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【講演】債券市場の機能と金融政策の誤解資本市場研究会における講演要旨

日本銀行政策委員会審議委員 原田 泰
2017年6月29日

はじめに

日本銀行は、2%の物価目標の達成を目指して大胆な金融緩和政策を行っているが、これには根強い批判がある。その中には、1)債券市場の価格発見機能を阻害する、2)金利を低位に押さえつけることで、債券市場を歪め、長期的に過度のインフレをもたらす、3)イールドカーブのフラット化をもたらして、国内投資機会を喪失させ、邦銀の外貨調達コストを上昇させる、4)国債市場を不安定にして金利急騰リスクを高める、5)そもそも、金融緩和によって生じる低金利は、将来の需要を前倒しするだけで、現在と将来の生産を拡大するものではない、などという批判的な議論がある。以下、これらの議論について検討したい1

  • 本稿は筆者個人の見解を示すもので日本銀行の見解を示すものではない。
  1. 他にも関連して、金融緩和をしても何も起きないが、あるとき、いきなり、金融の大混乱が起きるという議論がある。これらの議論のうち、債券市場と金融政策に多少とも関係があるものとして1)金融緩和をしても資産価格がバブル的に上がるだけで、実体経済が改善することはない、2)日銀の国債購入が財政ファイナンスと受け取られると通貨の信認を危うくする、3)同じく、中央銀行が政府の発行する国債を購入することが、財政規律を弱める、4)必要な時に金融を引き締めようとすると物価、生産、金利に大きなショックを与える、5)量的緩和の出口で金利が上昇し、債券価格が下落し、中央銀行のバランスシートが毀損して通貨の信認が失われるなどの議論がある。これらの議論が誤りであることは原田泰・片岡剛士・吉松崇『アベノミクスは進化する―金融岩石理論を問う』(中央経済社、2017年)で示しているので本稿では議論しない。

1.金融緩和政策は債券市場の価格発見機能を阻害するのか?

債券市場の多数の参加者が市場に参加して活発な売買を行うことによって債券の正しい価格はおのずから発見される。ところが、現在行っているように、日銀が国債を大量に買入れていると、市場は正しい価格を発見できないという議論がある2

しかし、正しい価格とはなんだろうか。債券市場ではなく、例えば、コメの価格であれば、国がコメを買うことは価格を歪め、市場の価格発見機能を阻害することは明らかである。正しい価格は市場で決定される価格であり、国がコメを買い入れれば人為的に価格が吊り上げられ、価格は歪む。その結果、コメの販売量は減少し、政府にはコメの在庫が積み上がる。この在庫を売れば米価は下がるが、そもそも米価を上げるためにコメを購入したのだから、在庫は売却するのではなく始末する(捨ててしまう)しかないだろう。これが価格を歪めており、無駄でもあることは明らかである3。しかし、債券市場で価格が歪むとはどういうことだろうか。

債券が社債であれば、発行企業の信用度によって金利が異なる。異なる金利が信用度の違いを反映した正しい価格ということになる。国債であっても、さまざまな国の国債であれば、国の信用度によって金利が異なる(各国ごとの通貨の違い、インフレ率の違いを無視できる、同一通貨建ての国債であれば、金利の違いは主として国の信用度の違いとなるだろう)。財政的に厳しい状況にある南欧の国の国債金利は高く、財政が健全なドイツの国債金利は低い。これは異なる金利が国の信用度の違いを反映した正しい価格ということになる。ここで、中央銀行が、特定の会社の社債、特定の国の国債を買い入れれば、信用度の違いから生じる金利の違いを歪めて、債券の正しい価格を発見する債券市場の機能を歪めることになる4。しかし、現在、批判者が問題としているのは、中央銀行が自国政府発行の国債を購入する場合である。この時、正しい価格とは何であり、中央銀行が自国の国債を購入することが、どのような意味で価格を歪ませることになるのだろうか。

そもそも、国債市場は政府が国債を発行することによって初めて市場が生まれる。その意味では、国債市場は本来的に人為的なものである。日本銀行が国債を購入しないとすると、国債を発行する政府とそれを何らかの理由があって購入する金融機関を中心とする投資家の需要と供給によって国債の価格が決まる。ここで日銀が国債を購入すれば、通常は、国債価格は上昇し、金利は下がる5。日銀が購入するとは、日銀の発行するマネー、マネタリーベースで購入するわけだから、ここで物価に上昇圧力をかけるはずである。すなわち、日銀は、デフレからの脱却を目指して、金利を下げ、経済を活性化し、物価を上げるために購入したのである。

現状で金利が非常に低い状況にあるので、このことが分かりにくくなっているが、90年代初までの状況であれば、分かりやすいだろう。当時、短期金利は8%程度であった。この状況で日本銀行がマネタリーベースを拡大して短期国債を購入すれば金利が低下する。もちろん、当時はマネタリーベースの増減ではなくて短期金利の上げ下げで金融政策を行っていたわけだが、金利を下げればマネタリーベースの需要が拡大し、マネタリーベースも増大した6。債券を売却した金融機関は、金利の付かないマネーを得る。金利の付かないマネーを持っていても仕方がないので、金融機関はそのお金を貸し出す。8%の金利では貸出が増えないが、金利を下げれば貸出が増える。貸し出されたお金で人々は何かを購入する。需要が増えるので、需給ギャップがあれば実質生産が増えるが、ギャップが縮小するにつれて物価は上昇していく。物価が上がりすぎてはいけないので、2%程度で収まるように日銀は債券の購入量を調節する。

中央銀行が国債市場を含む金融市場において債券を売買するのは、それによって需給ギャップと物価を適切な状況にするためである7。日銀が国債を購入するのは、この意味での国債市場の機能をうまく働かせるためである。日銀の国債購入が国債市場の機能を歪ませるという論者は、この意味での国債市場の機能を理解できていない。国債市場は、コメや野菜や魚の市場とは異なり、中央銀行が、経済全般の需要と供給に働きかけるための市場なのである。

  1. 2横山昭雄『真説 経済・金融の仕組み』(236頁、日本評論社、2015年)は、「長期金利操作の試みは、市場のprice discovery 機能を害し、市場を歪め、我々をして、市場が伝えてくれるはずの真実を見る目を覆わしめることになる」と書いている。また、ニッセイ基礎研究所の徳島勝幸上席研究員は「市場の価格発見機能が大きく低下している可能性がある」と述べている(日本経済新聞「連載コラム ポジション」2016年4月2日)。また、日本銀行金融市場局が開催している「債券市場参加者会合」でも「債券市場の価格発見機能は明らかに低下しており、金利の動きから市場参加者の先行きの経済や物価についての見方等を見ることが難しくなっている」との発言が聞かれた(日本銀行金融市場局「債券市場参加者会合」第4回議事要旨、2016年12月21日)。
  2. 3実際に行われている日本政府のコメ市場への介入は複雑なものだが、政府の介入と市場の関係を議論するために実際の制度を説明する必要はないだろう。
  3. 4鈴木高志・竹本直人・加藤晴子・木村武「金融混乱下のスワップ市場と国債市場の価格発見機能」(日銀レビュー、2009年7月)は、2007年夏のサブプライム住宅ローン問題を契機とした金融混乱の中で、国と金融機関の信用度の違いが正しく評価されていないことを問題としている。すなわち、この論文は、ここで述べた意味での価格の歪みを問題としている。
  4. 5クレディ・スイス証券の白川浩道氏は、日銀の国債の大量買入れによって金利が歪み、「長期金利は本来の水準から約1%押し下げられている」と言っているが(「日銀の国債保有4割超す」日本経済新聞、2017年2月9日朝刊)、日銀はデフレ脱却のために意図して金利を引き下げているのである。
  5. 6マネタリーベースを増額すればマネタリーベースの需要曲線に沿って金利が低下し、金利を低下させればマネタリーベースが拡大する。これは白川方明『現代の金融政策 理論と実際』137頁、図7-4-1(日本経済新聞社、2008年)にあるとおりである。ただし、白川(2008)の説明では、水平軸はマネタリーベースではなく準備預金である。
  6. 7政府が国債を発行して支出を増やせば需要が増大し、需給ギャップを縮小させることはできる。しかし、金融緩和政策なしに国債を発行すれば、金利が上昇し、民間支出が削減される可能性がある。

2.国債の大量買入れは、金利を低位に押さえつけ、長期的には過度のインフレをもたらすのか?

すでに述べたように、日銀の国債買入れは、国債市場に政府と金融機関だけが存在する場合に比べれば、金利を低下させる。しかし、デフレで日本経済の力が発揮できない状況にあるので、そこから離脱するためにインフレを引き起こそうとしている訳である。だが、いくらでも高いインフレ率にする訳ではなく、インフレ率には平均で2%程度という上限がついている。

インフレ率が高くなりすぎれば、一般的に、中央銀行は、今度は短期または長期の国債を売ってマネーを吸収しなければならない。国債を売るためには国債を魅力的にしなければならない。そのためには、金利を高くするしかない(国債価格は低下する)。金利が高ければ、金融機関からお金を借りてくれる人は減少する。需要は減少し、物価は低下する。

日本銀行はデフレの時には短期または長期の国債を購入し、インフレの時にはそれを売却する。目的はインフレ率のコントロールである。

これに関連して、日本銀行の長短金利操作付き量的・質的金融緩和は、長期金利を目標として金融政策を行うので、アメリカが1942年から51年にかけて採用していた国債価格支持政策と同じであって、高いインフレをもたらすものだという議論がある。国債価格支持政策は、長期金利を2.5%以下に固定するもので、その結果、確かにアメリカの消費者物価上昇率は1951年初には9%にまで上昇した8。そこで、FRBと財務省は、1951年3月4日、長期金利上限政策の終了を決定する共同声明(アコード)を公表し、政策運営の目的は金利の上限維持ではなく、物価の安定だとした9。アメリカの経験から、長期金利を固定化すれば過度のインフレをもたらすというのである。

しかし、現在の日本の政策においては、2%の物価上昇率目標がついており、物価が上がれば金利を上げて消費者物価上昇率が2%を大きくは超えないようにすることが前提となっている。また、金利を一定にコントロールするのは、常識的に考えてほぼ1月半に1回行われている次回の金融政策決定会合までで、アメリカのように長期に金利を固定することを決めている訳ではない。日本銀行の長短金利操作付き量的・質的金融緩和政策を、アメリカの国債価格支持政策になぞらえるのは誤りである。アメリカにおいても、1942年当時にも2%の物価上昇率目標が設定され、物価目標が金利目標よりも優先的な目標と位置付けられていれば、インフレの亢進は避けられただろう。

  1. 8US Inflation Calculator, http://www.usiInflationcalculator.com/inflation/historical-inflation-rates/
  2. 9雨宮正佳「イールドカーブ・コントロールの歴史と理論」「金融市場パネル40回記念コンファレンス」における講演、2-4頁、日本銀行、2017年1月11日。

3.異常な低金利は邦銀の外貨調達コストを上昇させるのか?

長期にわたる低金利政策によるイールドカーブのフラット化によって、国内投資機会が喪失し、その結果、邦銀のみならず保険や年金などの機関投資家が海外での投資に動き、その結果、外貨調達コストの上昇を引き起こしていると指摘されている10

確かに、日本の金融機関がドル調達に用いる円投/ドル転スワップの1カ月物のベーシス(日米金利差からの乖離)はどの期間で見ても、図1に見るように上昇している。なお、ここで、四半期ごとにコストが跳ね上がっているのは、ドル資金市場で在米の欧米系銀行(特に欧州系銀行)がレバレッジ比率規制などへの対応を進めるため、四半期末ごとに資産圧縮を図り、結果としてドル供給が減少することによると言われている11

ドルを調達するとは円をドルに換えることであるから、円安要因になるはずである。円安は、景気を刺激し、物価を引き上げて、最終的には金利を引き上げる要因である。だが、為替スワップ取引でのドルの調達とは、数か月間ドルを調達して数か月後に円と交換する取引である。したがって、ドルを購入すると同時に数か月後にドルを売却する契約を結ぶので、円安要因にはならない。

ドルの調達コストの上昇を云々する以前に、カバー付きの外債投資で平均的に安定して利益が上がる訳がない。日本の金利が低く、海外の金利が高いときに、金利差だけ利益が上がるのであれば、フリーランチがあることになる。フリーランチは存在しないはずだから、金利の差だけ円が上昇し、円で考えた場合には金利差の利益は為替レートの変動で相殺されるはずである(金利平価説)。為替レート変動リスクを避けるために、ヘッジをかければ、そもそも最初から儲かるはずがない。すなわち、異常な低金利は邦銀の外貨調達コストを上昇させるというのは問題設定が間違っている。儲かるはずのないことをしても儲かるはずがないだけである12

ではなぜ邦銀は海外の債券に投資して利益が上がると考えているのだろうか。また、現実に利益を上げているようである。その理由は2つある。1つは、日本と海外の債券の質である。日本では限られた量しか存在しないが、海外には大量のミドルリスクミドルリターンのさまざまな債券がある。信用リスクを取れば、利益が上がるはずである。であるなら、為替リスクを取っても利益が上がるはずであるが、これまでの経験上、為替は短期間に十数%も変化する。このようなリスクを銀行が取ることは難しい。しかし、ミドルリスクミドルリターンの信用リスクなら、管理しやすいということである。私は、必要なことは、日本でもミドルリスクミドルリターンのさまざまな債券を開発することではないかと思うのだが。

第2の理由は、日本と海外のタームプレミアムの違いである。図2に見るように、日本のイールドカーブに比べて、海外ではよりスティープになっている。日本での1年物と10年物の金利差が0.2%でしかないのにドイツ、イギリス、アメリカでは1%程度となっている。したがって、短期で調達して長期で運用すれば鞘が抜ける。しかし、その場合でも裁定が働くわけだから、長期的に鞘が抜けるはずはないと私は思うのだが、現状では鞘が抜けているようだ。これはドルでの期間リスクを取っていることになる。

  1. 10 廉了「悪化する邦銀の外貨調達環境」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング、2016年7月15日)は、外貨調達コストの上昇の理由として、金利の低下とともに、アメリカのMMFへの新規制導入やバーゼル3などの国際的な金融規制の強化を挙げている。MMF(プライム)の運用先は銀行発行のコマーシャルペーパー(CP)や譲渡性預金(CD)だったが、新たな規制のもとでは変動基準価額が導入されたほか、解約手数料の賦課・解約制限が設定されたため、政府債を運用残高とするMMF(ガバメント)への大規模なシフトが起きており、邦銀を含む海外勢が短期のドル調達手段として発行するCPやCDなどを買うプライムMMFの残高が減っている。結果として、邦銀を含む海外金融機関のドル調達コストが上昇するという(「警戒必要な邦銀のドル調達コスト上昇」日本経済新聞2016年7月7日など)。また、国際的な金融規制は、リスクを取りにくくし、バランスシートを拡大するコストを増加させているので、米銀等の総与信が増大しにくくなり、海外にドル資金を供給しにくくなっているという。これについては、黒田東彦「金融市場に関する理論と中央銀行」(日本銀行、2017年5月27日)7頁(金融規制の影響)を参照。
    なお、低金利政策が国内投資機会を喪失させるという議論は、日本銀行の低金利政策、量的緩和政策が低金利をもたらしていると考えていることで誤りである。実質金利の低下は、日本経済の長期停滞がもたらしたもので、名目金利の低下は、日本銀行が不十分な金融緩和政策でデフレをもたらしたことの結果である。これについては、原田泰「なぜ日本の金利は低いのか」『景気とサイクル』第62号、2016年11月を参照。
  2. 11バーゼル規制でのレバレッジ比率規制が2015年1月より開示であるのにもかかわらず、2014年以降、四半期末ごとに金利が跳ね上がるようになったのは米国が独自の国内法を定め、2014年1月より適用するようになったからなどによる。
  3. 12為替レートの決定には理屈では理解できない様々な謎がある。例えば、安達誠司「第2章 金融政策と円暴落」原田泰・片岡剛士・吉松崇『アベノミクスは進化する―金融岩石理論を問う』(中央経済社、2017年)を参照。

4.大胆な金融緩和政策は国債価格を異常に上昇させ、かつ破裂させるのか?

大胆な金融緩和政策は国債バブルを引き起こすという議論もある。国債価格を上昇させ、かつ低下させる、すなわち、金利を異常に低下させるとともに、あるとき急騰させるというのである。

この事例として、1)バーナンキ・ショック、2)債券版フラッシュ・クラッシュ、3)2016年7月29日の日本の長期金利急騰が挙げられている13。1)のバーナンキ・ショックとは、2013年5月22日に債券の購入ペースを減額する可能性を示唆したことから、長期金利が5月から9月にかけて1.4%ポイントも急騰した事態である。これはなだらかな金利上昇を意図して、急激な金利上昇を招いた事態である。しかし、その後、FRBが緩やかな金利上昇を目指すと、金利の上昇もなだらかとなった。

2)債券版フラッシュ・クラッシュとは、2014年10月15日の9時33分から45分の間で米国長期金利が0.37%ポイントも急低下した事例である。終値にかけて持ち直し、元の水準に戻った。確かに、これが市場流動性の低下がもたらすリスクとの指摘もある。しかし、その要因は特定されておらず、高頻度トレーダーの登場など複合的な要因による現象で、FRBの量的緩和と結びつける議論は米国ではないようである14。3)2016年7月29日の長期金利急騰とは、それまでマイナス0.3%程度に低下していた10年物国債利回りがマイナス0.1%にまで急騰した事例である。しかし、2)の急低下と3)の急上昇という一時的な現象が、経済的に、また金融政策運営の上で、どのような問題を引き起こしたのか全く明らかではない15

他にも、長期金利が「急騰」した例は多い。MCP株式会社シニアストラテジストの嶋津洋樹氏は、1985年以降、日本の長期金利が急騰した例として12の事例を挙げ、それぞれについて分析している。これによると、日銀の国債買入れが金利の急騰を招いたケースはなく、1985年11月14日、1989~90年にかけて、1994年、2004年のいずれの急騰ともいずれも日銀が金融を引き締めた結果、起こったとしている16。要するに、これまでのところ、大胆な金融緩和政策が金利を異常に低下させるとともに、あるとき急騰させるということはなかった。

これまでのところはなくても、金融政策の転換、量的・質的金融緩和の出口の時点のショックを心配するのであれば、同じように大規模な国債買入れを行ったFRBには安定的に出口に行けるが、日銀にはできないと言っているに等しく、根拠がない。

  1. 13廉了「国債の市場流動性低下がもたらす金利急騰リスク」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング、2016年8月19日)。
  2. 14規制強化によって米国債ディーラーがマーケットメイクを行わなくなっていること、高頻度トレーダーが流動性の幻影を作り出し、それを見て大口取引をしようとしたときに、このようなクラッシュを引き起こすこと等が原因と言われている(「フラッシュ・クラッシュ債券版?米国債市場で超高速トレーダーが台頭」ブルームバーグ、2015年10月14日)。
  3. 15フラッシュ・クラッシュには、為替市場を巡るものもある。2016年10月7日イギリス時間早朝、ポンドが1分間に6%暴落、7分後3.5%戻す大混乱が起きた。これは、ポンドのフラッシュ・クラッシュと言われている。その理由として、誤発注、アルゴリズム取引の連鎖的な反応、「英国はEU離脱の報いを受ける必要がある」というフランスのオランド大統領の発言によるなど、様々な憶測が報じられた。誤発注説には、"Fat Finger"(指が太いと間違ったキーを押してしまうことがあるためキーの押し間違いによる誤注文をファットフィンガーと呼んでいる)だという説もあるが、ポンド暴落の詳細な原因は解明されていない。債券と為替のフラッシュ・クラッシュについては、黒田(2017)前掲講演テキスト6頁(フラッシュ・イベント)、およびそこで引用された文献を参照。
  4. 16嶋津洋樹「マネタリーベースの拡大と金利暴騰」52-56頁、原田泰・片岡剛士・吉松崇『アベノミクスは進化する―金融岩石理論を問う』(中央経済社、2017年)。

5.金融緩和によって生じる低金利は、単に将来の需要を前倒しするだけなのか?

そもそも、金融緩和によって生じる低金利は、単に将来の需要を前倒しするだけで、現在と将来の生産を拡大するものではないという議論もある。京都大学の翁邦雄教授は、「確かにマイナス金利政策で住宅建設を前倒しさせる効果はあるでしょう。しかし、その効果は、家を来年建てる代わりに今年建てるように働きかけることにすぎません。今年に前倒しさせると、その分、来年になると建てたい家の数は減ります。需要を先食いした分、・・・来年の自然利子率は低下することになります。こうなってしまうのは、金融政策では・・・長期的に建てられる家の総数は変えることができないからです。」と主張する17

しかし、私が別の機会でも繰り返し述べているように、金融政策の効果は、需給ギャップを縮小し、雇用と実質所得を拡大することである18。実質所得が拡大すれば、翁氏の比喩を使わせていただければ、人口によって建てる家の総数が決まっているとしても、より広い、より暮らしやすい快適な家を建てるはずである。すなわち、金融緩和は、単に需要を先食いしているのではなく、現在と将来の両方の需要を拡大するのである。

金融緩和が需要を先食いするだけだというのは、1930年代の大恐慌においても金融緩和に反対していたミーゼスの言葉を想起させる。ミーゼスは、「ブームは、誤投資によって希少な生産要素を浪費し、過剰消費によって現有ストックを減少させる。ブームの恩恵が払う代償は貧困化である。他方、不況は、すべての生産要素が消費者の最も緊急にニーズを最もよく満足させるために用いられる状態へ戻す方法である。」と書いている19

これに対してケインズは、1925-29年の世界的投資ブームについて、「世界中で実施された投資の中には、判断を誤り、成果を生まないものもありました。しかし、疑うまでもなく、1925年から29年の5年間の建設投資によって、世界は飛躍的に豊かになりました。この5年間の富の増加は、歴史上存在したいかなる10年間、いや20年間以上に相当する、と考えられます。この拡張は、建築、世界の電化、道路や自動車関連の事業が中心でした。・・・世界的に見て、主要な食糧や原材料の生産能力は大きく拡大し、科学技術による機械化や新技術の導入により、金属、ゴム、砂糖、主要穀類などすべてにおいて生産が著しく増加しました。・・・このすばらしい生産的エネルギーの爆発が貧困と不況への序曲であったというのは、非常に愚かな見解です。厳格なピューリタンのなかには、これを、過度の拡張に対する避け難くかつ望ましい天罰とみなす人がいます。・・・私はこのような見解をとりません。企業の損失、生産の減少、失業の発生の原因は、1929年の春まで続いた高水準の投資にあったのではなく、この投資が停止したことにこそあり、高水準の投資の回復以外に景気の回復はありえない、と私は考えています。」と書いている20

私は、一生懸命働いている日本の人々に、より広い、より暮らしやすい快適な家に住んでいただきたいと思う。

  1. 17翁邦雄「第2章 自然利子率を低下させるマイナス金利政策」63頁『激論 マイナス金利政策』日本経済新聞出版社、2016年。翁邦雄「日本経済に必要な経済政策を考える」『経済倶楽部講演録(非売品)』(29頁、2017年1月号)では、この考えはBullard, James, "Higher GDP Growth in the Long Run Requires Higher Productivity Growth," The Regional Economist, Federal Reserve Bank of St Louis, October 2016 に触発されたものとしている。しかし、セントルイス連邦準備銀行のBullard総裁は、金融政策によって長期的に実質成長率を高めることはできないという現代のマクロ経済学の基本的な教義を述べているだけである。この教義においても、雇用拡大の余地がある短期においては成長率を高めることができると認めている(例えば、Mankiw, N. Gregory, Principles of Economics, P.743, "Monetary Neutrality Revised," 6th edition, International Edition, South-Western, 2008.
  2. 18例えば、原田泰「長野県金融経済懇談会における挨拶要旨」日本銀行、2016年10月12日。
  3. 19ミーゼス、ルートヴィッヒ・フォン『ヒューマン・アクション―人間行為の経済学』20章、春秋社、新版、2008年。
  4. 20ケインズ、ジョン・メイナード、松川周二編訳『デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集』21-24頁、原著1931年、文藝春秋社、2013年。

おわりに

以上、大胆な金融緩和政策が国債市場を歪めるという5つの議論を検討してきた。検討の結果、1)債券市場の価格発見機能を阻害するという議論は、そもそも何が価格発見機能であるかについての理解が不十分であること、2)日本銀行が長期金利を低位に固定すれば過度のインフレになるという議論は、日本銀行が2%の物価目標を優先目標としていることを忘れていること、3)金融緩和政策が、国内投資機会を喪失させ、外貨調達コストの上昇を引き起こすという議論は、そもそも金利平価説の帰結を忘れていること、4)金融緩和政策が国債市場を不安定にして金利急騰リスクを高めるという議論には根拠がないこと、5)低金利政策は単に将来の需要を前倒しするだけで、現在と将来の生産を拡大するものではないという議論は、需給ギャップの縮小を考慮すると正当化されないこと、が分かった。