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【講演】

デレバレッジと経済成長 ―先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」 を辿っていくのか?―

London School of Economics and Political Scienceにおける講演(アジアリサーチセンター・STICERD共催)の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年1月10日

目次

1. はじめに

「それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった…」 1

来月で生誕200年を迎えるチャールズ・ディケンズの「二都物語」の冒頭は、このように始まる。この有名な一節は、小説では1775年を指しているが、2012年の我々の心にも訴えかけるものがある。世界各国で占拠運動を行っている抗議者が不満を訴えていることは十分承知しているが、今日の先進国の人々は、ディケンズが描いた英国における厳しい現実と比べれば、遥かに高い生活水準を享受している。ディケンズの分身である、若きデビット・カッパーフィールドの数少ない贅沢といえば、この講演会場から数ブロック先にある古式ローマ風呂で、冷たい水に飛び込むことであった。一方、今日の人々が、世界経済が最悪の状況にあるかのように感じていることも事実である。増大する政府債務や人口の高齢化、グローバリゼーションが引き起こす課題など難しい問題が存在しており、経済成長の鈍化が、こうした困難に拍車をかけている。

このような先進国の陰鬱な経済見通しを語る際、最近は日本経済の経験が引用されることが多くなっている。過去20年の間、日本の経済成長率は、実質で年率1.0%、名目で0.4%と低迷した水準が続いている(図表1)。投げ掛けられる問いは、「我々は日本と同じように、『失われた10年』―最近は『失われた20年』という言葉も用いられるが―を経験するのだろうか」といったものである。日本の中央銀行総裁としては、日本の経験が否定的な文脈で語られることには複雑な思いを禁じ得ないし、後で理由を述べるがこの20年を一括して論じるのは適当ではない。それでも、この問いが他の先進国にとっても、多くの思考材料を提供していることは事実である。そこで今晩は、2人の才能に恵まれたリバプール人と彼らが40年前に作った歌には申し訳ないが、「先進国は日本が過去に歩んだ『長く曲がりくねった道』を辿っていくのか?(Is the Developed World Following Japan's Long and Winding Road?)」と題して、自分の感じていることを述べてみたい。私の話が皆様に何がしかお役に立つことになれば、幸いである。

1 Dickens, Charles, A Tale of Two Cities, 1859を参照(『二都物語』(上)、中野好夫訳、新潮文庫)。

2. 日本の経験を巡る議論の変化

ところで、たった今、「先進国は日本の経験を繰り返すのか」という問いを発したが、過去10数年間、様々な国際会議に出席し、政策当局者や学者の議論を聞いてきた者からすると、こうした問いが発せられること自体、驚きであり、大きな知的変化が生じていることを感じる。と言うのも、過去においては、日本の低成長は「大胆で迅速な政策対応を欠いた日本の社会や政策当局に固有の失敗」として軽く片付けられることが多かったからである。そうした状況は2006年春に米国で住宅価格が下落に転じた後も、しばらくは変わらなかった。以下に述べるのは2007年1月に行われた米国の政策当局者の発言である2

「90年代に日本を含む多くの国で見られた金融システム不安は住宅価格ではなく商業地価格の崩壊が不良債権問題をもたらしたことによる。…多くの人は日本の経験を読み違えている。問題はバブルの崩壊ではなくその後の政策対応である」

このような主張の背後にあるのは、バブル崩壊後の資産価格の下落や過剰債務の調整、すなわち、バランスシート調整の深刻さに対する過小評価であり、危機発生後の「積極的な政策」の効果に対する楽観論であった3。しかし、過去数年間の米国、ユーロ圏、英国で起きてきたことを1990年代以降の日本のバブル崩壊後の姿と比較すると、相違点よりも、類似点の方が圧倒的に多いというのが私の印象である。日本で過去起きたことは、日本特有の現象ではなかった。

第1の類似点は、経済のパフォーマンスである。例えば、日米について、バブルがピークを迎えた時期―日本は1990年、米国は2006年―以降の実質GDPの軌跡を比較すると、両者は似通っている(図表2)4。比較の基準時点をバブルのピークではなく、金融危機の勃発時点としても結論は変わらない。この方法をとると、基準時点は、日本は1997年、米国は2008年となるが、実質GDPの軌跡は似通っている(図表3)。同様の比較をユーロ圏、英国と行っても、程度の差こそあれ、類似性が観察される(前掲図表2、3)。バブルに関連した他の指標についても興味深い類似性が幾つか観察される。例えば、バブル崩壊後の不動産価格の下落速度をみると、日本と米国は同程度である(図表4)。長期金利を比較しても、国や地域により若干の差異はあるが、全体としては似た動きを示している(図表5)。銀行貸出も同様である(図表6)。

第2の類似点は、政策当局者やエコノミストの当初の反応である。バブルの進行時でも、崩壊直後でも、最初は問題が存在すること自体が否定されるか、問題が過小評価されるかのいずれかである。日本でも不動産価格が下落に転じた後も、反転上昇が語られていたし、ある程度下落が常態化した後も、これが深刻な金融危機やマクロ経済の停滞に繋がる可能性は否定された。米国の住宅バブル崩壊、欧州の債務危機、いずれも最初の反応は、問題の過小評価であった。事態がさらに悪化し、専門家の間では、公的部門による金融機関への支援の必要性が明らかとなった段階でも、国民の間では、問題の過小評価が尾を引いて、そうした施策の実行には抵抗が強いことも共通している。特に、金融機関への公的資金の投入は、日本も欧米も、極めて不人気であった。ユーロ圏におけるコア国から周縁国への金融支援も政治的に不人気である。

第3の類似点は、中央銀行の採用する政策の類似性である(図表7)。先進国では、短期金利はゼロ近くに低下し、中央銀行のバランスシートは大幅に拡大した。日本銀行は1990年代後半以降、順次、ゼロ金利、ゼロ金利継続のコミットメント、量的緩和、金融機関保有株式を含むリスク資産の買い入れ等、様々な非伝統的政策を採用した。サブプライム・ローン問題発生後、FRBは革新的と称される様々な政策措置を採用したが、その多くは、日本銀行が採用した政策と本質的に類似している。この事実は、同じような状況に直面すると、中央銀行は同じように行動するという、ある意味では当然のことを物語っている。何がしか違いがあるとすれば、日本銀行は手探りで非伝統的政策を決定しなければならなかったという意味で、いささか孤独であったということかもしれない。

第4の類似点は、デレバレッジの過程にある経済、すなわち、バランスシート問題を抱えた経済では、金融政策の有効性が低下するという事実である。日本では、かつては低金利が中小企業向け貸出を増加させ、これによる中小企業の設備投資増加が景気回復を牽引したが、バブル崩壊後は、そうしたメカニズムは作動しなかった。米国では、現在、長期国債金利の低下にもかかわらず、住宅ローンの実効金利はそれほど低下していないが、これにはクレジット・スコアの低い債務者について、低金利ローンへの借換えが進んでいないことが影響している。欧州でも、スペインに典型的に見られるように、不動産担保の劣化などからカバードボンドの金利が上昇し、銀行の貸出金利を押し上げている。

以上述べたことはいずれも欧米諸国と日本の経験に関する類似点であるが、もちろん、違いも存在する。

第1の相違点は、日本は世界の金融危機の震源地となることはなかったという事実である。その最大の理由は、日本の政策当局が無秩序な金融機関の破綻を許容しなかったからである。この点で日本にとって最も大きな試練の時は1997年であった。この年、国際的に―とりわけ欧州の資本市場で―一定の存在感のあった山一證券という資産規模3.7兆円(当時のレートで約190億ポンド)の証券会社が破綻したが、リーマン破綻の時と同様、日本でも証券会社の秩序立った破綻処理を可能にする法律は存在していなかった。その中で採られたのが日本銀行による同社に対する無制限の流動性供給であった。これにより、海外を含め他の市場参加者の同社に対するエクスポージャーはすべて日本銀行に対するエクスポージャーに置き換えられることになった。この結果、秩序立った破綻処理が可能になり、システミック・リスクの顕在化は防がれた。これは同社が資産超過なのか債務超過なのか分からない状況の下での決定であり、日本銀行にとって実に重たい決断であった。同社は債務超過であったことが数年後に判明し、また、日本銀行は最終的に若干の損失を被ったが、それでもシステミック・リスクの顕在化を防止したというメリットの方がはるかに大きかった。これにより、リーマン破綻後とは異なり、自国の金融の混乱が世界の他の地域に悪影響を与えることはなかったし、国内的にみても、急激かつ大幅な経済活動の落ち込みも経験しなかった(図表8)。

第2の相違点は、バブル崩壊後、市場による圧力に晒されるまでの時間的長さである(図表9)。日本の場合、不良債権は市場性資産ではなく、主として非市場性資産である貸出債権で発生したことから、時価評価による損失認識は遅れ、その分、金融機関が市場の圧力に晒されるタイミングが遅れた。これに対し、欧米の場合は、証券化商品でまず発生したことから、比較的速やかに時価評価による損失認識が進み、日本に比べ、市場の圧力に晒されるタイミングも早かった。このため、欧米では問題の顕在化が早く、その分、金融システム対策は早く講じられた。

もっとも、これらの相違点についてさらに踏み込んでみると、日本経済の落ち込みが小さかったのは、危機が日本に局限されていたからかもしれない。また、金融システム対策が早期に導入されたからといって、バブル崩壊後の経済を特色付けるデレバレッジが完了する訳ではない。日本も欧米も、起きていることは過剰債務の調整、すなわち、デレバレッジであるという点では共通している。このように類似性と相違点を検討していくと、バブル崩壊後の政策対応を考えるに当たっては、相違点というより、まずは類似性の方に着目し、その上で各国固有の要因を考えるというアプローチの方が有益であるように思われる。

2 Mishkin, Frederic S., “The Role of House Prices in Formulating Monetary Policy,” Speech at the Forecasters Club of New York, January 17, 2007.を参照。
3 2009年2月の記者会見でオバマ大統領は次のように述べている。“[I]f you delay acting on an economy of this severity, then you potentially create a negative spiral that becomes much more difficult for us to get out of. We saw this happen in Japan in the 1990s, where they did not act boldly and swiftly enough, and as a consequence they suffered what was called the ‘lost decade’ where essentially for the entire 90s they did not see any significant economic growth…”
4 日本の場合、株価のピークは1989年末、不動産価格のピークは、公示地価ベースで1991年1月1日(基準日時点)である。米国の住宅価格(ケースシラー住宅価格指数)のピークは、2006年第2四半期である。

3. 日本経済の低成長に関する事実

類似点と相違点を正確に理解して頂くために、次に日本経済について、もう少し詳しく説明したい。ここでは、タイム・ホライズンを3つに分けて日本経済の成長に関する事実を説明する。

日本経済の成長:長期、中期、短期

第1は、長期的な成長トレンドである。日本は現在の中国と同様、驚異的な高度成長を遂げた国として知られている。日本の高度成長の最盛期に当たる1956年から1970年までの15年間の実質GDP平均成長率は9.7%である(図表10)。これは丁度、1990年代初頭から始まった中国の高度成長期の成長率とほぼ同じである。しかし、高度成長を遂げる国もやがては、高度成長の終焉を迎える。高度成長を支える諸条件、特に農村部から都市部への労働供給や高い労働力人口増加率もいずれかの時点ではピークを迎えるからである5

第2は、中期的な成長動向である。高度成長は1970年代には終わったが、それでも他の先進国と比較すると、成長率はかなり高かった。しかし、1990年代以降は相対的にみても、日本は高成長の国ではなくなった。現在に至る約20年間の日本の実質成長率は平均成長率で1.0%、名目成長率は0.4%と非常に低い。正に、「日本の失われた20年」と言われる所以である(前掲図表1)6

日本経済に関する第3の説明は、ごく短期的な成長動向である。日本の経済活動は2011年3月11日の悲劇的な地震や津波の影響から落ち込んだが、政府、企業、個人の努力の結果、回復は予想以上のスピードで進んだ。もちろん、先行きについては、世界経済の減速から無縁ではあり得ないが、欧米と比較すると、資金市場や社債市場におけるリスク・スプレッドから明らかなように、金融システム、金融市場の安定が目立っている(図表11)。

5 現在の中国との比較を含め、日本の高度成長については、白川方明「高度成長から安定成長へ―日本の経験と新興国経済への含意―」、フィンランド中央銀行創立200周年記念会議における発言の邦訳、2011年5月5日を参照。
6 日本のバブル崩壊後の経験については、白川方明「経済・金融危機からの脱却:教訓と政策対応」、ジャパン・ソサエティNYにおける講演の邦訳、2009年4月23日を参照。

中期的な低成長の原因

以上申し上げた3つのタイムスパンの中で、本日の私の講演の主たるテーマは、中期的なタイムスパンでの経済動向である。私はこれまで便宜的に「失われた20年間」という表現を使ってきたが、前半と後半とでは低成長の原因がかなり異なっており、両者を一括して論じるのは、ややミスリーディングである。1990年代の低成長の主因は、未曾有のバブル崩壊に伴うデレバレッジであった。これに対し、2000年代以降の低成長の主因は世界の経済史に例を見ないような急速な高齢化や人口減少である。

前半期のバブル崩壊の影響については既に述べたことに付け加えることはあまりない。ひとつだけ相違点を挙げると、日本では失業率の上昇が相対的に小さかったことである(図表12)。失業率のピークの水準を比較すると、日本は5.4%であり、欧米主要国の10%程度より有意に低い。これは、雇用の確保を優先するという社会の選択を反映し、賃金水準の調整がある程度弾力的に行われたことによるものである。雇用の確保自体は社会の安定という意味でプラスであった。他方、賃金の調整が行われたとはいえ、経済に加わったショックの大きさに比べて十分とは言えず、企業内失業が維持された結果、バブル崩壊後の需要やコストの変化に対応した資源再配置の遅れをもたらしたという意味ではマイナスであった。また、賃金の下落は、労働集約的なサービス部門の価格下落を通じて、デフレの一因ともなった。実際、日米のインフレ率格差の相当部分は財ではなく、サービス部門で発生している。

次に「失われた20年間」の後半期であるが、この時期については、人口動態の変化、より具体的には急速な高齢化の影響が大きい。日本の実質GDP成長率は確かに低下し、他の主要国と比較しても見劣りするが、過去10年の平均でみると、人口一人当たりの実質GDP成長率は他の先進国とほぼ同程度、そして、生産年齢人口一人当たりの実質GDP成長率で比較すると、日本が最も高い(図表13)。これらの数字が示すように、現在、日本が直面している最も大きな挑戦は、先進国では過去に例を見なかったような人口動態の急激な変化への対応である(図表14)。成長率の低下にしても財政悪化にしても、相当程度は人口動態の急激な変化への不適合から生じている。エコノミストによる経済予測の精度は多くの場合高くないが、将来の人口動態は比較的正確に予測できる数少ない経済変数である。そして、そのインプリケーションは極めて重要である。高齢化の進展や人口の減少は、潜在成長率の低下、財政収支の悪化、住宅価格の下落をもたらす要因である。他の先進国も先行き程度の差こそあれ日本と同様の問題に直面することを考えると、人口動態が経済に与える影響をもっと研究する必要がある。

4. 先進国は日本と同様の事態を経験するか?

それでは、先進国は日本が過去に歩んだ「長く曲がりくねった道」を辿っていくのだろうか。もちろん、これはイエスかノーで答えられる問いではない。採用される政策は、経済的要因だけでなく、社会や政治の反応にも依存する。どの国でも社会や政治には固有の複雑さがあるが、そうした要因に関する私の知識は限られている。したがって、以下では直接的な答えを述べる代わりに、調整に要する期間の長さを左右する要因を3つ挙げることにしたい。

第1の要因は、危機の前に積み上がった過剰債務の大きさである。過剰債務に関する大雑把な推計値をみるだけでも、調整に要する時間は長くならざるを得ないように思われる。それだけ、2000年代半ばにかけて発生したグローバル信用バブルは、大規模であったということである。

第2の要因は、潜在成長率の水準である。債務の規模が過剰か否かは、最終的に経済の規模に対する比率で判断できる。同じ額の債務を抱えていても、潜在成長率の高い経済の方が過剰債務の解消はその分早くなる。ただし、潜在成長率の大きさは固定的なものではなく、バブル崩壊後の政策や社会の反応によっても変わってくる。その意味で、バブル崩壊による二次被害(collateral damage)を回避することが非常に重要となってくる。

二次被害はさまざまな形で顕在化する可能性がある。たとえば、デレバレッジ進行下の低成長経済では、社会の不満は高まり、しばしば保護主義や過度に干渉主義的な政策がとられやすい。政治的・社会的理由から存続可能性の低い企業への貸出が続く場合は、生産性が徐々に低下し、潜在成長率が低下する。

さらに、金融政策も捻じれたインセンティブを与える惧れがある。低金利政策や潤沢な流動性供給は必要な措置であるが、他方で、これが長期化すると、非効率な企業を温存することを通じて生産性を引き下げる要因ともなり得る。低金利が政府の財政バランス健全化に向けた動きを遅らせる場合も、経済全体としての調整は遅れることになる。

人口減少も潜在成長率を引き下げることを通じて過剰債務の調整を長引かせる。人口増加率の低下や高齢化は先進国に共通の問題であるが、この点、日本はより深刻である。日本の人口増加率は米国、ユーロ圏、英国と比較すると、最も低いが、それ以上に、人口増加率低下の速度が速いことが経済や社会に様々な負荷をかけている。他方、欧米諸国は日本と比較すると、人口増加率は高いが、移民による人口増加の寄与度が大きい。しかし、この要因による人口増加は経済の低迷が続けば、減少することも予想される(図表15、16)。

第3の要因は、海外経済の成長率である。日本は2000年初頭以降、バブル崩壊後のデレバレッジの影響から徐々に脱していったが、これには海外経済が過去数十年間に例を見なかったような高成長を遂げたことの恩恵という面も大きかった(図表17、18)。しかし、振り返ってみると、当時は、世界的な信用バブルの発生・拡大過程であり、また新興国の力強い成長に牽引されていた時期であった。現在、先進国はバブル崩壊後のデレバレッジの影響から総じて低成長を余儀なくされていることを考えると、新興国がインフレやバブルを回避しつつ成長を遂げることが出来るかどうかは非常に重要である。

デレバレッジに必要な期間の長さを左右するこれら3つの要因のうち、最初の要因―当初の過剰債務の大きさ―は、バブルの崩壊により、所与となってしまう。しかし、残りの2つ―各国経済の潜在的な成長力とグローバル経済全体として成長のモメンタム―については、影響を与えることが可能である。バブル崩壊後は、金融システムの安定を保つことが重要であるが、それと同時に、経済を新たな環境に適合させ、二次被害に至るような圧力に屈しないことが重要である。そのためには、強い意志と決意を持たなければならない。

5. 中央銀行の役割

そろそろ時間がなくなってきたので話を締め括らなければならないが、最後に、この困難な時期における中央銀行の役割というテーマに関して、ごく簡単に考えを述べたい。

先ほど、バブル崩壊後の欧米諸国と日本との類似性を4つ挙げたが、もうひとつ類似点がある。それは、中央銀行の果たすべき役割について、人々の見方が鋭く分かれることである。米国ではQE2に対する政治家からの否定的な反応に示されるように、どちらかと言うと、中央銀行の積極的な行動に対する批判の方が強いように見える。しかし、その他の多くの先進国では、低成長を背景に、中央銀行への期待や要求が高まっているように見える。特に欧州におけるソブリン債務危機への対応を巡る最近の議論をみると、その感を深くする。中央銀行が物価と金融システムの安定という重要な役割を担っていることは言うまでもないが、中央銀行はすべての問題を解決できる組織ではない。特に、ゼロ金利とデレバレッジングで特色付けられる経済においては、そうである。実際、主要国の中央銀行総裁は私自身も含め、最近、そうした趣旨の発言を行っている7。尊敬するイングランド銀行のキング総裁の言葉を借りると、「金融政策に達成を期待できることには限界がある(There’s a limit to what monetary policy can hope to achieve.)」である8

中央銀行が達成できること、あるいは中央銀行が達成できると期待されることは何であろうか。逆に、達成できないことは何であろうか。バブルの発生やその後のバブル崩壊、金融危機の過程を振り返って今思うことは以下の4つである。

第1は、銀行に対する「最後の貸し手」として流動性を供給するという中央銀行の役割である。この役割は金融システムの安定を維持する上で極めて重要である。金融が急激に収縮してしまうと、経済活動も短期間に急激かつ大幅に落ち込む可能性が高まる。現在、欧州債務危機が深刻化している状況下、この教訓は皆が大事にしなければならない。しかし、同時に、「最後の貸し手」としての流動性供給の本質は「時間を買う」政策であることも認識しなければならない。時間を買うコストは着実に上昇する以上、その間に構造改革を進めることが重要である。

第2は、バブル崩壊後の金融政策についてである。金融緩和政策の効果の源泉は、将来の需要を現在に手繰り寄せるか、海外の需要を自国に持ち込むかのいずれかに求められる。しかし、前者のルートについて言うと、次第に現在に持ち込むことができる需要が減ってくる。後者のルートについて言うと、先進国全体が低成長の中では、ゼロサム・ゲームの色彩を帯びるようになり、世界経済全体の持続的成長という観点からすると、望ましくない。しかし、だからといって中央銀行が何もせずに責任を免れるわけではない。だからこそ、現在、主要国の短期金利がゼロ近くに低下している中で、日本銀行を含め、主要国の中央銀行は様々な非伝統的政策を使って長期金利を引き下げたり、信用スプレッドを引き下げることによって金融緩和効果を創出する努力をしている。しかし、それと同時に、中央銀行がこうした措置を講じて時間を買っている間に、必要な構造改革を進めることが不可欠であることを感じる。

第3は、金融政策における成功のパラドックスについてである。金融政策の目的は物価安定の下での持続的成長を実現することである。この点は、インフレーション・ターゲティングの枠組みを採用するか否かにかかわらず、日本や英国を含め、今や確立した考えである。しかし、こうした金融政策が成功すればするほど、物価は安定し、経済や市況のボラティリティも低下する。安定的な環境が長期に亘って持続するという予想が拡がると、レバレッジや金融機関の資産・負債の期間ミスマッチが拡大しやすくなる。ところが、レバレッジやミスマッチは、何かのきっかけで大きく巻き戻される可能性を内包していることから、その拡大は経済の脆弱性を高める。バブルの崩壊とはその脆弱性が顕在化したものである。今回のグローバル金融危機以前は、バブルへの対応戦略に関して、事前の予防か、事後の後始末戦略かの論争があったが、バブル崩壊のコストはあまりにも大きいことが、今回の危機を通じて、誰の目にも明らかになった。過去のバブルはほとんどの場合、低インフレ下で生じた。経済を安定させようとして消費者物価指数の短期的な安定に過度に焦点を当てると、不安定性の増大という反対の結果を招いてしまう。バブルは低金利だけで発生する訳ではないが、低金利が長期間にわたって持続するという予想が拡がると、レバレッジや金融機関の資産・負債の期間ミスマッチが拡大しやすい。その意味で、中央銀行は金融政策の運営に当たり、金融的不均衡の発生にも注意しなければならないと思う。

第4は、金融の規制・監督のあり方である。バブルの発生過程を振り返ると、資金の借り手、貸し手双方の積極的な行動に行き着くが、安定的な環境の持続に対する期待に加え、金融機関の場合には、規制・監督を通じて生じるインセンティブも影響を与える。バブル期における金融機関の積極的な行動を振り返ってみると、ほとんど例外なく、収益性の低下した金融機関が、規制・監督によって妨げられることなく、事後的にみればリスクの高い貸出に手を染めている。日本のバブル期もそうであったし、2000年代半ばの世界的な信用バブル拡大過程における欧州の金融機関もそうであった。現在、各国の中央銀行や規制・監督当局は規制・監督の改革を進めているが、過度なリスクテイクの抑制と、金融機関の収益性確保という両方の課題のバランスをどうとるかも大きな論点である。

7 以下の発言を参照。
Bernanke, Ben S., Testimony at the Joint Economic Committee, U.S. Congress, October 4, 2011:“Monetary policy can be a powerful tool, but it is not a panacea for the problems currently faced by the U.S. economy.”
Draghi, Mario, Interview with the Financial Times, December 14, 2011:“Monetary policy cannot do everything.”
8 キング総裁のインフレーション・レポート発表時の記者会見(2011年11月16日)。

6. 結語

近年の金融危機は、ビートルズの歌にあるように、確かに、多くの人々に対し「涙の水たまり」を残した。この結果、ディケンズの言葉を借りれば、人々は、「およそ悪しき時代」にいるように感じている。しかし、我々は「およそ善き時代」にいるとは言えないかもしれないが、望みを捨てるには、まだ早い。我々は、直面している困難を解決する資源―すなわち、お金だけでなく、知性と組織的な能力―を有している。バブルが崩壊した後でも、経済を新たな環境に適合させ、二次被害に至るような圧力に屈しなければ、我々は新たな成長へと繋がる道を見つけることができる。必要なのは意志と決意である。最終的に、そうした強い意志と決意を持てれば、「長く曲がりくねった道」も短くすることができるのである。

ご清聴に感謝する。

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