繰りに不安がみられないことなどから、今回の震災によって、わが国の金融システムの安定が脅かされることにはならないと考えています。

そうした中で、わが国の企業や家計を取り巻く金融環境については、総じて緩和の動きが続いています。ただし、震災後、中小企業を中心に、企業の資金繰りに厳しさが窺われる状況にあることは承知しています。神奈川県内でも、売上金で資金を回転させる傾向が強い非製造業の一部で、資金繰り面への影響を心配する声があがっていると伺っております。

被災地金融機関を支援する資金供給オペと担保適格要件の緩和

ここまでご説明してきた日本銀行の措置は、震災直後の緊急時に対応したものでした。これに加えて前回、4月初めの金融政策決定会合では、次のステップとして、今後の被災地の復旧・復興が着実に進むよう、被災地金融機関の円滑な金融機能の発揮を支援する必要があると判断しました。

具体的には、被災地に営業所を有する金融機関に対して、今後予想される復旧・復興に向けた資金需要への初期対応を支援するため、期間1年の資金を0.1%の超低利で供給するオペレーションを総額1兆円の規模で実施することとしました。併せて、今後の被災地金融機関の資金調達余力を確保する観点から、担保適格要件の緩和も図ることとしました。

この判断の背景を若干ご説明いたします。マクロ経済の視点からみれば、家計部門と企業部門の貯蓄超過状態が続いているため、資金は潤沢にあり、金融機関の資金調達が困難になる状況ではありません。しかし、被災地の金融機関に対しては、当座の現金需要や運転資金、生活資金の需要に始まり、今後は、復旧・復興に向けた資金需要が多く寄せられることが予想されます。一方、被災地の被害状況に鑑みれば、当面、預金が集まりにくい状況が続くほか、既存の貸付金の返済猶予の影響も出てくると思われます。こうした中では、現在の潤沢な資金供給に加え、さらに長めの資金供給が行われれば、被災地の金融機関にとって、資金調達面の安心感につながると考えられます。また、被災地で金融機関が金融機能を円滑に発揮していくことは、人々に安心感をもっていただくことにもつながると考えられます。

以上、震災後の日本銀行の政策対応についてご説明しました。日本銀行としては、引き続き、震災の影響を始め、先行きの経済・物価動向を注意深く点検したうえで、必要と判断される場合には、適切な措置を講じていく方針です。

5. おわりに

今回の金融経済懇談会で当地に伺わせていただくに際し、かつて祖母から、横浜市が関東大震災で壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、被災後数年で見事な復興を遂げたとの話を聞いたことを思い出しました。

1923年9月1日に発生した関東大震災は、横浜市に甚大な被害をもたらしました。横浜市では、死者・行方不明者が2万人超——当時の横浜市の人口の5%程度——に達しました。これは、当時の人口に対する比率において、東京市の人的被害を上回るものでした5。また、地震直後から生じた大規模な火災によって市街地の8割程度が焼失しました。当時の横浜市長の言葉によると6、「横浜はもはや蘇ることはできない」という風聞が拡がるほどの惨状でした。しかし、震災から1年後、横浜市では、震災で失われた家屋の4割強に当たる約3万戸が新設され、銀行預金残高も震災前を上回る水準になりました7。そして、震災から4年後、横浜市の人口は、53万人に達し、震災前の45万人を大きく上回りました。

関東大震災からの横浜市の復興は、復旧に止まらず、震災前からの課題であった商業貿易のみに依存した都市から脱し、工業化を目指すものであったことが特徴でした8。計画では、土地区画の整理や道路網・公園の整備なども、大胆に盛り込まれていました。また、復興に合わせて、都市部と郊外を結ぶ鉄道網も発達し、工業地や住宅地の開発が進みました。

このように横浜市の復興事業が成功した背景には、当時の人々の復興に向けた前向きの強い精神力と、復興を新しい成長の見取り図を描く機会にした進取の気質があったと思います。横浜市の復興を牽引した「横浜市復興会」の会長であった原三渓(富太郎)の言葉を借りれば、「横浜市は焼け野原になったが、それは外形を焼いただけであり、横浜市の本体はここにいる人々の精神である、元気である」9ということです。そしてさらには再び原三渓を引用することをお許しいただければ、「横浜は、一枚の白紙になった。白紙である以上、自由に絵が描けるのである。新しい文化を取り入れて、最新の絵を描けばよい」10ということだったのではないかと思います。

今回の震災からの被災地の復興が、関東大震災後の横浜市と同様、着実に進み、さらにはより成長力の高い経済を築くことにつながるものとなることを祈念して、私の挨拶を終わらせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

  • 5 東京市の死者・行方不明者数が人口に占める割合は、2%台でした。
  • 6 当時の渡辺勝三郎横浜市長の挨拶「先第一に震災後横浜市の荒廃したる状態に面して、もう横浜というものは再び蘇返られぬものであるとて、横浜を去らむとする人も有力者有識者の中にも極めて多かつたのであります、従つて世間は横浜と云ふものは再び蘇返ることが出来ないものである、横浜港と云ふものは潰れて昔の寒村に帰るのであると云ふ風聞が、世間に伝へられたのであります。」(出典:藤本實也、『原三渓翁伝』、思文閣出版、2009年10月、以下、『原三渓翁伝』)
  • 7 『原三渓翁伝』に基づく。
  • 8 横浜都市発展記念館、「ハマ発Newsletter第1号」に基づく。
  • 9 「今回(の震災)は横浜開港以来吾々祖先が其の心血を注いで六十年来蓄積した処の総ての機関も組織も挙げて一朝の烟(けむり)と消えしめました。乍併(しかしながら)此は言はば横浜の外形を焼尽したと云ふべきものでありまして、横浜市の本体は儼然(げんぜん)として尚存在して居るのであります。横浜市の本体とは市民の精神であります、市民の元気であります」(『原三渓翁伝』)
  • 10 「然るに現在の横浜は全く一枚の白紙になつたのであります。茲(ここ)に如何なる最新の計画をなさらうとも、又如何なる名画を御書きにならうとも、総て皆様の御自由であります。今日は最新の文化を利用するに於て千載一遇の機会を天より賦与せられたものと言はねばならぬ、之が此の不幸中に見出し得た処の第二の光明であります。」(『原三渓翁伝』)