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【講演】

公共財としての国際金融システムの安定

日本銀行・IMF共催ハイレベル・セミナーでの基調講演の邦訳

日本銀行総裁 白川 方明
2012年10月14日

目次

1.はじめに

改めて皆様方がIMF・世銀総会の機会にわが国を訪問されたことを歓迎します。

2年ほど前、バーゼルで開催されたペール・ヤコブソン講演で、私の尊敬する古くからの友人であった故パドア・スキオッパ氏が、急速に一体化しているグローバル経済のガバナンスをいかに強化していくかという点について洞察を披歴されました。それ以来、この問題は私の心にいつも残っていました。本日、IMFと共催でこの問題に関するハイレベル・セミナーを開催できたことを喜ばしく思います。

本日、ここに集まった皆様の多くがパドア・スキオッパ氏の講演をお聞きになったと思いますが、その席にいらっしゃらなかった方のために、まず、氏の考えを要約したいと思います。パドア・スキオッパ氏は、市場の力がグローバルに浸透するもとで、各国の政府がそうした力を十分に制御できなかったことが今回の国際金融危機の原因の1つになったと指摘しました。氏は、国境を越えて展開している金融活動が増大すると、そのような活動を支援し、あるいは円滑化する基本的な制度やサービスが必要になると喝破しました。これらの制度やサービスには、国境を超えた視点からの金融機関の健全性を維持するための規制や監督が含まれます。しかし、こうした制度やサービスは、国家を超えた視点というその本源的な性格が故に、各国政府が提供することができなかったことから、供給されなかったか、あるいは供給されたとしても不十分なものにとどまっていました。パドア・スキオッパ氏は、このような問題を解決するためには、グローバル経済に対する超国家的なガバナンスを強化する必要があると主張しました。

2.国際金融危機とグローバルな公共財の供給

パドア・スキオッパ氏をはじめとする多くの識者が指摘したように、今回の国際金融危機は、各国が国内的な安定を確保するような経済政策を追求し、民間の経済主体がそうした環境の下で自由に活動することができれば、グローバルな経済はうまく回る、という見方があまりにも単純であることを示しました。我々は市場の自己修正力には限界があることを痛感しました。大混乱を避けるためには、市場の軌道を、そっとあるいはしっかりと、また時として力を込めて修正しなければならないということです。さらに、市場がうまく機能するためには、市場自身が自発的に提供しない、法の支配、私有財産権への配慮、自由かつ安全な移動といった制度あるいはサービスも必要です。こうした制度あるいはサービスを経済学の教科書では「公共財」と呼んでいますが、グローバル経済がうまく機能するために必要な公共財は「国際公共財」であると言えます。

では、国際金融システムの機能を支える国際公共財とは何でしょうか。誰でもすぐに思いつくのは、国境を越える金融活動を適切に規制し監督することですが、これは十分な答えではありません。今回の国際金融危機は、この分野において多くの欠陥があったことを示し、国際社会はそうした欠陥を修正するための手段を講じています。良い規制や監督は重要であるものの、それだけでは十分ではありません。個々の金融機関の健全性は、金融システムの安定の1つの構成要素に過ぎないのです。その意味で、グローバルな金融市場を支える国際公共財は、規制監督当局のみによって提供されるものではありません。中央銀行や政府の省庁、規制当局といったさまざまな主体が、健全な金融政策、金融活動に携わる主体の実効的な規制、あるいは堅固な市場インフラの奨励といったさまざまな取り組みを通じ、安定的な国際金融環境の実現のために、ともに力を合わせています。

国際金融システムの安定を公共財として捉えると、確立されたミクロ経済的な枠組みでこれを分析することができます。公共財は、一般的には、利用者が増えても追加的な費用がかからないという非競合性や、対価を支払わない利用者を排除困難という非排除性という特徴を有しています。こうした性格から導き出される帰結として知られている点を2つ挙げれば、市場に任せきりにしておいてはそれが十分に供給されないということと、仮に何らかの方法で財が供給された場合、過剰に消費される傾向があるということです。最近の国際金融危機は、国際金融システムの安定という公共財の過剰消費の結果ということができます。金融機関が、システムの安定を当然視し、過剰なリスクをとってしまいました。その結果、リスクが顕在化したときの影響が極めて大きくなり、市場はそれ自身では安定性を取り戻すことができず、中央銀行による協調的な流動性の供給といった公的当局の介入をまたなければなりませんでした。

3.グローバル化する世界のもとでのグローバルなガバナンス

グローバル化が進展し、各国の金融システムがますます相互依存性を強める中では、金融システムの安定性はグローバルに達成されなければならなくなっています。これを実現するには、グローバルなレベルにおいて良いガバナンスを確保しなければなりません。幸いなことに、グローバルなガバナンスを強化することに対し原理的に反対する人はいません。金融システムが国境を越えて展開し、グローバルになってしまった状況では、何らかの対策なくして金融システムがその機能を適切に発揮できないということを誰もが直感的に理解しています。他方、金融危機によって加速されたとはいえ、この面における進展は決して速いとは言えません。それはなぜでしょうか。

ハーバード大学のダニ・ロドリック教授の視点が参考になります。同教授は、深化したグローバル化と、国民国家と、民主的な政治を同時に達成することはできないと指摘しています。たとえば、近年、情報通信技術の進歩は、国境を越えて金融機関が活動することを可能にしました。アイスランドやアイルランドで最近生じたように、金融機関は母国以外における活動で経営危機に陥ることがあります。仮に、母国の政府が、国際金融システムの安定性を確保するためにこれらの金融機関を救済しようとする場合、母国の納税者が負担し得る以上の巨額のコストがかかり、民主主義が制約される可能性が生じます。こうした結果を回避しようとすれば、グローバルな安全網を提供できる民主的な世界政府を樹立するか、民主的に選出された各国の政府が制御できる程度までグローバルな金融活動を制限するしかありません。前者の場合は国民国家を、後者の場合はグローバル化の深化を制約することになります。

3つの選択肢のうち、ロドリック教授は、3番目の選択肢、すなわち、過度なグローバル化ではなく、賢いグローバル化(smart globalization)を提唱しています。合理的な考えをする方の多くもこれに賛成すると思います。グローバルなガバナンスの強化がなかなか進まず、近い将来これが加速しそうもないとみられることを考えると、このような選択は常識的にみえます。

しかしながら、問題は、グローバル化を効果的に制御しようとしても、これが難しいことです。公共財の過剰消費は裏を返せば、そうした財の供給のためのコストが十分に内部化されていないということです。これは、グローバル化した金融活動がもたらし得る利益がかなり大きくなり、金融活動に対する制約を回避するようなインセンティブが強く作用することを意味している可能性があります。また、交通手段や情報通信技術の進歩は、民間の経済主体が不都合なルールや規制をすり抜けることをますます容易にしています。私たちの経験に照らせば、この面における民間の創意工夫の才を過小評価してはなりません。ブレトン・ウッズ・システムの崩壊を覚えておられると思います。同システムは、賢いグローバル化の試みと言えましたが、それが崩壊してしまったことは、賢いグローバル化の難しさを示しています。さらに、経済活動にかかわるさまざまな公的あるいは民間の主体がますます多様になるもとでは、何が望ましいグローバル化であるかについて合意を得ることは難しいと考えられます。もし、そうした合意が得られないまま、貿易の制限、支店による進出の禁止や、海外業務からの強制撤退といった一方的な措置がとられるようなことがあれば、すべての人々が不利益を蒙ることになります。こうした問題を回避することはできるのでしょうか。

グローバル・ガバナンスの目的がグローバルな金融システムの安定性を確保することであり、グローバルな金融システムの安定性が公共財であるということであれば、グローバル・ガバナンスを公共財の供給を巡るミクロ経済学的な問題として捉えられるということになります。公共財にかかる問題を解決するための方法はよく知られています。最も直截なのは、公的部門が公共財を供給することです。公共財の消費にかかるルールを定めることもできます。さらに、公共財の消費に課税したり、その供給に補助金を支給することも考えられます。このほか、排除性を高める工夫を行うことにより、公共財としての性格を変える方法も考えられます。もちろん、これらすべてが国際金融システムの安定性を確保するために使えないかもしれませんし、導入が容易なものとそうでないものがあるのも事実です。

私がこれまで参加してきたさまざまな国際的な議論の場における経験を振り返ってみると、私たちは、もっとも直截な方法、すなわち公的部門による公共財の提供という解を追求することによって、問題の解決をかえって難しくしているような気がします。パドア・スキオッパ氏が指摘した通り、個々の国民国家がグローバルな公共財を提供することにはおのずと限界があります。単一のグローバルな公的な主体によって体系的に公共財が提供されることが望ましいのは事実ですが、そうした仕組みを私たちが依って立つ民主的な原理に基づいて実現することは難しいといえます。国際機関は、民主的なアカウンタビリティに欠けているという批判をしばしば受けます。他方、徴税力をもった民主的に選出された世界政府を樹立することが近い将来に実現するとは考えられません。最近のユーロ圏に起きている問題はこの難しさを示しています。

そうであるならば、私たちは、公共財の問題を解決するために知られた選択肢を組み合わせる、より現実的なアプローチを追求するべきです。グローバルに重要な金融機関の効果的な監督といった一部の公共財は、個々の国のレベルで供給できます。グローバルな金融環境を監視し、マクロプルーデンス上のリスクを特定するといった個別具体的な課題への対応を、超国家的な組織に民主的な原理と整合的なかたちで任せることは可能です。民間の主体に、バーゼル自己資本規制といった一定のルールを守らせることも可能です。これは、国際金融システムの安定を消費するルールにほかなりません。さらに、課税や補助金の支給によって民間の主体の行動に影響を与えることができるかもしれません。たとえば、自己資本規制も、リスクの高い投融資活動のコストを高めるという意味で、この一例と位置づけることもできるでしょう。さらに、私自身は市場流動性に対する悪影響などを踏まえると、ベネフィットがコストを上回るとの考えには賛同していませんが、金融取引課税も選択肢であると主張する方もいらっしゃると思います。いずれにしても、私たちは、グローバル・ガバナンスにかかる柔軟かつ複線的なアプローチを目指さなければなりません。これは、ますます多様化する国際社会にふさわしいものだと言えます。

4.中央銀行とグローバルなガバナンス

グローバル・ガバナンスの文脈で中央銀行が何をできるかという点に目を転じると、まず、中央銀行が、金融政策、金融監督および決済システムにかかる政策の遂行において果たしている役割に鑑み、そうしたガバナンス面でも重要な主体であることは論をまちません。個々の国における安定的かつ持続可能な成長は、中央銀行の政策の究極的な目的ですが、これは安定的な国際金融環境の重要な構成要素です。国際金融危機の際にみたように、危機に直面した際には、中央銀行による協調的な流動性の供給は、金融システムの安定性を確保するために重要な役割を果たします。中央銀行は、国際的なルールの策定にも深く関与しています。

それと同時に、中央銀行は、国民国家によって与えられる権限によって制約されています。中央政府から独立しているとはいえ、究極的には国民に対しその行動の責任を負っています。中央銀行は、その行動の正統性を意識しなければなりませんが、同時に、環境の変化によって必要になるのであれば、固定観念にとらわれることは良い結果を生まないのも事実です。19世紀半ば以降、中央銀行がみせた段階的かつ自然発生的な進化は、こうした事情を示しています。この点に関連してすぐに思い浮かぶのは、金融政策の国境を越えた波及とその跳ね返りの問題です。こうした効果が十分に内部化されないと、国際的な金融システムの安定性は遠ざかってしまうかもしれません。

5.おわりに

時として、私たちは大きな問題には大きな解決策が求められていると考えたくなります。しかし、現実には、もっとも良い解決策は小さな一歩の積み重ねです。グローバルな問題には、グローバルな解決策が必要ですが、そうした解決策は手に負える小さな部分に分割することができるはずです。本日のセミナーが、その意味で小さいけれど重要な一歩になれば幸いです。

本日は、ご静聴ありがとうございました。

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