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【講演】「量的・質的金融緩和」とわが国の金融経済情勢

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共同通信加盟社論説研究会における講演

日本銀行副総裁 岩田 規久男
2014年5月26日

目次

1.はじめに

日本銀行の岩田でございます。本日は、このように大勢の論説委員の方々を前にお話しする機会を頂きましたことに、心より感謝申し上げます。

本日は、昨年4月から日本銀行が進めている「量的・質的金融緩和」の内容とその背後にある考え方、政府が進めている成長戦略との役割分担などについてお話ししたいと思います。

2.インフレ目標政策とデフレ

(1)デフレのもたらす弊害

はじめに、「そもそもなぜデフレが問題なのか」「なぜインフレ目標政策なのか」といった基本的な点について、改めてお話ししたいと思います。

支出の先送りによる総需要の縮小

持続的な物価の下落であるデフレは、いくつかの経路を通じて経済の停滞をもたらします(図表1)。

まず、物価が持続的に下落するということは、時間が経過するほど同じ金額でより多くの物やサービスが手に入る、言い換えると、現金や預金を持っているだけで価値が増えていくということですから、企業や家計が消費や投資といった支出行動を先送りするようになります。つまり、総需要が減少してしまうわけです。

総需要が減少すると、企業はそれに見合った水準まで生産活動を縮小します。企業収益は悪化し、雇用者の所得も減少しますから、消費や住宅投資、企業の設備投資などの活動がさらに停滞します。つまり総需要がさらに縮小して、それによってますます物価が下落していきます。こうして、物価の下落と不況の悪循環に陥ってしまうのです。

実質債務負担の増大

また、物価が持続的に下落するということは、物やサービスに対するお金の価値が持続的に上昇するということであり、お金を借りている債務者にとっては、将来返済するお金の価値の持続的な上昇を意味します。つまり、実質的な債務負担の増大です。

そのため、企業や家計は、新たな資金調達を行うことに慎重になりますし、既存の負債の実質的な負担も重くなるため、消費や投資には悪影響が生じます。こうして、家計の消費や住宅投資、企業の設備投資などが停滞し、総需要が縮小する結果、やはり不況と物価下落の悪循環が生まれます。こうしたメカニズムを「債務デフレ」と呼ぶこともあります。

過度な円高の進行

物価の持続的下落は、物やサービスに対するお金、すなわち「円」の価値の持続的な上昇を意味しますが、日本だけがデフレの場合、通貨間の関係では、外貨に対する円の価値の上昇、すなわち「円高」をもたらすことになります。

円高が過度に進むと、国際的な価格競争力の低下や、獲得した外貨の円換算レートの悪化等を通じて、輸出セクターに悪影響が生じます。また、日本の労働力や資本のコストが国際比較で割高になりますから、日本企業の生産拠点の海外移転が進む一方で、日本への対内投資には悪影響が及ぶことになります。これは、国内の雇用需要を減らすとともに、成長率の低下をもたらします。こうして、過度な円高の進行という経路を通じても、デフレは日本経済の総需要に負の影響を与えることとなります。

(2)安定した緩やかなインフレの利点

逆に、安定した緩やかなインフレ、例えば消費者物価指数が前の年に比べて毎年2%程度上昇していくような環境においては、今ご説明したデフレとは逆のメカニズムが働くことになります(図表2)。

すなわち、将来の安定した緩やかな物価の上昇が見通せるとするなら、デフレとは逆に、消費や投資を前倒しするインセンティブが恒常的に働くことになります。支出活動が刺激され、経済全体の総需要が増加すれば、企業はそれに見合った水準まで生産活動を拡大します。

また、主要な貿易相手国との間で物価上昇率の格差が是正されることは、過度な円高の修正をもたらしますし、他国との予想物価上昇率差の縮小とその安定は、為替レートの安定につながります。

このようにして、企業の収益が好転し、雇用者の所得も増加しますから、家計の消費や住宅投資、企業の設備投資などの支出活動がさらに活発化します。総需要が持続的に増加することによって、物価も持続的に上昇し、好景気と物価上昇の好循環が実現することになるわけです。

(3)インフレ目標政策

それでは、「安定した緩やかなインフレ」を実現するためには、どのような政策が望ましいのでしょうか。

その一つの答えが、インフレ目標政策(インフレーション・ターゲティング)と呼ばれる枠組みです。日本銀行が、消費者物価の前年比上昇率2%という「物価安定の目標」のもとで金融緩和を推進しているのも、インフレ目標政策の典型的な事例であるとご理解頂いてよいでしょう(図表3)。

政策の信頼性と予測可能性の向上

インフレ目標政策には様々な利点があります。

まず、将来のインフレ率について、具体的な数値目標を掲げるわけですから、目標を達成できたかどうかは客観的に判断できます。透明性が高くなることで、政策判断や目標の達成状況についての中央銀行の説明責任も重くなりますので、金融政策に対する信頼性は高まりやすいといえるでしょう。

将来の物価についての予測もしやすくなりますから、様々な経済主体が、それを前提として経済活動を行うことができるようになります。そして、この将来の物価についての予測可能性は、金融政策に対する信頼性が高まるほど、さらに強化されるのです。

ハイパーインフレの防止

日本銀行の政策に対する懸念として、「いざ金融緩和を止めようと思っても、金融市場や政府からの圧力がかかるため、なかなか止められないのではないか。そうすると、結局ハイパーインフレになってしまうのではないか」という懸念の声が聞かれますが、この点についても、インフレ目標政策を採用していることが有効に働きます。

なぜなら、インフレ目標政策というのは、将来のインフレ率についての具体的な数値目標を掲げて、それを上回るインフレにもデフレにもしないことを約束する仕組みだからです。

日本ではデフレからの脱却の手段として議論されることの多いインフレ目標政策ですが、もともとは1980年代のニュージーランドなど、高インフレに悩んでいた国々によって採用された政策です。

仮にこの先、景気が過熱して2%の物価安定目標を大きく上回るような状況が予想される場合には、インフレ目標政策の枠組みに沿った、適切な対応をとるということも、日本銀行はすでにお約束しているとご理解下さい。

日本銀行は、日本銀行法で定められた理念に基づき、今後とも、政府との十分な意思疎通を図りつつも、自らの判断と責任において、金融政策運営を行っていくことを強調しておきたいと思います。

3.量的・質的金融緩和について

ここからは、デフレからの脱却に向けて日本銀行が取り組んでいる「量的・質的金融緩和」の内容と、波及メカニズムについてお話しします。

(1)二つの柱

先ほど述べたように、日本銀行は、消費者物価の前年比上昇率2%という「物価安定の目標」を設定し、この目標の実現に向けて、2013年4月以降、「量的・質的金融緩和」と呼ばれる強力な金融緩和政策を進めています(図表4)。

「量的・質的金融緩和」には、大きく二つの柱が存在します(図表5)。

第一の柱は、2%の物価安定目標の早期達成についての「コミットメント」です。具体的には、「2%の物価安定目標を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」と、目標達成までの期限も示しながら、明確に約束したということです。

第二の柱は、第一の柱であるコミットメントを「具体的な行動で示す」ということです。具体的な行動は、「量的・質的」という言葉のとおり、日本銀行のバランスシートの「量」の拡大と「質」の変化の両面に表れています。「量」の拡大は、巨額の長期国債買入れを行うこと等によって、マネタリーベースを年間約60〜70兆円に相当する大幅なペースで増加させることです。「質」の変化とは、リスクのより大きな資産を購入することです。長期国債については、満期の長い銘柄を買入れの対象に含めました。また、資産価格のプレミアムに働きかけるため、ETFとJ-REITの買入れ規模も拡大しました。

(2)波及メカニズム

「量的・質的金融緩和」の波及メカニズムの鍵となるのは、予想長期実質金利の引き下げです(図表6・7)。

予想実質金利とは、金融市場や銀行の店頭などで観察される名目金利から、個々の経済主体が予想する将来のインフレ率を差し引いた数値にあたります。例えば、借り手の側に立って考えると、一定の名目金利でお金を借りたときに、「物価の変化を考慮すると、実質的な借入れコストはいくらになるか」ということについての、借り手の主観的な予想ということになります。

インフレ目標の達成にかかる明確なコミットメントと、それを裏打ちする大規模な金融緩和によって、予想インフレ率を押し上げる効果が生まれます。一方で、短期名目金利がほぼゼロである下で、巨額の長期国債を買入れることによって、長期名目金利の上昇を抑制する効果が生じます。こうした、名目金利の上昇抑制と、予想インフレ率の押し上げの効果が相まって、その差分である予想実質金利に対する下方圧力が生じることになるわけです。

企業や家計の予想実質金利が下がると、様々な面から実体経済における需要が刺激されます。

例えば、予想実質金利が低下すると、現預金や債券から株式や土地・住宅等の実物資産、あるいはより金利の高い外貨への資金シフトが起こり、株高や外貨高などによる資産効果によって、家計の消費が刺激されます(図表8・9)。

また、予想実質金利の低下に加えて、消費の増加や円安による輸出環境の改善など複数の要因に後押しされた企業は、設備投資に積極的になると考えられます(図表10)。

こうして消費や投資などの需要が増加することによって、経済全体の総需要不足が解消されていけば、おのずと物価水準は上向き、それが予想インフレ率を物価安定目標に向けてさらに上昇させるという好循環が期待できます。

物価安定目標の実現に懐疑的な意見として、「為替レートの円安化が進まないのであれば2%の物価安定目標の実現は難しい」との指摘が頻繁に聞かれますが、今申し上げたように、「量的・質的金融緩和」の波及メカニズムのポイントは、「予想インフレ率の引き上げと需給ギャップの改善の好循環によって2%の物価安定目標を実現する」ということであり、円安による輸入物価の上昇に依存したものではありません。

仮に、昨年4月以降の「量的・質的金融緩和」による消費者物価の上昇が、もっぱら円安による輸入物価の上昇を原因としたコスト・プッシュ型インフレであれば、実質GDPは減少し、それに伴って失業率は上昇したはずです。つまり、スタグフレーションが起きたはずです。

しかし、実質経済成長率の実際の推移をみると、12年11月にアベノミクス構想が発表される直前は、2四半期連続のマイナス成長(12年第2四半期-0.6%、第3四半期-0.8%<季調済前期比>)でしたが、12年第4四半期以降は、6四半期連続してプラス成長になっています。また、13年度の実質経済成長率は、12年度の0.7%から2.3%へと大きく上昇しました。

失業率についても、「量的・質的金融緩和」を開始する直前の13年3月は4.1%でしたが、14年3月には3.6%まで低下しています。3.6%の失業率というのは、リーマン・ショック前の好況期(07年7月)の失業率と同じ水準です。

つまり、「量的・質的金融緩和」以降のインフレ率の上昇は、実質GDPの拡大と雇用の改善を伴うディマンド・プル型だということです。

日本では、1990年代後半から長期にわたりデフレが続く中で、人々の予想インフレ率が低下し、「デフレ予想」が定着した状況にありました。人々の予想に直接働きかけて「デフレ予想」を払拭すること、すなわち、人々の予想インフレ率を引き上げることを政策効果の中心に据えた点が、「量的・質的金融緩和」の大きな特徴となっています。

(3)現状の評価

「量的・質的金融緩和」の導入から1年2か月が経過しましたが、これまでのところ、所期の効果が出ていると考えています。様々な経済主体に対するアンケート調査や、国債市場で観測されるブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)などをみると、わが国の予想インフレ率は全体として上昇しています(図表11)。また、名目金利についても、日本国債の金利は低い水準で安定的に推移しています。

こうした緩和的な金融環境のもとで、生産・所得・支出という前向きの循環メカニズムを伴いながら、日本経済は緩やかな回復を続けています。物価についても、例えば生鮮食品を除くベースでみた消費者物価の前年比上昇率は、長期間続いたマイナスの状態から、1%台前半まで改善しています(図表12)。このように、わが国経済は2%の「物価安定の目標」の実現、すなわちデフレからの脱却に向けた道筋を順調に辿っており、我々はこの政策に確かな手応えを感じています(図表13・14・15)。

4.金融政策と潜在成長力

(1)成長戦略との役割分担

最後に、日本銀行の金融政策と、日本経済の潜在成長力の関係について、整理しておきたいと思います。

ご承知のとおり、日本は現在、(1)大胆な金融緩和、(2)機動的な財政政策、(3)民間投資を喚起する成長戦略を組み合わせたマクロ経済政策に取り組んでいます。

こうしたポリシーミックスの中で、金融政策の役割は、直接的には「デフレから脱却して、2%の物価安定目標を実現すること」に尽きるわけですが、潜在成長力との関係では次のように整理できると思います(図表16)。

第一の役割は、言うまでもなく、大規模な金融緩和により総需要を刺激し、需給ギャップを解消することにより、経済を本来の潜在成長軌道に復帰させることです。デフレと不況の悪循環を、デフレからの脱却により断ち切ることとも表現できます。

「量的・質的金融緩和」によって需給ギャップが解消される過程では、労働者がより効率的に働けるようになったり、マインドの改善した企業がリスクを取って資本設備を増やしたり、技術革新を進めたりする結果として、潜在成長率もある程度高まると思います。しかし、それ以上に潜在成長率を高めるのは、金融政策ではなく、規制改革などの政策手段を持っている政府の役割です。

したがって、第二の役割は、政府が成長戦略による経済の構造改革を推し進め、潜在成長軌道自体の引き上げを図るために必要な環境を、デフレからの脱却により整えることであるといえます。

経済がある程度好調でなければ、経済の効率性とダイナミズムを高め、生産性を引き上げるための構造改革も進めることができません。デフレ不況下では、規制緩和を通じた競争促進政策等による痛みに対して、強い抵抗が生じるためです。「創造的破壊」という言葉がありますが、デフレ不況が継続していては、「破壊」の後に「創造」が続かないということです。

また、仮に成長戦略による経済の構造改革が進んだとしても、構造改革は基本的には日本経済の総供給能力を拡大させるサプライサイド政策であり、それに見合う総需要がなければ、却ってデフレ圧力を生んでしまうという面もあります。したがって、構造改革から生じるデフレ圧力を和らげるためにも、適切な金融緩和による下支えは必須なのです。

(2)今後の課題

仮に、成長戦略に基づく政府の施策や民間の取り組みが停滞し、潜在成長力の強化が進まなければ、物価安定目標の達成は、「マイルドなインフレ下における低実質成長」をもたらす可能性があります。

もちろん、長期にわたるデフレからの脱却だけでも、大きな達成ではあるわけですが、日本経済再生に向けた取り組みの成果としては、それだけでは十分とはいえません。日本銀行としては、日本経済の潜在成長力の強化に向けて、政府による成長戦略がさらに推進されていくことを、強く期待しています。

逆に、成長戦略による経済の構造改革が進んだ結果として潜在成長率が上昇した場合、一時的に需給ギャップが悪化し、物価に対する下落圧力が生じる可能性があります。しかし、日本銀行は、2%の物価安定目標の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで「量的・質的金融緩和」を続けますから、そうした物価下落圧力をはね返すことができます。

日本経済が、2%程度の安定したインフレ率の下で、より高い実質成長を実現する日が、そう遠からず訪れることを期待しつつ、着実に「量的・質的金融緩和」を進めていきたいと考えています。

ご清聴、ありがとうございました。