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【講演】わが国と山陰地方の更なる発展に向けて松江支店開設100周年記念講演会における講演要旨

日本銀行政策委員会審議委員 布野 幸利
2018年2月21日

1.はじめに

日本銀行の布野でございます。本日は、大変お忙しいなか、山陰地方を代表する皆様にお集まり頂き、誠にありがとうございます。皆様方には、日頃から私どもの松江支店と鳥取事務所がご支援を頂いておりますとともに、この100年間にわたりまして松江支店が大変なお力添えを頂いて参りましたことに、厚く御礼申し上げます。

島根県出身である私にとりましては、松江支店の開設100年という重要な節目に、皆様にこのようにお話しさせて頂く機会を得て格別な感慨がございます。日本銀行が松江に支店を開設した年は、日露戦争から10年余り経った第一次世界大戦の最中であり、この年の11月に大戦は終結しております。関東大震災が5年後の大正12年ですから、まさに激動の時代に松江支店は門出をしたと言えましょう。その後の100年間に、わが国は戦争と復興、高度成長と経済停滞を経験してきました。

本日は、100周年という機会ですので、長期的な視点に立って、わが国や山陰地方が置かれている状況を私なりに整理してみたいと思います。

2.日本経済の課題

まず、日本経済について考えてみましょう。日本銀行の推計によりますと、長い目でみたわが国の成長力を映し出す潜在成長率は1980年代後半に4%程度でありましたが、その後は低下を続け、最近では0%台後半となっています。近年こそ上昇傾向にあるとはいえ、人口の減少や生産性の伸び率鈍化などを背景に、潜在成長率は趨勢的に低下してきました。また、実際の実質GDP成長率も、概ねこれに沿った動きをしています。

そして、このような成長率の低下が続いてきた経験に伴って人々の成長期待も低下しているためか、先行きの日本経済についても悲観的な見方が広く聞かれています。人口減少の影響は大きく、生産性の向上に時間がかかることは事実です。しかし、私はわが国経済の先行きを必要以上に過小評価する必要はなく、もっと前向きに考えてよいと思っています。その理由について様々なことを指摘できますが、ここでは人口と生産性について順にお話しします。

第1に、人口減少について考えてみましょう。少子高齢化が進むもとで、生産年齢人口が減少しており、人口減少は労働需給の逼迫要因の1つになっています。これに対して、近年、企業は働きやすい環境を整えるなど労働力確保に努めるとともに、政府も労働市場改革などに取り組んでいます。これにより、女性や高齢者の労働参加が進み、労働力率は上昇傾向にあります。また、企業は省力化投資などにも取り組んでおり、生産性の向上にもつながっています。

一方、人口減少のもう一つの問題は需要の減少です。この点に関連して、高成長が続いているアジア地域とわが国が近接していることは重要な視点です。わが国は、その立地上の利点を活かして、アジア地域の需要の取り込みを、国内需要減少への対策とすることができます。近隣のアジア地域に向けて、日本で作った商品を輸出するだけではなく、観光などのかたちでインバウンド需要を取り込むことも効果的で、近年アジアからの観光客が急増しています。

第2に、生産性の伸び率鈍化についてです。近年、先進国では生産性の伸び率が総じて鈍化しており、その背景について、様々な研究や議論が行われています。その中に、世界的に見て技術革新の余地が少なくなり、イノベーションが停滞しているという主張もあります。情報通信技術などの発達による効果が既に一巡してしまったとの指摘です。しかし、わが国はこうした議論にとらわれる必要はないと思っています。なぜなら、わが国の生産性は欧米諸国に比べて低いとみられ、わが国経済を見渡しますと、生産性を高める余地が大いにあるからです。例えば、最近では、インターネットの利用高度化や、人工知能・ロボットなどの発展によって、生産や業務プロセスの効率化が可能になってきており、今後はその適用範囲がますます広がっていくと思われます。このような技術は、ただ導入するだけではその効果を発揮せず、経済全体に浸透し効果を発揮するまでには時間がかかります。その技術に合わせて職場や工場のレイアウト、仕事の進め方などを見直すとともに、働く人が新しい技術を自分のものにして初めて、生産性が向上します。こうした工夫は、わが国の製造業が元来得意としてきたところで、今後、非製造業分野でも大きな進展が見られるだろうと思っています。

また、新しい技術の発達や普及は、生産や業務の効率化をもたらすだけではなく、それを活用して新たな商品やサービスを開発し提供することによって、新規需要を掘り起こすことができます。企業経営者は、消費者の需要が多様化し変化し続ける現代においては、まだ姿を現していない潜在的な需要をみつけ、付加価値の高い差別化された新しい商品やサービスを開発・提供していくことに、粘り強く取り組む必要があります。

これはプロダクトイノベーションと呼ばれる分野です。これには、新しい商品やサービスを生み出す人材と、それらを求める環境の2つが重要です。まず、イノベーションを起こすためには、それを発想し開発する人材を適正な場所に配置することが必要です。労働市場の流動性が低いままでは、人材が必要なところに移動せず、生産性の低いところに人材が留まりがちになります。この点、最近の労働需給の逼迫と労働市場改革の取組みは、人材配置の適正化を推し進めています。

もう一つ重要なことは、新しい商品やサービスを求める環境です。より多くのイノベーションが起こるためには、需要が適度に刺激されて、需要とイノベーションとの間の好循環が維持されることが大切です。需要が活性化されて、消費者が従来以上の商品やサービスを求めていることが重要です。まさに「必要は発明の母」といえましょう。現在、消費と投資は増加の兆しを見せていますので、こうした傾向は今後イノベーションを後押ししていくだろうと思われます。

人口の減少や生産性の伸び率鈍化などの課題に直面しているわが国は、先進国の中で「課題先進国」といわれることがあります。しかし、私は、必要以上に悲観的になる必要はなく、お話ししてきたような幅広い主体で現在進められている取組みを今後も続けることによって、未来を前向きに捉えることができると考えています。

3.山陰地方の活性化

その課題先進国と呼ばれるわが国の中でも、山陰地方における人口減少や過疎化などの問題はより深刻です。その意味で、当地は「課題先進地方」といってよく、山陰地方の皆様がどのようなイノベーションを起こしていくか、そして新しい経済や社会をどのように創生していくかは大変重要です。

さて、日本銀行の本店がある東京の日本橋には、山陰地方に関係する施設が複数あります。例えば、島根県のアンテナショップ「島根館」があり、東京にいても島根の産品を楽しむことができます。この他にも、当地に由来する名前の鰻屋さんがあり、私も時々鰻重を頂きます。いつかお邪魔した時に、「こちらの店主は山陰地方出身の方ですか」と聞いたことがあります。答えは、「違います。名前の由来は、関西方面に多い鰻屋の屋号に因んだものです」ということでした。

現在、宍道湖七珍で良く知られているのはおそらく大和蜆でしょうが、江戸時代から明治時代にかけては鰻も並んで有名であり、宍道湖や中海で育った鰻を生きたまま大阪や京都に出荷していました。岡山への山越えの要所に鰻池を設け、山越えの後は旭川を川舟で下り、岡山からはいけす付きの船で運ぶという、物流上の工夫もしていたようです。養殖鰻が広く出回るまでは当地の天然鰻が関西地方ではとても有名だったのです。

これは地方創生に取り組んで、不可能を可能にした先人達の努力を物語っています。当地は2000年を超える悠久の歴史が流れる土地です。その長い歴史の中で、産業や産品には時代の変化を反映して盛衰がありますが、我々の先祖はたゆまぬ努力を続けて、新しい産業を興して地方創生に取り組んできたといえましょう。

歴史を振り返ってみると、当地では古代の遺跡が多数発掘され、様々な道具などを製作するとともに、他の地方との交易もあったことが知られています。中国山地ではたたら製鉄が昔から有名ですし、石見銀山の銀は海外にも輸出されていました。また、松江藩は年貢米を尾道に輸送して売りさばいていました。この他にも、山陰地方の特産物としては因州和紙や石州和紙、雲州そろばん、石州瓦、大根島の高麗人参など様々なものがあり、これらは先人たちの努力の結晶です。インバウンド需要に関連して振り返りますと、江戸時代でも出雲大社は全国から多数の来訪者を集め、また富くじなども盛んであったようです。

現代に目を転じますと、ほんの一例ではありますが、第一次産業では、二十世紀梨、松葉ガニ、ノドグロ、高津川のアユ、第二次産業では電子部品など域外需要を取り込むのに十分な商品があります。加えて、観光のかたちが「モノからコトへ」と変化するのに合わせて、島根県では「ご縁」をキーワードに地域全体を盛り上げたり、鳥取県ではゲームやアニメを軸に集客を図ったりするなど、全国的にも先駆的な取組みがなされています。観光にストーリーが求められる現代には、この後、お話頂く小泉先生のご研究のように、当地における怪談や偉人などの無形資産を活用していくことは大変有望だと思われます。

100年前の大正7年は、明治時代が終わって間もなく、国鉄の山陰本線が通ったばかりの頃です。当時、日本もこの山陰地方も、限りない経済発展を展望していた時代です。転じて100年後の今は、山積する課題に取り組んで難渋しています。

しかし、発想を変えてみますと、悠久の歴史の中で100年はあっという間の出来事です。物流上の工夫によって天然鰻を生きたまま大阪に出荷した先人達の創意工夫に思いを馳せる時、今に生きる我々の役割は、悠久につなげるべきバトンを受け止めて、知恵を絞って明るい未来に向けて地方創生に確りと取り組むことではないかと思います。それは、当地が課題先進地方として、課題先進国の日本全体に対して、模範を示すことにもなると思います。

ご清聴ありがとうございました。