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現在の雇用問題 ----流動化vs固定化----

中部経済倶楽部における篠塚英子審議委員講演(4月28日)要旨

1999年 5月13日
日本銀行

1.はじめに

 これから現在の雇用問題として、雇用の流動化と対立する固定化というテーマでお話をさせていただきます。このような機会を得ましたことを、中部経済倶楽部に深く感謝しております。

 私は、お茶の水女子大学で労働経済を研究していたが、昨年の4月、同大学を退職して日本銀行政策委員会審議委員に就任した。本日は金融政策のテーマではなく、これからますます厳しい状況になると思われる雇用に焦点を当てて話をしたいと思う。というのは、金融政策の現場に1年間携わった経験からすると、この1年間はとにかく景気を良くすること、金融不安をまず取り除かなければならないということからスタートしたというのが実感である。審議委員に就任した時点で、既に雇用に対する懸念が政策委員会においても認識されていた。私自身は労働経済が専門であるから、この点に対する懸念を非常に強く感じており、このままではいけないと思っていた。しかし、金融政策で直接働きかけられるテーマではなく、マクロの財政政策によって解決すべき問題であると考えていた。この点、現在政府は思い切った対策を打ったといっているが、私自身は雇用に対しては大きな対策が打たれないままに来たと感じている。

 本日の話の内容は3つである。第1は、現在の雇用問題と金融問題との関係について、第2は、現在の雇用問題がどのようなところにあるかという実態について、第3はこうした雇用問題に対してどのような対応をしたらよいかという政策の対応についてである。この雇用問題に対する政策については、雇用の現況をどうにみるかによって、それぞれ対応が異なってくる。私はこの点を、労働の流動化と労働の固定化という相対立する視点からみていきたいと考えている。

2.バブル崩壊と構造問題

 1999年2月の完全失業者数は315万人で、初めて300万人の大台を突破した。完全失業率(季節調整値)も4.6%と、これまで低失業を誇っていた日本が完全失業率では米国の同月4.2%と逆転した。1年前の98年2月時点の失業率は、日本3.6%、米国4.6%であったから、この1年間の日米間の動きが如何に対照的であったかが分かる。バブル崩壊の時期を経済成長率がゼロ%台に転じた1992年度(0.4%)とすれば、日本経済はバブル崩壊後ほぼ7年を経過したにもかかわらず、依然として景気回復の確たる指標が見いだせぬまま厳しい不況の中にあることになる。そして、戦後初めて経験した1997年秋の大手金融機関の破綻(山一証券、北海道拓殖銀行)以降、日本経済は危機的な状況の中を歩いており、財政・金融政策も限界といわれるほどの総動員をし、現在ようやくつかの間の小康状態にある。

 長引く大不況の直接的な要因は、金融機関の不良債権処理の先送りにあると言われている。しかし、これは表面的なことで、潜在的にはこれまでの日本経済が抱えてきた金融を巡る構造問題が一挙にマグマとして噴出し、全貌がみえてきたからではないかと思う。構造問題の一つに、経済主体にとって重要な「情報開示」の思想が欠如していたことが挙げられる。国も企業も個人も含め、今どのような状況に陥っているのかという正確な情報を明らかにすることに熱心ではなかったと思う。このために、金融機関の巨額な不良債権が個別金融機関において処理できる限界を超えていても、国民ははっきりと知ることができなかった訳である。漸く公的な救済措置が必要であることが理解され、法律が施行された後、公的資金が投入されたのは本年3月末のことである。

 もう1つの構造問題として、日本企業の資金調達がある。これまで日本の金融機関に対しては、大蔵省の行政指導の下で様々な規制が課せられていた。他方、企業はメインバンク制という安定した間接金融に依存して資金調達が容易にできたため、特に問題がなかった。そのため直接金融の発達が米国などに比べて大きく遅れをとっていた。こうした中で金融不安が発生すると、企業は金融機関の貸し渋りに直面し、代替する資本市場の不備のため、実体経済までもが機能麻痺の状態に陥ったのである。大企業でさえ資金繰りに苦慮するという前代未聞の状況に会い、中小企業の倒産件数も増大した。

 さらに大きな構造問題は、日本の巨大な個人金融資産の偏在である。日本は世界的に高い貯蓄率を誇ってきたが、社会保障制度が安定してくると次第に貯蓄率が低下してきていた。しかし、バブル期以降は緩やかに上昇あるいは横這いになった1。その背景として、人口の高齢化、若年人口の減少による公的年金制度の財源問題顕在化、人々の年金不安を背景とした病気・介護など将来への不確実性、それに対応したサービス産業の未整備などが挙げられる2。このような背景があるために、巨大な個人資産がありながら、金融資本市場へ投資が移動しなかったことも金融問題を深くした一因として挙げられると思う。

  1. 1家計の貯蓄率は1980年度17.9%、85年度15.8%、90年度11.6%、96年度13.4%(経済企画庁『国民経済計算』)。
  2. 2高齢者が貯蓄を取り崩す時の理由の第1位が、「病気や介護が必要になった時など、万一の場合以外は取り崩すべきでない」(50%)で、2位の「普通の生活を維持するために、普段から少しずつ取り崩してもよい」(12%)を大きく引き離している(総務庁『高齢者の経済生活に関する意識調査結果』 1996年)。

3.雇用問題の発生

 こうした構造問題を抱えた中での、雇用を巡る問題について整理してみる。

(1)金融機関および融資先企業における雇用削減

 大手15行は金融機能早期健全化法において「経営健全化計画」を策定・提出し、99年3月末、公的資本投入を受けた。「経営健全化計画」の主たる内容は、収益計画(不良債権処理計画を含む)、リストラ計画、貸出計画(中小企業向け貸出計画等)などである。今後、経営健全化計画の履行状況のチェックが金融再生委員会・金融監督庁のモニタリングの大きな柱になると思われる。同時にこの計画の履行状況は、市場による判断材料としても活用されると予想される。特に、収益計画に沿った厳しい業務再編や雇用削減、リストラ計画の実現のために、これら大手行は新たな融資先の選別が必要で、優良かつ健全な借り手企業の獲得を目指して熾烈な銀行間競争が生じると思われる。このことは、金融機関自身に雇用削減を求めると同時に、その資金の融資先企業に対しても、厳しい経営計画と雇用削減が要求されることを意味する。

(2)資本市場の評価とリストラ

 金融不安の渦中で内外の直接金融市場において、公社債や株式などにより資金調達しようとする企業に対して、市場からはリスク回避のために厳しい評価や格付けがなされた。間接金融よりはコストの安いこれら市場から資金を調達するために、企業は「市場の声」(小塩、1999)を無視できなくなった。マクロでは株価の下落は失業の増加をもたらすが、ミクロの企業のベースでは人員の削減が株価を押し上げる要因となり、経済学でいう合成の誤謬が発生している。

(3)中小企業とバブル

 1980年代に入ると、金融の自由化・国際化が進行し、主として大企業では資金調達の自由度が増し、「銀行離れ」、すなわち間接金融から直接金融へのシフトが生じた。これは銀行にとっては主要な貸出先を失うことになるため、代わりに中小企業への貸出しを積極化した。その結果が、バブル期における中小企業向け貸出の大幅な増加と大企業向け貸出の縮小となって現れた訳である。

 企業向け貸出を行うためには、銀行は多くの情報を集め、審査を行う必要があるが、多くの中小企業は情報の蓄積の少ない新たな顧客であるため、融資には財務内容の審査や貸出実行後のモニターなどコストがかかった。そのコストを軽減するため、バブル期には不動産担保があれば十分な審査をせずに融資が実行された。しかしその結果、バブル崩壊後の地価下落により、中小企業向け貸出において不良債権問題が深刻化し、中小企業における雇用問題を惹起するとともに、企業倒産を招いたといえる。

 ところで、第1次オイルショックの時も戦後初の大不況と言われたが、現在と大きく異なる点は、この時は主として大企業からの雇用減少が生じて、これを慢性的に良質な人材不足にあった中小企業がチャンス到来とばかりに吸収できたことである(篠塚、1989)。これに対しこの度の不況では、中小企業にはバブル後遺症が重くのしかかっており、雇用吸収力が激減したことで、これが現在の雇用問題を一層深刻にしているといえる。

 因みに雇用変動が何によってもたらされるかを、雇用過剰感(中・長期的な雇用計画を含めた要因とみなす)とGDP(短期的な需要変動要因)の2つの要因に分けて、従業員規模別に分析した結果からみてみる(経済企画庁、1999)3。すると、99人以下の中小企業の雇用変化率は、かなりの部分を需要変動要因によって説明できるのに対し、100人以上(大企業とみなす)では逆に、雇用人員判断による要因の方が雇用変動をよく説明している。すなわち、大企業では、GDPの変化といった需要動向が直ちに雇用に影響するのではなく、長期的な人員判断で雇用を調整していくゆとりがあるのに対し、中小企業では需要動向が直接雇用の増減を左右することを示している。つまり、第1次オイルショック時において雇用吸収力のあった中小企業の雇用行動と、今日における雇用行動とでは様変わりしているのである。

  1. 3従業員99人以下と100人以上に分けた雇用者(総務庁『労働力調査』)の前年比を被説明変数に、雇用人員判断D.I.(日本銀行『短観』)と実質GDP前年比の2つを説明変数にして、1984年第1四半期から98年第3四半期の期間について、回帰分析した結果による。

(4)人事政策の見直し

 企業は生産調整という量的な調整を行ううえで、賃金や組織、財務を抜本的に見直す組織編成替えの動きに着手した。このようにして始められた分社化やグループ化の動きは、経営の効率性を高め、人事体系の見直しと人件費削減をもたらしている。

 人材の選別は一層強くなり、内部労働市場ではより選別された組織のコアになる人材についてはより固定化、長期勤続させる傾向が統計的にも認められている。常用雇用労働者のここ20年間の年齢階層別勤続年数の動きをみると、年齢計全体では長期勤続化、固定化の動きがみられる。しかし、年齢別では、40歳以上の層では長期勤続化、固定化の傾向が強まっている一方、39歳以下の若い層では長期勤続化の傾向は認められない。このように、内部労働市場においてコアになる人に長期勤続化、固定化の傾向がみられる一方、若い層では労働の流動化が進んでいるという二極化がみられるといえる。

 こうしたなかで、年功賃金の見直しがどのように進められているかをみると、団塊の世代を含む1946年から1950年にかけて生まれた層の賃金カーブ、賃金プロファイルは、次第に年功型から厳しい形での見直しが進んでいる4

  1. 4労働省『平成10年労働白書』214頁。

4.労働の流動化

4.1定義

 わが国で「労働の流動化」という言葉を明確に打ち出し、議論の口火を切ったのは、日本経営者団体連盟(以下日経連)の『新時代の「日本的経営」——挑戦すべき方向とその具体策』(1995)でなかろうか。この報告書における定義とは、次のとおりである。『企業は人材の有効活用と人件費負担の軽減のために、「企業での能力発揮」ができないものを「社会全体として活用する」ために、「人材の流動化」をはかり、要員管理は少数精鋭」とする方向を模索すべきである。また、「総人件費」を徹底管理し、「職能・業績を重視した職能昇給」や「ラッパ型の賃金管理」を志向することが必要になる。このような方向性は「雇用の流動化」と総称される』(依光正哲/石水喜夫、1999による要約)。そこでは、40歳代以上の必要な人材については少数精鋭化を図り、より固定化を徹底するが、そうでない人たちについては、流動化を図るということが報告された訳である。

 こうした労働の流動化についての論点をアトラムダムに列挙すると次のようになる。

  1. 第1に、日本的雇用慣行の根幹にある労働の固定化を支援してきた法律、制度、年功制や退職金制度が市場の自由な競争を阻害しており、これらの見直しが必要であるというものである。
  2. 第2は、長期展望によれば将来の労働力不足が心配で、これに対処する条件として労働の流動化を議論すべきであるというものである。
  3. 第3は、物、マネーの自由化にあって人の流動化も規制緩和の一環として避けて通れないというものである。
  4. 第4は、今後の産業構造の変化に柔軟に対応できる労働移動のシステムが必要であるというものである。

 こうした議論は、主として企業側、産業側の要請が強く出ていると思われるが、他方で実際に固定的でない縛られない働き方をしたいという労働供給側(30歳代以下の若い世代)からの要請もあったと思われる。

4.2代替的雇用調整型労働

 労働の流動化といっても、実際に流動化比率を計測するのは難しい。こうした中で最も適当なものとして、アメリカのCohany(1998)が著した「代替的雇用調整型労働」という論文における計測が挙げられる。これは米国労働省の統計を利用したもので、この統計は日本の総務庁における労働力特別調査に相当する。具体的には、米国労働者を流動型と固定型に分け、さらに流動型の中身を、(1)独立契約型(自営業的な弁護士、会計士など自分で契約)、(2)日雇い型(代用教員、建設労働者などその日その日必要な時に雇用)、(3)人材派遣型(登録型)、(4)企業契約型(企業から派遣)に分けている。この中で一番多いのが独立契約型で男性が多く、次いで日雇い型で、これは女性の比率が高い。そして人材派遣型、企業契約型と続く。1997年2月の調査によれば、これらを合わせると米国の流動化比率は9.9%と雇用者の約1割になる。この流動化比率は、1995年調査時比ほとんど変化していない。

 なお、パート労働との関係については、大半の「代替的雇用調整型労働」はフルタイム就労であり、パート労働には含まれないのではないかとCohanyは述べている。日本では、パート労働法によりパート労働者も一部は社会保険に加入しており、休日などもフルタイムに準じて適用されているなど「常用的パート労働」と扱われている点を考慮すると、パート労働を流動化の定義から除外することが適当であろう。

4.3日本の流動化比率

 これと同様の定義を日本に当てはめてみる。総務庁『就業構造基本調査』を用い、パートを外して計算すると、1997年の日本の流動化比率は11.0%で、男性(9.7%)より女性(12.7%)の方が高くなっている。その限りでは日米の流動化比率は接近している5。5年前(1992年調査)の流動化比率は9.5%であったから、日本ではこの5年間で流動化が進んだといえる。しかし、米国の独立契約型のような男性にも魅力的な働き方とはなっていない。このように日本の流動型労働は量的には米国と遜色がないが、質的には不安定雇用の吹きだまりのようであり見劣りがする。専門的、技術的側面でエキスパートとして層の厚い外部労働市場が育成されるかどうかは、企業と無縁な流動型労働者がどのようにして技能を維持し、開発していくかにかかっている。

 他方、内部労働市場で守られている正規雇用労働者についてみると、このコアの部分、企業の中核を担う核となる有能な正規雇用者については、より一層選別が進むとともに、固定化が強固に守られるだろう。以上をまとめると、労働の流動化が進んでいく一方で、内部労働市場では中核となる正規雇用者の存在がより重要となっており、2つの異なる流れが進んでいるということである。

  1. 5流動化比率の分母は米国では雇用者総数であるが、日本では役員を除いた雇用者であり、若干差が出る。日本のベースを米国に合わせると日本の流動化比率は11.0%から10.2%となり、米国の9.9%により近似する。

4.4流動化と労働法の改正

 次に、労働の流動化に対し、どのような法的な対応が行われてきたかをみてみたい。

 労働の流動化と並行してここ10年来、雇用関係を中心とした労働法の大きな改正や創設が続いてきた。こうした動きの背景には、第1に将来の労働力供給の制約からくる労働力確保の必要性、第2に多様な働き方の支援という、大きく2つの流れがあると思われる6。このような流れに沿って以下のようにいくつかの法律が整備されてきている(両者は相互に関連し合っている)。

 労働力の確保という観点からは、男女雇用機会均等法(1985年制定、99年4月改正法施行)が挙げられる。また、労働基準法における女性保護規定が撤廃(1947年制定、99年4月改正法施行)され、女性が積極的に労働市場へ出てくることが期待されている。これと繋がるのが育児休業法(1991年制定)、育児介護休業法(1995年制定、介護は99年施行)である。更に、フルタイムでは働けないという労働者をサポートするものとして、パートタイム労働法(1993年制定)がある。

 他方、多様な働き方を支援する法律として、有料職業紹介事業法(1990年29職業でスタート後、97年4月にネガティブリスト方式<不許可の職業のみ特記し残りは自由化>に改正)及び労働者派遣法(1985年6月に13業種のみ許可されたポジティブ方式でスタート後、96年派遣労働者保護を図る改正を実施。現在派遣が認められているのは26業種)の改正が本通常国会で審議されている。この間、労働基準法(1947年制定、82年労働時間規制を弾力化)については、98年10月に労働時間や労働契約、新裁量労働制、1年単位変形労働時間制に関する抜本的改正がなされ、一部を除いて本年4月に施行された。

  1. 6安枝英のぶ(1999)は、ここ10年の労働立法が3つの基準により形成されたとして、第1に労働力供給、第2に雇用形態の多様化、第3に職業生活と家庭生活の両立の3つを掲げているが、筆者は第3は第1に含めてもよいとみている。(安枝英のぶ「働き方の多様化と法的規制の再編成—1998年労働基準法改正への視点—」 『日本労働研究雑誌』1999、Feb.—Mar

4.5生産年齢人口の減少

 この先20年の労働力を日米で比較すると、米国はまだこの先20年は生産年齢人口が増加を続けるのに対し、日本は2000年から減少に転じる。また、日本の高齢化率はこの先急カーブで上昇し、2020年には27%に達する。

 現在、過剰設備の廃棄が経済の重要な課題となっている一方で、今後登場する新産業に対応する労働力をどう確保するかという問題が控えているように思われる。そうしたことに対しては、高齢者の活用、女性労働力の活用、外国人労働者の活用ということが言われている。ただ、高齢者の活用については、企業側にも本人の体力にも限界があると思われる。女性の場合、未だ労働力率が50%にしか達していないので、半分の女性は法整備の仕方次第では労働市場へ参加していくことができる。そのために、雇用機会均等法やパート労働法、育児休業法が整備されてきた訳である。法整備だけでなく、企業や家庭における育児と就労の両立のための環境整備が必要ではあるが、現在の厳しい経済情勢の中で、まだ十分に議論が活性化していないのが実情である。

5.ディレンマ——流動化vs固定化

 労働市場を吹き荒れる流動化と固定化というこれら一連の流れに対して、研究者の間でもかなり大きな思想上の相違があるようにみえる。まず、中立的な意見を述べている者として、間宮(1998)が挙げられる。彼は、「経済はディレンマに満ちているから経済政策はアート、すなわち技法という性格を帯びてくるわけで、ディレンマを認識しない政策は時として悲惨な結果をもたらす。どちらか一方を強力な政策手段で推し進めようとすると悲惨な結果をもたらすから、いずれの立場に立つにせよ、ディレンマを認識せよ」と、労働力の流動化に慎重であるべきとしている。

 雇用の流動化を叫ぶ八代/日本経済研究センター(1995)、島田・太田(1997)など市場派は、労働力供給の制約要因を早急に解消するためには労働力の流動化が必要であって、規制緩和、それを促進させるための労働法の見直し、税制改革、社会保障制度の見直しなどを提唱する。

 他方、労働経済学者で地道なデータ収集による実証分析から労働の固定化、長期雇用に価値を置く猪木(1999)、中馬(1997)などは、これまでも日本的雇用慣行のなかで十分な競争がなされていて、長期雇用や固定化が培ってきた良い面にもっと目を向けよとして、安易な流動化に反論する。

 いずれにしても、間宮(1998)が言うように、雇用の流動化に全面的かつ急激に移行すれば、現場に悲惨な結果をもたらすことになろう。足元の不況のもとで雇用の流動化が進んでいることはみてきたが、他方、固定化が堅持されていることも確認された。100%の流動化、固定化はありえない。労働の流動化というのは多様な働き方に市民権を与えることであり、どちらかを強制するものではもちろんないはずで、それを前提に雇用政策をみていかなければならないと思う。

6.現在の雇用政策、再検討

6.1雇用保険制度の問題点

 日本の雇用政策は、これまでほとんどが雇用保険制度によって行われているといってよい。オイルショック以前は失業保険制度であったが、オイルショックを契機に1975年に雇用保険制度に改正された。新たに誕生した雇用保険制度は大きく2つに分かれている。1つは従来からの失業給付で、生じてしまった失業に対して所得保障を行うというもので、これはどこの国でも行われている「消極的な労働市場政策」である。これに対して、失業を未然に防止したり、雇用を促進するものを「積極的労働市場政策」という。これに即して、オイルショック以降、先行き発生する失業を未然に防ぐために、雇用保険制度の中に雇用安定事業、能力開発事業、雇用福祉事業の三事業が創設された。この三事業は、企業側が、自らが抱えている労働者の雇用を安定的に維持していくために作られた制度である。このような制度の趣旨の違いから、雇用保険制度の中で、失業給付と三事業とでは財源が異なる。失業給付は、失業に至る原因は労使双方に有り得ることから、賃金の1.1%(平成5年度以降暫定的に0.8%)を労使で折半し、さらに景気悪化の責任は政府の経済運営にもあるため国庫負担が加わる(法律上は国庫負担分は25%であったが、平成5年度以降の暫定措置で、現在失業給付総額の14%)。これに対して三事業は、雇用安定に努めるのは事業主の責任であるとして、財源はすべて事業主の負担となっている(賃金の0.35%)。

 雇用保険制度に関する問題の1つとして、失業給付は今後も残していかざるを得ないにしても、余りにも保険料が少ないということが指摘できる。他の国の保険料をみると、米国は労働者負担はなく事業者のみの負担であるが、各労働者の賃金に対して6.2%を負担している。英国は労働者が2~10%、事業主が3~10%負担しており、ドイツは労働者・事業主とも3.25%の負担となっている。日本の保険料が少ない(雇用保険料率1.15%。うち失業給付は0.8%<労使折半>)のは、失業給付制度はオイルショック以降失業率が跳ね上がったことへの対応として創設されたものの、失業率自体は跳ね上がったといってもまだ2%程度の低いものだったからである。現在日本では失業率が4%を超え、先行きどうなるか分からない状況にある。こうしたことを踏まえると、失業給付の財源である保険料率を引き上げなければならないと思われる。また国庫負担についても、本来であれば25%と法律上規定されているにもかかわらず、現下の厳しい財政事情の下で、暫定的に14%にまで引き下げられているという事情がある。しかしこれを元に戻すべきである。

 また、事業主のみに財源負担させている三事業についても、産業の大規模な構造改革が進み労働の流動化が進まざるを得ない中で、事業主側がすべての労働者を抱えることには限界があるという問題が出てきていると思われる。

6.2雇用調整助成金

 昨年11月の政府による緊急経済対策においても、雇用安定事業は雇用政策の最も重要な柱とされ、現在、財源の拡充が検討されている。この雇用安定事業のうち、最も多く用いられている雇用調整助成金制度について若干説明すると、同制度は、経済変動による減産や雇用者の減少を防ぐため、休業する事業者に対して休業手当て(他に訓練・出向手当て)を支給するものである。具体的には、減産や雇用減少業種を労働省が認定し、当該業種に属する企業の申請により休業給付等を行うものであるため、これによって何人の失業者の発生が未然に防げたのか効果を測ることはできない。すなわち、金額と給付対象となった人/日は分かるが、結果としてどれだけの労働者の雇用維持につながったかを判断することはできない訳である。

 例えば、この10年間で本制度が最も多く利用されてきた鉄鋼業は、非常に厳しい状況にある中で緩やかに雇用者数を減らしてきている。もし助成金制度がなかったならばもっとひどいことになっていたとの解釈もあり得るが、いずれにしても、助成金は政策効果を明確に測定できないものであり、企業にとっての雇用調整のショックを和らげる精神的な効果をもたらすに過ぎないとみた方が良いのではないか。

 また、過去10年にわたり雇用調整助成金の支給を受けてきた上位5業種について、受給額と常用労働者数の単純回帰によって、常用労働者数に助成金がどのような効果を及ぼしたかを調べてみた7。その結果は、変動の大きいデータを異常値として順次除去しても両変数の間に有意な関係は得られず、助成金と雇用にプラスの相関はないということが読み取れる程度である。

 なお、昨年11月の政府の緊急経済対策では、「雇用活性化総合プラン」として規模1兆円の予算が計上され、雇用安定事業等を支援するいくつかの施策が織込まれた。具体的には、「雇用調整助成金」の助成率引上げ、就職困難な中高年者等のための「特定求職者雇用開発助成金」の年齢要件引下げ(平成11年9月まで55歳以上を45歳以上に)といった既存の制度に対する支援のほか、「中高年労働移動支援特別助成金」や民間教育機関に対する「教育訓練給付制度」等の制度が創設された。「雇用活性化総合プラン」の1兆円という予算規模は、雇用対策としてはかつてない大きな額ではあるが、この時の緊急経済対策が全体で27兆円規模に上ったことを考えれば、雇用対策には1兆円しか割かれなかったともいえる。私自身は、もっと大きな額を投入しなければならないし、その投入の仕方についても、これまでの雇用保険制度の枠組みを維持したままで投入するだけでは限界があるのではないかと思っている。

  1. 7過去10年の休業助成金の受給業種としてベスト5に登場した業種は、鉄鋼業(毎年登場)、輸送用機械器具製造業(8回登場)、一般機械器具製造業(8回)、化学工業(3回)、繊維工業(5回)、電気機械器具製造業(3回)、サービス業(5回)、窯業・土石製品製造業(3回)、などである。受給金額Kと常用労働者数Lについてそれぞれ受給開始年を100に基準化してプールした年次データをつくり、Lを被説明変数に、Kを説明変数に単純回帰分析を行った。Lは労働省『毎月勤労統計調査』規模5人以上常用労働者計、Kは労働省職業安定局雇用促進課企画調整係内部資料「雇用調整助成金産業別支給実績(過去10年間)」の年データ。

7.結び

 最後に、今後のあるべき方向として4点を述べたい。

 まず第1に、雇用調整助成金制度は、雇用対策の柱として目下最も期待されているが、この制度は結局企業に雇用維持を命じる制度である。これに対し、今後労働の流動化が一層進んでいくのであれば、これからの労働政策は、一人一人の労働者に直接支援を行うものに変えていかなければならないであろう。すなわち、先行き登場する新規雇用創出産業に対応できる人材育成に向けた政策として、労働者個人を対象とした支援にシフトしていかざるを得ない。そのためには、経済戦略会議(1999)の提唱する「能力開発バウチャー」は十分検討に値しよう。これは、各人が労働移動のために教育機関で1年間学習する費用の全部を助成金の中から支出するというものである。この場合、例えば1人当たり100万円を失業者300万人強の3分の1である100万人に支給するだけでも、1兆円強と、先般の政府の緊急経済対策における「雇用活性化総合プラン」と同規模の財政資金が必要となる。

 第2に、目前にリストラが迫っている一方で、企業に優秀な人材が定着しなければ高い生産性は挙げられない訳で、長期契約によってしか獲得できない合理性のある固定的な慣行の選別を見極めることが肝要である。流動化にのみ目を奪われるのではなく、複眼的な人材対策が労使ともに必要であろう。こうした中で、労働組合の機能が1つの重要なテーマになっている。先行きどんどん流動化が進めば、組合員の雇用を守るという労働組合の役割は変容し、今後は、労働法規の改正に際し労働組合側の意見を反映させていくことが重要と思われる。

 第3に、現在、構造改革の下に、過剰設備を抱えた供給側のリストラが先行しているが、雇用に対する十分なセーフティネットがないまま雇用の流動化が進んでいる現状は危険である。セーフティネット整備のための財政支出は社会的コストとして惜しむべきではないし、使用者に対して不利な立場に立つ労働者への法的配慮をより強める必要がある。完全雇用が実現されていた時代の財政負担の発想のままで、雇用政策に対する新しい財政負担への転換がないのは、問題であると思われる。

 最後に、財政の制約が厳しい折、縦割り行政による資源の浪費に一層関心を向けるべきであり、各省庁連携による雇用対策の実行が求められる。この点、本年1月に施行された改正「中小企業労働力確保法」は、中小企業庁と労働省の共管の下で検討されたもので、これによって中小企業における雇用創出・環境整備のための支援事業がスタートした。これなどは、考え方としては、1つの省庁だけでなく、種々の省庁と連携することにより有効な財源利用を目指したもので、これからはこのような連携を進めていくことが必要と考えられる。

参考文献

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  • 小塩隆士(1999) 『市場の声——政策評価機能発揮のために』中公新書。本書では「市場の声」は一種のフィクションとしての性格を持っており、市場参加者が市場の声なるものを直接発している訳ではないとしている。
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  • 篠塚英子(1989) 『日本の雇用調整——オイルショック以降の労働市場』東洋経済新報社
  • 島田晴雄・太田清編(1997) 『労働市場改革——管理の時代から選択の時代へ』東洋経済新報社
  • 中馬宏之(1997)「経済環境の変化と中高年層の長勤続化」中馬宏之、駿河輝和編『雇用慣行の変化と女性労働』東京大学出版会
  • 日経連(1995)『新時代の「日本的経営」——挑戦すべき方向とその具体策——』
  • 間宮洋介(1998)「市場とはなにか——経済学のディレンマによせて」『SEKAI』10月号
  • 八代尚宏/日本経済研究センター編(1995)『2025年の日本経済』日本経済新聞社
  • 依光正哲・石水喜夫(1999) 『現代雇用政策の理論』新評論