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【講演】デフレとの闘い:金融政策の発展と日本の経験

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米国・コロンビア大学における講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2016年4月13日

目次

1.はじめに

本日は、コロンビア大学ビジネススクールにおいて講演を行う機会をいただき、大変光栄です。講演会を主催して下さった日本経済経営研究所は、今年で30周年を迎えられたと伺いました。当研究所は、長年、日本経済に対する理解の深耕と日米の経済関係強化に大変大きな役割を果たしてこられました。長きにわたって所長を務められ、日本経済研究の泰斗であるヒュー・パトリック教授をはじめ、当研究所の関係者の皆様に、まずは厚く御礼を申し上げたいと思います。

さて、日本が長年デフレで苦しんできたということは、よく知られていると思います。デフレは、かつては日本に特有の問題と思われてきました。日本がデフレに陥った1990年代後半から2000年代を振り返ると、米国は、「マエストロ」と呼ばれたFRBのグリーンスパン議長のもとで、2000年代初頭のITバブル崩壊など幾度かのショックを乗り越え、長期にわたり物価の安定と高成長率を謳歌しました。当時は、IT革命や経済のグローバリゼーションにより景気循環は消滅し、インフレなき経済成長が続くといった、いわゆるニューエコノミー論も唱えられました。欧州でも、1999年の統一通貨ユーロの導入を経て域内経済の統合が進み、経済は安定的に成長しました。この間、中国をはじめとする新興国や資源国は、飛躍的な経済成長を続けました。そうした中で、日本だけが、こうした世界の潮流からとり残されたように思われました。

2008年にglobal financial crisisが起きました。主要先進国は、急激な景気減速に見舞われましたが、中央銀行をはじめとする政策当局の迅速かつ大胆な対応策が奏功したこともあって、世界的な大恐慌に陥る事態は回避できました。しかしながら、それから8年が経つものの、世界経済は、かつてのような強さを取り戻すことはできていません。むしろ、先進国を中心に低成長・低インフレが長引いており、日本のようなデフレに陥るのではないかといった懸念が、多くの国で聞かれるようになっています。

日本では、ちょうど3年前に始まった「量的・質的金融緩和(QQE)」という大胆な金融政策のもとで、幸いなことに、デフレ脱却が視野に入りつつあります。そこで本日は、皆様に、世界に先駆けてデフレに陥った日本がどのようにしてデフレと闘い、これを克服しつつあるのかという点について、非伝統的金融政策の発展という理論的な観点も交えながらお話ししたいと思います。

2.デフレとは何か:「緩やかだがしつこいデフレ」の恐ろしさ

そもそも「デフレ」とは何でしょうか。長きにわたって緩やかな物価上昇が実現している米国にお住まいの皆さんに、実感をもってご理解いただくのは容易でもないかもしれませんが、まずはこの点から話をはじめましょう。

デフレとは、「物価が持続的に低下する状態」を言います。もちろん、技術革新や生産性の向上によって、個別の財やサービスの価格が下落することは、むしろ歓迎すべきことです。パソコンやスマートフォンの価格が次第に低下したことは、記憶に新しいところです。しかし、ここで問題にしているデフレとは、幅広い種類の財やサービスの価格が下落し、物価が全体として低下していく状況です。米国を含め、各国では、消費者が日常的に購入する財やサービスのバスケットを想定し、その価格の加重平均値である消費者物価指数を作成していますが、こうした消費者物価が下落していく状態がデフレであると考えていただければ分かりやすいと思います。

このように、物価が全体的に下落していくと、経済には何が起こるでしょうか(図表1)。経済を全体としてみれば、財やサービスを供給する企業の売上や利益が、減少していきます。儲からなくなった企業は、典型的には、従業員を解雇するか、賃金を抑制するでしょう。解雇され、または賃金を引き下げられた従業員は、収入が減少し、将来の生活設計にも不安になるでしょうから、消費には慎重になります。すると、モノやサービスは一層売れなくなります。企業は、競争が一段と激しくなりますので、価格をさらに引き下げて対抗しようとするでしょう。すると、売上や利益はさらに減少していきます。このように、デフレは、一旦始まると、自己実現的にそのプロセスが進行して、「縮小均衡」に陥っていくのです。

日本では、1980年代後半から1990年代初頭にかけて発生した資産バブルの崩壊や、これに伴う金融システムの不安定化などを背景に、1990年代後半以降、15年にわたってデフレが継続しました。日本のデフレの特徴は、「緩やかだがしつこい」ということです。デフレの典型的事例としてよく語られる大恐慌時のアメリカでは、累計で3割近く、1931から1932年の2年間には年率10%近い激しい物価下落が生じました。しかし、物価下落は4年間で終息しました。これに対し、日本の物価下落は、1998年度から2012年度までの15年の累計で4.1%、年率でみればわずか0.3%の下落です。しかし、それは、15年にもわたって続いたのです。そして、長引くデフレのもとで、人々の間には、「先行き、物価も賃金も上がらないものだ」という観念が定着していきました。

病気にたとえて言えば、1930年代の大幅なデフレは「急性病」であったのに対し、1990年代後半以降に日本が経験したデフレは「慢性病」とも言うべきものです。慢性病は、痛みが少ないものですが、むしろそうであるが故に、静かに全身を蝕んでいくのです。ここで、「緩やかだがしつこい」デフレの恐ろしさをご説明したいと思います。

最大の問題は、デフレのもとでは、現預金の価値が時間の経過とともに次第に高まっていくため、企業も家計も支出に消極的になるという点です。現金は、保有していれば名目価値が減少することはありません。銀行の預金も、利率がマイナスになることは、通常考えづらいことです(この点は、後ほど、マイナス金利政策との関係で改めて説明します)。一方、財やサービスの価格は次第に下がっていくのですから、消費者にとってみれば、いま買うよりも、後で物価がもっと下がってから買った方が得をすることになります。企業にとっても、下手にリスクをとって設備投資や研究開発投資などを行うよりも、賃金などのコストをカットしてキャッシュフローを増やし、これを銀行預金に積み上げておく方が、企業価値を高めるための近道になります。1990年代以降の日本では、まさにこうした状況が生じました。

ここで、「企業」や「政府」といったセクター毎の貯蓄・投資バランスの動きを振り返ってみましょう。「企業」は、本来、銀行や資本市場から資金を調達することによって事業を起こし、経済の付加価値を産み出す「資金不足」主体です。ところが、1990年代末には、「資金余剰」主体に転化しました。「企業」の変化により生じた総需要不足に対応するため、「政府」は、国債の大量発行によって資金を調達し、公共事業などの財政支出を通じて経済の下支えを行いました。「企業」に資金が余っているため、「銀行」では、預金が大幅に増加する一方、貸出は減少します。このため、「銀行」は、余剰資金を国債で運用するようになりました。こうして、企業部門は資金余剰、政府部門は資金不足、銀行部門は国債運用を拡大するという特殊な資金循環が確立しました(図表2)。

「緩やかだがしつこい」デフレのもうひとつの問題点は、人々の間に「先行き物価は上がらない、むしろ下がっていくものだ」という考え方が定着するため、実質金利が高止まりし、金融政策の有効性を低下させてしまうという点です。この点については、少し説明が必要でしょう。

経済活動にとって重要なことは、貸出にしても預金にしても、「名目金利」ではなく、先行きの物価上昇見通しを考慮した「実質金利」であると考えられます。例えば、名目金利が3%であっても、先行き、物価が毎年2%ずつ上昇すると考えるのであれば、実質金利は1%ということになります。他方、名目金利が同じ3%であっても、先行き、物価が毎年1%ずつ下落していくと考えるのであれば、実質金利は4%になります。当然、前者の方が、後者に比べて、緩和的な金融環境になります。人々が「先行き物価は下がっていくものだ」と考えるようになれば――経済学の用語では、「予想インフレ率がマイナスになる」と言います――、名目金利に比べて実質金利は高めに推移するようになるのです。

このように、「緩やかだがしつこい」デフレは、経済の活力を奪うとともに、金融政策の有効性をも低下させるという、恐ろしい慢性病なのです。

3.金融政策の発展:「非伝統的金融政策」とは何か

このような緩やかだがしつこいデフレの中で、日本銀行も、手をこまねいていたわけではありません。当時、日本銀行の金融政策は、海外から“too little, too late”と批判されることが多かったわけですが、実際には、1990年代末から、様々な「非伝統的金融政策」を採用してきました(図表3)。

1999年には、短期金利をゼロ近傍に誘導するという「ゼロ金利政策」を採用しました。2001年から2006年にかけては、金融市場調節の操作目標を、短期金利から、民間金融機関が日本銀行に保有する当座預金の残高に変更し、所要準備額の数倍にも及ぶ多額の資金供給を行いました。これは、私が知る限り、世界初の「量的緩和政策」です。その際、「量的緩和政策」を「消費者物価の前年比が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」というコミットメントを行いました。近年、「フォワード・ガイダンス」と呼ばれている政策手段の先駆けです。

その後、2008年のglobal financial crisisにおいては、日本の金融システムへの影響は比較的軽微なものでしたが、グローバル経済の落ち込みのもとで、日本経済も大幅な減速に見舞われ、2006年以降一旦プラス圏内まで上昇していた物価上昇率も、再びマイナスの領域に落ち込みました。こうしたもとで、日本銀行は、2010年から「包括緩和政策」を実施しました。この政策では、残存期間3年までの長期国債の買入れを積極的に行い、当該期間の金利を0%近くにまで引き下げました。さらに、リスクプレミアムの縮小を図るため、国債と比べれば小規模ながら、社債やCPなどの民間企業債務や、ETFやREITなどのエクイティ性金融商品の買入れを実施しました。加えて、金融機関の貸出を支援するため、低利で長期間の資金供給を実施する制度――イングランド銀行のFunding for LendingやECBのTLTROに相当するものです――も導入しました。このように、日本銀行が実施してきた非伝統的金融政策は、少なくともそのバラエティにおいては、決して他の中央銀行に遜色のないものと言えるでしょう。

こうした一連の非伝統的金融政策の結果、日本経済は、1930年代型のデフレスパイラル――急激な物価の下落と経済の縮小――に陥ることは回避されました。しかし、当時の金融政策は、デフレから脱却するにはいずれも力不足でした。なぜでしょうか。

この点を理解するために、そもそも金融緩和とは、どのようなメカニズムで経済に働きかけるかについて、まず整理しておきましょう。鍵となるのは、ある国の経済にとって、景気を加速も減速もさせない中立的な実質金利の水準である「自然利子率」という概念です。金融緩和は、政策金利の引き下げや資金供給量の増加などを通じて金融市場における「実質金利」を「自然利子率」よりも低い水準に誘導することによって、設備投資や住宅投資などの経済活動を刺激することを主たる波及メカニズムとしています。「自然利子率」については、学術的にも様々な議論がありますが、その水準は、一般的には、その国の経済が持っている潜在的な成長力、いわゆる「潜在成長率」によって概ね規定されると考えられています。

こうした枠組みに照らして考えると、デフレ下での日本の金融政策は、以下の2つの観点から限界に直面していたととらえることができます。ひとつは、実質金利の高止まりです。伝統的な金融政策の操作目標である短期の名目金利は、1999年の「ゼロ金利政策」の導入によって0%近くまで低下していました。短期金利は、この時点で既に「名目金利はゼロ%以下に引き下げることはできない」という「ゼロ金利制約」に直面していたのです。同時に、「デフレ均衡」のもとで、予想インフレ率も低水準にとどまっていました。この結果、名目金利から予想インフレ率を差し引いた実質金利は、高止まりすることになりました。

問題をさらに困難なものとしたもうひとつの要因は、潜在成長率の低下を映じた自然利子率の低下です。この時期、日本では、急速な高齢化が進展し、生産活動を担う世代の人口が減少していました。こうした人口構成の変化に加え、先ほど述べたデフレの長期化に伴う資本蓄積の鈍化も、潜在成長率の低下に寄与しました。日本経済の潜在成長率は、1990年代初頭までは3~4%ほどありましたが、その後低下トレンドをたどり、最近では1%未満まで低下しています(図表4)。潜在成長率の低下とともに、景気に中立的な自然利子率も、低下傾向をたどっていたと考えられます。

すなわち、日本では、自然利子率が低下していく中で、「ゼロ金利制約」と予想インフレ率の低下によって、実質金利を思うように引き下げることができないという状況に直面しました。こうした日本の状況は、潜在成長率と実質金利――ここでは、10年物の国債利回りからその時々のインフレ率の実績を差し引いたもので近似しています――を比較してみますと、よくご理解いただけるのではないかと思います(図表5)。こうして、日本では、長引く「慢性病」に対して適切な治療を施すことができず、「デフレ均衡」が定着していったのです。

このように考えると、日本経済がデフレを脱却するうえでの政策当局の課題も明らかになってきます。ひとつには、日本経済の潜在的な成長率を引き上げ、自然利子率を上昇させることです。同時に、金融政策が取り組むべき課題は、「どのようにして実質金利を強力に引き下げるか」ということです。この点、しばしば「金融政策は限界に近づいており、経済政策は、成長戦略を中心に据えるべきだ」との意見が聞かれます。しかしながら、これまでの説明でご理解いただけるように、両者は「二者択一」の問題ではありません。両方とも必要不可欠なのです。その意味で、日本経済の成長力の強化に向けた政府の戦略や、民間セクターにおける前向きの取り組みは極めて重要です。同時に、日本銀行は、中央銀行として、果たすべき役割をしっかりと果たす必要があるのです。

4.2%の「物価安定の目標」と「量的・質的金融緩和」の導入

長年にわたるデフレとの闘いの中で、より強力な金融緩和の必要性が意識されるようになってきました。折しも、2012年12月には、安倍政権が発足し、いわゆる「三本の矢」からなる「アベノミクス」がはじまりました。2013年1月に、日本銀行と政府が共同声明を発表し、消費者物価上昇率で2%とする「物価安定の目標」を導入しました。2012年1月にFRBが長期の物価目標を明示してから、ちょうど1年後のことです。

「物価安定の目標」導入直後の2013年3月、私は日本銀行総裁に就任しました。そして、その年の4月に、「量的・質的金融緩和」の導入を決定しました。この政策は、それまでの金融政策の限界を打破するために設計されたものであり、2つの要素からなっています(図表6)。第一に、日本銀行が2%の「物価安定の目標」の早期実現に強くコミットすることで、人々の間に定着してしまった「デフレマインド」の抜本的な転換を図り、予想物価上昇率を引き上げることです。第二に、大規模な国債買入れを行うことによって、短期金利だけでなく、イールドカーブ全体にわたって名目金利に低下圧力を及ぼすことです。この結果、短期だけでなく、長期の実質金利も大幅に低下させることができるのです。

大規模な長期国債の買入れについては、最長40年までの長期国債を買入れ、残された名目金利の低下余地を最大限追求することとしています。導入当初は、日本銀行の長期国債保有残高が年間約50兆円に相当するペースで増加するように買入れを行うこととしましたが、2014年10月には、これを約80兆円へ拡大し、今日に至っています。日本の名目GDPが約500兆円ですから、80兆円という年間の増加額は、その約16%に相当します。その結果、日本銀行のバランスシートの対名目GDP比は、2013年3月末の35%から昨年12月末で77%まで拡大しており、今後も拡大を続けます。3次にわたる大規模資産買入れ(LSAP)を終えた米国では、FRBのバランスシート規模は名目GDP比では昨年12月末時点で25%ですので、日本銀行が行っている金融緩和がいかに大規模なものかがご理解いただけるのではないかと思います。また、「量的・質的金融緩和」の導入に伴い、国債買入れの平均残存期間は、「3年弱」から「7年程度」まで延長され、その後の延長を経て、現在は「7年~12年程度」となっています。さらに、2010年に「包括緩和政策」のもとで開始したETFやREITの買入れも、金額を大幅に増加し、継続しています。

5.「量的・質的金融緩和」の効果:デフレから脱却しつつある日本経済

このように「量的・質的金融緩和」は、従来の政策とは抜本的に異なるものですが、これまでのところ、所期の効果を発揮しています。この政策の導入後、日本経済がどのように変化したかということを、主要な金融経済指標の動きで確認しましょう。

まず、金融面の指標です。2013年の「量的・質的金融緩和」の導入前から昨年末までの変化をみると、10年債利回りでみた名目長期金利は0.7%から0.3%へと0.4%低下しました。この間、中長期の予想インフレ率は――これには様々な指標がありますので、かなり幅をもってみる必要がありますが――代表的なエコノミスト調査では0.4%程度上昇しています。仮にこの数字を用いますと、実質長期金利は、0.8%低下していることになります。私どものスタッフの分析では、イールドカーブ全体に働きかける「量的・質的金融緩和」の効果は、短期の政策金利のみを引き下げる場合に換算すれば2%程度の引き下げに相当していた、といった結果も出ています。こうした緩和的な金融環境のもとで、銀行貸出は、中小企業向けを含め、前年比2%台の緩やかな増加を続けています。

実質金利が大幅に低下したことによる景気刺激効果は、実体経済面に着実に現れました(図表7)。日本企業の収益は、過去最高水準まで増加しています。これは、大企業に限られた話ではなく、中堅・中小企業にも当てはまります。こうしたもとで、設備投資も緩やかに増加しています。また、労働市場をみると、失業率は足もとでは3%台前半まで低下しており、ほぼ完全雇用と言える状況になっています。日本では、春にかけて労使間の交渉を行うという慣行がありますが、2014年には約20年振りにベースアップが復活し、今年を含め3年連続で実現することはほぼ確実な情勢です。さらに、人手不足から、パート労働者などの非正規雇用者の賃金を引き上げる動きもみられています。こうした雇用・所得環境の改善を受けて、個人消費も、天候要因などによる振れを伴いつつも、底堅く推移しています。このように、日本経済は、企業・家計の両部門において、所得から支出への好循環が作用するもとで緩やかな回復を続けています。

実体経済の改善を受けて、物価の基調も着実に改善しています(図表8)。労働や設備といった生産要素の稼働状況をあらわす需給ギャップは、最近では、過去平均の0%程度まで回復しています。先ほど申し上げたように、予想インフレ率も、「量的・質的金融緩和」導入前と比べれば全体として上昇しています。消費者物価前年比は、2014年夏以降の原油価格の大幅下落の影響から、最近では0%程度で推移していますが、エネルギーと生鮮食品を除く消費者物価の前年比をみると、その姿は全く異なります。2013年4月の「量的・質的金融緩和」導入前には、-0.5%前後の小幅のマイナスで推移していたものが、2013年10月にプラスに転じた後、29か月連続でプラスを継続しており、最近では+1%を上回る水準まで上昇しています。これだけ持続的な物価の上昇は、日本経済がデフレに陥って以来、初めてのことです。2%の「物価安定の目標」の実現にはまだ途半ばですが、日本銀行の「量的・質的金融緩和」のもとで、物価上昇率のトレンドに明確な変化が生じたことは、異論のないところだと思います。

6.「マイナス金利政策」の狙い

こうした状況の中、日本銀行は、2016年1月に「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を導入しました。

「量的・質的金融緩和」は所期の効果を発揮しています。もっとも、国際金融市場では、本年入り後、原油価格の一段の下落や、中国をはじめとする新興国・資源国経済に対する先行き不透明感から、世界的に不安定な動きとなっていました。日本企業には、デフレ脱却後の世界を展望した積極的な行動が着実に拡がってきていますが、長きにわたるデフレがまだ記憶に新しいこともあり、高水準の企業収益の割にはまだ慎重さが残る面もあります。不安定な市場の動きが、企業マインドを委縮させ、せっかく進んできた人々のデフレマインドの転換を遅延させるリスクは、決して無視できません。こうしたリスクの顕在化を未然に防ぎ、「物価安定の目標」の達成に向けたモメンタムを維持するために、日本銀行は、一段の追加緩和を決断したのです。

もう一度、先ほどの金融緩和のメカニズムに立ち戻って考えてみましょう(前掲図表3)。「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」では、日銀当座預金残高の一部に-0.1%のマイナス金利を適用することにより、イールドカーブの起点を引き下げます。大規模な国債買入れと組み合わせることにより、イールドカーブ全体にわたって従来以上に強力な下押し圧力を加え、実質金利の引き下げを図るのです。日本銀行のマイナス金利政策について、一部に、政策の重点を「量」から「金利」にシフトしたとの見方があるようですが、そうではありません。「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」は、イールドカーブの起点を引き下げることにより、これまでの政策の延長線上でその効果を一段と強化するものであり、いわば“enhanced QQE”とでも呼ぶべきものです。

従来、金融政策を議論する際には、名目金利の「ゼロ金利制約」が前提となっていたことは、先ほどもお話ししました。そもそも、金利がマイナスということは、お金を借りると利息がもらえ、逆にお金を貸すと利息を払わなければならないということですので、通常、起こりそうもないことです。

しかし、近年、欧州の幾つかの中央銀行の経験から、民間金融機関が中央銀行に保有する当座預金にマイナス金利を適用するという手法によって、金融のプロフェッショナル同士の取引については「ゼロ金利制約」を乗り越えることができることが分かってきました。日本でも、欧州の中央銀行の経験に学びつつ、日本の状況に即した独自の工夫を加えたうえで、マイナス金利の枠組みを導入したのです。

「ゼロ金利制約」を乗り越えるうえでの最大の問題点は、銀行収益にマイナスの影響を及ぼし得ることでした。すなわち、民間銀行は、中央銀行の当座預金を含め運用利回りがマイナスの資産を保有することになりますので、銀行の主たる収益源である資金運用益という点では、収益性が低下する可能性が高いと考えられます。経済の中で、資金の余剰主体と不足主体の間を仲介する民間銀行は、金融政策の波及メカニズムの中枢です。もし、マイナス金利政策が銀行収益を過度に圧迫することで、金融部門の安定性が低下し、銀行が貸出に消極的になったり、貸出金利を引き上げたりするようになれば、金融仲介機能が弱まり、金融緩和の効果が削がれることにもなりかねません。

もっとも、日本に関する限り、こうした懸念は当たりません。まず、日本の金融機関はglobal financial crisisの影響をほとんど受けておらず、資本基盤は充実しています。また、景気回復が続くもとで倒産件数が極めて低い水準まで低下しており、信用コストは大幅に低下しています。その結果、日本の金融機関は、大手行はもとより、地域銀行においても、低金利環境にもかかわらず、過去最高に迫る水準の収益をあげています。

さらに、日本銀行は、マイナス金利の導入に当たり、金融機関収益を過度に圧迫して金融政策の波及メカニズムを弱めることがないよう、できる限り配慮しました。すなわち、当座預金を3階層に分割し、従来どおりの「+0.1%」、「0%」、そして「-0.1%」を適用する階層構造を採用しました。そのうえで、「0%」を適用する部分を調整していくことにより、マイナス金利を適用する部分を限定することとしました(図表9)。これは、「価格は、平均コストではなく、限界コストで決まる」という経済学の入門コース(Econ101)で習う原則を応用したものです。つまり、金利形成において意味があるのは、取引主体が追加的に1単位の当座預金残高を積み増す場合のコストだということです。300兆円弱の日銀当座預金残高のうち、マイナス金利を適用するのは10~30兆円程度、足もとで全体の1割に満たない水準であり、昨年までに金融機関が積み上げた当座預金に対応する金額である約200兆円には、引き続き+0.1%での付利が行われます。これにより、金融機関が中央銀行に保有する当座預金にマイナス金利が適用されることに伴う直接的な影響は最小限に抑えたうえで、十分な効果を得ることができます。

実際、その後の国債利回りの動向をみると、10年債までマイナスとなるなど、イールドカーブ全体にわたって金利を一段と引き下げるという効果は、既に明確に現れています(図表10)。また、企業向け貸出の基準となる金利や住宅ローン金利も低下しています。CPについては、マイナス金利での発行もみられました。マイナス金利政策の効果は、今後、実体経済や物価面にも着実に及んでいくものと考えています。

このように、日本銀行の「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」は、従来の「量」・「質」に加え、「金利」面からも緩和効果を引き出す極めて強力なものです。日本銀行は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を継続します。今後とも、経済・物価のリスク要因を点検し、「物価安定の目標」の実現のために必要な場合には、「量」・「質」・「金利」の3つの次元で、躊躇なく、追加的な金融緩和措置を講じます。「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」は、近代の中央銀行の歴史上、最強の金融緩和スキームと言っても過言ではないでしょう。日本銀行は、これを最大限活用することによって、必ず2%の「物価安定の目標」を実現します。

7.おわりに

現在、世界の多くの中央銀行は、短期金利の引き下げという伝統的な金融政策手段をほぼ使い果たした状況で、物価に強い下押し圧力がかかる中、予想インフレ率を望ましい水準でしっかりと安定させるという、過去に例のない難しい課題に直面しています。米国では、FRBの大胆かつ機動的な金融政策運営によって、経済は着実に回復しており、予想インフレ率も安定していますが、労働需給のタイト化に比べて賃金や物価上昇が加速しない状況のもとで、金利正常化のプロセスが注目されています。欧州では、ECBが、低インフレによる予想インフレ率への二次的影響を回避することの重要性を指摘しつつ、物価安定目標に対するリスクの高まりに対処するため、3月に追加緩和策を決定しました。こうした状況のもとで、先行き、先進国の中央銀行が適切な金融政策運営を行っていくうえでは、長年にわたってデフレと闘ってきた日本の経験は、貴重なケーススタディとなると思います。

世界の中央銀行は、長い歴史の中で、これまでもお互いの経験に学びながら、創意工夫によって様々な難局を乗り越えてきました。私は、中央銀行は、今後とも、その叡智と意志をもって、物価安定の実現という使命を果たしていけるものと確信しています。

ご清聴ありがとうございました。