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【講演】大震災後の日本経済:復旧、復興、成長

内外情勢調査会における講演

日本銀行総裁 白川 方明
2011年5月25日

目次

1. はじめに

日本銀行の白川でございます。本日は、このように大勢の皆様の前でお話しする機会を頂き、ありがとうございます。

東日本大震災から2か月半が経ちましたが、現在もなお多くの方々が、避難所での暮らしを余儀なくされるなど、厳しい生活を送られており、心からお見舞い申し上げます。一方で、被災地では、徐々にではありますが、生活の立て直しや復旧に向けた動きが進んでいます。今月初めには、震災からの早期復旧を目的とする補正予算が成立しました。被災地の復興に向けた議論も始まっています。また、震災前から大きな課題であった日本経済の成長戦略構築に向けた議論も再び活発になりつつあります。これらの取組みや議論はいずれも重要ですし、また、お互いに関連しています。そこで、本日は、震災後の日本経済の現状と当面の先行き見通しについてご説明するとともに、復旧、復興、成長という各段階を意識しながら、日本経済が直面する課題について、私の考えをお話しします。

2. 日本経済の現状と先行き

震災による景気の下押し圧力

まず、日本経済の現状から話を始めます。日本経済は、本年入り後、昨年秋口以降の踊り場的な局面から脱し、再び改善テンポを速めようとしていました。そうした矢先に発生したのが、今回の大震災です。地震、津波、そして原子力発電所の事故によって状況は大きく変化し、日本経済は現在、強い下押し圧力にさらされています。因みに、3月の鉱工業生産指数は前月比15%減と、単月では統計作成以来最大の落ち込みとなりました。急激かつ大幅な景気の落ち込みという点ではリーマン・ショックと似ていますが、当時とは異なり、今回の下押し圧力の原因は、供給制約に伴うショックの発生です。地震や津波により、東北から北関東にかけて、道路や港湾などの社会資本ストックや、工場や商業施設といった民間資本ストックは、大きく毀損されました。そして、工場の被災は、部品や素材のサプライ・チェーンを寸断し、被災地のみならず、被災地以外の広い範囲の生産活動に影響を与えました。また、発電施設の被災は、関東・東北地方を中心に、電力供給を制約することとなりました。これらの要因により、日本経済全体として、財・サービスの供給能力が低下しました。その結果、輸出は大きく落ち込み、国内需要も減少しています。ただし、需要自体がなくなった訳ではなく、供給制約のために需要が実現できない状態に陥ったというのが実態です。この点で、今回起きたことは、急激な金融収縮に伴い、内外の需要そのものが「蒸発」してしまったリーマン・ショックとは、性格を大きく異にします。好調な海外経済を背景とした輸出市場の拡大という、震災前まで日本経済の回復を支えていた基本的な条件に大きな変化はありません。したがって、日本経済の当面の最大の課題は供給制約をできるだけ早く解消することであり、このことに全力を挙げる必要があります。

ただ、すべてが供給要因かと言うと、そうではありません。供給面のショックと一部関連する面もありますが、需要面からの追加的な下押し圧力も作用しています。原発事故や電力不足の問題は、企業や家計のマインド悪化や外国人観光客の減少を通じて、経済活動の下押し要因となっています。震災の直後から、全国的に自粛ムードが強まったことも、旅行や飲食といったサービスや高級品を中心に、消費を抑制する動きにつながりました。当初のショックが供給制約によるものであっても、生産活動の低迷が長引けば、企業収益や雇用・賃金への悪影響が大きくなり、それを通じて設備投資や個人消費にブレーキがかかることも考えられます。

このように、現在の下押し圧力は、リーマン破綻後の需要の「蒸発」と異なるものではありますが、需要面の要因から景気が下押されることがないかどうかも注意深く点検する必要があります。

先行きに関する中心的な見通し

以上の現状認識を出発点として、次に、わが国の先行きの景気見通しについてお話しします。日本銀行では、当面、生産面を中心に下押し圧力の強い状態が続くものの、サプライ・チェーンの再構築が進むもとで、本年秋口以降、電力不足の問題も改善し、供給面の制約は和らいでいくとみています。実際、震災から2か月半が経過した現在、多くの工場で復旧作業が進み、生産を再開する動きが拡がっています。こうした動きを背景に、サプライ・チェーン問題が解消される時期の見通しを前倒しする企業も出てきています。震災直後に大きく悪化した消費者マインドも、最近では自粛ムードが幾分和らぎ、4月以降、家電販売や百貨店売上高などに回復の動きが見られます。ゴールデンウィークも、事前の悲観的な予想に比べれば、人出でにぎわった観光地が少なくありませんでした。

このように、日本経済は既に、震災直後の落ち込みから、回復へ向けて動き始めています。海外経済も高い成長を続けており、国際通貨基金(IMF)の見通しによると、2011年および2012年の世界全体の成長率の見通しは、金融危機前10年間の平均成長率4.0%を上回り、それぞれ4.4%、4.5%となっています。こうした状況のもと、今後、供給面の制約が和らぐにつれて、輸出は回復していくとみられます。震災により大きく取り崩された在庫の補充も、先行きの生産を押し上げる要因として作用するほか、資本ストックの復元に向けた復興需要も徐々に本格化してきます。このため、本年度後半には、V字回復とはいかなくても、ある程度、回復の手応えが感じられる状況になっていくとみています。来年度については、輸出・生産を起点とする所得・支出への波及メカニズムがより明確に働き始めるほか、復興需要の増加も続くため、高めの成長が続くと予想しています。これらを数字で表すと、2011年度の実質GDPについては、年度前半の落ち込みが響き、前年比+0.6%という低い成長率にとどまりますが、2012年度には、前年比伸び率が+2.9%に拡大すると予想しています。

先行きの見通しを巡る不確実性

このように、日本経済は本年度後半には震災による落ち込みから脱し、緩やかな回復経路に復していく、というのが日本銀行の中心的な見通しです。もっとも、こうした見通しには様々な不確実性があることは十分認識しています。

まず、海外経済や国際商品市況の動向です。このうち、海外経済については、先進国の緩やかな回復と新興国の高い成長という、二極化した動きが続いています。米国では、住宅価格の下落や家計部門の過剰債務など、信用バブル崩壊後のバランスシートの調整圧力が、引き続き経済の重石として作用しています。欧州では、ギリシャ等の周縁国の財政問題を巡る懸念が、なお解消していません。この間、高成長を続ける多くの新興国では、金融引き締めの動きが続いていますが、景気の過熱やインフレ懸念が十分に鎮静化されている状況ではありません。このため、景気の振幅が拡大し、より長い目でみれば、持続的成長を損なう惧れもあります。震災発生以降、我々は国内の情勢に目を奪われがちになっていますが、こうした海外経済の動向にも、十分目配りしていく必要があると考えています。

そのうえで、やはり不確実性が大きいのは、今回の震災が日本経済に及ぼす影響です。中でも、震災に伴う各種の供給制約が、いつ頃解消していくかということが重要なポイントです。電力については、冷房需要がピークを迎える夏場に需給の逼迫が予想されますが、電力会社の供給能力増強、自家発電の活用、企業・家計における節電や需要平準化の工夫など、様々な対策も講じられつつあります。また、サプライ・チェーンについては、一頃に比べて事態は改善の方向に向かっています。しかし、現時点で、電力の供給不足やサプライ・チェーン問題の帰趨について、正確に見通すのが難しいことも事実です。夏場の電力需要は気温に大きく左右されますし、浜岡原発の問題を含め、各地の原子力発電所の稼働状況によっては、本年夏以降も長期的な電力の供給に不安が残る可能性があります。また、サプライ・チェーンがどの程度速やかに再構築されていくかは、業種や製品によって様々です。原発事故を巡る情勢や、雇用・所得環境などによっては、消費マインドの本格的な回復に、時間を要する可能性もあります。

逆に言うと、供給制約を巡る問題が想定よりも早く解決の方向に向かうと、景気は見通しよりも上振れることを意味しています。このように、供給制約の解消時期については不確実性が高いと言わざるを得ませんが、日本銀行としては、政策運営に当たり、当面は、震災の影響を中心に下振れリスクの方を意識することが適切であると考えています。確かなことは、出来るだけ早く供給制約を取り除くことが、下振れリスクを払拭していくための最重要課題であるということです。この点、多くの企業が、被災設備の復旧や代替施設での生産、代替調達先の確保などに全力を挙げています。製造業の現場では、被災した工場が同業他社に一時的に生産を肩代わりしてもらうとか、部品メーカーの復旧に向けて複数の完成品メーカーが協力して応援要員を派遣するなど、通常のライバル関係を超えた様々な努力と工夫が続けられています。直面する課題に柔軟に対応し、乗り越えていく力は、日本の産業界がこれまで幾度となく示してきた強さであり、こうした各方面での「現場力」の積み重ねが供給制約の早期解消につながることを期待しています。勿論、供給制約が解消するまでの間に、追加的な需要の減少を招かないよう、マインドの悪化やリスク回避姿勢の高まりを防ぐことが重要です。こうした観点から、日本銀行は震災発生直後から様々な措置を迅速に講じていますが、この点については、後ほどご説明します。

物価の動向

続いて、物価の動向についてお話しします。先ほど、今回の経済活動の低下は、基本的には供給ショックによるものであると申し上げました。そのため、供給力の減少が需給の逼迫を招き、物価上昇圧力を強めるのではないか、という見方があります。しかし、先ほど申し上げたとおり、震災は同時に、需要の減退にもつながっています。このため、当面のマクロ的な需給バランスの評価は微妙です。いずれにせよ、やや長い目でみれば、本年度後半以降、景気が緩やかな回復経路に復していくもとで、消費者物価の前年比は小幅のプラスで推移すると考えています。

こうした見通しが実現していくためには、企業や家計の中長期的な予想物価上昇率が、安定していることも重要です。この点では、エコノミストを対象としたアンケート調査などからみる限り、中長期的な予想物価上昇率には大きな変化は生じていません。物価に影響を与えるもう一つの要因は、輸入コストです。その点で重要なのは、原油、穀物、非鉄金属などの国際商品市況です。国際商品市況は、この春まで足早に上昇してきましたが、4月下旬以降は反落する局面もみられています。先行きの短期的な市況の変動を予測することはできませんが、見通し作成に当たっては、新興国経済の高成長を踏まえ、今後も緩やかな上昇トレンドが続くと想定しました。先行きの見通しを具体的な数字で申し上げると、消費者物価の前年比については、2011年度、2012年度とも+0.7%と予想しています。

こうした見通しどおりであれば、本年度の消費者物価は3年振りに前年比プラスとなりますが、この点については若干の補足が必要です。すなわち、消費者物価指数の作成当局である総務省では、本年8月に、5年に1度の基準改定を予定しています。通常、改定される直前の消費者物価指数には、パソコンやテレビなどの大幅な価格下落が反映されにくくなり、前年比伸び率が幾分高めとなりやすい、という統計作成上の技術的なバイアス問題が指摘されています。したがって、基準改定が行われると、消費者物価の前年比計数は、下方改定される可能性が高いと考えられます。

そのような留意点はありますが、先ほどお示ししたような経済・物価見通しを踏まえると、日本経済は、やや長い目でみれば、物価安定のもとでの持続的成長経路に復していく、とみることができると思います。そう申し上げた上で、我々が問うべき問題は、「復していく成長経路」が一体どのような成長経路なのかということです。結論を先取りして言うと、循環的な景気の回復を超えて、中長期的にみた日本経済の成長率を高めていくための真剣な取組みが非常に重要です。以下では、この点について、私の考えをお話ししたいと思います。

3. 日本経済の中長期的な課題への取り組み

今回の震災の前から日本経済の大きな課題は、他国に例をみない急速な高齢化のもとで、経済の成長力を強化していくことでした。そこに震災からの復旧・復興という新たな試練が加わったわけですが、その間にも、経済・金融のグローバル化や新興国のキャッチアップなど、世界経済の構造変化は否応なく進んでいきます。本日、私が強調したいことは、震災への対応に全力を注いでいく中にあっても、従来から認識されていた中長期的な課題への対応を、後退させてはならないということです。むしろ、被災地の復興を始め、震災後の状況への対応を、成長力強化に向けた新たな出発点として位置付けていく構えが必要だと思います。

(1)成長力強化に向けた取り組み

日本経済の平均的な成長率は、1990年代に1%台半ばに大きく低下し、2000年代には、リーマン・ショックによる落ち込みの影響も加わり、1%に満たない水準となっています。こうした成長率の趨勢的な低下の背景には、90年代以降の生産性の伸び率低下や、2000年代入り後に加速した生産年齢人口の減少という問題があります。将来に向けて成長率を持続的に高めていくためには、これらの問題に取り組んでいく必要があります。

まず、生産年齢人口の減少ですが、これは人口動態の帰結であり、長期的にはともかく、この流れ自体をすぐに止めることはできません。したがって、それを前提としながら経済に活力を与えていくためには、働く人の割合、すなわち労働参加率を引き上げていくための取り組みが不可欠です。この点では、女性、とりわけ諸外国より低水準である30代女性の労働参加率を、いかに高めていくかが鍵となります。高齢者についても、労働参加率の引き上げは重要です。かつて大企業では55歳定年制が一般的でしたが、55歳時点での平均余命は高度成長末期の1970年代初めには、男性で20年、女性で24年でした。現在は、男性で27年、女性で33年と、過去40年の間に10年近くも伸びました。若い人と全く同じ労働形態ではなくても、経験を活かした労働参加は可能ですし、必要なことです。労働参加率の引き上げを図るためには、人々のライフスタイルや価値観に応じた、多様な働き方が可能となるよう、企業や社会全体の意識を変えていく必要があります。

次に、生産性の伸び率を上昇させるための取り組みも重要です。「生産性を高める」というと、人員や設備を削減して効率経営を目指すことを、思い浮かべる方が多いかもしれません。確かに、日本の場合、企業レベルでは、どちらかというと徹底したコスト削減を通じて、生産性の向上に取り組んできました。しかし、そうした「スリム化」の動きだけでは、経済全体でみると、生産性の向上につながらない場合が多く、むしろ縮小均衡に陥る可能性があります。経済成長に資する生産性の向上とは、一人ひとりが付加価値を生む力を高めていくこと、それによって経済全体のパイを拡大していくことにほかなりません。そのためには、国の内外で、ニーズを掘り起こし、新たな市場を創り出していく取り組み、すなわちイノベーションの役割が重要です。その点について、以下では、グローバル需要、国内需要それぞれに即してお話しし、併せて、今回の震災と直接関連する分野について、若干述べたいと思います。

グローバル需要の取り込み

まず、日本経済の生産性を引上げ、成長力を強化していくためには、震災後の厳しい条件の中でも、加速するグローバル化に対応し、成長著しい海外需要を積極的に取り込んでいくことが重要です。震災以降、主として原発事故の影響から、日本が誇る「安全・安心」のイメージが傷つき、全国各地で外国人観光客が大きく減少しているほか、食品の輸出などにもマイナスの影響が出ています。それだけに、日本の状況について正確かつ積極的に情報発信し、誤解や風評に基づく「日本離れ」は無くしていく必要があります。同時に、外国人のニーズにも合わせながら、日本が提供する財やサービスの付加価値を、さらに高めていくことも重要です。

振り返ってみると、震災前には、アジアからの観光客が10年間で3倍に増加するなど、「日本ブーム」と言ってもよいような状況になりかけていました。また、震災により多くの工場は被災しましたが、日本が有する高度な技術力が失われた訳ではありません。治安の良さや秩序だった業務運営、親切・丁寧な顧客対応など、日本社会を支えてきたソフト・パワーも健在です。こうした強みを活かしながら、日本のモノやサービスの魅力に磨きをかける努力を重ねていけば、原発問題が収束し、震災から時間が経つにつれて、ジャパン・ブランドはこれまで以上の輝きを伴って蘇ると考えられます。

一つの懸念として、今回の震災が、日本企業の海外拠点戦略や、海外企業による部品調達方針などに、影響を及ぼす可能性があります。具体的には、サプライ・チェーンの寸断や電力不足などをきっかけに、国内生産拠点の海外シフトが加速する可能性が指摘されています。海外企業でも、震災後、日本からの部品や素材を他国製品で代替する動きがみられていますが、これが一時避難的な措置にとどまらず、そのまま長期的な日本からの調達比率の引き下げにつながる可能性もあります。しかし、見方を変えれば、自動車やエレクトロニクスの分野を中心に、日本の優れた部品や素材が世界の「ものづくり」に欠かせない位置を占めていることが、今回の震災によって改めて確認されたとも言えます。そもそも日本の製造業は、これまでも海外生産比率を趨勢的に高めてきましたが、それは他国が容易に真似できない新たな技術や製品を、国内で生み出すプロセスを伴いながら、進められてきたものです。いわゆる「空洞化」ではなく、内外の棲み分け、国際分業の高度化であったわけです。新興国が力をつけてきている以上、日本がグローバル経済と関わる道は、これからも、常に一歩先の製品やサービスを生み出す努力を継続、強化していく以外にありません。そうした日本企業の底力が失われない限り、グローバル・サプライチェーンは、日本の「ものづくり」をその核心部分に再び組み込みながら、構築され直していくものと考えられます。また、日本の企業や産業が、グローバル経済とともに発展を続けていくための環境整備として、FTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の枠組みを着実に拡充していくことも、重要です。

新たな国内市場の開拓

続いて、国内市場を新たに開拓していく必要性について述べたいと思います。先ほど、日本の経済成長率が低下している背景の一つとして、生産年齢人口の減少を指摘しましたが、一方で日本経済は慢性的な過剰雇用を抱え、賃金や物価は長期にわたり弱い動きとなっています。この事実を踏まえると、高齢化で働き手が減少したために日本の成長力が低下してきた、という単純な図式だけでは、問題の本質は捉えきれません。人口動態に伴って潜在需要の中身が大きく変化しているにもかかわらず、それに対応した新たな企業や産業が勢いよく伸びてこないところに、日本経済の構造的な問題があると考えられます。その裏返しとして、以前からある財・サービスは、市場が成熟していったん供給超過になると、その状態が長引きやすく、それが過剰雇用やデフレ圧力を生む要因になっていると考えられます。生産年齢人口の減少という人口動態そのものが経済成長率を引き下げるというより、そうした変化に対し、経済や社会の仕組みがうまく適合していないことによる問題が大きいと思います。

生産年齢人口の減少とは、中核的な消費年齢人口の減少でもあり、需要面からみても、ファミリー層向けを中心に国内市場の縮小要因として作用します。そうしたもとでは、高齢化に伴う新たな需要を取り込んでいかない限り、国内市場は全体として縮小してしまいます。少しでも快適に人生を過ごしたいという思いは、何歳になっても変わりません。高齢化の進行も、医療・介護、観光、レジャー、文化活動など幅広い分野において、新たな潜在需要を生み出しているはずです。成長分野は、グローバル需要に限りません。潜在的なニーズにきめ細かく目を向ければ、国内にも成長の芽はたくさんあります。勿論、新たな需要の開拓には、経営者の強いモチベーションや、リスクへの挑戦を可能にする金融の仕組みなども不可欠です。この面では、個々の企業経営者による挑戦と努力がすべての出発点です。それと同時に、そうした前向きの企業活動を支えるビジネス環境の整備が重要であり、そのための取り組みを国や社会全体として進めていく必要があると考えています。

新たな市場の開拓は、高齢化社会に対応する分野だけではありません。とりわけ、震災後の電力事情を踏まえると、エネルギー分野での技術革新は、日本経済の成長力を高めていくための取り組みとして有望です。LED照明の普及等を通じてエネルギーを節約する「省エネ」、太陽光などを利用してエネルギーを創り出す「創エネ」、蓄電池の改良などにより必要に応じて効率よくエネルギーを蓄える「蓄エネ」を合わせて実現していくことは、これまで高度な技術基盤を培ってきた日本にとって、挑戦しがいのある取り組みです。資源・エネルギー制約は、長期的にみれば世界が直面する大きな課題でもあり、この分野で先頭に立つことは、今後のグローバル需要の取り込みにもつながっていくと考えられます。

復興や防災にもイノベーションを

ここまでお話ししてきたとおり、日本経済の成長力強化のためには、潜在需要を掘り起こして新たな市場を発展させる力が必要です。このことは、今後本格化していく被災地の復興にも当てはまります。東北・北関東は、農漁業や観光の資源が豊かな地域であると同時に、学術研究や「ものづくり」の基盤もしっかりしており、様々な潜在需要に対応しうる大きな可能性を持っているように思います。被災地の復興は、こうした地域の強みを活かしながら、産業と雇用の場を、地域住民のニーズに合わせて再構築していくプロセスです。勿論、まずは被災者の方々に、安全で快適な生活を一刻も早く取り戻していただくことが最優先です。そうした生活の立て直しの先に、ある程度時間はかかっても、地域経済の再生に向けた取り組みが、新しい発想で進められていく局面が必ず来ると思います。

また、今回の震災は、日本列島が地震や津波と常に隣り合わせであることを、改めて認識させるものであったと思います。被災地だけでなく、日本全体として、災害により強い国を目指して、ハード、ソフト両面の強化を図っていく必要があります。ここにも多くの潜在需要が存在し、それらを満たしていくために、やはりイノベーションが重要な役割を果たすと思います。

(2)財政バランスの確保に向けた取り組み

以上申し上げたように、中長期的な成長力の引き上げは、日本経済が取り組むべき重要な課題ですが、これと切り離して考えることのできないもう一つの課題が、財政バランスの確保に向けた取り組みです。今後、高齢化が一段と進むため、年金給付や医療・介護費用の大幅な増大が予想されます。しかし、財政赤字がいつまでも続くとすれば、政府債務残高の膨張に歯止めがかからないということになり、これは持続可能な状態でありません。財政の持続性に対する懸念が強まれば、国債の円滑な発行が阻害されることになりかねません。また、現役世代の負担増加が不可避という予想が強まれば、企業や家計の支出行動が慎重化し、経済成長が低下して財政がますます悪化する、という悪循環に陥る恐れもあります。

このように、成長力強化と財政再建という2つの課題は別々の課題ではなく、表裏一体のものです。どちらかを優先するということではなく、同時に推進していくべきものです。日本の財政は、1990年代以降、累次の景気対策や社会保障費の増加を背景に大幅な赤字が続いており、その立て直しは震災前から待ったなしの状況にありました。そこへ震災が起こり、まだ正確な見積もりはできませんが、被災地の復旧・復興に必要な財政資金が増加していくことは明らかです。当面の財政バランスがさらに悪化すると予想される今だからこそ、中長期的な財政再建の道筋を、これまで以上にはっきりと示すことが必要になってきています。

幸い、現在の日本の長期国債金利は、世界的にみても低位で安定的に推移しています。また、国債の発行市場をみても、震災以降、国債は順調に消化されています。このように国債市場が安定を維持していることを説明しようとすると、2つの理由が挙げられます。第1の理由はマクロの貯蓄・投資バランスに関わるものですが、家計および企業部門の貯蓄超過状態が続いており、また、金融機関の資本基盤もしっかりしているため、差し当たり国債を買うお金の原資には困らない、ということです。第2の理由は、将来の政策運営に対する信認に関わるものです。財政政策について言うと、財政バランスは非常に悪化しているにもかかわらず、最終的にはその改善に向けた取り組みが行われるはずであるという予想です。金融政策について言うと、物価安定のもとでの持続的な成長の実現という目的達成のために運営されていることについて、信認が置かれていることです。財政状況の深刻さにもかかわらず、ただ今申し上げた信認こそが、国債市場の安定を支えていると言えます。人間は長く続いた傾向が今後も続くと漠然と思いがちですが、国債市場の安定に対する信認はこれを維持しようとする意思の力で支えられています。それだけに、国債市場の安定が保たれている間に、成長力の強化と財政の立て直しに向けた動きを進めていくことが不可欠です。また、そうした努力によって市場の安定をより盤石なものとすることは、震災からの復旧・復興を支える環境を整えることにも資すると考えられます。

なお、日本の財政赤字が既に大きいため、新規財政支出の財源が検討される際には、日本銀行が国債を引き受ければよい、という議論がなされることがあります。しかし、無から有を生み出す「打ち出の小槌」のような便利な道具は、そもそも存在しません。中央銀行による国債引き受けにせよ、民間金融機関による国債の市中消化にせよ、最終的には、企業や家計の貯蓄を原資として国債が発行されるという大きな構図は全く同じです。むしろ、中央銀行による国債引き受けには、財政規律の低下を招きやすいという深刻な副作用があります。投資対象のリスクを評価するという市場のチェック機能を活用せずに、国が、中央銀行による国債引き受けに頼るようになれば、いつの間にか、将来の納税者の負担能力を超える水準まで国の債務が膨らんでしまう可能性があります。震災後、関心が持たれることが多くなった高橋財政期の日銀引き受けも、最初は「一時的」との位置付けで始まりましたが、やがて引き受け額の増額と通貨の膨張に歯止めが効かなくなり、最終的には激しいインフレをもたらした歴史を思い返す必要があると考えています。以上のような議論に対し、引き受けが不適当ということであれば日銀が市場から国債を買い入れれば良いという議論が聞かれることもあります。日本銀行は現在、国債を大量に買い入れていますが、その目的は、成長に伴う銀行券需要の増加に対応した市場に対する安定的な資金供給です。そうした目的を超えて、中央銀行の国債買い入れが財政ファイナンスを目的に行われているとみられるようになると、引き受けと同じ問題が生じます。

4. 日本銀行の対応

最後に、震災後の日本銀行の取り組みについてお話しします。今回のような大震災の後に中央銀行がとるべき行動原理は非常にはっきりしています。それは、決済機能の維持や金融市場の安定を確保すること、言い換えると、金融が原因となって経済が不安定となることを防ぐことです。

震災後に、日本銀行が最初に取り組んだことは、国民の生活や経済活動の基盤となる決済・金融機能の維持でした。危機に際して、中央銀行の最も重要な責務は、こうした金融面のインフラをしっかりと守っていくことです。具体的には、被災地の現金需要に応えるため、日本銀行の仙台支店や福島支店、盛岡事務所などを通じて、現金供給に万全を期しました。震災後の1週間で、東北各県で供給した現金は3,100億円に上りましたが、これは、前年同時期の約3倍に相当する規模です。この間、日銀ネットをはじめ、日本の主要な決済システムは、安定的な稼働を維持してきました。勿論、これは日本銀行の力だけで実現できるものではありません。決済システムが安定稼働を続けているのは、民間金融機関など多くの関係者が、業務継続上のリスクに備えて、普段から周到な備えを講じてきたからです。また、被災地の金融機関では、多くの店舗が損壊しましたが、仮設店舗や移動店舗を利用しながらの懸命の努力により、窓口業務を継続・再開しています。関係者のこうした取り組みには、頭が下がる思いであり、大変心強く感じました。

第2に、日本銀行は、金融市場の安定確保に努めてきました。金融機関が資金を融通し合う短期金融市場において、不安心理が高まることを防ぐため、震災以降、連日、市場の需要を十分に満たす大量の資金供給を続けました。とくに、震災後の最初の営業日であった3月14日には、21.8兆円もの資金供給を実施しました。これは、リーマン破綻後の金融危機における1日当たりの最大金額8.1兆円の3倍近い金額です。

第3に、日本銀行は、金融緩和を一段と強化しました。具体的には、震災発生の翌営業日に、社債やETF(指数連動型上場投資信託)、J-REIT(不動産投資信託)といったリスク性資産を中心に「資産買入等の基金」を5兆円程度増額することを決定しました。震災直後ですから勿論、マクロ・データで経済の落ち込みを確認することはできませんでしたが、それでも金融緩和の強化に踏み切ったのは、既にその時点において、先行きの経済の下振れを十分に意識し、それに早目に対応することが必要と考えたためです。現在は、その効果を見極めながら、資産買入れの増額を着実に進めている段階にあります。

第4に、日本銀行は、被災地金融機関を支援するための資金供給オペレーションを開始しました。これは、復旧・復興に向けた資金需要が本格化する前のかなり早い段階から、日本銀行として、被災地の金融機関の初期対応を資金面から支援していくことが必要と考えたためです。具体的には、被災地に営業所を有する金融機関に対し、期間1年の資金を0.1%という超低金利で貸付けるものです。資金供給の総額は1兆円で、貸付受付期間は本年10月までですが、さっそく第1回目の資金供給に対して約740億円の申し込みがあり、一昨日の5月23日にこれを実行しました。

このほか、日本銀行では、昨年6月に「成長基盤強化を支援するための資金供給」を開始し、既に3回の貸付を実施しています。先ほどお話ししたように、震災からの復興という課題は、成長力の強化という日本経済の積年の課題と重なる面があります。先行き、復興への取り組みが本格化していく中で、中央銀行に期待される役割は、金融機関の活動を間接的に支援していくことです。今後は、復興資金需要の出方に加え、それに対する民間金融機関の取り組みや政府等による支援の状況なども踏まえつつ、中央銀行としてどのような対応が有効か、検討していきたいと考えています。

最後に、日本銀行が、被災地において、損傷したお金の引き換えに積極的に取り組んでいることも紹介しておきたいと思います。被災地の皆様が、破れたり、汚れたりしたお金をお持ちの場合には、日本銀行の支店等において、法令に定める基準に基づき、新しいお金に引き換えることができます。日本銀行では、現場の支店窓口の人員を増強するなどして対応しており、被災地の経済の立て直しに、少しでもお役に立ちたいと考えています。

5. おわりに

本日は、日本経済の現状と当面の先行き見通しについてご説明するとともに、復旧、復興、成長という各段階を意識しながら、日本経済が直面する課題についてお話ししてきました。今回の震災は、日本を襲った突然の危機です。振り返ってみると、日本経済は、戦後の困窮や石油危機など過去にも幾多の試練に直面してきましたが、大きな苦境に立たされるたびに、強い危機感をもって問題に取り組み、それらを克服してきました。大きなショックやそれに伴う危機における我々日本人の問題解決能力の高さは、過去の歴史が証明しています。一方で、我々は、例えそれが急激に到来するショック以上に経済への影響が大きい場合であっても、長期に亘ってゆっくりと進行する問題への対応は、必ずしも得意ではないように思います。1990年代の不良債権問題もそうでした。人口動態の変化という予測しやすい問題に対しても、社会保障制度の改革を含め、多くの課題に直面しています。

経済成長力の趨勢的な低下に歯止めをかけ、将来に亘って引き上げていくという積年の課題は、今回の震災により、もはや先送りすることができなくなりつつあります。我々には、子供や孫の世代のために、日本経済の明るい将来への道筋をつける大きな責任があります。将来の世代が、2011年を日本経済の新たな成長の出発点として振り返ることができるかどうかは、今後数年の我々の意思にかかっています。日本銀行も、通貨への信認をしっかりと維持しながら、中央銀行として最大限の貢献を続けていきたいと考えています。

本日は、ご清聴ありがとうございました。