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【発言要旨】デフレ脱却に向けた日本銀行の取り組み

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第7回日本証券サミット<ロンドン>における冒頭発言の邦訳

日本銀行政策委員会審議委員 佐藤 健裕
2015年2月11日

本日は、第7回日本証券サミットにパネリストとしてお招きいただき、たいへん光栄に思う。

日本経済は、家計部門・企業部門とも所得から支出への前向きな循環メカニズムがしっかりと作用し、基調的に緩やかな回復を続けており、先行きも緩やかな回復基調が続くとみられる。前月の中間評価における政策委員見通しの中央値は、原油価格下落や政府の経済対策の効果等もあり、2015、2016年度とも成長率が10月と比べて上方修正となっている。

一方、物価面をみると、最近の原油価格低下を受け、日本も含め、主要国のインフレ率は軒並み低下傾向にある。こうしたなか、主要国の中央銀行はインフレ率の低下が人々の中長期的な予想物価上昇率に影響し、それがインフレ率の一段の低下をもたらすフィードバックループに陥るのではないかという問題意識を共通に抱えている。日本銀行が昨年10月に「量的・質的金融緩和」を拡大したのもそうした理由からであった。

私は「量的・質的金融緩和」の拡大に反対票を投じたので、この場でこの政策を語る人間として適切でないかもしれない。しかし、デフレ脱却に向けた日本銀行の揺るぎない決意は私も共有している。ここでは、第一に「量的・質的金融緩和」の効果について、第二に日本銀行の掲げる「物価安定の目標」について、第三に、「量的・質的金融緩和」を最終的に成功に導くに当たり、財政健全化努力の重要性について、私の考えを述べたいと思う。

第一に、「量的・質的金融緩和」の効果は資産買入れの進捗とともに累積的に強まっている。日本銀行は、年間約80兆円に相当するペースで長期国債保有残高が増加するよう国債の買入れを行っている。年間約80兆円という額は、政府の新規財源債の発行額を大幅に上回るが、これは最終投資家の国債保有残高の減少を意味する。もっとも、日本の機関投資家は、国際的な金融規制に対応するなか、国内において貸出など他の投資機会が不足していることもあり国債への選好が強い。このため、日本銀行による大規模な買入れが続くなかで、その金利形成面への影響は「量的・質的金融緩和」拡大以降一段と顕著になっている。実際、イールドカーブは中期ゾーンが一時マイナス化したほか、超長期ゾーンも大幅に低下するなどフラット化が更に進んでいる。一方、このところ、金利のボラティリティの高まりがみられる。私としては、こうした金利形成が、政策効果として、様々な資産価格や投資家の資産配分に及ぼす影響を注視している。一方で、広義の決済システムを含めた金融システムの安定性や市場機能などに影響をもたらさないかどうか、副作用も注視している。日本銀行が現状、グロスベースでみた市中発行額の約9割の国債を買い入れていることから、やや長い目でみて、「量的・質的金融緩和」が出口を迎える際には、市場の価格発見機能の円滑な回復が課題となろう。

第二に、「物価安定の目標」の達成状況の評価について、私は、特定の物価指標に着目するのではなく、賃金を含む幅広い物価指標を丹念に点検していくなかで、企業や家計など人々の行動様式がある程度の物価上昇を前提としたものに変化していくかどうかが重要と考える。もとより人々の中長期的な予想物価上昇率を計測する決め手がない以上、長期にわたり欧米対比で低位にあった人々の中長期的な予想物価上昇率が上方にシフトしつつあるかどうかは、幅広い経済主体の行動様式などから定性的に判断していくほかはない。その点、デフレ下で顕著であった家計の極端な低価格志向はかつてほどではなくなり、企業の価格設定行動にも前向きな変化がみられる。何よりも重要なのは、デフレ下で大方忘れ去られていた物価上昇率に応じた基本給の改訂という賃金決定の基本的なメカニズムが労使交渉の場で復活しつつあることである。基本給は上がらないものという人々のデフレ下の固定観念に風穴があけば、人々の中長期的な予想物価上昇率に好影響が及ぶ可能性がある。

加えて、私としては、「物価安定の目標」実現には、幅広い主体の構造改革努力を通じた生産性上昇とそれによる潜在成長力向上も必要と考える。そうしたもとで緩やかな物価上昇が生じ、生産性に見合う賃金の改善が持続的に進むことで人々はデフレ脱却の恩恵を享受できるようになるであろう。生産性上昇の鍵を握るのは設備投資であり、最近の労働市場の逼迫などが企業行動の変化の呼び水となることを期待している。

第三に、「量的・質的金融緩和」を最終的に成功に導くうえで、財政運営への信認確保は重要である。この点、2013年1月の共同声明では、「政府は、持続可能な財政構造を確立するための取組を着実に推進する」とされている。2015年度の予算案をみても、政府は財政健全化の努力を続けているものと理解している。

日本銀行による国債買入れは金融政策目的であり、財政ファイナンスではない。そうした日本銀行の説明が説得力を持ち得るのは政府の財政健全化努力があるからである。仮にそうした努力に市場が疑念を持てば、リスクプレミアムの拡大から「量的・質的金融緩和」の効果が損なわれる可能性がある。リスクプレミアムが一旦拡大すればその制御は困難である。日本銀行の大規模買入れにより、国債市場でリスクプレミアムが拡大する余地は乏しいとの意見が一部の市場参加者から聞かれるが、リスクプレミアム拡大の可能性は国債市場に限られる訳ではなかろう。

政府の財政健全化に向けた取り組みは、やや長い目で見て、「物価安定の目標」を安定的に実現し「量的・質的金融緩和」からの出口を探る際にも、同様に重要になってくると思われる。今後も、持続可能な財政構造の確立に向けた取り組みが着実に進められることを期待している。

「量的・質的金融緩和」は名目金利を国債買入れにより抑えつつ、人々の中長期的な予想物価上昇率の引き上げを図ることで実質金利を押し下げるという難度の高い政策である。これまでのところ、資産市場をはじめ、家計や企業の行動様式に前向きな変化が生じるなど「量的・質的金融緩和」は所期の効果を発揮しているとみている。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に維持するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続することとしている。また、その際、経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、必要な調整を行っていくこととしている。私としては、先に述べたように、人々の行動様式がある程度の物価上昇を前提としたものに変化していくかどうかが、その際の判断の基準になると考えている。