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日本の構造調整と政策対応

1999年 8月30日 中国瀋陽における藤原作弥副総裁講演要旨

1999年 8月 30日
日本銀行

1. はじめに

 本日ここに皆様と親しくお話する機会を得ましたことは、私にとりまして公私両面で無上の喜びであります。今回の訪中のご招待、心より感謝する次第です。

 「公私両面で」と申し上げましたが、まず公的側面としては、日本銀行と中国とのお付き合いは、戦後、1972年の日中国交正常化にともない、74年4月日本銀行調査局幹部の訪中から始まりました。しかし、実は、国交正常化以前、廖承志、高碕達之助という二人の古い友人同志を窓口としたいわゆる「LT貿易」の時代から、日銀は日中民間経済交流に参加しておりました。戦前、日銀から中国に派遣され、北京や上海で活躍した岡崎嘉平太氏らが中国の友人たちと、日中交流の"古い井戸"を掘ったことがお付き合いの発端でした。

 それ以来日銀は日本の民間金融界をリードする形で中国との交流を続け今日に到っておりますが、とりわけ人民銀行との間では本年に入ってからも、上海や香港で開かれたBIS(国際決済銀行)やEMEAP(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)に関係した会議などの機会に戴行長と速水総裁が親しく意見交換するなど、ますます交流を深めております。

 冒頭に申し上げました「無上の喜び」とは、そのように親密な日中交流関係に日銀副総裁として私も公的に参加できたことですが、一方、私的側面では、すなわち私個人にとりましても今回の訪中は誠に感慨深いものがございます。

 私は昨年三月、日銀副総裁に就任しましたが、それまでの約15年間、ジャーナリストとして毎年のように中国を訪問しておりました。それは私自身が戦前の一時期を中国東北地方で過したことがあるからです。私たち一家は1943年から46年にかけて日本語教師だった父の赴任地である中国内モンゴル自治区ウランホトおよび遼寧省丹東に住んでおりました。

 1945年8月10日、ソ連戦車軍団がソ満国境を越えて進撃してきた時、私たち一家はウランホトを脱出し、丹東に到着し約一年半同地で難民生活を送ったのち、1946年秋日本に引き揚げて参りました。私自身は無事に帰国できましたが、小学校のクラスメートの大半はソ連軍の攻撃を受け、内モンゴル草原で幼い命を落としました。残留孤児になった友人もおります。

 長じてジャーナリストになった私は、なぜそうした悲劇が起こったかを知るため、当時の事情を取材して一冊の自伝的ノンフィクションを書きました。それを機会に日本はなぜ"偽満洲帝国"といわれる国家を作ったのか、なぜ不幸な"15年戦争"が起こったかを調べました。そして戦前、日本人でありながら中国人と偽って日本の国策に協力した李香蘭という、時代の運命に翻弄された映画女優の半生を辿り、日本と中国の不幸な歴史を背景とした伝記物語を書き上げました。

 その作品はミュージカルとして舞台化され、今回私が訪問した瀋陽や北京でも上演されましたのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。私にとってこの作品は、戦前の日本および日本人の生き方を、反省をこめて振り返った平和の誓いでした。ミュージカルの中では「我的家 在東北松花江上…」で始まる反戦歌『松花江上』(九一八)が歌われますが、この物語は私にとっての『九一八』であります。

 さて、以上、私の個人的な中国との係わりを鏤々ご説明いたしましたが、本日これからは、日本銀行副総裁という公人として、日本の金融システム問題を中心に日本の金融経済問題についてお話申し上げます。

 一昨年、日中国交正常化25周年の機会に「在東京 新聞・放送・通信 論説委員長訪中団」の一員として訪中し、当時の李鵬首相ら政府首脳とお会いした際、中国も国有企業改革など経済改革に取り組んでいらっしゃる事情をうかがいましたが、日本も不良債権処理問題など金融システム再建という同じような悩みを抱え、現在改革作業に努力しております。本日のお話も皆様にとって何らかのご参考になれば幸いです。

2.経済危機の教訓

 最初に、一昨年から昨年にかけてアジア諸国が体験した経済危機について、ひとこと所感を述べたいと思います。具体的には、東アジア諸国において表面化した通貨危機と日本の金融危機を念頭に置いています。というのも、経済危機とその克服のプロセスには、市場経済の運動原理に対する貴重な教訓が含まれていると思われるからです。二点申し上げます。

 ひとつは、経済危機には原因があるという当然の事実です。経済に内包する矛盾が高ずれば、必ず矛盾を解消しようとする力が表面化します。通貨危機に見舞われる以前の東アジア諸国経済は、10年以上にわたる高成長を謳歌していました。国内貯蓄を上回る投資ブームは海外からの資本流入によってファイナンスされていました。仮に、こうした資本が、全て生産的な投資活動に振り向けられ、経済の供給力の着実な向上につながっていけば、高成長はさらに持続していたかもしれません。しかし、事実はそうなりませんでした。バブル的な投資ブームはやがて国際収支の緊張をもたらし、外国資本の大量流出とそれに伴う通貨の暴落、さらには経済の大混乱という事態を招いたのであります。

 日本の場合はどうだったでしょうか。97年秋の大手金融機関の破綻表面化に端を発する金融危機は、直接的には問題を抱える金融機関からの資金流出と、不安心理の高まりを背景とする市場機能の著しい低下という形で表面化しました。しかし、その根本的原因は、バブル崩壊に伴う不良資産問題を抜本的に処理する枠組みが未整備であったことにあります。個別金融機関の破綻処理を、秩序だって行うためには、破綻の悪影響が金融システム全般に及ぶことを防ぐ、セーフティー・ネットが準備されていなければなりません。そこに大きな欠陥があったことが、日本の金融危機をもたらしたと解釈すべきでありましょう。

 今ひとつ申し上げたいことは、これも当然のことではありますが、経済危機は、問題の本質を改めない限り、克服されることはないということです。日本について言えば、昨年10月の法整備によって、不良資産問題の抜本処理に向けた枠組みが整ったことが大きいと思います。今年に入ってから、比較的規模の大きな地方銀行等の破綻が次々に表面化しているにも拘わらず、金融システムは全く動揺していない事実に、このことが端的に示されています。この日本の不良資産問題については、後程、詳しく触れたいと思います。いずれにしても、経済危機の性格や、危機克服のプロセスは、個々のケースによって異なっても、危機を呼び込んだ根本を正すことの重要性は、変わらないように思います。

 ところで、危機は一国の経済に大きな損失を与えるものであることから、得てして世の中の議論は、危機の引き金になった現象に、目が向きがちです。東アジアや日本の例でいえば、「市場の暴力」や「市場原理主義」を指弾する声も、根強くあります。私は、こうした議論は、あまり生産的ではないと考えています。市場の力によって、アジア経済・金融システムの構造的問題点が表面に押し出され、アジア危機に結びついた側面があることは事実ですが、アジア経済の飛躍的な発展が、市場経済の発展に基礎を置くものであることも間違いないからです。つまり、良くも悪くも市場の力は大きくなっています。そうした市場の力が良い方向に振り向けられるために何をすれば良いか、これが正しい問題設定ではないでしょうか。このことを申し上げて、以下、日本経済の現状に話を移したいと思います。

3.景気の現状と展望

景気の現状

 まず、最近の経済情勢と今後の展望について、日本銀行の見方をお話します。景気は、一言で申せば、「足許の景気は下げ止まっており、企業の業況感も一頃に比べ幾分改善をみている。しかし、民間需要の自律的回復のはっきりとした動きは、依然として見られていない」という情勢にあります。因みに、実質国内総生産(GDP)の推移をみると、97年の第4四半期から、98年の第4四半期に至るまで、5四半期連続のマイナスを記録した後、99年第1四半期になって、漸くプラス成長に復するという展開になっています。景気下げ止まりの背景は、次の三点にまとめることができます。

 第一に、金融面の環境が好転していることです。これには、(1)昨年10月の金融再生法・早期健全化法の成立により、金融システムの建て直しに向けた本格的かつ包括的な枠組み整備が、大きく前進したこと、(2)これに伴い、大手行に対する公的資金の注入が行われ、健全金融機関の資本基盤が強化されたこと、(3)日本銀行の潤沢な資金供給に基づくいわゆる「ゼロ金利政策」が断行されていること、が大きく寄与していると思います。

 第二に、減税や公共投資の上積みを柱とする拡張的な財政政策の効果が現れ始めていることです。具体的には、住宅投資が低金利や住宅減税の効果に支えられて回復しているほか、公共投資についても、高水準の工事進捗がみられています。また、こうした最終需要や企業の慎重な生産姿勢の結果として、在庫調整が進捗しています。つまり、今後の最終需要の動向次第では、生産活動が増加しやすい条件が整いつつあるということであります。

 第三は、日本経済を取り巻く国際経済環境の安定化です。昨年の夏場以降、ロシア金融危機や大手ヘッジファンドの破綻表面化などにより、国際金融市場は、一時大変緊張した場面を迎えました。幸い、そうした国際金融資本市場の緊張は、本年入り後沈静化に向かっています。また、今春以降は、東アジア諸国において、為替相場の安定、株価の上伸、経済活動の回復傾向がはっきり窺えるようになっています。

なお不透明な景気の先行き

 以上の諸点を背景に景気は下げ止まってきていますが、先行きについては、まだ自律的な回復が展望できる状況には至っていません。理由を二点申し上げます。

 第一の理由は、現在の景気の下げ止まりが、基本的には各種の政策効果と外部環境の好転に支えられたものであり、経済を自律的に回していくためのエンジンである民間部門に、ダイナミックな成長メカニズムが作動しているとは言えないからです。

 例えば設備投資をみると、確かに、投資の減少テンポ自体は、緩やかになりつつあります。しかし、企業部門には、資本設備や雇用に対する過剰感が、なお色濃く残っており、いわゆる「リストラ」圧力には根強いものがあります。本来、リストラによって解放された資本や労働は、新たな成長産業や成長分野に振り向けられることによって、より高い付加価値を生み出すことが期待されています。残念ながら、そうしたダイナミックな資源移転のプロセスが、力強く働き始めているとは言いがたいように思います。

 家計部門の消費や投資意欲の低迷についても、同様のことが当てはまります。各種の調査結果をみると、雇用不安や、年金に代表される社会保障制度の不透明性が、将来の生活設計を不確実なものにし、その結果人々の生活防衛意識が高まっていることが窺えます。日本の社会保障制度に改善の余地があることは確かです。しかし、生活不安の基本的な背景は、現在および将来にわたる所得に対する不安感にあると考えられます。つまり、所得全体の先行きに対する人々の自信が回復しない限り、消費の本格的回復は、期待しがたいように思います。

 第二の理由は、金融環境の改善が、実体経済にどのような影響を及ぼしていくのかについては、なお慎重に見守っていく必要があるということであります。確かに、金融機関の融資姿勢は一頃とは変わってきましたが、信用リスクを伴う資金需要を積極的に掘り起こして行けるほど、バランスシートの健全化と金融機関の経営革新が進んだとは言えません。

 また、株価の回復は、米国の株高や、日本企業のリストラに伴う企業収益の回復期待を背景としたものであります。しかし、米国の株高の持続性については、予断を許しませんし、企業収益についても、期待感が先行している面があると思われるからです。今後、金融面の改善傾向が維持され、それが実体経済との好循環につながっていくためには、企業や金融機関のリストラが、市場の信認を得ることができるような事業の再編成を伴いつつ、着実に実行に移され、成果を挙げていくことが必要でありましょう。

4.持続的成長への展望

 以上のように、現時点では、民間需要を中心とする自律的な回復が展望できるだけの条件は、整っていないと判断せざるをえません。もっとも、こうした事態は何も今に始まったことではありません。バブル経済が崩壊してから、つまり90年代初めから現在に至るまで、日本経済は長期にわたる低迷状態にあると言えます。

 高い貯蓄率(つまり資本力)、比較的勤勉な労働力、製造業を中心とする技術力といった要素が、以前と比べて、大きく変わったわけではありません。マクロ政策面からも、相当思い切った景気刺激策が打たれています。それにも拘わらず、何故持続的成長への展望が開けないかということを考えますと、やはり日本経済に大きな構造問題があり、その克服に手間取っていると判断すべきでありましょう。そうした構造問題について、「不良資産処理と金融システム」および、「グローバル経済への対応」という二つの視点から考えてみたいと思います。

不良資産処理と金融システム

 金融システムは実体経済活動を支える重要なインフラです。97年末から98年を通じての日本経済の「危機的状況」においては、貯蓄を投資に結び付ける金融仲介機能が著しく低下したことで、企業の投資行動が阻害されたばかりか、金融システム不安そのものが、企業や家計の投資・消費行動を萎縮させるという事態が発生しました。こうした金融システムの弱体化が、バブル崩壊に伴って生じた不良資産処理の遅れに起因することは、冒頭に触れたとおりです。

 不良資産問題処理については、昨年10月の法整備によって、包括的な枠組みが整えられました。その主たる内容は、(1)公的資金投入の仕組み、(2)預金・債権の全額保護、(3)ブリッジバンクや銀行の一時国有化、などです。また、その財源面の手当てとして、60兆円の公的資金も確保されました。これにより、破綻金融機関の秩序だった処理スキームや、健全金融機関への資本注入の仕組みの明確化が図られたことになります。この、立法措置は2001年3月までの時限措置です。現在、日本では、こうした時限措置を延長すべきか否かということが議論され始めています。日本銀行としては、単純な期限延長を視野に入れることは、不良資産問題処理のさらなる遅延や預金者・金融機関等のモラル・ハザードを助長することから、適当ではないと考えています。裏返せば、それまでになんとしても不良資産問題に決着をつけ、金融システムの再生を図らねばならないということであります。

 このような決断に至る道筋は、決して平坦なものではありませんでした。バブル経済が崩壊し、地価が下落に転じてから、そして、日本の金融史上初めて、預金保険が、小規模な地域金融機関の破綻処理に発動されてから、既に7年の貴重な時間が経過しています。この間、日本が、不良債権問題への対応に要したコストは、直接的なものだけをとりあげても、7年間の累計で、既に約80兆円にのぼっています。この金額は、日本のGDPの約16%に相当します。また、現在一時国有化されている日本長期信用銀行や日本債券信用銀行のバランス・シートをきれいにし、健全な引き受け手に渡すために、なお兆円単位のコストがかかると見込まれます。

 このように、多大の時間とコストをかけて、漸進的に処理を進めてきたやり方については、国内外から多くの批判があります。不良資産問題処理がなお途半ばの状況で、安易な評価は避けねばなりませんが、問題提起の意味を込めて、敢えて私なりの感想を一言申し上げたいと思います。

 問題の出発点は、日本の金融セクターが抱え込んだ不良資産の規模が、歴史的に見ても、国際的に見ても、極めて多額のものであったという事実であります。金融システムの大きな混乱を避けながら、深刻な不良資産問題をどのように処理するか、これが関係者に与えられた命題でありました。不良資産問題処理の本質は、ロスの分担にあります。ロスを負担する主体は、第一義的には株主です。つまり資本金がまずはロスを埋めるために充当されることになります。しかし、債務超過に陥った破綻金融機関は自己資本を全部使ってもロスは埋められません。そうなると、残ったロスを負担する主体は、預金者等の債権者しかいません。しかし、金融機関は潰れないという人々の神話が根強く残り、かつ金融機関の経営内容のディスクロージャーが極めて不十分な中で、金融機関の破綻に伴うロスを預金者が負担するという事態が発生しますと、金融システムに取り返しのつかない混乱が発生する可能性がありました。そこで、日本では、民間金融機関が加入し、毎年保険料を納付している預金保険制度によりロスが負担されてきました。ただ、預金保険は公的な制度ですから、この制度の下で金融機関の破綻処理が行われる場合には必ず株主の負担を求めるとともに、破綻金融機関の経営者については退任等の形で経営責任を求めることを前提としてきたところです。

 しかし、不幸にしてロスが多額に上り、預金保険に積上げられた保険料だけでは不足し、かつ預金者に負担を求めないとすれば、公的資金を投入しない限り、問題の処理は不可能です。実際、日本ではそうした事態に立至ってしまった訳ですが、日本が不良債権処理に手間取った基本的な原因は、そうした公的資金投入の合意形成に関する政治的プロセスが、困難を極めたということに尽きるように思います。その中にあって、公的資金の投入に関する政治プロセスを、最終的に推し進める原動力になったのが、問題金融機関の市場からの退出を迫る冷徹な市場の論理でありました。

 いずれにせよ、多大なコストがかかってしまいました。しかし、その中で、収穫がなかったわけではありません。ひとつは、バブル崩壊後の日本が今日に至るまで、多額の不良資産問題を抱え、その処理に苦しみながらも、1920年代の日本や、1930年代の米国の大不況期のような、極端な金融の混乱と、経済の落ち込みを避けることができているという事実です。そして、今ひとつは、小さな地方の金融機関から、巨大な金融機関に至るまで、数多くの問題金融機関処理に関する苦労を積み重ねる中で、日本銀行自身を含む日本全体として、貴重なノウハウと対応能力を急速に身に付けつつあるということです。参考までに日本の預金保険機構の職員の数をみますと、71年の発足当時わずか16人であったものが、現在は約350人に増強されています。また、96年に新たに設立された不良資産の買い取り・回収を目的にした機関(現在は整理回収機構)には、現在、約2600人の職員が、働いています。不良資産処理の仕事を通じて得られた教訓は、この先の金融システムの安定・強化に、必ずや役立つものと考えています。

 さて、これまでは主として、問題金融機関処理のための公的資金投入を念頭において、話を進めてきました。これに加えて、金融機能再生のための公的資金投入の枠組みも整備され、現にいわゆる健全金融機関に対しても資本投入が行われています。その効果について、ここで若干敷衍しておきたいと思います。日本銀行は、「日本の金融機関あるいは金融システムに対する信認が低下している基本的背景は、過少資本問題である」と考え、資本増強の必要性を繰り返し主張してきました。紆余曲折を経ながらも、漸く、昨年10月に包括的な法整備が行われ、その結果として、本年3月末に大手銀行に対し、7.5兆円の公的資金投入がなされたほか、今後、地方銀行に対しても公的資金の投入が予定されています。こうした事実は、日本の金融システムに対する信認回復に向けた第一歩として、率直に評価して良いと思います。

 見逃せないのは、こうした公的資金の投入に伴って、金融機関経営に対する本来あるべきコーポレートガヴァナンスが、働き始めていることであります。このことは、主要金融機関の多く(15行)が公的資金の投入を受け、事実上の国家管理に置かれていることと、一見矛盾するように聞こえるかもしれません。しかし、投入された資本は、何年か後に返済することが前提となっています。また、公的資金を受け入れた金融機関には、リストラへの取組みや収益力の強化などが、具体的な形で義務づけられ、その経営改善計画が公表されています。

 こうした状況の下で、金融機関は、思い切ったリストラに取組むと同時に、リスク管理の徹底を図りつつ、収益力を向上させ、自力で増資ができる、つまり市場の評価に耐え得る経営体制を築き上げようとしています。金融機関どうしの合併や、外資との提携を模索するという動きが、活発になりつつある背景には、このような差し迫った事情があります。先日公表された、興銀、第一勧銀、富士銀という大手銀行の統合計画もこうした流れに沿った動きと言えます。公的資金の投入に伴うモラル・ハザード(公的扶助に対する安易な依存心が、自己責任意識の希薄化を招く現象)は、常に悩ましい問題です。しかし、市場の評価にさらされるメカニズムが組み込まれていれば、モラル・ハザードを最小限に抑えることが可能ということではないでしょうか。

 もとより、公的資金の投入だけで、金融機能の再生・強化に向けた課題のすべてが解消するわけではありません。金融機関は不良資産をバランス・シートから切り離し、不良資産を保持し続けることに伴う財務の不安定性を、取り除く必要があります。さらに、21世紀にふさわしい金融システムの構築という面では、多くの取り組むべき課題が残っていることを、忘れてはなりません。ここでは、「急激な環境変化の下にある金融システムの安定確保のためには、金融機関のリスク管理の強化と市場メカニズムの活用が基本である」ということを指摘しておきたいと思います。先に、市場の力を良い方向に振り向ける工夫が重要であると申し上げました。金融システムとの関連でひとつだけ申し上げれば、システムを構成する金融機関では、経営者が不良資産を含めて、経営上の課題を掌握していることを内外に知らしめるためにも、経営内容の透明性向上を図っていくことが、何より大事であるということではないでしょうか。

グローバル経済への対応

 以上、不良資産処理と金融システムについて、お話ししてきました。しかし、金融システムが安定化し、仮に、金融仲介機能が正常に働いていたとしても、それだけで経済の発展がもたらされるものではありません。やはり、国内に魅力ある投資機会があり、そこに現実に資本が振り向けられるということが、必要です。この点について、日本では、ややもすると「日本経済は成熟期に入っているため、国内に収益性の高い投資機会は少なくなりつつある」といった、悲観的な見方が、根強くあるように思います。そして、そうした見方のひとつの裏付けとなっているのが、日本における資本の生産性の低下です。

 すなわち、日本では、労働人口が伸び悩む中で、高度成長期以降積極的に設備投資を行ってきたため、労働者一人当りの固定資産の量が大幅に増加しているという事実があります。こうした資本蓄積の結果として、GDPに対する固定資産の比率は、現在、米国を上回っています。このことを資本の側からみますと、同じGDPを得るのに、必要な固定資産の量がこれまでのところは趨勢的に増加してきた、つまり、資本の生産性が落ちていたことになります。しかし、このことは、これまでの投資案件の収益性が事後的にみて低下してきたことを意味するのであって、日本の企業が今後行う投資の全てが低収益に甘んじるということではありません。

 近年における世界の経済動向をみますと、情報通信革命といった言葉に象徴されるような、大きなイノベーションの動きが、急速に進行しつつあるように窺えます。グローバルな規模で市場経済が発展し、その中で、企業間の競争も一段と激しさを増しています。先進経済の筆頭格である米国経済が、長期にわたって力強い拡大基調を持続しているのは、こうした経済のグローバル化、情報通信化という流れに、最もうまく適合してきたということではないでしょうか。このように大きな環境変化が生じている下では、変化に対する対応能力が問われます。私は、日本経済の長期低迷の原因が、潜在的な投資機会の乏しさにあるとは、必ずしも考えていません。むしろ変化に対する対応力に問題があると思っています。

 言い換えますと、日本においては、潜在的な投資機会を現実の投資に結び付けるメカニズムが、十分に働いていないところに、問題の本質があるように思います。そしてそれは、多くの識者が指摘しているように、社会・経済のいわゆる「日本的構造」に根差しているところが大きいと考えています。例えば、(1)終身雇用制・年功序列といった点に象徴される硬直的な雇用慣行、(2)人々の創造性を引き出し、リスクへの挑戦を促すメカニズムの弱さ、(3)資源のダイナミックな移転、あるいは流動化を妨げるような法制、規制、税制の存在などであります。

 戦後の荒廃の中から今日に至るまでの日本経済の歩みは、やはり奇跡的な発展ともいえるものです。そうした成功体験の記憶があるが故に、社会・経済の「構造」を変えることは容易ではありません。しかし、過去の成功をもたらした構造自身が、グローバル経済への適応を妨げているとすれば、これを変えることなしに、日本経済の新たな発展を展望することは、できないのであります。

 こう申し上げると、皆さんは、まだまだ日本経済復活の道程は遠いように思われるかもしれません。しかし、私は、決して悲観しておりません。現実に、そうした方向に向けた動きが進みつつあるからです。金融システム問題については、既に申し上げた通りです。それ以外にも、構造改革の必要性に関する認識は、着実に高まりつつあります。例えば、政府が7月に発表した99年度の経済白書には、「経済再生への挑戦」という副題がつけられていますが、その中では「構造改革」と「積極的にリスクをとる社会への転換」の必要性を訴えるべく、半分以上のページが割かれています。また、そうした理念に沿った、具体的な取り組みも、徐々に強化されつつあります。事業の転換・再構築、問題企業の早期再生、あるいは弾力的な雇用システムの構築といった面で、法整備が図られつつあるのも、その一例であります。

 こうした構造改革との関連では、このところ資本提携や、企業買収の動きなどを通じて、外国資本の対日進出が活発化している現象にも、注目したいと思います。因みに、本年に入ってからの対日直接投資の流入額は、既に1兆2千億円に達しています。これは、既存の直接投資残高の4割に相当する金額になります。日本の直接投資バランスは、圧倒的な流出超であった点に特徴があります。こうした傾向に変化が生じつつあるとすれば、これは特筆すべき現象です。日本への外国資本進出の活発化は、明らかに二つのことを示唆しています。

 ひとつは、規制緩和の進展によって、日本経済の開放性が高まったということです。例えば、昨年以降の対日直接投資の内訳を見ると、金融・保険業、サービス業、および情報通信業などが大きなウエイトを占めています。こうした業種に対する外資の進出は、近年急速な進展をみつつある規制緩和の影響を抜きにして考えにくいと思います。

 今ひとつは、日本経済には、なお十分な投資機会があるということです。一般的に資本の収益性に対する意識が厳しいとみられる外国資本が、収益機会を求めて日本への投資を活発化している事実は、このことを端的に示しています。経済学の教科書によれば、経済成長は、資本・労働の投入と技術進歩によってもたらされるとされています。しかし、産業の現場で成長のダイナミズムを支える最も重要な要素は、投資機会を積極的に見出し、こうした生産要素を有効活用しながら、リスクに果敢に挑戦する企業家精神に他なりません。こうした企業家精神をもった外国資本の進出が、日本における競争を大いに刺激し、企業の経営革新を促進する媒体となることを、期待しています。

5.金融政策と構造調整

 構造改革の必要性について述べてきましたが、改革には大きな痛みと、政治的困難が伴います。従って、どうしてもマクロ政策、すなわち金融財政政策に負担がかかりがちになります。そうであればこそ、マクロ政策にできることとできないことを峻別しなければなりません。申し上げるまでもなく、マクロ政策は、主として経済の需要面に働きかける政策です。これに対し、先程来申し上げている構造問題の本質は、金融セクターにせよ、企業セクターにせよ、経済の供給面が弱体化しているということです。「供給面が抱えている問題に対し、マクロ政策が解答を用意することはできない」、大きな整理としては、まずこのことを頭に入れておく必要があると思います。

ゼロ金利政策の内容と効果

 こう申し上げた上で、現在日本銀行が採用しているいわゆる「ゼロ金利政策」について、説明したいと思います。日本銀行は、本年2月12日に一段の金融緩和の実施に踏み切りました。その内容は、金融市場に、潤沢な資金供給を続けながら、日本銀行が金融調節の対象としているオーバーナイト・コールレートを、実質ゼロ金利にするというものです。さらに、4月には、「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまでは、現在の金融緩和スタンスを維持する」との方針を明らかにしました。

 ゼロ金利政策は、世界の金融史上にも類例がない大胆な緩和政策であるし、これを当分続ける方針を明らかにしたことも、日本銀行の強い政策意図をこれまでになく鮮明にしたと言えます。こうした思い切った日本銀行の意思表示が、現在および将来にわたる金融政策運営の不確実性を排除することで、市場に安心感をもたらし、金融環境の改善につながっているものと考えられます。

 申すまでもなく、日本銀行の目的は、物価の安定を通じて、国民経済の健全な発展に資することにあります。このことは、新しい日本銀行法にも、明記されています。物価の安定とは、インフレでもデフレでもない状態のことです。この点、一部の有識者の間には、「市場は、中央銀行がデフレよりもインフレを警戒するとの観念を持っている。日本経済がデフレから脱却するためには、日本銀行が、目指すべき将来のインフレ目標を明示することによって、こうした市場の観念を、改めさせることが重要である。」という意見が根強くあります。確かに、金融政策運営に対する市場参加者の無用の憶測を防ぐことは、大事なポイントです。これに対し、日本銀行は、将来のインフレ目標を数値の形でこそ示していませんが、先行きの金融政策運営方針を、なるべく分かり易いかたちで示すことで、市場の理解を得る努力をしています。今ほど申し上げたように、日本銀行が、「デフレ懸念の払拭が展望できる情勢になるまでは、現在の緩和政策を続ける」姿勢にコミットしているのも、こうした考え方に基づくものです。

金融政策と構造調整

 日本経済低迷の背景に構造問題があることは、先程来、申し上げてきました。構造調整が経済に様々なインパクトをもたらすことは、中国でも日本でも同様です。率直に申し上げれば、構造調整過程でとりわけ問題になるのが、経済に対するそのデフレ・インパクトです。例えば、日本の企業は、現在、過剰設備、過剰雇用、過剰負債という3つの「過剰」を整理すべく、リストラに取組んでいます。個々の企業にとって合理的なリストラの動きが、経済全体の需要の縮小につながるという「合成の誤謬」は、しばしば指摘されるところとなっています。

 確かに、「過剰」の整理がもたらす総需要への直接的なインパクトだけ捉えれば、「合成の誤謬」という側面があることは、否定できません。しかし、先にも申し上げたとおり、企業や家計は、現在だけでなく、将来の経済環境や所得環境を見据えて、投資や消費を行うものです。特に、現在のように経済環境が大きく変わりつつある時には、この先の経済がどのようになっていくのかという点に、より多くのウエイトをかけて、ものをみていると考えられます。

 そうであるとすれば、構造調整の先に未来への展望が開けていれば、足許の経済環境が厳しくとも、企業や家計のコンフィデンスは、落ちないはずです。さらに申し上げれば、未来に対する確信が深まるにつれ、企業や家計のコンフィデンスが高まり、投資や消費が回復してくることが、期待されましょう。また、そのような環境の下では、中央銀行による金融緩和の累積的効果が、よりはっきりと観察できるようになるはずです。つまり、金融や産業の再生を図るための構造改革は、主として経済の供給サイドの改革を促す動きですが、構造調整が進むにつれ、金融政策面からの後押しとあいまって、新たな需要を喚起するという面があるのです。「合成の誤謬」論は一面真実を突いた議論ですが、市場経済の複雑なダイナミクスを考えると、ややミスリーディングな側面もあると感じています。

 このような認識に立ちますと、繰り返しになりますが、明らかなことは、(1)構造改革の手を緩めてはならない、(2)金融政策は構造改革に逆行するようなことに手を染めてはならない、ということです。後者の点に敢えて触れたのは、国債の増発による長期金利の上昇を抑えるため、日本銀行による国債引受けを求める声があるからです。しかし、この点に関する日本銀行のスタンスは明確です。断固応じられないということです。

 中央銀行が一旦「財政資金の融通」ということを始めると、いずれは通貨の増発に歯止めがかからなくなり、悪性のインフレを招くことは、必至であります。インフレさえ発生させれば、先に述べたような構造問題が解消するでしょうか。確かに、インフレの中で、企業や国の過剰債務負担は、軽減されます。しかし、家計の資産は大きく目減りをするため、生活不安がますます高まります。何よりも、財政赤字を累積させてきた結果生じた国の債務を、インフレによって棒引きするというような行動をとる国家ならびにその国の通貨を、誰が信用するでしょうか。これは、古今東西の長い歴史から得られた貴重な教訓です。日本だけでなく先進各国で、中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのも、このためです。

6.終わりに

 以上色々なお話をしてまいりました。申し上げたかったことは、(1)日本における構造調整は、漸く進み始めたのではないかと感じていること、(2)そのなかで、日本銀行はでき得る限りの金融緩和政策を断行することで、日本の金融・経済を支えていること、この二点です。

 中国では、昨年来、アジア通貨危機の影響等から経済成長率が鈍化する中で、いわゆる「三大改革」(すなわち、国有企業、金融、行政の三つの改革)に引き続き取り組んでおられる旨、伺っておりますが、私共の経験が何らかのご参考になればと思い、ご紹介申し上げた次第です。

 次回、中国を訪問させて頂く折りには、日本経済に確かな明るい展望が開けていることを念じながら、本日の講演を終わらせていただきます。ご清聴、有り難うございました。

以上