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量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ

2006年7月
鵜飼博史*1

エグゼクティブ・サマリー

 本稿では、日本銀行(以下、日銀)が2001年3月から2006年3月までの約5年間実施した、いわゆる量的緩和政策の効果に関する実証研究結果をサーベイした。量的緩和政策の効果の実証結果の蓄積は十分とは言えないが、現時点(2006年6月)で利用可能な範囲で、量的緩和政策が日本経済にもたらした効果を定量的に検証した論文を包括的に整理することを目的としている。

 量的緩和政策は、1.金融調節の操作目標を無担保コール・レート・オーバーナイト物から日銀当座預金残高に変更して所要準備額を大幅に上回る日銀当座預金を供給するとともに、2.潤沢な資金供給を消費者物価指数の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで続けることを約束し(以下、コミットメント)、さらに3.日銀当座預金の円滑な供給に必要な場合には長期国債の買入れを増額すること、の3つの柱で構成されている。量的緩和政策の下では、これまでの主要な操作目標であった無担保コール・レート・オーバーナイト物金利はゼロ%まで低下する。しかし、ゼロ金利は量的緩和政策に固有の効果ではなく、通常の金利レジームの下でも実現できる。量的緩和政策の効果を検証するためには、現時点の金利がゼロであることに由来する効果と、現時点のゼロ金利では捉えられない効果を明確に識別する必要がある。また後者については、量の効果と予想を通じた効果とを明確に識別し、それぞれがどの程度の大きさであったかを評価する必要がある。

 本稿では、量的緩和政策について、波及チャネル別に効果に関する実証研究結果の整理を行った後、それらを全て踏まえたうえでマクロ的に日本経済に及ぼした効果を整理するというアプローチをとる。

 はじめに、量的緩和政策の効果波及メカニズムについて採り上げた。すなわち、量的緩和政策の効果を操作手段別に「量的緩和政策継続のコミットメントが将来の短期金利の予想経路に働きかける効果」、「日銀当座預金供給増による日銀のバランスシート拡大の効果」、「長期国債オペ増額による日銀の資産構成変化の効果」の3つに分類したうえで、それぞれが具体的にどのような波及チャネルを通じてどの程度効果がみられたのかについて、実証分析結果を検討した。結果をまとめると、以下の通り。

 コミットメントが将来の短期金利を押し下げる効果とは、将来にわたってゼロ金利が継続されるという予想が金融市場の長めの金利や他の金融資産の利回りに影響を及ぼすことによって効果を生み出すメカニズムである。実証分析結果をみると、短中期を中心にイールド・カーブを押し下げる効果(時間軸効果)は、明確に確認された。

 日銀当座預金供給増による日銀のバランスシート拡大(マネタリーベース拡大)の効果とは、1.マネタリーベースと不完全代替の関係にある金融資産の利回りのうちプレミアム部分に影響を与えるポートフォリオ・リバランス効果と、2.将来の短期金利の経路に関する民間の予想に影響を与える効果(シグナル効果)とに分けられる。効果の実証結果をみると、前者については、結果が分かれており、また効果があったとする結果でもコミットメントに比べると小さかった。後者は、少なくとも、金融緩和を将来にわたって継続するという予想を補強する効果を持った局面があったことは検出されている。

 長期国債オペ増額による日銀の資産構成変化の効果を考えるために、ポートフォリオ・リバランス効果と、将来の短期金利の経路に関するシグナル効果とに分けて検証した。結果をみると、前者については結果が分かれており、日銀当座預金供給増の効果と同様であった。後者は、金融緩和を将来にわたって継続するという予想を補強する効果は検出されず、一部にインフレ・プレミアムを一時的に上昇させた局面が検出された。

 ここまでの実証研究をみる限り、量的緩和政策から抽出された最も大きな緩和効果は、将来にわたる予想短期金利の経路に働きかけるチャネルを通じたものであった。この結果からは、ゼロ金利制約を意識した金融政策運営を行う際に、政策効果を発現させるうえで中央銀行から民間に対する金融政策に関する情報発信が重要であることが示唆される。

 次に、以上を踏まえ、量的緩和政策が、様々な波及チャネルを通じて、全体として日本経済にマクロ的に及ぼした効果を分析した研究を採り上げた。総じて緩和的な金融環境を作り出し、企業の回復をサポートしたとの見方が多い。

 その内訳をみると、まず、波及チャネルは特定されていないが、量的緩和政策によって、不良債権問題を抱えていた金融機関が市場から調達する資金にかかるプレミアムが、格付け格差を殆ど反映しないところまで縮小したことが実証されている。こうした結果を前提とすると、量的緩和政策は金融機関の資金繰り不安を回避することによって金融市場の安定や緩和的な金融環境を維持し、先行きの資金調達に対する企業の不安を通じた景気・物価のさらなる悪化を回避する効果があったと解釈できる。

 一方、総需要・物価への直接的な押し上げ効果は限定的との結果が多かった。中でも、マネタリーベース増加の効果は、金融政策のレジームがゼロ金利制約下で変化した点まで踏まえて実証すると、検出されないか、あってもゼロ金利制約のない時期よりも小さいとの結果であった。また、量的緩和政策によって、総じてみれば無担保コール・レート・オーバーナイト物を単にゼロ%にする以上の金融緩和効果が実現したことが示されているが、それでも総需要・物価の押し上げ効果は限定的との結果であった。この理由として、ゼロ金利制約以外に、資産価格の大幅な下落によって企業および金融機関の自己資本が毀損した結果、金融緩和に対する企業、金融機関の反応が大きく低下したという分析結果や解釈が示されることが多い。

本稿の作成にあたっては、青木浩介氏(London School of Economics)のほか、翁邦雄、早川英男、白塚重典、藤木裕、小田信之、木村武、鎌田康一郎、馬場直彦、藤原一平、須合智広等の日本銀行スタッフ各氏から有益なコメントを得た。記して感謝の意を表したい。もちろん、本稿の記述に関して、あり得べき誤りは全て筆者に帰する。また、本稿で示される見解は筆者個人に属するものであり、日本銀行の公式見解を示すものではない。

  1. *1日本銀行企画局 E-mail: hiroshi.ugai@boj.or.jp

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