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【講演】日本経済と日本銀行:昨日、今日、明日

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慶應義塾大学・ボッコーニ大学共催 日伊国交150周年記念カンファレンスにおける講演の邦訳

日本銀行副総裁 中曽 宏
2016年5月23日

目次

1.はじめに

本日は、日本とイタリアの国交樹立150周年を記念したカンファレンスで講演を行う機会を頂き、大変光栄です。また、イタリア銀行とは、スタッフから幹部レベルまで幅広く良好な関係を築かせて頂いており、ロッシ副総裁とともに講演を行うことは望外の喜びです。私自身、少年時代、ローマ帝国の起源とされる「ロムルスとレムス」の伝説に鮮烈な印象を受けて以来、イタリアの歴史、芸術、ファッション、料理、そしてサッカーなど様々な分野で魅了される多くの日本人のひとりとなりました。本日の講演の副題「昨日、今日、明日」も、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演し、1965年のアカデミー賞外国語映画部門賞を獲得したイタリア映画のタイトルに倣ったものです。

さて、日本経済が、1990年代のバブル崩壊後、長期間にわたって低成長とデフレに苦しみ、Lost Decadesと呼ばれてきたことは、よく知られています。その原因については、政策当局者や経済学者の間で、活発な議論が行われてきました。日本の経験は、従来、日本に固有の問題と理解されていたように思います。しかしながら、日本化(Japanization)という言葉に示されるように、2008年のグローバル金融危機後、欧米諸国も低成長とデフレの脅威に直面するに至り、日本の経験に改めて注目が集まっています。確かに、私がイタリアをはじめとするユーロエリアの経済を眺めるとき、ある種の「既視感」を覚えることも事実です。

そこで以下では、まず、資産バブル崩壊以来、日本経済が辿ってきた道のりと、金融システム安定化政策と金融政策の面での日本銀行の対応を振り返ります。そのうえで、今後の政策課題、現在の欧州へのインプリケーションについて述べたいと思います。

2.Lost Decadesにおける日本経済の展開

日本経済が1990年代以降、長期停滞に陥ったことはよく知られています。一方、特に海外であまり知られていないのは、日本経済が長期停滞のもとで直面してきた課題が、その時々で異なっていたことです。単純化して申し上げると、2000年代前半までは、資産バブルの崩壊に伴う金融システム不安や銀行セクターのデレバレッジへの対応、企業セクターにおける過剰債務・過剰設備・過剰雇用――日本では「3つの過剰」と呼ばれました――の整理・解消が中心的な課題でした。これらの問題が概ね解消した2000年代後半以降は、グローバル金融危機に伴う需要の大幅な減少に直面するもとで、1990年代以降進行していた潜在成長率とインフレ予想の低下への対応がより重要な課題となりました。こうした大きなふたつの課題にタイムラグを伴いつつ直面したことが、日本経済の停滞を長期化させる要因となりました。

資産バブルの崩壊と金融システム不安、デレバレッジ、「3つの過剰」

日本では、1980年代後半以降、地価と株価の急激な上昇と下落が生じた結果、銀行セクターが多額の不良債権を抱えることになりました。一方、企業セクターは、過大な成長期待に基づいて事業を拡大していたことから、過剰債務・過剰設備・過剰雇用の「3つの過剰」に苦しむ結果となりました。1997年から1998年にかけては、大型の金融機関破綻が連続して発生し、金融仲介機能が大きな損傷を受けました。その結果、急激な信用収縮(クレジットクランチ)が生じました(図表1)。これを契機に、景気が大幅に後退するとともに、消費者物価指数の前年比もマイナス圏内に低下し、マイルドながら長年にわたるデフレが始まりました(図表2)。

1990年代の日本の金融危機に対し、日本銀行は、「最後の貸し手」としての機能を広範に発揮しました1。当時、日本のセーフティネットは未整備であったことから、日本銀行は、金融システムの安定という使命を果たすうえで、本来、政府によって担われるべき役割も果たしました。流動性の供給に加えて、問題金融機関への資本性資金の供給や、ブリッジバンクの創設など異例の対応を行ったのです。しかしながら、その結果、2,000億円に及ぶ損失を計上するという痛手を被りました。この間、危機がだれの目にも明らかになったことで、ようやくセーフティネットの構築に向けた立法が進みました。一時国有化や公的資金注入を柱とする包括的な制度が整備されたのは、バブル崩壊から約10年を経た1998年のことでした。

こうした制度のもとで銀行の破綻処理は進みました。1990年代末期に破綻金融機関数の増加がみられたのは、セーフティネットが未整備で危機の制御が困難な状況下でのことでしたが、2000年以降の増加はむしろ、新制度のもとで破綻処理がシステマチックに行われたことの証左です(図表3)。この時期、銀行セクターのデレバレッジと企業セクターにおける「3つの過剰」の整理・解消も進みました。銀行貸出残高をみると、1990年代後半には500兆円を超えていましたが、2000年代半ばには400兆円を割っており、累計で実に20%を超える減少となっています(前掲図表1)。こうしたデレバレッジのプロセスを経て2006年には、銀行貸出残高がようやく下げ止まり、前年比プラスに転じました。また、ちょうどこの年に、消費者物価の前年比もプラス圏まで回復し、デフレについても一旦は後退しました(前掲図表2)。幸いにも、1930年代のような、景気の大幅な悪化と物価の急激な下落が相互作用する状況――所謂デフレスパイラル――に陥ることは避けられたのです。こうして、日本経済は、2000年代半ばには、資産バブルの負のレガシーを清算し、新たな持続的成長の基盤を整えたかにみえました。

  1. 日本の金融危機時の経験の詳細は以下をご覧下さい。
    Hiroshi Nakaso, "The financial crisis in Japan during the 1990s: how the Bank of Japan responded and the lessons learnt, " BIS Papers No 6, October 2001.

潜在成長率とインフレ予想の低下

実際、日本経済は、中国の急成長に伴う世界経済の好調を追い風に、成長軌道に復しました。しかしながら、2008年秋のグローバル金融危機の発生に伴って、様相は一変します。欧米と異なり、日本の金融セクターのサブプライム関連商品に対するエクスポージャーは限定的であり、金融システムは総じて安定性を維持しましたが、実体経済面では、世界経済の大幅な減速のもとで、伝統的な景気回復のドライバーである輸出というエンジンに頼ることができなくなりました。こうしたもとで、潜在成長率の低下が深刻な問題として浮かび上がってきたのです(図表4)2。バブル崩壊後生産性の伸び率が趨勢的に低下するとともに、1990年代末以降高齢化の進行に伴って労働力人口が減少に転じるもとで、資本ストックの蓄積も停滞していました。

物価面でも、消費者物価の前年比は再びマイナス圏に陥り、予想物価上昇率も低下し始めました(前掲図表2)。僅かな利下げ余地のもと、ゼロ金利制約に再び直面するのに時間はかからず、実質金利は高止まりしました。一方、1990年代以降の潜在成長率の急速な低下に伴って、景気に中立的な自然利子率も大きく低下していました(前掲図表4)。この結果、従来の政策の延長線上では、十分に緩和的な金融環境を提供することが困難な事態に陥りました。さらに、2011年には、東日本大震災が発生し、日本経済は甚大な被害を受けました。

  1.  2 潜在成長率の低下が含意するところについては、「金融政策と構造改革」(ジャパン・ソサエティNYにおける講演、2016年2月)でも詳しく述べています。

3.Lost Decadesにおける金融政策の展開

次に、Lost Decadesの始まりから今日に至るまでの金融政策を振り返ります。日本銀行は、バブルの崩壊やデフレという問題に最初に直面した中央銀行として、金融政策の新たな手段の開発に取り組んできました。この間の日本銀行の金融政策は、その時々の課題に応じて、ふたつのフェーズに区分できます。第1フェーズにおける金融政策が、流動性の潤沢な供給に重点を置いた「量的緩和」、第2フェーズにおける金融政策が、インフレ予想に対する働きかけを重視した「(マイナス金利付き)量的・質的金融緩和」です(図表5)。

2001年から2006年の「量的緩和」は、潤沢な流動性の供給によって金融システムの安定を維持し、日本経済がデフレスパイラルに陥ることを防いだという点では効果的でした。もっとも、この間に進行していたインフレ予想の趨勢的な低下を反転させ、デフレ脱却を実現するには至りませんでした。既にご説明したとおり、潜在成長率が低下するもとで自然利子率が低下する一方、短期金利のゼロ制約とインフレ予想の低下により実質金利が高止まったため、結果的に、十分に緩和的な金融環境を提供することができなかったのです。そうしたもとで、価格の下落、売上・収益の減少、賃金の抑制、消費の低迷、価格の下落という悪循環が生じました。このことは、一旦デフレ的な均衡に陥ってしまうと、なかなか脱却できないことを示唆しています。

これに対する処方箋は、理論的には明確です。思い切った金融緩和によって、デフレマインドを抜本的に転換し、インフレ予想を引き上げること――実質金利の引き下げ――と、規制緩和をはじめとする成長戦略によって、潜在成長率を引き上げること――自然利子率の引き上げ――です。アベノミクスの「三本の矢」は、まさにこうした考え方に沿ったものでした。この点、「金融緩和と構造改革のいずれに力点を置くべきか」という議論がしばしば行われますが、私にはあまり建設的な問題設定には思えません。デフレから脱却し、持続的な成長を実現するためには、いずれも必要です。金融緩和と構造改革は、決して二者択一ではなく、相互に補完的なものなのです。

「第一の矢」である金融政策については、日本銀行は、2013年1月、「物価安定の目標」を導入し、消費者物価の前年比でみて2%の上昇を目指すこととしました。続いて、2013年4月には、2%の「物価安定の目標」を早期に実現するために「量的・質的金融緩和」を導入しました。金融政策運営上の課題は、短期金利の引き下げ余地が限られるなかで、どのような手段を用いてインフレ予想の引き上げを図るかということです。この点、「量的・質的金融緩和」は、ふたつの要素から成り立っています。第一に、2%の「物価安定の目標」の早期実現について、日本銀行が強く明確なコミットメントを行うことです。具体的には、「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に、できるだけ早期に実現するとのスタンスを明確にするとともに、「物価安定の目標」を持続的に実現するために必要な時点まで「量的・質的金融緩和」を継続することを約束しています。第二に、大規模な長期国債の買入れによりイールドカーブ全体にわたって名目金利に低下圧力を加えることです。すなわち、残された名目金利の低下余地を最大限に追求するのです。こうした対応によって実質金利が低下し、民間需要が刺激されます。その結果、物価が実際に上昇すれば、日本銀行のコミットメントに対する信頼性が高まり、一連のプロセスがより強化されることになります。

さらに、本年1月には、「量的・質的金融緩和」にマイナス金利の要素を追加し、「量的・質的金融緩和」を一段と強化することとしました。「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」は、日本銀行当座預金に適用される金利をマイナス化することでイールドカーブの起点を引き下げ、大規模な長期国債買入れを継続することとあわせて、金利全般により強い下押し圧力を加えていくことを狙いとしています。マイナス金利の導入にあたっては、日本に適合した仕組みとする必要がありましたが、欧州中央銀行(ECB)を含めた欧州の中央銀行の経験を十分に参考にしました。

4.「量的・質的金融緩和」「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の効果

「量的・質的金融緩和」導入以降、約3年が経過しましたが、所期の効果を発揮していると評価しています。

まず、金利面での効果は顕著であり、「量的・質的金融緩和」導入以降、10年債利回りは累積で70bps程度低下しました(図表6)。これを受けて、銀行の貸出金利は低下を続けており、全ての貸出のストックでみて約定平均金利は、1%程度まで低下しています。銀行貸出は、中小企業向けを含め、前年比2%を上回る伸びを続けています(前掲図表1)。実質金利が自然利子率よりも十分低い水準まで低下するもとで、金融環境は、実体経済に対し、きわめて緩和的となっていると考えられます(前掲図表4)。

このような金融環境のもとで、実体経済は目に見えて改善しています。家計セクターでは、雇用・所得環境が着実に改善してきました。労働需給をみると、失業率が完全雇用に対応するとみられる3%台前半まで低下するなど、引き締まり傾向を続けています(図表7)。賃金面では、1990年代半ばを最後に失われていた「ベースアップ」――労使間の賃金交渉において、物価上昇も考慮し、基本給全般の引き上げを行う慣行――が2014年に20年振りに復活し、以来、3年連続で実現しています。企業セクターでは、過度の円高の修正やエネルギー価格の下落などの影響もあって、収益が過去最高水準まで拡大しています。このため、企業は前向きな設備投資スタンスを維持しています。

物価については、生鮮食品を除く消費者物価は、エネルギー価格の下落を背景に、前年比0%程度で推移していますが、基調的な物価上昇率は着実に改善しています。生鮮食品とエネルギーを除いたベースでみると、「量的・質的金融緩和」導入以前は、-0.5~-1.0%程度で推移していましたが、2013年後半以降、30か月連続でプラスで推移しており、ここ数か月は+1%程度となっています(図表8)。こうした持続的な物価上昇は、1990年代後半に日本経済がデフレに陥って以来、初めてのことです。また、消費者物価を構成する品目のうち、上昇した品目数から下落した品目数を差し引いた指標は、「量的・質的金融緩和」導入以降、明確に上昇し、足もと既往ピーク圏内で推移しています。このように、企業は、前向きな価格設定スタンスを維持しており、賃金の上昇を伴いながら、物価上昇率が緩やかに高まっていくという好循環が働いています。

なお、本年1月に導入したマイナス金利政策については、日本においても、批判的な意見が少なくありません。この点は、ユーロエリアにもある程度共通しているようにも窺われますが、大きく言えば、ふたつの批判があるようです。

ひとつは、マイナス金利政策が銀行の収益を圧迫し、金融仲介機能を損ねる惧れがあり、経済・物価に却って悪影響を及ぼし得るという意見です。しかしながら、日本においては、少なくとも現時点では、こうした懸念はあたらないと考えています。先にご説明したように、日本の金融機関は2000年代半ばにはデレバレッジのプロセスを終えているだけでなく、グローバル金融危機の影響が限定的なこともあって、資本基盤は充実しています。また、景気回復に伴う信用コストの大幅な低下を主因に、日本の金融機関は、大手行・地域銀行ともに、低金利環境にもかかわらず、過去最高に迫る水準の収益を実現しています。さらに、マイナス金利政策の導入にあたって、日本銀行は、銀行収益を過度に圧迫することがないよう、金融機関が日本銀行に保有する当座預金を3段階の階層構造に分割し、その一部にのみマイナス金利を適用することとしました。先行き、日本銀行が国債買入れを続けるもとで、金融機関の日本銀行当座預金は次第に増加していきますが、これに応じて階層を調整することで、マイナス金利が適用される残高は比較的少額――10~30兆円程度――にとどまるように運営していく方針です。無論、金融機関収益への今後の影響については注視し、「金融システムレポート」でよく分析・評価していきます。金融政策の波及メカニズムにおける銀行の金融仲介機能の重要性は改めて指摘するまでもありません3。だからこそ、日本銀行は、1990年代の金融危機以来、金融仲介機能を維持することに一貫して全力をあげてきたのです。そうした方針は今後とも変わることはありません。

もうひとつの論点としては、国民一般の間で、マイナス金利政策のメリットが感じにくいとの声が少なくないことを指摘できます。マイナス金利政策によって、個人の預金が減少する訳ではないことについては理解が広がっていますが、住宅ローンなどの借入がない世帯にとっては、具体的なメリットが感じにくいことは否めません。特に、年金生活者、高齢者などの貯蓄世帯には、利息収入が一段と減少することが、強いデメリットとして受け止められています。マイナス金利政策は、実質金利を自然利子率に比して十分低い水準に保つことを政策波及経路としている点で「量的・質的金融緩和」の延長線上にあると言えますが、国民一般にとって分かりにくい面もあり、このような批判や痛みにはよく耳を傾けていく必要があります。しかしながら、同時に、金融政策の効果は、金融機関との取引に伴う経済主体ごとの直接的な損益だけでなく、雇用の増加や賃金の上昇などを通じたメリットも含め、経済全体としてみていく必要があることを丁寧に説明していかなければならないと思います。すなわち、経済を持続可能な成長経路に戻していくためにこうした政策が必要である点を、より分かりやすく説明していく必要があり、このことは、日本銀行とECBに共通の課題であるように思われます。

こう申し上げたうえで、マイナス金利政策については、導入後、金利が一段と低下していることを踏まえ、今後経済にどう影響していくかを見極めたいと考えています。

  1.  3 金融仲介機能の重要性については、「金融安定に向けた新たな課題と政策フロンティア―非伝統的金融政策、マクロプルーデンス、銀行の低収益性―」(IVA-JSPSセミナーにおける講演、2016年3月)でも述べています。

5.中央銀行の最後の貸し手機能:グローバル金融危機の教訓も踏まえて

以上、日本経済が過去から現在に至る間に直面してきた問題と日本銀行の対応について述べてきました。以下では、中央銀行の視点から重要と思われる今後の課題を2点取り上げたいと思います。

第一は、国際的な金融セーフティネットの構築と、そのもとでの中央銀行の「最後の貸し手」の役割について国際的視点から検討を進めることです。日本国内では、1990年代の金融危機を経てセーフティネットが強化され、日本銀行の最後の貸し手機能の役割はより明確になっています。一方、先般のグローバル金融危機の経験を踏まえると、国際的に展開するシステミックな大手金融機関が一時的な流動性不足に陥った場合、最後の貸し手機能の発動に関して、中央銀行間でどのように情報を共有するのか、また、どのように役割分担をするのか、といった論点への対応が重要な課題となっています。セーフティネットにおける銀行やノンバンクの扱いが国や法域によって異なる場合も考えられます。日本銀行は、1997年に山一證券が破綻した際に、同社の海外における銀行現地法人を含め流動性供給を行いましたが、こうした対応においてクロスボーダーで発生し得る様々な論点の一端を実際に経験しています。

さらに、グローバル金融危機の教訓もあって、決済リスクを削減するために中央清算機関の利用を通じた取引の清算集中が進められています。こうした動きに伴い、クロスボーダーで活動し、複数通貨を取り扱う清算機関を通じた清算の過程で流動性不足が生じた場合、これをどのように解消すべきか、そのために中央銀行がどのように関与すべきか、といった論点も加わってきています4

中央銀行は自国の金融システムの安定に責任を有していますが、そのためには、これまで以上に国際金融システムへの目配りと関与が必要になってきており、中央銀行間の協力も一段と強化する必要性が高まっています。様々な経験を有する日本銀行は、そうした国際的な議論においてリーダーシップを発揮していくべきと考えます。

  1.  4 中央銀行と清算機関の関係を含め、中央銀行の金融インフラ政策とその課題については「金融インフラ政策と中央銀行―グローバル化・技術進歩・決済イノベーションの下で―」(リテール決済カンファレンスにおける挨拶、2016年5月)で詳しく述べています。

6.日本経済の成長力強化に向けて

第二の課題は、成長力の引き上げに向けた取り組みの強化です。日本経済を持続的な成長経路に戻すうえでは、政府の成長戦略などを通じて企業の活力を引き出し、潜在成長率を引き上げていくことも重要です。成長戦略が奏功すれば、潜在成長率とともに自然利子率が上昇し、イールドカーブの形状も、長めの部分の上昇に伴って次第に正常化していくものと考えられます。

成長戦略は、性格上、効果が直ぐに現れにくい面がありますが、徐々に成果をあげています。代表的な例として、女性の労働参加率の上昇を指摘したいと思います(図表9)。日本では、イタリア同様、歴史的に女性の労働参加率が低く、これを引き上げることが長年の課題でした。特に、働き盛りの女性が子育てのためにキャリアを中断しなければならない点が大きな問題とされてきました。安倍政権は、「一億総活躍社会」の実現を目指し、ひとつの柱として「子育て支援」を掲げています。事実、保育施設の増設などにより、女性の労働参加率は上昇に転じました。こうした成果が積み重なっていけば、成長戦略の推進力は増していくと考えられます。

もちろん、日本が取り組むべき課題は多岐にわたります。日本経済の潜在成長率の低下には生産性の伸びの低下も寄与していることは既に指摘したとおりですが、ひとつの具体的な例をあげれば、ITに関連するセクターに生産性向上の余地が大きいように窺われます。IT関連製品の生産に関わるセクターと、ITの利用に適したセクターのいずれも、生産性の伸びが米国対比低くなっています(図表10)。この点、日米双方の企業に対するアンケートに興味深い結果があり、本邦企業は米国企業と比べて、IT投資を重視する向きが少なく、CIO(最高情報責任者)を置いている企業も少ないという違いが窺われます。これは、潜在成長率の引き上げに向けて、政府の成長戦略だけでなく、民間セクターにおける競争力強化に向けた取り組みにも余地があることを示していると思います。

7.欧州へのインプリケーション

最後に、日本のLost Decadesとグローバル金融危機以降の欧州を比較してみたいと思います。欧州について特筆すべきは、政策対応が迅速で果断であったことです。金融システム不安に対しては、主要中央銀行によるドル資金供給というイノベーションも用いつつ、潤沢に流動性を供給し、金融危機が世界的な恐慌に拡大することを未然に回避しました。また、制度面でも、銀行監督については、SSM(Single Supervisory Mechanism)が稼働しました。今後、破綻処理を担うSRM(Single Resolution Mechanism)の本格的な立ち上げや過小資本行の早期資本拡充など、残る課題への取り組みが進むことも期待されます。また、金融政策面でも、ECBは、インフレ予想の趨勢的な低下に伴うリスクを早い段階から重視していました。実際、主要先進国のなかでいち早くマイナス金利政策を導入したほか、資産買入れ政策もあわせて実施するなど、非常に積極的に対応しています。

この間、潜在成長率を引き上げるような構造改革については、推進力を一層強めていく必要があるように見受けられます。ただ、この点についても、ドラギ総裁が「低金利は、金融政策の結果というよりも、低成長・低インフレの結果(symptom)」であると指摘されているように、しっかりと認識されています。私は、欧州の政策当局者の適切な認識と対応のもと、ユーロエリア経済が日本化するリスクは小さいものと確信しています。

8.おわりに

本日は、日本のLost Decadesを振り返りながら、現在のイタリア経済、欧州経済に対するインプリケーションを探ってみました。なお、当然のことながら、日本とイタリアがお互いに学び合えることは、金融や経済に限りません。経済協力開発機構(OECD)が各国の幸福度を教育や居住環境など様々な指標で測ったベターライフインデックスをみると、日本とイタリアは、OECD加盟国のなかで中位に位置している点で同様ですが、項目別にみると、日本は労働市場の状況や教育環境が良好な一方、イタリアはワークライフバランスや健康という点で優れているといった違いがあります(図表11)。

日本がヨーロッパで広く知られるようになったのは、13世紀頃に、ベネチア出身の商人マルコ・ポーロが、旅行記「東方見聞録」において、日本を「黄金の国・ジパング」として紹介したのがきっかけと伝えられています。それ以降、イタリアと日本は、お互いに長い伝統と歴史を持つ国として、学び合ってきました。現在、両国は、いくつかの共通の課題に直面していますが、これらを協力しながら乗り越えていくことを通じて、たとえジパングの黄金がなくても、両国間の絆は、次の150年間もさらに強固に、さらに輝きを増していくと確信していることを述べ、私の話を締めくくりたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。