公表資料・広報活動

ホーム > 公表資料・広報活動 > 講演・記者会見 > 講演・挨拶等 2017年 > 【講演】黒田総裁「アジア経済の次の成長モデル」(2017北東アジア経済発展国際会議イン新潟)

【講演】アジア経済の次の成長モデル―「世界の工場」を超えて―2017北東アジア経済発展国際会議イン新潟における講演

日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年2月14日

目次

1.はじめに

本日は、北東アジア経済発展国際会議にお招きいただきありがとうございます。アジア各国の経済活性化に向けて、日々ご尽力されている皆様方の前でお話しする機会を頂戴しまして大変光栄に存じます。河合正弘代表理事におかれましては、このような貴重な機会を設けていただき、心から感謝申し上げます。

環日本海経済研究所が設立された1993年は、世界が冷戦終結後の新たな姿を模索しはじめた時期にあたります。その時期に、旧東側と旧西側の国が隣接しあう「北東アジア」地域に着眼し、新しい協力関係のもとで互いに発展していこうと立ち上げられた研究所の意義は、今から振り返ってみても時宜を得たものであったと思います。1993年以降、各国が互いに連携しあって協力関係を築き上げた結果、アジア地域が「世界の工場」と呼ばれるまでに成長し、世界経済をリードしてきました。

しかし、近年、この「世界の工場」というアジアの経済成長モデルは、転換点を迎えている可能性があります。アジア経済の成長率は、2000年代後半の世界的な金融危機を境に減速しています。また、世界的に貿易量の伸びが鈍化しており、外需主導の経済成長を続けてきたアジア経済に逆風として作用しています。さらに、「グローバル化」の進展に伴う副作用を主張する動きも拡がりつつあります。

本日は、このような転換点に立つアジア経済について、中長期的な視点から私なりに思うところを述べさせていただきたいと思います。まずは、アジア経済の発展の歴史を振り返り、冷戦後、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)が構築されるなかで、「世界の工場」として成長を謳歌してきた経緯を概観します。その後、こうした成長モデルが、現在、揺らぎつつある点を指摘します。そして、アジアの次の時代の成長モデルを考えるうえで、サービス業の生産性を高め、次の成長の牽引役としていくことが重要であることをお示ししたいと思います。

2.アジア経済の現状

まず、アジア経済の現状を確認します。図表1は、日本を除くアジア9か国の実質GDPの成長率を示しています。通貨危機の影響を強く受けた1998年を除けば、アジア経済は2000年代半ばまで平均して8%程度の高い成長を続けてきました。しかし、2000年代後半以降、成長率は趨勢的に鈍化し、2015年には6%程度まで落ちこみました。2000年代後半以降の成長率を地域別に比較すると、アジア経済の減速幅は原油価格の下落や政情の不安定化に直面した中東地域に次ぐ大きさであり、世界的にみてもその減速ぶりは目立ちます。

アジア経済の成長率の鈍化により、アジアの多くの国々では「高所得国」に向けた歩みが鈍っています。図表2は、国の豊かさのバロメーターのひとつとされる国民一人あたりの所得(GNI)を示しています。世界銀行の定義によると、これが12,000ドルあたりを超えると「高所得国」に分類されます。現時点では、このラインを超えられない「中所得国」が多いのが実情です。

世界銀行の調査によれば、1960年に中所得国であった101か国のうち、高所得国に入った国はわずか13か国のみで、残りの多くの国は50年以上経った今でも中所得国の地位にあります1。中所得国をなかなか卒業できない状況は、「中所得国の罠」といわれています。アジアでは、シンガポール、香港、韓国など、いくつかの国・地域がこの罠を脱して高所得国に転換しましたが、これらの国・地域が中所得国になってから高所得国に転じるのに要した期間は平均して20年程度です。この点で、アジアの多くの国は、中所得国にとどまる期間が20年を超えており、「中所得国の罠」に陥っている可能性が懸念されています。

以下では、アジア経済の成長率が近年鈍化した背景を探るべく、アジア経済が「世界の工場」として経済成長を果たした経緯と現状についてお話しいたします。

  1. 次の文献を参照。World Bank (2013), China 2030: Building a Modern, Harmonious, and Creative Society, Washington, DC: World Bank.

3.「世界の工場」としての経済成長

経済のグローバル化

ここでは、まず、現在のアジアの立ち位置を探る観点から、「世界の工場」が経済のグローバル化の波のなかでどのように変遷してきたかを歴史的に振り返ってみます。

もともと、「世界の工場」という用語は、圧倒的な工業力を誇った19世紀のイギリスを称する際に用いられました。そして、20世紀に入ると、イギリスに代わってアメリカが「世界の工場」と呼ばれるようになりました。「世界の工場」としてのイギリスとアメリカは、蒸気機関や電信・電話技術をはじめ画期的な技術革新を数多く生み出し、これを基盤に近代的な工場制度を構築して大量生産を行うことを可能にしました。また、原材料を世界中から輸入して工業製品を輸出する加工貿易パターンを確立しました。「世界の工場」を起点に自由貿易が推進され、世界の貿易取引は拡大しました。現在では、様々な分野で「グローバル化」という用語がすっかり定着しましたが、経済の「グローバル化」は、この19世紀以降に本格化したとされています。

ジュネーブ大学のボールドウィン教授は、このイギリスとアメリカが主導した「グローバル化」局面の特徴として、技術革新によりモノの輸送コストが低下した結果、世界中でモノが取引されるようになり、「世界の工場」に所得が集中するようになったことを指摘しています2。1970年代から1980年代末にかけては、日本とドイツがキャッチアップを果たして「世界の工場」の立場を引き継ぎ、急速に所得を蓄積するようになりました。

  1. 2次の文献を参照。R. Baldwin (2016), The Great Convergence: Information Technology and the New Globalization, The Belknap Press of Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts.

グローバル・バリュー・チェーンとアジアの経済成長

1980年代末、東西冷戦が終結すると、世界は、新たな「グローバル化」時代に入ります。中国や旧ソ連、東欧など旧東側諸国にたくさんの資本が入るようになって、国際間の直接投資がさらに拡大しました。また、1995年にWTO(世界貿易機関)が設立され、自由貿易の制度的な枠組みが強化されました。こうしたなかで、すでに各地に拠点を築いていた多国籍企業は、生産体制を一段と進化させていきます。多国籍企業は、製品の企画・開発から、部材の生産・組み立て、販売に至るまでの工程を細分化しました。そして、各工程で規模の経済や立地の優位性を追求し、最適な部材・サービスの調達地・供給地を世界各地に分散させていきました。こうして、2000年代半ばにかけて、網の目のような国際分業ネットワークが確立されました。いわゆるGVCです。

このGVCの確立には、ITの発展が大きく貢献しました。すなわち、GVCのもとでは、製品の完成に至るまで多くの工程を経ることになりますが、各工程が地理的に離れていたとしても、ひとつの事業として管理・統括することがITのおかげで可能となったわけです。前述したボールドウィン教授は、1980年代末以降のITの発達によって情報の伝達コストが大きく低下し、先進国と新興国の間で情報共有が容易となったため、新興国の高い経済成長が可能になったと指摘しています。その結果、G7諸国が世界のGDPに占めるシェアは、3分の2に達した1990年から2000年代後半には5割程度まで低下するなど、新興国のプレゼンスが拡大しました。

GVCが構築されていくなかで、世界の貿易取引は大きく拡大しました。図表3は、世界の貿易額を実質GDPとの対比でみたものです。1980年代は概ね横ばいで推移しており、世界の貿易額の伸びは経済成長率と同程度でした。ところが、1990年代以降は右肩上がりとなり、世界の貿易額は実質GDPを上回るペースで増加しました。GVCのもとでは、ひとつの製品を作り上げるまでに、たくさんの部材を国際間で調達・供給します。このため、貿易量は最終製品の需要の伸び以上に増加します。また、GVCの構築に伴い、世界各地で生産拠点が建設されました。このため、工作機械や建設機械といった資本財の貿易が活発となったことも貿易量が増大した背景として挙げられます。なお、2000年代後半の世界的な金融危機以降、世界の貿易量のグラフは屈折し、再び横ばいになっています。この点については、後ほどお話しします。

GVCの中心はアジア地域であり、その中でも中国が「世界の工場」と呼ばれるに至ったのはご承知のとおりです。中国が最終的な組み立て拠点となり、資本財や製品の部材を周辺のアジア諸国が供給するという生産体制が確立されました。アジア地域が製造拠点として選ばれた背景として、低廉で豊富な労働力と工業用地を有し、低コストでの大量生産・輸出が可能であったことに加え、人口が多く、将来の有望な消費地として期待されたことが挙げられます。また、アジア各国の政府が、製造業への外資規制を緩和するなど、対内直接投資の呼び込みに努めたことも大きかったと思います。

それでは、GVCは、アジアの経済成長にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。GVCは、工程ごとに効率性を追及して生産コストの低下や付加価値の向上を図りつつ、開発・生産拠点を構築していきます。このため、GVCの生産拠点となったアジアの国々では、直接投資を呼び水に設備投資が行われ、同時に高い技術やノウハウが導入されていきます。この点は、「世界の工場」であったかつてのイギリスやアメリカとやや異なっています。イギリスやアメリカは自ら興した技術革新を生産の基盤とした一方、製造工程に特化するアジア地域は、先進国の技術を導入しながら自らの技術を高めていきました。これは、海外から輸入する資本財や中間財に埋め込まれた技術を取り込むことや、ITを活用し取引関係にある先進国企業の技術や知識を共有することなどを指しています。

このように、アジアでは、冷戦後、GVCに関連した投資拡大と技術進歩を基盤として輸出を伸ばすことで所得水準を向上させました。その結果、中間所得層が形成され、国内消費が活性化されていきました。所得水準の上昇と国内消費の増加は、アジア地域を単なる生産地ではなくて、世界の主要企業が注目する最終消費地へと変化させていきました。これが、冷戦後のアジア経済の成長パターンでした。

世界貿易の停滞

GVCを起点としたアジアの成長モデルは、2008年の世界的な金融危機を境に揺らいでいるようにみえます。その主因は、貿易取引の伸びが世界的に鈍化していることにあります。さきほど世界の貿易量のグラフが2000年代後半以降屈折し、再び横ばいで推移するようになったと申し上げました。世界の貿易量は、金融危機以前には世界の経済成長率を上回るかたちで増加していましたが、金融危機以降、貿易量がそこまで増加しなくなっています。それはなぜでしょうか。

まず考えられるのは、金融危機以降の世界経済の成長率鈍化です。これは、金融危機以前と比べて、完成品の需要の増加テンポが鈍化すること、そして、構成する部品の需要の伸びも鈍化することを意味します。この結果、貿易取引は相乗的に鈍化します。さきほどGVCのもとでは、経済が成長すると貿易量が増加しやすいと申し上げましたが、金融危機後はこの逆のことが生じたと考えることができます。もしそうであれば、世界経済の成長率が高まると、世界の貿易額も再び増勢を強めるはずです。しかし、危機前のペースを完全に取り戻す可能性は必ずしも高くはなさそうです。その理由は、世界貿易額の増勢鈍化の背景に、景気循環以外の構造的な要因が作用している可能性が高いためです。

構造的な要因の第一は、GVC構築の一服です。2000年代半ばまでに世界の主要企業がGVCの構築をひと通り終え、さらに低廉で豊富な労働力や消費市場を求めてフロンティアを拡大する動きが停滞しています。これに伴って、関連する貿易取引が鈍化した可能性があります。図表4では、金融危機以降、どの国においてどのような財の輸入が、伸びを低下させたかを示しています。赤い色が濃いほど、経済成長率対比での輸入の下振れ幅が大きいことを表します。金融危機以降、中国とNIEs・ASEANによる資本財と中間財の増勢鈍化が顕著です。この点は、2000年代半ばまでにGVCを構築する動きが一巡したとの指摘と整合的です。

世界貿易量の増勢鈍化をもたらした構造的な要因の第二として、中国で内製化が進んでいることが挙げられます。かつて国内の技術力がさほど高くなかった中国は、高い技術力を要する部材の製造を他国に任せ、低廉な労働力を活かして完成品の組み立て工程を主に担いました。しかし、この構図は、すでに過去のものになりつつあります。近年、中国では、技術力が大きく向上し高度な部材を国内で製造できるようになったため、一部製品については部材の製造から組み立てまで中国国内で一貫して行えるようになっています。また、中国政府が「製造強国」を目標に、税制や補助金などの面で企業活動を強力にサポートしていることもその背景に挙げられます。

そうなると、これまで中国に部材を供給していた周辺のアジア諸国は主要な輸出先を失い、貿易取引が減退することになります。これが、アジア地域の中間財輸入の鈍化につながっていると考えられます。中国向け輸出を成長のドライバーとしてきた周辺のアジア諸国にとっては、成長モデルの見直しを迫る要素かもしれません。

構造的な要因の第三は、貿易の自由化が停滞し、保護主義的な動きが少しずつみられはじめている点です。たとえば、1990年に14%であった世界の平均的な関税率は2010年に4%へ低下した後に反転し、2013年には5%程度まで上昇しています。IMFは、金融危機以降、各国で非関税障壁が増加しており、保護主義的な動きが徐々に強まっていると指摘しています3

  1. 3次の文献を参照。C. Constantinescu, A. Mattoo, and M. Ruta (2015), "The Global Trade Slowdown: Cyclical or Structural?," IMF Working Paper, No.15/6.

4.成長の牽引役が期待されるサービス業

サービス業の低い生産性

仮に世界のモノの貿易活動が以前ほど活発にはならないとすると、アジアの国々は成長モデルを見直す必要があります。その際にひとつの鍵を握るのがサービス業であると思います4。その理由は、第一に、一人あたり所得水準が上昇するにつれて、モノからサービスへと需要がシフトする傾向がある点です。経済発展につれてサービス業のシェアが拡大する現象は、「ペティ・クラークの法則」として知られています。また、アジアでは、社会保障制度が未整備であることもあって、貯蓄率が高い国が少なくありません。今後、社会保障制度を整備することで貯蓄率が低下し、個人消費が活性化すれば、サービス需要が大きく成長する可能性があります。

第二に、GVCを発展させ、これまで以上に輸出品の高付加価値化を図っていくうえでは、サービスが重要な役割を担っている点です。後で述べるように、付加価値の高いモノを製造して差別化を図っていくためには、サービスを投入することが欠かせません。

第三に、モノの貿易の増勢が鈍化したとしても、サービスの貿易にはまだまだ拡大余地がある点です。

日本を除くアジア諸国のサービス業の現状を確認してみます。図表5の左のグラフでは、日本を除くアジアにおける第三次産業、すなわちサービス業が名目GDPに占めるシェアを示しています。アジアは、第二次産業すなわち製造業のイメージが強い地域ではありますが、それでも第三次産業のシェアは緩やかな上昇傾向を辿っており、2014年には半分弱に達しています。第三次産業のシェアは、平均6割程度に達する先進国と比べれば低いものの、経済構造が製造業に著しく偏っているわけではないことを示しています。すでにみたとおり、アジアの国々は着実に一人あたりの所得を上昇させてきており、先ほど述べた「ペティ・クラークの法則」が当てはまっていることがわかります。

一方、やや気掛かりであるのは、アジアの国々では第三次産業の労働生産性が第二次産業と比べて特に低い点です。図表5の右の表では、第三次産業の労働生産性を第二次産業との比率として示しています。一般に技術革新のスピードが速い製造業に比べると、サービス業の生産性は低い傾向にあります。先進国では、第二次産業の生産性を100とすると、第三次産業の生産性は90程度です。しかし、中国や韓国などのNIEs諸国では、第三次産業の生産性は第二次産業の7割程度、タイやインドネシアといったASEAN諸国では6割程度にとどまっています。

サービス業の生産性が製造業より低いまま、サービス業のシェアが拡大すると、経済全体の生産性、ひいては成長率が下押しされます。これは、「ボーモルのコスト病」と呼ばれる現象であり、先進国が陥りがちな病として知られていますが、アジア地域も同様の状況に陥る可能性があります。

  1. 4 以下のサービス業の生産性や貿易などを巡る議論については次の文献を参照。森川正之(2016)『サービス立国論―成熟経済を活性化するフロンティア―』、日本経済新聞出版社.

GVCと近代的サービス

アジアのサービス業の状況について、もう少し詳しくみます。図表6の左では、さきほどの第三次産業のシェアを「伝統的サービス」と「近代的サービス」の2つに分けました。このうち「伝統的サービス」とは、昔からの生活に欠かせないサービスであり、たとえば小売業、卸売業、行政サービスといった分野が該当します。一方、「近代的サービス」とは、所得水準が高くなるほど人々が必要とするサービスを指しており、外食、教育、金融、医療などが該当します。「近代的サービス」は、国やサービスの内容により違いはありますが、総じて付加価値が高いとされています。ここから明らかなとおり、先進国とアジア地域を比べると、「伝統的サービス」のシェアにはあまり差がありません。一方、「近代的サービス」のシェアは先進国で大きく、アジア地域はそれと比べて見劣りがします。

アジア地域でサービス業の生産性が低いことには、「近代的サービス」分野が十分に発達していないことが関連していると考えられます。図表6の右の表で「近代的サービス」のシェアを細かくみると、アジア地域では、医療・介護サービスと専門サービスのシェアが先進国と比べて小さいことがわかります。このうち、医療・介護サービスのシェアが小さい点は、先進国と比べて医療システムが整備されていないことなどが背景にあるとみられます。

「近代的サービス」のうち専門サービスは、法律・会計、コンサルティング、デザインといった企業向けを主な対象とするサービスです。アジア地域で専門サービスのシェアが見劣りする背景には、さきほどお話ししたGVCの進展と関連している可能性があります。

モノづくりの工程は、単に部材を組み合わせて製品に仕立てる製造工程だけではありません。製造工程の前には、製品の開発、デザイン、マーケティングといった製造そのもの以外の工程、すなわちサービスの投入が必要です。また、製造工程の後にも、広告や販売、メンテナンスなどサービスの投入が必要です。このようにひとつのモノを作るには、製造工程の前後におけるサービスの投入が不可欠です。

また、このサービスの投入がモノの付加価値の高さを大きく左右すると考えられています。一般にモノの付加価値のうち、製造工程により生み出される部分は小さく、前後のサービスで生み出される部分が大きい――モノづくりの工程と生産性との関係を描くとU字型の「スマイルカーブ」になる――といわれています。GVCは、工程を細分化し、比較優位を最大限に活用する取り組みでした。GVC構築の結果、製造工程はアジア諸国など新興国に移設される一方、製造以外の工程の多くは先進国に残りました。モノづくりの工程で付加価値の多くを生み出すサービスが国内にあるかどうか、それを支える高付加価値の専門サービスが発達しているかどうかが、先進国とアジア地域との間で専門的サービス、ひいては「近代的サービス」がGDPに占めるシェアの違いをもたらしたと考えられます。

付加価値の高いモノがあふれる現代において、サービス投入の重要性は一段と増しており、「製造業のサービス化」が進んでいます。これまでアジア地域は「世界の工場」として製造工程を担うことにより、経済成長を実現してきました。しかし、サービスの発達という点では、先進国の後塵を拝しています。今後、高度なサービスを発達させ、モノづくりの高付加価値化を進めていくことは、アジア諸国にとって、次の成長に向けた足がかりとなると思います。

求められるインフラの整備

サービス業の生産性を引き上げ、サービス業のシェアを大きくしていくうえで欠かせないのは、インフラの整備です。ここで申し上げているインフラとは、広い意味でのインフラを指しています。インフラは電力・道路・鉄道といったハード面だけではありません。法律や規制もソフト面でのインフラであるほか、教育システムなどもインフラのひとつです。

こうした広い意味のインフラが充実している国ほど、サービス業の労働生産性が高い傾向があります。図表7は、アジアの国々をサービス業の労働生産性が高い順に並べたうえで、各国の法律制度や規制、教育年数、社会資本の充実度を数値化した指標を示しています。各項目のうち色のついた項目は先進国と比べて見劣りし、色が濃くなるほど、先進国を下回る度合いが大きくなることを示しています。

ここから、幾つかの特徴を指摘することができます。第一に、シンガポールや香港といった生産性が高い国では、他の先進国と同様にインフラが整備されています。一方、サービス業の労働生産性が見劣りする――下方に位置する――国ほど、赤い色が多くなっており、インフラの不十分さが労働生産性の低さにつながっていることが示唆されます。

第二に、今度は各項目別にみると、ハード面のインフラについては、インドネシアやフィリピンなどでは、道路や鉄道、電力供給を充実させる余地があります。ハード面のインフラを整備すると、それを直接活用するエネルギー業や運輸業などの公共的なサービス業の生産性向上に直結するほか、人口が集積する都市の機能強化を通じてサービス業の労働生産性の向上に資すると考えられます。

第三に、法律や規制といったソフト面のインフラについては、アジアの多くの国で改善の余地があるようです。一般にサービス業には電力・金融・通信など公共性を帯びたものが多く、規制が強くなりがちです。また、国内産業を保護する観点から外資が制限されている面もあり、外貨獲得や雇用創出を目的に外資規制が緩められてきた製造業とは対照的です。表の一番左の列は、OECDが作成したサービス貿易を制限する規制の指標であり、アジアのいくつかの国は、先進国よりも種々の規制が強いことがわかります。また、汚職の問題や治安の悪さなど法律遵守の程度が見劣りすることや、知的財産権の保護が徹底されていないことも、インフラとしてマイナスです。さらに、公的医療・年金といった社会保障制度が未整備であることは、将来不安を惹起し、内需主導の成長を阻害していると考えられます。

最後に、教育面です。アジアの初等教育の就学率は改善傾向にあり、多くの国で9割を超えています。もっとも、東南アジアの一部では、中等教育、高等教育の就学率が低く、教育年数の低さにつながっています。また、OECDの学力調査によれば、シンガポールや香港などは世界トップレベルにある一方、東南アジア諸国の一部は世界平均を下回っています5。サービス業では、建物や機械もさることながら、労働者の質が付加価値の源泉です。サービス業の労働生産性の向上に向けて、教育面の充実は最重要課題となっています。

  1. 5次の文献を参照。OECD (2016), "PISA 2015 Results in Focus," PISA in Focus, No. 67, OECD Publishing, Paris.

5.おわりに

以上、アジア経済のこれまでの成長と現在直面している課題について申し上げ、次の時代の成長モデルを考える際のひとつの鍵としてサービス業の生産性や競争力の向上が必要であることをお示ししました。

次の成長モデルがどのようなものになっていくにせよ、今後のアジアの経済成長にとって自由貿易体制が維持されることが不可欠です。当面、財の貿易量の成長は、以前ほどの高いペースを取り戻せないかもしれませんが、アジアのこれまでの経済成長を可能にしたGVCは引き続き重要な成長エンジンです。急速に豊かになったアジア地域は、企業側からみれば労働コストが高い地域になりつつあり、いつまでも製造工程の最適地であり続ける保証はありません。実際、よりコストの安い生産拠点を求め、他に生産拠点を移管する動きがみられています。アジア経済の成長率を高めていくためには、こうしたGVCの再編に向けた動きを梃子にして投資の拡大や生産効率の改善を進め、自らの新しい比較優位を創出していく努力が重要です。そして、そうした努力の大前提となるのが、これまで世界経済の成長を支えてきた自由貿易体制が維持されることです。

自由貿易のもたらす果実を世界経済が今後も享受していく際に重要なのがサービス業の役割です。ITの発展は、サービスの国際間取引をかつてに比べて容易にしました。そのなかで、「製造業のサービス化」が進展しました。このため、サービス貿易は財貿易以上に拡大する傾向にあります。しかし、その中心は依然として先進国です。世界のサービス輸出に占めるアジア地域のシェアは2割に達してもおらず、3割程度を占める財の輸出に比べると低いといわざるを得ません。また、中国をはじめアジアの国々の多くは、サービス貿易収支が赤字です。

今後、新興国の所得水準が上昇するにつれて、サービスへの需要も高まっていくと予想されます。さらに、財の貿易に比べると、サービス分野の貿易自由化の余地はかなり残っています。そうなれば、先進国と新興国の間で、あるいは新興国の間で、サービス取引が活発になり、遅れていたアジアのサービス業の生産性や競争力の向上にも資することが期待できます。

その点、サービス業も含めたGVC拡大の鍵を握るITについては、アジアでも発展が目覚ましいことは心強い動きです。「中国のシリコンバレー」と呼ばれる深圳市では、国内の起業家が数多く集積しているほか、「フォーチュングローバル500社」のうち約270社が研究開発拠点などを設立しており、世界的なイノベーション創出都市として変貌をとげつつあります6。すでにフィリピンは、国民の高い英語能力を活かし、コールセンターなど音声サービスの一大拠点として海外から業務を請け負っています。また、インドは、高いITリテラシーを活かして、システム開発やデータ管理といったIT関連のアウトソーシング分野が伸長しています。この結果、両国はサービス貿易黒字国となっている点は注目に値します。

アジア諸国は、これまで世界の経済成長の牽引役としての役割を担ってきました。次の時代でも、これまでとは違ったかたちで世界経済をリードし、高所得国への歩みを確かなものにしていくことが望まれます。環日本海経済研究所における調査研究や経済交流の促進活動、さらには今回の会議のような北東アジア全域を挙げての取り組みが着実に実を結び、アジアのさらなる発展に一段と貢献していくことを期待しつつ、結びに代えさせていただきます。ご清聴いただき、誠にありがとうございました。

  1. 6次の文献を参照。関志雄(2016)「中国におけるイノベーションの一大拠点として飛躍する深圳:担い手となる民営企業」<http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/ssqs/160608ssqs.html>