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総裁記者会見要旨(5月22日)

2003年5月23日
日本銀行

―平成15年5月22日(木)
午後2時から約35分

【問】

りそな銀行に対する公的資金注入が決まり、日銀としても金融市場の安定性を確保するために、金融緩和に踏み切ることを決定されたわけだが、今後の金融システムの安定性についてどのようにみておられるのか、改めてお伺いしたい。

【答】

私の個人的見解に過ぎないかもしれないが──確か前回の会見の時にも少し申し上げたかと思うが──、日本の金融機関の問題とこれに対する人々の認識は、次第に新しい局面に移行しつつあるのではないかと思っている。金融機関の不良債権処理がポイントであること──極めて後ろ向きの印象を伴うが──に変わりはないが、同時に、金融・企業問題の一体的処理も始まっている。すなわち、企業の再生プロセスを手伝うという仕事と不良債権問題の処理との一体的な進行、さらには金融機関自身の新しいビジネス・モデルの確立と収益性の再構築というように、同じ問題を眺める視点が段々前向きに変わってきていると、私自身は受け止めている。

無論、こうしたプロセスの全体を通じて、金融機関にとっては引き続き大変重い負担──財務的な負担だけではなく、経営努力とか経営の工夫といった点まで──が伴う。いわば体力をすり減らしながらこのプロセスを完走していかなければならないということで、今大変な努力が行われているわけである。従って、私は、方向性は良いほうに動いていると思うが、その途上において体力がかなり消耗しているわけであり、日本の金融機関および金融システムの基盤は引き続き脆弱な状況にあると思う。すべての金融機関が──程度の差は非常に大きいが──共通の問題を持っているという人々の認識があるのだから、何か特別な問題が起こった時に連鎖的に心配が起こるという意味での潜在的な危機のリスクは、キャリーされている状況ではないかと思う。日本銀行がマーケットに対してなるべく先手を打って、不安感を鎮める措置を取っていきたい、また現に取っている、ということの基本的なバックグラウンドはそういったところにある。そのことは、市場参加者の方々にはいちいち語らなくても、マーケットのほうでも十分意が通じているところではないかと思っている。

【問】

りそな銀行問題で株式市場、特に銀行株が急落する場面があり、りそな銀行自身も株安が今回の自己資本不足につながっているかと思う。金融システムの安定化という観点から、日銀が銀行保有株買取り枠の一段の拡大や、銀行株の買取りを行うべきではないかとの意見も出ているが、これについてどう考えるか。

【答】

今、日本の金融の問題──不良債権処理の問題、産業再生との一体的処理の問題、そして金融機関自身の収益性、再構築の問題──について、ディメンジョン(次元)を変えながらお話し申し上げた。

金融機関の点に絞ってもう一度これを振り返ると、不良債権処理の問題と、その途上で、株式の持ち合い解消──この問題を先送りせず早く処理する過程──に伴う株価変動リスクが経営に打撃を与える問題、そして将来の収益性向上の問題がある。収益性の向上に関して言えば、土地神話が崩壊した現在、リスク・アセスメントを必ずしも十分に行わずに、不動産担保に頼ってリスクを取れるという状況ではない。やはり、企業ないしはビジネスの価値とリスクをきちんと評価しながら、その上で積極的にリスクを取っていかなければ収益はあげられない。金融機関は、こうした問題に取り組むプロセスを歩んでいると思う。

日本銀行の持てる力には限界があるが、我々はできる限り、金融機関のこうした努力のプロセス全体をサポートしていきたいと思っている。不良債権処理の問題について、債権の経済的価値をどうやって正確に評価するのか、引当や償却についてどうするのかといった考え方を示す。あるいは、株式の持ち合い解消について、問題を先送りしないで、持ち合い解消を促進したほうが良いわけであるが、それでは市場にショックが及び過ぎるということであれば、その部分は我々が吸収する。新しいビジネス・モデルの構築については、我々は新しい考査の方針などを提示して──限界はあるかもしれないが、我々の有する知識を提供しながら──お手伝いする。全プロセスをお手伝いしようということになっている。

日銀の株式買入れについても、今申し上げたような金融機関が新しい姿に変わっていくプロセス全体の中の一部を手伝うための措置との位置付けである。金融機関がTier Iを超えて保有している株式については、急いで処理してもらいたいという気持ちが非常に強いわけで、我々がお手伝いをして──我々が株式を買うと言っても限界はあるが──できるだけ効果をあげようということである。現在、我々が用意している銀行保有株の買取り枠(3兆円)のうち、約1.4兆円を使っているから、まだ用意した枠の半分ぐらい残っている。まだキャッチャー・ミットは大きく構えているつもりであり、どんどん投げて欲しいといった段階である。

銀行株については、また別の話になると思う。もし日本銀行が買えば、これは銀行の株主になるということである。一般的な議論として、「エージェンシー問題」というものがあることをご存知かと思うが、ある特定の会社を考えた場合に、株主とお金の貸手の間にはコンフリクト(利害の衝突)が生じる。これをエージェンシー問題というのだが、同一人が株主と貸手の双方を兼ねると問題が起こることがある。日本銀行は、実際にお金を貸しているか否かに拘わらず──現に貸していることが多いが──、金融機関に対しては貸手の立場にある。それが同時に株主の立場になれば、本質的に利害が相反してしまうわけで、この問題は十分意識しなければならない。それだけではなく、ただ普通に企業の株式を買う場合に比べると、我々が個々の金融機関について細部の情報を掌握している度合いがあまりにも強いということもあるので、やはり買いにくい。そこを無理して買うよりは、金融機関が持っている銀行株以外の株式を吸収していくほうが、先程申し上げた目的を達成しやすいと我々は思っている。

【問】

公的資金の予防的注入の枠組みについて、総裁は先般そうしたフレームワークはあったほうが良いという趣旨の発言をされた。これに対し、先日、全銀協の三木さんなどは、預金保険法102条で十分に対応できる──今後も運用次第で機動的に対応できる──のではないかということで、どちらかと言えばそうした新しいフレームワークには否定的な発言をされていた。そこで、総裁がそうしたフレームワークを必要だと考えておられる理由は何かということと、102条との間でどのようなすみ分けを考えておられるのかということについて伺いたい。

【答】

三木さんと私との間で、本質的な問題で意見の相違はないと思うのだが、私の立場から申し上げれば、金融政策の舞台である金融市場に、元気の良い日本の金融機関が一日も早く、より数多く帰ってきてもらいたい。そうすればチーム全体が揃うわけで、金融の機能を強くして、日本経済の将来に向けた動きを力強くバックアップしていきたい。つまり一刻も早く金融市場にリスクを取る意欲と能力を備えた金融機関の数を揃えたいということが発想の出発点である。そのためには、自己資本の水準がぎりぎりまで落ちた段階にならなければ、必要な手術──少し言葉は悪いが、分かりやすく言えば手術──を受けられず、退院してプレイグラウンドに出る機会も得られないよりは、もっと早い段階で一種のインフォームド・コンセント(説明に基づく同意)を進んで受けて、勇んで退院してくるという姿のほうがより健全ではないかと思う。先程私が申し上げたとおり、不良債権問題をみる人々の目は単に後ろ向きという時代は段々終わりつつある。企業と銀行が一緒に元気を回復する、さらに銀行自身がリスクテイクに向かっていくというように視点が変わってきているのだから、その目線に合わせて道具立ても揃えていったほうが良いというのが私の考えである。

こうした考え方が一般の理解を得られるか、金融審議会でそれに沿った結論が得られるか、またこうしたことは最終的には議会を通さなくてはいけないだろうから、国民的な合意が得られるかという問題はある。しかし、少なくとも、私が責任を負っている金融政策ということを出発点に考えた場合、局面変化とともに必要な道具立てをきちんと揃えていくということはきっと利益につながると思っている。この道具があるからと言っていつまでも同じものに頼るのではなく、古い道具への依存をどんどん下げて、新しい道具を使いながら前に進むほうが皆の元気が出やすいのではないか。もう限界というような金融機関が出るのではないか、といつまでも思っているよりはずっと健全だと思う。

【問】

預金保険法102条はもう古い道具なのか。

【答】

古いとはまだ言わないが、じっと待つのではなく、いろいろな仕組みを作りながら、段々こういうものは古い道具だと人々が思えるようにしていくべきではないか。皆元気になりたいという点では、気持ちとしては共通ではないだろうか。

【問】

2つお伺いしたい。第一点は、昨日の議会証言で、FRB(米国連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長が、米国にもデフレ懸念の可能性があるというようなことに言及したが、米国だけでなく欧州でも景気の減速からデフレ懸念が聞かれ始めている。デフレが、日本だけではなくグローバルな現象になっていくリスクについて、総裁は現段階でどの程度あるとみておられるのか。

第二点は、先月末のことだが、こうした時期にグリーンスパン議長の再任が決定されたことの世界経済へのインプリケーションをどうみているか。

【答】

世界的なデフレの話について、まずグリーンスパン議長の昨日の議会でのご発言だが、米国の物価動向に関しては、現時点で近い将来を見通した時、インフレ率が再び上昇するプロバビリティ(可能性)よりも、インフレ率があまり歓迎しないレベルまで下がるプロバビリティのほうが少し大きいのではないかという話をされたかと思う。米国経済そのものが、デフレの危機というところに深入りするという心配はしていないというご発言であったかと思うが、例え緩やかであっても、さらにインフレ率が低くなる可能性があるということをグリーンスパン議長は示されたのだろう。

欧州でも、この前のECB(欧州中央銀行)理事会の時に、例の物価安定のデフィニション(定義)について、その解釈をより厳密にしたとドイセンベルク総裁が言っておられた。これは要するに、2%よりも物価が低ければ低いほど良いという理解ではなくて、いわば2%という水準がECBとしては望ましい物価安定の定義であるということ──つまり、数字で明確には示されていないとしても、ある下限を意識しているということ──である。ECBでも、今はインフレ率の低下はウェルカムであると言っているわけだが、行き過ぎると自らの物価安定の定義を超える可能性があるということを示している。

こうした動向をみても、やはり世界的に物価の動きはどちらかと言えばデフレ傾向にあり、ディスインフレがさらに進む方向にあることは事実であろうと思う。その背景としては──私はかねてから私見として申し上げているが──、グローバル化がさらに進んでおり、国境を越えた企業の自由な競争──そこでは、モノも資本も、さらには人材も自由に動いている──が進んだ経済の状況というものがあると思う。そこでは、需給は限りなく均衡価格を求めて動くだろうし、これに情報通信革命の進展が加わると──情報も国境を越えて自由に行き渡るということになると──、情報の非対称性が存在していた時の価格の決まり方とは大きく違ってくる。モノも資本も人間も情報も自由に動いており、モノの価格が決まるプロセスについては、世界が単一市場に限りなく向かっているということではないだろうか。

このため、世界経済のどこかにスラック──需給の緩み──があれば、その影響が広く世界に伝播しやすい状況になっているという点が、以前とは非常に大きな違いである。

従って、中央銀行としては、今後ともインフレを心配する局面もあるとは思うが、今や全くシンメトリカル(対称的)に、デフレの心配をする役割をもはっきり担っていると言えるかと思う。

グリーンスパン議長は、非常に長い間にわたり──確か例のブラックマンデーの直前にご就任されて以来──、今日までずっと米国の金融政策の舵取りをされている。1980年代後半以降──厳密に言えばベルリンの壁の崩壊以降──、経済のグローバル化が進展し、IT革命のほうはそれよりもう少し前から──姿かたちは変わっているが——始まっているので、グリーンスパン議長が金融政策の舵取りに腕前をふるってきた大きなバックグラウンドに、こうしたグローバル化の進行、情報革命の進行がある。従って、マーケットが非常に変わると、物価の決まり方も非常に変わるという全プロセスを議長は経験していると私は認識している。

これから先は、米国も含めて、中央銀行がある種のデフレへの対応ということを、課題として果たしていかなければならない。中央銀行同士がこの点について知識の交流をよく行わなければならないという時には、市場が変わる中で金融政策を行ってきたグリーンスパン議長の経験を、世界の共有財産として活かしていける部分があるのではないかと思っており、私は再任を喜んでいる。

【問】

先程、大阪府知事と会見されたと聞いた。知事からのお言葉と、総裁からのお言葉を紹介して頂きたい。多分、りそなの問題を含めて、中小企業への影響等について、いろいろ意見を交換されたのだと思うが、中小企業へ悪影響が広がらないためには、どのような手立てをとるべきとお考えか。極端に言えば、融資に数値目標を入れるべきではないかといった意見もありうるかと思うが、こうした点も含めて、総裁のご見解を伺いたい。

【答】

太田知事と先程お話をした。大阪の非常に大事な銀行があのような状況になり、中小企業の方をはじめ、大阪の経済界の方が非常に心配しておられるので、大阪の企業金融に問題が起こらないようによろしくご支援下さい、とのお話だった。私は、全面的に承ったとお返事した。

大阪府庁は、私の出身校である大手前高等学校の隣にあることから、「あなたは昔隣にいたのだから、しっかりやって下さい」と知事から言われたが、そういうことに関係なく、私の今の職掌上、しっかりやらせて頂きますと申し上げた。

中小企業金融については、いくつか申し上げたが、りそなホールディングス傘下の銀行は、りそな銀行だけでなく、他の銀行も、埼玉等を除くと関西エリアが多い。りそな銀行以外にも、近畿大阪銀行、奈良銀行と、関西の中小企業金融を大きな営業基盤にした銀行が並んでいるので、これからホールディングスの経営が新しくなり、りそな銀行そのものの経営が新しくなっていくときに、中小企業に背を向けて新しいビジネス・モデルができあがるとは、私には到底思えない。むしろ、より積極的に中小企業を自らの新しい営業基盤の中に組み立て直し、取り入れることによって、良い銀行になっていくに違いないし、それを我々は支援したいのだ、ということを申し上げた。

大阪のほうでも、新しい中小企業が興るように、また、既存の中小企業についても、ビジネスの中身を変えながら、これから元気が出ていくような企業作りというものをしっかりやって欲しい。こうした動きを新しい銀行がきちんとサポートしていけるということが、大事なのではないか。

仮に、数字の上で中小企業に対する貸出が伸びたとしても、企業の活性化をサポートしていくという実質的な中身が伴わないと、本当の意味で関西経済の将来につながらないので、産業を興していく努力と金融が新しく立ち上がっていく努力との平仄を合わせて頂きたい、という話をした。

【問】

総裁は、かねてより、お金の目詰まりについて言及されているが、これに関して、ある専門家から「日銀が直接企業に融資をしてはどうか」──1930年代にFRBは実際にそういうことを実施した──という意見を聞いた。確かに、日銀が経営不振の企業に直接融資するというのは、かなりリスクのあることではあるが、反面、お金の目詰まりを克服するには、かなり効果があるかと思う。こうした意見について、総裁のお考えを伺いたい。

【答】

我々──我々というのは、「日本銀行」という意味ではなく、「日本に住んでいる我々」──として、将来に持続的につながっていく金融の姿というものは、やはり市場メカニズムをきちんと活かした金融であり、それと平仄の合った経済ということだと思う。

いくら目詰まりがあるからといって、ある時期、国なり中央銀行なりが全面的にファイナンスの面倒をみるということは、市場メカニズムを育てていくという基本の路線を断ち切ってしまうことになると思う。血管を切るような手術はすべきではないというのが、私の発想である。どんなに苦しくても、どんな大手術であろうとも、血管は切らずに行うべきではないかと思う。病巣部に対してはしっかりメスを入れなければいけないかもしれないが、血管まで切る手術については、私が責任を持つ限り、とても取れる措置ではないと思う。

【問】

予防的資本注入の枠組みについて、2つお伺いしたい。一点目は、予防的資本注入の枠組みが必要ということは、将来、他のメガバンクでも自己資本不足に陥る懸念があるということなのか。二点目は、公的関与ということになると、先程のお話にも出ていた数値目標とか、いろいろなかたちの制約がつく可能性があると思う。むしろ公的なサポートではなく、本質的な問題であるビジネス・モデルを変えて、金融機関が他から──例えば外資系とか──もう一度資本を入れるというような発想に持っていくべきだという考え方もあるが、これについて如何お考えか。

【答】

「注入」という言葉が、何か強制注入のような響きがあって、私はあまり好きではない。だから、先程「インフォームド・コンセント」と申し上げたように、自分のこれからやりたいことと、やりたいことに見合った自分の体力──体力が少し欠けているかどうかといったこと──を、まず自己診断しなければならない。次に、その自己診断と、金融庁なり日銀なり、金融当局の診断とのすり合わせが必要となる。すり合わせが一致すれば、資本を受けてさらに次に進むということであるが、その前提として、これからどういう銀行にしたいかというモデルが──次に何をやりたいか、それをどういうモデルを組んでやりたいかということが──、危機対応を要するような段階になる前から、はっきりしていることが重要である。そのモデルとの関係で、残念ながら体力が少し不足しているから、そこを補えばすぐスタートできるという場合の対応が、ひとつのイメージとして私の念頭にある。

そこでブリッジ(橋渡し)して次の段階に行くということであるから、インフォームド・コンセントの段階ではまだ十分でなくとも、退院時には、銀行はもう比率規制などを受ける必要がないような姿にきちんとなっていなければならないと思う。新しい銀行が比率規制の下にスタートするということは大変心細いし、非常に早い段階で資本注入を受けて再スタートをする銀行の姿としては、あまりふさわしくないと私は思っている。

【問】

二点目の質問であるが、国からではなく、他の投資家が資金提供するような状況にはならないのか。

【答】

その可能性は十分あると思う。どのような枠組みができても、その枠組みに頼らずに、民間からの資金調達でテイクオフできる金融機関が多いほうが望ましいと思う。ただ、現状は──先程、「個別行毎に非常に差がある。しかし、共通の問題を持っている」と申し上げたが──、ある重みを持った「共通の問題」を皆持っているわけだから、すべての金融機関が民間の資金調達をクリアしてテイクオフできるかという点については、まだ疑問が残っており、その疑問の解消を図っていく必要がある。

今後は、人々が後ろ向きに考える時間をなるべく少なくしていこうという発想が必要なのではないかと思う。何かが起こる度に振り出しに戻って、皆が心配する状態に戻ってしまうのでは、非常にカウンター・プロダクティブ(非生産的)であると思う。何か問題が起こっても、振り出しに戻らないようにしなければ、世の中全体として、この苦しい局面において前進を図る上で得策ではないと思っている。こうした観点からも、企業・銀行は自らが衣替えする際に、必要な道具についても、その都度新しくしていったほうが良いのではないかと思う。

【問】

りそな銀行の問題では、株主責任の追及という議論が出ているが、これに対する総裁のお考えを伺いたい。

【答】

資本注入を行う場合でも、特融は、用意をしても使わずに済むほうが望ましい。我々は、りそな銀行にもなるべく特融を出したくないし、出さずにクリアできれば一番ハッピーだと思っている。いずれにせよ、万一、特融を行うような場合でも──これは前回申し上げたが──、モラル・ハザードの要素はなるべく抑止しながら行わなければならない。モラル・ハザードという場合には、経営者にも、またガバナンスに問題があったのであれば株主にも、それだけの責任を取ってもらうことが必要なのだろうと思う。こうした観点から、減資ということが必要になるのかどうかについては、経営健全化計画の中でこれからきちんと詰めていかなければならないのではないか。一口に減資と言っても、いろいろな減資のかたちがあるわけで──商法上の減資・増資もあれば、株価の下落や配当の変更といったかたちで株主にペナルティーが及ぶ部分もある──、全体として、モラル・ハザード抑止のために十分な対応がなされていけば良いと思っている。

【問】

先程、日銀は銀行保有株をこれまで約1.4兆円買取ったとおっしゃった。そろそろ日銀のほうも決算が固まる時期であると思うが、株式の含み損はかなり出ているのか。

【答】

計数については、後程事務方からお答え致したい。
(後刻、平成15年3月末時点で658億円である旨回答)

以上