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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策函館市金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 片岡 剛士
2019年9月4日

1.はじめに

日本銀行の片岡でございます。この度は当地の行政および金融・経済界を代表する皆様と懇談をさせていただく貴重な機会を賜り、誠にありがとうございます。また、皆様には、日頃から日本銀行函館支店の業務運営に対し、ご支援、ご協力を頂いておりますことを、この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。

本日は、わが国の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策運営につきまして、私の考え方を交えつつお話しします。その後、皆様から、当地経済に関するお話や、日本銀行の業務や金融政策に対する率直なご意見をお聞かせいただければと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2.経済・物価情勢

(1)海外経済の動向

まず、海外経済の動向についてお話しします。海外経済は、昨年後半から足もとにかけて成長ペースが弱まる中、各国の動きにばらつきが目立ち、リスク要因の一部が顕在化しつつあります。図表1にあるIMFの世界経済見通しでは、世界経済の成長率は、2019年に3.2%まで減速し、2020年に3%台半ばのペースに回復するとの予測が示されています。しかし、図表の右側にあるように、昨年4月時点の見通しと比べると下方修正が目立っています。また、図表2で世界の購買担当者景気指数(PMI)をみますと、製造業は2か月連続で中立水準の50を割り込み、世界が欧州金融危機に直面した2012年10月以来の低位にあります。非製造業では、水準は50を上回るものの、方向は緩やかな低下基調にあります。こうした点から、私自身は、今年後半以降とされてきた世界経済の回復のタイミングが後ずれし、かつ回復の程度も小幅にとどまる可能性が高まっていると考えています。その、より具体的な背景としては、経済政策の不確実性の強まり、米中貿易摩擦の展開とその影響、さらに世界半導体市場の先行き、の3点が重要です。

第1の点について、図表3では、世界生産量の前年比と、主要20か国の経済政策の不確実性の度合いを示す「経済政策不確実性指数」を示しています。各国が行う経済政策の不確実性が強まる中で、世界の生産の増勢が鈍化しています。

第2の点は、第1の点とも関係しますが、不確実性の中でも、とりわけ米中貿易摩擦の展開が重要です。図表4には、米中貿易摩擦が両国のGDPに与える影響について、IMFが今年6月に試算した結果を示しています。左図では、米国が対中関税第3弾の関税率引き上げに加え、残りの対中輸入額に25%の追加関税を適用し、中国が報復関税を行った想定の、米・中の実質GDP水準の見通しからの乖離率を棒グラフで示しています。短期的なインパクトは異なるものの、長期的には米・中ともに0.4%程度、実質GDPを下押しする結果となっています。右図では、米中貿易摩擦の世界経済への影響を示しています。2018年中に実施された関税率引き上げは、2019年の実質GDPを0.2%強下押ししていますが、仮にほとんど全ての品目に対し25%の追加関税が適用されると、2019年の実質GDPは0.4%程度、2020年は0.5%程度下押しされる試算となっています。米国は、最近も、残りの約3,000億ドルの中国からの輸入品に追加関税を適用することや、対中追加関税率を一律5%ポイント引き上げることを表明しました。貿易協議の着地点は見えておらず、世界経済は依然として下振れリスクに直面していることには引き続き留意が必要です。

第3の点は、世界半導体市場の動向です。2018年央以降、世界半導体売上高の減速傾向が顕著になっています。これには、データセンター向け需要の拡大が一服していることや、スマホの買い替えサイクルが長期化していること、米中貿易摩擦の悪化等を背景に半導体が多く使われる工作機械関連の設備投資が鈍化していることなど、様々な要因が指摘されています。図表5の左図では、世界半導体市場統計から、地域別に、2018年秋時点と2019年春時点の市場成長率の見通しを比較しています。2018年の終わりから19年の春頃にかけて、今年の半導体市場成長率の予測が、米国市場を中心に微増から急減に大きく下方修正されています。右図では世界半導体出荷額の前年比を示していますが、過去2年ほど拡大のテンポが速かったこともあり、回復には時間を要するとみられます。

(2)わが国の経済情勢

続いて日本経済の動向についてみていきます。まず足もとの動向です。図表6はわが国の実質GDP成長率の推移を折れ線グラフで、需要項目別寄与度を棒グラフで示したものです。実質GDP成長率は、2018年7~9月期には自然災害の影響もあってマイナス成長となりましたが、その後、19年4~6月期までは3四半期連続のプラス成長となりました。19年4~6月期は、世界経済の減速を反映して輸出の寄与は引き続き低調であったものの、1~3月期に寄与が低下した民間消費、設備投資、政府支出の寄与が拡大したことで内需の寄与が好転して、全体として外需の減少を内需の拡大が補う形となっています。

わが国経済の先行きについてですが、図表7で本年7月の展望レポートにおける政策委員の経済見通しの中央値をみると、実質GDP成長率は、2019年度が+0.7%、2020年度が+0.9%、2021年度は+1.1%と見込まれています。こうした日本銀行の中心的な見方では、当面、外需は弱めの動きとなるものの、その後は緩やかに増加し、堅調な内需と合わせ、先行き拡大基調が続くことを想定しています。もっとも、私自身は、見通し期間の成長率をゼロ%台の半ばから後半と予測しており、潜在成長率をやや下回り、リスクも下方に厚いと見込んでいます。この背景として、海外需要の悪化が国内需要にどう波及するかが重要です。以下、私の考えを、輸出、設備投資、個人消費の順にご説明します。

まず、図表8で実質輸出をみると、今年1~3月に減少に転じたのち、4~6月期も反発が弱い状況でした。先行きは、米中貿易摩擦や半導体市場の回復の度合いがポイントになりますが、当面、低調な動きを続ける可能性が高いとみています。

次に、設備投資については、図表9のとおり設備不足の圧力が加わり続ける中で増加基調にあります。ただし、短観の生産・営業用設備判断DIは今年に入り設備の不足と過剰の分水嶺に近づいており、今後、設備投資の拡大基調が一服する可能性があると考えています。6月短観の設備投資計画は、製造業、非製造業ともに全体では堅調な動きでした。しかし、図表10にあるとおり、製造業の中でも「はん用・生産用・業務用機械」や「自動車」といった輸出依存度の高い加工業種の計画は過去の平均を下回っており、特に「はん用・生産用・業務用機械」では6月調査の計画が3月調査より下方修正されています。足もとは、素材業種が製造業全体を牽引していますが、過去の平均的な修正パターンを踏まえれば、素材業種でも下方修正が進む可能性があります。さらに、図表11の非製造業についても建設や卸・小売では過去平均並みの計画となっていますが、情報通信はやや弱めの計画です。このように設備投資計画は、全体としては堅調でも、製造業においては海外経済減速の影響が着実に及んでいると考えています。

個人消費については、図表12のとおり、耐久財やサービスの消費が全体を牽引しつつ緩やかな増加基調にあります。これには良好な雇用環境が維持されていることが寄与していますが、景気ウォッチャー調査における雇用関連の現状水準判断DIが分水嶺である50を割り込む瀬戸際の水準にあり、有効求人数も5か月連続で前年比が減少しているように、今年に入り労働市場には変調の兆しもあるとみています。図表13のとおり、消費税率引き上げを控えた消費の動きはこれまでのところ穏やかですが、消費者マインドは前回増税時の半年前(2013年度下期)と比べて悪化していると私自身はみています。消費税の負担軽減策の効果が消費にどう作用するか見極めが難しく1、消費税率引き上げの影響を含め消費の先行きには注意が必要です2

  1. 新生銀行による「2019年サラリーマンのお小遣い調査」で、20~50代の男女会社員2,700名を対象に消費税率が10%に引き上げられた場合のお小遣いへの負担感を調査した結果によると、男女ともに「大変負担を感じている」と回答する割合が高まり、「少し負担を感じている」との回答と合わせた負担を感じている方全体の割合は、消費税率8%の負担を感じている人の割合から10%ポイント超拡大しています。また、博報堂の消費税対策研究プロジェクト調査「増税前後の意識・行動」によると、「前回増税時と比べて負担を感じる」との回答が全体の71.3%で、特に20~40代の女性で負担を感じる割合が高くなっています。
  2. 消費税率引き上げ後の消費動向の見極めの難しさや公表統計のタイムラグを考慮に入れると、前回引上げ時に増してリアルタイム・データ分析の充実が必要だと考えます。

(3)物価の現状と先行き

続いて物価動向についてみていきます。本年7月の消費者物価指数の実績は、図表14左図のとおり、生鮮食品を除く総合、生鮮食品およびエネルギーを除く総合ともに前年比+0.6%となりました。図表14右図に示した消費者物価の基調的な変動を表す指標をみると、価格上昇品目数が下落品目数を超える度合いは今年に入りやや高まっていますが、刈込平均値や加重中央値は上昇が一服し、価格上昇が消費ウエイトの大きい財にまで波及していないことがわかります。

次に、物価の基調的な変動に影響を及ぼす指標として、マクロの需給ギャップと中長期の予想インフレ率の動きを確認します。図表15左図の需給ギャップは、資本・労働市場の改善を受けて需要超過の状況が続いていますが、最近では、需要超過幅が一本調子で拡大を続ける状況ではなくなっています。また、予想インフレ率については、図表15右図にある通り弱めの動きが続いています。これには、過去、長期間にわたってデフレが続いたことや、足もとの物価の動きが弱いことが作用しているほか、私自身は、日本銀行が掲げる2%の「物価安定の目標3」の実現に対する信認が十分に強まっていないことも影響していると考えています。

物価の先行きについてですが、本年7月の展望レポートにおける消費者物価指数前年比の政策委員見通しの中央値は、消費税率引き上げと教育無償化政策の影響を除いたケースで2019年度+0.8%、2020年度+1.2%、2021年度+1.6%となっています(前掲図表7)。2%の物価目標に向けたモメンタム(勢い)は維持されているというのが日本銀行の見解ですが、私自身は、この先、物価上昇率が2%に向けて伸びを高めていくとは判断できないとして、7月の展望レポートにおける一部の記述に賛成しませんでした。

この理由として次の4点が挙げられます。第1に、需給ギャップの拡大がインフレ率の拡大につながりにくくなっていること、第2に、適合的期待形成を通じた予想インフレ率の上昇や、予想インフレ率の上昇を受けた物価上昇という経路が機能するには時間がかかること4、第3に、物価見通しの下方修正が続く中で政策が現状維持とされるもとでは、物価目標に対する信認強化を通して予想インフレ率がフォワードルッキングに高まるとは見通しにくいこと、第4に、各国の中央銀行が金融緩和姿勢を強める中で、為替相場等を通じてわが国の物価に対する逆風が強まるリスクが高まっていることです。

  1. 3以下では「物価目標」と記載します。
  2. 4一上他(2019)、「近年のインフレ動学を巡る論点:日本の経験」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.19-J-3)では、現実の予想形成メカニズムは単純な適合期待形成モデルが示唆するよりも複雑である可能性を示唆するとした上で、日本で予想インフレ率が高まらない背景として、(1)長期にわたる経験への依存、(2)規範(ノルム)、(3)合理的無関心の3つの仮説を紹介しています。

3.金融政策運営

以上の経済・物価見通しを踏まえつつ、現在の金融政策の概要についてご説明します。そのうえで、金融政策運営に対する私の考えを述べたいと思います。

日本銀行は、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という枠組みのもとで2%の物価目標の実現を目指して金融政策を運営しています。この枠組みは、大きく3つの手段から構成されています(図表16)。1点目は長短金利操作です。短期政策金利をマイナス0.1%、長期金利の操作目標をゼロ%程度に設定し、長期金利については、経済・物価情勢等に応じて上下にある程度変動しうるものとして、長期国債の買入れを行っています。2点目は、ETFをはじめとしたリスク資産の買入れです。ETFについては、保有残高が年間約6兆円に相当するペースで増加するよう買入れていますが、資産価格のリスクプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて買入れ額が上下に変動しうるものとして運営しています。3点目は、先行きの政策運営に関する対外的な約束、すなわちコミットメントです。今年4月には、「日本銀行は、海外経済の動向や消費税率引き上げの影響を含めた経済・物価の不確実性を踏まえ、当分の間、少なくとも2020年春頃まで、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持することを想定している」といった形で、フォワードガイダンスを明確化しました。マネタリーベースに関する「オーバーシュート型コミットメント」に加え、将来の政策金利の水準や低金利の継続期間を予め約束することで、金融緩和の持続に対する市場の信認や期待を高めることを狙ったものです。

こうした政策手段のうち、私は、長短金利操作とコミットメントの2つに対して反対しました。長短金利操作については、私は、できるだけ早期に物価目標を達成するという政府との「共同声明」でも謳われている日本銀行の責務に鑑みると、物価目標と実際の物価上昇率に相応の距離がある現状では、金融緩和を強化することが必要だと判断しました。以上の認識から、追加緩和によって需給ギャップの需要超過幅を一段と拡大させるよう働きかけることと併せて5、物価目標と関連付けた形でフォワードガイダンスを修正することも適当であると指摘しました6。これらに加えて、経済・物価情勢に対する不確実性が強まる中でデフレからの完全脱却を目指すうえでは、財政・金融政策のさらなる連携を図る工夫を講じることで、市場や企業・家計の期待や予想に働きかけていくことも重要であると考えました7

7月の金融政策決定会合では、新たに公表文の末尾に「特に、海外経済の動向を中心に経済・物価の下振れリスクが大きいもとで、先行き、『物価安定の目標』に向けたモメンタムが損なわれる惧れが高まる場合には、躊躇なく、追加的な金融緩和措置を講じる」という一文が加わりました。経済・物価が下振れるリスクが増す中で、先に述べたように、物価目標と実際の物価上昇率に相応の距離がある現状では、経済の遅行指標である物価の変調を確認した後ではなく、先制的に政策対応することが重要です。デフレからの完全脱却に向け、引き続き努力してまいりたいと存じます。

  1. 5フラット化した現在のイールドカーブを念頭に置くと、短期政策金利のマイナス幅を拡大させることで、イールドカーブの形状をより緩和的なものに変化させるよう、長短金利操作を行うことが適当だと考えています。
  2. 6現在のフォワードガイダンスに示された2020年春頃までに物価目標が達成できない場合、その期間を延長する必要が生じる可能性があります。仮にそうした変更を繰り返すことになると、金融政策への信認が低下する懸念があり好ましくないと考えています。私自身は、政策金利のフォワードガイダンスは、物価目標と関連付けたものに修正することが適当と考えています。
  3. 7わが国では、1990年代半ば以降、デフレが長期化する中で、物価が上昇しないことを前提とした経済活動が合理的となり、そうしたもとで企業や家計のマインドが形成されてきたと考えています。こうしたインフレ予想のアンカー(碇)を失った状況のもとで、2%の物価目標を達成・安定化するためには、金融緩和の強化のみならず、財政政策との連携(ポリシーミックス)をより強化することも重要であると考えています。

4.わが国の労働市場の変化

続いてわが国の労働市場についてお話ししたいと存じます。

図表17のとおり、わが国の完全失業率は1990年代に上昇を続け、2002年には5.5%まで悪化しました。その後、3%台まで改善した後、リーマン・ショックを受けた悪化を経て、現在は2%台前半まで改善しています8。労働市場の改善に対して賃金・物価の上昇が鈍い背景については、就職氷河期世代の低賃金、賃金の上方硬直性の可能性、パート比率の高まり、労働組合の賃上げ要求の消極化など様々な説明がなされています9。もっとも、これらの中には、労働需給が十分にひっ迫していることを前提にしているものもあります。ここでは、現在の労働需給のひっ迫が賃金・物価を引き上げるに足るものか、について確認したいと存じます。

図表17には、完全失業率の推移と併せて労働力率の推移を示しています。労働力率とは、15歳以上人口のうち労働市場に参加する意思のある人(労働力人口)の比率をみたものですが、労働力率は1990年代末以降に低下を続けた後、2012年末頃をボトムに上昇しています。完全失業率が本年7月の2.2%と同水準であった1992年10月の労働力率は64.2%ですが、これは、本年7月より2%ポイント程度高い水準です。この点は、現在の雇用のひっ迫度合いが92年当時より弱い可能性を示唆しています。もちろん、この間進んだ少子高齢化は労働力率を押し下げる方向に作用するため、その影響を除いてみる必要があるでしょう。

図表18では、92年10月を起点に、現在までの労働力率の変化幅を、人口動態要因と年齢階層別の労働力率の変化要因に分解した結果を示しています。人口動態要因は高齢化を背景に相応に労働力率を押し下げる方向に寄与しています。一方で、15~59歳の女性と60歳以上の男女が徐々に労働力率を高める形で作用してきており、特に2012年末頃をボトムにそれらのプラス寄与が加速し、人口動態要因のマイナス寄与を大きく打ち返しています。景気拡大に伴う企業の労働需要の高まりが、女性や高齢者を中心にそれまで労働市場に参加してこなかった人々の参入を促すとともに、就業者の増加を通して完全失業率を改善させてきたと考えられます。もっとも、15~59歳の男性については労働力率が十分に回復していません。失われた20年の間に逸失した男性の労働参加が完全に回復していないことが、雇用のひっ迫が物価を押し上げるほど強くない要因の1つとなっている可能性があります10

総務省「労働力調査」では、雇用情勢をより多角的に把握するために、従来の就業状態(就業者、完全失業者、非労働力人口)に加え、未活用労働について昨年から調査が開始されました11。図表19右図のとおり、未活用労働は、パートタイムで働いている就業者でフルタイム勤務を希望している者や、生産調整など会社都合で短時間勤務となっている者(追加就労希望者)、1か月以内に仕事を探しており、すぐ仕事に就ける者(失業者)、就業者でも失業者でもない者のうち、働きたいものの仕事を探していないなどの理由で潜在的に就業することが可能な者(潜在労働力人口)から構成されます。図表19左図は、こうした未活用労働者が潜在労働力を含む労働力人口全体に占める割合を示しています。図から、男性では失業者の減少余地が、女性では就業者の追加就労を高める余地が、それぞれ大きいことがわかります。

以上の点を踏まえると、男性の労働力率や失業率の改善と女性の追加就労が進めば、雇用のひっ迫がより強まり、賃金・物価の上昇が一段と進むことが期待できます。先に述べたとおり、足もとの労働市場では変調の兆しもみられ始めています。こうした兆しが全体に拡がることのないよう、総需要の拡大ペースを更に強めていくことが必要です。

  1. 81990年代以降、悪化した完全失業率を説明する概念として、完全失業率を需要不足に起因する要因と労働市場の構造に起因する要因(構造失業率)に分解し、それらを推計する研究がなされました。片岡(2017)「構造失業率推定方法の誤り」、原田・片岡・吉松編『アベノミクスは進化する』(中央経済社、第11章所収)では、構造失業率を2%台後半と分析していますが、足もと2%台前半の完全失業率が続く一方で、賃金上昇は加速していません。構造失業率の推定は、推計方法そのものの誤差に加え、人口動態や高齢者・女性の就業の拡大などの社会的変化も考慮する必要があるため、容易ではないといえます。
  2. 9玄田編(2017)『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』(慶應義塾大学出版会)を参照。尾崎・玄田(2019)「賃金上昇が抑制されるメカニズム」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.19-J-6)では、賃金の顕著な上昇がみられない背景について最新データを用いて考察し、労働供給の拡大が収束し非正規雇用市場がルイスの転換点を迎えれば、特に女性の賃金が急速に上昇する可能性が高いと論じています。
  3. 10中川(2018)「労働需給がひっ迫しても賃金と物価が上がらないのはなぜか」、原田・増島編『アベノミクスの真価』(中央経済社、第2章所収)では、男性の労働力率の低下が2017年の労働力率を、完全失業率が同程度である1994年と比較して0.6%ポイント押し下げていると指摘し、これを解消するには2017年時点から70万人程度労働力人口が増加する必要があると述べています。また、男性の労働供給のスラックに着目すると、賃金・物価が十分に上昇するための失業率は2%程度と考えられるとしています。
  4. 11詳細については、総務省統計局「労働力調査 未活用労働指標の解説」を参照ください。

5.おわりに

最後に、道南地域の経済についてお話しいたします。

北海道の最南端に位置する当地の歴史を振り返ると、江戸時代には北前船を通じた本州との交易拠点でしたが、幕末に函館港が開港してからは国際貿易や漁業・造船業が発展し、明治から昭和にかけて北日本における経済・金融の中心地として栄えました。1893年に函館出張所として開設された日本銀行函館支店は、同じ都市に現存する日本銀行の支店としては大阪に次いで長い歴史を持ちます。

当地は、現在も国内外と強く結びついています。3年前には北海道新幹線が開業したほか、中期的には函館空港への訪日客も増えていますし、近年では函館港へのクルーズ船の来航も増加しています。対外交流の長い歴史を有するもとで、陸・海・空の3つのインフラがコンパクトなエリアにまとまって整備されているのは当地の大きな利点といえます。

このような利点をもつ当地の景気ですが、全体としてみると、水準は弱めであるものの、方向としては持ち直しつつあります。観光業では、北海道新幹線の開業当初の盛り上がりこそ一巡しましたが、最近は、北海道を周遊するインバウンド客の当地訪問が増加してきたほか、官民が一体となってクルーズ船の誘致や埠頭の整備を進めてきたことが奏効し、インバウンド需要が堅調に伸びています。建設業でも、ホテル建設や新幹線の延伸工事が下支えになっています。一方、当地主力の水産加工業では、スルメイカやホタテ等の不漁に伴って原材料価格が上昇するなど、厳しい状況が続いています。もっとも、最近、一部では販売価格の引き上げに成功しつつあるとも聞いています。

当地経済の将来を展望しますと、対外交流の長い歴史と陸・海・空のインフラがコンパクトに立地するという当地の強みに磨きをかけ、域外からの需要を一層取り込んでいくことが重要です。例えば、インバウンド客に対して、函館市内から大沼・江差・松前・鹿部など道南各地を周遊する旅のかたちを促していくことが考えられますが、そのためには高規格道路の整備なども重要です。また、東北や北海道の他地域との交流人口を増やす取り組みも考えられます。2030年度に予定されている北海道新幹線の札幌延伸は、道南と札幌・小樽・ニセコなどとの移動時間が大幅に短縮されるため、交流人口の増加という点では当地にとって大きなチャンスとなりえます。加えて、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産への登録が実現すれば、後押しになるでしょう。

こうした道南の将来像を見据えつつ、行政と産業界や金融界などが連携を深めながら当地の魅力を最大限に活かし、当地経済が発展していくことを期待しています。日本銀行としても、函館支店を通して当地の経済情勢を丹念に分析するとともに、中央銀行の立場から地域経済活性化に向けた取り組みに貢献できるよう努めて参ります。

ご清聴ありがとうございました。