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ライフサイクル経済における最適インフレ率小田剛正(日本銀行)

Research LAB No.16-J-3 2016年7月28日

キーワード:
フリードマン・ルール、ゼロ金利制約、トービン効果、インフレ税、再分配

JEL分類番号:
E31、E58、O42

Contact
takemasa.oda@boj.or.jp(小田剛正)

要旨

現在、主要先進国の金融政策運営における目標インフレ率は2%程度である。これに対して、理論的な立場から、長期的に最適なインフレ率はマイナスまたは0%であるといった主張がなされてきた。例えば、貨幣を取り入れた多くの理論モデルでは、貨幣保有の限界効用(機会費用である名目金利に一致)をゼロにする金融政策——いわゆる「フリードマン・ルール」——が最適であるとされ、実質金利がプラスならばデフレ的な金融政策が望ましいという結論が導かれる。こうした事実は、最適インフレ率を巡る理論と実践の間の溝の一つとして知られている。この問題に対して、Oda(2016)は、ライフサイクルに起因する家計の異質性を考慮した新古典派成長モデルを用いて、(1)従来の理論モデルとは対照的に、フリードマン・ルールの最適性が成立せず、マイルドなインフレが望ましいこと、(2)ゼロ金利制約が存在するもとでは、デフレの厚生損失が甚大になりうることを示している。

はじめに

現在、主要先進国が「物価の安定」を使命として金融政策を運営する際に掲げている目標インフレ率は2%程度である。その主な理由としては、(1)物価指数の計測誤差(上方バイアス)の存在、(2)物価下落と景気悪化という悪循環への備え(のりしろ)など、政策運営上の実践的な観点が挙げられる。このほか、欧米諸国では金融危機前までインフレ率が長期的に2%台で安定的に推移してきた事実を踏まえて、(3)家計や企業が物価の安定と考える状態(国民の物価観)との整合性を意識する見方もある(例えば、日本銀行(2013))。

一方、標準的な経済学においては、理論的な立場から、長期的に最適なインフレ率はマイナスまたは0%であるといった主張がなされてきた。この点について、マネタリストの重鎮Friedman(1969)は、取引手段としての貨幣の鋳造費用が無視できるほど小さい場合、貨幣保有の限界効用がゼロとなるように名目金利をゼロにするような金融政策——いわゆる「フリードマン・ルール」——が最適であると主張した。この主張は、実質金利が長期的にプラスの値をとるならば、マイナスのインフレ率(デフレ)が望ましいことを意味する。実務家にとってはにわかに受け入れがたい主張であるが、貨幣を明示的に取り入れた多くの理論分析で、フリードマン・ルールが最適であるという結論が導かれてきた(Chari, Christiano, and Kehoe(1996))。

例えば、新古典派成長モデルにおいては、インフレが家計の消費活動や労働供給に関する意思決定を歪めることが指摘されている(例えば、Cooley and Hansen(1989))。インフレは、貨幣の実質価値を目減りさせるため、その保有者(債権者)である家計から発行者(債務者)である中央銀行、ひいては政府へ資源を移転させることになる(貨幣保有に対するインフレ税)。仮に政府がそうして得た資源(インフレ税収)を家計に還元(再移転)するとしても、家計は、貨幣の実質価値の減少を通じて割高となった労働供給・消費から、割安となった余暇へ行動をシフトさせるため、産出量が減少する。このように、インフレが消費と余暇との間の選択を通じて産出量に及ぼす影響は「インフレ税による歪み」と呼ばれ、経済厚生を悪化させる。むしろ、デフレ的なフリードマン・ルールが最適となる。

また、金融政策の分析において現在広く用いられているニューケインジアン・モデルでは、価格変更に伴う経済的な摩擦の存在が考慮される。例えば、自社の製品価格を変更できる企業と変更できない企業が混在する場合、インフレは、それらの企業間に相対価格の変動を引き起こし、資源配分に歪みを生じさせる。そうしたインフレのコストを最小化するには、0%のインフレ率が最適となる。こうした近年までの広範な研究成果を踏まえて、Schmitt-Grohe and Uribe(2010)は、長期的に最適なインフレ率の水準を0%程度と結論付けている。このように、最適インフレ率を巡る理論と実践の間には、深い溝が存在していた。

Oda(2016)の分析上の特徴点

このようにインフレ税による歪みのマイナスの影響が支配的とみる見方がある一方で、インフレが産出量に対してプラスの影響を及ぼしうるという先行研究も蓄積されてきた。なかでも、「トービン効果(Tobin(1965))」と「再分配効果(例えば、Ireland(2005))」は有力な学説であり、プラスのインフレ率が産出量ひいては経済厚生を高める可能性を示唆している。

トービン効果:貨幣と実物資産の代替

家計は、消費の平準化のために今期の所得を来期に持ち越す手段(貯蓄)として資産を保有する。インフレが発生すると貨幣の実質価値が目減りする一方、実物資産の実質価値はインフレによって目減りしない。このため、家計は資産保有を貨幣から実物資産へとシフトさせる。その結果、実物投資が促進され、資本ストックの形成によって産出量が増加する。逆に、デフレは産出量を減少させる。このように、インフレが貨幣保有と実物投資との間の選択を通じて産出量に及ぼす影響を「トービン効果」と呼ぶ。さらに、名目金利がゼロ金利制約にかかると、デフレ下では、貨幣を保有した方が実物資産を保有するよりも収益面で益々有利になるため、資本ストックの形成が妨げられ、産出量が減少する。こうした現象は家計のみならず、企業においても観察される。実際、2000年代にわが国がマイルドなデフレを経験するなか、企業の現預金保有残高は上昇傾向を辿った反面、有形固定資産は大きく減少した(図1)。

図1.企業部門の現預金と名目有形固定資産の残高推移

  • 現預金保有残高と有形固定資産残高の推移を並べたグラフ。詳細は本文の通り。
  • (注)現預金保有残高は、『資金循環統計』の民間非金融法人企業ベース。有形固定資産は、『法人企業統計年報』の全規模全産業(除く金融業・保険業)ベース。後者については、調査企業の違いによる段差を、前期末値と当期末値の比率で修正。

(出所)日本銀行、財務省

再分配効果

インフレが経済厚生に及ぼす影響は、政府がインフレによって得た資源(インフレ税収)をどのようなかたちで家計に還元(再移転)するかという点にも依存する。例えば、インフレ税収を一括移転のかたちですべての家計に均等に還元すれば、結果として、貨幣保有量の多い家計から貨幣保有量の少ない家計へと再分配が生じる。これを一家計のライフサイクルの中で捉えると、貨幣保有量の少ない若年期に一括移転を受け(受け超)、貨幣保有量が多くなる高齢期にインフレ税を払う(払い超)という具合に、異時点間の再分配が生じることを意味している(図2)。保有資産が少ない場合に得る資産1単位の限界効用は、保有資産が多い場合に失う資産1単位の限界効用よりも大きい。したがって、マイルドなインフレは通時的な経済厚生を改善する、つまりフリードマン・ルールが最適でなくなる可能性がある。

図2.インフレによる年齢層間の再分配(イメージ)

  • 年代ごとの貨幣保有量とインフレ税を示したグラフ。貨幣保有量の多い高年層(70代ではやや減る)ほどインフレ税も増えることを示している。そこで、一括移転を示す横一線を引き、それより上(50代以上)はマイナス、それより下(40代以下)はプラスとなることも示している。詳細は本文の通り。

このように、インフレには、インフレ税による歪みを通じたマイナスの効果と、トービン効果や再分配効果を通じたプラスの効果の2つの側面がある。したがって、インフレが望ましいか否かは、すべからく実証的な問題であり、プラス・マイナス両方の影響を定量的に比較考量する必要がある。Oda(2016)は、貨幣の存在を考慮した世代重複モデルに、生産要素としての資本ストックと弾力的な労働供給を取り入れて、インフレ税、トービン効果、再配分効果の3つを統一的に扱える枠組みを構築した(図3)。そのうえで、家計の生涯効用が最大化される(長期的に最適な)目標インフレ率を求めている。

図3.先行研究に対するOda(2016)の位置付け(イメージ)

  • 弾力的な労働供給(インフレ税による歪み)、資本ストックの存在(トービン効果)、家計の異質性(再配分効果)の3つをそれぞれ円で示し、それぞれ部分的に重ねたベン図。詳細は本文の通り。

ここで、家計の異質性とは、寿命や退職といったライフサイクルに起因する世代間の異質性を指しており、家計の貨幣保有量や消費・労働供給に関する現実の年齢プロファイルによって表現される(図4)。

図4.家計の年齢プロファイル:データとの比較

  • 家計の年齢階層ごとの消費、労働供給、資産保有量、貨幣保有量の4つについて、モデルと実際のデータとを基準化して比較したグラフ。両者は概ね等しいことを示している。詳細は本文の通り。
  • (注)縦軸は平均を1として基準化。横軸は年齢階層。消費・資産保有量・貨幣保有量は、『全国消費実態調査』を基に作成。労働供給は、『労働力調査』『賃金構造基本統計調査』を基に作成。

(出所)総務省、厚生労働省

また、先に指摘したように、インフレによる再分配効果は、インフレ税収がどういうかたちで家計に還元されるかに依存しうる。この点について、Oda(2016)は、幾つかの異なる税収還元方法の効果を分析している。ここでは、そのうち以下の3つのケースを考える。

  1. (ア)一括移転:全世帯から徴収されるインフレ税を、生存する全世帯に均等に還元するケース
  2. (イ)労働所得税率:財政収支が均衡するように、インフレ税収の分だけ労働所得税率を引き下げて、勤労世帯に還元するケース
  3. (ウ)補填的移転:各世帯の貨幣保有量に応じて徴収されたインフレ税を、そのままその世帯に還元するケース(再分配を完全に相殺する実験的ケース)

定量分析の結果と政策的含意

ここでは、上記3つのケースについて、インフレが産出量等に与える影響を説明し、その結果として決定される最適インフレ率を示す(図5)。

図5.インフレによる産出量への影響と最適インフレ率

図5:インフレによる産出量への影響と最適インフレ率
還元方法 最適
インフレ率
産出量への
影響(方向性)
資本ストック 労働投入
(ア)一括移転 0.4% (+) (+) (-)
(イ)労働所得税率 2.1% (+) (+) (+)
(ウ)補填的移転 -4.1% (-) (-) (-)
  1. (ア)一括移転のケースでは、再分配効果のところで説明したとおり、インフレに伴って、貨幣保有量の多い高齢期から貨幣保有量の少ない若中年期へと再分配が生じ、生涯効用が高まる。また、インフレのトービン効果に加えて、若中年期は高齢期に比べて貯蓄性向が高いため、資本ストックの形成が一層促進される。インフレ税による歪みによって労働供給は減少するが、インフレのプラス効果がこのマイナス効果を凌駕するため、最適インフレ率はマイルドなプラスの水準になる。
  2. (イ)労働所得税率のケースでは、貨幣保有量の多い高齢期に相対的に多くのインフレ税収が課される一方、勤労世帯であり貯蓄性向の高い若中年期に集中して税収が還元されるため、再分配効果がより大きくなる。また、貯蓄性向の違いによって資本ストックの形成も一層強まる。さらに、労働所得税率の引下げが勤労意欲を直接刺激するため、労働供給も増加する。これらのことから、(ア)の一括移転のケースよりも、インフレのプラス効果がより大きくなる。その結果、最適インフレ率の水準は、(ア)のケースよりも高くなる。

なお、参考として示している(ウ)補填的移転のケースでは、インフレによる再分配効果が生じないため、代表的家計を仮定した従来の理論モデルによる帰結と同様の結果——フリードマン・ルールの最適性——が得られる。すなわち、インフレ税による歪み(労働供給と消費の減少)が支配的となり、インフレ率が高いほど、産出量が減少して、経済厚生費用が上昇する。そして、マイナスのインフレ率(デフレ)が最適となる(このとき名目金利がちょうどゼロになっている)。

以上の結果をまとめると、インフレ税収の還元方法に依存して異なりうるものの、マイルドなインフレが経済厚生上望ましい。もっとも、仔細にみると、(ア)と(イ)のどちらのケースにおいても、インフレ率が0〜2%程度と緩やかなプラスの範囲に収まる限り、経済厚生費用の値に大きな違いがみられるわけではない(図6)。

図6.経済厚生費用

  • 経済厚生費用を、一括移転、労働所得税率、補填的移転の各ケースで比較したグラフ。補填的移転ではマイナスのインフレ率が最も低く、一括移転、労働所得税率では0~2%程度のインフレ率が最も低いことを示している。詳細は本文の通り。
  • (注)「消費の等価変分(インフレ率0%のときと同じ経済厚生水準を達成するのに必要な消費の増分%)」として計測。

現実の世界でプラスのインフレ率を維持することが特に重視されるのは、自然利子率が低くゼロ金利制約が無視できないような低金利環境下においてである。この点、名目金利が0%になったままデフレが進行すると、家計は進んで貨幣を保有するようになるため、実物投資が大きく阻害される——トービン効果がマイナス方向に強く働く。その結果、産出量が大幅に落ち込み、経済厚生損失が甚大になる。すなわち、ゼロ金利制約が存在するもとでは、インフレとデフレの間には、経済厚生上、著しい非対称性が存在する。現実の経済が低成長・低金利を続ける中で、追加的に負のショックが発生する可能性を踏まえると、こうしたデフレの好ましくない影響を回避するという観点からも、プラスのインフレ率が望ましくなる。

おわりに

本稿では、インフレの長期的な影響を先行研究に則して俯瞰したうえで、最適インフレ率に関するOda(2016)の研究成果を紹介した。しかし、Oda(2016)の分析は、家計の異質性として世代間の違いを考慮しているものの、世代内の違いまでは考慮していないことに留意が必要である。また、Oda(2016)では、ニューケインジアン・モデルで指摘されているインフレのコストは分析の対象外としていることからも、インフレの定量的な影響については幅を持ってみる必要がある。こうした側面も考慮して分析を深め、より頑健な定量的評価に繋げることは将来の研究課題である。

参考文献

  • 日本銀行(2013)、「『物価の安定』についての考え方に関する付属資料」 [PDF 277KB]、日本銀行2013年1月23日.
  • Chari, V. V., L. J. Christiano, and P. J. Kehoe (1996), "Optimality of the Friedman Rule in Economies with Distortionary Taxes," Journal of Monetary Economics, 37, pp. 203-23.
  • Cooley, T. F., and G. D. Hansen (1989), "The Inflation Tax in a Real Business Cycle Model," American Economic Review, 79, pp. 733-748.
  • Friedman, M. (1969), "The Optimal Quantity of Money," in The Optimum Quantity of Money and Other Essays, Aldine, Chicago, pp. 1-50.
  • Ireland, P. (2005), "The Liquidity Trap, the Real Balance Effect, and the Friedman Rule," International Economic Review, 46, pp. 1271-1301.
  • Oda, T. (2016), "Optimal Inflation Rate in a Life-Cycle Economy," [PDF 317KB] IMES Discussion Paper Series 16-E-5, Institute for Monetary and Economic Studies, Bank of Japan.
  • Schmitt-Grohé, S., and M. Uribe (2010), "The Optimal Rate of Inflation," in B. M. Friedman and M. Woodford, eds. Handbook of Monetary Economics, 3, 653-722.
  • Tobin, J. (1965), "Money and Economic Growth," Econometrica, 33, pp. 671-684.

日本銀行から

本稿の内容と意見は筆者個人に属するものであり、日本銀行の公式見解を示すものではありません。