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【講演】「量的・質的金融緩和」の2年

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読売国際経済懇話会における講演

日本銀行総裁 黒田 東彦
2015年5月15日

目次

1.はじめに

日本銀行の黒田でございます。本日は、読売国際経済懇話会でお話しする機会を頂き、誠に光栄に存じます。

前回、本席でお話しさせて頂いたのは、一昨年の4月、「量的・質的金融緩和」を導入した直後でした。それから2年が経ちましたが、「量的・質的金融緩和」を進めていくもとで、わが国の経済・物価情勢は大きく改善しています。昨年夏以降の原油価格の大幅な下落の影響などから、消費者物価の前年比上昇率は低下し、最近では0%程度となっていますが、後ほど詳しくご説明するように、物価の基調は着実に改善しています。

本日は、まず、この2年間の経済・物価の動きを振り返り、「量的・質的金融緩和」がどのような効果を発揮してきたかご説明したいと思います。そのうえで、経済・物価の先行きと金融政策運営について、先日公表した展望レポートにも触れながら、お話しします。

2.「量的・質的金融緩和」の効果

「量的・質的金融緩和」のメカニズム

2年前「量的・質的金融緩和」を導入した際、日本銀行は、主として次のような波及メカニズムを想定しました(図表1)。すなわち、第1に2%の「物価安定の目標」に対する強く明確なコミットメントとこれを裏打ちする大規模な金融緩和によって予想物価上昇率を引き上げる、第2に巨額の国債買入れによってイールドカーブ全体に下押し圧力を加える、第3にこの2つによって実質金利を引き下げる、これが政策効果波及の起点です。実質金利が低下し、民間需要を刺激することで、景気が好転し、需給ギャップが改善します。そして需給ギャップの改善は、予想物価上昇率の上昇とあいまって、実際の物価上昇率を押し上げます。実際の物価上昇率が上昇すれば、人々の予想物価上昇率がさらに押し上げられます。この間、金融面では、株価や為替相場などの資産価格が、こうした経済・物価の動きを反映し、あるいはその動きを先取りする形で形成されます。さらに、国債金利の低下や日本銀行のETF、J-REITなどの買入れなどから、投資家がリスク性資産への選好を高める結果、リスク性資産の価格にプラスの影響が生まれるほか、金融の量的側面でも、貸出の増加などが期待されます。これらの金融面の動きは、また実体経済を後押しします。「量的・質的金融緩和」は、以上のような金融・経済・物価面の好循環を作り出し、経済の好転を伴いながら、2%に向けて物価上昇率が高まっていくことを目指しています。

実質金利の低下効果

実際の成果はどうだったでしょうか。まず、「量的・質的金融緩和」のメカニズムの起点である実質金利の低下について見ていきたいと思います。

長期金利は、「量的・質的金融緩和」以前に既に歴史的な低水準にありましたが、日本銀行の大量の国債買入れによって、さらに低下しました。10年債利回りで言えば、-0.3%ポイント程度の低下です。この間、予想物価上昇率は上昇しています。皆様の実感としても、「物価がどの程度上がると思うか」と聞かれて、2年前と今では違う答えになるのではないでしょうか。「デフレ」という言葉も「デフレ脱却」という文脈以外ではあまり聞かれなくなりました。企業の価格や賃金設定行動も変化しており、10数年来途絶えていたベースアップが、昨年、今年と2年続けて実現しました。こうした事実がある以上、予想物価上昇率が上昇したこと自体は、疑いようがありません。ただ、これを数値で示そうと思うと、人々の頭の中のデータであるだけに、なかなかひとつの値には決まりません。家計や企業やエコノミストなど様々な主体へのアンケートや、市場で取引される物価連動国債から計算する値などからは、かなり幅を持った数字が出てきます。とりあえず、数値での回答が得られるエコノミストや市場参加者の中長期の予想物価上昇率は+0.5%ポイント程度上昇しています。これらを使うのであれば、実質金利の低下幅は、先ほどの名目長期金利の低下幅と合計して、-1%ポイント弱程度となります(図表2)。実質金利の低下幅の推計としては、このほかにも、例えば、これまでの累積的な国債買入れによってどのくらいの金利低下効果があったか推計するなど、いくつかの手法が考えられますが、ほぼ同様の結果が得られました。様々な手法で同様の効果が得られるということは、数字のイメージとして、中長期の予想物価上昇率は+0.5%程度上昇、名目長期金利は-0.3%程度低下し、実質金利は-1%弱程度低下したと考えることは、概ね妥当だろうと思います。なお、欧米の研究などによれば、経済・物価に対して長期金利の低下は短期金利の低下の数倍の政策効果を持つとされています。また、「量的・質的金融緩和」がイールドカーブ全体を下押ししている効果について実証分析を行ったところ、同じ効果を短期金利の引き下げのみで得ようとすれば、2%程度の引き下げが必要になるという結果が出ました。こうした分析は、各国の状況や様々な前提にも依存しますので、十分幅を持ってみる必要はありますが、伝統的な短期金利誘導による金利政策が通常は1回0.25%ずつ行われることを踏まえると、「量的・質的金融緩和」は、10回近くの利下げを同時に行ったのと同等の政策効果を持っているとも言えると思います。

この間、「量的・質的金融緩和」の導入に、金融市場は比較的早く反応し、株価は大きく上昇し、為替市場では円高の修正が起こりました。また、貸出も緩やかに増加方向に動き、現在は中小企業向けを含めて、2%台後半の伸び率になっています。これらは、実質金利の低下による金融環境をさらに緩和的なものとしました。

「量的・質的金融緩和」のもとでの経済・物価の動き

こうした「量的・質的金融緩和」の緩和効果のもとで、企業・家計の両部門で所得から支出へという前向きな循環メカニズムが働き、経済は大きく好転しました。

まず、企業部門をみると、収益は、過去最高の水準まで改善しており、設備投資も緩やかな増加基調にあります(図表3)。この間、わが国の輸出は円高が修正された割には伸び悩んできましたが、昨年7〜9月期以降は3四半期連続で増加するなど、ようやく持ち直しが明確になってきました(図表4)。

家計部門では、失業率が3%台半ばまで低下するなど、労働需給が引き締まり、雇用環境は改善しました。この結果、「量的・質的金融緩和」1年目の2013年度は主として雇用者数が増えました。また、2年目の2014年度は賃金も上昇に転じました。賃金に雇用者数を乗じた雇用者所得は緩やかに増加しています(図表5)。雇用・所得環境の改善を背景に、個人消費は、全体として底堅く推移しています。また、昨年度は消費税率引き上げの影響が長引いていましたが、このところ収束しつつあります。

こうした経済の好転を受けて、物価の基調も着実に高まってきました。失業率の低下にみられるように労働や設備の需給は引き締まってきており、需給ギャップは、既に過去の平均であるゼロ%程度まで改善しています。先ほど述べた通り、予想物価上昇率も上昇しています。この結果、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、「量的・質的金融緩和」導入前は-0.5%程度でしたが、昨年4月には、消費税率引き上げの直接的な影響を除くベースで、+1.5%まで改善しました。

その後、消費税率引き上げ後の需要面の弱めの動きや、昨年夏場以降、原油価格が大幅に下落したことを背景に、消費者物価の伸び率が鈍化しました。もちろん原油価格の下落は日本経済にプラスの効果をもたらすものですが、それが予想物価上昇率を通じて、企業などの価格や賃金設定行動に影響を与える場合、今までご説明してきたようなメカニズムが働かなくなってしまうリスクがあります。そうしたリスクを未然に防ぐため、日本銀行は、昨年10月、「量的・質的金融緩和」を拡大し、さらに強力な金融緩和を推進することとしました。

その後の予想物価上昇率の動きをみると、マーケット指標や各種アンケート調査などは、原油価格の下落にもかかわらず、下落していません。また、今年の春闘では、多くの企業で昨年を上回るベースアップを含めた賃上げが実現する見込みです。企業の価格設定行動をみても、付加価値を高めつつ販売価格を引き上げる動きが拡がりつつあります。予想物価上昇率は、やや長い目でみれば全体として上昇していると判断できます。

以上のような金融・経済・物価の動きは、定性的に言えば、「実質金利の低下」「株高・円安」「企業収益の改善」「労働市場のタイト化」「雇用者所得の増加」「消費者物価の上昇」と、いずれも「量的・質的金融緩和」で想定したメカニズムに概ね沿ったものでした。この点、定量的にみるとどうでしょうか。この2年間——正確には四半期のデータが揃っている昨年末までですが——実際に生じた変化は、実体経済の面では、需給ギャップでみて+2%ポイント、金額にして約10兆円の改善、物価の面では、消費者物価前年比が+1.0%ポイントの上昇です。一方、先ほど述べた-1%弱の実質金利の低下の影響を、マクロ計量モデルでシミュレーションしますと、株価や為替相場の変化をどの程度「量的・質的金融緩和」によるものと考えるかによって幅が生じますが、需給ギャップが+1〜+3%ポイントの改善、消費者物価前年比は+0.6〜+1.0%ポイントの上昇との試算が得られます。このように「量的・質的金融緩和」の効果について、モデルによる試算と実際の経済・物価の変化は、概ね同じ大きさとなっています。もちろん、この2年間には、「量的・質的金融緩和」以外にも、大規模な公共投資など政府の様々な政策、消費税率の引き上げ、株価や為替相場、原油価格の変動など、多くのことが起こり、経済や物価に上下双方向の影響を及ぼしました。しかし、全体としてみれば、実際の経済・物価は、定量的に見ても、概ね「量的・質的金融緩和」が想定したメカニズムに沿った動きになっていると評価できると思います。

もっとも、現在は、エネルギー価格下落の影響によって消費者物価の前年比は0%程度まで伸び率が縮小しています。2%の「物価安定の目標」を安定的に実現するためには、予想物価上昇率がさらに上昇する中で、現実の消費者物価も高まっていく必要があります。先ほど述べた通り、予想物価上昇率は、昨年10月の「量的・質的金融緩和」拡大の効果もあって、原油価格の下落にもかかわらず、やや長い目でみれば全体として上昇しています。引き続き、現実の消費者物価上昇率が低下している中でも、予想物価上昇率の上昇傾向が続くかどうか、確認していく必要があると考えています。そこで以下では、経済・物価の先行きについてお話しします。

3.経済・物価の見通し

経済の展望

わが国経済の先行きを展望すると、企業・家計の両部門において所得から支出への前向きの循環メカニズムが働いている中で、原油安という好環境も加わっていますので、回復基調が持続すると考えられます。まず、輸出についてみると、海外経済が先進国を中心に回復するもとで、これまでの為替相場の動きも下支えに働くことから、緩やかに増加すると見込まれます。国内需要に目を転じると、設備投資は、企業収益の改善や金融緩和効果が引き続き押し上げに作用する中、国内生産強化の動きなどもあって、しっかりと増加するとみられます。個人消費については、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動の影響が収束しつつあり、このところ消費者マインドが改善してきていることも踏まえると、雇用・所得環境の着実な改善が続くもとで、先行き伸びを高めていくと予想されます。

以上を踏まえ、この先3年間の日本経済を展望すると、2015年度から2016年度にかけては、潜在成長率を上回る成長を続けるとみています。そのもとで需給ギャップはプラスに転じ、その後プラス幅を拡大していくと考えられます。具体的に展望レポートにおける政策委員の成長率見通しの中央値で申し上げると、2015年度は+2.0%、2016年度は+1.5%になるとの見通しです(図表6)。その後、2017年度にかけては、同年4月に予定されている消費税率引き上げ前の駆け込み需要とその反動の影響を受けるとともに、景気の循環的な動きを反映して、潜在成長率を幾分下回る程度に減速しますが、プラス成長を維持すると考えています。政策委員の見通しの中央値で申し上げると、2017年度は+0.2%になるとの見通しです。

物価の展望

次に、物価の展望についてお話しします。先行きも、需給ギャップの改善と予想物価上昇率の上昇が続くと予想されますので、物価の基調は着実に高まっていくと考えています。また、エネルギー価格下落の下押し圧力は次第に剥落していく性質のものです。したがって、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、当面は0%程度で推移するとみられますが、エネルギー価格下落の寄与が縮小に転じる今年度後半には上昇率を高め、2%に向かっていくと考えられます。消費者物価の前年比が2%程度に達する時期は、原油価格の動向によって左右されますが、現状程度の水準から緩やかに上昇していくとの前提にたてば、エネルギー価格下落の寄与が概ねゼロとなる2016年度前半頃になると予想されます。その後については、消費者物価は月々様々な要因によって変動しますが、平均的にみて2%程度で推移すると見込まれます。展望レポートにおける政策委員の見通しの中央値で申し上げると、2015年度は+0.8%、2016年度は+2.0%、2017年度は+1.9%との見通しです(前掲図表6)。なお、これを1月の「中間評価」と比較すると、計数面では、やや下振れとなっており、2%程度に達する時期についても、「2015年度を中心とする期間」から、若干ですが、後ずれしています。

4.金融政策運営

以上のように、「量的・質的金融緩和」は所期の効果をしっかりと発揮しています。また、先行きも経済・物価情勢の好転は続き、消費者物価の前年比は、2016年度の前半頃に「物価安定の目標」である2%程度に達する見通しです。金融政策の面では、従来通り、2%の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「量的・質的金融緩和」を継続していく方針です。

この点に関して、2%程度に達する時期が「2016年度前半頃」に後ずれしたことと、「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に」というコミットメントとの関係はどうなっているのかとの声も聞かれます。

私どもの考え方を申し上げますと、日本銀行が2%の「物価安定の目標」の早期実現にコミットすることで人々のデフレマインドを転換し、予想物価上昇率を引き上げることは、デフレ脱却という目的そのものであると同時に、「量的・質的金融緩和」の政策効果の起点となるものです。すなわち、日本銀行が「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に」という期限を示し、「そのために必要なことは何でもやる」と明確にコミットしたことで、企業や家計の物価観が大きく変化してきたのです。

もちろん、実際の物価は様々な要因で変化します。昨年夏以降、物価上昇率が低下しているのは、諸外国と同様、主として原油価格の下落によるものです。昨年夏以降の原油価格の下落は、半年程度の間に約6割にも達する非常に大きなものでした。こうした大幅な原油価格の変化など国際商品市況の影響で、実際の物価が「物価安定の目標」から乖離する期間が生じることは、各国の中央銀行においても、いわば当然のこととされています。実際、消費者物価(総合)の前年比は、米国、英国、ユーロエリアなどにおいて、ゼロないし小幅のマイナスとなっており、2%に戻るのは2〜3年先と予想されています。本日ご説明したように、わが国の物価の基調は着実に改善しており、原油価格下落の影響が剥落するに伴って、消費者物価の前年比は2%の「物価安定の目標」に向けて上昇率を高めていくとみています。こうした動きは、「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に」というコミットメントに沿った動きとなっていると判断しています。もとより、物価の基調が変化し、2%の実現のために必要となれば、躊躇なく調整を行う方針です。

5.おわりに

本日は、「量的・質的金融緩和」導入後の2年間を振り返りながら、経済・物価情勢と金融政策運営についてお話ししてまいりました。最後に、私自身の感想を付け加えさせて頂き、講演を終えたいと思います。

経済政策では、思った通りのこと、想定外のこと、いろいろと起こります。「量的・質的金融緩和」導入からの2年を振り返ってみても、いくつかの「思い通り」や「想定外」がありました。1年目の2013年度は、経済が好転し、物価上昇率も着実に高まる中で、多くのことは「思い通り」か「予想以上」でしたが、輸出の伸び悩みは予想を下回る動きと言えました。過度な円高の中で進んでいた企業の海外移転の影響は予想以上に大きく、輸出が好転したのはようやく最近のことです。2年目の2014年度は、個人消費の動きが予想よりも弱かったと言えます。これには、消費税率引き上げの影響がやや長引いたことや夏場の天候不順などが影響しました。消費者にとっては当然のことながら消費税込みの物価が意識されますので、それには賃金の上昇は追い付かず、個人消費を下押したと考えられます。このこと自体は消費者が負担する税である以上予想されたことですが、その影響がやや大きかったということです。そして、最大の「想定外」は、半年で6割にも及ぶ原油価格の下落です。この結果、現実の消費者物価上昇率は+1.5%から0%程度まで低下しました。このことは、「量的・質的金融緩和」のメカニズム、とりわけ、予想物価上昇率の形成にリスクをもたらし、日本銀行は「量的・質的金融緩和」の拡大を決断しました。

もっとも、こうした「想定外」にもかかわらず、「量的・質的金融緩和」のメカニズムはしっかりと働き続けています。この2年間で、政府の様々な施策と合わせて、デフレ下で凍りついていた人々のマインドセットは明らかに変化しました。このまま経済の好転が続き、デフレ脱却が実現すれば、経済政策によるレジームシフトを実現した稀有な成功例になるのではないかと思います。私は、いくつかの「想定外」より、むしろ、大きな構図が「思い通り」であることに、確かな手ごたえを感じています。日本銀行としては、2%の「物価安定の目標」の早期実現に向け、引き続き「量的・質的金融緩和」を着実に推進してまいります。

ご清聴ありがとうございました。