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【挨拶】大震災後の日本経済と金融政策の課題:不確実性への備えと成長力の強化

長野県金融経済懇談会における挨拶

日本銀行副総裁 山口 廣秀
2011年7月20日

目次

1. はじめに

日本銀行の山口でございます。本日は長野県の行政および金融・経済界を代表する皆様にお集まりいただき、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。また皆様には、日頃より、日本銀行松本支店および長野事務所の様々な業務運営に、ご協力をいただいております。この場を借りまして、改めてお礼申しあげます。

個人的な話になりますが、長野県は、非常に思い出深い土地です。私は昭和49年に日本銀行に入行し、翌年の昭和50年から2年間、松本支店に勤務いたしました。企業経営者の方々を足繁く訪問させていただき、当地の景気や金融の実情について、詳しく教えていただきました。昭和50年と言いますと、日本経済がオイルショックという大変な逆境に直面し、高度成長から安定成長への転換を迎えた時期です。そうした中で、当地の企業の方々が、並々ならぬ経営努力をなさり、技術力に磨きをかけておられた様子は、今でも強く印象に残っています。

近年の日本経済も、人口の減少や高齢化などにより、大きな曲がり角を迎えています。そこに東日本大震災が発生し、日本経済はさらなる試練に直面しています。本日は、そうした日本経済が直面する中長期的な課題も意識しながら、内外の経済情勢や、日本銀行の金融政策運営について、お話ししたいと思います。

2. 海外経済の見通しとリスク

まず、海外経済の動向から始めます。海外経済は、このところ成長ペースが幾分鈍化していますが、引き続き成長率は高く、今後も、高めの成長を続けていく見通しです。以下、地域別に、最近の動向と今後の見通し、さらには見通しに伴うリスク要因について、お話しします。

(1)米国経済の動向

最近の減速は一時的

米国経済は、2008年秋のリーマン・ショックの後、強めの局面と弱めの局面を繰り返しながら、均してみれば、緩やかに回復してきています。そうしたもとで、最近は減速していますが、これは基本的には、次の二つの要因によるものと言われています。一つは、春ごろまでのガソリン価格の急上昇です。それにより、家計が他の支出にお金を回す余裕がなくなり、個人消費が弱まりました。もう一つは、日本の震災の影響です。自動車産業を中心に、日本からの部品調達が滞り、減産の動きが広がりました。これら二つの要因は、いずれも一時的なものです。原油価格はやや落ち着いていますし、日本からの部品調達も正常化に向かっています。米国経済は、徐々に成長ペースを取り戻していく、というのが大方の見方です。

中長期的に逆風となるバランスシート調整圧力

ただし、もともと今の米国経済には、しっかりした景気回復が実現しにくい構造的な要因も働いています。バブル崩壊の後遺症です。リーマン・ショックは、日本を含め、世界中を巻き込む金融危機となりました。あれほどの金融危機になったのは、その前に膨らんでいた米国の住宅バブル、金融バブルが、とてつもなく大きかったからです。米国では、2000年代半ば過ぎまで、所得の低い人たちもどんどん住宅ローンを借りていました。そうしたサブプライム・ローンを束ねて証券化した金融商品が、魅力ある投資対象として、世界中の投資家に売られていました。その過程で、金融機関は多額の利益をあげていました。そのように皆が宴を楽しめていたのは、米国の住宅価格が上がり続ける、という前提があったからです。

しかし、この前提条件がひとたび崩れると、すべての歯車が逆回転します。その結果、返済不能となった住宅ローンが山積みとなり、それが米国の家計や金融機関を苦しめることになりました。資産の価値が低下して、負債が重くのしかかる、あるいは資本が足りなくなる、という問題なので、これは「バランスシート問題」と呼ばれています。日本でも1990年代に同じような問題を経験しました。その時の経験からも言えるように、大きなバブルが崩壊した後の経済は、長い期間にわたって平均的な成長率が抑制されます。今の米国経済も、そうした逆風に向かいながらの回復ですので、現在のように回復力の弱さが目立つ局面が、これからも折に触れて生じうると思います。

(2)欧州経済の動向

国ごとのばらつきを伴いつつ緩やかに回復

続いて、欧州では、ドイツなどの主要国においては、輸出が、このところやや減速しているとはいえ、基本的には好調です。設備投資や個人消費も増加しています。他方、南欧諸国などでは、もともと国際競争力が弱いうえ、財政問題への対応から緊縮財政をとらざるをえず、それが景気の足を引っ張っています。このように、欧州の状況は国によってかなり異なりますが、全体としてみれば、緩やかな回復が続いています。

ソブリン問題は引き続き国際金融市場の不安要因

欧州経済は、先行きも、全体としては緩やかに回復していくとみられます。しかし、ギリシャ、ポルトガルなどが発行する国債の信用力を巡る問題、いわゆるソブリン問題は、欧州域内だけでなく、世界経済にとっても、しばらくの間、不安定要因であり続ける可能性が高いとみています。

今、言及したギリシャ、ポルトガルの経済規模は、合わせても世界経済の1%にも満たない大きさに過ぎません。しかし、欧州の金融機関は、これらの国々に対して、かなりの額の債権を持っています。仮に、これらの国々の国債が債務不履行に陥った場合、欧州金融機関の健全性に対する不安が高まる可能性があります。また、相対的に経済規模の大きな国の一部にも、ギリシャなどに比べれば程度は軽いにせよ、同じような財政問題があります。仮に、これら規模の大きな国の国債まで、信用力が著しく低下するような事態になれば、金融機関への影響も格段に大きくなります。金融市場のどこかに不安が発生すると、近年は金融取引が広くかつ複雑に入り組んでいることもあり、国際金融市場全体に不安感が広がる可能性があります。投資家がリスクを避けようとする姿勢が強まり、株価や為替相場も大きく変動しかねません。このように、欧州でひとたび混乱が発生すれば、一見距離があるように感じられる日本経済も、株安や円高などを通じて、混乱に巻き込まれていく可能性があることに、注意しておく必要があります。

ソブリン問題の難しいところは、一度問題が深刻化した国は、そこからなかなか抜け出せない、という点にあります。財政緊縮は景気を落ち込ませ、税収がますます減少します。また、国債価格の下落などにより金融機関に多額の損失が発生すれば、実体経済にも悪影響が及びますし、金融機関の資本を財政資金で補強する必要が出てきます。このように、財政の悪化、景気の落ち込み、金融システムの弱体化、という3つの要素の間には、相互に負の影響を及ぼし合う悪循環が働きやすく、そのことが問題の解決を遅らせます。こうした問題の性格を踏まえますと、欧州のソブリン問題は、長期間にわたって、世界経済の波乱要因であり続ける可能性が高いと考えられます。

(3)新興国の動向

世界経済を牽引する新興国

以上のように、先進国がそれぞれ問題を抱えているにもかかわらず、国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」によれば、世界経済は、2011年、2012年ともに4%台半ばの成長が予想されています。ちなみに、リーマン・ショックの前には、長期にわたる信用バブルがあったと申し上げましたが、そうしたバブルの時期を含む2007年までの10年間でも、世界の成長率は年平均4.0%でした。したがって、今年、来年と予想されている「4%台半ば」というのは、かなりしっかりした成長だと言えます。これは、中国などの新興国の高成長によるものです。

例えば中国の2010年の成長率は10.3%でした。2011年も、先ほどのIMFの見通しでは、9.6%の成長が見込まれています。このように、中国では、日本の高度成長期並みの高い成長が続いています。成長の中身についても、中国は少し前まで「世界の工場」と言われてきましたが、人々の所得水準が上がるにつれて、今や「世界の消費市場」ともなっています。ちなみに、中国における昨年の新車販売台数は約1,800万台で、これは日本と米国の合計を上回っています。

このような高度経済成長は、中国だけでなく、インドやブラジルなど、多くの新興国で起きています。当然、大量のエネルギーや原材料が必要になります。このため、原油、鉄鉱石、非鉄金属などの鉱物資源に対して、旺盛な需要が生まれています。また、新興国では生活水準が上がるにつれて、食生活が変化し、肉類などをより多く食するようになっていますので、牛や豚の飼料用を含めて、穀物需要も世界的に増加しています。各種の資源や食料への世界的な需要増大は、一次産品を生産するカナダ、オーストラリア、ロシアなど、いわゆる資源国にも、高い経済成長をもたらしています。今後も、こうした新興国・資源国を中心に、世界経済が成長を続けていく、という構造は、しばらく変わらない可能性が高いとみています。

インフレ圧力の克服が課題

しかし、新興国にも死角があります。インフレです。さしもの新興国も、このところ景気がやや減速しています。その基本的な背景は、インフレ率の上昇に対して、金融引き締め政策がとられていることにあります。しかし、これまでの引き締めでインフレ圧力が十分に低下するかどうかは、なお予断を許しません。需要の増大が適切にコントロールされ、物価安定と経済成長とがうまく両立する形でソフト・ランディングできるかどうかを巡っては、不確実性が大きい状況が当面続きそうです。

ところで、こうした新興国のインフレ圧力は、鉱物資源や食料の国際価格上昇によって、引き起こされている面もあります。新興国、ひいては世界経済が、インフレ圧力を高めることなく、中長期的に高い成長を実現していくためには、省資源・省エネのイノベーションや、食料の生産性向上などに、世界的な規模で取り組んでいくことも重要だと思います。

以上の海外経済動向を踏まえ、次に日本経済についてお話しします。

3. 日本の経済・物価情勢

(1)経済・物価の現状および見通し

本年度後半には再び緩やかな回復経路へ

3月11日の大震災の後、日本経済は、いったん急激かつ大幅に落ち込みました。多くの場合、景気の悪化は需要の減退によって生じますが、震災後の経済の落ち込みは、基本的には、部品や電力の不足など、供給側の制約要因によるものでした。すなわち、第一に、地震と津波によって、工場や物流インフラ等が損壊し、生産に必要な原料・部品などの調達が滞りました。複雑に張り巡らされたサプライチェーンが寸断され、部品点数が多い自動車を中心に、全国の生産に大きな影響が及びました。第二に、原子力発電所の事故により、東京電力や東北電力の発電能力は、いったん2〜3割も低下しました。電力不足のために、コンサート等のイベントが中止されるとか、デパートが閉店時間を早めるなど、製造業以外の様々な活動にも影響が広がりました。もちろん、すべてが供給制約によるものというわけではなく、震災に伴う自粛ムードや、原子力発電所の事故による放射性物質の問題などが、消費者マインドに悪影響を与えたという側面もありました。

その後の展開をみますと、サプライチェーンの問題は急速に緩和されてきており、生産や輸出は、震災直後に関係者が予想していたよりも速いペースで、回復しています。企業の生産活動は、近いうちに、震災前の水準を概ね取り戻す見込みです。こうした回復の早さは、何と言っても、各企業の必死の努力によるものだと思います。同業他社のために肩代わり生産を行うとか、被災した中小企業に工場や機材を貸出すなど、企業の枠を超えた連帯の動きも見られました。この夏の電力不足も、当初懸念されていたほどは、経済活動の制約にはならない見通しです。

こうした最近の状況を踏まえつつ、先行きを展望しますと、日本経済は、海外経済が改善を続けるもとで、本年度後半以降、緩やかな回復経路に復していくとみられます。先週、日本銀行が公表した見通しでは、本年度は震災後の落ち込みの影響で+0.4%の低成長にとどまりますが、来年度は+2.9%まで成長ペースが速まるとみています。

物価は小幅のプラスで推移

次に、物価について、お話しします。代表的な指標である消費者物価指数の前年比上昇率は、リーマン・ショックの少し後から、マイナスで推移してきました。しかし、リーマン・ショックの影響が和らぐにつれて、マイナスの幅は徐々に小さくなり、今年の4月には、2年4か月振りにプラスとなりました。5月も+0.6%となっています。

先行きについては、景気が緩やかな回復経路に復するとみていますので、そのもとで消費者物価の前年比も、小幅のプラスを続けると予想しています。より具体的に、先週公表した日本銀行の見通しでは、本年度、来年度とも+0.7%の上昇を見込んでいます。

(2)先行きの経済・物価を巡る不確実性

予断を許さない海外の金融経済情勢

以上、経済・物価の見通しを申し上げましたが、これらには様々な不確実性があることを、強調しておきたいと思います。震災後、これまでは、サプライチェーンがどの程度速やかに回復するか、という点に大きな不確実性がありました。しかし、その点についてのリスクは、先ほど申し上げたように、かなり後退してきました。むしろ今後は、需要そのものがしっかり増加を続けていくかどうかに、景気の展開が左右されることになります。この点、消費者のマインドも、震災直後に比べればだいぶ回復してきましたが、まだ戻りきっているわけではありません。

また、景気回復の最も重要な前提は、海外経済が新興国を中心に高い成長を続け、そのもとで日本の輸出が増加して、設備投資や雇用などに波及していく、というメカニズムです。しかし、その大元である海外経済について、先ほど詳しく申し上げたように、米国、欧州、新興国、それぞれの先行きに、少なからぬ不確実性があります。

不確実性を増す電力事情

国内においても、この夏を越えた、やや長い目でみた電力供給については、不確実性がむしろ増しています。日本各地の原子力発電所が、定期点検の後、スムースに再稼働できなくなっているためです。原子力発電を火力で代替していくにしても、コストの上昇が予想されます。

今回の震災の後、日本の地震リスクが改めて認識され、内外の企業が、部品調達先を、日本国内から日本国外へ分散させる動きを強めています。原子力発電所の事故の影響もあって、外国人の旅行客も大幅に減少しています。これに、電力の安定供給やコスト増への懸念が加わることにより、「日本離れ」、「日本はずし」などとも言われる産業空洞化の動きが強まることがないかどうかについては、注意深くみていかなければなりません。

物価安定の実現が遅れるリスク

以上のような様々な不確実要因により、仮に景気が、先ほど申し上げた見通しよりも下振れた場合、物価も下振れる可能性があります。加えて、物価には、統計上の不確実要因もあります。消費者物価指数は、5年ごとに指数が改定されることになっており、今年はちょうど、改定の年に当たっています。来月、新しい指数に切り替わり、最近のデータも遡って修正される予定です。先ほど、直近5月の消費者物価の前年比は+0.6%であったと申し上げましたが、これが指数の改定により、ゼロ%近傍まで下方修正される可能性が高いとみています。

そのように最近のデータが変わりますと、先ほど申し上げた2011年度、2012年度とも+0.7%と申し上げた消費者物価の見通しも、もう少し低めに読み替えなければならない、ということになります。日本銀行では、消費者物価の前年比が2%以下のプラス、中心としては1%程度で推移する状態が、「物価安定」に最も近いと考えています。現在の物価見通しは、そうした「物価安定」の実現になお時間がかかることを意味していますが、今後の景気展開や、指数改定などによって、物価安定が達成できるタイミングにどのような影響が及ぶか、注意深くみていく必要があります。

4. 日本経済の中長期的な課題

経済成長の長期低下傾向は根深いデフレの一因

さて、日本のデフレ傾向は、長期にわたって続いています。これは、デフレの背後に、循環的な景気の弱さだけではなく、経済の構造的な問題がある可能性を、示唆しています。長期的に日本の経済成長率をみますと、1970年代の年平均5%から、90年代は1%台半ば、2000年代は1%にも満たない成長率まで低下してきました。経済成長率が長期低下傾向をたどると、企業や家計は、先行きもどうせ低成長が続くのだろうと思ってしまいがちになります。こうした成長期待の低下は、設備投資や個人消費など実際の需要を抑制し、根深いデフレの一因となってきたのではないかと考えられます。

デフレは望ましくありませんし、そもそも今のような低成長のままでは、今後、財政や社会保障を維持していくことが、難しくなっていきます。このため、中長期的な成長力の強化は、震災の前から、日本経済の大きな課題でした。この課題に、改めて本腰を入れて取り組むことが、産業空洞化など震災の後遺症を防ぐことにも、つながると考えられます。

経済成長の源泉は一人ひとりが付加価値を生み出す力

成長率の長期低下傾向には、少子高齢化が少なからず影響してきたと考えられます。そうであるとすると、成長力強化のためには、少子高齢化そのものを是正していく、というのが一つの自然な答えでしょう。例えば、出産・育児をしやすい環境を整えて少子化傾向を反転させるとか、海外からの移民や労働力をより積極的に受け容れていく、といったことが考えられます。ただし、仮に今、出生率を引き上げられたとしも、それが労働力人口の増加につながるのは20年ぐらい先になります。成長力の強化は、より差し迫った課題であり、人口動態の変化を待っていることはできません。

単純な算式に立ち返ってみます。経済成長を測る時に使われるGDPは、労働者の数と、労働者一人当たりのGDPに、分解できます。このうち、労働者の数の方は、簡単には変えられない人口動態でかなり決まってしまうとすれば、GDPを増やすためには、労働者一人当たりGDPを増やすしかありません。GDPというのは、付加価値のことであり、企業収益や家計所得という形で分配されるもとになるものです。したがって、付加価値を生み出すということは、企業が雇用や賃金を増やしながら、みずからの収益も伸ばす、ということにほかなりません。そのためには、成長のチャンスが大きい分野の需要を掘り起こし、新たな市場を創り出していく力が必要です。具体的な方向性として、大切だと考えられるポイントを、四点挙げたいと思います。

グローバル需要のさらなる取り込み

一点目は、思い切ったグローバル化です。ちなみに、GDPに対する輸出の割合は、ドイツや韓国は5割前後、中国は3割程度ですが、日本は15%程度にとどまっています。また、日本を訪れる外国人観光客の人数は、フランス、米国、中国などを訪れる人数の1割強に過ぎず、世界全体での順位は、韓国やシンガポールよりも低い30位前後となっています。国を開く熱意と工夫次第で、日本は、まだまだグローバル需要を取り込んで成長していく余地がありそうです。

資源・エネルギー分野のイノベーション

二点目は、資源・エネルギー効率を高める技術やノウハウを、さらに飛躍させることです。先ほどもお話ししたとおり、世界経済が新興国中心に、インフレを回避しながら高い成長を続けていくうえで、大きな制約になりそうなのが、資源、エネルギー、食料などの需給逼迫です。省エネなどのイノベーションは、目先の国内電力不足への対応だけでなく、中長期的な世界経済の成長にも貢献すると考えられます。

国内潜在需要の掘り起こし

三点目は、高齢化や成熟化が進む国内市場でも、医療や福祉の分野はもちろん、他の分野も含めて、未開拓のニーズがふんだんにあると思われることです。しばしば、日本はもう豊かになってしまい、消費者の欲しい物はなくなった、などと言われたりもします。確かに、既に存在しているモノやサービスだけを見れば、飽和点に達しているものも少なくないでしょう。しかし、人々の潜在的な欲求という次元で考えれば、人生をより楽しみたい、より快適な生活をしたい、という気持ちは、決して無くなることはありません。消費者自身すら自覚していないニーズを、戦略的に掘り当てていくことこそ、真の企業家精神だと言えるでしょう。なお、中国や韓国など、いくつかのアジア諸国では、働き盛りの年齢層が今後10年以内にピークを迎え、日本のあとを追うように高齢化が進みます。日本が、課題先進国として、高齢化のもとで活気ある経済を築いていけば、あとから高齢化する諸国の良いモデルにもなると思います。

金融がリスク・マネーを供給する力の強化

四点目は、金融の果たす役割です。新たな需要を掘り起こす、という企業の意欲的な取り組みは、いつも成功するとは限りません。逆に言えば、失敗する可能性があることにも挑戦してみるからこそ、成長のチャンスを探り当てることができるのです。このように、成長には一定のリスクがつきものであり、それをサポートするリスク・マネーを供給することが、金融の役割です。経済の中長期的な成長力強化には、金融の力を強めていく必要があります。

以上、お話ししてきたことをまとめますと、日本経済には、時間軸の異なる二つの課題があります。第一に、震災によって落ち込んだ景気の循環的な回復を、海外経済の先行きなど様々な不確実性が大きい中で、実現していくことです。第二に、より中長期的な観点からの成長力強化に取り組むことです。この第二の課題は、第一の課題である循環的な景気の回復をより確かなものにし、デフレからの脱却を早めることにも資すると考えられます。このように問題を整理したうえで、日本銀行の金融政策がそれらにどう対応しているか、お話しします。

5. 日本銀行の金融政策運営

強力な金融緩和の推進

循環的な景気の回復を支え、物価安定をなるべく早期に実現するという観点からは、日本銀行は、次のような強力な金融緩和政策を推し進めています。

まず、政策金利を、0〜0.1%程度という、きわめて低い水準にしたうえで、物価安定が達成されると判断できる時期が来るまでそれを続けていく、という約束をしています。また、日本銀行は、昨年10月以来、「資産買入等の基金」という新しい枠組みを設け、この基金を通じて、国債はもちろんのこと、CP、社債、指数連動型上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(J-REIT)といった、リスクを伴う多様な資産を買い進めています。これにより、日本銀行は、長めの金利の低下を促し、同時にリスク・マネーを金融市場に呼び込むきっかけを作って、経済への好影響を生み出そうとしています。この基金は、当初35兆円程度の規模で始めましたが、3月の震災直後には40兆円程度まで拡大し、景気の落ち込みを最小限にとどめるよう努めました。

成長基盤強化の支援

もう一つの日本経済の課題である中長期的な成長力強化との関連では、日本銀行は、昨年6月から、「成長基盤強化を支援するための資金供給」という措置を実施しています。これは、中長期的な成長力強化につながる案件を発掘し、出資や融資を行った金融機関に対して、日本銀行が、当初1年、ロールオーバーを含めれば最長4年の長期の資金を、0.1%の低利で供給するものです。この措置を開始して以来、多くの金融機関で、成長分野を開拓する専門部署を設けるなど、前向きの取り組みがみられています。

本措置のために予定していた3兆円の資金は、概ね使い切られました。そこで、先月には5千億円の新たな貸出枠を設けました。新しい貸出枠では、企業に出資を行った金融機関や、売掛金や在庫などを担保とする融資を行った金融機関に対して、当初2年で最長4年の長期資金を、0.1%の低利で供給します。

売掛金や在庫などを担保とする融資は、動産・債権担保融資(Asset Based Lending)と呼ばれ、米国では盛んに行われています。このABLは、不動産担保融資に比べて、担保価値の評価などの面で難しさを伴います。ビジネスの過程で生じる資産の価値は、そのビジネスの内容や業界動向について、借り手と金融機関が深く理解し合わなければ、評価ができないからです。しかし、積極的にそういう手間をかけることには、不動産担保や経営者の個人保証がない企業にも、資金調達への道が開かれる、という大きなメリットがあります。こうしたメリットを活かすよう、企業と金融機関が二人三脚で収益機会の開拓に取り組み、これまで埋もれていた成長の芽が日本全体で育っていくよう、期待しています。

リスクの顕在化には柔軟かつ果断に対応

以上のように、日本銀行は、中央銀行としては異例の領域に踏み込みつつ、強力な金融緩和の推進と、成長基盤強化の支援を行っています。しかし、本日繰り返し述べてきたように、内外の経済を取り巻く不確実性は大きいと認識しています。このところの為替変動の影響を含めて、先行きの経済・物価動向を注意深く点検したうえで、必要と判断される場合には、柔軟かつ果断に、適切な措置を実施していく方針です。

6. おわりに

最後に、長野県の経済について一言触れたいと思います。

これからの日本経済の発展は、グローバル化や高齢化を、どれだけプラスの要素にしていけるかに、かかっています。この点、当地は、戦前の製糸産業の時代から、戦後の電気機械・精密機械工業に至るまで、常にグローバル市場に目を向けて発展を続けてきました。製造業の出荷額に占める輸出の割合は、90年代以降、ほぼ一貫して全国平均を上回っています。

高齢化への対応という点でも、長野県は全国に一歩先んじています。本県は、全国指折りの長寿県であると同時に、高齢層の方々の高い就業率でも知られています。65歳以上で仕事を持っている方は、全国平均では2割程度であるのに対し、長野県では3割を超え、全国トップです。ここ松本市でも、「健康寿命延伸都市」をキーワードに、健康づくりや暮らしやすい街づくりの運動が進められています。こうした高齢者にも働きやすい環境づくりは、今後、日本全体にとっても大いに参考になるのではないかと思います。

これからも、皆様の時代を先取りする知恵と行動で、当地がますます発展し、それが日本の未来にもつながっていくよう、心より応援申し上げたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。