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【講演】 金融危機後の世界:変化する経済、経済学と中央銀行 慶應義塾大学経済学部・日本経済新聞社共催「ニッポンの革新力」シンポジウムでの基調講演

日本銀行副総裁 若田部 昌澄
2018年10月25日

1.はじめに

本日はお招き頂きまして、誠に有難うございます。私は早稲田大学の出身で、日本銀行に来る以前はそちらで教えていましたので、慶應義塾大学でお話しする機会を頂けることは大変光栄でございます。慶應義塾大学の創立者・福澤諭吉、早稲田大学の創立者・大隈重信、そして日本銀行との間には浅からぬ因縁がございます。福澤と大隈が親しく付き合っていたことは有名ですが、大隈は明治新政府で慶應義塾大学の卒業生を活用して改革を進めようとしました。しかし、志成らず、彼は政府から放逐されます。これが明治14(1881)年の政変と呼ばれるものです。その翌年、大隈は福澤同様に、学校を作ります。それが早稲田大学の前身です。同じ年に設立されたのが日本銀行ですが、実は、大隈は政府にいた時に独自の中央銀行設立案を提出していました(日本銀行百年史編纂委員会 [1982]、77-79頁)。結局、大隈の案は採用されませんでしたが、大隈の構想の一部は、流動性の供給として日本銀行の設立趣意書にも反映されているとも考えられます。

さて今年は、日本の金融危機から約20年、そしてリーマン・ショックからちょうど10年にあたります。節目の年は過去について振り返る良い機会です。

本日の講演では、まず現在起きている経済社会の大きな変化について概観した後、経済学も変化していること、そして中央銀行の役割もまた変化していることについて述べたいと思います。お伝えしたいことは3つ、第1に、変化がカギであるということ、第2に、変化に対応して知識も変化することが大事だということ、第3に、変化にもかかわらず、あるいはだからこそ、基本を理解することが大事だということです。

2.人類の進歩と課題

およそ20年前の日本の金融危機、10年前のグローバル金融危機の話をする前に、少し長期の話をしたいと思います。ニュースがないのは良いニュースというように、人々は得てして事件や災害などの悪いニュースに注目しがちです。しかし、長期的に見て、人類は着実に進歩を遂げています。かつて、17世紀の思想家トマス・ホッブズは『リヴァイアサン』で、自然状態においては「人生は孤独で、貧しく、不潔で、野蛮で、短い」と述べました(Hobbes [1651]、図表1)。この状況は、大きく変わりました。戦争、暴力、飢饉、疾病は劇的に減少し、人生100年時代の到来がいわれるほど寿命は長くなりました。貧困はまだ消滅していませんが、長期的にみれば減少傾向にあります(Norberg [2017]Pinker [2011、2018]、図表2)。

こうした変化の原動力は何でしょうか。第1に、先ほど挙げたホッブズ以降の啓蒙思想の影響と科学的知識の発達・蓄積・普及を挙げることができます。そこでは、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスといった18世紀の経済学者も大きな貢献をしています。

第2に、そうした啓蒙思想、科学的知識の発達・蓄積・普及には、市場経済が大きな役割を果たしています。いわゆるグローバル化はモノ、おカネだけでなく、ヒトと知識の交流を促進しました。私たちは市場経済というと、人間関係が利益だけに基づく無味乾燥としたものになったり、人間が市場に依存してしまうと考えてしまいがちですが、実際には人間の動機は複雑かつ多様です。むしろ一定の利益を上げる限り多様な動機の共存を許容するのが市場経済です。また、市場が成立するには人間同士の信頼が必要ですし(Seabright [2010])、さらに市場に参加することによって人間はむしろ自立していくことが可能になります(松井 [2018])。こうした洞察は、まさにデイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスといった過去の偉大な経済学者たちが述べたことでもあります1。グローバル化というとモノやおカネの流れだけに注目しがちですが、私たちが現在の生活を享受できているのは、古今東西の無数の人々の知識が交換され、その蓄積の上に日々新たな知識が生み出されているからです。

とはいえ、単純に未来が現在の延長線上にあると考えるわけにはいきません。短期的には課題が山積しています。むしろ、進歩はその時々の課題を解決していく人類の不断の努力の結果であり、そうした努力を怠ると停滞、退歩してしまいます。実際、世界には、マクロ経済運営、生産性の伸びの鈍化、ロボット・機械学習の雇用に与える影響、気候変動などの環境問題、所得と富の格差、保護主義やいわゆるポピュリズムの台頭など、多岐にわたる問題が山積しているように見えます。また、日本経済は、現在でこそデフレではなくなりましたが、数年前までは長年にわたってデフレが持続し、多くの人々が厳しい状況に直面しました。

金融危機もそうした課題の1つです。市場経済を成立させているのは人々の間の信頼関係ですが、その取引の基盤となる貨幣もまた、信頼関係の上に成り立っています。そもそも貨幣が流通するためには、貨幣が第三者に受け取られるという信頼がなければなりません。おカネの流れを自由に、かつ豊富にすることは、取引を活発化させますので、経済成長につながります。例えば、新興国の経済成長はグローバルな資金流入によって支えられてきました。しかし、そうしたおカネの流れは時として問題を引き起こします。資金流入が過剰な成長期待と結びつくと、地価や株価といった資産価格の行き過ぎた上昇、すなわちバブルが生成し、やがてその崩壊が起きます。また、グローバルなおカネの流れが急激に変化すると、資金流出国では大きな経済調整を迫られます。さらに、金融商品の発達は資産運用の選択肢を広げてくれる利益もありましたが、2008年のグローバル金融危機(Global Financial Crisis)のように、金融危機が世界的に伝播するきっかけとなりました。その後の長きにわたる経済停滞は、グローバル化や市場経済そのものに対する人々の疑念を増幅しました2

また、データ革命は情報の共有と活用を飛躍的に拡大させてきましたが、その反面、データを活用する少数のビッグ・テック企業の台頭をもたらし、その市場支配力や所得格差への影響、プライバシー保護については懸念する声が上がっています3。デジタル化は、サイバー攻撃の脅威を増しています。次なる金融危機は、グローバル金融機関へのサイバー攻撃で始まるという意見すら聞かれます。

  1. ヒュームは、「技芸における洗練について」で「産業活動と知識と人間性は、解き放しがたい鎖で結合」されているといい、産業活動と機械的技術の洗練は学芸と人間性をより洗練していくと述べています。「これらの洗練された技芸が進歩すればするほど、人びとはますます社交的となる。・・・彼らは都市に集まり、知識を得てそれを交換したり、自分たちの機智や教養を、また会話や暮らしや衣服や家具の好みを、見せびらかしたりするのを好む。・・・そして彼らの行動だけでなくその気質もまたすみやかに洗練される」(Hume [1987]、p.271、邦訳223頁)。
    また、スミスは「天文学史」で、社会生活の安定が哲学・科学の起源にあると述べています。「人類は、法、秩序、安全が確立される前の社会の初期の時代には、自然の一見ばらばらな諸現象を統合している、諸事象のかくれた鎖を発見しようとする好奇心をあまりもたなかった。・・・だが、法が秩序と安全を確立し、生計の不安がなくなると、人類の好奇心が増大し、恐れは減少する。今や彼らが享受できる余暇が、彼らを自然諸現象にまえより注意深くさせ、最もとるに足りない不規則性にさえ気づかせ、それらすべてを連接している鎖が何であるかを一層知りたがるようにする。彼らは必然的に、一見ばらばらなすべての自然のできごとの間に、そうした鎖が存在することを思い描くようになる」(Smith [1980]、pp.48、51、邦訳28、31頁)。
  2. Eichengreen [2018]は、機械の登場、不況や金融危機などの様々な経済的苦境と政治運動の関係を歴史的に辿っています。
  3. 今年のカンザスシティ連銀主催のジャクソンホール経済政策シンポジウムでは、ビッグ・テック企業の台頭や無形資産の役割がマクロ経済に及ぼす影響が議論の中心になりました。
    https://www.kansascityfed.org/publications/research/escp/symposiums/escp-2018(外部サイトへのリンク)

3.変化する経済学

経済の変化は経済学にも変化をもたらしています。

ここで「エコン族の生態」(Leijonhufvud [1973])という、1973年に書かれた風刺論文を紹介したいと思います4。これは、経済学者を一部族に見立てた、文化人類学者の訪問記の形をとっています。エコン族は極北の地に住んでおり、そこでの身分は、「専攻分野」でいかに精巧な「モドゥル」を作り上げるかによって決まっています。けれども、これら「モドゥル」の「大半はほとんど、あるいはまったく実際の役に立」ちません。この「モドゥル」は、経済学で使われる「モデル」をもじった言葉です。「専攻分野」については、マス・エコン階級が上位にあり、デブロブス階級がその下にあるといった身分秩序があります。ここでいうマス・エコン階級とは数理経済学者のこと、デブロブス階級とは開発経済学者を指します。デブロブス階級が下位の身分に位置付けられているのは、ポルスシス族、すなわち政治学者や、ソシオグス族、すなわち社会学者といった他の民族と接触したことと、「モドゥル」作りを放棄しているのではないかという疑いがあるからです。この論文は、「エコン族にとってその前途はきびしい。いまや、かれらの社会構造および文化は、それらが永久に滅び去る前に研究されるべきである」と結論付けており、経済学が他の学問分野との協働に消極的で、現実離れした「モドゥル」作りばかりに注力していた当時の状況に警鐘を鳴らす内容となっています。

こうした風刺が当時においても正しかったかどうかは別として、このような風刺が当てはまりうる時代は過去のものになりました。現在では、計算能力の増大、インターネットの普及、データの蓄積・増大、そして計量技法の発達によって、経済学の実証科学化、データ・サイエンス化が進んでいます(Hamermesh [2013]、 Angrist et al. [2017]、図表3)。なお、データ・サイエンス化は経済学に限らず、社会科学全般、そして一部の人文科学でも起きています。このような方法論の共通化は、経済学と他分野の学問との交流を加速させています。

けれども、経済理論が消滅してしまったわけではありません。むしろ、ゲーム理論や行動経済学が台頭し、理論は多様になっています。純粋理論だけの論文の比率は少なくなったというべきでしょう。その反面で起きたのは、いわゆる応用理論の勃興です(Backhouse and Cherrier [2017])。

こうした経済学のデータ・サイエンス化、応用科学化に伴い、経済学の適用範囲は拡大しています。第1に政策への応用です。「証拠に基づく政策立案(EBPM:evidence-based policy making)」という言葉がやっと日本でも流通するようになり、現在は政府においても、行政改革の一環としてその推進が謳われています。政策を考えるうえできちんとした実証的根拠を求める動きであり、そうした証拠に基づいて便益と費用を比較衡量して政策決定に役立てる「費用便益革命」(Sunstein [2018])が進行中です。具体的には、様々な規制緩和のほか、周波数オークションや臨床研修医マッチングといった各種マーケット・デザインなどに経済学は用いられ、そして実際に成果を上げてきています(McMillan [2002]Backhouse [2010]Siegfried [2010]Litan [2014])。第2に、経済学は政策現場において共通言語化しています。特に世界銀行、国際通貨基金(IMF)といった国際機関や、G20会合、中央銀行では、少なくとも経済学がわからないと会話が通じません5。第3に、他分野との協働作業が進んでおり、経済学者は経済学部以外のビジネス・スクール、 ロー・スクール、ポリシー・スクールでも研究教育に携わっています。また、経済学者はビッグ・テック企業でも重要な役割を果たしています(図表4)。例えば、インターネット上の広告枠の販売にも、最新のオークション理論が応用されているといわれています(Athey and Luca [2018])。

要約すると、経済学はますます実証的になり、そして役立っているといえます。経済学者は、先ほど挙げた人類の直面する様々な課題に取り組んでいます。とはいえ、このように申し上げたからといって、経済学そのものに課題がないわけではありません。

中でも、2008年の金融危機の発生は、現代の経済学者に大きな課題を突き付けました。グローバル金融危機が発生した直後の2008年11月、英国のエリザベス女王は、ロンドン大学経済政治学院(LSE)を訪れた際、経済学者たちを前に、金融危機について「なぜ誰も予測できなかったのですか」と尋ねられたといいます。そして、経済学者たちはその問いへの答えに窮したのでした6

私たちは、金融危機の発生がそもそも極めて難しい課題であることは率直に認めなければなりません。ましてや事前に予測することは至難の業です。また、まさに行動経済学が教えるように、経済学者も人間ですのでバイアスがあったり間違えることはあります7。しかし、だからといって、これまでの経済学の知見が無効になっているわけではありません。むしろ失敗も含めて過去の経験に学ぶことで学問は進歩していきます。そうした積み重ねによって取捨選択が起こり、経済学の知見は絶えず改訂されています。皆さんが教科書で学ぶことはそうした取捨選択の結果であり、経済学の骨格として生き残っています。このことは皆さんの生活にも大変重要な意味を持っています。この点については、後ほど金融経済教育についてお話しする際に再び触れたいと思います。

  1. 4わが国では、佐和 [1982]でも取り上げられています。
  2. 5実際にどれくらい政策へ応用されているかについては議論のありうるところです。例えば、Blinder [2018]を参照してください。
  3. 6後に示されたイギリスの経済学者たちの回答は、以下を参照してください。
    http://wwwf.imperial.ac.uk/~bin06/M3A22/queen-lse.pdf(外部サイトへのリンク)
  4. 7Eichengreen [2009]は、経済学者が、情報の経済学、組織の経済学、行動経済学といった知見をもっていたにもかかわらず、様々な「誘惑」に負けてそれを活かせなかったと論じています。関連して、Zingales [2013]の考察も参照してください。

4.変化する中央銀行

このように変化する経済と経済学の交差点にある存在が中央銀行ですが、現在の形をとるには長い歴史がありました。そもそも中央銀行という考え方そのものが歴史の産物です。現存する中央銀行で創設年次が最も古いのは1668年に設立されたスウェーデンのリクスバンクですが(図表5)、もともとは戦費を必要とする王室への貸付なども行う機関であり、現在の我々が考えるような中央銀行ではありませんでした。現代の中央銀行は、その後に発生した大きな物価変動や金融危機といった経済問題に人類が対処する中で、変貌・進化を遂げてきたものです(Edvinsson et al. [2018])。そしてその過程では、ヘンリー・ソーントン、デイヴィッド・リカードウ、ウォルター・バジョット、アーヴィング・フィッシャー、ジョン・メイナード・ケインズ、ミルトン・フリードマンから現代に至るまでの経済学者たちの貢献がありました。

日本銀行に来て改めて感じたことですが、現代の中央銀行には実に多様な役割があります(図表6)。日本銀行法では、日本銀行の目的は物価の安定と信用秩序の維持(金融システムの安定)によって国民経済の健全な発展に資することと定められています。この目的を達成するために、日本銀行は通貨の発行、金融機関の考査・モニタリング、決済システムの運営、国際機関との連携など多様な業務に従事しています。もちろん、経済学を用いた調査・研究も業務の重要な一環です。ここでは、データ革命とグローバル化という2つの側面に、日本銀行がどのように関わっているかを簡単に述べます。

先にデータ革命に関わるところでいえば、近年電子決済が大きく普及しています。いわゆる「仮想通貨」と呼ばれるものは、投機的色彩がみられていることもあって、中央銀行の世界では「暗号資産(crypto assets)」と呼んでいますが、クレジットカードや電子マネー、QRコードなどを用いたキャッシュレス決済の進行は続いています。決済システムはインフラ中のインフラですので、こうした動向には中央銀行も大いに注目しています。一部の国では、中央銀行によるデジタル通貨発行の研究・検討が始まっています8。また、データ革命という点では、経済統計が重要です。ことに中央銀行の政策判断は時々のデータに基づいて迅速に行われなければなりませんから、精度の高いリアルタイム・データが求められます(西村 [2012])。

グローバル化については、金融経済のグローバル化に加えて、政策運営に関する知見のグローバル化が、世界各国の中央銀行間の対話や連携を通じて進んでいます。先ほど2008年のグローバル金融危機の話をしましたが、これより前の1997~98年に起きた日本の金融危機は、世界各国の中央銀行によって教訓事例として学ばれていきました(図表7)。特に当時世界第2位の経済大国であった日本で金融危機後にデフレが定着し、経済が長期にわたって停滞したことは、世界の政策担当者、経済学者の注目を集めました。

そうした教訓をまとめると次のようになるでしょう。第1に、資産価格のファンダメンタルズを超えた過剰な上昇、いわゆるバブルの発生とその破裂がもたらす金融危機は、経済に大きな負の影響を与えることが明らかになりました。ただし、第2に、資産価格の上昇に対して予防的に金融引き締め政策を取るべきかについては、依然として議論のあるところです。資産価格の変動を全く無視してよいわけではありませんが、意図的なバブルつぶしを強力に進めれば、むしろ経済を深刻な不況に陥らせるリスクがあります。第3に、金融危機の発生にあたっては、事後的な政策対応が極めて重要です。金融危機後には経済に下方圧力がかかりますので、拡張的なマクロ経済政策によって対応する必要があります。こうした対応が後手後手に回ると経済がデフレに陥り、そこから抜け出ることが難しくなります。第4に、金融危機については予防するに越したことはありません。そのためには、金融機関による過剰なリスクテイキングの防止や破綻処理法制の整備といった事前・事後の金融規制、金融システム全体に及ぼすリスクの状況を分析・評価し、それに基づいて政策対応を図るマクロプルーデンス政策のあり方などが重要です(Wakatabe [2015]、pp.142-147)。

その後、世界の政策立案者たちは、残念ながらグローバル金融危機の発生を未然に防ぐことはできませんでしたが、発生後は迅速かつ大胆な政策対応を行い、世界大恐慌の再来を防ぎました9。インフレ目標を掲げた中央銀行は、金融危機の後でも深刻なデフレに陥ることを回避しました10。また、世界中で、グローバル金融危機のような危機を二度と起こさないよう、グローバルに金融規制などの整備を進めてきました。こうしたことを通じて、中央銀行は絶えず変化する経済において、次なる金融経済危機の発生について常に油断なく準備をしていなければなりません。

  1. 8具体的には、銀行券が急速に減少しているスウェーデンや、銀行券に関するインフラが十分に整備されていない新興国・途上国が挙げられます。推進派の研究の一例としてはBordo and Levin [2017]がありますが、Coeuré [2018]や雨宮 [2018]は中央銀行の視点から、検討すべき点を指摘しています。
  2. 9Kuttner, Iwaisako, and Posen [2015]は、「米国も多くの欧州諸国も2000年代後半に同じく住宅市場の崩壊により大きな打撃を受けたが、これらの国の政策立案者が、90年代の日本の二の舞に陥るまいと決意したため、大半の国が決然と対応することができた」と指摘しています(pp.31-32、邦訳62頁)。
  3. 10日本でも1990年代に2%のインフレ目標を設定していたならば、その後のデフレは起きなかっただろうとする研究があります(Braun and Waki [2006])。もっとも、日本の「失われた20年」では全要素生産性(Total Factor Productivity)上昇率の低下も起きましたので、需要面だけでなく供給面の問題もあったといえるかもしれません。不況が生産性の低下に長期的な影響を及ぼした可能性もあります。最近研究が進んでいる景気循環と経済成長の連関性については、日本銀行も大いに関心を持っています。日本銀行調査統計局 [2018]、開発他 [2017]を参照してください。

5.金融経済教育の促進

これまでの話を踏まえると、金融産業が必要とする人のあり方は自ずと見えてくるように思えます。一番わかりやすいところでは、データ革命の進展は、科学、技術、工学、そして数学といった、いわゆる「STEM教育」を受けた人への需要をますます強めていくとみられます。次に、グローバル化は、ありきたりではありますがコミュニケーションの道具としての英語を使いこなせる人を必要とするでしょう。こうした教育と研究には、政府を含む社会全体が取り組むべきだと思います。私自身は、英語学習の最大の利点は、英語を通じて世界を知り、自分が「井の中の蛙」になることを戒めるところにあると考えています。また、世界を知る、と申し上げましたが、本日お話ししてきたように経済や経済学は大きく変化しています。こうした変化を的確に捉え、理解するという意味で、社会・経済の基本的なメカニズムに関する教育の重要性は、増していくことはあっても減じていくことはないと思います。

もっとも、こうした人材はどの分野でも引っ張りだこでしょうから、金融産業にとってはいかに自分たちの魅力を訴えることができるかどうかが課題になります。

金融産業で働くかどうかにかかわらず、誰にも必要なのは金融経済に関するリテラシーです。日本銀行には金融広報中央委員会の事務局が置かれており、副総裁として私はその委員を兼務しています(図表8)。この委員会はかつての貯蓄増強中央委員会、貯蓄広報中央委員会が2001年に名称を変えたもので、現在は金融経済情報の提供と金融経済学習の支援を2つの大きな目的として活動しています11

特に人生100年時代で資産形成の重要性はますます高まってきます。そうしたリテラシーに関する質問の一例をお示ししましょう(図表9)。会場には経済学を学んでいる現役の学生の方もいると思います。経済学の入門講義を受けた人には大変簡単な問題(のはず)です。例えば、問題1は複利計算に関わるものです。複利計算とは、元本に利子が加わると、増えた元本にさらに利子がつくため、累積的に利子が増えていくことです。この知識があれば資産形成はできるだけ早くから始めておいたほうが良いし、むやみに短期的な取引はしないほうが良いことがわかります。次に、問題4は、分散投資の重要性を教えてくれます。投資対象を一つに絞るのではなく分散させると、ある程度リスクをコントロールすることができます。この2つの知識を組み合わせると、長期的な視野に立って、投資対象を分散させながら着実に積み立てていくという資産形成のプランが出来上がります。やはり経済学の基本的な知識は役に立つのですが、こうしたリテラシー問題の正答率を欧米と比較すると、わが国における金融リテラシーにはなお改善の余地があることが分かります(図表10)。また、最近は消費者詐欺の手口が極めて巧妙になってきています。こうした詐欺被害の要因を分析し、予防策を考えるうえでも経済学の知見は役に立ちます(福原 [2017])12

  1. 11その活動については以下のホームページを参照してください。
    https://www.shiruporuto.jp/(外部サイトへのリンク)
  2. 12金融教育の効果については様々な研究があります。それらについてはCampbell [2016]を参照してください。

6.結び

今日は、経済、経済学、そして中央銀行の変化についてお話ししてきました。それらに共通するのは、データ革命とグローバル化という長期的な変化です。仮にSTEMのキャリアを選んだとしても、変化からは免れません。米国での研究によれば、急速な技術変化のもとで技能は陳腐化するので、STEMのキャリアを選び、当初は良い報酬を得ていた人たちでも、ある時点で報酬は頭打ちになり、早期に転職することも多いとのことです(Deming and Noray [2018])。だからといって別のキャリアを選んだとしても、人生100年時代にあって、先ほど金融リテラシーの問題例としてご紹介したような基本的な知識は必要です。金融産業で働くことを目指すと目指さないとにかかわらず、変化に対して知識を定期的にアップデートする意欲と好奇心が求められているといえるでしょう。

最後にこの講演を、経済学者ジュリアン・サイモンの次の言葉で締めくくりたいと思います(図表11)。

「世界の進歩を加速する燃料は、私たちの知識の蓄積だ。それにブレーキをかけるのは、私たちの想像力の欠如と、そうした活動に対する不適切な社会的規制だ。究極の資源は人々だ――特に技能もやる気もあり、自由を得た希望に満ちた若者たちだ。彼らがその意志と創造力を自分の利益のために発揮すれば、それは必然的に他の皆にも利益をもたらす」(Simon [1995]、p.27)

ご清聴ありがとうございました。

参照文献

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  • Athey, Susan, and Michael Luca. 2018. "Economists (and Economics) in Tech Companies." NBER Working Paper No. 25064.
  • Backhouse, Roger E. 2010. The Puzzle of Modern Economics: Science or Ideology? Cambridge: Cambridge University Press.
  • Backhouse, Roger E., and Béatrice Cherrier. eds. 2017. The Age of the Applied Economist: The Transformation of Economics since the 1970s, Durham: Duke University Press.
  • Blinder, Alan S. 2018. Advice and Dissent: Why America Suffers When Economics and Politics Collide. New York: Basic Books.
  • Bordo, Michael D., and Andrew T. Levin. 2017. "Central Bank Digital Currency and the Future of Monetary Policy." NBER Working Paper No. 23711.
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  • 西村清彦.2012.「マーケット・インテリジェンス、市場情報と中央銀行統計」第6回アービング・フィッシャー委員会主催コンファランスにおける基調講演、2012年8月29日。
    http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2012/ko120830a.htm/
  • 日本銀行調査統計局.2018.「東京大学金融教育研究センター・日本銀行調査統計局第7回共催コンファレンス:『マクロ経済分析の新展開:景気循環と経済成長の連関』の模様」.
    http://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2018/ron180330a.htm/
  • 日本銀行百年史編纂委員会.1982.『日本銀行百年史 第1巻』.
    http://www.boj.or.jp/about/outline/history/hyakunen/hyaku1.htm/
  • 福原敏恭.2017.「行動経済学を応用した消費者詐欺被害の予防に関する一考察」金融広報中央委員会調査論文.
    https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/report6/ (外部サイトへのリンク)
  • 松井彰彦. 2018.『市場って何だろう:自立と依存の経済学』ちくまプリマー新書.