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日本銀行調査統計局「物価統計課」の仕事 調査協力企業と信頼関係を築き「企業物価指数」の精度を高める(2017年9月25日掲載)

日本銀行は、金融経済の実態を適切に把握するため、国や自治体などの作る統計を利用するばかりでなく、自らも数多くの統計を作っています。今回紹介する「企業物価指数」もその一つです。明治時代に始まり100年以上の歴史を持ち、統計の中でも非常に重要なものとされています。
企業物価指数は、調査統計局の物価統計課で作っています。同課で働く人たちに、その「読み方」「使い方」と「作り方」を詳しく聞きます。また、統計の数値を見るだけでは分からない、舞台裏での意外な苦労やさまざまな工夫も紹介します。

企業物価指数とは企業間で取引される商品の価格動向である

まず下の二つを読み比べてください。どちらも新聞記事の一節です(日経新聞2017年5月15日と同月26日夕刊より)。

「日銀が15日発表した4月の国内企業物価指数(速報値、2015年=100)は98.4となり、前年同月から2.1%上昇した」
「総務省が26日発表した4月の全国消費者物価指数(CPI、2015年=100)は、値動きの激しい生鮮食品を除く総合指数が100.1となり、前年同月比0.3%上昇した」

ほぼ同じ書き方で、日本銀行と総務省が公表した「物価指数」について報じていますが、違いが分かりますか?

日本銀行が「物価安定の目標」の指標として採用しているのは総務省の「消費者物価指数」です。では、日本銀行が作っている「企業物価指数」は、それと何が違うのか。価格調査グループ長の柴田吉洋さん(取材当時)は、次のように説明します。

「消費者物価指数は、分かりやすく言えば、家庭で日々買っているモノやサービスの価格をまとめたものです。一方、企業物価指数は、企業同士が取引するモノの価格をまとめたものです。例えば、消費者物価指数は、家庭がバターをお店で買う段階の値段を調べています。一方、企業物価指数は、バターを作っている会社が、小売店や卸売店に販売する段階の値段を調べています」

価格を調査する「段階」の違いだけでなく、「品目」にも違いがあります、と柴田さんは付け加えます。企業物価指数では、家庭ではおよそ買わないようなモノ――例えば、セメントやジェット機の燃料、建設用クレーンや金型などの価格まで調べます。

現在、企業物価指数の調査対象の品目数は、1213です。一つの品目につき、複数の調査先企業から、少なくとも三つ以上の商品価格を調べます。そのため、調査している価格数は、8607にも上ります。

物価統計課はこれらの価格を毎月調査し、物価指数を算出・公表しています。しかも、原則として、調査対象月の翌月の第8営業日の朝8時50分には、速報を日本銀行のホームページで公表します。

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左/昭和9年10月の東京卸売物価指数。
右/「企業物価指数」の月次公表資料

企業物価指数は、エコノミストやアナリストなど経済の専門家らの注目を集めていますが、一般の方には縁遠いかもしれません。この経済統計がどのように使われているか、物価統計課長の小山浩史さんはこう話します。

「企業物価指数は景気の動向や金融政策を判断するための材料として使われています。また、国全体の経済規模を示すGDP(国内総生産)統計において、『名目値(実際の取引価格に基づいた数値)』から『実質値(価格の変動分を除いた数値)』を計算するための『デフレーター』としても使われています。このほか、企業間の取引における『値決めの指標』としても利用されていると聞いています。企業の営業や調達の担当者が自分の扱う品目について価格の動きを確認し、売買や契約の参考指標にするケースがよくあるそうです」

かつて、インターネットがなかった時代、米国の公的機関から「企業物価指数を使用したい」と依頼があり、電磁テープにて提供したこともあるそうです。日本から製品を調達する際の参考指標が必要だったのでしょうか。企業物価指数は1897年に日本銀行が「東京卸売物価指数」の名称で公表して以来、120年の歴史があります(ちなみに、消費者物価指数は戦後に調査が開始されました)。

「昔のお金の価値を現在に換算する」ための基礎資料として、企業物価指数が利用されることもあります。

情報漏えいを防ぐ体制も万全に整えて指数を作成する

企業物価指数を作る物価統計課の陣容は約50名。「物価統計運営グループ」「価格調査グループ」「物価統計改定グループ」があります。物価統計運営グループは、物価統計の公表と課全体の総務を担当しています。価格調査グループは、文字通り、毎月の価格調査を担当しています。物価統計改定グループは、より良い物価統計に向けた「基準改定」(後述)を担当しています。

では、毎月の企業物価指数はどのように作っているのでしょうか。

まず、8607の価格のデータを収集することから始まりますが、この膨大な数の価格のデータをどうやって収集するのでしょうか。消費者物価指数の場合は、家庭が買うモノやサービスの価格なので、調査担当者が小売店などで実際に販売されている価格を見て回ることで、データの収集は可能です(これはこれで大変な作業です)。しかし、企業物価指数の場合、そうはいきません。

「企業物価指数に必要なデータは、企業間で実際に取引されるモノの価格です。これは街を歩き回っても見えません。企業の皆さまに調査協力をお願いして、価格を直接教えていただく必要があります」(柴田グループ長)

小山課長は「企業に調査に協力していただくために、まず企業物価指数の考え方や重要性をしっかり説明し、理解を得る必要があります」と話します。

「経済統計は単なる数値ではなく、日本の経済・金融政策に役立つ基礎資料であり、社会の公共財であるとも言えます。企業からご提供いただいたミクロな情報を、マクロに活用することでお返しをしなければいけないと考えています」

それだけではありません。企業間での取引価格は、定価ではなく、値引きなどがされている実際の取引価格を収集する必要があります。それらは、社外には公表されておらず、企業にとって極めて機密性の高い情報です。そのため、企業から提供されるデータの管理は厳格に行われています。物価統計課のエリアには同課員しか立ち入りできませんし、調査票のコピーも厳禁です。調査先の企業名や各品目の調査対象企業数は一切公表せず、データを集計・算出した結果(指数)は、公表直前まで同課内のごく一部の人しか知りません。日本銀行総裁であっても、公表後に初めて指数を知ります。企業の機密性の高いデータを物価統計課に提供していただくためには、企業物価指数の重要性を企業に理解していただくだけではなく、情報漏えいを絶対に生じないようにすることが重要です。

こうして企業から入手したさまざまなモノの価格データを指数にまとめ上げていく前に、それぞれのモノの個別の価格データに統計的な加工をすることがあります。それは取引される商品がモデルチェンジした場合、往々にして旧モデルと新モデルで性能・機能・分量といった「品質」が異なる場合があり、単純に比較できないからです。

例えば「にちぎん」という名のチョコレートがあったとします。それが「にちぎんプラス」にモデルチェンジし、価格も高くなったとしましょう。その時、価格だけをみて「このチョコレートは値上がりした」と見るのは適当ではありません。物価統計改定グループ長の篠﨑公昭さんは「例えば、そのチョコレートの分量が増えたことや、美容や健康に良いとされるカカオの含有量が増えたことなどを反映して値上がりした場合、『品質』が変化して価格が変わった分を除いて価格変化を捉え、物価指数を作ります。こうした品質が変化した分の価格変化を除くことを『品質調整』と呼んでいます」と話します。

こうした過程を経たデータをまとめ上げて指数が作られます。

変わりゆく経済・産業構造の実態を指数に反映するための「基準改定」

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物価統計に関する国際会議の幕間の様子

物価統計課では、統計法の指針に沿い、5年に一度、企業物価指数の「基準改定」を実施しています。「基準改定」では、指数水準を100とする基準年を変更します。その際、調査対象の商品やウエイトを見直し、変わりゆく経済・産業構造の実態をより正確に指数に反映させることを目指します。また、価格調査や品質調整の方法の改善などを行い、実際に取引されるモノの価格変化を高い精度で測定して指数にまとめ上げます。

企業物価指数は今年2月公表分から、2010年基準から2015年基準へ移行しました。基準改定にあたり、政府統計などを基に、2015年における企業間の取引額全体の中で、それぞれのモノの取引額の割合を算出しました。その割合を基に、経済・産業構造の変化を把握し、2010年基準で調査していた品目を廃止したり、2015年基準から調査する新しい品目を採用するなど品目改廃を行いました。その結果、2010〜2015年の間に需要が伸びた品目が、新たに企業物価指数に取り込まれることになるのです。

ただ、篠﨑グループ長は「取引額だけでは捉えきれない、将来伸びそうな品目を予測し、追加調査の上で新規採用することもある」と言います。

「業界紙やシンクタンクのリポートなどを読み込み、企業や業界団体の方々へのヒアリングを重ね、今後経済・産業構造がどう変化するか、その中で取引拡大が見込まれるモノは何かを考えていきます。企業物価指数には長い歴史があるので、過去にどう検討・予測したかをひもとき、物価統計課の先達の目線などに学びながら予測していきます」

今回の改定では、家庭での需要も伸びている「ノンアルコール飲料」や「燃料電池」など2026もの価格データを新規に採用しました。一方、今後取引拡大が見込まれるものの、採用できなかったものもあります。物価統計改定グループの井上萌希さんはこう話します。

「取引量が増えているモノがあっても、その価格データを安定的に入手する方法が現状見当たらず、新規採用を断念したモノもあります。このように、新規品目として採用できた品目のほかにも、水面下では、よりたくさんの商品において調査の可能性を探っています」

次回の企業物価指数の改定は2020年基準のとき。その際にそのモノを新規採用できないか、井上さんは「調査手法の研さんを積むなど、試行錯誤を続ける」と言います。

品質調整方法を見直し、「ヘドニック法」を乗用車などに適用

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国際物価統計マニュアルなどの参考文献

今回の基準改定では、「品質調整」の対象も拡充しています。

品質調整を行うためには、新旧商品で品質が具体的にどのように異なるかを把握する必要があります。また、企業から「商品の品質を変える際にどれくらいコストが上昇したか」などを追加でお伺いすることもあります。例えば、乗用車がモデルチェンジを行い、新しい機能を搭載した場合、その機能を加えるために一台あたりどれだけ製造コストが増えたかを確認しなければならないのです。

これは調査先企業にとっても骨の折れる作業であるため、情報提供を断られる場合もあります。それでも粘り強くお願いして、必要なデータをいただけるよう努力しています。「そこで、企業の負担を増やさないためにも、企業からの情報だけに依存しないよう、さまざまな外部データを活用できるように品質調整方法の拡充を行いました」と小山課長は言います。

具体的には、「ヘドニック法」と呼ばれる品質調整方法について、乗用車、スマートフォン、液晶テレビを適用対象に追加するなどの見直しを行いました。

ヘドニック法とは、あるモノの価格の変化が、そのモノを構成しているさまざまな部品の品質の変化にどれだけ依存しているかを示す統計学的な手法です。パソコンを例にとれば、カタログで分かるメモリやHDDの容量、OSの種類、搭載アプリケーションの有無・種類などさまざまな仕様の変更が、パソコンの価格の変化にどう影響しているかを数字で示してくれます。乗用車やスマートフォンがモデルチェンジした場合、これまで企業からいただいていた情報に加え、こうした方法を加味することで、物価指数の精度を高めることができました。

2015年基準改定では、ヘドニック法の適用拡大に加えて、四つの新たな品質調整方法を導入しました。物価統計改定グループの池田裕樹さんは、その成果についてこう話します。

「乗用車・家電製品のうち、これまでは品質の比較が難しかった事例の約40%について品質調整ができるようになりました。企業物価指数の精度がさらに高まりました」

さらに、物価統計課では、ここで紹介した企業物価指数のほかに、企業間で取引されるサービスの価格を調査・算出する「企業向けサービス価格指数」も作っており、現在、その基準改定作業も進めています。企業間のサービス価格は、モノの価格以上にデータの収集や品質調整が難しいのですが、日本経済を正しく把握するため、さらに精度の高い統計を目指して、物価統計課の皆さんは日々努力しています(注)