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「金融システム不安:日本の経験からの教訓」

平成11年5月27日、香港貿易発展局主催コンファレンスにおける日本銀行山口副総裁講演

1999年 7月29日
日本銀行

 本日は、当コンファレンスにお招き頂き、またお話をさせて頂く機会に預かり、大変光栄に存じます。

1.日本の金融システム危機とその教訓

(1)日本の金融システム危機

 アジア地域では、近年深刻な金融システム上の問題を経験してきましたが、日本もそうした国の一つであります。もっとも、問題の性格は日本と近隣諸国では異なっていると言えます。特に重要な相違点を挙げてみますと、金融危機の局面において、日本円も売り圧力に晒される場面がありましたが、円を巡る状況は、日本以外のアジア諸国において97年夏以降に生じた通貨危機にはほど遠いものでした。仮に日本においても同様の通貨危機が発生していたならば、日本のマクロ経済政策の運営は全く異なったものとなっていたでしょう。

 相違点は他にいくらも挙げることができます。しかしながら、重要なことは、ある国が不幸にして大きな金融システムの危機に直面した場合、危機の基本的な背景や政策対応に盛り込まれるべき要素には、意外に共通点が多いということです。もう一つ注目すべきことは、この危機がグローバル化した金融市場という共通の土俵の上で発生したことです。アジア諸国や日本が国内および国際金融システムの再生に向けてともに努力するに際しては、そうした市場の状況を考慮に入れる必要があります。このような観点に立って、まず日本の金融危機についての最近の経験からお話ししたいと思います。

 日本の経験から導かれる苦い教訓の一つは、あまりにも自明のこと、つまり「問題は正確に把握されることなくして解決され得ない」ということです。問題の核心が銀行システムにおける深刻な自己資本の毀損であったことは、今となれば明白です。大量の銀行与信が不動産関連やその他の資産市場に流れ込んだ後、それらの資産価格が三分の二ないしそれ以上も下落すれば、自己資本の大幅な毀損が発生することは不可避であったと言えましょう。こうした資本不足がシステム全体に広範化し、一国の銀行システムの存続を脅かす事態にまで至った場合には、公的支援が不可欠となります。申し上げるまでもないことですが、こうした公的支援は、後々にモラルハザードの芽を残さないよう慎重に工夫される必要があります。

 いずれの国においても、銀行システムに公的資金を投入することを決断するに至る政治的なプロセスは、大きな痛みを伴いがちです。一般の人々にとって、なぜ銀行システムが公的資金の投入に値するかは明確ではなく、「特別扱い」として映りがちです。税金による大規模な資金投入が必要とされることに対して、納税者は憤りを感じます。こうした様々な事情により、わが国では、98年10月にセーフティー・ネットを抜本的に強化するための政治的なコンセンサスが得られるまでに数年間を要しましたし、その間に複数の金融機関が破綻しました。この10月の金融システム対策は、主要な銀行への資本投入計画の強化のほかに、破綻金融機関の処理に関する法的枠組みの整備等を含むものでありました。これらは、問題の深刻さに対応した真剣な取り組みがようやくにして登場したと市場に受け止められました。公的資本投入計画が明らかになるにつれ、市場における危機感は鎮静化しましたが、この間、経済活動はダメージを受けました。

(2)今後の金融システム改革の方向

 本格的な金融システム対策を決定するまでに長期間を要した日本の経験を踏まえれば、こうした歴史を繰り返さないために、多くの分野で改善の余地があることは明らかであり、そのうちのいくつかに言及したいと思います。まず金融システムの状態を早い段階で適切に評価できるようになることが極めて重要です。そのためには、経済活動、金融市場および国際的な資本移動の間の相互作用について、より研究を深める必要があります。また、中央銀行および監督当局におけるプルーデンス関連の調査も強化される必要があります。例えば、やや後知恵になりますが、資産価値の急激な下落を想定して簡単な「ストレス・テスト」を行っていれば、バブル崩壊により銀行の自己資本が被る影響につき、大体のイメージを捉えることができたかも知れません。

 また、金融のインフラについても、徹底した見直しが必要です。会計システムが不十分であったために、バランスシートの実際の姿が明らかとならず、金融機関の経営陣ですら適切なタイミングで実態を把握するのが困難な時期がありました。適切な会計基準の採用とディスクロージャーの向上こそ、問題の把握とそれへの取り組みを促す自律的な推進力となるでしょう。

 最後にお話ししたいのは、日本における独特なコーポレート・ガバナンスの構造が、大きな状況変化に対応しきれなかった一因かも知れないということです。日本のコーポレート・ガバナンスにおける株式の持合い、メインバンクによる監視、生え抜きの役員陣といった主な特徴は、日本経済が順調に成長している局面では非常にうまく機能していました。しかし、局面が変わりつつある時に、痛みを伴う必要な改革を生み出すという点では、うまくいっていないように思われます。民間のガバナンスだけでは弱い場合、それを監督当局が補完していくべきでありましょうが、これも、前述のような金融インフラの不備等もあって必ずしも十分なものとはなり得ませんでした。

 こうした状況下、金融機関は、景気と資産価格の回復が問題を解決してくれることに望みをかけ、待ちの姿勢をとりました。結果として、金融機関のこうした姿勢は銀行システムと経済全体の状態をさらに悪化させただけでした。

(3)公的当局と市場参加者の役割

 21世紀を迎えつつある現在、こうした日本の経験がより一般的な金融システム改革に示唆するものは何でしょうか。金融システムの安定化に向けた「モーゼの十戒」のようなものを述べるのは、もちろんこの場での説明の範囲を超えています。そもそも、金融の世界は残念ながら「十戒」を作り上げるには、あまりにも変化が速過ぎます。従いまして、ここでは当局と金融機関を含む市場参加者の間における相互作用に絞ってお話ししたいと思います。この点は、日本の場合、非常に重要な役割を演じました。

 私が提起したい問題は、当局と市場参加者の間において、いかなる役割分担の変化を展望していくべきか、という点です。変わり得る(ないし変わるべき)点、また、変わらないとみられる点について、私の意見を述べたいと思います。

 変化が最も顕著なのは、個々の市場参加者が抱えるリスク・プロファイルをタイムリーかつ正確に把握する当局の能力でしょう。10年ほど前であれば、監督・規制当局は、監督下にある金融機関のリスク・プロファイルを把握するには、そのバランスシート等に目を通すだけで十分でした。しかし、金融理論や情報技術の発展に伴い、今や、ものの数分とは言わないまでも数時間でリスクを分解し、新たに組替える手法は何通りもあります。こうした傾向は今後さらに加速するものと思われます。このため、今後、市場によるチェック・アンド・バランス機能がより重要性を増すでしょう。例えば、コーポレート・ガバナンスの強化——これは経営陣による意思決定方式の改善や株主の発言力増大などを含みますが——も一つの要素でしょう。他に挙げられるのは、取引相手から求められるディシプリンです。振り返ってみると、バブル後の日本の金融機関の行動を変化させたのは、こうした妥協を許さない市場の圧力でした。このため、将来においては、中央銀行を含む当局が、市場によるチェック・アンド・バランス機能を尊重し、それを一段と促進していく機会が多くなっていくと考えられます。

 次に、将来においても変わらない点について述べたいと思います。たとえ、個々の市場参加者が注意深く自らのリスク管理を行っているとしても、マクロ的な観点から市場全体としてリスクの規模や態様(リスク・プロファイル)がどうなっているかを注意深く観察する存在が必要だと思います。これは、オランダのチューリップ・バブル以来繰り返されているバブルから我々が学ぶべき教訓です。モニタリングを要するマクロ的なリスク・プロファイルの要素は時代によって変化していくものです。それは、ある時には不動産価格の上昇と銀行与信の拡大の同時進行であったり、また別の局面では、固定為替相場制の下における短期資本の急激な流入であるかも知れません。こうした状況が現実化することは稀ではありますが、繰り返し発生してきたことも事実であり、ひとたび発生した場合の影響は甚大です。それでは、マクロ的にモニターする役割を担うのは誰が最も適任でしょうか。パーティーが最も盛り上がってきた時にパンチ・ボウルを持ち去ってしまうと批判される中央銀行をおいて他に適任者はいないでしょう。さらに中央銀行は金融システム全体の安定を保つことに常に関わってきました。もちろんこのような重要な役割のあり方は、金融サービスにおけるグローバルな市場の発展に応じて変化していくでしょう。この点については後程、エマージング・マーケット諸国の金融危機の経験との関連でもう一度触れたいと思います。

2.日本の金融経済情勢

(1)マクロ経済の現状

 97年後半に日本を襲った「急性」の金融危機は、98年中も続き、こうしたシステミックな問題が経済にとっていかに大きな損害をもたらし得るかを如実に示しました。市場が金融機関の過小資本を問題視するにつれ、金融機関の流動性は枯渇していき、資本および流動性の不足の結果、金融機関は与信先から融資を引揚げざるを得なくなりました。過小資本に陥った金融機関が、リスクをとる余裕を失い、企業も日々の資金調達に追われたため、全体としてリスク・テイク意欲は著しく減退しました。このように経済の中にリスク・テイカーがいない状況では、経済成長は著しく抑制されます。こうしたバブル崩壊後のリスク回避の強まりは、90年代の日本経済のパフォーマンス悪化を説明する一つの背景と言えましょう。これこそが、健全な金融システムの存在が、経済発展のための重要な条件であるとされる理由なのです。

 しかし、日本の金融市場は、今年に入って大幅な改善を示しました。主要金融機関への資本注入や日本銀行による短期金利を0%近傍に誘導する政策を背景に、流動性不足が解消され、金利も広い範囲で著しく低下しています。また、株価についてもある程度の回復がみられています。こうした改善は心強いものであり、昨年とは異なり、将来の景気回復に向けてポジティブに作用する力となるでしょう。

 事実、日本における経済活動の全般的な悪化は止まってきています。またこの先数ヵ月のうちに、景気が若干持ち直す可能性はあると思います。物価についても、軟調ながらも安定して推移しています。もっとも、最近の経済の安定は、金融緩和、財政支出の増加、減税、金融セーフティー・ネット等政策を総動員したことによってもたらされたものと言えるでしょう。民間の支出活動には、まだこれらの刺激策に対して、明確な反応はみられていないのが現状です。

(2)日本経済が抱える構造問題

 こうした経済の現状を踏まえると、日本もまた、大きな構造的な問題を抱えているという認識が重要だと思います。構造問題といっても様々な側面がありますが、景気回復の足枷となっている要因については、以下の側面が特に注意を要すべきと考えております。

 まず、第一に、金融システムが抜本的なリストラクチャリングを必要としているという点です。北欧等における経験からすると、資本注入を受けた銀行が、金融の仲介役としてもう一度正常に機能するまでには、2~3年はかかっているのが普通です。これは日本の金融機関にも当てはまるかも知れません。なぜなら、日本の金融機関は、まずバランスシートにおける不良債権の処理をさらに徹底させ、リスク管理技術の向上を図り、競争力があると思われる分野に特化した戦略をたて、効率性を向上させるといったいくつかのことをやり遂げる必要があるからです。

 第二に挙げられるのが、製造業と比較した非製造業の生産性の低さです。もっとも、様々な業種から構成されている非製造業全体をひとまとめに判断するのは、やや単純化し過ぎであることは否めませんから、より正確には、国際的な競争にあまり晒されていない産業の生産性の低さと申し上げた方が良いかも知れません。こうした分野における非効率性は、様々な規制によって、競争から守られてきたことも一因でしょう。しかし、経済のグローバル化が進展するにつれ、従来の貿易財・サービスと非貿易財・サービスの間の境界線が次第に曖昧なものとなってきています。例えば、金融関連や情報関連のサービスは、今では自動車やコンピューター、VTR等に類似した貿易財として評価するのが妥当と言えるでしょう。この結果として、従来は国内産業であった非製造業も、ますます強い競争に晒されるようになり、効率性を改善させざるを得なくなりました。90年代初以降、非製造業に焦点を当てた規制緩和が日本で進められてきたのも、こうした認識に基づくものです。ただ、米国や英国における70年代および80年代の経験が示すように、こうした努力が成果となって現われるまでにはかなりの時間を要することでしょう。

 第三の点は、やや長い目でみた貯蓄と投資の不均衡の拡大です。日本は他のアジア諸国同様、GDPに占める設備投資のシェアが高く、これがかつての高成長を支えていました。しかし、人口の高齢化が進み、労働力の伸びがゼロ近くまで低下してくると、経済の潜在成長力は低下してきます。また、これまでの高投資の結果、日本の資本/労働比率は米国をも上回り、資本収益率が非常に低くなるなど、投資環境は悪化してきています。これに90年代の景気循環的な要因も加わって、設備投資額の対GDP比率は91年の20%から現在の約13%にまで低下することとなったのです。

 他方、高齢化社会について想定される姿とは逆に、貯蓄率は依然高いレベルで推移しています。貯蓄率の動向について納得のいく説明を行うのはなかなか難しいことではありますが、将来に対する人々の不安感、特に年金システムに対する不安感が影響していると思います。このような貯蓄・投資ギャップは、マクロ的な需要刺激策だけで埋めることはできません。

 このような情勢の下、わが国の経済の持続的な回復については、まだ楽観を許さない状況にあると言えましょう。もちろん我々は、(インフレーションでもデフレーションでもない)物価の安定および持続的な成長を実現するために、あらゆる努力を払う所存ですが、マクロ経済政策が総動員されている現状を踏まえますと、構造改革および調整に関する取り組みがより重要な役割を果たすべきであるように思われます。

(3)日本経済と東アジア経済の関係

 日本の経済成長の回復は確かに非常に重要な問題ではありますが、それはアジア諸国全体の景気回復のための万能薬とは必ずしもなり得ません。東アジア諸国の日本、米国、EU、その他(域内相互、および中南米諸国)向けの輸出構成をみると、域内相互の依存度は39%(97年、除く日本)と最も高くなっております。残りについては、それぞれ日本向けが全体の12%、米国向けが同20%となっております。これとは対照的に、メキシコの場合においては、同国の対米輸出シェアは80%を超えておりました。これが、94年末から95年にかけて、通貨危機に陥ったメキシコが対米輸出の増加によって「V字型」の回復を実現した背景にあると考えられます。このように米国とメキシコの関係は、日本と東アジアの関係とは異なるとの認識を踏まえると、日本経済が回復しても、それだけで東アジア経済の自動的な回復を保証する訳ではありません。アジアにおける経済回復は、同地域における日本を含む個々の国々の努力にかかっていると言えます。

3.金融システム安定化に向けた国際的な取り組み

(1)BISグローバル金融システム委員会の活動の枠組み

 本講演も最後のトピックとなりましたが、ここでは、国際的なレベルで行われている金融システム安定化に向けた取り組みについて、特に私自身も関与しているBISグローバル金融システム委員会(Committee on the Global Financial System)での努力を中心にお話しするとともに、またこうした議論をアジアの経済および金融市場にどのように生かすことができるかについてお話ししたいと思います。

 好むと好まざるに拘わらず、金融危機は、政・官、中央銀行、市場参加者、および一般国民、すべての人々の注意をひきつけ、金融市場が良好に機能することの重要性を認識させます。金融危機の最初の衝撃波が収まり、市場に小康が訪れた時、経験を振り返り、金融システムの改善に向けた議論が始まるのが常です。アジアの金融危機の場合も例外ではありません。既に、民間、公的両部門から、危機の原因や政策対応の評価、さらには国際通貨システムの見直しに関する提言に至るまで、多くの文献が提示されています。今日、この場では、これらの重要な議論の概観を行うのではなく、BISグローバル金融システム委員会を含む様々な国際会議において、これまでに得られた成果と、我々が近い将来、何を目指しているのかについて説明をしたいと思います。

 以前はユーロ・スタンディング委員会(Euro-currency Standing Committee)として知られていたBISグローバル金融システム委員会は、G10諸国の中央銀行により構成されているBISの委員会の一つです。その略称である"CGFS"は、現在のところまださほど広く流布していないようです。当委員会には、香港金融庁(HKMA)を始めとするエマージング・マーケット諸国からの代表もお招きしまして、貴重な貢献をして頂いております。当委員会では、国際金融市場の定期的なモニタリングを行っているほか、金融市場がどのように機能しているのか、その機能を向上させるためにはどのような提言をすべきか等の調査や議論を行っております。このような当委員会の役割から明らかなように、金融市場の機能という観点や国際金融における望ましいインフラ整備という観点から捉えたアジアの金融危機に関する研究は、当委員会におきましても中心的な検討テーマでした。

(2)最近のCGFSの活動状況

 アジアの金融危機は、ある意味で、域内経済の「行き過ぎ」の産物でした。ここで、そうした「行き過ぎ」の根本原因を説明しようとは思いませんが、危機を招くに至った様々な「行き過ぎ」——過剰建設、過剰投資、過剰消費——は誰かが押し付けたものではありません。不幸にもこうした「行き過ぎ」は、市場経済や人間の本性に根ざすものであります。冒頭述べました日本経済が今日直面している問題の原因も、かつての「行き過ぎ」にあったと言えると思います。

 しかし、それがシステムに内在しているからといって、そうした力のなすがままになる必要はありません。危機への対処の仕方としては、大別すると、二通りの方法がありましょう。すなわち、市場参加者の行動を規制等で直接コントロールする方法と、市場をより良く機能させるようにインフラを改善する方法の二つがあり得ます。後者は自律的な修正を促し、「行き過ぎ」が発生するリスクを抑制します。短期資本移動規制は前者の、市場の透明性向上は後者の例です。

 一般に中央銀行は、直接規制の有効性には懐疑的です。そうした方策は、有事にオーバーシューティングを押え込む緊急策としては有効な場合がありますが、長期化するにつれて、規制執行のコストが嵩み、資本の配分とリスク・テイキングに、修正し難いような歪みをもたらします。このため、CGFSでは、国際的な金融市場の機能向上に向けた提言を行う方向で、一層の努力を続けてきました。とりわけ当委員会は、市場の透明性向上ということを重視してきています。なぜなら、市場全体をカバーするような意味のある情報を正確に入手できるようになれば、市場参加者が自己規律を効かせながら意思決定を行っていくための鍵になると考えるからです。

 この分野における当委員会の最初の成果物の一つとしては、昨年秋に公表された、公的セクターの外貨流動性ポジションの透明性向上に関するリポートが挙げられます。ここでの考え方を述べますと、公的セクターの外貨流動性ポジションに関する情報を包括的で詳細、かつタイムリーな形で開示することが、当局のアカウンタビリティーを高め、市場の自己規律の向上にも貢献するというものですが、このリポートの提言は最近IMFによる特別データ公表基準(Special Data Dissemination Standards)に採用されるところとなりました。こうした情報開示に基づく当局と市場参加者の行動変化は、無理な政策が採られている場合に早期の軌道修正を容易にするでしょうし、また各国の状況に対する市場参加者のより正確な判断を促すことを通じ、結果的に金融危機の伝播の抑制に繋がると考えております。

 このリポートではまた、市場の自己規律というメカニズムが有効に働くためには、民間セクターからも自発的な情報の開示と報告が行われるよう、適切な枠組みが必要であると指摘しています。その観点から、以下の二つの作業が現在行われております。第一に、個別機関による情報開示の促進であり、第二に、市場全体についての集計情報(aggregate information)に関し、既存のものでは不十分なところを特定するという作業です。第一の個別情報の開示については、すべての市場参加者が市場に対して、自らに関する充分な情報提供を行うことを期待しています。そうすれば、市場参加者は自らの直面しているリスクを、より適切に評価し判断できるようになると考えられます。一方、第二の作業によって集計情報が入手可能となれば、市場参加者にとって市場全体の状況把握に役立つでしょう。現時点では、まだ以上の二つの作業に関するリポートは公表されていませんが、目下CGFSで議論を深めており、近い将来において成果物をお示しできると思います。

 CGFSの作業について最後に、現代の国際金融市場の仕組み、特に市場の流動性ということについて、理解を深めるための作業に触れておきたいと思います。本年3月、委員会はレポ市場の仕組みと、それが市場参加者および中央銀行に対して有する重要性に関するリポートを公表しました。これに加えて、市場流動性の決定要因、および流動性の高いマーケットを育成する手段についてのリポートも4月に公表されました。本リポートは、「市場流動性」という、システミックな金融危機において重要な役割を果たしてはいるものの、これまで捉えどころのなかった概念について洞察を加えており、非常に重要なものです。

 CGFSによるこうした努力は、孤立して行われている訳ではなく、国際金融の不安定性を克服するためのイニシアティブの一環をなしています。この点に関する重要な進展として、最近、G7諸国の中央銀行、大蔵省、規制当局および主要国際機関から構成される「金融安定化フォーラム」が設立されました。このフォーラムの目的は国際的な規制機関を作り上げることではなく、公的部門の主要関係者が一堂に会することで各機関間の協力を促進し、金融安定化に向けてより効果的に人的資源を活用することにあります。先月第1回会合が開催され、HLIs(highly leveraged institutions)、オフショア・センター、短期資本移動という、いずれもアジア通貨危機における我々の経験に直接関連するテーマを取り上げることが決定されました。この取り組みの結果を予測するのは時期尚早ではありますが、現代の国際金融市場の実情——グローバル化や金融および情報関連の絶え間ない技術革新——をみると、今後は、透明性の向上や情報の有効利用を通じて、市場参加者に対し、金融安定化という目標に向けての誘因を形成していく努力が重要なのではないかと思われます。

(3)市場との対話

 最後にこれらの国際的な取り組みがアジアの経済や市場にどのような意味を持つのかについてお話ししたいと思います。

 つい先ほど、中央銀行は市場機能を活用した問題解決を好む傾向があると申し上げました。とは言うものの、私自身は、著名なヘッジファンドのマネージャー達が主張しているような、ヘッジファンドは政策ミスを早い段階で是正する有用なサービスを提供しているとの意見には、必ずしも賛成するものではありません。国際的な資本移動はあまりにも巨額になってしまったため、その規模故に(たとえ、政策的な失敗を犯していない場合でも)小規模な経済を圧倒する可能性がある、という指摘を根拠のない意見として直ちに退けることはできません。ゲーム理論の言葉を借りれば、市場参加者の自己実現的な期待が、ある経済を、「複数均衡」の中で「良い均衡」から「悪い均衡」へと変化させてしまうようなことがあれば、それは大きな問題と言うべきでしょう。

 とは言え、様々な事情を勘案しても私は市場の果たす役割については楽観視しております。アジアのケースでは、危機前の目覚しい成長と現在の高水準の一人当たり所得は、域内の人々の企業家精神と、市場機能を活用した当該国政府の政策対応によって可能となったと考えます。市場は振り子のようなものです。それは一方から他方へと振れるものであり、時としてショックによって、大きな振れを示すこともあります。しかしながら、最終的には、中心、すなわち、市場の力の英知を集めた均衡に戻るものです。

 従いまして、我々の方針としては、まず市場機能の活用に重きを置く、しかし同時に経済の情勢を注視し、市場の失敗が認められる時には必要な対策を講じていく、ということになります。これには、市場のリスクに対する長期的な展望と市場参加者の誘因への深い理解が必要となりますが、その過程では、民間と政府の間の対話が望ましいと考えています。こうした文脈においては、国際会議はモニタリングの場であり、意見を交換する場として意味があります。この観点から、近年CGFSやBISの他の委員会が意識して努力していることですが、エマージング・マーケット諸国による積極的な会議への参加がますます重要になってきていると考えております。

 ご清聴ありがとうございました。

以上