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【発言要旨】高度成長から安定成長へ—日本の経験と新興国経済への含意—

フィンランド中央銀行創立200周年記念会議における発言の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2011年5月5日

目次

1. はじめに

フィンランド中銀の創立200周年記念会議にお招き頂き、大変光栄に存じます1

世界の経済的な力のシフト(Global Shifts)を扱う本セッションへの自分の貢献の仕方を考えた結果、日本の高度成長期以降の経験と現在の新興国経済の高度成長を比較することで、パネリストとしての役目を果たすことにしました。あまり知られていないことですが、日本の基幹産業である自動車産業の欧州進出は、1962年にフィンランドから始まりました。当時、知名度の低かった日本メーカーが、車の安全性をフィンランドで証明するために、スキーのジャンプ台から運転手ごと車を滑降させたというエピソードが残っています。そうした日本企業の武勇伝が生まれた1960年代が、本日私がお話をさせて頂く、日本の高度成長の最盛期にあたります。

言うまでもなく、現在における高度成長経済は新興国です。過去10年間における世界経済の実質成長率は+3.6%ですが、その内訳をみると、BRICs 経済の成長率は+7.9%、BRICs 以外の国の成長率は+2.1%と、大きな成長率格差があります(図表1)。これらの数字を機械的に引き伸ばすと、2040年頃には世界経済に占めるBRICs 経済のシェアが8割を超える計算になりますが、そうしたことが実現するとは勿論考えられません。過去の経済史が示すように、高度成長を続ける経済もいずれかの時点で必ず成熟期を迎えます。日本の高度成長もそうでした。

2. 日本の成長パターンの推移

高度成長期

日本の戦後の復興は、第二次世界大戦でGDPの86%に上る資本ストックを毀損した状態から始まりました。高度成長期は1950年代の中頃に始まり1970年代初頭に終わったというのが通説です。この15年間の成長率は年平均で約10%に達しました(図表2)。日本の高度成長を可能にした条件として、私は以下の3つが重要だと思っています。

第1は、有利な人口動態です(図表3)。高度成長期に人口は毎年1%のペースで増加し、若い労働人口が生産・消費の担い手として成長に貢献しました。高度成長が始まった時期の農業人口比率は約40%にも上っていましたが、農村の余剰労働力の都市への移動という形で、生産性の高い工業部門の成長が可能となりました。

第2は、競争メカニズムの活用です。日本の高度成長の背景として、「日本株式会社」といった言葉で示されるような政府の産業政策の影響を指摘する見解もありますが、その影響はやや誇張されているように感じています。現在の日本を代表する企業の歴史を振り返ると、高度成長期に、政府の産業政策の異端児として新規参入したり、そもそも保護の対象にもならなかった先が少なくありません。また、手厚い保護を受けた産業や企業がその後、活力を失っていった例も少なくありません。競争は、旺盛な企業家精神を刺激し、先進国へのキャッチアップのための技術革新を生み出すことで、日本の高度成長を支えました。

第3は、世界の自由貿易体制の恩恵を享受したことです。日本の高度成長期の実質成長率に対する寄与度をみると(図表4)、主役は圧倒的に内需ですが、このことは海外経済の果たした重要な役割を否定するものではありません。鉄鋼や電気製品、そして冒頭で武勇伝を紹介した自動車産業に代表されるように、日本は、拡大する世界市場を対象に生産財や消費財を大量に生産し、その輸出で得た外貨で原材料を輸入するという形で、経済を発展させました。そうした成長モデルが可能であった基本的な条件は、世界経済が成長し、自由貿易体制が維持されていることでした。

バブルとその崩壊

日本は1970年代に入って高度成長期を終え、成長率は徐々に低下しましたが、それでも1970年代から1980年代を通して、先進主要国の中では相対的に高い成長率を維持しました(図表5)。生産年齢人口の増加と高い国際競争力が、日本経済の成長を支え続けたことが基本的な背景として挙げられます。しかし、1990年代以降は、バブル崩壊と金融危機を経験する中で、成長率は他の先進主要国を下回るようになりました。バブル崩壊後の長期間にわたる日本経済の低迷には、以下の3つの要因が影響しています。

第1は、言うまでもなく、バブル崩壊の直接的な影響です。バランスシート問題を抱えた民間部門は支出を抑制し、不良債権問題を抱えた銀行の信用仲介機能は低下しました。ただし、これらは1990年代の低成長の重要な要因ではありますが、2000年代の成長率の低迷を説明する要因ではありません。

第2は、日本の企業の高成長を支えたビジネス・モデルが経済環境の変化に適合しなくなったことです。日本の企業の強みは、ジャスト・イン・タイムと呼ばれる徹底した生産・在庫管理や英語にもなっている「カイゼン」の取り組みに代表されるような、オペレーション上の効率性追求によってコストを引き下げ、大量に生産・販売を行うことでした。そうした効率性の追求は重要ですが、アジア新興国などが技術革新によって急速に先進国へキャッチアップし、グローバルな競争が激しくなる下では、こうした努力だけで利益が増加する訳ではありません。iPhoneのコスト構造を分析した調査がありますが(図表6)、これをみると、1台500ドルのiPhoneの販売価格の中で、部品コストは173ドルであり、組み立てコストに至っては6.5ドルに過ぎません。これに対し粗利益は321ドルにも上っています。言い換えると、iPhoneという製品のアイデアを考え出し、これを製品化することの付加価値がいかに大きいかということを示しています。

第3は、人口動態の変化です(図表7)。わが国の生産年齢人口、つまり15歳から64 歳の働き手の人口は1990年代半ばから減少に転じました。これは、高齢化が急速に進んでいるということにほかなりません。人口に占める65歳以上の高齢者の比率は、1980年には9%でしたが、2009年には倍以上の23%にまで上昇し、経済史に例を見ない速度で高齢化が進展しています。日本の高度成長期は、生産年齢人口比率でみた「人口ボーナス」期にあたりますが、現在は「人口オーナス」期に入っています2

  • 2 人口ボーナス期とオーナス期の定義については、コンセンサスは必ずしも存在しません。白書類や人口学の文献では、生産年齢人口比率の水準を重視し、同比率が65%を上回っている時期をボーナス期、下回っている時期をオーナス期とすることが多いようです。これに対し、経済学の文献では、生産年齢人口比率の変化を重視し、同比率が上昇している時期をボーナス期、低下している時期をオーナス期とする定義が比較的多く用いられています。

3. 高度成長期の比較:日本と新興国

以上のような日本の成長パターンを振り返った上で、次に、近年の中国やインドの高成長と日本の成長パターンについて簡単な比較をしてみようと思います(図表8)。中国の高成長は1990年代初頭に始まり、最初の15年間の成長率は日本の高度成長期と全くと言って良いほど同じです。違いは、中国はその後も均してみると10%を超える高い成長を続けているということです。インドについては、高度成長期の日本や現在の中国に比べ、成長率は幾分低めですが、これは、インドが当時の日本や近年の中国と違って、まだ「人口ボーナス期」を迎えていないことと関係しているかもしれません(図表9)

高度成長局面では、農村からの労働供給が一つの大きな鍵を握ります。この観点から、日本と中国の都市人口比率を比較しますと、現在の中国の水準は概ね日本の高度成長期にあたる1960年代頃に相当しています。所得水準の向上に伴う消費ブームという観点から自動車の普及率を比較すると、やはり中国は日本の1960年代に相当しています。このような単純な比較論だけからすると、中国経済は今後とも高成長を続ける可能性が高いと思います。インド経済については、2015年頃から人口ボーナス期を迎えてきますので、成長率をより高めていく可能性があると思われます3

しかし、日本の経験が示すように、高成長が続き所得水準が向上してくると、どの社会も様々な挑戦課題に直面します。高度成長から安定成長への円滑な移行は難しい課題ですが、先にこの問題に直面し、現在この課題に挑戦している国として、幾つかの教訓を述べてみます。

  • 3 国連の予測によれば、インドの人口は2020年代半ばに中国を追い抜いて世界最大になる見通しです。

バブルの防止

第1の課題は、バブルを防ぐことです。高い経済成長が続くと、人間の常として、過剰な自信に陥りがちです。日本の1980年代後半におけるバブルは幾つかの要因が複雑に絡み合って起きた現象ですが、根底にあったのは、良好な経済パフォーマンスを背景に社会全体に広がった過剰な自信とこれによる著しい行動の積極化でした。この時期、日本は他の先進国に比べて成長率が高い一方、物価上昇率は低く、完璧な優等生でした(図表10)。冗談のように聞こえるかもしれませんが、1980年代後半には、東京都心部の土地価格でアメリカ全土が購入できるとの試算も行われました。

金融の監督体制も十分ではありませんでした。金融機関の不動産、建設、ノンバンクへの融資は著しく増加しましたし、担保の評価も含め、審査基準は甘くなりました。さらに、長期にわたって継続した金融緩和も影響しました。金融緩和が長期にわたって継続した一つの理由は、低いインフレ率が続いたことです。もう一つの理由は、円高に対する恐怖感や経常収支の黒字の圧縮に向けた強い国際的な圧力の存在でした。円高を防止したり、経常収支の黒字を圧縮するためには、緩和的な金融政策が必要という議論が強力に展開されました。

ビジネス・モデルの見直し

第2の課題はビジネス・モデルの見直しとでも言うべき課題です。いかなるビジネス・モデルが最適であるかという点については、時代や国を超えて普遍的な答えがある訳ではありません。日本の高度成長期にあっては、日本企業のビジネス・モデルは当時の世界経済の環境に適合していました。しかし、国にとっても企業にとっても、あるビジネス・モデルが成功すると、それを時代や環境の変化に合わせて見直していくことは容易ではありません。重要なことは、国にしても企業にしても、発展段階に応じて、自らを変えていく能力が鍵を握っているということです。

人口動態の変化への備え

第3の課題は、人口動態の変化に備えることです。急速な高齢化は労働供給の減少を通じて成長率を引き下げるとともに、需要面でも国内市場の縮小をもたらします。財政面では、高齢者の享受する年金や介護、医療等が現役世代の拠出でまかなうという賦課方式で運営され、また高齢者の享受する便益水準が維持される限り、高齢化は財政赤字の拡大要因になります。日本の人口動態の変化の影響については既に1980年代後半から議論は徐々に始まっていましたが、当時は、漠然と将来の課題であるという程度にしか受け止められていませんでした。しかし、その後の経験が示すように、人口動態の変化は非常に大きな含意を有しています。現在、高成長を続けるアジアの新興国も、先行きの高齢化が確実に見通されています(図表11)。高齢者の人口動態は短期的には「所与」の条件であるだけに、先行きの長期的な人口動態の変化を見通した上で、既存の制度を持続可能性のある制度に見直していけるかどうかは大きな課題です。

4. おわりに

歴史を振り返ると、アイケングリーン教授が考察された「グローバル・シフト」は常に起きています4。日本の高度成長による先進国へのキャッチアップとその後の低成長期への移行、そして、現在の中国やインドの高成長は、グローバルシフトの過程として整理できるものと思います(図表12)。高度成長を未来永劫続けることは出来ません。重要なことは高度成長から持続的な安定成長への円滑な移行を進めることです。現在高い成長を続けている新興国も、日本が経験したような課題にいずれ直面することが予想されます。この点では、バブルの防止、ビジネス・モデルの見直し、人口動態の変化への備えが特に重要であることを申し上げて、私の発言を終えたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

  • 4 下記論文を参照。
    Eichengreen, Barry, "Global Shifts," Prepared for the Bank of Finland's 200th anniversary symposium, Helsinki, May 5-6, 2011.