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武藤副総裁記者会見要旨(6月23日)

2005年6月24日
日本銀行

─2005年6月23日(木)
大分県金融経済懇談会終了後
午後1時30分から約40分間

【問】

 本日の金融経済懇談会において、出席者からどのような話を聞き、大分県経済についてどのような印象を持たれたか伺いたい。

【答】

 広瀬知事、釘宮大分市長、その他県経済を代表する方々と懇談させて頂いた。大分県経済の全体感については、例えば有効求人倍率が比較的好調であり、企業倒産が今年は昨年に比べて減っており、グローバル企業が設備投資を少しずつ拡大させているといった話を、主に広瀬知事から伺った。

 民間の方々からは、地元の中小企業と大企業・進出企業との間の格差というものが、やはり現実問題としてあるという話を伺った。また、流通や小売業はなかなか厳しい状況にあり、建設業も公共事業の減少から苦しい状況にあるなど、製造業・非製造業間の格差もあるようだ。日本全体で景気が踊り場ながらも回復過程にあるとの認識の中で、なかなか地方にその波及が実感されない部分もあるという話もあった。さらに原油高が収まらないとか、中国リスクをどのように考えたらよいかとか、将来不安のような質問も承った。

 当地の経済は、私の理解する限り、精密機械のキヤノン、ダイハツ、東芝の半導体、新日鉄など進出している大手製造業が色々あるわけだが、これらはどちらかというと持ち直しつつある。一方で建設、流通、あるいは当地でかなり大きなウェイトを占めている観光産業といった地元企業が、公共事業の削減、販売競争の激化という中で、非常に厳しい状況が続いており、格差があるということであったと思う。

 確かに都市間・地方間の格差、製造業と非製造業の格差、大企業と中小企業の格差というのは全国的にみられているわけで、決して当地だけの問題ではないと思う。むしろ当地の場合には、昭和39年の新産業都市指定以降、企業誘致を非常に熱心にやってこられて、今申し上げたような大手メーカーが進出して活発な企業活動を行っている結果、経済の潜在力は非常に高く、多様な産業構造を持っているという意味で、ひときわ長所を持った地域経済ともいえるのではないかと思う。広瀬知事とは旧知の仲だが、「おおいた産業活力創造戦略」という戦略を持って知事自らが旗を振られておられるので、地域全体として発展を続けていくことが大いに期待できるのではないかと思った次第である。

【問】

 久しぶりの大分県訪問と聞いているが、視察をされた工場の現場の印象を含めて大分県の印象を伺いたい。

【答】

 実は二度目の来県であるが、一度目は相当昔のことであり、事実上初めてのようなものである。そういう意味でも積極的に大分県を目指して来たわけであるが、想像以上に自然環境に恵まれた地域だというのが第一印象である。比較的災害が少なく、山も川も海もある非常に自然環境に恵まれた温暖な地域であるという印象を受けた。海の幸も、山の幸もそれぞれ豊かであるので、観光産業にとっても一つの大きなインフラといってもよいのではないかと思う。従って、先程の話にも関連してくるが、潜在的な経済の発展力というものは十分に持っている地域であり、その中で先程申し上げたような地元の企業と進出してきた企業、それぞれの良い面での協調関係ができあがっていけば、おそらく大分県は、昨日見せて頂いたキヤノンの工場のように、本当の意味でのメイド・イン・ジャパンということを発信できる地域であるという印象を受けた。

【問】

 大分県の経済を活性化、元気づけるために金融機関に求められることや、その課題について伺いたい。

【答】

 大分県内の金融機関の経営状況については、ペイオフ全面解禁後も安定した状況にあると伺っている。これまでの統合・合併等によりかなり再編も進み、金融機関の努力によって経営基盤強化に取り組んできたことによるものだと思う。問題は、これから新しい体制のもとで地元経済にどのように貢献することができるのか、あるいは金融機関が地元経済界に何を望まれるのかということだと思う。かつて不良債権問題に悩まされた金融機関は、ある意味リスクテイク能力が低下して、産業に対して資金仲介機能を充分に果たすことができない状況にあったが、幸いにして今申し上げたようなかたちで経営基盤がかなり強化されてきたので、そういう意味では準備は整っているのだろうと思う。

 これからの金融機関の新しいビジネスモデルがどうなるかということが、やはり大きな鍵になるわけであるが、ただ単にお金を貸すというばかりではなくて、企業がどのように発展していくべきなのか、親身になって地場の産業を育てるという意識を持って、金融ビジネスにあたっていくことが必要なのではないかと思う。金融機関に何ができるかということになると、現行法上の様々な規制もあるので簡単ではないが、規制緩和により業務の範囲が少しずつ広がっているので、その中から地元に必要な新しいビジネスを自ら探し、作り、それを確立して、企業の発展のために金融面からサポートしていくということが必要になると思う。

【問】

 九州地域はことのほかアジアとのつながりが深いと懇談会の挨拶の中でも触れておられたが、中国の人民元改革をめぐる問題についてどのようにお考えか。また、実際に人民元が切り上げられた場合に、日本経済全体あるいは地域経済へ及ぼす影響についてどのようにお考えか。

【答】

 人民元は長らくドル・ペッグというかたちで固定されてきたが、この間、中国経済はいろいろなかたちで大きく発展しつつあるのも事実である。長期的に考えると、グローバル経済に組み込まれる中国の通貨として、人民元が弾力性を持って様々な市場の調整を経ることによって、中国が調和を持って発展していくということが、中国にとってもグローバル経済にとっても望ましい。ただ、現実問題、人民元弾力化のやり方やタイミングは、中国において適切に判断することが一番望ましいことだと思っている。中国の国内経済の状況も十分に考えていかなければならない。金融機関がそういう自由化に対して十分に対応できるだけの体力を持っているかどうか。マーケットそのものが十分に育成されていないと、自由化・弾力化というものが真に上手く調整されるという保障は必ずしも無いわけで、規制緩和等によるマーケットの育成も必要であると思う。さらには産業構造や雇用をどのように考えていくかということも中国自身にとって大きな課題かもしれない。こうした中で、人民元改革は中国が判断することであるが、中国の為替の決定に関与する方々は、事情を十分に知ったうえで適切な判断をできるだけの信頼できる当局であると思っている。

 わが国も円の固定レートから今日の姿になるまでの間に紆余曲折があり、日本が辿ってきた道は中国にとって何らかの参考になるとは思う。ただし、現在の経済はかつてと比べ全てがスピードアップされており、しかもグローバルな経済のつながりの発展度合いは比べものにならない。こうした意味では、日本がかつて弾力化に要した時間よりは、のんびりと対応するといった時間的なセンスが多少昔と違っているということがあるかもしれない。いずれにせよそれらも含めて中国当局において適切な判断がなされるであろうと思っている。

【問】

 懇談会の講演の最後のほうで、量的緩和解除の時期について、4月に出た展望レポートの内容を繰り返して、2006年度にかけて徐々に量的緩和解除の可能性が高まると言われた。その一方で、講演で消費者物価指数について、2005年度はゼロ%近傍、2006年度はごく僅かなプラスになると、展望レポートと同じ内容を話され、その後で、講演録にはない「デフレから脱却するシナリオはなかなか描けない」と言われた。展望レポートでは2006年度にかけて量的緩和解除の可能性は徐々に高まるという意味で、それなりのシナリオが描かれていると理解しているのだが、ここで言われた「デフレ脱却のシナリオが描けない」というコメントは武藤副総裁の本音なのか。

 また、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が来年1~3月期に僅かとはいえ小幅なプラスに転じるというのが市場のコンセンサスになってきていると思う。あるいは、早ければ今年の10~12月期にも小幅なプラスになるのではないかという見方もある。そうした中で、なおデフレ脱却のシナリオが描けないというようにみているということは、僅かなプラスではやはり量的緩和を解除するための条件には満たないと考えているのか。

【答】

 まず、展望レポートの消費者物価指数の予測の姿は文字になっているので、いささかの誤解もないところであると思うが、私がデフレ脱却の姿がなかなか描けないという趣旨のことを申し上げたのは、「2005年度がゼロ%近傍で、2006年度が若干のプラス」ということイコール「デフレ脱却」であると断言するのは、なかなか簡単ではないということを申し上げたかったわけである。展望レポートに書いてあることよりも、意味を変えようとか付け加えようと意図してデフレ脱却の姿がなかなか描けないと申し上げたつもりではない。展望レポートでデフレ脱却がもう描けたという意見はなかなかとれないのではないかということである。

 従って、今の質問の中で指摘されていたように、確かに来年の1~3月になると、今は抑制方向に働いている幾つかの要因が剥落するかたちで、どちらかというとプラスの要因のほうが強くなっていくという可能性が十分にあるとみるのが、確かに有力な見方であろうと私も思う。そうであるからこそ、2006年度にかけて枠組み変更の可能性が徐々に高まっていくとみることができるだろうと思っている。

 徐々に高まってはいくが、本当に見直すことができるかとなると、それは不透明であると思う。今、申し上げたような物価の見通しが、このシナリオどおりに実現されるかどうかは、現実にこれから時間の経過とともに、どういうことが起こっていくのかということを、足許よく確かめながらみていかなければならない。我々の予測は非常に重要な作業ではあるが、予測にはどうしても限界があるわけであり、予測を持って予断をしてしまうのは、ある意味では危険なことである。予測は予測であり、予測能力にも限界があるし、現実は予測の中に必ずしも織り込まれていないことが起こり得るということを頭に置いておかなければならないのではないかと思う。そういう意味で、これからの量的緩和政策の運営を考える場合には、そういうことを念頭に置いたうえで、時事刻々と変化する事実をしっかりと見極めて適切な政策判断を行う必要があると思っている。

【問】

 展望レポートどおりに2006年度の消費者物価指数の前年比が小幅なプラスを実現したとしてもデフレ脱却とは言い切れないというのは、デフレ脱却と言い切れるのはもう少し上の水準であることが条件になってくるとお考えなのか。さらに、消費者物価指数の水準と量的緩和の枠組みの変更との関係についてどのようにお考えなのか。

 また、「なお書き」修正について、量的緩和の出口に向けた一歩と発言している審議委員もおり、残高目標の減額自体が議論になっていると思うのだが、流動性需要が低下する中で、量的緩和の枠組みの変更前にも徐々に減額していくべきだという議論についてご見解を伺いたい。

【答】

 私がデフレ脱却と言い切れないと言った言葉の真意について、今後起こることがシナリオ通りであればどうかということと、シナリオ通り運ぶかどうかということに対しては必ずしも言い切れない部分があって、その両方のことを頭に置きながら簡単に即断できないと申し上げているつもりである。

 もし本当に予定通り(消費者物価指数の前年比が)プラスになり、それが相当続くとなればデフレ脱却と言えるではないかということは議論の余地があると思う。そうかどうかはもう一度慎重な議論が必要だと思う。ただし、見通しにはやはり限界があるとすると、そういう見通しの中でかなり十分にプラスが高いレベルであれば、見通しが多少ずれても大きなずれはないと言えるかもしれないが、わずかなプラスの状況で、少し見通しがずれたら姿が変わってしまうかもしれない中で、本当に言い切れるのかということを言っているつもりである。もっとも、一年経ってみたらきちんとプラスになったということであれば、私の発言は修正を要するだろうと思う。どのように修正するかはその時の足許の状況やプラスになった状況がどのくらい続くのかということを慎重に判断する必要があるだろうと思う。

 それから審議委員の中に今回の「なお書き」の対応が出口政策に向けての第一歩であるという趣旨の意見があるという話があったが、まず基本として断らなければならないのは、それぞれの審議委員において自分の信ずるところを述べることに対して、私がいちいちコメントするのは適当でなく、審議委員の一人一人が自分の責任を持って述べていることにコメントするかたちで私は発言しない。

 しかし、私自身がその第一歩であるかどうかと考えているのかという問いであるならば、私はそう思っていない。それはもし仮に第一歩を踏み出すのであれば、(量的緩和政策解除の)3条件が満たされたかどうかということを、きっちりと吟味しなければできないことであって、それもしないまま第一歩が踏み出されるというのは適切でないだろうと思っている。

 従って、繰り返しになるが、「なお書き」は何のためにやったのかというのは講演で縷々述べた通りである。今の状況の中でなにがなんでも下限の30兆円を守るのがよいのか、それとも極限られた回数、極限られた金額について下限が割れたら本当に基本的な量的緩和政策がおかしくなってしまうのかというように考えると、その両者のバランスの中でむしろ量的緩和政策を円滑に続けるためには、その程度の弾力性はあったほうが、量的緩和政策を継続しやすくできるという観点から行ったものと考えている。「技術的」という言葉を使うと、「技術的」という言葉に議論が行ってしまい望むところではないので、敢えて「技術的」という言葉は使わないが、そういうバランスの中から出てきた「なお書き」の修正であった。これは繰り返しあらゆるところで述べられており、議事要旨でもはっきりしているし、政策委員会の多数の意見として、私の理解はそういうものであったであろうと思っている。

【問】

 今の発言からすると、仮に資金需要の低下によって残高目標を変更するということがあったとしても、それはあくまでも技術的なものであって、出口の一歩ではないということでよいのか。

 また、金融政策決定会合の議事要旨をみると、審議委員の中には、景気が踊り場を脱却すれば、当座預金残高目標を引き下げやすくなるということを述べられている方もいるようだが、副総裁ご自身としては、踊り場から脱却できれば引き下げが可能であると考えておられるのか。

【答】

 今回の「なお書き」修正が量的緩和政策からの出口の一歩ではないというのはこれまで申し上げてきた通りである。

 次に、日本経済が踊り場を脱却するかどうかということが、当座預金残高目標に何らかの変更を及ぼすかということについては、量的緩和政策がどういうことを意味するのかによって、今の質問には多少ニュアンスの差が出てくると思う。ただ一つ言えることは踊り場にある実体経済が今後どのようになっていくかということが、金融政策を考えていくにあたって一番大事なことであると私は思っている。経済の回復を確実なものにして、(量的緩和政策解除の)3条件を満たすようなかたちで前向きの循環が始まっていけば、その時には色々な金融政策の現状の在り方について議論をするという順番になってくると思う。

 従って、実体経済が踊り場にあって、マーケットに何らかの事情が生じたら量的緩和政策を変えるかどうかということになれば、実体経済が重要なのであって、実体経済をどのように判断するかということをまず徹底的に議論する必要があると思う。そのうえで次のステップにいくということだろうと思う。踊り場を脱却したら量を引き下げるというのは、あまりにも前提条件なしに議論を簡単にやり過ぎることになる。様々な状況をきちんと整理したうえで判断しないと、その引き下げが何を意味するのか、技術的な理由で引き下げるということなのか、それとも、違った理由で引き下げるということなのか、そういうことも含めて議論しないと、なかなか一言で良いとか悪いとか言うのは難しいと思う。

【問】

 当座預金残高目標を例えば30~35兆円から27~30兆円に引き下げる場合、2つのパターンが想定される。1つは資金需要が低下しているので、技術的な意味合いで引き下げるというパターンと、もう1つは景気が非常に良くて3条件が満たされたということで、出口の一歩として引き下げるというパターンがあると思う。1点目のように資金需要が低下しているから当座預金残高目標を引き下げるといった場合、景気の踊り場からの脱却とはリンクするのか。

【答】

 私は(当座預金残高目標を)引き下げるという議論に与していないので、答え方が難しいが、資金需要がなくなったら量を下げても良いというのが正しい議論なのかどうかということに関連してくるわけである。一体この量的緩和政策はどういう目的でやってきたのか。確かに金融システム不安を払拭するために量を増やしてきたというのはその通りであるが、そればかりではなく、経済全体をデフレから脱却させるために量的緩和政策を採ってきたという事実もある。私は札割れとか資金需要の減退だけを理由に当座預金残高を下げるという立場に立っていないため、これまで申し上げてきた議論と結びつけるのは適切ではないと思っている。

以上