ホーム > 日本銀行について > 講演・記者会見・談話 > 講演・記者会見(2010年以前の過去資料) > 講演・挨拶等 1998年 > アジア経済と日本の役割 ──1998年10月29日、第24回日本・アセアン経営者会議における速水日本銀行総裁基調演説

アジア経済と日本の役割

1998年10月29日、第24回日本・アセアン経営者会議における速水日本銀行総裁基調演説

1998年10月29日
日本銀行

1.はじめに

 本日は、日本・アセアン経営者会議にお招きいただき、たいへん光栄に存じます。

 私は、20年ほど前に日本銀行から民間の商社に転じ、アジアの国々との貿易を通じて、アジア経済の発展をつぶさにみてまいりました。また、経済同友会の仕事を通じて、この日本・アセアン経営者会議に深く関わることができましたことを、たいへん誇りに感じております。この3月からは再び日本銀行に戻り、マクロの視点から、引き続き日本経済、アジア経済の動向をフォローし、行動する立場となりましたことを、感慨深く受け止めております。

 本日は、アジアと日本との経済関係を改めて踏まえたうえで、日本、あるいは私ども日本銀行がどのような役割を果たしていこうとしているかについてお話しし、これからの議論の参考としていただきたいと思います。

2.相互依存関係にあるアジア経済と日本経済

アジア経済と日本経済の相互依存の強まり

 一口にアジア経済といっても、社会的、文化的な多様性や経済の発展段階の違いは大きく、これを一括りに論ずることは本来適当ではありません。しかし、昨年来の景気の低迷と金融システムの不安定化は、アジア経済にとっても日本経済にとっても、共通する、深い悩みとなっています。そして、そこには、アジア地域内の相互依存の関係が大きく影響しているように思われてなりません。

 そこで、まず、アジアと日本との経済関係について、データに即してみると、貿易面では、1980年代半ばを境に、輸出入の双方向で関係が急速に深まりました。たとえば、85年時点での日本の輸出入に占めるアジア向けのシェアは20%台後半であったのに対して、90年代には4割前後まで上昇し、最大の貿易ウェイトを占めるようになりました。なかでもアセアン諸国のシェアは、輸出入とも全体の15%程度に達しており、日本の貿易にとって、今や、もっとも重要な地域の一つであることは疑う余地がありません。

 また、資本取引面をみると、80年代後半以降、円高・ドル安によって加速された、日本企業による生産拠点の海外シフトの動きを反映して、アジア向けの直接投資が大きく増加しました。届け出ベースの統計をみると、85年には14億ドルであったものが、90年には71億ドルまで増加し、さらに97年には122億ドルに達しております。また、このうちアセアン諸国向けは78億ドルと、半分以上を占めるようになっております。

 以上がデータ面からみた、アジアと日本とのつながりですが、それ以上に印象的なのが、この間の質的な変化です。70年代までの貿易関係は、もっぱら日本がアジア諸国から原油や鉱物資源を輸入して、加工製品を輸出するかたちで展開しました。その後、アジア諸国の生産力が上がり、繊維製品などの軽工業品の分野を中心に、アジアと日本の製品が競合関係を強めるに至りました。しかし、80年代半ば以降は、そうした競合関係を一部に残しつつ、新たな相互依存の関係が生まれています。すなわち、パソコンやオーディオ機器などをその典型例として、日本が部品類や半製品をアジア諸国に輸出し、アジア地域でこれを加工し、完成品として、日本や欧米地域に輸出するといった貿易構造が出来上がってきました。この結果、日本のアジアからの製品輸入は飛躍的に増加し、今や、アジアからの輸入の約7割を製品輸入が占めるに至っています。つまり、新しい国際分業体制の確立です。この結果、最近では、日本の内需不振に伴ってアジア地域からの製品輸入が減少すると、それと同時に、日本のアジア地域向け輸出も部品類などを中心に一部減少するといった対応関係がみられています。

 昨年夏からのアジア通貨危機は、アジア諸国に代わって日本が他地域に向けて輸出を伸ばす以上に、日本のアジア向け輸出をはるかに大きく減少させ、日本経済にマイナスの影響をもたらしました。これも、アジア諸国と日本とが、世界的な分業体制のなかで、相互補完の関係を強めていることを端的にあらわす例であると思います。私は、こうした、日本を含めたアジア域内の相互依存関係の強まりを互いに十分認識したうえで、それぞれの国が健全な発展を遂げるよう努めていくことが何よりも大事ではないかと考えております。

アジアの通貨危機について

 そこで、昨年夏以来のアジア通貨、金融危機について若干振り返ってみたいと思います。

 昨年夏場のタイ・バーツに端を発したアジア通貨危機は、その後周辺アセアン諸国からNIES諸国へと広く伝播するかたちで、これら諸国の通貨、株価の下落をもたらしました。また、市場の一部では、一時、中国人民元や香港ドルを巡る思惑も生まれました。

 こうした中で、マレーシアでは、通貨防衛のための厳しい緊縮策に伴う内需の落ち込みを眺めて、資本・為替取引への規制を導入し、国内では金融、財政政策を緩和する方向への転換に踏み切りました。また、香港では、投機筋による為替、株式の売り圧力に対抗するため、外貨準備を使った株式市場への介入を実施するなどの動きもみられています。

 さらに、ロシアや中南米地域の為替市場にも混乱が波及するに伴い、国際的な資本取引が批判の対象とされることが増えてきました。

 確かに、最近の目まぐるしい資本移動は、いったん回りだした歯車を加速させる方向に働いた面があるように思います。しかし、アジア諸国にとっては、海外からの資本流入が地域の発展をこれまで支えてきたことも疑いがありません。資本取引に関する私の考えはのちほど改めて述べますが、高水準の資本流入がなければ、現在みられるようなアジア各国経済の目覚ましい発展は難しかったでしょうし、国際的な相互依存の関係もこれほど強まらなかったように思います。

 このように考えると、まずもって大事なことは、やはり、資本流出入の大きな振幅を生んだ背景が何であったのかを突き止め、これへの的確な対処を図っていくことであると思います。この点については、すでに多くのポイントが指摘されてきました。マクロ経済面では、長期にわたる高成長のもとで資産価格の上昇がみられたこと、比較的高水準の対外赤字が続いていたこと、こうしたことにもかかわらず、政策面からの対応が遅れたことが指摘されています。また、各国の金融システムが脆弱であったことも、国内経済の過熱と収縮を生む一つの要因となりました。海外からの高水準の資本流入もあって、金融機関は、プルーデンスを欠いたまま投機的な不動産融資や、あとから振り返ってみれば非効率な投資を進めたわけです。さらに、非弾力的な為替相場制度の存在が、それぞれの局面で資本移動の振れをさらに大きなものとしたことは否めないように思います。

 しかしそれでは今回の経済危機をきっかけに、アジア経済は発展の基盤を失ったということでしょうか。私はそのようにはまったく考えておりません。確かに、アジア経済の再出発のためには、少なからぬ点で制度的な改革が必要ですし、その間にはある程度苦しい時期が続くことを覚悟する必要がありましょう。しかし、アジア経済は様々な点で優れた特質を有しています。たとえば、東アジアの国々においては、教育水準が相対的に高く、質の高い労働力が生産性を支えていく基盤は確保されているように思います。さらに、今後とも労働力自体の増加が見込まれるほか、将来の成長を実現していく上での基盤となるインフラ整備も進んできております。

 こうしたことを踏まえると、アジア経済は、適切なマクロ政策の運営と金融システムの強化を図っていくことによって、再び発展への軌道を取り戻しうるものと思います。実際、すでにいくつかの国では、緊縮的なマクロ政策運営が効果を挙げ、内外からの信認を徐々に回復しています。このように各国が適切な対応をとることによって、その先には、アジア経済の新しい発展段階が必ずや拓けてくるものと強く確信する次第です。

3.アジア経済と日本の役割

日本経済の回復に向けての課題

そこで次に、こうしたアジア経済の展開のなかで、日本はどのような役割を果たし、どのように貢献していくべきかについて、簡単に述べたいと思います。

 まず、何といっても大事なことは、日本経済の回復を一刻も早く実現し、アジア経済にとっての、不透明材料のひとつを払拭することです。

 残念ながら、日本経済は、バブル崩壊後7年余りを経た今もなお、回復に向けての明確な展望が拓けておりません。むしろ今は、金融システム問題の解決が遅れてきたことが、経済に一層強い圧力となって働いている状態にあります。こうした経済情勢のもとで、我々がなすべきことは、第1に金融システムの早期建て直しを図ること、第2に経済の思い切った構造改革を進めること、第3に、その間にあって、金融、財政の両面から景気をしっかりと下支えしていくことであると考えます。

 第1に、金融システムの早期建て直しについては、不良債権の抜本処理、自己資本の強化、経営戦略の確立の三つがキーワードとなります。

 先々週閉会した臨時国会では、わが国金融システムの再生に向けて精力的な検討が加えられました。この結果、経営の健全性の確保が困難な金融機関については、実体経済に重大な悪影響を及ぼすことなく、円滑に対処できるよう、「特別公的管理」の制度──すなわち、一時的な国有化の制度──などが導入されました。一方、存続可能な金融機関に対しては、公的資金による資本増強を行い早期に健全性を回復させるための新たな枠組みが設けられ、その投入の基準も明確にされました。さらに、これらの枠組みに対する公的資金の枠も、これまでの30兆円から60兆円へと大幅に拡充されました。

 日本にとってもアジア各国にとっても、健全な金融システムは、経済の発展にとって欠かすことのできないインフラです。先の臨時国会で成立した様々な制度的な枠組みは、わが国として、国をあげて、金融システム問題の抜本的な早期解決を目指すという決意のあらわれと受け止めていただきたいと思います。

 今後の課題は、こうした枠組みをいかに的確かつ十分に活用していくかという点です。たとえば、公的資金の投入について言えば、具体的に各金融機関がどのようなテンポで、どれだけの規模でこれを取り入れていくかは、金融システムの強化を図る上で大変重要なポイントとなります。また、金融機関に強固な経営体質——すなわち収益性の向上や健全性の確保——を求めつつ、当面の問題としてクレジットクランチの広がりを防ぐというのも、たいへん難しい課題です。このことは、わが国金融機関の海外での活動にも影響を与えることになりましょう。

 私どもとしては、こうした課題を克服し内外市場の信認を回復するためにも、必要があると考える先は、是非できるだけ早いタイミングで、公的資金の取り入れに手を挙げて頂いて、しっかりとしたディスクローズのもとで、不良債権を抜本的に処理することが重要と考えております。また、もちろん、資本増強のみで金融システムの再生が完了するというわけではありません。各銀行におかれては、引き続きリストラクチャリングに注力するとともに、金融再編の流れをみながらその将来の方向を見定めたうえで、確固とした経営戦略を練り上げていくことを、強く期待します。

 このように、私どもとしては、金融システムの抜本解決に向けて、具体的な行動が早期に開始されることを強く期待しております。それと同時に、私ども日本銀行としても、システミックリスクの顕現化を防止するため、マクロ、ミクロの両面から必要な流動性の供給に努め、金融システムの安定に万全を期していく考えであります。

 第2は、経済の思い切った構造改革を進めることです。

 長期にわたる日本経済の不振は、只今述べたように、バブル期につくられた不良債権の処理が遅れたことによる面が大きいわけですが、それだけというわけではありません。

 1980年代後半には、日本でも、低金利のもとでかなり高水準の設備投資が行われました。しかし、これらの設備投資は、同時に進行しつつあった、大きな環境の変化 ──すなわち、情報技術革新の急速な発展や、日本とアジア諸国との関係の変化に象徴される、国際的な経済環境の変化、さらには、わが国における高齢化などの長期的なうねりの中での、人々の意識や行動様式の変化など ──に対応し、新しい成長分野を切り拓く上で、必ずしも十分な役割を果たすものとはならなかったように思います。

 このように考えると、日本の経済的、社会的制度は、情報分野での技術革新を軸とした新しい時代の展開を、うまくサポートできなくなっているのではないかとの疑問に突き当たります。たとえば、現在の経済的、社会的な制度は、リスクをとって、新しい事業を興す起業家たちを十分にサポートするものとなっているでしょうか。あるいは、むしろそうした動きを阻むものとはなっていないでしょうか。こうした構造的な問題は、単に規制の緩和、撤廃にとどまらず、税制改革や労働市場のあり方、金融市場改革など広範な分野での見直しを必要とします。また、こうした取り組みは、短期間に眼にみえて成果が挙がるというものではありませんので、一見迂遠なアプローチにみえるかもしれません。しかし、不良債権処理の次の段階として、日本経済の新しい発展を展望していくためには、どうしても潜在的な投資機会を実現していくための経済構造の確立が必要となります。そのためには、やはり、思い切った構造改革への取り組みが不可欠と考えます。

 第3は、不良債権処理を進めていく厳しい過程にあって、金融、財政の両面から景気の下支えに努めることです。

 わが国の景気は、設備投資の急速な減少や雇用・所得の落ち込みなど、全体として依然悪化が続いております。物価も軟調な状態が持続しています。私どもでは、こうした経済情勢を踏まえて、さる9月に一段の金融緩和を実施し、コールレートの一層の低下を促しました。

 その後、長短市場金利は順調に低下し、貸出金利の低下も実現しつつあります。しかし株価はなお回復感に乏しい状態にあるなど、市場のコンフィデンスが回復するまでには至っておりません。また、米国経済の不透明感の強まりや円相場の反騰といった、新たな事態も生まれてきています。

 このような情勢に対して、私どもとしては、今後、金融政策の効果と、財政面からの景気支持策、金融システム対策の効果とが相俟って、景気の下支えに寄与していくものと期待しております。幸い、財政面からの対応として、総合経済対策の実施に加えて、政府からは第三次補正予算と所得税、法人税減税を柱とする景気回復への取り組みが表明されています。これらからみて、私どもとしては、景気の悪化テンポは今後和らいでくるものと見込んでいます。ただ、企業や家計のコンフィデンスがなかなか強まらない現状を踏まえれば、今後とも景気の情勢については、十分注意してみていきたいと考えております。

 金融政策面では、先月の金融緩和措置を受けて長短金利ともすでに限りなく低水準となってきており、採りうる手段は大方打ってきたというのが、私の実感です。

 金融市場の動きをみると、金融機関の外貨手当てに対する不安感から、国内市場においても年末越えの金利に強い上昇圧力がかかっております。私どもとしては、現在の金融調節方針のもとで、コマーシャルペーパー(CP)の買オペなどを積極的に活用することによって、年末越えとなる資金を含めて、引き続き潤沢な資金の供給に努め、景気の下支えに寄与するとともに、市場の安定に万全を期していく考えであります。

国際金融面での協力

 以上、日本経済の回復を実現するために、わが国が取り組むべき課題についてお話ししましたが、日本がアジア経済に貢献していく観点からは、このほか、たとえば国際金融面からの協力やわが国金融市場の整備が挙げられます。

 国際金融面では、先程も述べたように、最近では短期資本取引を規制してはどうかとの議論が一部に出てきています。しかし、その手段や実効性に疑問が残るだけでなく、そうした規制を設けることは、国際的な資金の効率的配分という、資本移動の本来の機能を阻害することにならないかという問題があります。デリバティブや短期金融取引がしばしば長期資本取引のヘッジに使われることを想起すれば、短期資本取引に対する直接的な規制は、資本取引全体を阻害してしまうおそれがあります。したがって、資本移動の規制の問題は、十分慎重に取り扱うべきことと考えています。

 そうした観点も踏まえると、もっとも重要なことは、やはり、各国がマクロ政策面から適切に対応していくということであり、そうしたマクロ政策面からの機動的な対応が可能となるよう、まず、国際的な資本移動にかかる基礎的なデータを整備することではないかと考えます。そのうえで、たとえば、資本取引に深く関わっている機関投資家に対しては、その健全性維持といった観点から、何らかの対応をとることが適切かどうかといったことを検討していくことになるものと思います。

 また、国際的な金融システムに動揺が生じた際には、必要に応じて、国際的な協力体制のもとで当該国に流動性を供与していくことが引き続き重要となります。IMFを中心とした国際金融システムに関しては、より強固なあり方について新たな議論が開始されております。また、日本政府もこれまでアジア各国の困難な事態に当たっては、積極的な対応を採ってきております。私ども日本銀行も、昨年夏におけるBISを通じたタイ国への支援表明や昨年末の韓国向けつなぎ融資の実行など、いくつかの対応を図ってきたところであり、今後とも国際金融市場の安定に十分に意を用いていきたいと考えております。

わが国金融市場の整備

 わが国がアジア経済に貢献していく上でもう一つの重要な課題は、国内金融市場の整備です。アジア諸国の為替制度は、この1年ほどの間に、より弾力化されてきましたが、これにつれて、長い眼でみると、各国の政府、中央銀行や企業は、外貨準備や資金の運用・調達をより多様な通貨によって構成していく方向に向かうのではないかと想像されます。そうした中で、「円」についても、より使い勝手のよい環境を整えていくことが、国際経済に対してわが国が果たすべき重要な責務であると考えております。

 このために重要なことが、安全で効率的な資金の運用・調達の場としての短期金融市場の整備であり、その具体策の一つが、現在私ども日本銀行が事実上ほぼ全額を引き受けているFB(政府短期証券)について、公募入札を実現することにより、その市場を創設することです。この点については、関係者の理解を得て、早期に実現するよう、引き続き最大限の努力を払っていきたいと考えております。このほか、決済システム、会計制度、取引慣行など、改善すべき課題は少なくありません。日本銀行としても、そのひとつひとつが着実に改善され、アジア諸国の方々にとって、より使い勝手のよい金融市場が確立するよう、一層の努力を払っていきたいと考えております。

 以上、鏤々述べてまいりましたが、冒頭にお話ししましたように、アジア経済と日本経済のつながりは一段と強いものとなってきております。そうしたなかで、互いに率直な意見交換を行い、それぞれの困難を克服していくうえでの参考としていくことは、たいへん貴重と考えます。こうしたことを踏まえて、それぞれの国が適切な政策対応を図っていくことによって、アジア経済はより高度な発展を遂げていくものと確信しております。私ども日本銀行としても、これまで述べた日本経済の課題に対して、中央銀行の立場から真摯に取り組んでいく覚悟であります。

 本日からの会議が成功裡に進むことを期待して、私からの話を終えさせていただきます。

 ご清聴を感謝します。

以上