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わが国決済システムの現状と課題

平成9年2月28日・日本経済研究センターにおける日本銀行総裁講演

1.はじめに

 本日は、日本経済研究センターの講演会にお招きにあずかり、誠に光栄に存ずる。折角の機会であるので、まず、最近の金融経済情勢について若干申し述べたあと、わが国決済システムの現状と課題についてお話ししたい。

 決済の問題は、家計や企業の経済活動のすべてに関係する大事なものであるし、中央銀行にとっても極めて関係の深いテーマである半面、たいへん専門的、技術的な面もあるので、従来こうした場で私どもから詳しくお話しする機会は少なかったように思う。しかし、最近では、電子マネーの開発実験や、私どもの運営する日銀ネットの即時グロス決済化構想——のちほど詳しく触れるが、「RTGS」という言葉を耳にされた方も多いと思うが、——そうした話題をきっかけに、わが国でも、決済に対する関心は、様々な方面から日増しに強まっているように窺われる。

 こうした中で、昨年来の日本銀行法改正を巡る論議を通じて、決済システムの円滑かつ安定的な運行の確保に関する中央銀行の役割がはっきりと認識されるようになってきた。先般公表された金融制度調査会の「日本銀行法の改正に関する答申」においても、日本銀行の目的のひとつとして、「金融機関間の資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資する」ということが挙げられている。

 そこで、本日は、決済システムを巡る内外の潮流を踏まえながら、わが国の決済システムの現状と課題や、中央銀行の果たすべき役割といったことについてお話しすることとしたい。話がやや専門的な分野に立入る場合もあるかもしれないが、お許しいただき、ご意見、ご批判を賜りたいと考えている。

2.国内金融経済情勢

 それでは、まず、最近の経済情勢や当面の金融政策運営の考え方について、簡単に申し述べることとしたい。

 最近の国内経済情勢については、私どもは、「景気は緩やかな回復を続けており、そうしたもとで、景気回復力の底固さが次第に増してきている」と判断している。

 昨年後半以降の注目すべき変化としては、まず、それまで景気回復の制約要因となっていた外需が、円高修正に伴い、昨年秋頃から下げ止まりとなり、最近では増加傾向に転じていることが挙げられる。また、一部素材業種や半導体などで続いてきた在庫調整の動きも、昨年末までにはほぼ終了した。このため、生産は、需要の増加を素直に反映するかたちで、増加テンポを速めている。この間、個人消費は、乗用車販売の好調に支えられて緩やかな伸びを続けており、設備投資の回復の動きも、増収・増益傾向が続く中で、業種や企業規模をこえて拡がりをみせている。

 確かに、最近の景気指標の改善には、住宅投資のように、消費税率引上げ前の駆け込み要因がある程度寄与している部分もあり、この点は割り引いてみる必要があろう。しかし、その一方で、公共投資が昨年後半以降すでに減少し始めているにもかかわらず、生産の増加が、企業収益や給与所得の増加を通じて、次の設備投資や個人消費の回復に繋がるという、前向きの循環メカニズムが次第に明確になってきている。この点は、先行きの景気展開を考える上で、心強い材料である。

 一方、このような最近の景気指標の動きとは対照的に、金融・資本市場では、株価が一時大きく下落し、長期金利が低下するなど、市場参加者の景況感、つまり、先行きに対するコンフィデンスがなかなか改善してこないことを示唆する展開となった。

 こうした市場の先行き不透明感の背景としては、様々な要因が考えられる。金融機関などの不良債権問題があらためて着目されたという面も大きいとみられるが、当面の景気展開という観点からみれば、やはり、来年度に向けての財政面からの影響が強く意識されたということがあろう。

 確かに、この春から夏場にかけては、消費税率引上げ前の駆け込みの反動などから、一時的に景気の減速が生じることは避け難いとみられるが、先ほど述べたような最近の循環メカニズムの強まりからみると、景気回復の流れは、今後とも持続していく可能性が高くなってきているように窺われる。株式市場も、ごく最近では、一頃に比べ落ち着きを取戻しているようである。いずれにせよ、私どもとしては、只今申し述べた点、つまり、財政面からの影響をこなして回復の動きが続くかどうかについては、今後明らかになる経済指標に加え、市場から得られる情報、来年度に向けての企業の事業計画など、マクロ、ミクロの両面から点検して参りたいと考えている。

 次に、国内物価を取巻く環境をみると、年初来、円安が進行したほか、4月には消費税率の引上げが予定されている。

 まず、消費税率引上げの影響であるが、これが引上げられると、製品価格等への転嫁分だけ、物価指数は上昇することになる。ただ、物価の上昇がその範囲にとどまる限りは、これは、一回限りの物価改訂というべきものであり、物価情勢の基調的な変化とはいえない。従って、こうした物価指数の表面的な変化に単純に金融政策で対応することは適当でない。

 金融政策運営の観点から、つまり、物価の安定を通じて経済の安定的な発展を図るという観点から問題となるのは、こうした一回限りの物価指数の変化ではなく、これが便乗値上げやインフレ予想の台頭に繋がり、税率引上げの直接の影響を超えて物価上昇がもたらされることはないか、という点である。そして、そうしたことが生じるかどうかは、その時々の国内需給の状況や消費者マインドなど、様々な要因に依存している。このように、消費税率の引上げについて留意すべきことは、物価指数への表面的な効果ではなく、それをきっかけにインフレ的な行動やインフレ予想の台頭が生じないかどうか、という点になる。

 そこで、最近の物価動向についてみると、昨年末以降、物価の下落には歯止めがかかってきているが、当面は、需給の改善テンポがなお緩やかなものにとどまると見込まれることから、国内物価が明確な上昇基調に転じる可能性は小さいものとみられる。ただ、これまでの円安や昨年後半の原油価格上昇から、このところ輸入物価が上昇テンポを速めていることや、民間需要が自律的な回復力を強めつつあることなどを踏まえると、国内物価の動向については、今後とも丹念にみていく必要があると考えている。

 以上のような景気・物価両面での留意点を念頭に置きながら、私どもとしては、当面の金融政策運営に当たっては、引続き景気回復の基盤をよりしっかりとすることに重点を置いて、情勢の展開を注意深く見守っていくことが適当であると考えている。

3.わが国決済システムの現状と課題

決済システムとは

 さて、それでは、本日のメインテーマである決済システムの問題について述べてみたいと思う。「決済システム」という言葉には何か技術的な響きもあり、ことによると縁遠いものと感じられる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、市場経済のもとでは、企業や家計の生産活動や消費活動は、最後に必ず取引の決済を伴うことになる。従って、決済の処理の仕組みである「決済システム」は、本当は、誰にとっても身近な存在のはずである。おそらく、安全で効率的に動いている限りは、さほど意識されないが、いったんうまく動かなくなると誰もがたいへん困るといった、水や空気のような性格のものと言ってよいように思う。そこでまず、わが国の決済システムのあらましを簡単にみておくことにしたい。

 企業や家計が決済のために用いる支払手段には、日本銀行券すなわちお札であるとか、硬貨といった現金のほか、小切手や手形、銀行振込やクレジットカードなど、様々なものがある。このうち、現金で取引相手に支払いを行う場合には、決済はその場で直ちに完了する。しかし、小切手や手形など、他の支払手段を使う場合には、決済の手続きは小切手などの受け渡しだけをもって完了するわけではない。たとえば小切手の場合には、これが取立てに出され、そのあとで、支払人と受取人の銀行口座の間で預金が振替えられて、はじめて決済が完了することになる。もし、何らかの事情で、たとえば支払人の資金残高不足などにより、預金の振替ができないとなると、決済はいつまでも完了しないことになる。また、支払人と受取人の取引銀行が異なる場合には、銀行間の決済、——具体的には、日本銀行に預けている、民間銀行の当座預金口座の間で資金が振替えられるというプロセス——を経て、はじめて一連の決済の手続きが完結することになる。

 このように、支払のための手段は多様であるが、企業や家計にとって、「決済」は最終的には、日本銀行の発行する現金か、民間銀行の負債である預金のいずれかをやりとりすることにより、実現している。現代の「お金」、つまり通貨は、「銀行預金がいつでも現金に換えられる」ということを人々が信用することを前提として、現金通貨と預金通貨の二種類から成り立っているわけである。

 ところで、小切手や手形のような比較的小口で多量の支払いを銀行間で決済する場合、銀行はそれらを一件ずつ日本銀行当座預金につないでいるわけではない。小切手や手形などは、手形交換所などにいったん集められ、銀行毎に受取額と支払額が集計されたあと、その差額だけを日本銀行当座預金での決済に持ち込む仕組みとなっている。このような計算処理は、「クリアリング」と呼ばれているが、その運営に当たっているのは、民間のクリアリング機構である。具体的には、小切手や手形については「手形交換所」、銀行振込やクレジットカードについては「全銀システム」というクリアリングの仕組みが存在している。また、ユーロ円取引や外国為替取引などに関連する円の支払いをクリアリングする仕組みとして、「外為円(ガイタメエン)決済システム」がある。これら3つがわが国における民間クリアリング機構の柱として機能しているわけである。

 また、日本銀行の当座預金は、民間のクリアリング機構が算出した各銀行の受払い差額の決済のほかに、コール取引など、銀行同士の大口資金取引を直接に決済するために利用されている。日本銀行は、そうした民間機構のクリアリングを経由した差額決済と、クリアリングを経ない直接の大口資金決済とを合わせて、日々およそ300兆円を決済している。因みに、この金額は日本の年間のGDPの6割に相当する。これだけの金額が、毎日、日本銀行を通じて決済されているわけである。

決済システムと中央銀行の役割

 以上が、わが国の決済システムのあらましであるが、お気付きのとおり、現金による決済プロセスにしても、預金通貨による決済プロセスにしても、私ども日本銀行はこれに深く関与している。

 中央銀行の固有の仕事は、一言でいえば、お金の発行と管理ということであり、これは、「人々が安心して、お金を持ったり使えるようにすること」と言ってもよい。

 そのための条件は二つある。ひとつは、お金の価値が安定していること、つまり、物価の安定である。そしてもうひとつが、お金の流通や、それを使った取引の仕組み、すなわち、決済システムが安定的に、また効率的に働くことである。もし、現金や預金が決済に自由に使えないとなると、人々は安心して、お金を持つことができない。つまり、お金の使い勝手をよくし、企業や家計の日々の取引や決済が安心して行われるように努めることは、中央銀行に与えられた使命そのものであり、これがわが国の決済プロセス全般に日本銀行が深く関っている理由である。

 日本銀行が、決済システムの安定性、効率性の確保に関連して、具体的に行っている仕事は二つある。ひとつは、広く国民一般に決済のための手段を自ら提供する仕事と、もうひとつは、わが国における決済全体が円滑に行われるよう目配りする仕事である。

 このうち、決済手段の提供者として行っていることの第一は、日本銀行券、つまりお札を発行し、その円滑な流通を確保することである。先ほども申し上げたように、お札は、それを取引相手に引渡すことによって、その場で完全に決済を終了させることができる支払手段である。このように、決済がその場で完全に終わり、受取人にとって受け取った価値が確実に自分のものとなることを称して、「ファイナリティーがある」といった言い方をする。お札は、この意味でファイナリティーのある決済手段である。

 しかし、お札にファイナリティーがあるといっても、これが維持されるためには、その裏づけとなる中央銀行の資産の健全性に対して、人々の信認が確保されていることがたいへん重要であり、このため日本銀行では、資産の健全性につき常に注意を払っている。また、仮に市中にニセ札が多数出まわっているようでは、人々は安心してこれを持つことはできない。日本銀行の窓口には、毎日銀行を経由して大量にお札が持ち込まれているが、私どもではこれらを 一枚ずつ厳密に真偽鑑定するとともに、日常から市中に出まわるお札をきれいに保つよう努めている。さらに、お札の偽造対策にも最大限の努力を払っており、最近では、カラーコピー機などによる偽造の防止について、欧米諸国の中央銀行とともに共同研究を行ってきている。こうしたことにより、ニセ札の出まわりにくい環境の整備を図っているわけである。

 また、日本銀行が提供している決済手段には、お札のほかに当座預金がある。日本銀行の当座預金は民間の金融機関に提供するものであるが、ファイナリティーのある決済手段であるという意味では、お札とまったく変わるところがない。私どもでは、当座預金の決済についても、その安全性や効率性を高めるため、日銀ネットの導入──すなわち、民間金融機関が日本銀行に預けている当座預金のオンライン・ネットワーク化──など、これまでに様々な面で改善努力を図ってきた。今後も、のちほど述べる「即時グロス決済化」をはじめとして、関係者の協力を得ながら、システム整備に一層努めていく考えである。

 決済に関する日本銀行のもう一つの役割は、わが国の決済全体が効率的かつ安全にまわるよう目配りし、必要に応じて流動性などを提供する仕事である。もちろん、先ほど申し述べたように、私ども自らが提供するお札が国の隅々まで順便に供給されるよう取り計らったり、当座預金決済が日々支障なく行われるようモニタリングすることも重要な仕事である。それだけでなく、民間システムの運営者、つまり手形交換所などとの間で、必要な連絡、調整を行い、そのシステムや参加者にトラブルが生じても、わが国の決済全体が損なわれないよう目配りしていくことは、中央銀行の果たすべき大切な役割である。

 いかなる決済システムであれ、万が一、システムの一角で決済不履行が生じると、その銀行からの受取りを前提に支払いを行おうとしていた別の銀行を巻き込んで、支払い不能が連鎖的に発生し、決済システム全体が麻痺するリスクがある。また、決済システムも、これを構成している個々の銀行も、「信用」という多分に心理的な要因に支えられている面があるため、ある銀行の破綻が他の銀行の預金の流出を引き起こしかねないといったリスクがある。これらは「システミック・リスク」と呼ばれるものであるが、システミック・リスクが現実に表面化すると、単に銀行だけでなく、企業や家計の決済にも混乱が生じ、経済的、社会的な影響は極めて大きなものとなる。銀行業が一般産業と異なる性格をもつのは、銀行がその一角を担う決済のネットワークに、こうしたシステミック・リスクが存在するからである。

 中央銀行の役割は、日頃から決済システムの制度的な枠組みや運行をモニタリングし、関係者とともに、システミック・リスクの発生を未然に防止する努力を図るとともに、万一の場合には、決済不能の連鎖を断ち切るよう、必要な資金を融通することである。また、決済システムを構成し、企業や家計との間で決済業務を担う民間銀行経営の健全性に目配りしていくことも中央銀行の大事な仕事である。要は、(1)企業や家計の預金を預かる民間銀行、(2)銀行間の受払いを取扱う民間クリアリング機構、(3)クリアリングの結果を含めて銀行間の決済を完了させる中央銀行、の3者を結ぶ決済のプロセス全般を安全で効率的なものとしていくことが、中央銀行の重要な使命の一つであることをご理解いただきたいと思う。

決済システムの安全性向上策

 以上、中央銀行の役割について簡単に述べてきたが、従来、決済システムの話が一般の関心をあまり集めてこなかったのは、決済システムが、いわば「取引のデータを流し込めば、そのまま債権・債務関係が解消される事務処理の装置」といった受け止め方をされることが多かったからではないかと思う。金融機関の破綻が起こらず、決済が安全に行われてきたことも、そうした受け止め方のひとつの背景にあったように思う。しかし、現実には金融機関の破綻が生じたわけであるし、金融・通信の技術革新や金融の国際化のもとで、システミック・リスクが内外に伝播するスピードは、以前に比べ格段に速まっている。このような状況のもとでは、決済システムを単なる事務処理の装置とみなすことは、まったく適当でない。システミック・リスクに対して耐久力の強い決済システムをつくることは、民間銀行にとっても、中央銀行にとっても、きわめて重要な課題である。そして、これまでの経験や研究の結果、決済システムの安全性向上に関する民間銀行と中央銀行の間の認識は、内外において、かなり深まってきているように思う。

 たとえば、民間の機構によるクリアリングについてみると、「支払額が受取額を上回る幅に、個別参加者ごとの限度額を設けること」であるとか、「その限度額が最も大きい参加者が支払不能に陥っても直ちにバックアップの流動性が供給され得るよう、あらかじめ担保を用意しておくこと」といった安全基準が、各国で採用されるようになってきている。こうした安全基準は、もともと、G-10諸国の中央銀行が、複数の通貨をクリアリングする国際的な決済システムの満たすべき基準として考案したものであり、その検討を行った委員会の議長の名をとって、「ランファルシー基準」と名付けられている。しかし、この基準は、国内におけるクリアリング・システムにも適用できるものであることから、最近では、各国の民間クリアリング機構が改善の指針として広く利用するに至っている。

 わが国においても、関係者のご努力により、このほど「外為円決済システム」に「ランファルシー基準」を満たすような安全策の導入が決定されたところである。私どもとしては、こうした関係者のご努力に深く敬意を表するとともに、今後とも、決済システムの安全性強化に対する関係者の努力を積極的にサポートしていく考えである。

中央銀行システムの安全性向上──RTGS

 ところで、安全性向上への努力の必要性は、民間のクリアリング機構だけでなく、当然に中央銀行自身の運営する決済システムにも、当てはまるものである。この点に関連しては、近年、中央銀行の当座預金決済についても、「即時グロス決済」という、決済方法を採用する中央銀行が増えてきている。英文「Real Time Gross Settlement」の頭文字をとって「RTGS」と呼ばれるこの決済方法は、一言でいえば、「中央銀行に対して、民間銀行が当座預金の資金振替を依頼した場合、中央銀行はこれをひとつずつ即座に実行する」というものである。

 現在のわが国も含めて、従来、ほとんどの中央銀行は、RTGS型の決済方式ではなく、「時点決済」と呼ばれる方法で、銀行間の資金決済を行ってきた。「時点決済」のもとにあっては、民間銀行が中央銀行に持込む多数の振替依頼は、ひとつひとつが直ちに決済されるわけではなく、毎日決まった時刻——現在のわが国でいえば「午後1時」、「3時」、「5時」といった時刻——まで、いったん溜め置くことになる。そして、予定された時刻が来ると、銀行毎のすべての受取額と支払額との差額が算出され、その差額を一挙に各口座に入金もしくは出金する仕組みである。

 「時点決済」が採用されていると、銀行は差額だけを決済時点に用立てれば足りることになるため、資金管理という面だけからみれば、効率的な仕組みということもできる。しかし、この仕組みのもとでは、万一、銀行がひとつでも支払不能に陥れば、その時点で、その銀行の受払いメッセージをすべて取りはずしたうえで、改めて各行毎の振替額を計算し直さなければならず、すべての決済をいったん停止せざるをえない。それだけでなく、もともと入金を見込んで資金の支払いを予定していた銀行にとっては、新たな資金不足が発生することになり、これが連鎖する可能性、すなわちシステミック・リスクの可能性も生まれてくる。この場合、中央銀行の運営する決済システムで取扱う資金規模は極めて大きいだけに、影響はかなり深刻なものとなるおそれがある。

 この点、RTGSを採用すれば、ひとつひとつの振替請求が独立して直ちに処理されるため、資金の決済が円滑に行われるかどうかは、とりあえず当事者の決済能力のみに依存することになる。言い換えれば、ある銀行が突然に支払不能となっても、システム上は、それによる混乱の及ぶ範囲は自ずと限定され、「時点決済」のように1先の支払不能が直ちに全ての決済を停止させるような事態は回避しうることになる。一部のアジア諸国も含め、世界各国で相次いでRTGSを採用する動きが拡がっているのも、こうしたシステミック・リスクの防止に焦点を当てて、各国中央銀行がシステムの整備を図ってきていることの現われである。

 以上のような事情を踏まえ、私ども日本銀行も、昨年末に、当座預金の振替方式として、今後RTGSのみを可能にする方針を決定した。具体的には、西暦2000年を目標に、日銀当座預金の「時点決済」を廃止し、「RTGS」に一本化する予定にある。そのための環境整備としては、市場参加者による新たな取引、決済慣行の形成など様々なことが必要となろうが、私どもとしても、それぞれの金融機関の努力にもかかわらず、日中流動性という「決済の潤滑油」が不足する場合には、RTGSの円滑な運営のため、日中の資金不足分を私どもが直接、供給する方針である。

 こうした日銀ネットのRTGS化方針については、昨年12月、いくつかの具体的提案とともに、私どもから公表した。幸い多くの先から貴重なご意見を頂戴することができ、関係者の方々の決済リスクに対する意識の新たな高まりを感じた次第である。一言でいえば、RTGS化に対しては、民間金融機関から強い支持が得られたものと受け止めている。頂戴したご意見の内容は、私どもの考え方や方針とともに、近いうちに公表する考えであるが、今後具体策の細部を決めていく際にも、種々有益なご意見・ご提案がいただけるものと強く期待している。実際、日本銀行の決済システムの運営方法変更は、これを利用する金融機関の実務や市場取引の慣行にも大きな影響を与えうるものであり、私どもとしては、今後このような大掛かりな運営方法の変更を行う場合には、今回と同様、広く市中からの意見を聞いて参りたいと考えている。

 以上、日本銀行当座預金決済のRTGS化について述べてきたが、一点注意を要するのは、RTGS化さえ実現できれば、それだけでわが国決済システム全体のリスクが一挙に解消するものではないという点である。たとえば、RTGS化をうけて、民間銀行がこれまで直接、日銀当座預金を動かして行っていた資金決済を、民間クリアリングを経由させて行うようになるといった場合を想定していただきたい。もし、そうした民間のクリアリングが安全性についての配慮に欠けたものであるならば、わが国決済システム全体としてのリスク量は何ら変わらないことになってしまう。つまり、日銀当座預金のRTGS化は、あくまで、これに接続される民間機構によるクリアリングの安全性が十分なものであって、はじめて期待どおりの効果を発揮することになる。そうした意味でも、繰返しになるが、民間金融機関、民間クリアリング機構と中央銀行が一体となって、わが国決済システムの効率性と安全性を高めるための努力が不可欠ということである。

 言うまでもなく、こうした民間および中央銀行による決済面でのインフラ整備の努力は、日本版ビッグバン構想が狙いとする、わが国金融市場の国際競争力向上にも寄与するものである。

証券決済システムの整備

 さて、これまで、民間および中央銀行の資金決済のシステムが満たすべき安全基準についてご紹介してきたが、一方、決済という意味では、資金決済だけでなく、国債や株式といった証券の決済分野でも、安全な制度設計のための考え方が国際的に広く普及してきている。

 本日は詳しくお話しする時間がないが、証券決済の分野でリスク削減の指針として確立しているのは、「グループ・オブ・サーティー」という国際的な専門家グループが1989年に取りまとめた提言である。

 そしてわが国でも、そうした提言を踏まえて、証券決済システムの向上に向けて、このところ大きな進展がみられている。たとえば、国債の決済については、すでにオンライン化や、デリバリー・バーサス・ペイメント化、──国債売買における取りはぐれのリスクを避けるため、国債の引渡しと代金の受払いを結びつけることにより、片方だけが単独で行われることのないようにする仕組み、略してDVP化──が実現している。また、従来、何日分もの国債の取引を「五・十日(ご・とうび)」、つまり月6回にまとめて決済していた慣行をやめ、昨年10月以降、約定の7営業日後に決済する「ローリング決済」方式へ移行している。さらに、本年4月以降は、これを約定3営業日後の「ローリング決済」方式へと改善させる予定と聞いている。

 また、ここにお集まりの皆様方と関係の深い社債の決済についてみても、これまでは専ら登録済証という名の書面の受渡しが行われる一方、代金は手形交換などを通じて別途決済されていたが、本年末にも社債の受渡しはオンラインにより可能となり、さらに日銀ネットと結ぶことで、将来的にはDVPの実現も予定されている。

 このようにわが国においても、証券決済の安全性向上に向けて様々な努力が続けられている。しかし現時点では、依然改善を要する点も少なくない。株式をはじめとして、なお現物を用いた物理的な受け渡しは大量にのぼっているし、そうした証券についてはDVPは実現していない。また、取引から証券・資金決済までの期間を極力短縮するという課題は、引続き様々な証券分野で残されている。これらの課題について、民間サイドの努力を引続き期待するとともに、私どもとしてもお役に立てることがあれば、今後とも積極的に貢献して参る 考えである。

電子マネーについて

 以上、幾つかの決済システムについて現状とシステム改善に向けての努力をご紹介してきたが、将来の新しい決済手段ともなりうる「電子マネー」についても、一言申し述べておきたい。

 電子マネーとは、ICカードやコンピュータ・ネットワーク上に資金に関する電子情報を蓄えて、これを取引相手と安全にやりとりする、エレクトロニクスのメカニズムである。近年におけるICカードやコンピュータ・ネットワークの技術進歩、さらには暗号技術の発達を受けて、各国で多数の実証実験が始められており、わが国でも、複数の金融機関や企業が、単独、あるいは共同で様々な実験を開始している。たとえば、臨海副都心の幾つかのビルでは、すでに一部の銀行が、使用場所をそのビルの中に限って、ICカード型電子マネー実験を行っている。また、来年夏には、東京の一部地域で、クレジットカード会社と幾つかの銀行によるICカード型電子マネー実験が予定されており、取扱店舗が約千店舗、カード枚数は約十万枚と、世界最大級の規模での実験になると聞いている。

 電子マネーは、いずれ、これが広く普及することになると、これまで述べてきたお札や預金に代わる、新しい決済手段として用いられる可能性がある。すなわち、人々はお札に代えて、ICカードやネットワーク上の電子情報のやりとりで、いろいろな取引の決済を行うことになるかもしれない。従って、中央銀行としては、そうした場合に備えて、電子マネーの健全性やその影響には深い関心を抱いている。そうした観点に立って、G10諸国の中央銀行は、電子マネーの様々な側面、具体的には、偽造等に対する安全性や中央銀行の行う金融政策の有効性に対する影響、決済システムの安定性などについて、幾つかの検討を行ってきた。

 ただ、今後電子マネーの技術がどのように発展していくのか、電子マネーを人々がどの程度通貨として利用していくことになるのか、あるいは、それがどのような速度で起こっていくのか、──この点については電子マネーの利便性とともに、信頼性が如何に確保されていくかがポイントになると思うが、──そうした重要な論点について、現時点では見通し難いものがある。このような状況のもとでは、様々な問題について結論を下すことは容易でないし、また、拙速な結論を下すことは適当でないように思われる。安全面、法律面への対応を含めて、電子マネーの開発運営主体が、創意工夫を行っていく余地は小さくないし、また、民間のイノベーションの力を阻害することがあってもならない。むしろ、電子マネーの発展の方向について、いろいろな可能性を見据えながら、柔軟に対応を考えていくというのが、私どもが現段階でとるべき基本的なスタンスのように思う。

 金融政策の有効性との関係についていえば、理論的には、電子マネーが小口決済のみならず、大口決済の分野でも、かなりの程度既存の決済手段であるお札や預金に代替するといった状況とならない限り、金融政策の有効性それ自体が大きく損われる可能性は小さいと考えている。もちろん、そこに至るまでの間にも、通貨指標の安定性などに一定の影響を及ぼすことはありうるが、これらは、まず、電子マネー流通量の把握や金融政策運営の工夫によって、対応を考えていくことになろう。従って、日本銀行として、このことを理由に電子マネーの開発や導入を牽制する考えはもっていないことを申し述べておきたい。

 以上のスタンスのもとで、私どもとしては、内外における民間の動向を見守りつつ、電子マネーについての研究を続けていく考えである。こうした研究の成果は、これまでにも幾つか公表を行ってきたが、今後とも、研究を深め適宜成果を発表しながら、民間部門の創意工夫を支援していきたいと考えている。

金融機関におけるリスク管理の必要性

 以上、システミック・リスクを削減していくための決済の仕組みの整備について、いくつかの分野別にお話ししてきたが、もちろんこうした仕組みさえ整っていれば決済システムの安全性が十分に確保できるというわけではない。もうひとつ重要なことは、決済を担う個々の銀行が決済リスクの把握と管理の体制を確立し、個別のリスク対策を整備していくことである。

 先ほど申し上げたように、現代の通貨制度は、「中央銀行の発行する現金に対する信認」と、「民間銀行の発行する預金通貨に対する信認」の二つの信認から成り立っている。従って、こうした通貨制度がうまく機能するためには、金融システム全体が安定的に機能する必要があり、そのためには、決済リスクの管理も含めて、銀行自身の自己責任原則に基づく健全経営が必要となる。

 リスク・マネジメントを厳格に行うことは金融機関経営にとって当然のことである。ただ、信用リスクであるとか、金利変動リスクといったものに比べ、一般に、決済に伴うリスクは、それが表面化した際の損失や混乱が極めて大きくなる可能性が強い一方で、把握・管理が容易でない面がある。実際、決済リスクは時々刻々大きく変動するものであり、これを的確に把握・管理するためには、事務処理上の技術的な事柄についても、十分な理解が必要である。たとえば、各通貨の決済システムがどのようにワークし、時差に伴うリスクはどのようなものか、といった点である。これらの情報やスキルの蓄積は一朝一夕にできるというわけではないが、リスクが表面化した場合に経営に及ぶ影響の大きさに鑑みれば、決済リスクの実態を把握し、経営レベルで必要と判断した場合、ただちにこれを削減できるような体制づくりを図っていくことが不可欠であるように思う。

 また、効率的なリスク管理の体制が整った銀行には、決済業務分野で新たなビジネスチャンスが生まれてくるものであることも、あらためて強調しておきたい。実際、欧米の金融機関においては、決済リスクの管理に思い切った資源投入を行うことで自らのリスク管理に万全を期すとともに、安全で効率的な決済サービスを開発し他の金融機関や顧客に提供することで、決済をビジネスに仕立て上げることが相当広範に行われている。決済がビジネスとして成立していることが示すように、欧米の場合、金融機関や一般の企業はこうしたイノベーティブなサービスを利用して安全で効率的な決済を実現しているわけである。

おわりに

 本日は決済システムの問題に関し、基本的な内容を中心にお話ししてきた。申し上げた内容を少々別の角度からまとめてみれば、次のとおりである。

 第一に、日常生活ではなかなか意識されないが、決済システムは、あらゆる経済活動のインフラストラクチャーというべき、たいへん重要な役割を果たしている。企業が原材料を仕入れて製品を販売し、また、家計が給与を受取って、物を買ったり送金したりするすべての活動は、お金の支払いと決済が円滑かつ安全に、──それこそ普段は意識しなくてすむように、──行われることが大前提となっている。現代社会は、この要請に応えるために、中央銀行と民間部門で構成される、複雑で精緻な仕組みを発達させてきた。金融機関や金融システムというと、通常は、お金の貸し借りにより、貯蓄と投資を結び付ける機能が思い起こされると思う。しかし、安全で効率的な決済サービスを提供することは、これと並ぶ、中央銀行と民間銀行の大事な役割であるということができるのである。

 第二に、経済取引の複雑化、国際化が進み、また、支払・決済面を含めて金融技術革新が進展する中で、決済システムの利便性と安全性を一層向上させていく努力が一段と重要となっているという点である。ランファルシー基準や、RTGS、グループ・オブ・サーティーの提言などは、まさしくそうした方向での研究や取組みの一環といえる。

 ただ、技術は日進月歩であり、決済システムの姿も、「これで終わり」といったような、最終目標があらかじめ存在しているわけではない。また金融の国際化が進むもとで、海外で生じた決済の滞りが国内の決済システムに影響を与える、あるいはその逆に、国内での決済の滞りが海外の決済システムに影響を与えるといったように、内外の結びつきも一層強まっている。そうした意味で、安全性の基準についても、国際的な視点も踏まえつつ、必要に応じて見直しの検討を加えながら、民間部門と中央銀行が一体となって、決済システムの向上努力を続けていくことが重要である。私どもとしても、自ら運営する日銀ネットの安全性、効率性の向上にさらに一層努めるとともに、民間部門の自主的な創意工夫やシステム改善の努力を側面から支援していく考えである。

 第三は、より広い意味で金融システム全般の健全性を確保することの重要性である。繰り返し述べてきたように、現代の通貨制度は、中央銀行に対する信認と民間銀行に対する信認のうえに成り立っている。そして、こうした通貨制度がうまく機能するためには、金融システム全体が安定的に機能する必要がある。

 民間銀行に対する信認を確保するうえでは、まず、銀行自身の自己責任原則に基づく健全経営が基本になる。一方、決済システムの一角に問題が生じ、それがシステム全体に及びそうな場合──先ほど申し上げたように、そうしたリスクをまずもって防ぐ手立てを講じることが重要であるが、それでもなお不幸にしてシステム全体への影響が見込まれる場合──には、中央銀行は「最後の貸手」機能を使って、国民生活に深刻な影響が及ばないようにすることが必要である。中央銀行にとって、システミック・リスクの表面化を防止するためには、個々の金融機関経営の健全性に加え、金融システム全体として過度なリスクの集中が起きていないかどうか、あるいは金融機関取引の連鎖が円滑に決済されているかどうか、といったことを、日頃から金融機関考査や日常のモニタリング活動を通じて把握しておくことが不可欠となっているのである。

 以上、本日の話のまとめを試みたが、言うまでもなく決済システムはここにお集まりの企業、あるいは個人の方々のために存在している。金融システムの健全性確保をひとつの使命とする中央銀行として、私どもとしても、これからも皆様方から様々な点でご意見を賜りながら、わが国決済システムの安全性や、効率性を向上させて参りたいと考えているので、よろしくお願い申し上げる。

 ご清聴に感謝する。

以上