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【講演】日本の労働市場における新たな挑戦ジャパン・サミット2016における講演の邦訳

日本銀行総裁 黒田 東彦
2016年10月21日

目次

1.はじめに

本日は、ジャパン・サミット2016でお話しする機会を頂き、大変光栄に思います。本日の議論の中心は、日本の労働市場が、技術革新、グローバル化、人口動態の変化への対応という新たな挑戦に直面しているということであると思います。

私は、日本経済が長期的な成長を実現できるか否かは、労働市場が新たな環境変化にいかに上手く対応していけるかにかかっていると考えています。実際、労働市場の改革は、政府の政策においても重要な課題に位置づけられています。日本経済を長期的に展望すると、少子化・高齢化のもと、労働参加率の上昇や労働生産性のさらなる向上は、長期的に持続可能な成長、言い換えれば潜在成長力を高めるために必要不可欠です。

本日は、日本経済の潜在成長力の引き上げにつながる未来の労働市場のあり方について、私の考えを述べたいと思います。

2.日本の労働市場の特徴

日本の労働市場は、IT化の進展やグローバル化の影響を受けて変化してきました。とりわけ製造業の一部では、機械化の進展や海外へのアウトソーシングが進んだことによって、賃金の低下圧力や雇用機会の消失を経験してきました。

他方で、日本の労働市場全体でみれば、大幅な変化は生じてこなかったという見方もできます。実際、終身雇用、年功賃金を特徴とするいわゆる日本的雇用慣行の大枠は、今日まで維持されています。日本的雇用慣行は、高度成長期に日本の企業に広く普及しました。また、その仕組みを支える法的な規範が確立されていったことによって、日本の雇用保障は一層強固なものとなりました。その後、1990年代後半に日本経済は低成長期に入り、経済環境は様変わりしました。しかし、労働市場においては、非正規雇用比率の高まりといった変化はみられましたが、正規雇用者に対する雇用・賃金体系に大きな変化は生じていません。日本人男性の平均勤続年数をみると、約14年になります。他国の平均勤続年数をみると、米国で5年、英国では9年であり、日本は先進国の中でも最も長くなっています。また、賃金をみると、日本では、30年以上勤続した男性労働者の平均賃金は、働きはじめた頃の2倍程度になっています。これも先進国の中では最も高い水準です。さらに、労働者、特に正社員は、職業人生において企業や産業を渡り歩くことはあまりなく、労働移動は活発ではありません。

働くことは、人の生き方や価値観とも密接に関連しているため、その変化は緩やかになる面があるかもしれません。しかし、近年の著しい社会・経済環境の変化を踏まえると、今後、日本の労働市場が大きな変化を迫られるのは必然と言えるでしょう。

3.労働市場における3つの挑戦

私は、労働市場は、社会・経済環境の変化に対して柔軟に適応していく必要があると考えています。そういう意味で、今後、日本の労働市場を長らく形作ってきた慣行や制度も、日本の潜在成長力を高めるような仕組みに変わっていく必要があるでしょう。それがいかなるものかは、まだ検証と議論の余地がありますが、本サミットはこれについて考える有益な材料を与えてくれました。以下では、私が特に重要と考える労働市場における3つの挑戦について述べたいと思います。

1つめの挑戦は、さらなる技術革新が労働市場に与える影響への対応です。ロボット、人工知能、ビッグデータなどの新たな技術革新は、労働者と機械との代替を進めるという指摘があります。そうした代替は、これまで我々が経験してきた以上に幅広い領域で生じる可能性があり、人間による労働の「聖域」と信じられていた仕事までもが機械に取って代わられるかもしれないと懸念する声も聞かれます。もっとも、歴史を振り返れば明らかなように、技術革新は、長期的にみれば経済の繁栄をもたらしてきました。技術の進歩は所得や購買力を増加させるとともに、新しい財やサービスへの需要、さらには新しい雇用の創出にもつながります。こうした状況の中で、技術革新の果実を享受するためには、新しく雇用機会が創出された部門への円滑な労働移動が確保されなければなりません。この点、日本の労働市場は、長きに亘って定着している雇用慣行を背景に、労働移動が活発でないことが知られています。今後は、労働市場において、仕事を変えようとする人たちが支障なく移動できるような慣行の変化、労働者への再訓練、失業に陥った場合のセーフティネットの拡充が一層必要となっていくことでしょう。

2つめの挑戦は、グローバル化への対応です。グローバル化は、技術革新と密接に関連していることが多いため、労働生産性の改善を後押しするでしょう。また、グローバル化の進展にともなって、海外で働く日本人や日本で働く外国人が一層増加することが想定されます。実際、高度なスキルをもつ外国人の流入促進は、政府の政策にもなっています。海外との連携や協働は、海外の成長機会の取り込みにつながるとともに、新しい技術の創出を通じて、労働生産性を高めます。これを実現する過程では、国内の労働者が海外労働者との競争に直面する業種や職種が今よりも広がっていくことが予想されます。多様な労働者によって構成される労働市場においては、働き方や働きに見合った賃金の考え方が変わっていくかもしれません。財やサービスに加えて、労働者がグローバル化に一層直面する環境において、労働市場を形作る慣行や制度もまたグローバルな競争圧力の高まりに晒されることになるでしょう。

3つめの挑戦として、人口動態の変化への対応について述べたいと思います。これまで述べてきた政策的な課題に加え、人々のより積極的な労働参加を促すことも、潜在成長率の向上にとって欠かせない点です。実際、高齢者や女性の労働参加率の引き上げは、政府の政策の重要な柱の一つとなっています。これらの政策が効果を発揮するためには、これまでのように、働き盛りの男性労働者を前提とした働き方や雇用・賃金体系が曲がり角に来ていることを認識する必要があるでしょう。近年、日本企業は、人数の多い団塊世代の労働者が高年齢化するにつれて、人件費が大きく膨らむという事態を経験しました。こうした経験を通じて、日本企業は、終身雇用と年功賃金という雇用・賃金体系を維持したまま、人口構成の変化を受け入れることの難しさを既に実感したのではないでしょうか。今後、少子化・高齢化が進む中で新たな労働者による労働市場への参加を期待するのであれば、多様な労働時間の設定や、働く場所を選ばない仕事の増加が必要になるでしょう。さらには、社会全体として、育児、介護、看護にかかわる負担のあり方も見直していかなければなりません。

4.おわりに

日本人は長らく「よく働く」という勤勉さを尊重する倫理観を持つとされてきましたが、その点は今も誇ってよいと思います。しかし、そこで想定されているのは、これまでの「よく働く」というものとは異なるかもしれません。今後、日本の労働市場においては、環境変化に応じた形で慣行や制度を見直し、かつそれに対応して「よく働く」必要があると思います。このような労働市場の変化は、わが国経済の持続的な成長を支える土台にもなっていくはずです。

本日は金融政策について述べる時間はありませんが、こうした労働市場の変化を含めた構造改革の動きが、日本銀行の緩和的な金融政策と相まって、日本経済の持続的な発展につながっていくことを期待しています。

ご清聴ありがとうございました。